坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

法曹界が尻軽すぎる

日本の自衛権に関わるものとして、有名なものに砂川判決がある。

憲法第9条は日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず、同条が禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、外国の軍隊は戦力にあたらない。したがって、アメリカ軍の駐留は憲法及び前文の趣旨に反しない。他方で、日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない

 

というのが砂川判決の内容で、国内法より国際法が上であるかのような内容に問題を感じるが、このような判決になるのは当然理由がある。

 砂川裁判は憲法9条により、日米安保違憲になる可能性があった。

 司法は日米安保を守らなければならなかったが、その際9条をどう解釈するかが問題となった。解釈次第では、自衛隊も合憲になってしまう。

 そこで憲法より国際法が上位があるかのように述べ、国際法自衛権で米軍駐留を合法にした。 

判決文では「同条が禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことである」とあるから、自衛隊違憲で、自衛隊の存在自体が裁判になれば、司法は違憲判決を出さなければならないだろう。


 それなのに、憲法学者、日本弁護士連合会は個別的自衛権の合憲、集団的自衛権違憲を主張している。

 個別的自衛権とは自衛隊を合憲とするための行政の詭弁で、本来の司法のものではない。 米軍が日本の個別的自衛権のために日本に駐留しているわけではない。

 安倍政権が集団的自衛権を合憲とした時からしばらくして、国民はそれまでの自衛隊そのものを違憲とする立場から、個別的自衛権を合憲とする立場に乗り換えた。 集団的自衛権が合憲となっては、9条そのものに意味がなくなってしまう。

 しかし「軍隊はいらない」と言える状況にもない国民は、個別的自衛権でのりきろうとした。個別的自衛権なら日米安保を無効にできるので、憲法の理念を完全に捨てたことにはならないからである。

 もちろん国民は日米安保を破棄するつもりなどない。その証拠に安倍政権を国民は支持し続けている。

 そんなことをしているうちに情勢は切迫し、フィリピンのアメリカからの決別、米軍駐留の費用負担を求めるトランプ氏の米大統領当選という自体になった。もはや護憲を叫ぶ声も上がらない。

 憲法学者日弁連は、そんな国民に迎合するために個別的自衛権は合憲などと言っている。彼らに砂川判決を出した裁判官達の気概はない。

 9条改正は遠からず実現するだろう。

 憲法9条とは間違いなく日本の根幹であり、改憲が成ればその後、相当の混乱が予想される。日本のこれまでの価値観が全的に崩壊する可能性があるのである。 

そのような時に重要になるのが権威である。 しかし法曹界が尻軽に国民に迎合して個別的自衛権を合憲とし、改憲後にその姿勢が批判されれば、法曹界の権威も崩壊する。

 法曹界は安易な迎合などせず、事態を静観するくらいに大局を見ていればいいのである。この尻軽ぶりでは、日本の将来は暗い。 


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第二次世界大戦とチャーチル

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第二次大戦の連合国のリーダーであるチャーチルは、アメリカが参戦するまでの苦しい期間、地中海作戦によって逆境を凌いでいた。

 開戦まもなくフランスを占領し、イギリスを空爆スカンジナビア、さらにソ連と戦線を拡大していくナチス・ドイツ相手に、チャーチルは正面から戦うのは不利と判断する。

 そこで、ナチスの同盟国イタリアが担当する北アフリカに目をつける。

ドイツのように強くないイタリア軍をドイツも支援するが、主力がイタリア軍なのでイギリス軍は優勢に戦いを続け、少しずつドイツの力を削いでいく。

 しかしアメリカが参戦し、独ソ戦ソ連が反攻に転じると、地中海作戦の重要度は下がっていく。 連合国北アフリカを抑え、地中海作戦の目標がイタリアになると、連合国では二つの作戦のどちらを採用すべきかが議論になった。

 ひとつは北アフリカから北上してイタリアを占領し、ドイツに迫る作戦。

 もうひとつは西部戦線を形成してフランスを解放し、ドイツに迫る作戦である。この作戦は独ソ戦が始まった頃から、チャーチルスターリンの打診を受けていた。

ドイツ軍に押され続けていたスターリンは、西部戦線の形成によって危機を脱したかったのである。 しかしチャーチルは、スターリンの要求に長く応えなかった。

独ソ戦は1943年のスターリングラード攻防戦の勝利でソ連が反攻に転じ、ノルマンディー上陸作戦によって西部戦線が形成されたのは1944年である。

 その間も地中海作戦は継続され、西部戦線と独ソの東部戦線の三方面作戦となったが、地中海作戦を強く推奨し続けたのはチャーチルである。

しかし地中海作戦がイタリア侵攻の段階になると、枢軸軍は山がちなイタリアの地形を利用して何重もの陣地線を敷き、連合軍を苦しめた。 二次大戦の勝敗を決したのがスターリングラード攻防戦とノルマンディー上陸作戦だったことを考えると、イタリア侵攻は余分で、この点でチャーチルの軍事的才能に疑問符がつけられている。

 一方で、地中海作戦に固執したチャーチルを評価する声もある。地中海作戦で東部戦線を開かないことでソ連を疲弊させ、ギリシャが共産圏に飲み込まれるのを防いだという意見である。


 私は、チャーチルは敵の弱い所を探してたのだと思っている。

 ノルマンディー上陸作戦が二次大戦の勝敗を決したのは確かだが、西部戦線こそが大戦初期、ドイツ軍にフランスが圧倒されて早々に崩壊した戦線である。西部戦線形成は失敗のリスクが大きい。

チャーチルが命じる数々の無謀な作戦には帝国参謀総長アラン・ブルック大将やアメリカ陸軍参謀総長ジョージ・マーシャル大将も頭を抱えた。チャーチルの無謀な作戦のために多くの人間が死に追いやられていったが、彼は誰が死のうとほとんど関心を持たなかった。

 

チャーチルは戦争を騎士道的な決闘ゲームのように考えていたため、栄光を残すためだけにこういう不合理な作戦を平気でやった。

 

ウィンストン・チャーチル - Wikipedia

と評価されるチャーチルも、ノルマンディー上陸作戦のような作戦には踏み切れなかった。

チャーチルはその性格とは逆に、戦果が乏しくとも勝てると思う地域を戦場に選んでいたのである。

 イタリア侵攻もノルマンディー上陸作戦により戦況が好転しているので、チャーチルの戦略眼が正しかったとは言えない。 

しかし将来のソ連との戦いを見据えていなかったとも言えないのである。

チャーチルは自分にソ連を助ける力があるとは思わなかったが、戦況が好転するまでは、独ソで潰し合ってくれることを望んだ。 この場合、チャーチルは主導的に状況を生み出していたわけではないが、状況を利用してはいたのである。


 ファシズム共産主義、そして反植民地主義が、チャーチルの敵だった。

 帝国主義者としてのチャーチルの思想は愛嬌と呼べるようなものではなく、インドに選挙制度を与えるべきかという問いにも、

彼らはあまりにも無知なので誰に投票したらいいか分かるはずもない。彼らは人口45万人の村で4、5人が集まって村の共通の問題を討論するような簡単な組織さえ作ることができない身分の卑しい原始的人種なのだ。

 

と言って反対するほどだった。

 しかしファシズムを打倒し、「鉄のカーテン」演説で 共産主義との戦いの道を示したチャーチルも、帝国を守ることはできなかった。 

大戦初期、チャーチルはドイツと講和するように閣僚に意見されたことがある。ドイツと戦争をしない方が、帝国の維持につながるというのである。

 チャーチルはその意見をはねのけた。しかし大戦でイギリスは疲弊し、帝国の維持は不可能になった。

 それでもイギリス人の間でのチャーチルの人気は高い。 

ドイツとの講和は、確かに帝国の維持につながるが、帝国が衰退するのを止めることはできない。 

ドイツとの戦い、共産主義との戦いは、イギリスに帝国の瓦解と引き換えに、別の「勝った歴史」を与えたのである。

負ける歴史を早々に切り捨てて、「勝った歴史」に乗り換えるという打算が、イギリス人に働いているようである。

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超個人主義者達はなぜ生まれたのか

sakamotoakirax.hatenablog.com

の続き。

 90年代の超個人主義者は時代を騒がせたが、その後話題になったことがない。

 むしろ話題になったのは、父親を尊敬する子供達の方である。 香山リカが『ぷちナショナリズム症候群』を出版したのは2002年である。

『ぷちナショナリズム症候群』には90年代の若者の動向が盛り込まれているはずである。つまり、超個人主義者と「父親を尊敬する若者」は、世代がほぼ同じで、多くの場所で同じ時間を共有していたのではないかと考えることができる。 


私の経験から考えても、超個人主義者は大学での一学年下、私は二浪生なので三歳下の人々で、それより下は協調的で、慣習を重んじる者達、つまり「父親を尊敬する若者達」だった。

個人主義者は、私の経験では一学年だけだった。 そしてこれは私の経験だけでなく、90年代の超個人主義者は日本全域で、基本的に一学年のみだったと思っている。ただコンビニの縁石に座り込む若者はもう少し幅があったと思う。彼らは基本的にアウトローだからである。

 

たった一学年しか違わないのに、価値観が正反対ということがあるのか?

 そうではなく、彼らは根本的には同じなのである。 

なぜ同じか?超個人主義者は「父親を尊敬する若者」の対極の、エディプスコンプレックスの最大の発露者なのである。 そこで、超個人主義者がなぜ生まれたのかを考えてみよう。


 超個人主義者が私より三歳下、つまり1977年4月から1978年3月までの生まれだとすれば、彼らが小学6年の時に何があったのかを考えてみればいい。

 なぜ小学6年かというのは後回しにして、超個人主義者が小学6年の時の大きな出来事は東欧革命である。

ベルリンの壁の崩壊、チャウシェスク独裁政権崩壊など、東欧圏はほとんどが東側陣営から離脱し、91年のソ連崩壊による冷戦終結につながっていく。

 この時期、いや今でも日本の教育では平和主義が教育されているが、平和主義を維持するには、冷戦の敵対陣営の東側を理想化する必要があった。

共産主義体制の理想化は、スターリン批判により進歩的文化人が攻撃された後も続いた。

 超個人主義者になる小学6年の彼らが、そのからくりを全て理解したわけではない。 しかし彼らは教師を、そして大人を軽蔑したのである。

 小学6年の時に東欧革命を経験したのが超個人主義者になる理由なのは、彼らが中学に行っていないからである。

 日本の中学では、特に強制的に入部させられる部活動での先輩、後輩の序列の徹底により、体制に根本的な疑問を持つ思考力を奪われる。私もまた中学時代、日本組が平和主義を教えるのに疑問を持ってはいなかった。東欧革命があってもである。

 しかし小学生までに東欧革命を経験し、教師、大人への軽蔑心を持つと、中学の思考力を奪う部活動でもその軽蔑心を抜い去ることはできない。

 もっとも、超個人主義者になる者達は、中学時代に特別に反抗的だったとは聞いていない。おそらく中学時代は、その理屈の通らなさを忍従するしかなかったのだろう。

 そして自由度の高い高校に入ってから、彼らは本性を現した。彼らはクラブ活動などで多くの、あるいは一切の義務を拒否したのである。

私の大学での二つ下の後輩、つまり4歳下の後輩は高校時代、クラブに入部した直後に、先輩に部長の役を押し付けられたという。超個人主義者達は、あるいは中学時代の不満を、義務を拒否する形で表現していたのかもしれない。

 ここで、超個人主義者のすぐ下の学年から「父親を尊敬する若者」になる理由が見えてくる。

個人主義者に対抗するために、連帯を求めたのである。そして超個人主義者と対立する大義名分を、伝統や慣習の中に見いだした。

結果彼らは、家庭内の社会の象徴である父親に多くの価値を求めた。それが「父親を尊敬する」ことである。

 エディプスコンプレックスとの関連も、ここに見いだせる。 香山リカは「父親を尊敬する若者」のエディプスコンプレックスの無さを問題としたが、「父親を尊敬する若者」達も、東欧革命の影響を受けた者達であり、心の奥では大人を軽蔑しており、その延長線上に父親もいる。

彼らが父親を尊敬するのは、彼らが心の奥に父親への軽蔑を持ちながらも、自分達もまた、同じ価値観の中にいるからである。父親の価値観の否定は自己否定につながる。

 しかしフロイトの研究にあるように、頑固な父親に反発した子供が歳を取るほどに父親の性格そっくりになっていくというようなことは、彼らには起こり得ない。

つまり父親の、社会の価値観を正しく継承する手段を、「父親を尊敬する若者達」は採っていない。父親の価値観を継承した彼らは、次第にその性格が薄味になっていく。

 しかしそれでいいのだろうと、私は思っている。

『NANA』は日本人の人間関係を変えた。 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で論じた、相手の価値観を大事にする精神は超個人主義者と「父親を尊敬する若者達」の対立の中から生まれたものだと私は思っている。

完全な自由を求めているようで、他者の価値観を抑圧的な態度で否定する超個人主義者との対立の中で、相手と自分の双方の価値観を大事にするという精神が醸成されていったのだろうと私は見ている。 古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。

ドラゴンボールを考える②~悟空はギニューに10倍界王拳を使っていない

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日本型ファンタジーの誕生⑥~ドラゴンボールを考える① - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、『DB』は悟空がピッコロと天下一武道会で戦う時まで、実にゆったりとストーリーが進行する。 孫悟空を中心とした、読んでいて読者が安心できるストーリーである。

 鳥山明の天才的なところは、「サイヤ人編」でそれまでのゆったりとした世界観を棄てたことである。

 悟空より強いサイヤ人が現れ、さらにサイヤ人をはるかに上回る強さのフリーザが登場する。

 この展開に読者が熱中するのは、それまでのゆったりした世界観が失われたからである。

読者は元の安心して読める世界観を取り戻したいと思い、『DB』にのめり込む。その結果、『DB』は日本を越えて世界的なヒット作になった。また死にかけ→復活→パワーアップというスタイルや「強さの数値化」も多くのマンガに踏襲され、「強さのインフレ」が起こるマンガが溢れるようになった。


 しかも、「フリーザ編」は三つ巴戦である。『宝島』が面白いのが三つ巴戦だからであるように、「フリーザ編」が面白いのもそれだからである。 ベジータ、悟飯、クリリンが次第に力をつけていき、遅れて到着する悟空と力を合わせてフリーザを倒す。と連載当時の読者の多くは想像したことだろう。 しかし詳細に見ていくと、鳥山の構想と読者の予想の間にズレがあるのがわかってくる。 


宇宙船での七日間の旅の間に、100倍の重力で修行した悟空は、「これなら10倍くらいの界王拳にも耐えられる」と豪語する。そしてその修行の成果でギニュー特戦隊を圧倒する。 

悟空はギニューと戦うが、わずかにギニューの方が強い。

そこで悟空は界王拳を使う。その時の戦闘力が18万である。ギニューの戦闘力は12万で、ギニューは悟空の戦闘力に驚愕する。

 読者はここで、悟空が10倍界王拳を使ったと思う。 しかし本当は、悟空は10倍界王拳を使っていない。

 ギニューの推測では、悟空の戦闘力は6万から8万5千である。ならば10倍界王拳を使えば、60万から85万になるはずである。しかしそうなっていない。

 もちろんギニュー相手に10倍界王拳を使う必要はない。2~3倍で充分である。そして2~3倍の界王拳を使ったとすれば、大体計算が合う。

 「ならば10倍界王拳を使えて、その時は2~3倍に押さえたんじゃないか?」 と思う人もいるだろうがそうではない。

なぜなら10倍界王拳を使えるなら、界王拳で戦闘力を上げた後、 「瞬間的に出せるパワーはまだまだこんなもんじゃねえ」 と悟空が言う必要がないからである。


 ナメック星に到着した後、悟空は5000程度の戦闘力から瞬間的に大幅に戦闘力を上げてギニュー特戦隊と戦った。これは話を盛り上げるためだけではなく、ギニュー戦の伏線になっている。 

5000から大幅に戦闘力を上げられるのだから、18万から60万、85万まで戦闘力を上げてもおかしくない。

 しかし悟空に界王拳を使うのは、ギニューに力の差を見せつけて戦闘を回避するためである。力を出し惜しみする必然性がない。 

また体力の消耗を避けるためといっても、60万以上の戦闘力があれば、一撃で決着をつけられる。やはり消耗を避ける必然性は薄い。

 「10倍くらいの界王拳に耐えられる」というのは、鳥山のフカシである。


 悟空が10倍界王拳を使っていない証拠はもうひとつある。 ベジータは悟空の戦闘力に驚く。

しかし本当はこの時点で、ベジータの方が戦闘力は上なのである。 なぜならこの後、ベジータフリーザの攻撃をしのいでいる。

 『DB改』では、フリーザと戦った時の戦闘力は25万である。第一形態のフリーザの戦闘力が53万だから、フリーザが本気でなかったとして、フリーザの半分の戦闘力がないとしのげないから、ベジータの25万は妥当である。ただリクーム戦の時のベジータの戦闘力が3万程度だから、インフレ率8倍になってしまうが。

 界王拳を使った悟空の戦闘力が18万だから、「瞬間的に出せるパワー」を60万とかでなく、5、6万程度の自然な上乗せと考えると、ベジータとほぼ互角になる。その場合、3~4倍の界王拳となる。

 ベジータは、悟空が界王拳の倍率を少し上げたくらいなら、死にかけ→復活で互角に戦えるくらいの天才なのである。

サ…サイヤ人の戦闘レベルをあきらかにこ…超えている…ち…地球で戦ったあ…あいつとはまるで別人だ…

 

と、ベジータは悟空の戦闘力に驚いているが、ベジータの性格上、大幅なパワーアップをしたとしても格下相手に驚愕することはない。

だからベジータが驚くのはおかしいのだが、このようにした理由は、悟空を『DB』の世界観の中心に戻すためである。『宝島』のような三つ巴でフリーザに勝っても、『DB』の世界観は悟空が最強でない限り戻らない。

しかしベジータも、『DB』の世界観を危機に陥れるために生まれた、悟空を上回る天才戦士なのである。この設定を簡単に崩すわけにはいかない。

そこで性格的に無理のあるベジータの驚愕と、ナメック星でのみ発揮したベジータの目的合理主義精神で敵前逃亡させ、ベジータを格下に見せた。 

10倍界王拳は、ベジータが死にかけ→復活したくらいでは追い付けないレベルのパワーアップである。(例えベジータがインフレ率8倍のパワーアップをしたとしても)しかしフリーザはそれをさらに上回る。超サイヤ人はそのフリーザに勝つために生まれたアイディアである。


 ベジータが悟空以上の天才戦士という設定は、「人造人間編」の途中まで生きていた。

 「やっとカカロットを超えサイヤ人の王子に戻る時が来たんだ…」 という、超サイヤ人になったベジータのセリフと、「いまのベジータに勝てねえんならおらにも勝てねえから」という悟空のセリフは、ベジータの方が実力が上という認識を両者が共有していたことを暗示している

 基本戦闘力で悟空がベジータを上回るのは、精神と時の部屋に入ってからである。ここはトレーニング法の合理化として、素質の問題でないことにした。ただ悟空がこれ以上強くなるとまずいので、悟空を死なせた。悟空を死なせた理由はもうひとつあるが、それはまた後に述べよう。

 さらに連載が進むと悟空を再登場させなければならなくなり、その時に悟空はベジータ以上の天才戦士になった。『DB』は悟空が世界観の中心である以上、悟空と互角以上のライバルを作れないのである。しかし『DB超』は悟空を世界観の中心から外すことで、ベジータを悟空のすぐ後の行くライバルにすることに成功した。 

フリーザ編」の面白さは、『宝島』のような面白さに見せて、『ターミネーター』の要素が混ざっていることである。

 圧倒的な強さを持った敵がいて、見つかったら勝てないので隠れる。敵に見つかって追われる。勝てないから敵に譲歩して戦闘を回避したり、それでも逃げられなくなって破れかぶれになって戦うと案外戦えたりする。

 ターミネーターから逃げるように敵から逃げながら、悟飯、クリリンベジータは少しずつ力をつけていく。そしてフリーザと戦えそうだと読者がが思い始めたところでインフレが起こり突き放す。

フリーザは、初登場の時点で読者は10万くらいの戦闘力だと想像していたはずである。それが戦闘力が公表されると53万、さらにその後、三段階の変身をすることがわかる。

 こうしてフリーザと戦う悟空の戦闘力は、『ジャンプ』の公式発表で(あくまで鳥山のではない)9万から300万と33倍以上のインフレとなり、10倍界王拳で3000万、超サイヤ人になって1億5000万と、マンガ史上最大のインフレ率となった。

 一方、鳥山はデフレも行うのである。 『復活のF』で復活したフリーザが、「四ヶ月もトレーニングすれば戦闘力を140万まで持っていける」というが観客はこれを第一形態が三倍近くになると考える。

 しかし本当は「最終形態のフリーザの戦闘力が140万になる」と言っているのである。少なくとも鳥山は、そう観客が騙されてくれることを望んでいる。 

もちろん騙されている人は一人もおらず、鳥山もわかってやっているのだが、鳥山がデフレをやる理由は、インフレが激しすぎてパワーアップが想像できないものになるのを防いでいるのである。

 「強さのインフレ」「強さの数値化」を導入したマンガ家は多数いるが、どれだけヒットしたかに関わらず、インフレを面白さにするのに成功したのは鳥山だけである。

 なぜなら数字は人を冷静にする。冷静な思考の迎える終幕は予定調和である。計算しない鳥山だけが、数字で読者を熱狂させることができた。


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殺人事件の傾向が変化している

9月から、毎日数回殺人事件をネットで調べていた。
私はいずれ、日本の犯罪発生率が挙がると思っている。それで毎日検索していたのだが、殺人事件がしょっちゅう起こってはいても、殺人事件が増えているという印象までは持たなかった。殺人件数までは調べていない。
それでもいくつかの傾向はあった。
北海道旭川市での、父親と祖父母の三人を殺害した事件、千葉県酒々井市の姉が弟を殺害した事件、栃木県佐野市の息子が母を殺し、父親がその息子を殺した事件などの尊属殺が目につく。
もっとも尊属殺は、

尊属殺重罰規定の廃止が尊属殺を増加させたとはいえない - 誰かの妄想・はてな版

にあるように増加する傾向にあり、未だに格別に増えたとは言える段階にない。
しかし注目すべきは、その年齢である。佐野では母を殺した息子は43歳、旭川の犯人は32歳、酒々井の犯人は25歳である。埼玉県熊谷市の弟が兄を殺した事件は、犯人は30代である。
子殺しを覗けば、尊属殺は青少年が起こすものだったと思う。
しかし尊属殺の年齢が引き上がっているのは、尊属殺がその要因と、加害者の未熟さによって引き起こされているという判断が崩れ、殺人要因が年を取っても変化せず、加齢が加害者を成熟させていない可能性を示している。しかも被害者の年齢が高い。ただ、中には明らかな介護疲れによる殺人もあり、その場合は別に考える必要がある。
と思っていたら、日本の殺人事件の半数が尊属殺というデータも出てきた。

日本で殺人事件のおよそ半分は家族間殺人 家族の形の変化と意識のギャップが一因か - (1/4)|ニフティニュース

次に、無差別、複数の犠牲者が出る殺人事件が増えていることである。
そういう殺人といえば、相模原の植松聖が思い浮かぶが、植松の場合は障害者を差別した殺人だった。
植松は一部でヒーロー扱いされているが、差別の拡大の懸念があっても、差別による殺人には発展していないようである。
しかしその後また相模原で三人が死傷する殺人事件が起こり、愛知県豊田市でも一人が刃物で切りつけられ、その後コンビニで女性三人が殴られる事件が起こっている。
女性三人が殴られたのは、犯人が刃物を持っていなかったからなのか、刃物を使いたくなかったからなのかはわからない。犯人は刃物で切りつけられた男と口論したというが、刃物を持って歩いている時点で異様であり、元々無差別に人を殺そうとして外に出たが、いざとなって殺せなくて女性を殴ったとも考えられる。
もしそうなら、2008年の秋葉原の殺人事件と同じである。「誰でもいいから殺したかった」という動機殺人を犯していることになる。
そして、高齢者狙いと複数の殺人が結びついたのが横浜の大口病院の殺人事件と考えられる。ただし大口病院の事件が、介護疲れが動機なのか、尊属殺のような親や祖父母への反発による殺人が転換したのかは判断がつかない。現時点では尊属殺の延長と考えるのは勇み足の感があるが、大口病院殺人事件は迷宮入りとなる気配があり、真相究明は絶望的だろう。

今後も、犯罪の動向について見ていきたいと思う。

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日本型ファンタジーの誕生⑥~ドラゴンボールを考える①

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ドラゴンボール』(以下『DB』)は最初は盗賊や世界征服を企む集団などを敵としていくが、長期化するにつれて物足りなさを感じてきたところで、ピッコロ大魔王が登場する。 

ピッコロは世界の王となった後、「犯罪をするのも自由」とする。 世界征服とは税収を目的とするものであり、税を徴収するには秩序を必要とする。ピッコロの論理は矛盾している。

 同様のことがフリーザについてもいえる。 フリーザは宇宙の帝王だが、バブル時代の地上げ屋のイメージを採り入れたという。

 しかし帝王とは支配する者だが、地上げ屋は土地を売る者である。バランスの問題ともいえるが、ナメック星でのフリーザは住民を追い出す地上げ屋そのもので、支配する気がない。

帝王としてのフリーザとの矛盾が著しいが、それでいてフリーザは、今でも最も存在感のある悪役である。

 つまり、ピッコロの悪役としての矛盾は単純な失敗ではなく、作者の鳥山明

日本型ファンタジーの誕生④~戦後の平和主義的正義観を変えたガンダム - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

の善悪感の変化の影響をより強く受けたための矛盾であり、この場合鳥山の才能の高さを示すものである。

 ならば『DB』を語るのも、日本型ファンタジーが誕生する経緯を理解する一助となるだろう。


 『DB』は最初と中盤以降では、かなり違うマンガだという印象を受ける。

 『ONE PIECE』は相応に世界観の統一が保たれているが、連載が進むほどにストーリーが複雑化する。『DB』は世界観の統一はまるでないが、常にシンプルである。このシンプルさが『DB』の特徴で、適当に描いているように見えて、『DB』を世界的なヒット作にした鳥山はストーリー力も高い。


 この『DB』のモチーフとなったのが『西遊記』なのは誰もが知るところである。だからここで『西遊記』と比較してみよう。

 『西遊記』といえば、主人公の孫悟空がオリジナルである。

 しかし今では世界的にも『DB』の孫悟空の方が知名度が高いので、ここではあえて『西遊記』悟空と呼ぼう。 

西遊記』では、如意棒を持ち金斗雲に乗る『西遊記』悟空が縦横無尽に活躍する印象があるが、『西遊記』悟空達が自力で困難を解決することは少なく、大抵は観音菩薩の力で解決する。その場合、敵の妖怪は多くが観音菩薩によって善化される。

西遊記』の旅は苦難に満ちているようで、仏達による箱庭世界のようにも見える。 

一方『DB』は、多くのマンガに共通する特徴ともいえるが、敵だった者が味方になる。そのため一部を除いて、非常に安定した世界観となっている。

 『西遊記』悟空、八戒、三蔵など、キャラクターは、どこを切っても性格が一貫しており、成長がない。

 この点について、中野美代子が『西遊記XYZ』で面白い指摘をしている。第五十五回を境にして、物語がシンメトリー構造になっているというのである。つまりA、B、C…と五十五回まで話が続いた後、五十五回から…C’、B’、A’と、似たような話が逆に配置されているというのである。

 こうして、五十五回を頂点にして、『西遊記』のストーリーは下り坂になる。 また中野は、『西遊記』の成立に道教の関与があることを指摘している。特に『西遊記』悟空は闘戦勝仏となり、観音菩薩を超えて仏になるなど、仏教世界を踏襲しているように見せながらも、仏教世界を解体していることを中野は看破した。

 道教老荘思想も源流にしているが、成立時には現世利益を追究する宗教になった。

 かつて阿満利麿が創唱宗教自然宗教という分類を唱えたが、道教は教義を持たない自然宗教に分類される。

封神演義』でもそうだが、道教の仙人達は仏を自分達より上位と見ているようである。 日本でも同様のことが言える。仏教神道より上位に置かれていた。教義のない宗教は、自分達が教義のある宗教に敵わないと思い、教義のある宗教を上位に置く。 そして教義を骨抜きにすることを企む。日本の仏教は大乗の2乗と言われるのがそれである。

 道教のある中国が『西遊記』を生み、日本が『DB』を生んだ。

 『西遊記』と違い、『DB』は悟空達が成長する物語である。そして敵が善化されて仲間になる物語である。 

敵が仲間になる秘訣は、主人公の悟空にある。 

悟空が戦う場合、最初から優勢に戦い、勝負を決めてしまうパターンがほとんどである。

 対ピッコロ戦や対フリーザ戦のようなガチのバトルもあるが、ガチのバトルはどこか面白くなく感じる。本当は面白くないのではなく、『DB』のイメージに合わないのである。悟空が余裕を持って戦う方が『DB』らしい。

 一方修行では、「素直で真面目」と言われるように手を抜いたりしない。しかしベジータのように倒れ込みながらも、悟空を超えたい一心でフラフラと立ち上がるような屈託が悟空にはない。屈託なく余裕を持って敵を倒すのが孫悟空である。 

西遊記』では悟空が戦い、観音菩薩が決着、敵を善化する。しかし『DB』の悟空は、『西遊記』悟空と観音菩薩を合わせたような存在なのである。『DB』の世界観そのものと言ってもいい。

 『DB』の世界観を支えているのは、孫悟空の圧倒的な強さである。よく頑張って戦う姿を見て敵が善化するマンガがあるが、『DB』はそんなに甘くない。

 もう1つ、『DB』は作品時間が長いのが特徴である。悪党が善化するのに必要な時間が与えられている。 それは悟空達の成長を自然なものにしている。

もっとも途中から強さのインフレとなって、多くのマンガが『DB』を真似するようになるのだが。 ただフリーザのような存在感のある悪は仲間にできない。魔人ブウは倒した後、善人に生まれ変わらせるが、悟空の力で善化できなかったあたりが、悟空一人で世界観を支える限界になっている。


 なお、去年から始まった『DB超』だが、破壊神ビルスの登場により、悟空は世界観の中心から外されている。 

放送開始当初は、ベジータのキャラ崩壊などが話題になっていたが、本当にキャラが崩壊しているのは悟空の方である。

原作では、成人してからの悟空はアホではないが、『DB超』ではニート、格闘バカ、アホキャラぶりが強調されている。 

さらにビルスフリーザに命じて、惑星ベジータを破壊した張本人であり、ビルスの元で嬉々として修行する悟空とベジータは道化となっている。 

だから『DB超』は悟空を主人公の座から降ろすために制作されているもので、ビルスに勝つのは悟空より潜在能力が高く、仕事と家庭を大事にする孫悟飯だろうと思っている。


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90年代の超個人主義者達

「なぜ人を殺してはいけないのか」と大江健三郎に質問し、「その質問自体が間違っている」と回答される。

 コンビニの入口付近の縁石に座り込み、事あるごとに既成の概念に対立した世代、つまり90年代の超個人主義者と呼ぶべき者達。私は彼らと学生時代に出会い、彼等に苛立ち、対立した。

 議論で戦う論法は、個人主義vs集団主義に持ち込むことである。今では個人主義者になった私も、この時は集団主義だった。この論法は、今でも個人主義を批判する論法として使われている。 


彼ら超個人主義者に対してどう思うかは、この記事の目的ではない。

 理由は、不毛だからである。 例えば「その質問自体が間違っている」という大江健三郎の回答にしても、殺人が道徳的に正当化されないだけのことであり、不道徳な行為にも何らかの正しさはあることもある。 

また集団主義vs個人主義の論法も、集団主義が正しい根拠はないと思っている。 

ただ、超個人主義者に肩入れしているかというと、必ずしもそうではない。

 その理由は、彼らの言動の不快さである。 超個人主義者は、議論の前提となるものをことごとく破壊しようとする。

 議論の前提を破壊してはいけない理由は、本当はひとつもない。この意味でも大江健三郎は間違っている。

 しかし不快なのである。よほどの忍耐力と議論の能力がない限り、彼らと四六時中付き合うのは困難である。

だから超個人主義者に対する者の力不足を指摘しながらも、超個人主義者の肩を持ちきれない。だからこの記事は何が正しいのかということではなく、超個人主義者がなんだったのかという視点でしか語れない。


 超個人主義者の不快さについて、もう少し考えてみよう。

 先に挙げた、コンビニの入口の縁石に座り込んでいた若者達について、もう少し掘り下げていこう。

 彼らの何が不快か? 「見た目が悪い」というなら、それはまだ体裁を繕った答えである。 

本当は「襲われるかもしれない」と思うからである。

 「襲われるかもしれない」というのは、人間の持つ正常な防衛本能である。

一方超個人主義者は「座ってはいけないと書かれていない=ダメでない以上どこに座ってもいい」 という論法に持ち込む。

 しかし「どこに座ってもいい」というなら、隅の縁石に座っても良かったのである。少なくともそうしていれば、問題はそれほど大きくはならなかった。 

客がすぐ側を通る入口付近の縁石に座る彼らは、客への威嚇を自覚している。

 しかしマナーは防衛本能も含めた感情の調整の役にたつものだが、この時期の日本人はマナーの背景にある感情を忘れすぎていた。 すると自分の主張が正しくないという思いが強くなり、弱気になっていく。

 一方超個人主義者は、表向き自由を標榜しながらも、真実は相手の感情を否定している。超個人主義者は個人主義者を装いながらも、自分達と異なる者に対する抑圧を行っており、その意味で集団主義的であった。 

彼らの目指すところは徹底したカオスだった。それは彼らが徹底して責任を取らない姿勢にも現れていた。カオスに対する責任など取りようがないからである。 

しかし先に述べたように、彼らの批判はこの記事の主目的ではない。彼らを徹底したカオスに駆り立てた衝動の原因は、日本の歴史の流れの中にある。それはまた次の機会に語ろう。

 ともあれ、彼らは至るところで秩序を破壊しようとしたが、破壊のあるところに創造がないということはない。その程度を語る能力は私にはないが、彼らは確かに日本を変えた。 


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