坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

「ヒロシマ」は「この世界の片隅」ではない

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この世界の片隅に』は、話題になった時に一度買い、古本屋に売った。 

今回映画になって、映画は見ずにもう一度マンガを買った。

 読んでみて、新たに気づいたことがある。

 すずの婚家は、戦時中の一般的な家庭の姿ではない。 

私もそうだが、すずのようにぼんやりしている人間にとって、太平洋戦争の時期はもっとも生きにくい時代である。 それだけ殺伐とした時で、ぼんやりしたり失敗したりすれば普通に罵声が飛んだりする時期である。

 それなのに婚家の北條家はすずを包容している。

戦争をテーマとした作品で、世間一般と同じ家庭が登場する必要はないが、北條家の延長線上に世間があり、世間がすずを包容することで作品が成立している。これなら戦争に反対して世間に白眼視された『はだしのゲン』のゲンの父親の方が、作品として説得力がある。

 「すずは普通じゃ」と、すずに未練を持つ、幼なじみの水原哲はいい、海軍で自分が普通に扱われていないことを仄めかしているが、ならばその普通に扱われていない部分を描くべきだろう。全般に都合の悪い部分、読者、観客が見たくない部分を描かないようにしている作品である。

 すずは広島から呉の北條家に嫁ぐ。

 北條家の生活で、色々なことがある。 

入湯上陸した水原が、すずのいる北條家に上がり込む。狙いはすずである。 夫の周作は愉快に思わないが、水原を納屋に泊め、すずを中に入れて外から鍵をかける。

 色々言いたくなるところだが、戦場に行かない者の心情はこんなものかもしれないとも思う。 だから流れとしてはこれでいいのだが、もう少し引きずって欲しいところである。

 しかしまた、引きずらないようにも、この作品は細工されているのである。

 周作には馴染みの女郎がいた。

死ねば記憶は消える。秘密は無かったことになる。それはそれで贅沢なことかもしれんよ

 

と、その馴染みの女郎の白木リンは言う。

 白木リンの言葉は、危ういところで作品の中心テーマになろうとしている。 この言葉は、ストーリー作りに精通した者が、徹底的にストーリー作りに煮詰まって作り出した言葉である。 

消えるのは死んだ者の記憶で、生きている者の記憶は、死んだ者についての記憶であっても消えない。だからなくなるのではなく、忘れるのである。

 水原のことは秘密ではないが、死んだら忘れればいい。だから引きずらなくていい。 「鬼」いちゃんも戦死したと知らされて、遺骨と思って箱を開けたら石ころひとつ、これじゃ生きてるか死んでるかわからんとして、後は忘れる。

 この言葉が戦争というテーマに反映されると、全ての戦没者について忘れるとなる。これはストーリー作りをする者として、もっとも卑劣な作り方である。


 しかしこの作品は、一筋縄にいかないのである。

 周作の姉の子を不発弾の爆発で死なせ、さらに自分の右手を失い、頬にも傷を負う。 身近な人の死の忘却と身の不幸は、直接に関係がない。 しかしこれが説得力を持ってくるのは、戦死者の忘却が、さらなる戦禍を生む当時の状況と被るからである。

 すずは広島に帰ろうとする。

空爆で死んだ人を見ても何も思わず、広島に「鬼」いちゃんがいないのを良かったと思う。

すずは逃避している。しかし逃避するのは、死んだ人を忘れることができないと分かり始めているからである。

 すずは8月6日に広島に帰ろうとする。 我々は8月6日に何が起こるか知っているから、すずが広島に帰るのかやきもきする。

 すずは広島に帰らず、それが起こる。我々はほっとする。ほっとすると、怒りがこみ上げてくる。こんなストーリーの作り方があるかと。


 しかしその後、すずの意識が変わるのである。

それまで戦争に対して受身だったすずが戦争に積極的になる。しかし時既に遅しで、原爆投下の9日後に玉音放送を聴くことになる。

そんなん覚悟の上じゃないんかね?最後のひとりまで戦うんじゃなかったんかね?いまここにまだ五人もおるのに!まだ左手も両足も残っとるのに!!

 

戦争をテーマにした作品で、負けたことを真剣に悔しがる描写が生まれたことは、特筆に値するだろう。戦争にどれだけの意味があるかに関わらず、負けるのは悔しいのである。

 しかし、この後が良くないのである。

この国から正義が飛び去ってゆく…ああ、暴力で従えとったいう事か。じゃけえ暴力に屈するいう事かね。それがこの国の正体かね。うちも知らんまま死にたかったなあ…

 

一体いつ、誰が暴力で従わせられていたのだろう? 

共産党員が特高に拷問される描写が一コマもない戦争マンガで、「暴力で従えとった」 と言ってはいけない。 

このように言っても、納得しない人もいるだろう。ならばこう言おう。すずは自分の心情に素直でないのである。 

すずの戦争への積極性は報復感情に基づいている。 だから報復感情とすずが認めれば、話はずっと分かりやすいのである。

しかしすずは正義と言う。 報復感情=正義とするのも論理的には可能だが、その場合は正義を上等なものと見なすことはできない。その上等でない正義が貫徹されなければ「暴力で従えてた。だから暴力に屈する」と極端から極端に飛ぶから、すずの心情が見えにくくなっているのである。 


すずの実家は、広島の江波にある。

 『この世界の片隅に』を読まなくても、江波という地名に聞き覚えのある人もいると思う。『はだしのゲン』に登場した地名だからである。原爆投下で家屋が炎焼しなかった地域である。

 だからすずの実家も残っている。しかし母は行方不明、父は原爆症で死に、妹は床に伏せっている。 妹の腕に染みが浮かび、間もなく死ぬだろうと、読者も理解するが、妹が死ぬところまでは描かない。 

「わしが死んでも一緒くたに英霊にして拝まんでくれ。笑うてわしを思い出してくれ。それができんようなら忘れてくれ」 と水原哲が言うが、英霊にするのは普通の扱いをしない代償だからである。代わりに泣こうがわめこうが、普通に扱わない点は変わらない。だから笑って思いだせと水原は言う。

 抗戦の道を失ったすずは、死んだ人の記憶を持ち続けることに自分の存在意義を見出だす。『「鬼」いちゃん冒険記』も、記憶と空想の産物である。

 フィナーレが近い。しかしここでこうのは、180度真逆に舵をとるのである。

 広島で周作を待つすずを、周作が見つける。

この世界の片隅で、うちを見つけてくれてありがとう周作さん

 

とすずはいう。しかし、「ヒロシマ」は世界の片隅ではない。 世界の中心であるべきである。この作品の中では。 


こうの史代は、どちらかと言えば長編が苦手な作家だと思う。 こうのが得意なのは、人のちょっとした心情を捉えた描写である。

そしてこの絵はグロテスクな表現に向かないし、こうの自身グロい絵を描きたくないだろう。こうのは中沢啓治ではないのである。

 こうのの話題作『夕凪の街』の時代設定が昭和30年なのも、原爆投下直後を回想にすることでグロい描写を避けるためのものである。 

しかし「ヒロシマ」はその悲惨さのため、時代設定はずらせても「ヒロシマ」を外側から見ることはできない。「ヒロシマ」は「ヒロシマ」からしか描けない。 

だからこの作品は、『夕凪の街』に味を占めた編集者に描かされた作品だとわかる。こうのもあとがきで、「正直、描き終えられるとは思いませんでした」と語っている。この点私はこうのに同情するものである。

 「死者の忘却」から「死者の記憶を持って生きる」に変化するストーリーは、楠公飯や『愛国いろはかるた』などの戦時のエピソードやユーモアがヴェールになって見えにくいが、明確に見えなくとも、読者は何かを感じとることができる。 

しかし「死者の記憶を持って生きる」が全面にでた直後に、「ヒロシマ」の大忘却がなされると、真実より現代日本人の願望でできあがった戦時の風景に埋没した読者には、その大忘却が読み取れなくなってしまうのである。 


先に私は「こうのはどちらかと言えば、長編が苦手な作家だと思う」と述べた。 

しかしこの作品を見ると、それを撤回したい衝動にも駆られてしまうのである。 

この世界の片隅に』は、こうのが「ヒロシマ」から全力で、奸智を尽くして逃げ切った作品である。しかもタイトルの言葉で締めることで、歪みながらも筋が通ってしまった。

 こうのがこれほどの底力を見せることは今後はないと思うが、それでもこの作品は、こうのの魔的な力量を感じさせるのである。


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トランプ氏が大統領になる

私自身は、基本的に情報に疎い。

 だから、世間が相当騒いでから、少しずつ情報収集をする。 トランプ氏の情報収集をしたのも、去年の4月頃からである。

 トランプ氏に注目を始めた頃は世間が騒然としていたこともあり、「これは大統領になるか」と思ったが、やがて大したことはないと思うようになった。

 その理由は、トランプ氏は米軍駐留費を全額負担しろと言いながら、一方で各方面での軍事力の増強を主張していたからである。 軍事力増強が基本路線なら、同盟国への負担の要求は難しくなる。結局トランプ氏が大統領になっても、同盟国への負担という点では実を挙げられないのではないかと思ったのである。


 肩書きが立派でも、本物だと感じられない人物がいる。 ただし、その人物が本物でないのに、立派な肩書きを持っている理由を知る機会はほとんど持ったことがない。

 やがて、共和党の有力者(名前も覚えていない)から、共和党候補がトランプ氏になっても不支持が出たりして、トランプ氏が苦境になり出した。その頃にはもう、「どっちが勝つ」と言わないようにしようと決めていた。

 今回のアメリカ大統領選挙は、史上最低の大統領選挙と言われた。

どのようなネガティブキャンペーンが行われたかについては、詳しく追っていないし、仕入れた情報もほとんど忘れてしまった。覚えているのは、 

「大統領選挙で不正が行われている」 

という、トランプ氏の発言だった。

この時点で、私はトランプ氏の負けと判断した。


 蓋を開けたら、トランプ氏が勝っていた。

 それも僅差などではない、充分に差を着けた勝利である。 私の予想は外れた。

blog.kuroihikari.net

ではしごたん氏もトランプ氏勝利を予想していたが、私は外した。

 この時、私はトランプ氏を認めた。

 トランプ氏は、アメリカの大統領にふさわしいのである。すなわち、衰退した国の大統領として。 

この人物は、風呂敷を広げて成果を挙げずに泣き寝入りする人物ではない。

 極端に言えば、世界がどれほど混乱しようとも国益をもぎ取ろうとする人物である。

 それでもイスラム圏とロシアの橋頭堡となるEU諸国に対しては、トランプ氏も譲歩しなければならない場面も増えるだろう。だからトランプ氏が得点を稼ぎに来るのは極東、つまり日本である。

 TPPをやめるといっても、トランプ氏は二国間交渉はすると言っている。米軍駐留費負担の問題は、経済問題と絡めた複雑なものになるだろう。

 特に注目すべきは、トランプ氏が沖縄米軍基地問題について何か語った形跡がないことである。 トランプ氏は、本土と沖縄の対立を利用して漁夫の利を得るつもりである。

本土と沖縄の対立に利はなく、沖縄米軍基地を本土に移転させてでも対立を回避するべきである。


 トランプ氏のアメリカに対し、日本はいくらかの譲歩をせざるを得ないだろうというのが私の見解である。

対抗するには、沖縄やアジア諸国との連係を密にすることを、地道にやっていくことである。

ナンセンスギャグの限界~『暗殺教室』

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出欠確認と同時に始まる一斉射撃。 不意討ちでターゲットの命を狙う生徒達。マッハ20のターゲットは生徒達の攻撃を難なくかわす。
ターゲットは最高の教師。殺せんせーの指導で、生徒達は勉強にも自信をつけていく。
勉強も暗殺も一生懸命。まかり間違って流れ弾が殺せんせーに当たって死んだら、生徒達全員が大喜びしそうな、異様な感触を感じてしまう。こんなことを書けば、

何言ってんだ。それがナンセンスギャグだろうが。
と言われてしまうだろう。その通りです。すいません。

暗殺教室』には、それなりの駆け引き、戦略がある。 中学生が訓練により忍者のような動きをするなど、少年誌らしいご都合主義的な面があるが、それでもやはり駆け引き、戦略はある。

しかし、だからどうした。所詮ナンセンスギャグじゃないか。

ナンセンスギャグとしての駆け引きは、読者の身にならない。結局はご都合主義過ぎて、リアリティーに欠けるのである。

暗殺教室』よりリアルな駆け引き、心理戦を表した作品として、『デスノート』『ライアーゲーム』などがあるように、日本人は心理戦、駆け引きの物語が好きである。
しかし二つの作品とも、ファンタジー、あるいは非日常の世界を舞台にして成立している。そして現実世界は心理戦や駆け引きの物語として作品化されない。

あんたのプロ意識を信じたんだよ。信じたから警戒してた

 

と、『暗殺教室』の作中で赤羽業は言う。
その通り、現実世界にも駆け引きはある。そしてその駆け引きは、敵に対する敬意を持つことで磨かれていく。 しかし

私の擬装請負体験① - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で見るように、現実の駆け引きとは、いかに敵を過小評価し、弱く思うかに終始している。

現代人は、駆け引きの重要性を理解している。
しかしバーチャルな世界でなければ、現代人は駆け引きを楽しめない。はたしてバーチャルな世界の駆け引きの物語を受容し続けることで、いつか現実世界の駆け引きの物語がヒットするのだろうか?

弁護士が無能すぐるww①

水瓶座の女』を出版した太陽出版の編集プロダクションのザブックからは、2年間印税をもらっていない。

 『水瓶座の女』がいくら売れたのかもわからない。2014年の夏まではザブックの山下隆夫と話していたが、話が進展しないのと、私自身本が売れていなかったのがわかっていたので、それ以降約2年間連絡しなかった。山下からも連絡はなく、いくら売れているのかもわからなかった。


 今年の4月になって、ようやく山下に電話をした。 話は紛糾し、データを送ってもらうことになったが、そのデータには2014年10月までの販売記録しかなかった。当然売り上げは0。 

「現在までのデータを下さい」 とFAXを送ると、今度は2016年3月までのデータと手紙を送ってきた。 このデータも売り上げは0。

しかし手紙を見て見ると、手紙の内容がデータと照合しない。 よく見ると、日付が2014年3月になっている。 

「山下さんが送ったものかどうかはわからないが、2016年までのデータと、2014年4月の手紙が届いた。これは山下さんが送ったものか?」

 とFAXを送ると、返事が返ってこない。

そこで、 「4月に送られたデータを山下さんが送ったものと認めることはできません」 とFAXを送ってやった。

 もうこれは裁判が必要と考え、山形県の及川善大弁護士に相談した。及川氏は係争を受任した。

 「坂本さんは最低でもどのくらい売れていると思いますか?」 

及川氏が尋ねた。 

「最低でも20万くらいは売れていると思います」

 私はその理由を答えた。 「『坂本晶』で検索すると、7ページ以内にネット書店での『水瓶座の女』が15件前後検索に引っ掛かります。また相手方から届いた、2016年まで売り上げが0になっているデータで、2015年6月に、在庫が全部消えております。これは私がこの時に

私の擬装請負体験① - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

(全22回)で、『水瓶座の女』のPRをして売れたからです」 

(ああ、言っちゃった)

 と私が思ったのは、『私の擬装請負体験』は評判が悪く、記事更新の間にPVが3/4になったものだからである。 

(悪い影響が出なきゃいいけど。まいっか、別に俺が悪いわけじゃないし) 

私はこの時、違和感を感じていた。しかし弁護士に受任してもらった安心感から、その違和感が何かを深くは考えなかった。

 しばらくして及川氏に電話すると、 「私が代理人になったのは通知しましたので、相手方がやっぱり売り上げ0だよと言ってくるか…」 

「山下は電話でも売り上げ0だと言ったんですね?」 

「あ、いや」 と話がそれて色々話した挙げ句、 

「こりゃどうにもならんもんか、いっぺん検討させて下さい」 と言う始末。 

(手付金払わせといて何を言うとるんじゃコラ)

 私はこの時点で、及川氏に見切りをつけた。 

(予感的中。でもまあいいや。へぼでも何か引っ張り出してくれるかもしれないし、最悪へましなければ)

 次に及川氏に電話すると、 

「2015年の6月に何で在庫が消えたのか聞いてみようと思うんですよ」 と及川氏。

 私は及川氏の判断に任せることにした。 その後、山下から文書が届いた。もちろん代理人の及川氏の方にである。

 「内容については、坂本様が受けたのと同様の内容です」 とのことで、 「なら相手方に印税がないとは言ってないのですね?」 と言うと、 

「私の説明に誤解があったとしたら大変申し訳ございません。 現段階での相手方の主張は,これまで下垣様に行ってきたものと同じ内容です。 ですので,「これ以上の印税の支払義務はない」ということになります」 と及川氏。 

(何言うとるんじゃ)

 実際文書を見て見ると、印税0と書いてある。 

さらに及川氏は、受任契約を解約したいと言ってきた。

 私は慰留した。弁護士任せが気楽だったからだ。

 「月曜に話し合いましょう」 と言って、その後考え直して解約を受けようと思って月曜に待っていると、月曜に電話がこない。

 「坂本晶」で検索して、何件『水瓶座の女』があるかを見てもらおうと思ってメールをしても返事が返ってこない。

 金曜にやっと及川氏が捕まり、解約が決まった。 「報酬は結構なんで」 と及川氏。

 (ラッキー!!そうだ、相手方の書類の原本をもらわないと) と思ってメールを送った。

 それからしばらくして、 (あ、及川さんへましやがった) と気づいた。

 つまり、私は2016年3月まで売り上げ0になっているデータを無効にしているのである。 しかし及川氏はその無効にしたデータについて相手方に質問したことで、無効にしたデータが有効になってしまった。


 この失敗を、及川氏一人の責任とはいわない。私も気づいていなかったのだから。

 しかし代理人は 頭脳であり、やはり責任は及川氏の方が大きい。自分がなぜ受任したかがわかっていればしない失敗を及川氏はしてしまった。

 それから解約手続きの書類が送られてきたが、 

「回答書に返金先の口座を記載して送って下さい。着手金の返金手続が終了次第、相手方からの書類の原本を送付します」 と書類にある。 

(きな臭えなあ、まいっか)

 回答書に書いて返信用の封筒に入れ、郵便局に向かう。 

(なんとかなるだろ)


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法曹界が尻軽すぎる

日本の自衛権に関わるものとして、有名なものに砂川判決がある。

憲法第9条は日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず、同条が禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、外国の軍隊は戦力にあたらない。したがって、アメリカ軍の駐留は憲法及び前文の趣旨に反しない。他方で、日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない

 

というのが砂川判決の内容で、国内法より国際法が上であるかのような内容に問題を感じるが、このような判決になるのは当然理由がある。

 砂川裁判は憲法9条により、日米安保違憲になる可能性があった。

 司法は日米安保を守らなければならなかったが、その際9条をどう解釈するかが問題となった。解釈次第では、自衛隊も合憲になってしまう。

 そこで憲法より国際法が上位があるかのように述べ、国際法自衛権で米軍駐留を合法にした。 

判決文では「同条が禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことである」とあるから、自衛隊違憲で、自衛隊の存在自体が裁判になれば、司法は違憲判決を出さなければならないだろう。


 それなのに、憲法学者、日本弁護士連合会は個別的自衛権の合憲、集団的自衛権違憲を主張している。

 個別的自衛権とは自衛隊を合憲とするための行政の詭弁で、本来の司法のものではない。 米軍が日本の個別的自衛権のために日本に駐留しているわけではない。

 安倍政権が集団的自衛権を合憲とした時からしばらくして、国民はそれまでの自衛隊そのものを違憲とする立場から、個別的自衛権を合憲とする立場に乗り換えた。 集団的自衛権が合憲となっては、9条そのものに意味がなくなってしまう。

 しかし「軍隊はいらない」と言える状況にもない国民は、個別的自衛権でのりきろうとした。個別的自衛権なら日米安保を無効にできるので、憲法の理念を完全に捨てたことにはならないからである。

 もちろん国民は日米安保を破棄するつもりなどない。その証拠に安倍政権を国民は支持し続けている。

 そんなことをしているうちに情勢は切迫し、フィリピンのアメリカからの決別、米軍駐留の費用負担を求めるトランプ氏の米大統領当選という自体になった。もはや護憲を叫ぶ声も上がらない。

 憲法学者日弁連は、そんな国民に迎合するために個別的自衛権は合憲などと言っている。彼らに砂川判決を出した裁判官達の気概はない。

 9条改正は遠からず実現するだろう。

 憲法9条とは間違いなく日本の根幹であり、改憲が成ればその後、相当の混乱が予想される。日本のこれまでの価値観が全的に崩壊する可能性があるのである。 

そのような時に重要になるのが権威である。 しかし法曹界が尻軽に国民に迎合して個別的自衛権を合憲とし、改憲後にその姿勢が批判されれば、法曹界の権威も崩壊する。

 法曹界は安易な迎合などせず、事態を静観するくらいに大局を見ていればいいのである。この尻軽ぶりでは、日本の将来は暗い。 


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第二次世界大戦とチャーチル

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第二次大戦の連合国のリーダーであるチャーチルは、アメリカが参戦するまでの苦しい期間、地中海作戦によって逆境を凌いでいた。

 開戦まもなくフランスを占領し、イギリスを空爆スカンジナビア、さらにソ連と戦線を拡大していくナチス・ドイツ相手に、チャーチルは正面から戦うのは不利と判断する。

 そこで、ナチスの同盟国イタリアが担当する北アフリカに目をつける。

ドイツのように強くないイタリア軍をドイツも支援するが、主力がイタリア軍なのでイギリス軍は優勢に戦いを続け、少しずつドイツの力を削いでいく。

 しかしアメリカが参戦し、独ソ戦ソ連が反攻に転じると、地中海作戦の重要度は下がっていく。 連合国北アフリカを抑え、地中海作戦の目標がイタリアになると、連合国では二つの作戦のどちらを採用すべきかが議論になった。

 ひとつは北アフリカから北上してイタリアを占領し、ドイツに迫る作戦。

 もうひとつは西部戦線を形成してフランスを解放し、ドイツに迫る作戦である。この作戦は独ソ戦が始まった頃から、チャーチルスターリンの打診を受けていた。

ドイツ軍に押され続けていたスターリンは、西部戦線の形成によって危機を脱したかったのである。 しかしチャーチルは、スターリンの要求に長く応えなかった。

独ソ戦は1943年のスターリングラード攻防戦の勝利でソ連が反攻に転じ、ノルマンディー上陸作戦によって西部戦線が形成されたのは1944年である。

 その間も地中海作戦は継続され、西部戦線と独ソの東部戦線の三方面作戦となったが、地中海作戦を強く推奨し続けたのはチャーチルである。

しかし地中海作戦がイタリア侵攻の段階になると、枢軸軍は山がちなイタリアの地形を利用して何重もの陣地線を敷き、連合軍を苦しめた。 二次大戦の勝敗を決したのがスターリングラード攻防戦とノルマンディー上陸作戦だったことを考えると、イタリア侵攻は余分で、この点でチャーチルの軍事的才能に疑問符がつけられている。

 一方で、地中海作戦に固執したチャーチルを評価する声もある。地中海作戦で東部戦線を開かないことでソ連を疲弊させ、ギリシャが共産圏に飲み込まれるのを防いだという意見である。


 私は、チャーチルは敵の弱い所を探してたのだと思っている。

 ノルマンディー上陸作戦が二次大戦の勝敗を決したのは確かだが、西部戦線こそが大戦初期、ドイツ軍にフランスが圧倒されて早々に崩壊した戦線である。西部戦線形成は失敗のリスクが大きい。

チャーチルが命じる数々の無謀な作戦には帝国参謀総長アラン・ブルック大将やアメリカ陸軍参謀総長ジョージ・マーシャル大将も頭を抱えた。チャーチルの無謀な作戦のために多くの人間が死に追いやられていったが、彼は誰が死のうとほとんど関心を持たなかった。

 

チャーチルは戦争を騎士道的な決闘ゲームのように考えていたため、栄光を残すためだけにこういう不合理な作戦を平気でやった。

 

ウィンストン・チャーチル - Wikipedia

と評価されるチャーチルも、ノルマンディー上陸作戦のような作戦には踏み切れなかった。

チャーチルはその性格とは逆に、戦果が乏しくとも勝てると思う地域を戦場に選んでいたのである。

 イタリア侵攻もノルマンディー上陸作戦により戦況が好転しているので、チャーチルの戦略眼が正しかったとは言えない。 

しかし将来のソ連との戦いを見据えていなかったとも言えないのである。

チャーチルは自分にソ連を助ける力があるとは思わなかったが、戦況が好転するまでは、独ソで潰し合ってくれることを望んだ。 この場合、チャーチルは主導的に状況を生み出していたわけではないが、状況を利用してはいたのである。


 ファシズム共産主義、そして反植民地主義が、チャーチルの敵だった。

 帝国主義者としてのチャーチルの思想は愛嬌と呼べるようなものではなく、インドに選挙制度を与えるべきかという問いにも、

彼らはあまりにも無知なので誰に投票したらいいか分かるはずもない。彼らは人口45万人の村で4、5人が集まって村の共通の問題を討論するような簡単な組織さえ作ることができない身分の卑しい原始的人種なのだ。

 

と言って反対するほどだった。

 しかしファシズムを打倒し、「鉄のカーテン」演説で 共産主義との戦いの道を示したチャーチルも、帝国を守ることはできなかった。 

大戦初期、チャーチルはドイツと講和するように閣僚に意見されたことがある。ドイツと戦争をしない方が、帝国の維持につながるというのである。

 チャーチルはその意見をはねのけた。しかし大戦でイギリスは疲弊し、帝国の維持は不可能になった。

 それでもイギリス人の間でのチャーチルの人気は高い。 

ドイツとの講和は、確かに帝国の維持につながるが、帝国が衰退するのを止めることはできない。 

ドイツとの戦い、共産主義との戦いは、イギリスに帝国の瓦解と引き換えに、別の「勝った歴史」を与えたのである。

負ける歴史を早々に切り捨てて、「勝った歴史」に乗り換えるという打算が、イギリス人に働いているようである。

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超個人主義者達はなぜ生まれたのか

sakamotoakirax.hatenablog.com

の続き。

 90年代の超個人主義者は時代を騒がせたが、その後話題になったことがない。

 むしろ話題になったのは、父親を尊敬する子供達の方である。 香山リカが『ぷちナショナリズム症候群』を出版したのは2002年である。

『ぷちナショナリズム症候群』には90年代の若者の動向が盛り込まれているはずである。つまり、超個人主義者と「父親を尊敬する若者」は、世代がほぼ同じで、多くの場所で同じ時間を共有していたのではないかと考えることができる。 


私の経験から考えても、超個人主義者は大学での一学年下、私は二浪生なので三歳下の人々で、それより下は協調的で、慣習を重んじる者達、つまり「父親を尊敬する若者達」だった。

個人主義者は、私の経験では一学年だけだった。 そしてこれは私の経験だけでなく、90年代の超個人主義者は日本全域で、基本的に一学年のみだったと思っている。ただコンビニの縁石に座り込む若者はもう少し幅があったと思う。彼らは基本的にアウトローだからである。

 

たった一学年しか違わないのに、価値観が正反対ということがあるのか?

 そうではなく、彼らは根本的には同じなのである。 

なぜ同じか?超個人主義者は「父親を尊敬する若者」の対極の、エディプスコンプレックスの最大の発露者なのである。 そこで、超個人主義者がなぜ生まれたのかを考えてみよう。


 超個人主義者が私より三歳下、つまり1977年4月から1978年3月までの生まれだとすれば、彼らが小学6年の時に何があったのかを考えてみればいい。

 なぜ小学6年かというのは後回しにして、超個人主義者が小学6年の時の大きな出来事は東欧革命である。

ベルリンの壁の崩壊、チャウシェスク独裁政権崩壊など、東欧圏はほとんどが東側陣営から離脱し、91年のソ連崩壊による冷戦終結につながっていく。

 この時期、いや今でも日本の教育では平和主義が教育されているが、平和主義を維持するには、冷戦の敵対陣営の東側を理想化する必要があった。

共産主義体制の理想化は、スターリン批判により進歩的文化人が攻撃された後も続いた。

 超個人主義者になる小学6年の彼らが、そのからくりを全て理解したわけではない。 しかし彼らは教師を、そして大人を軽蔑したのである。

 小学6年の時に東欧革命を経験したのが超個人主義者になる理由なのは、彼らが中学に行っていないからである。

 日本の中学では、特に強制的に入部させられる部活動での先輩、後輩の序列の徹底により、体制に根本的な疑問を持つ思考力を奪われる。私もまた中学時代、日本組が平和主義を教えるのに疑問を持ってはいなかった。東欧革命があってもである。

 しかし小学生までに東欧革命を経験し、教師、大人への軽蔑心を持つと、中学の思考力を奪う部活動でもその軽蔑心を抜い去ることはできない。

 もっとも、超個人主義者になる者達は、中学時代に特別に反抗的だったとは聞いていない。おそらく中学時代は、その理屈の通らなさを忍従するしかなかったのだろう。

 そして自由度の高い高校に入ってから、彼らは本性を現した。彼らはクラブ活動などで多くの、あるいは一切の義務を拒否したのである。

私の大学での二つ下の後輩、つまり4歳下の後輩は高校時代、クラブに入部した直後に、先輩に部長の役を押し付けられたという。超個人主義者達は、あるいは中学時代の不満を、義務を拒否する形で表現していたのかもしれない。

 ここで、超個人主義者のすぐ下の学年から「父親を尊敬する若者」になる理由が見えてくる。

個人主義者に対抗するために、連帯を求めたのである。そして超個人主義者と対立する大義名分を、伝統や慣習の中に見いだした。

結果彼らは、家庭内の社会の象徴である父親に多くの価値を求めた。それが「父親を尊敬する」ことである。

 エディプスコンプレックスとの関連も、ここに見いだせる。 香山リカは「父親を尊敬する若者」のエディプスコンプレックスの無さを問題としたが、「父親を尊敬する若者」達も、東欧革命の影響を受けた者達であり、心の奥では大人を軽蔑しており、その延長線上に父親もいる。

彼らが父親を尊敬するのは、彼らが心の奥に父親への軽蔑を持ちながらも、自分達もまた、同じ価値観の中にいるからである。父親の価値観の否定は自己否定につながる。

 しかしフロイトの研究にあるように、頑固な父親に反発した子供が歳を取るほどに父親の性格そっくりになっていくというようなことは、彼らには起こり得ない。

つまり父親の、社会の価値観を正しく継承する手段を、「父親を尊敬する若者達」は採っていない。父親の価値観を継承した彼らは、次第にその性格が薄味になっていく。

 しかしそれでいいのだろうと、私は思っている。

『NANA』は日本人の人間関係を変えた。 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で論じた、相手の価値観を大事にする精神は超個人主義者と「父親を尊敬する若者達」の対立の中から生まれたものだと私は思っている。

完全な自由を求めているようで、他者の価値観を抑圧的な態度で否定する超個人主義者との対立の中で、相手と自分の双方の価値観を大事にするという精神が醸成されていったのだろうと私は見ている。 古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。