坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

消失する父親像

矢沢あいの『NANA』を特徴づけているのは、登場キャラの自由さの他に、登場キャラの孤児率の高さにある。

 大崎ナナは母親は4歳の時に蒸発し、父親は全くわからない。祖母は15歳の時に死んでいる。

 本城蓮(レン)は捨て子、高木泰士(ヤス)は両親を交通事故で亡くしている。

 岡崎真一(シン)は、家族がスウェーデンに転勤した時期に生まれた。母親が現地人と不倫をしてシンが生まれたようである。母親はシンが生まれてまもなく自殺し、父親はシンを邪険に扱った。


 『NANA』の孤児率の高さは、日本の現状を反映していない。なのになぜ孤児が多く登場するのだろう? それは、父親から見ていくとわかる。

 大崎ナナの父親に擬せられているのは都筑源一郎である。

ナナの祖母の愛人で、ナナを気にかけていたが、ナナは都筑が祖母の愛人であることさえ知らない。ナナは父親を意識することなく成長した。

 シンの場合、父親は本当の意味でシンの扶養義務がない。シンもまた、父親を意識する必要がない。

 一ノ瀬巧は孤児ではなく、父親がいる。巧は父親に反発しているが、巧の父親はアル中で、家に金を入れていない。

 生活力のない父親は、乗り越えるべき対象とはならない。

 登場キャラが自由に生きる『NANA』と逆に、個人を犠牲にして家族、集団に回帰する同時代の作品が『八日目の蟬』である。このことは

2010年代を決定づけた作品~『八日目の蟬』 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたが、恵理菜の家庭も父親の不倫により崩壊し、父親は家庭の中で居場所がない。

 2000年代、個人の自由を求めるにしろ、集団への回帰をテーマにするにしろ、家庭内の社会の象徴である父親の存在は希薄化、または存在しないものにしなければ描けなかった。

人々がどれだけ『父親を尊敬する』と言っても、潜在的父親の地位は低下していたのである。


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遅ればせながら、日米首脳会談

 (マスコミ)大統領就任式の出席者は異例の少なさだった

 

 (T)そんなことはねえよ!100万人はいたよ!史上最高の就任式だよ!

 

 (T)アメリカ合衆国はTPPを永久脱毛する!!

 

大統領就任早々から、時に世界中を笑わせ、また困惑させてきたトランプ大統領は、日米首脳会談の直前に「ひとつの中国にとらわれない」という方針を撤回、日本がどう捉えるべきかわからない間に首脳会談は始まると雰囲気は一転、日米のパートナーシップの確認、尖閣諸島の日本の施政化にあることの確認、そして懸念の米軍の軍事費負担の話もなかった。

 全ては元に戻ったかのようだった。

 しかし、やはり情勢は変化した。 中国は尖閣への挑発を控え、東南アジア諸国のアメリカから中国への鞍替えにも歯止めがかかった。

 トランプ大統領は、国内経済では私が理解できない迷走をしており、中東政策では、イラク戦争に踏み切ったブッシュほどではないにしろ、何らかの失敗をすると思っている。 しかし、日米首脳会談までのトランプの動向は、我々日本人にトランプの力量を見せつけた。


 今は森友学園問題で支持率が下がっているが、日米首脳会談までの間に、安倍政権は60%近い支持率になった。

 ゴルフ接待が話題になり、「とにかくトランプを褒めろ」とまでマスコミが言い出した。

 いや、いいのである。必要ならゴルフ接待でも褒めろ作戦でも。

 しかしこの時期の論調は、ひとつの真実を露呈させた。日本には外交カードがないのである。

 外交カードがないのは、政権運営6年に入る安倍首相の責任とも言い難い。もっと根本的な問題である。

 国民の安倍政権の支持は、「安倍さん頑張って」というより、「安倍さんは頑張った(けど駄目だった)」という、自分を納得させるためのものだった。

 そして首脳会談後、結果に国民が納得しているかといえば、今なお納得していないと、私は思っている。

 実際、

toyokeizai.net

に見るように、日本はアメリカに多大に支出を強いられている。

 もっとも私も、アメリカの軍事費負担を容認する立場であるが、軍事費名目ではないとはいえ、いやむしろ軍事費名目でないからこそ、51兆円という額は軍事費替わりとしては大き過ぎるだろう。

lullymiura.hatenadiary.jp

で、三浦氏は日米首脳会談の成果を評価しているが、はたしてそうだろうか?

 軍事費負担の話も出なければ、地位協定の話も出なかったではないか。

 また地位協定については、残念ながらトランプ氏相手では話ができそうにない。だから東南アジアに同盟国を探すなどをして、アメリカの軍事力の重要性を相対的に低下させる努力をするべきだろう。

 

トランプ氏から見る世界情勢 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で書いた私もまた、分かっていなかったのである。


 アメリカの軍事費を日本が肩替わりすれば、日本が米軍を雇っているのと同じである。日本が雇った兵士に、日本で好き勝手される筋合いはないのである。

 このような簡単なことに気づかないのは、日本が自分で国を守れると思っていないからである。


 実は、日本の軍事力は世界で第四位らしい。

news.searchina.net

軍事力だけなら、単独で中国と戦えない国ではない。

 しかし、憲法上は軍隊を持たない日本は、自分の国を自分で守る気概を持てないのである。

 逆に言えば、憲法を改正して自分の国を自分で守る気概を持てば、米軍の軍事費を負担しなくても、地位協定の改善は容易である。

 そしてトランプは、というよりアメリカがそのことを知っているから、軍事費負担を仄めかしておいて別の名目の支出に切り替えた。日本に自分逹の実力に気づかせない方が支配しやすいからである。


 日本はこのことに気づかず、米軍基地を沖縄に押し付けることで地位協定から、ひいては自国の防衛意識から逃げているのである。 古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。

信長の戦い①~道三は信長の「本気」を見た

『名将言行録』にあるエピソード。
信長が濃姫を娶った後、濃姫が眠っているのを見て、ひそかに起きて外に出、明け方になって帰ってくることが一ヶ月ほど続いた。
濃姫は信長が浮気をしていると思って信長を問い詰めたが、信長は話をはぐらかす。
そこでさらに濃姫が問い詰めると、信長は「道三の両家老に道三を殺害して子丑の間に火をあげるように約束したので、その火があがるのを待っている」と濃姫に言った。濃姫はそのことを手紙で道三に伝え、道三は両家老を殺した。

このエピソードは、『信長公記』にはない。道三が両家老を殺したという話もない。
江戸時代の文献は作り話が多く、基本的に信用できない。
しかし私は、以外とこういうことがあったのではないかと思っている。

信長と道三は、正徳寺で会見している。
会見後、道三は「この山城(道三)の子があのたわけの門外に馬をつなぐことになるのは間違いないだろう」と述べ、さらにその後、信長に「美濃一国の譲り状」を贈っている。
男と男が顔を会わせて運命が動き出すという話は、本宮ひろ志をはじめ、多くのストーリーもので描かれてきたが、最近ではこのようなストーリーは描かれなくなっている。
その理由は、我々が運命を信じなくなってきているからだろう。そして運命を信じなくなった我々としては、信長と道三の会見は心に響かなくなってきている。
正徳寺の会見で、信長は長槍と500挺の鉄砲を持ち、ちんどん屋のような格好から正装に切り替え、道三を出し抜いている。
しかし、道三を出し抜いたことが、道三に「この山城の子があのたわけの門外に馬をつなぐことになる」と言わせ、「美濃一国の譲り状」を信長に贈るのにはつながらないのである。なぜならそれだけでは、信長が道三より駆け引きに優れていることを示すだけで、信長が美濃を獲ることを示すことにはならない。
才能が優れているのを結果を必ず出すと信じるのは、運命を信じるのと同じである。

ならば道三の信長への肩入れが何によるものなのかを考えると、それは信長が「本気」だと、道三が思ったからに尽きると思う。
何に「本気」かといえば、美濃攻略などではない。当時の信長は家督を相続したばかりで、世間ではうつけと言われ、四面楚歌の状況だった。
信長はこの後、周囲と戦っていくが、問題はその時、道三がどう動くかである。
土岐氏を追放して美濃一国を支配し、蝮と言われた道三である。信長が道三の娘婿だからといって無事で済むとは考えないだろう。
ならば贈り物を贈るなどして親交を深めようとするだろうか?そんなことをしたら足元を見られ、尾張に調略をかけてくると考えるべきだろう。
ならばここが、信長の「本気」を示すところである。美濃に調略を仕掛けるのは、「仕掛けてきたらただでは済まさない」という意思表示になる。
これは、信長が道三と戦って勝つということではない。
道三が本気で尾張に調略を仕掛けたうえで信長を攻めれば、信長は死ぬだろう。
しかし死ぬ気でも敵に屈さない意思を示すことは、四面楚歌の状況では必要である。

ということで、信長が道三に調略を掛けた確証はないが、道三は信長の知恵より「本気」を見たから、信長に肩入れしていったのだろう。

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野党は壊滅する

昨年の安保法制で一時支持率を下げた安保政権は、それほど間を置かずに支持率を回復し、40%台を維持している。
一見安定しているかに見える安倍政権だが、既に陰りが出ているというのが私の読みである。

 

橋下徹は必ず復活する - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたが、現在その読みは外れ、安倍政権は高支持率となっている。

 この読み違いの理由のひとつは、フィリピンのアメリカ傘下からの離脱、トランプ政権誕生などの、海外情勢の急速な変化によるものである。 

もうひとつの理由は、去年の参議院選で、改憲派が衆参ともに3/2を占めたことにある。 


日本の政治は、表面上の論争が経済であれなんであれ、真の論争が護憲と改憲の論争だった。

それは前回の参院選が、経済的に評価できない自民が経済を理由に勝利したことにも良く表れている。 

前回の参院選にも、ひとつの仕掛けがあった。安倍首相は「憲法改正を議論する」と述べ、民進の岡田代表が「議論の内容を明確にしろ」と迫ったのを、安倍首相はスルーした。

 護憲と改憲潜在的な対立なだけに、より表面化させようとした方が不利になる。こうして民進は議席を減らした。


 改憲の発議が可能となった現在、国民の多くは国民投票となったら、賛成に投じなければならないと考えている。

 しかし一方、改憲をなるべく先送りにして欲しいとも思っている。 つまり護憲は何らかの正しさがあるよりも、間違いを積み重ねてきたものだから変えたくないのであり、改憲は国民にとって断罪となっている。

 そしてその罪の意識が与党を下支えしている。

つまり改憲派が3/2を割り、野党が逆転勝利する可能性は絶望的で、これほど護憲が叫ばれなくなった現在では、護憲を基盤にした野党の存在意義が無くなり、衰退、あるいは壊滅するかもしれない状況にある。

 もちろん労働組合などの支持団体をもつ野党は、ある程度の勢力を維持するだろうが、安倍政権はこの点でも手を打ってある。

 労働組合を通じて、正規労働者が野党を支持層にしているのに対し、非正規労働者は政党につながる団体を持っていない。

 必然的に非正規労働者無党派となり、政治に影響を与えにくくなっている。 

長年政府が消費税の値上げに取り組んできたのは年金を維持するためだが、非正規労働者増税に耐えられない。 

だから増税するためには、非正規労働者の所得面での改善が必要なのだが、非正規労働者が政党につながらないのをいいことに、この点は放置されている。

 必然的に、政府は増税を断念した。

そして増税の代わりに、年金が減額された。 


こうして、安倍政権は野党を共犯者にしたのである。非正規を切り捨てた野党には、年金の額を元に戻す力がない。

 力のない野党は衰退せざるをえず、また情勢の変化で非正規が組織化されることがあれば、野党の受ける打撃は壊滅的である。


 そして、安倍首相は最長2021年まで首相を務めることができる。 改憲をうたわれながら改憲発議がない状況が4年も続けば、安倍首相の後に誰が首相になっても自民政権でやっていける。それだけ野党は力を失っている。

 この状況で議席を伸ばせるのは、最初から改憲派で、自民に対し是々非々の対応を取り、護憲vs改憲潜在的な対立から自由な維新くらいだろう。なお共産党は、他党のように個別的自衛権に流れなかったことで、野党に勝ったのである。野党から奪うパイが無くなれば、共産党も衰退していく 。


野党が壊滅し、自民一強の構図は不健全極まりないが、有効な対応策はほとんどない。

 戦後一貫して護憲でやってきた野党が、今さら改憲に鞍替えできるはずもなく、衰退、消滅するのを止めることはできない。

ただ改憲派がいる民進は改憲への切り替えが可能だが、護憲の蓮舫代表がいる限り改憲に踏み切れないし、改憲への切り替え自体、痛みを伴わないわけではない。

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ドラゴンボールを考える③~ヤムチャは戦力外!?

昔大学の後輩が、名前は忘れたがドラゴンボールに影響を与えたか影響を与えられたかというアメコミの話をしたことがあった。

 「へー、それどういうマンガ?」

 と私が聞くと、

 「ヤムチャがいっぱい出てくるマンガです」

 と後輩。


 ヤムチャ!?


 その頃私はネットとつながっておらず、ヤムチャが戦力外代表になっているのを知らなかった。

 ネットにつながってから、「ヤムチャオズ」「ヤムチャしやがって」などとネット民に言われているのを知った。


 まず、『ドラゴンボール』(以下『DB』)では、基本的にサイヤ人以外はほとんど戦力外である。

 天津飯に置いていかれたチャオズは、戦闘の場に出られないという意味で、本当の戦力外である。

 これには理由がある。

チャオズは戦力能力の低さを超能力で補うタイプである。

 しかし超能力というのが曲者で、強さのインフレ率の高い『DB』では、強い敵に普通に超能力が効いては強い敵を出した意味が無くなってしまう。

 だからナッパには、チャオズの超能力は効かなかった。その後、チャオズはナッパとの心中を狙い自爆する。

 チャオズを再び戦いの場に出しても、チャオズには自爆しか手がない。だからチャオズは、天津飯に置いていかれた。


 ならばチャオズも超能力に頼らずに、戦闘力を上げればいいんじゃないかといえば、そうはいかないのである。

 バトルメインのマンガで、小さい体では説得力がないのである。

 悟空も最初は小さかったが、ギャグ要素満載のアドベンチャー路線だから問題なかった。

だから孫悟飯は、5歳の時に少年期の悟空(15歳まで)より体格が良く描かれている。

 ならばチャオズの体格を良くすればいいと思う人は、あの顔で大人の体格になったチャオズを想像して見ればいいだろう。


 さて、ヤムチャである。 ヤムチャの戦歴は確かに良くない。

 しかし数字は忘れたが、サイヤ人編では、ヤムチャの戦闘力はクリリンと大きな違いはなかったと思う。(なぜかわからないが、ヤムチャの戦闘力は検索でヒットしない。一件だけ「超非公式」という名目で、サイヤ人編でのヤムチャの戦闘力があった。1480である。クリリンは1770) 

ヤムチャの戦歴が良くないのは、クリリンの引き立て役だからである。

 クリリンは日本人の好きな「弱いのに頑張るキャラ」で、亀仙人の修行を受けて以来、ヤムチャクリリンはほぼ同等のレベルだと思っている。クリリンが最長老に潜在能力を引き出されるまで) 


実は、ヤムチャが戦力外代表になったのは、ブルマをベジータに獲られたからである。

 よくプライドが高いといわれるベジータだが、カカロットに先を行かれて背中を丸めて悔しがるベジータは、それほどプライドは高くないと思っている。

 しかしブルマの夫になりながら、ベジータヤムチャを出入りさせて少しも動揺しない。

 ベジータは働かないが、星の住民を全滅させる仕事をしていた宇宙人にサラリーマンをさせるのもひどい話だし、ブルマが金持ちだから問題はない。しかしそれでもという思いは出てくるものだが、それを補うのがヤムチャとの関係である。

ベジータヤムチャに嫉妬しないことで、ベジータの株が上がるのである。


 そして、悟空がセルゲーム以降死んでいた理由もこのあたりにある。 子煩悩、愛妻家とポイントを上げてきたベジータに対し、父親失格と言われた悟空が働く姿を、鳥山は想像できなかった。これが鳥山が悟空を死んだままにした一番の理由である。

 『DB超』では悟空は農業をしているが、原作ではニートである。

 『DB超』でも、最初の悟空の働く姿はひどかった。超サイヤ人になるたびに畑を穴だらけにし、とてもじゃないが収穫があるとは思えなかった。

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もっとも最近は真面目に働く場面が増え、「孫さんとこの野菜は評判がいい」とまで言われてるが、これには理由がある。また後に語ろう。


 さて、コキュとなったヤムチャである。 ブルマがベジータと結婚してもブルマの回りをうろつくヤムチャが、どう見えるだろうか? 

「まだブルマに未練がある」 

「食いつめてブルマのところに恵んでもらいに行っている」 

と思われるのがオチだろう。 

このような見方は主にネットで醸成され、故意に戦力外と見る空気ができあがった。


 本来、ヤムチャは真面目には働かないかもしれないが好青年で、クリリンと同等の武道家だった。 

『DB超』でのおおぼらを吹いたり、軽はずみな発言をしたり、都合が悪いと言うことをコロコロ変えるヤムチャは、この空気を取り入れてできあがったキャラである。

 この間もヤムチャ主役の野球回があったが、ボールを気弾のように操作すれば「あいつもう武道家じゃないな」と18号に言われ、さんざんいたぶられた挙げ句、

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なんで俺達これが何を意味するかわかるんだろうねー\(^o^)/


 そして、戦力外通告されたヤムチャの代わりに、亀仙人が戦力になった。戦闘力139。

 

合掌。 

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あざなわvsトイアンナ、真相は!?

サブブログ更新の時期ですが、気になることがあるのでメインを更新。サブは3月に更新します。 

気になるのはコレ。

「名前を出してはいけないあのお方」の名前を出した途端、エゴサーチでいきなり晒されるスラップRTの恐怖 - あざなえるなわのごとし

昨日はてなのトップを飾った記事なので、ご存知の方も多いはず。内容を紹介せずに本題に入ろう。 Twitterのアカウントは持っているが、ほとんど使っていないのでわからないことが多い。読者の皆様にコメント頂いて、考えが合っているか指摘して頂ければ幸いである。

「晒す」って公式RTとか(あとで打消できるように)非公式RTとかだと思うんですが、ご丁寧にキャプってトリミングしてアップロードして、お忙しいのに確定申告が済んでほっとしたんだか何だか知りませんが。

 

とあるが、公式RTとか非公式RTとかあるの?公式とか非公式タグでもついてるの? よくわからなかったんで、非公開のRTが晒されたと書いてあるのかと思った。 

もちろんそれならハッキングされたことになるので、はてなのトップでみんなでワイワイどころの話じゃない。 

つまり公式も非公式も関係なく、公開のRTが晒された、って話でいいんだよね?


 ここでエゴサの話だけども、エゴサってそんなに悪いことなの!?

 エゴサなら俺も定期的にしてるよ。泡沫すぎて誰も悪口言ってないけどww 

しかし当たり障りのないことばかり書いてるならともかく、人と衝突することもあるブロガーが、誰かが自分の悪口を言っていないか誰も気にならないって?え!?


 そんな嘘をつくヤツあ、はてなにはひとりしかいないぜ!! 


ネットの世界だから、誰かが悪口言ってるのに気づかなかったらいつの間にか拡がっていたということもある。 

別に理由を問い質す必要もない。自分がdisられてるのを見つけたら、自分が効果的だと思う方法で対処すればいい。 

だからスクショを張ってRTくらい、問題ないのである。 問題は、

しかも「なんですか!」とかリプを送ってくるわけでもなく、いきなり 「晒しますね」 とリプ。

 

ここである。なぜこの部分をスクショなどして載せないの? 

実は、エゴサなどより、この部分が重要なのである。 ネットでの中傷への反論は自由である。 しかし「晒しますね」とあることで、

自分のフォロワーに対して 「ほら、こんなドイヒーな輩がいるんだよー、私の信者のみんな、こういう輩は吊るされて当然よねー」って言ってるようなもの。

 

と、数にものを言わせた態度に見えてしまう。

 トイアンナさんがリプしたなら、あざなわのTwitterにリプがあるはずだがない。 

リプを否定しても、「名前を出してはいけないあのお方」がひとり歩きしてしまっているので意味がない。


 どうも、あざなわに踊らされたようである。 かくいう私も昨日は、

sakamotoakirax 力と力のぶつかり合いに乾杯!!ネットはルール無用、弱者演じながらちゃんと張り合ってるんだから心配ないよwww

 

と楽しんでしまってた。こりゃトイアンナさんに謝んなきゃかもね。

 なにより、あざなわに踊らされたのが不快なので、この記事を書いた。

あざなわの音頭じゃ、もう踊れない。 


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見えない世相③~日本人は父親を尊敬していない

見えない世相②~ネガティブな誠実さ - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で、「一生ひとつの会社で働きたい」が半年の間に60%から30%に下がっていることについて、これは若者の、ひいては日本の職業観形成の失敗である。

 就職直後に「一生ひとつの会社で働きたい」と答えているのは、学生時代にその考えを育てているからである。

それが半年で半分が転向するのなら、転向した新卒はどれだけフレキシブルに動けるようになるのだろう。


 新卒の待遇が悪いわけではない。資料を取りそびれたが新卒の待遇は非常に良くなっている。

新入社員意識調査・特徴とタイプ | 日本生産性本部

で「調査・研究」「新入社員意識調査」と見ていくと、新卒の意識にちぐはぐな印象を受ける。

 年功序列での昇格を望む割合 42.3% 【過去最高】 良心に反する手段で進めるように指示された仕事であっても従う 45.2%という数値を示したのに対し、

「働く目的」では「楽しい生活をしたい」が増加(昨年度37.0%→41.7%)し、過去最高を更新した。「自分の能力をためす」は(昨年度13.4%→12.4%)過去最低を更新。「社会のために役立ちたい」も3.2ポイント低下(昨年度12.5%→9.3%)

 

と、個人主義的傾向を持ちながらも「自分の能力を試す」は減少である。

「良心に反する手段で進めるように指示された仕事であっても従う」人は増えても、自分の時間が無くなるのは嫌な人も増えている。

 そして日本生産性本部のサイトから、「一生ひとつの会社で働きたい」という項目が消えている。来年度以降は、この項目がアンケートに含まれない可能性が高い。

 「年功序列での昇格を望む」という設問はちょっとずるい。 この設問は、「一生ひとつの会社で働きたい」という設問にあるような、徹底的に理不尽さに耐える覚悟を問うていない。

設問の意味が希薄化しており、既に「一生ひとつの会社で働きたい」という人が減少し、ストップをかけられなくなったことを示すものでしかない。 


今の教育システムでは、「一生ひとつの会社で働きたい」という考えが学生時代に形成されるのは必然なのだろう。 

しかし個人主義の進行が若者の意識を分裂させ、就職後早い時期にこの考えを崩壊させている。

 ならば教育システムから終身雇用にあこがれを抱かせるような要素を排除し、個人主義を育てるようにした方がいいのだろう。

 もっとも今の若者の一番の心配は、非正規に落ちることだろう。だから非正規の待遇の改善して、学生から社会人まで一貫した職業観を持っていけるようにすべきであろう。

 以上の会社に対する新卒、ひいては社会の意識の変化は、「尊敬する人」にも影響を与えているようである。

尊敬する人ランキング!偉人・歴史上の人物vs両親・恩師?

には3つのランキングが載っている。 

ひとつはgooランキングで、一位が「親」である。しかし近年まで、若者が父親を尊敬していると言われていたのに対し、父親か母親かはっきりしない。

 しかも二位に「尊敬する人いない」がきている。一位との間に三倍近い差があるとしても二位である。 

二番目は高校生向けのアンケートで、一位が「特になし」、二位が「母親」となっている。 

三番目は親世代向けのアンケートで、一位が母親である。

3つのアンケートのうちひとつも、「父親」が尊敬する人の一位になったものはなかった。 

父親」は、家庭内の社会の象徴である。会社への忠誠心の低下は、「父親」の存在感をも低下させた。

日本人は父親を尊敬していない。


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