坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

死刑制度は廃止すべし

フミコフミオ氏がキャバクラで麗しき令嬢だと思って指名したら朝青龍ドルジクリソツの女が出てきたという話は笑ってしまったが、朝青龍は今でも日本での人気が高く、度々朝青龍の話は出てくる。

 しかし、朝青龍の人気は、朝青龍復権につながるものではない。 むしろ朝青龍復権をしない日本人の罪悪感が、朝青龍の話が度々出る原因になっている。


 朝青龍横綱を辞めたのは、暴行事件によるものである。暴行事件で横綱を辞めたことに異論を挟む余地はない。 

しかしその前に、朝青龍横綱の品格問題という、朝青龍に対するいじめがあった。 ウィキペディアにも暴行事件の話はあるが、それ以前の品格問題についてはとうとう書かれなくなった。

朝青龍明徳 - Wikipedia

朝青龍が引退するまでしばらくの間、勝ってガッツポーズをすれば「品格が」などと言われてきたのである。

 朝青龍の回顧録が日本で出版されることは、今後もないと思う。

 回顧録が出版されないのは、品格問題が暴行事件につながったと書かれたくないからである。

朝青龍事件の時から、朝青龍に同情的な人は一定数いるが、その同情派も、品格問題の風化には暗黙に同意している。

 日本では、問題が大きすぎた場合、賛成派、反対派双方が暗黙に同意して問題をなかったことにする風潮がある。

朝青龍横綱の品格問題がその一例であり、朝青龍位存在が大きいと、朝青龍を忘れるのが不可能になるので、時々朝青龍の話題を出して罪悪感の解消をはかっているのである。


 死刑制度存廃の議論の論点は、日本でも世界でも変わらない。 違うのは、人間に対する見方である。

 世界では、多くの人が自分と犯罪者、それも死刑に値するとされる犯罪者の間にそれほど大きな差はないと考えるから死刑を廃止する。

しかし日本では死刑になる犯罪者とそうでない者の間に大きな差があると考える。だから死刑存置派が多い。

 しかしそのことが、日本人の中に死刑になる犯罪者とそれ以外の者に差がないことを、 むしろ死刑になる犯罪者よりそうでない者の方により悪質な者が多いことを証明しているのである。


 M・スコット・ベックは『平気で嘘をつく人たち』の中で、受刑者達の治療にあたった経験から、彼らが邪悪な人間だと意識したことはほとんどないと言っている。

受刑者達は、自分達が捕まったのは、自分達が「正直な犯罪者」だからで、真の悪人と言うのは刑務所などには入らないと言い、ベックもそれに同意している。

 アメリカで刑務所に入らない悪人は一定数いるということだが、日本の場合、この刑務所に入らない悪人が世論を形成しているのである。


 日本の世論は「冤罪者」の存在によって形成されている。 朝青龍や、

セクハラ発言の内容を語らない者達 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べた福田元財務次官もそうである。このような「冤罪者」がいることで日本社会が成り立っている。


 日本での死刑廃止論議は、元々おかしかった。 

法務大臣が死刑執行の署名をしないなどで死刑反対の意思をアピールしたりしたが、刑事訴訟法にも、法務大臣の死刑執行の裁量などはなく(死刑囚が心神喪失、または死刑囚が懐妊している場合のみ法務大臣が死刑執行を停止できる)、死刑に反対するなら法務大臣にならなければいい。 

死刑廃止論者は、冤罪による死刑を死刑廃止の論拠としていた。 

死刑存置論は2010前後にピークに達し、その後袴田巌の裁判のやり直しにより死刑存置論はやや衰えた。 

袴田裁判で検察側が隠蔽していた証拠が大量に出てきたのがその理由だが、それならば死刑廃止論よりも、検察の証拠の提示の仕方の方が問題だろう。

これまで検察は、被告を100%有罪にできたのである。 そのように考えると、死刑廃止論者でさえ、「冤罪者」を必要としていて、検察の在り方への関心は低く、むしろ死刑廃止論が、検察の在り方へ疑問が生じないようにミスリードしていたのではないかと思えてくる。


 HAGEX氏が殺された時、多くのブロガーが記事を書いたが、その中のひとつ、

fnoithunder.hatenablog.com

犯人に同情的な意見としては「犯人と自分は地続きである」ってのがある。心理現象、状態としては「スペクトラム」なんだと。自分だってあちらサイドの人間になってしまうかも知れない、殺人犯と自分たちに「境界」なんて無いんだと。
 私の感覚では「そんなこと言うまでも無い。そんなの当たり前じゃないか。そんなことをわざわざ口にして、検討すること自体が、逃げであり甘えなんだよ」と思う。決して自分はダークサイドには落ちないぞ、落ちてたまるか、という気概、道徳規範のほうが何千倍も大事なんだよ。

 

は?

弁護士が無能すぐるww④ - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で弁護士が印税の横領に加担しているのを知って、拡散希望したのにそれをしなかった人が何を寝言を言ってるの?気概、道徳規範は「人を殺さない」だけ?それ以外は犯罪を見逃しまくっても全然O.K.で人を殺せば「死刑は当然?」随分いいご身分ですねぇ。

topisyu.hatenablog.com

「あなたにこの事件はついて回る」と被害者(と思われる人)を追い詰めている人のネット上の発言を過去に遡って眺めていたら、「日本人は心の余裕がなくてイライラしているからちょっとしたことでクレームをする。皆が余裕を持つだけで優しい日本になる」ということを書いているのを見かけました。

 

と述べているように、被害者叩きをする人が美辞麗句で自らを善人と偽装する。

そこには善悪の完全な逆転がある。そしてこういう人は、大抵死刑存置論者である。

 死刑存置論が隆盛だった時、「死刑でしか償えない犯罪がある」という者が実に多かったが、加害者意識が高じて殺人に至ってるじゃん。 


人を殺せば「自分は善人」という物語を作り続けるために、死刑制度は存続している。

殺人犯を死刑にしても、誰も善人にはならない。誰一人善人にはならない。

 人は誰一人として、完全に道徳的には生きられない。むしろ罪を犯しながら生きている。 そして道徳的に生きられない、罪を犯しながら生きなければならないのを自覚して、より良い社会を目指さなければならない。 

そのために「自分に人を殺す資格がない」という宣言を社会的にしなければならず、それが死刑廃止なのである。


 さよなら、ふのい倉津浦さん。


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汚職について思考停止する日本人

安倍首相は大阪の地震で対策をとらずに予算の審議に入ったことで批判を浴びたが、これには意味がある。
地震は大阪で起こり、大阪では秋に都構想の住民投票がある。
地震の際、松井知事、吉村市長が懸命に対応を行っており、その分維新の株が上がっている。
維新はこの事件を、府と市の二重行政の問題に結びつけてくるだろう。
切り捨てる予定の都構想も、賛成が少なすぎては橋下氏の政界復帰に繋げられない。安倍政権の大阪地震の無視は、維新への援護射撃である。

森友、加計問題であれほど嘘が並べられたのは、議院証言法に問題がある。


第四条 証人は、自己又は次に掲げる者が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受けるおそれのあるときは、宣誓、証言又は書類の提出を拒むことができる。

一 自己の配偶者、三親等内の血族若しくは二親等内の姻族又は自己とこれらの親族関係があつた者

二 自己の後見人、後見監督人又は保佐人

三 自己を後見人、後見監督人又は保佐人とする者

 

刑事訴訟法の証人の場合は、


第百四十六条 何人も、自己が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受ける虞のある証言を拒むことができる。

第百四十七条 何人も、左に掲げる者が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受ける虞のある証言を拒むことができる。

一 自己の配偶者、三親等内の血族若しくは二親等内の姻族又は自己とこれらの親族関係があつた者

二 自己の後見人、後見監督人又は保佐人

三 自己を後見人、後見監督人又は保佐人とする者

 

とあり、拒否できるのは証言のみである。
議院証言法と刑事訴訟法の保護権益は同じものである。
ならば法律上の宣誓を拒否する必要はない。証言のみを拒否すればいい。
議院証言法が宣誓を拒否できるようになっているのは、法律上の宣誓をして虚偽の証言を行えば偽証罪に問われるが、宣誓をしなければ偽証罪にならない。
だから基本的には、宣誓せずに嘘の証言で潔白を「立証」するために宣誓を拒否できるようになっている。
もっともこの「基本的な」目的が果たされることはほとんどない。嘘のほとんどは見抜かれているからだ。しかしそれでいて、議院証言法は政治家の利権を保護している。

刑法では汚職について、


第百九十三条 公務員がその職権を濫用して、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害したときは、二年以下の懲役又は禁錮に処する。

 

となっている。

一方共犯は、


第六十条 二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。

(教唆)

第六十一条 人を教唆して犯罪を実行させた者には、正犯の刑を科する。

2 教唆者を教唆した者についても、前項と同様とする。

 

となっている。

法理論上、安倍首相を汚職の罪に問えないことはなかった。しかし証拠が揃わなかったのである。安倍首相が官僚に指示した「教唆」の証拠は挙がらず「忖度」となった。
本来、安倍首相を罪に問えないことを問題にすべきだった。しかし野党は「嘘」を問題とした。
これはミスリードである。野党が「嘘」を見抜き、安倍政権がさらに嘘をつくことで、安倍政権の支持率は逆に上がってしまった。
これは、安倍政権の「嘘」を国民が必要としているということであり、野党は安倍政権と共同して、大量の「嘘」を国民に提供したのである。
本来汚職を問題にして、汚職の先にある利権や不正を追求するのが筋だが、それをしなかったのは野党もまた、利権や不正に依存しているからである。

www.yomu-kokkai.com

は野党が安倍政権の「嘘」を見抜いたことを重要視するが、それ自体が安倍首相が汚職をしていることから目を反らす結果になっている。国民は汚職に対して思考停止していたいのである。

http://この観点で見ると、安倍さん・安倍政権に違法不正がなく、直接行政を捻じ曲げるような指示がなくても、昭恵さんの森友学園の名誉校長就任や、実質的事業者選定に入った段階での加計さんとの飲食は問題だった。朝日が報じる前に、森友土地値引きの不適正を自ら解明すべきだった。

橋下氏は問題の本質をわかっていながら、思考停止する国民に媚びている。

小泉進次郎氏が国会の改革案を打ち出している。

モリカケで政策議論ができない国会 小泉議員ら自民若手が画期的な改革案

将来的に是非やって欲しいと思うが、今この改革案が実現したらと考えると面白い。改革案の実行は、安倍政権、引いては政治の求心力の低下となるだろう。

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ドラゴンボールを考える⑧~「未来トランクス編」2:悟空がキスしたことがない理由

えーっ、フリーザ生き返った~!!!Σ( ̄□ ̄;) って3ヶ月前のことで俺はwww。 

予測をたてると、鳥山はは必ず予測を裏切ってくる。もう『DB超』について断定的な予測はしない。( ̄ヘ ̄メ) 


「未来トランクス編」で悟空はは第10宇宙に行き、ザマスと戦う。

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実は、ここで設定変更が行われている。

 「神と神編」では、劇場版はSSJGが解けた後SSJになって戦うがSSJでビルスと戦えるのは悟空がSSJGの力の多くを吸収したからである。だから悟空は、最終形態のフリーザと変身せずに互角に戦えた。 

しかしTVアニメでは、悟空はSSJGの力を完全に自分のものにしている。 一方、SSJは変身前の50倍である。 SSJGのパワーを吸収した悟空のパワーが50倍になったら、さすがのビルスも勝てないと思うので(もっとも「宇宙サバイバル編」ではSSJB×20倍界王拳でもビルスの方が上のようだが)、SSJGのパワーを吸収したサイヤ人にとって、SSJはかけ算ではなく上乗せだと考えている。そしてSSJGのままSSJになったのがSSJBだと考えることができる。

 こう考えると、劇場版では悟空がSSJGになり、さらにSSJの力を発揮してSSJBになると考えれば筋は通る。 しかしTVアニメでは、悟空は変身せずにSSJGの力を100%引き出せるので、SSJBになっても、SSJと実は差がないことになる。 

そこで「未来トランクス編」では、設定を元に戻した。 

変身前の悟空は、SSJGの力は一切使えない。

 ザマス相手に悟空はSSJ2になるが、これはSSJの2倍の強さのものである。こうしないと、SSJGにもなれないトランクスは、悟空達と一緒に戦えないからであり、SSJではブラック達と差がありすぎるからである。


 その後未来に行った悟空だが、ここで衝撃の事実が発覚。

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悟空キスしたことないの~!Σ( ̄□ ̄;)

ダメ親父路線をやめて幼児退行路線に切り替えたのかと思ったらそうじゃなかったwww。

 この後悟空はブラックと戦い、超ドラゴンボールで悟空とザマスの体が入れ替わったこと、チチと悟天がブラックに殺されたことを知る。

 悟空は怒り爆発、ザマスに腹をぶっ刺されながらもブラックとザマスを一時的に圧倒するが結局逆転される。 

最近のマンガ、アニメではバイオレンスの度合いが増し、腹をぶっ刺されても戦う作品が多い。(主に東京喰種だが)

 こういう作品により、バトルの感情の高ぶりが良く表現されており、「未来トランクス編」の悟空も、その怒りが良く表現されている。

 しかし一方、トランクスもまた責められるのである。 トランクスが過去に行き、未来を改変したのをブラックは罪と呼ぶ。トランクスはそれに反論できない。

 ところが、追い詰められたトランクスはここでパワーアップするのである。 形態は変わらないが、SSJBのような青いオーラをまとい、白目を剥き、なぜか体重まで重くなるwww。

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「罪と呼ぶなら呼ぶがいい!!」と叫び、この後トランクスは戦術的撤退をした悟空達の変わりに、4粒の仙豆でブラックとザマス相手に戦い、丸一日しのぐのである。

 腹をぶっ刺されながらも怒りを爆発させ、それでも勝てなかった悟空と、格下ながらも、また悟空のような致命傷がなくとも、精神的ダメージを受け、罪を認めてなお4粒の仙豆で一日戦ったトランクスのどちらに軍配を挙げるか?私はトランクスに軍配を挙げる。

どんなに怒っても悟空は愛を知らないのであり、トランクスの想いは愛を知る者のものだからだ。


 しかし「未来トランクス編」を観て思ったのは、80年代のマンガとかぶって見えたことである。

疲労困憊で立ち上がる力も無くなっているのに敵と普通に戦って勝ったりする『聖〇士〇矢』(なぜか伏せ字www)ようなあのうざいのwww。 

もちろん「未来トランクス編」が『聖〇士〇矢』と同じというのではない。ダメージを受けても立ち上がれないような描写はないし、動き回っても疲れている描写もないので、『聖〇士〇矢』よりずっと自然に観ることができる。ただ『DB』は元々体力の消耗が忠実に反映されるマンガで、体力の消耗は仙豆で回復するのが基本だったので違和感があったのである。

しかし「未来トランクス編」での活躍により、「宇宙サバイバル編」では悟空は再生力はともかく、回復力では魔人ブウの次くらいの回復力を発揮するようになるwww。


 それにしても気になるのは、トランクスの髪が青になったのはなぜかである。 

髪だけではない。トランクスのファッションセンスはダサい。好き好きは人それぞれかもしれないが、赤いマフラーって仮面ライダーじゃないんだからwww。

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トランクスは鳥山のファッショナブルなセンスを全てつぎ込んで登場させたキャラである。このキャラデザを鳥山がかっこいいと思っているはずがない。

 なぜだろう?


 なお、ここで訂正。 マンガ版4巻の次巻予告で、悟空が全王に武道大会を開くように頼んでいるが、この絵は5巻で全く使われていない。

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 違いは、

 ①二人いるはずの全王が一人になっている。

 ②界王神・破壊神がアラブ人のような衣装を着ている。

 ③5巻では、界王神・破壊神が平伏しているのに、悟空が全王のそばで立っている。

 などである。

そして5巻から、悟空の性格が急速にアニメ版の悟空に近づいていくのである。

 よって、マンガ版が原作の延長にあるという主張は全て撤回する。 

撤回ついでに、マンガ版では、悟空がビルスを倒す可能性が出てきたことも伝えておこう。


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安倍政権は低所得者層の「復讐の代行者」

森友・加計問題で安倍政権の支持率は下落し続けたが、3~4月に支持率の下落は下げ止まり、現在、支持率は30~40%台で異様な安定をみせている。 

これまで私は、安倍政権が選挙で負けるなどの予想をした時はことごとく外してきた。安倍政権は私を含めた人々の予想を越えた長期政権になり、また政局や選挙では、これまでの常識が通用しない政権だった。 

ここにきてようやく、安倍政権は末期に入ったようである。

しかし既に戦後二番目の長期政権になった安倍政権は、末期もまた長い。

そして安倍政権は、残る生命力を燃やし尽くすような、怪しい光を放っている。

 

 森友・加計問題で嘘が次々と発覚し、その嘘に惚けたというのも生ぬるい答弁を繰り返しながら、働き方改革の審議を進めていった。 

問題となったのが高度プロフェッショナル制度。過労死もあり得そうな高プロ制度を、万に昇る不適切なデータを上げ、過労死遺族のいる前で委員会で強硬採決し、本会議では一度採決を見送り、法案を見直すのかと思えばやはり強硬採決で、安倍政権は今回も徹底したヒール(悪役)ぶりをみせた。 

問題は、なぜこのような法案になったかである。 

本人の同意があって履行され、本人の意思で離脱ができるといっても、本人の意向を無視されて契約させられるのではないかという懸念は私にもある。

それをなぜ安倍政権が通したのか? 経団連の意向なのは間違いない。しかし日本では、2000年代からずっと低所得者非正規雇用が割を食ってきたのである。それが今回、年収1075万以上の高所得者に矛先が向けられた。 

この法律が適用される者の過労死が懸念されでいるが、日本にはこういう考え方もあるのである。

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自己責任とは、日本では他者を陥れるための言葉である。そして、陥れるのを喜ぶ人がいるから、自己責任という言葉が言われるのである。

 

 非正規雇用、特に派遣社員が現状に抵抗せず、野垂れ死にの人生を歩もうとしているのは、このブログで何度も指摘してきた。

 野垂れ死にの道を選ぶのは、彼らがそれまで歩んできた人生の選択により、自分に生きる権利がないと思っているからである。

 しかし間違えてはならないのは、彼らには会社への忠誠心があるとは微塵も思ってはならないことである。それどころか、潜在的なフラストレーションは極限まできている。 中間層以上への怒りは、いつ火がつくか分からない状況にある。

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今回の高プロ制度は、安倍政権が「復讐の代行者」となり、高所得者を攻撃したものである。 

このような方法はもちろん良くない。高プロ制度による過労死の危惧もあり、低所得者が快感のみを感じて、自らは待遇改善に動かない可能性も高い。 

しかし他にどんな方法がある? なぜ派遣元に派遣労働者過半数を超える労働組合がないと3年以上同一業務で働かせることができないことを誰も語らない? 

高プロ制度のように、派遣社員の中間層以上への怒りを引き出す政策を行って、それを待遇改善への自覚に変えていくしか手は無いではないか?

昨日、採決された厚労委員長の解任決議案には、与党に慎重な国会運営を求めたいという思いを込めて賛成しました。しかし、委員長解任決議案が否決された以上、働き方改革法案を採決するのは、国会の役割です。GWを挟んで審議拒否をしておきながら、採決直前に厚労大臣の不信任案を出すのは、不合理だと私は思います。

 

細野豪志衆議院議員

ameblo.jp

で言及、自ら汚れ役を買って出た。

 男だねぇ!! 


安倍政権の支持率は、5割はもう厳しいが、今後1、2年は現状の3~4割で推移するだろう。

その後、安倍政権は崩壊する。その時には日本のあらゆる権威が崩壊する。「魚は頭から腐る」が現実化するのである。

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日本型ファンタジーの誕生⑰~「救うべき人間の発見」と「ノスタルジックでない昭和」と「昭和臭の男」

ひぐらしのなく頃に』で、古手梨花は殺される運命を回避するために時間を何度も巻き戻す。しかし巻き戻された時間では、それぞれ異なる展開をしても、最終的に古手梨花が殺される結末は変わらない。最後の最後で、奇跡的に古手梨花が殺される宿命を回避することができて、物語は大団円を迎える。

 『まどかマギカ』では、鹿目まどかが魔女になる運命を回避するために焼美ほむらが何度も時間を巻き戻すが、まどかが魔女になるのは変わらない。最後に奇跡的な展開をみせて、まどかが魔女になるのは回避される。 

この二つの作品の共通点は、運命を回避するためにあがく者の苦悩が、時間を巻き戻すのを繰り返して、しかも結末を変えられないことで表現されている。そして運命の回避が、何度も時間を巻き戻した果ての奇跡的な展開によってなされる点も共通している。

 

 これが『orange』、『僕だけがいない街』、『君の名は。』では、無限に続くと思われた時間の巻き戻しが制限され、『orange』、『君の名は。』では一回(しかも手紙だけがタイムスリップする)、『僕だけがいない街』では昭和63年へのタイムスリップは二回となる。 そして死ぬべき運命にある者が、主人公とその仲間の努力によって救済される。

全てタイムスリップものであるのは、必ず死ぬべき人間がいるからで、『ひぐらしの泣く頃に』から『まどかマギカ』への移行は、死ぬべき運命にある者の努力から死ぬべき運命にある者を救いたいものの努力に変わることで、死なせてしまったことへの悔いが読者の共感を誘った。 

こうした作品が繰り返しヒットすることで、読者は救わなければならない人間が自分の中にいるのを発見したのである。

 

私はこれらの作品を、日本型ファンタジーの亜流に位置づけているが、「亜流」としているのは、ファンタジーの要素がありながら、日本型ファンタジーのような形式をとっていないからで、それでいてテーマが著しく共通するからである。

 この「亜流」をどこまでにするかも、厳密には決めていないのだが、ファンタジー要素を省いていいのなら、『聲の形』や『春の呪い』なども亜流に入る。

 両者に共通するのは罪の意識である。救済しなければならないのは、救済の対象に罪の意識を感じているからで、それは『僕だけのいない街』や『君の名は。』にもよく表れている。もっとも『春の呪い』のテーマは「罪の意識を感じて相手を愛せ」なのだが。 

 

ひぐらしのなく頃に』と『僕だけがいない街』は共に、昭和の時代にタイムスリップする。 

ここでの昭和は、『三丁目の夕日』のような、ノスタルジックな気分になる時代ではない。『ひぐらしのなく頃に』の感覚は完全に2000年代のもので、携帯電話がないくらいでは、昭和の雰囲気が少しも醸し出されない。

 『僕だけがいない街』では、児童福祉法はこの時代からあったが、児童虐待は人々にとって一般的なものではなかった。昭和のアニメをみれば、親が子供に理不尽な振舞いをして、子供が起こると「親の気持ちが分からないのか」と親が言って、親子が泣いて抱き合うというストーリーが頻繁にあった。(主に赤塚不二夫) 

ひぐらしのなく頃に』や『僕だけがいない街』の昭和の風景は、ノスタルジックに見てはいけないというメッセージである。

 

 一方、その逆を行った作品もある。 平成の、もう年号も変わろうという現代に、やたらと「昭和臭」を放っている男がいる。『君の名は。』の宮水俊樹、『春の呪い』の柊冬吾、『東京喰種』の黒岩巌、黒岩武臣親子などである。

 彼らは「昭和臭」をぷんぷん放ちながら、ステータスが高く、周囲から浮くこともなく、むしろ高い評価を受けている。

 柊冬吾が「男前」とか言われながら、女性に「オイ」とか「お前」とか言うのはおかしいと思いませんでしたか? 

宮水俊樹はゼネコンと組んで町長になっているが、建設業が不況な現在、奥飛騨のド田舎でゼネコンと組むより、普通に神社を継いだ法が政治家になるには近道だと思いませんでしたか?娘と別居している父親が、演説の途中で娘の背筋の説教をするなんて、どんなに面の皮が厚くてもあり得ないでしょう?www。

宮水俊樹は婿養子だから、別居してるなら籍を抜いているだろうと思えば姓は「宮水」である。宮水俊樹の別居は、単に「家に帰らない男」の表現にすぎないんです。

 「昭和臭の男」は、「昭和」を否定するために作品に登場している。

 なら黒岩巌はどうだと思うだろう。

 黒岩巌は確かに否定されていない。しかしそれは今ある問題を、自分の問題だと捉えろということである。 では黒岩武臣は?

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うわーやっちゃってるよwww。 

女性を飯炊き女だと思ってるのがバレバレ。

この後「語弊があったかもしれないが」と言い直しているが、先に言った言葉が本音だと受け取るのが現代人の感覚である。後で言い繕えば悪意と思われないと思うのは昭和の感覚なのである。 

黒岩武臣はCCGに勾留され、カネキが龍になった時に釈放される。 伊東倉元に「仕事はこっちでやっとくわ」と言われ、そのまま退場かと思えば現場復帰する。なぜ退場じゃないんだろうと思ってたら、「女房に言われたから」と。

 なるほどね。

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橋下徹は必ず復活する②

橋下徹は必ず復活する - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

を書いてから一年くらい経ってから、都構想の住民投票に時間がかかりすぎていると思った。
「鉄は熱いうちに打つ」のが鉄則だが、都構想可決=橋下氏政界復帰という展開は早めにやるべきだった。時間がたてば熱は冷める。しかし都構想の住民投票は今年の秋なのである。

今年に入り、橋下氏は住民投票を延期すべきだと言い出したが、松井氏は住民投票をやると明言、そして安倍首相も都構想に反対し、都構想実現は絶望的になった。

agora-web.jp

都構想の失敗は、橋下氏の政界復帰の可能性が永久になくなることを意味する。

と思ったら大間違い。
橋下氏は政界復帰の意志を今でも持っている。
都構想延期の主張は、都構想を切って捨てて、都構想実現=橋下氏復活の図式になんとなく気づいている大阪市民に恩を売ったのである。
では都構想無しで、どうやって政界復帰するのかといえば、それは簡単である。日本中に橋下氏復活を望む気運が上がれば、橋下氏は政界復帰できるのである。
その証拠に、常に復帰を否定していた橋下氏復活の情報が流れてきている。

www.sankei.com

橋下氏は度々復帰の噂を流して、政界復帰のタイミングを図っている。そして、次第に復帰できる環境が整いつつある。
橋下氏引退直後は、「また戻ってくるんじゃないか」という強い警戒心があり、復帰すれば「約束破り」と批判されるのは避けられなかった。
もちろん復帰しても約束破りには違いないが、現状は微妙である。
維新の支持率は1%しかない。去年民進党が混乱のあげく分裂しても、改憲勢力は増えなかった。
これは、護憲vs自主憲法の図式が未だに崩れていないことを意味する。しかしこの一年間、護憲派の野党に成果があったわけではない。
むしろ護憲派の野党に成果がないからこそ、国民は無言で支持して、現状を維持しようとしている。それに対するフラストレーションが生じており、それが橋下氏の政界復帰を支えようとしているようである。希望の党の護憲への転換、国民民主党の結成も、橋下氏復帰の批判を和らげてくれるだろう。
一方、橋下氏は奇妙な発言もしている。

橋下氏「安倍政権は今がポイント・オブ・ノーリターン」 | AbemaTIMES

で、自衛隊にフルの自衛権を渡すのに疑問を呈しているのである。
ものは言い様で、自衛隊の日報問題は、むしろ自衛隊が軍隊として認められていないことに原因がある。
憲法改正を遠ざけかねない発言をして何がしたいのかといえば、森友問題で浮上した財務省を中心とした、霞が関の改革だろう。

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日本型ファンタジーになった『GODZILLA 決戦機動増殖都市』(ネタバレあり)

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予告を見た時から予想していたが、『GODZILLA 決戦機動増殖都市』で、アニメゴジラ三部作は日本型ファンタジーになった。 「我々人型種族こそが、ゴジラと呼ばれるに至らなくてはならん」と言っている時点で予想がついて、今回はその確認のために映画を観てきた。 

で、その通りでした。おわりwww 

だと話が短いので書き足さなければならないが、それには今まで触れていない部分にも触れる必要がある。

 

 日本型ファンタジーは、当初私が思っていた以上に構造が定式化している。

 日本型ファンタジーは、序盤から中盤、作品によっては終盤近くまでを「窮迫」と「不信」で構成される。 わかりやすいのが『進撃の巨人』(以下『進撃』)で、巨人に攻め込まれて人間が次々と食われていくのが「窮迫」である。

 『アイアムアヒーロー』では知人やその他何でもない人が次々と襲ってくる。 

亜人』は「窮迫」の性質を良く示している。 亜人と知られた永井圭は人々に追われるが、個人が追われる程度のことは、「窮迫」の表現としては足りないのである。 

「窮迫」の表現のために、亜人の再生能力を利用した拷問が行われる。個人が集団の死や苦悩を代行するのである。 

『東京喰種』は6巻までは日本型ファンタジーと言えないくらい生ぬるいが、カネキが拷問を受けることでガラリと世界観が変わる。 

 

「不信」は『進撃』のアニ、ライナー、ベルトルトが次々と裏切ることで構成される。 エレンは疑うことに抵抗し、裏切られたことに傷つきながら戦うが、最後に「平和主義」というラスボスが現れ生きる気力を失う。

 『アイアムアヒーロー』では鈴木英雄のアシスタント先のチーフアシスタントの三谷が、ZQN化した仲間を返り討ちにしていくが、三谷はそれを楽しんでいる。

 逃げ回る中でZQNに噛まれ、「生きてるって気がしたんだ」と言ったところで、墜落した飛行機に頭を吹っ飛ばされて死亡する。

 三谷は、鈴木英雄の分身である。 鈴木は富士の樹海まで逃げるが、携帯のバッテリーが切れて闇に脅える。 

亜人』では、永井圭が中野や他者へ不信を振り撒いているが、それが自分自身への不信に変わっていく。

 『東京喰種』の「窮迫」と「不信」は何度も繰り返される。最初の「不信」は芳村への不信だが、それも自分への不信に変わっていく。

 「不信」は他者への不信から自分への不信に至るのが、日本型ファンタジーの定型である。

 てこれ、2、3日前に気づいたんだけどねwww 

『怪獣惑星』でくじら座タウ星eに移住しようとした揚陸艇が爆発したのは、ストーリーの伏線ではおそらくなく、「不信」を構成するためのものだと思う。

サカキ・ハルオは仲間を疑った自分を疑い、『決戦機動増殖都市』ではゴジラと戦ったことに疑いを持つ。

 

 『決戦機動増殖都市』で、全ての生物がゴジラになろうとし、全ての生物がゴジラに奉仕しているという。

 これは、『アイアムアヒーロー』の「巣」の発展型である。 「巣」は「女王蜂」の意思で動くが、「巣」の中には強い同調圧力があり、同調しないものははじかれている。 

アイアムアヒーロー』の「巣」も、「個にして全、全にして個」という、『風の谷のナウシカ』の王蟲の発展型である。

 そして今回登場したメカゴジラの残骸は、増殖して都市を形成している。 

メカゴジラはナノメタルでできており、ナノメタルは自律思考金属である。さらにナノメタルは、接触した金属と同化する。 金属だけでなく、人間とも同化する。 まず始めに、合理主義的種族のビルサルドがナノメタルと同化していく。 

ビルサルドは不眠不休でゴジラとの戦いの準備を進めていくが、戦略的失敗も犯している。「増殖都市」はゴジラに見つからないように、特種な霧を発生させていたが、ゴジラとの戦いの準備にエネルギーを回すために、霧の発生を止めるのである。

 「増殖都市」は自律思考により進化する。

『GODZILLA 怪獣惑星』 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で感じた、私の直感は正しかった。

個体での進化の否定が『決戦機動増殖都市』のテーマに組み込まれている。 

作戦通りに事が進んでも、ゴジラを倒せない。ビルサルドの提案は、ナノメタルと同化した上での戦闘機ヴァルチャーでの「特攻」だった。

 これは合理主義とは言い難い。合理主義に似せた、人間性の否定を意味していると思う。 

ゴジラと「増殖都市」は、ほぼ同じもののように見えて、わずかに違いがある。

 『怪獣惑星』のゴジラは、植物から進化したゴジラアースの亜種だという。 ゴジラを頂点とした生態系には、同調圧力がなく、むしろ超人思想の反映と見るべきだと思う。 対する「増殖都市」は、合理主義に似せた同調圧力と「進化」を同じものとしている。そして「増殖都市」の力でゴジラを倒してはいけないとしているのである。 

今後のヒントとしては、今回登場した人類の末裔の「フツア」が鍵となるだろう。 

「フツア」には虫の遺伝子が混ざっているという。『テラフォーマーズ』である。どの道を選択しても、「人間=怪物」の構図からは逃れられない。

 

 ヒロインのタニ・ユウコは、ビルサルドの提案によりナノメタルと同化しそうになり、ハルオが指令部を破壊して同化を止めるが時既に遅く、ユウコは死ぬ。

 この悲劇的展開は、実は日本型ファンタジーにおいては頻繁に見られる展開なのである。 

ユウコが何者かを判断する情報は少ない。ビルサルドが造ったヴァルチャーと相性がいいこと、ハルオが「フツア」の双子の巫女に好意を見せると嫉妬したこと。機械に囲まれた環境が落ち着くこと。ビルサルドの判断に同意したことである。

 これで充分に判断できる。ユウコは「世界の運命を決めるヒロイン」である。 

ナウシカ』や『まどかマギカ』で活躍した「世界の運命を決めるヒロイン」は、男が活躍するようになると二つに分化した。

ひとつはそのまま「世界の運命を決めるヒロイン」の属性を維持したが、分化した方は「見棄てられたヒロイン」となった。

 「見棄てられたヒロイン」は、『君の名は』の宮水三葉、『僕だけがいない街』の雛月加代、『東京喰種』の霧嶋菫香、笛口雛実、カナエ・フォン・ロゼヴァルト、『進撃』のミカサ、『いぬやしき』の渡辺しおんなどである。

 彼女達には「見棄てられた」印が必ずついている。そして誰に見捨てられたかといえば、根本的には父親に「見棄てられ」ている。

 一方の「世界の運命を決めるヒロイン」は、あるスクールカーストと同一化した。それが「クィーン・ビー」である。

『進撃』のヒストリアは巻末の『進撃のスクールカースト』ではまさに「クィーン・ビー」であり、『アイアムアヒーロー』の早狩比呂美は「女王蜂」である。『東京喰種』の芳村エトは、相当に「クィーン・ビー」の性格を発揮している。

 「世界の運命を決め」ずに、「クィーン・ビー」として登場するキャラもいる。『君の名は』の奥寺ミキ、『東京喰種』の伊丙入、『いぬやしき』の犬屋敷麻理などである。 

「世界の運命を決めるヒロイン」と「見棄てられたヒロイン」の区別は必ずしも明確でなく、ヒストリアもクリスタ・レンズとしては「見棄てられたヒロイン」である。どちらも「見棄てられ」ており、救済の対象だが、救済には優先順位があり、特に両者が対立すると、「クィーン・ビー」は報復を受ける。『君の名は』に、ストーリー上必要のない奥寺ミキが登場するのはそのためであり、奥寺ミキは瀧に「フラれた」のである。 

『決戦機動増殖都市』では、ユウコが「フツア」の双子の巫女と対立した。彼女達が「見棄てられたヒロイン」であり、ユウコはその報復を受けたのである。

 もっとも逆のパターンもあり、『いぬやしき』では犬屋敷麻理が救済され、渡辺しおんが救われない。それは『いぬやしき』が、父親復権の物語だからである。ならば父親復権の話でない他の日本型ファンタジーは…?

 

 次作『星を喰う者』では、エクシフを滅ぼした、ゴジラでさえものの数ではないという、「ギドラ」が地球に飛来する。そして「フツア」が守っていた卵「モスラ」も。 

 

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