坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

日本型ファンタジーの誕生(27)~『東京喰種』3:「父殺し」

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男性諸君、痛そうにしないwww。

『東京喰種』には、「父殺し」の話が溢れている。
「オークション戦」に「睾丸潰し」のナッツクラッカーが登場するのは、「睾丸を潰した者」と戦うことに発破をかけるためである。そしてこの場合は、鈴屋什造に発破をかけている。
無印の『東京喰種』で、鈴屋は恩師の篠原の負傷により更正した。しかしそれで十分ではなかった。鈴屋は自分の睾丸を潰したビッグマダムと戦い、男としての自分を取り戻さなければならなかったのである。
ビッグマダムに鈴屋は、「傷だけが、あなたから貰った何かでした。傷だけが懐かしい」、

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と言う什造にビッグマダムは「私がお前を飼ってたのは、たまたま造形が良かったからだ。お前なんか一度も愛してーー」と言ったところで斬られて果てる。
什造が愛情を示し、ビッグマダムがそれを否定する。

日本型ファンタジーの誕生(25)~『僕だけがいない街』3:父殺し - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で藤沼悟が八代学を肯定し、八代がそれを否定したのと同じ構図で、什造がビッグマダムを肯定し、ビッグマダムがそれを否定する。
そして「さよなら、お父さん」と什造は言う。ビッグマダムは女装した男だった。「父殺し」である。
ル島戦でも、滝澤政道のタマを六月透が潰している。
滝澤は芳村の赫包を移植された人工半喰種の成功体「オウル」である。一方透は過去に自分を虐待した父親を家族ごと殺し、また同じく父親を殺したトルソーを殺した。

共依存社会 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、父親を殺し、父親を殺したトルソーを殺したトオルは強力なクイーン・ビーになる。そして成功体「オウル」ですら、「父を殺した者」に「父を殺さない者」は敵わないのである。

東京喰種:re』54話のタイトルは「娩児」である。つまりカネキはこの時生まれたのである。この時佐々木琲世は消え(後に完全に消えていないことが判明するが)カネキケンの人格が復活する。
しかし何と悲しい復活劇だろう。

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カネキが愛した母親は、カネキに暴力を振るう親だとこの時判明する。「無印」では、カネキの母親はカネキにとってはひたすらにいい母親だった。カネキは暴力を振るわれた記憶さえ自分で消していたのである。その記憶が、カナエ、そしてエトの猛攻により甦る。
「誰かのためにカッコ良く死にたい」とカネキは言い、ハイセがそれを了承する。カネキは死ぬために生まれ、復活したのである。

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「夢はもういい」に「おやすみ、ハイセ」とルビが振られている。
このカネキは、最初の頃のカネキ同様髪が黒い。
ハイセは、ストーリーが進むごとに髪が黒くなる。というより、カネキの記憶が戻る度に髪が黒くなっていく。ネットでは最初の頃のカネキを「黒カネキ」、このカネキを「闇カネキ」と呼ばれている。そう呼ばれるのは、

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このように、言動が荒っぽいからである。

そして、生まれた以上父親も、母親もいる。
この場においての「母親」はエトである。生まれてすぐに、カネキは「母親」と戦う。「君は何しに?妨害?破壊?暇潰し?」と尋ねるカネキに、「最後者かしら。間近で見たいもの。月山とカナエと捜査官のあなた、誰がどう殺し合うのかとっても興味深い」と答えるエト。
虐待された「姉」カナエの怒りも背負っていたのかどうか、カネキはエトとの戦いに勝利する。そして、

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「母」が「子」を誘う、近親相姦の図である。
「私、あなたが好きになったわ、私達とっても似てるもの」
と言うエトの上半身を切り離し、落ちていくエト。しかしその直後、「光栄だな、高槻先生」と言うカネキ。カネキは「誘い」に乗ったのである。
その後カネキはエトの身辺を荒い、エトが喰種である証拠を掴む。しかし逮捕されたエトは、「隻眼の王を殺してくれ」とカネキに言う。
カネキはエトが「隻眼の王」だと思っており、「意味がわからない」と戸惑う。
その一方で、エトは新作の小説『王のビレイグ』を発表、「ビレイグ」は北欧神話オーディンの別称で、「片目を欠く者」の意味。主人公の隻眼の喰種「名無き」が王として喰種を率い、世界に反旗を翻す英雄劇である。佐々木琲世の「ハイセ」はドイツ語で「名無き」の意味であり、カネキを「隻眼の王」にする準備が進められていく。
そうした中で、ル島の「アオギリの樹」の殲滅作戦が開始され、カネキはそれを利用して、コクリアを破り、笛口雛実を開放しようとする。
しかしヒナミを開放しても、CCG最強の捜査官の有馬貴将がくれば、カネキもヒナミも殺される。だからカネキは、自らが盾となり、自分が有馬に殺されることでヒナミを救おうとする。

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この想いを、忠実に実行しようとしたのである。
「コクリア破り」ではカネキだけでなく、アヤトと万丈、四方とトーカも参戦する。しかし有馬貴将が到着し、カネキはみんなを逃がして有馬と対峙する。
「あとでね」とカネキに声をかけるトーカ。「一緒じゃなくていいのか」と聞くアヤトに、「私達がいたら、あいつは勝とうとしないで守ろうとするでしょ」とトーカは答える。
その通り、後のことなど考えてなかったカネキは「キツいな」と呟く。生きることがカネキにとってプレッシャーなのである。

エトが「母親」なら、カネキの「父親」は有馬貴将である。
いや、「母親」はもう一人いる。それが真戸暁だが、アキラはしばらく脇に措こう。作中では、有馬が「父親」であることが何度も暗示されている。

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ーー結局、あなたが望むような捜査官にはなれなかった。あなた視点、“喰種に同情をかけ…「コクリア破り」を敢行しようとしている…あろうことか”ーー恩師であるあなたに刃を向けて。……怒っていますか。それとも悲しんでいますか

 


琲世(ぼく)はあなたの期待に応えようとした。なのに、戸惑いも、躊躇も、貴方は見せない。有馬さん…本当は戦いたくないです…

 

カネキは有馬がわからない。
それは、共依存の被害者が、共依存の加害者を理解できないからである。
共依存の加害者は、共依存の被害者を「なぜ間違っているかわからない状態」にする。被害者は加害者の意に添うように努力するが、加害者はその度に撥ね付ける。だから「わからない」が増えていく。
そして「わからない」以上、カネキは有馬に反逆できない。しかし「わからない」が増えていくこと自体が、反逆の兆しなのである。

無意識の中では、カネキの有馬への憎悪は頂点に達している。

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カナエとの戦いで窮地に陥った時も、有馬に殺されそうになったことを思い出して「有馬殺す」と言っている。
共依存の加害者は行動に一貫性はないが、目的はひとつ、被害者の人格を殺すことにある。
有馬の場合、喰種としてのカネキを殺すことにある。だから「喰種に情けをかけるな」と言う。

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と、「喰種」としてのカネキが暴走した時も、「限界を引き上げればいい」と言い、「上半身と下半身のラグをなくして」などと理論的な指導をするが、そんな理論より、カネキの方が強いのは明らかである。もっとも、このような相手の本性を殺した指導は、時に恐ろしいものを生み出すことがある。

真戸暁は、カネキの本性を殺すための「母親」である。
ハイセがカネキとしての記憶を探ろうと、亜門鋼太朗を調べようとすると、アキラが止めにかかる。ハイセが記憶の無い不安を訴え、「ハイセじゃない」と言っているのに、

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と、やはりカネキであることを否定する。

「絵や文章、創作物で同一の表現を繰り返してしまうのは、それはその表現が得意だからではなく、根底にコンプレックスを抱いているからだ」と、カネキは趣味の読書から、有馬の「文脈」を読み解こうとする。
有馬は緑内障で、右目の視力がなかった。それを利用して反撃しようとするが、

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たちまち両足を吹っ飛ばされてしまう。

「645回」、俺がお前に「致命傷を与えることができた回数」だ。同時に、「それを見過ごした回数でもある。二秒で殺せる。お前の目は死人のそれだ……死人に俺は止められない

 

と言う有馬。「何を選んだんだ」と問う有馬に、「有馬さんを引き止めて…」と答えるカネキ。
「お前に払った時間は無駄だった」と、有馬はトドメを刺そうとするがカネキは反撃し、両足を赫子で形成、半赫者の姿になって反撃する。
それでしばらく持ちこたえるがやがて有馬に滅多斬りにされるようになる。
内心諦めていくカネキ。
しかし妄想の中に永近英良が表れ、諦めるカネキを説得する。
「君がいないと、寂しいよ」と言うカネキ。
「色々ゴタク並べて“死にたい”だの“消えたい”だの、お前は生きる理由が見つからねーだけだろ?」
「“誰かのために『かっこよく死ぬ』、命を懸ける?だっけ?バァカ、あのとき(カネキの窮地を救うために永近がカネキに喰われた時)俺は、「お前と生きたい」と思ったんだぜ?」
これで、カネキは新たな覚醒を遂げる。

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全くだwww。
これじゃ

日本型ファンタジーの誕生(24)~東京喰種2:ルナ・エクリプス戦はクィーン・ビーと「見棄てられたヒロイン」の戦い - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で「覚醒したカネキによる父殺しが始まる」と言った俺が恥ずかしいじゃねえか!!
ここで注目すべきはカネキの髪。一気に白髪に戻っている。
これは、どんなに乱暴に見えても、「闇カネキ」は黒カネキ、ヤモリに拷問される以前のカネキと同じだということである。
その違いは「反逆するかしないか」にある。

死にかけてようやく辿り着くいびつな景色。リゼさんもヒデもいつだって、結局ぜんぶ僕の中、僕から出たものでしかない。「僕が逢いたいひと」、「僕が言われたいこと、“ヒデならきっと僕を止めてくれる”、どこかでそう考えていた時点で、僕自身が願ってしまっていたんだ。生きたい、なんて

 

「君がいないと、寂しいよ」と言った時、カネキは戦えない理由を永近のせいにした。仲間のために戦っているから、戦えないのは永近のせいなのである。
それを永近は否定した。そして「かっこ悪くても生きろ」と永近に(妄想の中で)言われた言葉を実践していく。そしてこのカネキは、有馬の理論的指導と、カネキの本来の強さが融合したカネキである。

カネキは有馬を陽動し、その隙を衝いてクインケを破壊する。
有馬はクインケが破壊されても戦おうとするが、カネキは相手にしない。刺されてもそのままにし、「無意味だ」と言うだけ。
「俺を殺す気もないか」と言い、カネキが頷くと、有馬は自ら喉をかっ切る。そして自分が人間と喰種の間の半人間で余命幾ばくもないこと、カネキに自分が有馬を殺したと言うように伝えると、「ずっと嫌だった。奪うばかりの人生がやっとなにかのこせた気がする」と言って息絶える。
カネキに「死人に俺は止められない」と言いながら、自らは死を望んでいた。「子」の価値観を「父親」が否定することで、「父殺し」が成立する。
死んだ有馬に、「彼アイヌ、老いたる鷲」で始まる北原白秋の詩を詠む。元はカネキが有馬に「殺された」時に、カネキが自分のために詠んだ詩である。
すると、チェック模様の天井が消えていく。
この天井は、カネキが有馬に「殺された」時から、カネキの心象風景にあった。

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カネキは「気持ちの悪い雲」と呼んでいるが、要はヤモリの拷問部屋の床が反転しただけのものである。どんなに努力しても境遇が変わらない、カネキの苦悩を表している。この「雲」はカネキが強敵に勝つと消えるが、窮地に陥るとまた現れる。

この辺りからカネキのフルネームは「金木研」から「カネキケン」に変わる。まるで親に与えられた名前など、「ハイセ=名無き」だと言うように。
その後、カネキはエトに会い、有馬が「隻眼の王」だと知る。
「王」の座がカネキの目の前にあり、「座すも壊すも君次第だ」とエトは言う。
そして、カネキは最初ラスボスと思われた「隻眼の王」となる。

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国税庁からの情報公開請求の不開示決定についての理由説明書

id:fyamaさんから

(拡散希望)山形税務署は情報公開法第5条に違反した。 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

でブクマをもらったんだけど、ブクマで見てもfyamaさんのブクマがないし、fyamaさんのプロフィールを見るとブクマ自体使ってないんだけどどういうことでしょうか?「拡散したかどうかブクマで判断する」と言った以上、嫌がらせ等は追及する必要があるのでね。

国税庁から、情報公開請求の不開示決定についての理由説明書を受け取った。


法第5条第2号イは、法人に関する情報であって、公にすることにより、当該法人の権利、競争上の地位その他正当な利益を害するおそれがあるものを不開示情報として規程している。

 

(拡散希望)山形税務署は情報公開法第5条に違反した。 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、山形税務署内では情報公開法第5条1号ロの見解について争っていたのだが、第5条2号の話となっていた。「一 個人に関する情報(事業を営む個人の当該事業に関する情報を除く。)」と第5条1号にあるので、事業者である山下には第5条1号は該当しない。なんか嵌められた気分。それとも公務員も条文わかってないのか?
第5条と第5条2号とイを見てみよう。

第五条 行政機関の長は、開示請求があったときは、開示請求に係る行政文書に次の各号に掲げる情報(以下「不開示情報」という。)のいずれかが記録されている場合を除き、開示請求者に対し、当該行政文書を開示しなければならない。
二 法人その他の団体(国、独立行政法人等、地方公共団体及び地方独立行政法人を除く。以下「法人等」という。)に関する情報又は事業を営む個人の当該事業に関する情報であって、次に掲げるもの。ただし、人の生命、健康、生活又は財産を保護するため、公にすることが必要であると認められる情報を除く。
イ 公にすることにより、当該法人等又は当該個人の権利、競争上の地位その他正当な利益を害するおそれがあるもの

 

「人の生命、健康、生活又は財産を保護するため、公にすることが必要であると認められる情報を除く」という点についても言及してきたが「該当するとは認められない」とのみ。個人の印税が財産権に該当しないと言いきった。もちろん「なぜ該当しないか」なんて理由は書いてない。

なおこの理由説明書は控訴できないものだった。「意見書を提出できる」とあるだけ。
閲覧についての記述もあったが、一般公開ではなく、「諮問庁に対し、送付し、又は閲覧させることにつき『差支えがない』旨の回答のあった意見書又は資料について」その写しを送付するだけだった。
控訴したって理屈にならない理屈が返ってくるだけで不毛なのだが、事態の改善を目指して公開のブログで書いている以上、控訴できるならするつもりだった。しかし頭のてっぺんから爪先まで話を噛み合わせる気がないのに、控訴でなく意見書という形で「意見に見るべきものがあったら改善してやろう」という含みを持たせるとは何様のつもりだ。理性なんか生まれた時からぶっ飛んでやがるくせに態度がでかいんだよ。

最近ゆたぽんという不登校Youtuberがいて、「親に言わされている」とか「学校に行くな」と言ってることへの批判が起こっている。

www.tyoshiki.com

でもこの問題が取り上げられていたけど、

個性を尊重しようとすることはいいことだと思うんですけど、社会を積極的に破壊しようというそういう思想には気を付けたほうがいいですね。

 

なんてことは国が個人の財産の横領に加担してることを普通に語れるようになってから行った方がいいんじゃねえの?

ということで、この記事も拡散希望します。条件は前と同じブクマのみで、お礼にカラースターを差し上げますが、ネット上の他者との繋がりがないなど、明らかに棄て垢なものには差し上げません。

私の擬装請負体験(22)~まとめ - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、私は自分が報いられる日がくるまで誰も愛さないし、誰の幸福も望まない。
偽装請負で親と決別して以来、実家には帰っていない。
甥がいる。東日本大震災の年に生まれたが、一歳の時以来、顔を見ていない。
どのように育っているのか、私のためにいじめられていたとしても知ったこっちゃない。

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日本型ファンタジーの誕生(26)~『アイアムアヒーロー』4:孤独になって人は自立する。

日本型ファンタジーは、ほとんど同一の型でストーリーが構成されている。

日本型ファンタジーには「殻」がある。
進撃の巨人』の「壁」が最も分りやすいが、次に分りやすいのは『東京喰種』だろう。
『東京喰種』の「殻」が「東京」なのは一目瞭然で、東京の外は舞台になることもない。「アオギリの樹」の本拠となった流島も、東京湾内の島である。作中ではこれを「歪んだ鳥籠」と呼んでいるが、これは

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この『進撃の巨人』の冒頭へのオマージュである。
亜人』は、主人公の永井圭が海に流されながら、東京からも出ていなかったことで、「殻」が首都圏だと推測できる。

この「殻」は狭い世界、人々の心の中の暗示である。
人々は基本、この「殻」を出ることはない。
この「殻」を無理矢理出ようとするとどうなるかは、『進撃の巨人』のエレンが初めて壁外調査に出た時の結果が証明している。失敗である。
「殻」はジョゼフ・キャンベルが提示した「召命の拒否」そのものである。
ならば冒険は始まってもいないのかといえばそんなことはなく、物語を終えた時には全ての冒険が終わっている。

「殻」には、中心がある。中心にあるのは、「平和主義」か「和の精神」である。
進撃の巨人』の中心は、ウォール・シーナ内のレイス家の礼拝堂の地下である。エレンはそこで「平和主義」と向き合い、完敗する。
『東京喰種』の中心は、24区の最深部、かつて「隻眼」が龍となった場所である。
もっともそこまでカネキが行くことはないが、替わりにアヤトが行く。アヤトはこの場合カネキの分身で、そのことを強調するために、シスコンのアヤトの留守中にカネキとトーカを結婚させてまでいる。
亜人』は少し趣向を変えて、埼玉県入間市自衛隊基地が中心となっている。入間市が中心になる理由を「永井圭が生まれ、死んだ場所」だからとしているが、『東京喰種』などが東京を中心としたために趣向を変えた向きが無くもない。
もっとも自衛隊入間基地は、最大の自衛隊基地である。ここに「治安出動と防衛出動の違いもマスコミは知らない」と言い、「一人の殺人鬼相手に自衛隊を投入しない」と言う総理大臣が軟禁されている。やはり「平和主義」との対決が用意されている。
なお、『アニメゴジラ三部作』も中心があり、それは富士山麓である。日本が舞台になる場合、中心は日本を代表する物になる傾向がある。

中心にいる敵と戦い、勝つことで「殻」を破る力を得るというのが日本型ファンタジーの基本構造である。
日本型ファンタジーでは、中心に自分の意志で向かうことはまずない。
大抵は、敵に追い詰められて中心に向かう。
アイアムアヒーロー』は違う。『アイアムアヒーロー』は中心から追い立てられるのである。これは

日本型ファンタジーの誕生⑲~『アイアムアヒーロー』3:「クルス」と「巣」の意味 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、ZQNパニックがクルス=「絶望した者」による革命的なものであることによる。
ZQNは主人公達を「殻」の外に追い出そうとしているのである。
アイアムアヒーロー』の「殻」は首都圏か関東で、それは主人公達が箱根から引き返したことでわかる。そう、主人公達はZQNに追い立てられるままに「殻」を破ればいいのに、自分達で中心に戻っていくのである。

アイアムアヒーロー』の中心は、池袋のサンシャイン60である。ここにスクールカースト、「和の精神」を表す「巣」があり、鈴木英雄はこの「巣」と対峙する。
しかしこの「巣」は、早狩比呂美をスクールカーストの頂点、「女王蜂」とする「巣」である。そして鈴木は、「巣」からの比呂美の救出を本来の目的として行動している。
ZQNに追われ、高い所に登った鈴木は、「巣」と同化した比呂美と目を合わせる。
小田つぐみを殺したことで葛藤する比呂美。それを正当化し、鈴木に理解してもらおうとする。

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言い訳するほどに本音が出てくる。仕方なかったからではなく、結局嫉妬なのである。

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比呂美の心象風景の中で、比呂美は鈴木と一番最初に会った頃に戻っていく。その頃の自分が鈴木に一番可愛く見えていたと、比呂美は思っているからだ。
しかし鈴木にとって、比呂美は怪物でしかない。鈴木に比呂美に向かって銃を撃つ。

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お、面白い…。
しかしこれでは百年の恋も冷めるというもの。

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全くだ。
しかし鈴木は情けないが、物語の構造は表向きの論理通りではない。
この少し前に、鈴木はZQNになった小田つぐみの妹と接触し、つぐみの妹に守られながら「巣」と対峙する所まで行った。
ZQNは精神を共有しており、つぐみとその妹も、共有する精神世界で話し合っている。
いや精神世界だけではない。
つぐみは鈴木を守るように妹に頼み、バイセクシャルの妹は姉にセックスを要求する。
「あんたチンコないでしょ?」とつぐみが言うと、妹は井浦が引きちぎったチンポを拾って挿入しようとする。
「井浦のチンポでいいのかよ」と言うつぐみに、「この世界ならなんでもアリなんだよ」と妹は答える。井浦が死んだのはつぐみがZQNになるずっと前だが、バラバラな時間さえ関係なくZQNは繋がっていく。
そしてこれが、「井浦のチンポいい」と死ぬ間際に言ったことの意味である。鈴木はつぐみに男として認められていないと思ったが、そうではなく、鈴木を助けるために妹に体を売ったのである。
もっともそれは、比呂美がその前につぐみを殺したことで果たされなかった。「なんでもアリ」の世界でも、「女王蜂」はZQNの運命を握っている。
しかし約束が果たされなくとも、つぐみの妹は鈴木を助けた。妹はつぐみの分身である。
御殿場アウトレットモールでは男達に強姦され、ZQNパニック以前も男運に恵まれなかったつぐみは「見捨てられたヒロイン」であり、「クイーン・ビー」と「見捨てられたヒロイン」が対立すると「クイーン・ビー」が罰を受けるという日本型ファンタジーの構造を踏襲しているのである。

鈴木達は最初、ZQNに追い立てられていたが、自分から中心に戻っていく。ならば、クルス=「絶望した者」の革命行為に反対なのか?
いよいよ追い詰められたと思った鈴木は、最後にできることを探す。そしてクルスが一人で戦っているのを見て、クルスに加勢するのである。

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ルサンチマン丸出しの鈴木www。
こうして撃たれた中田コロリだが、身につけていた鈴木のマンガのおかげで一命を取り留める。「英雄さんが救ってくれた」と中田は言う。しかし鈴木が中田を撃ったこと、これが作者の本音である。
アイアムアヒーロー』には、弱者への強い共感、強者への反感がある。
作中には、童貞男を殺した男への強い怒りを持って戦う男が登場する。そして童貞男を「キモい」と言った女は、

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斧が頭に落ちてヘリを掴む手が離れ、転落。またクルスに飲み込まれたおばさんが助け出されると若い女になるなど、とことん弱者寄りの姿勢で描かれている。
しかし鈴木がクルスを助けたら、比呂美はクルスの者ではないか?
そうならないために、女のクルスがいるのである。クルスは女のクルスと融合し、性別を失う。性別を失ったクルスは、「女王蜂」と結ばれることができない。
自分を「誰も見てない裸の王様」と言うクルスに、「見られたいなら生かそう」と女のクルスが言う。
こうして中田達は東京を脱出する。いや、東京から追いやられるのである。

ZQNがいなくなった東京で、鈴木は一人生きている。
カップ麺を漁って生きていたが、鼠にカップ麺が食われ、窮地に陥る。
鈴木は独り言が多い。この時も独裁者のように銅像に当たり散らし、飛び出し坊やの看板を首吊りにしたりする。
やがて野菜を栽培することを思いつくが、植えた種が鹿に食われてしまう。
鈴木は銃砲店で散弾のリローディング器財を見つけ、本で読んだ知識と、タイヤのバランスウエイトで弾頭を作る。
そして初めて鹿を撃つが、鹿の腹の中には子鹿がいた。
一度に二つの命を奪ったことに、鈴木は良心の呵責を感じる。しかし、

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鈴木が「ヒーロー」なのは、心を閉ざしているからである。
常に心を閉ざしている鈴木は、ZQNと精神を共有することがあってもZQNにならず、また人生に絶望してもクルスにならなかった。しかし鈴木は「殻」に閉じ籠っているだけで、自分で人生を切り開こうとはしなかった。
鈴木は生きるために「罪」を犯すことを受け入れた。頭が禿げ上がっても、鈴木は「殻」を破り、人間として自立したのである。

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漢の高祖劉邦は「巨大な共依存の加害者」

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漢の高祖劉邦は、『史記』を真面目に読めば馬鹿そのものである。
いわく洛陽を都にしようとして、「漢は武によって成立した国なので、関中に都を置いた方が良い」と進言を受けその通りにする。楚漢戦争で関中の重要さなど知り尽くしただろうに。
いわく宮殿内で家臣達が大声で話し合っているのを見て、「何を話しているのか」と問うと「謀反の相談をしているのでございます」と答えが返ってきて仰天し、慌てて儒教の礼を取り入れたところ家臣達がおとなしくなり、「朕は初めて皇帝の偉大なることを知った」など。楚漢戦争の時、劉邦は相当軽い神輿だったようで、始皇帝死後の混乱を合わせて考えれば、家臣が宮殿内で大声で謀反の相談をしていたというのもあり得る話だが、そのことについて警戒もしていなかったような劉邦の態度はわざとらしい。
極めつけは、敗走中に馬車を軽くするために自分の子供を放り投げたという話である。司馬遷の『史記』は、司馬遷が各地を巡って情報収集をしたというが、娯楽の少ない当時のこと、人々は大笑いしながらこの話をしただろう。この時劉邦に放り投げられた子供が、第2代皇帝の恵帝である。

「姓は劉氏、字は季」と『史記』にあることで劉邦の「邦」は諱ではないとする見解がある。司馬遼太郎の『項羽と劉邦』もこの見解を採っており、私も賛同する。
劉邦の生まれた沛の辺りの農民程度の出自なら、名などない者も多かったのであろう。
「邦」というのは「兄貴」という意味であるという。劉邦は名を成してからも「兄貴」で通し、その身分にふさわしい諱をつけなかった。「名前なんかいらねえ」という素朴さを感じられる話である。「季」という字は「末っ子」という意味だが、弟はいる。年の離れた弟だったのだろうか。
また生年もはっきりしない。紀元前247年説と紀元前256年説があり、私が若い頃は紀元前247年説が有力だったが、最近は紀元前256年説が有力らしい。
本屋で立ち読みした時のうろ覚えの記憶だが、漢代には劉邦の年齢を記録した資料はなく、年齢の記録は晋の時代になってから現れたという。
年齢に興味がないというのもまた、素朴さを感じる話である。
ところが、そんなことはない。
劉邦には、同じ豊の邑で同じ日に生まれた盧綰という仲間がいる。盧綰は後に燕王になっている。劉邦は他姓の王を粛清し、「劉氏以外を王に立てない」という慣例を作ったが、さほどの功績もない盧綰だけは例外としたのである。
もっとも盧綰も、後に謀反を疑われ匈奴に亡命している。ただし盧綰を王にしたのは、劉邦の生年を記憶するためだったと考えられる。
劉邦は自分が生きている間に、各地の王を全て粛清したが、劉邦が積極的に粛清を行ったという印象はない。各地の王が猜疑心によって反乱を起こしたとか、家臣が色々画策したという話が伝わっている。
ずいぶん恐い話である。劉邦の強い意志無くして、全ての他姓の王を廃することなどできるわけがない。
歴史の始まりの時期に、こういうことはよくある。
殷周革命で、滅ぼされた殷の紂王は稀代の悪王とされた。
歴史の始まりの時期は神話の要素も混ざり、人物は精彩を欠き、ストーリーもリアリティがない。
楚漢戦争の時期は人物が精彩を放っているため、リアリティがあるように感じるが、実は「人物が精彩を放ってリアリティがない」のが楚漢戦争から漢の初期の時代なのである。人物に精彩があるのは、劉邦が例外的に戦争に弱く、項羽が例外的に戦争に強いからである。

秦の始皇帝は、最初期の前衛家らしい極端さがあり、王や貴族を廃止して中央集権にしたり、焚書坑儒や土木事業や外征などで民は疲弊した。それが後の混乱に拍車をかけたのであり、劉邦のような名もない人物が台頭する要因となっている。
劉邦は後に王陵から「よく人を侮る」と言われ、後に相国となった蕭何からは「劉季はもとより大言多く、事を成すこと少なし」と言われている。
劉邦に実務能力が乏しかったのは間違いなく、特に戦には強くなかった。
そういう劉邦がなぜ天下を取ったのか?
「徳があったからだ」というのが、これまでの答えである。
しかし考えてみよう。


劉邦は行儀が悪く、すこし酔えば横に長くなって肘枕をし、ときどき癇癪を起こすと、その男を口汚くののしった。類がないほどに、言葉遣いが汚かったが、そのくせ一種愛嬌のある物言いで、罵られた者も多くの場合傷つかず、一座もげらげら笑い崩れてしまうというぐあいで、劉邦の芸といえばあるいはこれが唯一の芸であったかもしれない。

 

と司馬遼は『項羽と劉邦』でいうが、現代人ならこの描写で、共依存関係を疑うべきだろう。
互いに冗談だけで会話が成立する関係など、よほど気が合わないとあり得ないのである。気が合っているようでも、一方的に悪口を言われている場合、やはり共依存をではないかと思うべきなのが現代人である。それを大人数に対して行うのは尋常ではない。
特筆すべきは、劉邦戦国四君の信陵君を範としたことである。
共依存の加害者は、自分と正反対の人物に憧れることがある。
食客に常に礼を以て接し、その才覚を王に恐れられた信陵君は、劉邦に似ているとは言えない。
コンプレックスが憧れに転じるのだが、共依存の被害者にそれを語る場合、時にそれは老獪なものとなる。
劉邦と正反対の信陵君を、劉邦と同じ人格と被害者に受け取らせるのである。
しかしこの時代、人の寿命は短い。
そして劉邦の周りに集まった者は、正業があってもろくなものではなく、明日をも知れない身だった。
そんな者達が、自分達の親分、実際には加害者を立てることで、子分である自分を少しでもましだと思いたいと考えることは充分考えられることである。

しかしそれが「龍の子」だの「天命を負っている」だのになっていくのはどういうことか。
これも説明できるのである。なぜなら劉邦に能力がないから。
私も今までの人生で多くの問題児にあってきたが、大抵その周囲は、問題児を中心に回っている。周囲は問題児を必死に立てようとするが、こっちが油断すると、問題児が「人格者」に発展していることもある。
劉邦の話に戻せば、子分にとって劉邦が無能なのは耐えられないのである。だから劉邦を持ち上げようとして色んな話を作る。それが歴史に残る劉邦の「伝説」の始まりである。

凄いのは、劉邦共依存が沛の町を覆ってしまったことである。
先に述べた王陵だが、元は劉邦の兄貴分なのである。劉邦は王陵を共依存だけで超えてしまった。充分才能だといえる。
もっともこれだけだと沛の任侠界だけの話になりかねないが、劉邦に目をつけた蕭何(目をつけたと言っていいだろう)がさらに持ち上げて、劉邦始皇帝死後の沛の支配者にしてしまった。

もっとも劉邦は、ただの共依存の加害者ではない。
人物を見る目があった。韓信、蕭何、張良といった人材を使いこなした。
人物に対する劉邦の慧眼を示すエピソードに、病床の劉邦呂后が後事について訪ねる話がある。
劉邦は「蕭何に託せ、蕭何の後は曹参、曹参の後は王陵、しかし王陵は愚直だから陳平を補佐につけよ。陳平は才走りすぎるから周勃を補佐をさせよ。漢を安んずるのは必ずや周勃であろう」と言ったという。
私は最後のところを除いて作り話だと思っているが、劉邦の人物眼を感じさせられる。共依存の加害者は相手の能力を見抜く力が著しく劣っていることが圧倒的に多いが、劉邦はそうではなかった。自分を覚めた目で見ていたのだろう。

もっとも、劉邦が天下を取るのは共依存の力ではない。武関回りで関中討伐の将に選ばれるという運の良さがあり、そのおかげで楚漢戦争の一方の旗頭となる。
そこから天下を取ったのは、人材登用の面もあるが、基本的には諸国の雄に多く土地を与えたからである。これで英布、彭越、そして登用した後に半独立の体をとった韓信を味方に引き入れた。
東洋には、領地を多く部下に与えることで天下を取るケースが多くあり、その場合、いろんなごたごたがあっても政権自体は長続きすることか多い。
しかし漢は、途中で中央集権化に成功した。
世界史で見て、最初に弱体で、後に強権になる王朝が2つある。フランスのカペー朝前漢王朝である。
しかしカペー朝ではフィリップ二世という傑物がいたのに対し、漢王朝はそうではなかった。沛出身の小領主達、かつての供依存の被害者が、徳川幕府の普代大名のように諸国の王の勢力を削るのに腐心し続けたのである。
しかし始皇帝が起こした「混乱」は、百年も経たないうちに収束して、中央集権にできるのかと思ってしまう。
そんなものなのである。しかしこれは、漢が善政に敷いたことによる部分が大きい。
善政といっても、正義を完遂したとか、福祉を充実させたという積極的なものではない。税金が安かったのである。
始皇帝死後の混乱の時期、不正な手段で財や勢力を成した者は多くいただろう。各国の王と争いながら、そのような勢力を敵に回すことはできない。そこで税金の安さが売りになる。「ならば中央集権でもいいか」となるのである。しかしこれは、なんだかんだといって中央集権が始皇帝以来、人民に浸透していたということである。

劉邦以降、天下を取る者が多く現れ、天下を取る者がことごとく劉邦を範とした。しかし劉邦のように、「生まれ持った徳がある」と言われた者は1人もいなかった。それでいて、劉邦が「生まれ持った徳」を持つことは批判されてこなかったのである。

東洋では、リーダーの型としてボトムアップ型のリーダーの中に、「生まれ持った徳」のある者がいると言われてきた。
西洋では、「生まれ持った徳」というのは言われることがない。
それがなぜかを考えたいというのがあって、今回の記事になった。

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斗比主閲子と弁護士は信用できない

斗比主閲子氏のこの記事。

topisyu.hatenablog.com

ここ数年で一気にメジャーになった第三者委員会報告書は、主に弁護士を中心に起用して、その組織に関わる不正を調査し、原因を分析し、再発防止策がまとめられるものです。

作成にあたっては弁護士や会計士がタイムチャージ(時間払い)で関与しますので、一時間あたり数万円前後の費用となるため、問題が根深ければ根深いほど延べの調査時間は増え、費用は数千万円~数億円までかかることがあります。要するに、相当お金のかかった報告書になることが多いということです。

他人がやらかした問題をプロの視点で分析されたものを読む機会というのはなかなかなく、学びも多いため、私は、第三者委員会の報告書が公表されるたびにできるだけ読むようにしています。

 

死刑制度は廃止すべし - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で斗比主さんのリンクを貼ったから通知は行ってると思うんだけど、弁護士は詐欺師だからいくら金と時間をかけたからってそれが信用のおけるものになるんじゃないよ。ま、斗比主さんが盲目的に信じるってのは勝手だけどさ。



 

とある。これは運営側の示している見解である。第三者委員会は「犯人グループとの交際を認めたメンバーがいる」ことは認めているが、被疑者が事情聴取に応じていないことを理由に確定しないものとしている。

斗比主さんの狙いがわかるんだよねー。
「特にこの件について頭に入れてなかったので」とか言って

山口真帆の事件を無視する「統合型」フェミニスト達 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で言ったように、山口真帆に肩入れする気がないんだよねー。「興味なーい」と言えばそれで済むと思ってるし、実際そうなんだけど、それなら山口真帆に肩入れしたふりをするのはやめて欲しいね。


私はこういうものについて基本ゾーニング派なんですけど、コンビニならまだしも、本屋さんで、性的なコンテンツをゾーニングすることにはあまり興味がありません。

 


というのは、私は本屋さんが好きじゃないので、私は当然行かないし、子どもを本屋さんに連れて行くことがないからです。雑誌ぐらいしか新しい本がない寂れた本屋さんや、キオスクレベルの本屋さんは特に気にならないんですが、ビル内やロードサイド型の、ラインナップが比較的豊富な規模の大きい本屋さんはとても居心地が悪いんです。

 

topisyu.hatenablog.com

https://megalodon.jp/2019-0416-2146-43/https://topisyu.hatenablog.com:443/entry/2018/09/15/000730
言って、本屋がゾーニングされれば本屋に行くってことを暗に仄めかして自分が本屋のゾーニング派だってことさらけ出してる。これは

www.tyoshiki.com

の一連の記事で「本屋に行って見ろ」という主張に対する「本屋に行かないけどゾーニング派」という差別だし、

話は全然変わりますが、私は子どもの頃から忍者修行が好きでした。特に、『カムイ外伝』か何かで初めて見た、麻?を植えて、その上を毎日ジャンプしていると、麻の成長に合わせて徐々にジャンプ力が上がり、最終的には驚異的な跳躍力が手に入るという、実に科学的な方法には惚れ込みました。子どもを持ったら、庭に木を植えて、ジャンプさせようと思ったぐらいです。

 

って

topisyu.hatenablog.com

https://megalodon.jp/2019-0416-2204-52/https://topisyu.hatenablog.com:443/entry/2018/09/11/073000

スルガ銀行でのアパートローンの不正融資やサブプライムローンでも同じことで、適正な信用力がない人に無理に貸付けしても上手くいくわけがなく。状況に応じて変わるにせよ、人にはそれぞれ適正がありますから、無理なハードルを設定するものではありません。

お後がよろしいようで。

 

と言って、スルガ銀行の話だけにすればいいものを余計な付けたしをして弱者斬り捨ての匂いを強くしてるし。
まー山口真帆の件についても「興味ないから」と言えばそれで済んじゃうんだけど、それを信用するかと言ったら絶対信用しないね。

NGT48は2チームを解散し、1期生と研究生に分けると発表したが、この中に山口真帆は入っていない。

amp.bengo4.com

では、山口真帆が容疑者と示談したんじゃないかと推測している。
しかし民法では、そのような示談を無効とすることもできる。
ならばなぜ山口真帆が裁判などに訴えないのかといえば、おそらく受任する弁護士がいないのだろう。
みんな知っているはずである。この国では明らかに間違ったことでも、受任する弁護士が全くいないことがあるということを。そしてそのために不幸になる人とならない人の間に違いは全くないことを。
斗比主さんの記事がランキング入りしてたところをみると、みんなこうなるとわかって斗比主さんの記事を読んでたんじゃないの?

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戦争と平和を考えるマンガ③~『ヴィンランド・サガ』1:『ヴィンランド・サガ』に見る「ラグナロク」

ヴィンランド・サガ』は話がまだ途中で、おそらくストーリーが中盤か、あるいは序盤から抜けきっていないと思われるため、今書けることはそれほど多くない。
ただ気にかかるのは、史実においてトルフィンはヴィンランドへの入植に失敗している。
ヴィンランド・サガ』は創作の部分を多く含みながらも、ラストはおそらく史実に忠実に展開するだろうと思っている。
しかしそのことが、即トルフィンの理想の破綻だとは限らない。そして今のところは、非暴力主義的なトルフィンの行動は成功を修めている。

ヴィンランド・サガ』全体に漂うのは、「ラグナロク」の匂いである。
時は11世紀初頭、古代ローマ帝国の栄華は遥か昔となり、ヴァイキングがヨーロッパ各地で戦争と略奪を繰り返している、そんな時代だった。
プロローグ、幼少編の後が「ブリテン編」なのも興味深い。
ブリテン島では民族の大移動が大陸より遅かった。
作中でイングランドを侵略しているのはデーン人だが、デーン人の侵略を受けているアングロ・サクソン人も元は侵略者だった。イングランドケルト人とローマ人の土地だったのだ。イングランドは蛮行に次ぐ蛮行にさらされていた。
アシェラッドはデーン人の父からは、奴隷の子として名前を与えられず、アシェラッド(灰まみれ)と呼ばれていた。しかし奴隷の母親は元はウェールズの王族で、アーサー王のモデルとなったルキウス・アルテリウス・カストゥスの子孫だった。アシェラッドは母からアルテリウスの名前を貰う。
アシェラッドはデーン人を憎み、母の同胞のローマン・ケルトアイデンティティを抱く。
アシェラッドは母から「アルテリウスがアヴァロンから帰ってきてケルト人を解放する」という話を聞かされて育つが、やがて現実に目覚める。自分は傭兵団の団長に過ぎず、戦争と略奪に明け暮れる毎日を過ごすしかない。アシェラッドは自らの主となるべき人物を求め、デンマークの王子クヌートを見出だす。

クヌートは、歴史上ではデンマークイングランドの他にノルウェーの王となり、北海帝国を打ち立てる人物である。
しかし作中では、クヌートは最初「王の顔じゃない」とアシェラッドに思われていた。
クヌートは兄ハロルドに何かあった時の控えとして育てられ、そのために王位継承の争いが起こり、陰謀が絶えなかった。
陰謀を嫌気したクヌートは気弱な青年に育つ。しかし父王スヴェンは、王位継承争いを避けるためにクヌートを見捨て、イングランド戦役で息子が死ぬことを望み、戦役で最も手強いトルケルと対峙させる。
アシェラッドはクヌートを甘やかす守役のラグナルを殺す。精神的な支えを失い、神が人を救わないこの世の無情さを知ったクヌートは、覇道に目覚め父王と対決し、神に頼らずにこの世に楽園を築こうとする。クヌートが打ち立てる北海帝国は、ローマ帝国の再現でもあった。
しかし覇道を突き進むほど、クヌートは自分が父と同じ道を歩いているのを思い知る。父と訣別し、父と違う道を歩もうとしたはずが、いつの間にか、

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となる。

クヌートのようなマキャベリストの対極にに位置するのが、トルケルを代表とする戦士達である。
トルケルのような人物は、『花の慶次』などなら爽やかなキャラとなっただろうが、『ヴィンランド・サガ』では少し違ってくる。

戦士達の生き様は、北欧神話の影響を受けている。
激しく戦って死んだ戦士の魂は、ヴァルキリー(戦乙女)にオーディンの館ヴァルハラに導かれ、そこで暮らす。ヴァルハラで戦士達は、昼は戦争の練習、夜は饗宴に明け暮れる。
戦士達は決して駆け引きを否定しない。駆け引きの否定は戦争、ひいては自分達の存在意義を否定するからである。
しかしクヌートのような暗殺に手を染める行為は否定する。暗殺もまた駆け引きのひとつなのだが、そこには重要な線引きがある。戦争があるかどうかである。
クヌートは多くの成果を戦争によらずに得ていく。
一方トルケルは、デンマークが強いからという理由で、戦争を続けるためにイングランドに寝返ったりする。
そのような在り方をクヌートは無意味と思い、「戦争に意味を与え」ようとする。そして暗殺を含めて合理的に征服事業を進めていく。
クヌートは、確かに戦争に意味を与えたのである。しかしトルケルは不満に思う。
それは一人の人間の都合で、人の運命が決まるべきではないと思うからである。
巨大な帝国を築くことは、確かに多くの人々に秩序をもたらす。しかしそのために暗殺された者は、秩序の恩恵に浴していない。だからトルケルの態度にも理はある。
「復讐」もまた、秩序を保つための重要な行為と思われていた。
家族を殺された者は、赤ん坊でも「復讐」の義務を負う。
「復讐」しなかった者は軽蔑される。「復讐」しなければ、人を殺した者がのうのうと生き延びるのを許すことになるからである。
当時の警察力を考えれば(現代の警察力が十分かどうかもかなり疑問だが)、「復讐」が秩序を担うというのは説得力のある話である。そして「復讐」の対象には、暗殺という手を用いたクヌートも含まれる。「復讐」の観点から見れば、クヌートは秩序の中にいないのである。

戦士達は決闘を好む。それは戦争である以上否定できなかった駆け引きの要素を究極まで削いだ戦いの形である。戦士達が本当は駆け引きを嫌っている証である。

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駆け引き嫌いが高じるとこのようになる。
だから、戦士達は矛盾を抱えている。
駆け引きを否定してはいけない。ならば戦争をし続けるしかない。となればトルケルのように、無意味に戦争を求め続けるしかない。しかしその戦争もクヌートのようなやり方で無くなってしまうと、

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死んじゃうwww。

北欧神話の原典である『エッダ』の成立は13世紀で、キリスト教の影響を受けていると思われる。
北欧神話は、ギリシャ神話と同じ多神教の世界観である。
一神教多神教の違いは、道徳観念の有無にある。
多神教でも近親婚のタブーなどの道徳観念はあるにはあるが、「人を殺してはいけない」とか「盗んではいけない」といった、社会秩序維持に必要な根本的な道徳観念ははほとんどない。多神教の神は、自由で横暴である。
その多神教北欧神話ギリシャ神話と違い「ラグナロク」があるのは、キリスト教の「最後の審判」を北欧神話なりに受容したのだろう。
ラグナロク」は世界の終わりであり、最高神オーディンフェンリルに喰われて死ぬ。
オーディンは「ラグナロク」に向けて、ヴァルキリーにヴァルハラに導かれたエインヘリャルとともに武力を鍛えていくのである。
そこにはオーディンの2つの姿がある。ひとつはキリスト教の道徳観念に対して、自分の節を曲げない姿で、信念のために破滅を厭わない姿である。
もうひとつは、自らを正しいとするために争いを止めることが出来ず、破滅に呑み込まれていく姿である。

ラグナロク」は、争いを続けるために人が行き着く破滅であり、破滅に向かって進んでいるとわかっていながらそれを止められない心の闇である。
トルフィンとの決闘を望み、執拗に追ってくるガルムも、

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と、自ら破滅を望むようになる。

このように見れば、トルフィンの思想は確かに、クヌートやトルケルのアンチテーゼとして成立している。
問題は、トルフィンの思想で全てが解決できるかどうかである。トルフィン自身、「本当の戦士に剣はいらぬ」と言った父親が、剣を捨てきれずにいたことを疑問に思っている。
その答えは、まだ出ていない。

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忙しい部署に立場の弱い者を置くと仕事が集中する。

私は工場労働以外の経験をほとんど持っていないので、今回も工場での話になる。
連続稼働を行う部署がある。
連続稼働とは、機械に製品を投入すれば、一定の時間を経て製品に処理が施されて出てきて、またその機械に製品を投入する作業をいう。

パワハラ上司は無能である① - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたのと同じ作業である。一定時間で必ず製品が出てくるので、作業者は時間内に出てきた製品を処理しなければならない。
投入する製品の量が増えれば、処理するのも大変になる。

そういう連続稼働の部署に、派遣社員のような立場の弱い者が配属されたとする。その場合、複数の人間の作業なら、立場の弱い者が多くの仕事をするように役割分担される。
最初は、それでも適正な作業分担だと言えるかもしれない。立場の弱い方は仕事量は多いが、最初は十分に仕事をこなせる配分になっている。そうでない方は仕事に余裕があることが多いが、その代わり全体を見る役目を受け持つ。
ところがパワハラ上司達は、立場の弱い者に次々と仕事を押し付けてくるのである。
自分の仕事を押し付けたり、他でやる仕事をこちらでやったりする。それは自分の評価を上げるためである。そうして立場の弱い者の仕事が益々増えていく。

パワハラ上司は、立場の弱い者が物を考えないように指導する。
仕事では様々なデータを採ることがあるが、そのデータが全部杜撰だったりする。
問題があっても報告しないように、パワハラ上司は指導していく。そのために聞かれたことに答えなかったりする。立場の弱い者が思考停止することを望んでいるのである。思考するようになったら、自分達が問題ある行為をしているのがばれるから。最初にデータを杜撰に採ったからパワハラ上司になったのか、パワハラの結果データが杜撰になったのか、鶏と卵がどちらが先かを論じるのに等しく、両者は一体になっている。

そんなパワハラ上司と立場の弱い者に周りがどう接していくかといえば、周りもまた、立場の弱い者に仕事を押し付けていくのである。この点、パワハラ上司を中心にその世界は回っている。
肉体作業は車の運転と同じで、認知、判断、動作の繰り返しである。どんな単純な仕事にも認知と判断はある。
車の運転なら、認知、判断、動作のスピードを無理に引き上げるのは事故の元である。しかしパワハラ上司は、この認知に判断、動作のスピードをどんどん引き上げていき、限界を超えさせる。そしてクレームになったり、人が潰れたり辞めさせたりする。
するとパワハラ上司はどうするかというと、反省しないのである。むしろさらに立場の弱い者の仕事量を増やしたりする。そうしている間、パワハラ上司は立場の弱い者に仕事を押し付けている間だけ、「失敗はあいつのせい」と思え、自分は無責任で済むのである。

しかし、会社の方針で生産量を増やした時に、パワハラ上司の問題は明るみに出る。会社が望んでいるのは、作業量の適正な配分であり、パワハラ上司はこの時障害になるのである
パワハラ上司にやり方を改めるように言っても、命令違反をして元のやり方で作業をしたりする。
そうして次第に、パワハラ上司の反逆心が明確になる。パワハラ上司はあの手この手で、改善されたやり方を元に戻そうとする。それは上位下達の組織論に反したやり方である。
それでもパワハラ上司はやり込められていく。部署異動になったり指示に服したりして、現場は正常化していく。

パワハラ上司は強面で仕事熱心なふりをして、生産面の向上では無能で、自分の責任を認められないヘタレである。
管理職の多くは、パワハラ上司の弊害に気付いており、パワハラ上司の弊害を無くすことが生産性の向上につながると考えている。

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のような大幅な人事異動と早期退職は今は大手企業だけのものだが、そのうちこの波は中小企業にも広がっていくだろう。

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