坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

投票率が低かった参議院選挙

年金2000万円問題が起こった時、最初は情報収集していなかったので、何のことかわからなかった。

lite-ra.com

え?ちょっと何言ってんの?
さらに麻生財相が年金不足の報告書を受け取らないという事態に。
https://amp.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201906/CK2019061902000147.html?__twitter_impression=true
だから何言ってんの?
年金が2000万足りない?2000万じゃきかない?政府がそれを隠してた?
何言ってんの?そんなこと政府の報告書が見つかる云々の前にみんな知ってたじゃん!

私が二十代の頃から、「老後の貯金は2000万じゃ足りない」と言われていたし、4、5年前にもそんなことを書いたブログを見たことがある。
今回の年金2000万問題は茶番である。
政府が年金を減額しても、国民は増税の必要性を認めてこなかった。そして消費増税反対を唱えてきた。
国民は袋小路に陥った。年金の拡充を訴えられない。
安倍政権はそんな国民に変わって、「年金の不足は安倍政権のせい」という体をとってあげた。それが年金2000万事件の真相である。
年金の拡充の必要性を訴えてきた私としては、黙ってこの流れに乗っても良かったんだけど、さすがに不愉快。
この点、はてな民はよくわかってるね。

今回、参院選が終わるまでは比較的大人しくして、ブクマでの批判もあまりしないようにしていた。
え?大人しくなかったって?
そんなことありませんよ。ただ想定以上に問題のある記事がいくつかあったというだけで。
大人しくしていたのは、いくつかの記事で書いてきたことだが、今この時期が、日本の政治、社会のターニングポイントになると思っていたからで、それがどこに表れるのかを見極めたかったからである。

さて、今回の参院選、自民が57、公明14で与党が71、維新が10、非改選と合わせて、改憲勢力改憲発議に必要な3分の2の議席を割り込んだ。

www.nhk.or.jp

野党は国民民主党議席を減らし、立憲民主党が伸びた。旧民主党が分裂してできた2つの政党だが、国民民主党結成の経緯を考えれば、立憲民主党に票を集めたのは、野党支持者にとって戦略的に正しかったと言える。

今回の参院選の最大の特徴は、投票率の低さにある。戦後2番目、95年以来の低さで48.8%である。
雨に祟られたとも言われているが、天候の影響を過大評価することはできない。期日前投票には1417万人が行っており、前回の参院選を上回る人数である。期日前投票は天候に左右されにくいため、天候の影響は比較的少ないと見るべきである。

r.nikkei.com

今回、地域による投票率の差が著しい。
山形では60%、秋田、岩手が50%台で、東北の投票率が高い。
徳島は最低で30%台(徳島は高知と合わせて1区で42%まで上昇)。他にも西日本で投票率の低いところが多いので、東で高く西で低い投票率だったと言える。
一方維新の出場した選挙区だが、維新の候補が落選した千葉だけは46%と2ポイント下がっているが、他は大体投票率が全国平均の48%台に乗っている。
都市部の投票率が高いのかと思えばそうでもなく、福岡では投票率が42%である。
それでは、投票率の高い選挙区を見ていくと、著しい特徴がある。それは無所属新人が当選した選挙区である。その無所属新人は皆、野党の統一候補である。
そして投票率が低い選挙区は、維新も無所属新人も当選していない選挙区で、それぞれ与野党の現役が当選している。つまり投票率の低さの一番の原因は、新味に欠けることである。

今回、野党が最低賃金引き上げ引き上げなどにも触れてきたが、これは従来の共産党の選挙公約である。
すると与党は派遣社員の賃金を勤続年数や能力に応じて支払うように政策をうつ。野党の政策の取り込みだが、ロスジェネ世代をピンポイントで狙った政策である。
野党は法人税を引き下げて消費増税を図る自民を批判するが、消費増税に反対して年金政策を遅らせてきたのは野党である(維新もだが)。派遣の地位向上を望まない中間層以上の支持を受けている野党には、法人税増税して高齢化社会を建設することはできない。結局は経団連とのつながりの深い自民が年金を増額していくしかない。
また憲法改正の論点もあったが、それでも与党は3分の2の議席を割り込んだ。しかし過半数には遠く及ばない。

無所属新人の選挙区だけが投票率が伸びたが、やがて無所属新人は新人ではなくなり、これからその多くが政党に所属すると思うので「無所属」でもなくなる。
投票率の低下は、政治家の経験と政党への暗黙の批判、いや否定と言ってもいい。
そして無所属新人は、やがて無所属新人でなくなる。その時に有権者は、どのような行動を取るのだろう。今回の投票率が高かった選挙区の動向も、健全とは言い難い。

まとめよう。
投票率が高かった選挙区は無所属新人が当選した選挙区で、有権者が野党に新味を求めた結果である。
②維新は投票率の低下を止める力はないにしろ、投票率を全国平均まで押し上げる力がある。
③無所属新人も維新もいない選挙区では投票率が下がり、投票率の低下は現状野党の追い風となるが、それでも与党を過半数割れさせることはできない。

こうして、日本の政治、社会のターニングポイントは、投票率の低下となって現れた。

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信長の戦い⑤~美濃攻め

美濃攻めは、従来は墨俣の一夜城によって勝敗が決したというのが定説になっていた。しかし2000年代の研究者達によって、この定説は打ち砕かれた。
それでは美濃攻めの勝敗は何によって決まったのか?
斎藤義龍斎藤道三の実子でなく、土岐頼芸の子だという噂があるが、この噂は信憑性に乏しいとされる。

斎藤義龍 - Wikipedia

義龍は一色氏を称しているが、土岐氏を名乗っていないところ、噂自体が美濃の豪族に充分に信じられていなかったことを表している。
つまり道三が土岐頼芸を追放してから、美濃は斎藤氏のものであり、義龍が土岐氏の血を引いていたから美濃の豪族が従っていたのではない。
一方、信長もまた道三から、「美濃一国の譲り状」をもらっている。道三から直接に美濃の支配権を与えられている点、信長と義龍は、美濃の支配者としての正統性はほぼ対等と見ていい。つまり美濃の豪族にとっては、支配者は義龍でも信長でもどっちでも良かったのである。
それでいて、義龍存命中は美濃が信長のものになることはなかった。それだけ義龍の統治が成功していたということだろう。美濃が崩れるのは龍興の代になってからである。
龍興は暗愚とよく言われるが、滅びた者が「愚かだったから」とはよく言われることである。若干14歳の若い当主の就任による美濃の同様の隙をついたのが、信長が美濃を征服した主因だと見るべきだろう。

そして美濃制圧さえも、「美濃一国の譲り状」による部分が大きいとすれば?
信長が京に上洛できたのは、尾張と美濃を押さえたからである。これで信長は百万石の大名になった。京に近いところで百万石の身代を持つ大名は、当時信長しかいなかった。
その後上洛し、大阪付近も抑え、さらに松永久秀を同盟者として大和も勢力圏に入れ、伊勢にも出兵して約三百万石の大大名となった。当時三百万石の大名は、他には北条しかいない。
将軍義昭を首謀者とする反信長同盟が結成されるのはこの後で、これだけの勢力を持てば、時間はかかっても反信長同盟の各勢力を各個撃破していけば、最初から信長に有利に進められる戦いである。
このように書くと、信長の戦争は平凡そのものである。
しかし信長の平凡さを知ること、これが信長の非凡さを知ることに繋がるのである。

美濃攻めの頃から、信長の軍の中での位置が変わってくる。
それまで前線で戦っていた信長が後陣に位置するようになり、後ろから采配を振るようになる。
更にしばらく後になると、信長は戦場に出ないようになる。
信長の面白さはここにある。信長が後陣に位置することで、織田軍の性質も変わってくる。
司馬遼太郎尾張兵を「東海一の弱兵」と言った。
私には「東海一の弱兵」かどうかはわからないが、美濃攻め以降の織田軍は、勝ったり負けたりという浮き沈みが多くなる。
美濃攻め以前の織田軍は、全軍火の玉のようになり、また犠牲の大きい軍だった。しかし美濃攻め以降、織田軍は犠牲という点では比較的少なくなる。そして信長は、これを良しとしたのである。

前線で戦わなくなった信長の代わりに先鋒を務めるのは、丹羽長秀である。
丹羽長秀は元々織田家の家臣ではない。斯波氏の家臣である。
長秀は猿啄城攻めの先鋒を務め、加治田城佐藤忠能を調略し、堂洞砦を河尻秀隆と共に攻めて落とす。
また木下秀吉の名前も、この時期から登場する。
墨俣の一夜城のエピソードもない中で、秀吉の目立った活躍の話はないが、信長が坪内利定に宛てた文書の副状を秀吉が出しており、谷口克広は秀吉が、坪内を指揮する権限を持っていたと推測している。
さらにこの時期に滝川一益も活躍を始める。一益は伊勢の員弁郡桑名郡を制圧する。丹羽長秀のように先鋒としてでなく、一益を大将としての制圧である。後の方面軍司令官を彷彿とさせる話である。
一方、柴田勝家佐久間信盛は、この時期冷や飯を食っている。
信長は足利義昭と連絡を取り、尾張守の官位をもらっているが、これを信長の勢力拡大の証と見るのは必ずしも正しくない。美濃攻略の最中なら美濃守の官位をもらうべきだろう。これは尾張が一枚岩になっていないのを示しているのである。
また上洛の一年後になるが、前田利家の兄の利久を隠居させ、利家に前田家の家督を継がせている。前田家は林秀貞(通勝)の与力であり、元々反信長だった秀貞の勢力を削いだのである。こういうやり方をするところ、信長は政治家としては陰湿である。

平凡で陰湿な信長の非凡なところは、美濃攻めを続けながら、組織改革を断行したことである。それだけに美濃攻めは、信長が全力を投入した戦いではなかった。
司馬遼太郎は、信長が家臣の領地に代官を送って家臣を集権的に支配していたと言っているが、別にそういうこともないようで、将軍や大名が家臣の領地に代官を送って支配するのは江戸時代になってからである。また徳川幕府のように、直轄領が極端に大きい訳でもない。
信長の織田家も他の戦国大名と同じ、体制は家臣連合であり、本来ならば盟主的立場として、信長は家臣に行動を制約されなければならなかった。
その信長が独裁権を握るのは、旧来の重臣の勢力を低下させたからである。
丹羽長秀、木下秀吉、滝川一益、そして明智光秀。彼らを抜擢したことで、柴田、佐久間の勢力は相対的に低下したのである。また新参者達は、新参であるが故に信長のみが頼りで、信長の意向に逆らうことがない。
そして信長に反抗的な態度を取れば置いて行かれると思った柴田達が、新参者と功名を競うようになっていく。
また、信長の織田家は「叛服常なし」の家臣が多いことで、信長の見る目の無さが批判されるが、美濃攻め以前は、『信長公記』に「お困りになっているときに助力する者はまれであった」と書かれるような有様だったのである。信長は協力な支配者だったが、それだけに反発が多く、信長が動かなければ何も動かなかった。また人材の流入も少なかった。
しかし多くの仲介者を持つことで、織田家に人材が流入するようになり、調略が成功するようになっていく。
組織がシステマティックに機能するなら、信長が先頭に立って、全軍火の玉になって戦わなくても、犠牲の多い戦いをしなくてもいい。数で押していけばいい。これが信長の解答だった。

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日本の不条理が司法に集中している

カルロス・ゴーン氏は、保釈された後すぐに再逮捕された。
保釈というのは、勾留により社会的復帰が阻害されることのないように行われ、また証拠隠滅などを行わないように心理的圧力をかけるために保釈金も取る。
4月の再逮捕は、オマーンのスマイル・バハワンとの不正な取引によるものである。

gendai.ismedia.jp

私の見る限り、ゴーン氏は黒である。
しかし、この再逮捕には納得がいかなかった。
一応、再逮捕と同じか確認できていないが、保釈の取り消しというのはある。証拠隠滅の可能性がある場合などである。
しかしゴーン氏の保釈の日が確認できていないのだが、再逮捕までの日数は確か数日のはずである。それでは保釈を決定する日までに、検察がオマーンでの不正取引の証拠を掴んでいなかったのか?
掴んでいなかったのなら、再逮捕は一応妥当である。ただしどのような捜査を行ったのかという問題が生じる可能性はある。また再逮捕するにあたり、検察はゴーン氏の勾留によって、オマーンでの不正取引に気づかなかったことをしっかり説明すべきである。
私は、オマーンの不正取引の証拠を握った上でゴーン氏をわざと保釈し、再逮捕したのではないかと疑っている。もしそうなら、問題はなぜそのようなことをしたかである。

次は、はてなでも有名な岡口基一 (id:okaguchik)氏。

gendai.ismedia.jp

「しかも、東京高裁が提出した「懲戒申立書」は、私が「もとの飼い主を傷つけるツイートをしたこと」を懲戒理由として設定していました。それなのに、決定の結論は、そうではなく、「裁判を起こしたこと自体を非難していると一般人に受けとめられるようなツイートしたこと」を戒告理由としているのです。」
これだけを見ると、裁判官が深く考えずに理由をつけてしまったから理由を変えたように見えるがそうではない。
「裁判を起こしたこと自体を非難していると一般人に受けとめられるようなツイートしたこと」というが、そのような受け止められるツイートではない。
理由は何でもいいのである。真の目的は、故意に冤罪をでっち上げることにあるからである。

日本では、冤罪事件がよくある。

セクハラ発言の内容を語らない者達 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、福田事務次官のセクハラ問題は冤罪である。
この後、目立った冤罪事件は起こっていない。
しかし一方で起こっているのは、実際に罪のあるものへの厳しい精細である。
登戸で起こった、小学生を狙った殺人事件は、次に起こった元農水次官が息子を殺傷した事件の反応に強い影響を与えた。登戸事件の犯人は不就労者であったため、殺された引きこもりの息子よりも、殺した父親、元農水次官の方に同情が集まった。登戸事件の犯人が幼い子供を殺したのも、引きこもりへの反感に拍車をかけた。
ここに、日本人の精神の根源を見ることができる。
農水次官の息子は登戸事件を見て「(子供を)殺してやろうか」と言ったそうだが、これでは殺人未遂にも該当しない。
日本人は、本当は加害者の味方である。だから本気で子供を殺す気があったとも思えない殺された息子をさも殺人未遂者のように仕立て、殺した父親を英雄扱いする。
そして冤罪でなく、本当に罪がある者への厳しさも、日本人が冤罪を求める精神と共通している。冤罪を称揚するから、本当に罪ある者に厳しく当たることで、自分を善人だと思おうとするのである。日本人に死刑存置論者が多いのも同じ理由である。
カルロス・ゴーン氏の再逮捕も、罪ある者への厳しい対応の一環だと思っている。「新たな容疑が浮上したから」と理由をつけて罪ある者をなぶり、世間も「それならば仕方ない」と納得する。
岡口氏の場合は、加害者が非難された時にしばしば取る対応である。つまり批判された時に、より乱暴に返してやるのである。話が首尾一貫しないというより、わざと話を首尾一貫させない、わざと首尾一貫していないのを強調するのである。
そこには、「俺は権威を見せた。従え」という心理がある。論理の支離滅裂さが権威なのである。この論理の支離滅裂さは、

日本が憲法を改正しない本当の理由 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように戦前は「非国民」、戦後は「右翼」という言葉に代表される、完全に非論理的に相手を「論破」する言葉が変形した者である。ただしこれらの言葉は、国民的な合意によって権威付けされていた。そしてこれらの言葉が体制の硬直化を招いた。
体制を破壊する力もまた、これらの言葉を使って生まれた。かつての石原慎太郎氏や、「橋下現象」などがそうである。
しかしこれらの言葉は、本来「壁の中」で使われるものだった。それは

「橋下現象」の正体 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べた通りである。付言すれば、不勉強ながらも「非国民」という言葉が戦前に公的に使われた可能性は高いと思うが、そのでも「『資源がない』と言うのは非国民である」などという公的な発言はないだろう。
石原慎太郎氏の問題発言や「橋下現象」の精神は特に右翼に流れ、ネットでも過激な発言が繰り広げられている。また右翼でなくとも、論理で追い詰められた者が「自分の意見が正しいのは完全に証明した」などと全く証明せずに主張するのも、「俺は権威を見せた。従え」である。その心理の裏には、強い罪の意識がある。
この傾向が右翼だけでなく、国民全体の傾向になってきたのが去年の日大であり、山口真帆事件でのAKSである。これらは全般に叩かれ、日大もAKSも衰退の傾向にある。もっとも山口真帆事件は、世間の反応に比べて、はてな界隈では話題にしなさすぎたと思っている。
しかし、「俺は権威を見せた。従え」で対応して、全般に叩かれることの少ないのが司法である。カルロス・ゴーンの件は警察、検察の問題だが、「司法に近い」という意味で取り上げさせてもらった。
岡口氏の件は世間で取り沙汰されたが、それで司法の問題が次々と取り上げられるという具合になっていない。
現在、司法は次々と問題のある判決を下している。

gendai.ismedia.jp

判決で、鵜飼祐充裁判長は、性交はあったこと、娘からの同意はなかったことは認め、さらに「被告が長年にわたる性的虐待などで、被害者を精神的な支配下に置いていたといえる」ということも認めた。しかし、「抗拒不能の状態にまで至っていたと判断するには、なお合理的な疑いが残る」として、無罪を言い渡した。実の父親が、同意のない未成年の娘に対し、恐怖心から精神的支配下に置いたうえで性交をしたことまで認めているのに、「抗拒不能であったかどうかわからない」という理由での無罪判決である。

 

たとえば、加害者はいつもきまって「相手も同意していた」という言い訳をする。これは、先述のように、同意というのは心理的なもので、目に見えないものであることを悪用している場合もあれば、性犯罪者特有の「認知のゆがみ」による場合もある。「認知のゆがみ」とは、偏った受け止め方をするということで、相手の意図や心理を自分の都合のよいように曲解する「考え方の癖」のようなものだ。女性が明確な抵抗や拒否を示さなかったことで、「相手も同意していた」と受け取るのは、その典型的なものである。

 

他にも、
news.yahoo.co.jp

 

刑務所では模範囚だった。刑期満了を待たずに仮出所できるように、職員が反省文を書くように勧めたが、アヤ子さんは「やっていないから」と言って応じなかった。そのために仮釈放はされず、満期出所した後の1995年4月に最初の再審請求を行った。鹿児島地裁は再審開始決定を出したが、検察の異議申立を受けた福岡高裁宮崎支部が取り消した。今回の第3次請求は2015年7月に起こされ、17年6月に鹿児島地裁が、18年3月に福岡高裁宮崎支部が再審開始決定を出した。すでに3つの裁判体で再審開始決定を出している事件だ。

 

事情を知った城教授は、再度鑑定資料を検討し、他殺の判断を撤回。「頸椎前面の組織間出血」の原因は、首の「過伸展(むち打ち症などのような力が加わること)」などによるものと修正し、この出血のほかは頚部圧迫の痕跡はなかったことを明らかにした。そして、側溝に転落した状況によっては、このような出血を伴う頸椎や頸髄損傷によって死亡することもある、とした。

 

それなのに、最高裁は地裁、高裁が認めた再審を取り消し、再審請求を棄却。
また袴田事件の再審請求が高裁で棄却されている。日本の不条理が司法に集中してきているのである。

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小池田マヤ『サンドローズ』

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家政婦、小田切里が派遣された家は、鬱病の奥さんと認知症の老婆がいる家庭。雇い主は亭主だが、単身赴任で家にはほとんどいない。
認知症の老婆、雇い主の母親は、里を見る度に「アレックス」と呼び、「やっと迎えに来てくれたのね」と言う。
奥さんの真砂は「クスクスを作って」と注文し、里がクスクスを作ると「本場のクスクスはこうじゃない」と言ってクスクスを床にぶちまける。その後もクスクスを注文するが、一口食べるだけ。


Sランクの家政婦の里が珍しく苦戦する一幕だが、その内事情がわかってくる。
老婆は亭主が先物相場で失敗して首を吊って死んだ後、一人で乾物屋を切り盛りして息子を大学まで行かせた、近所でも評判の「できた嫁」だった。しかし大姑の嫁いびりもまた、近所で評判になるほどだった。
そして息子が真砂と結婚し、大姑が死ぬと、今度は老婆が真砂に嫁いびりをするようになる。
姑の認知症が進行すると、嫁いびりは益々ひどくなり、真砂は姑の下の世話までしなければならなくなる。


老婆が言うアレックスは、アラン・ドロンをモデルにして作り出した老婆の妄想だった。
その妄想の中で、アレックスは砂漠の国の王子だった。
老婆が二十歳の頃、誘拐されて王子に差し出された。
そういう馴初めでも二人は恋に落ちた。
二人は愛し合ったが、彼女はハーレムの女の一人に過ぎず、アレックスは立場上、一人の女のみを妻とする訳にはいかない。
そこで「互いに歳を重ね、何のしがらみも無く自由の身となった頃に迎えに行く」と王子は約束し、二人は別れ、彼女は日本大使館に引き渡された。すごい妄想である。


亭主には、単身赴任先に愛人がいる。
家には介護ヘルパーが来ているが、真砂はこの介護ヘルパーと一度関係を持った。しかしそれも亭主の差金で、介護ヘルパーは亭主から金をもらってそうしたのである。
離婚して愛人と結婚しようとしたのか、妻の弱みを握って老婆の介護をさせようとしたのか、おそらく後者だろう。
しかし介護ヘルパーの方が本気になる。真砂を口説こうとするが、これも亭主の狙いで、里はその目撃証言をするために雇われていた。「キレイにしても誰も喜ばない家を美しく磨くのは、砂漠に水をまくようだね」と里は言う。


先物で失敗して首を吊って死んだ亭主の父親は、単に不幸かと言えばそうではない。
まどかマギカ』のまどかの父親が専業主夫なのは、父親が家にいることを強調するためである。
ここに男の作家の強迫観念を見る。男の作家の父親像は強迫観念的で、かつステレオタイプである。つまり男の作家は、出社のために出かけるだけでも「父親の不在」の暗示だと思っている。
死別も同様で、「世界の運命を決めるヒロイン」は、たとえ死別してても「父親」を探し出して殺すことで、正しく「世界の運命を決める」ことができるようになる。
女性の作家は、そうではない。
女性の作家は父親との対立を極力回避し、父親との和解を求めている。だから父親と死別しても、娘は父親と対立したりはしない。
この作品には「娘」はいないが、代わりに「息子」がいる。死別による「父親」の不在を、「母親」が十分に補えなかったのは明らかである。「父親」の不在の負担を「母親」は「嫁いびり」で晴らし、それは連鎖していく。「息子」は「父親」そっくりになり、負の連鎖に拍車をかける。「子は親の背中を見て育つ」というかつての言葉がいかに間違っていたかを、実に多くの作品が伝えている。


ある日、老婆の行方が分からなくなる。
もっともすぐに見つかる。近所の畑で火を炊いて、クスクスを作っていたのだ。
認知症には波があり、完全にまともな時もある。
少し前に里が「クスクスの作り方を教えて」と言ったのを、まともな時に実践したのである。
クスクスには専用の鍋があり、老婆はそれを使ってクスクスを作る。

何年も、何年も繰り返して上達した料理。その度に妄想した美しい王子の幻想は、何度あなたを救っただろう。

 

真砂の求めたクスクスは、老婆が作ったクスクスだった。嫁いびりにあい、憎んでもその老婆のクスクスを求める。
老婆の料理。クスクス、砂漠パン、ミントティー

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いつかなる。何にも縛られることなく自由に、この身もこの心も遠くへ連れ去られ彼方へ。王子が来なくとも、それだけは間違いないのだ。

 

「すごい妄想」も、解放を求めた結果であり、解放の象徴なのである。
しかし認知症患者が徘徊し、火を炊くようになっては、介護認定の区分を変更しなければならなくなる。
変更されれば、もう家で介護を続けることはできなくなる。


介護ヘルパーは亭主に金を叩き返し、全てをばらし、離婚調停が始まる。
里は妻側についていることがばれて解雇。
真砂は実家に帰るが、その後介護ヘルパーと付き合う予定。
老婆は終身介護の老人ホームに入ることになり、息子はその費用捻出のために家を売る。
更に離婚する妻への財産分与と慰謝料を支払うと、愛人も去っていく。
古い家は取り壊される。そして、

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老婆は、自分がどこに連れて行かれるのかもわかっていない。しかし、これは明らかに「解放」なのである。


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韓国レーダー照射事件と丸山穂高事件について

情報公開・個人情報保護審査会から答申書なるものが来たので見てみたら、こっちが頼んでもいないことを勝手に答申したようで、しかも結論は全くおんなじ。

国税庁からの情報公開請求の不開示決定についての理由説明書 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で書かれたのがよっぽど頭に来たのかねえ。
山根学、常岡孝好、中曽根玲子と、ご丁寧に委員の名前まで入れちゃってる。はいはい、みんな覚えとこうねwww。

今年の初めの韓国のレーダー照射問題について。

hbol.jp

P-1乗組員の会話を映像で読み解く限り、戦術士は機長に「FC系レーダー波を探知」と報告していますが、それが何によるものか、何であるのかを確認していません。具体的にはイルミネーターか否か、射撃電探か、機種はなにか(この場合STIR-180、MW-08、ゴールキーパーCIWSが対象)を確認している様子がありません。また、機長はイルミネーター照射警報(レーダー警報)でなく戦術士からの報告ではじめて「FC系レーダー」で照射されていることを認識しています。これからもイルミネーター照射でないことは確実と言えます。

 

照射されたレーダーはイルミネーター照射ではなくFCレーダー照射であり、照射を受けた戦闘機の乗員は特に警戒していない様子がこの記事でわかる。
「火器管制レーダーの照射を受けた」とする日本政府の発表は捏造である。
捏造した理由は、ロシアとの関係にある。

大国の支配を感じ始めた韓国 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

でも述べたように、シーレーンを守るためには韓国との関係強化が不可欠である。
しかし韓国との関係が改善しないため、韓国との軍事同盟はできない。
日本人も韓国と仲良くする気がない。だから安倍政権は、当面韓国との関係改善は不可能と見て、ロシアとの関係を強めようとした。ロシアとの関係を強化するなら、いっそ韓国との関係は悪化してもいい。悪化した方がいい。それがレーダー照射事件捏造の真相である。
しかしロシアとの関係で資源問題を解決しようとした場合、北方領土では日本はロシアに完全に譲歩することになる。
もっとも29日の日露首脳会談で、日本がロシアに譲歩することはなかった。しかし今度はアメリカが日米安保を破棄するという情報が流れ、トランプ大統領はそれを否定したが、代わりに「日米安保は不平等だ」と言い出し、大統領選前からの主張を蒸し返した。今や日本を狩場として、米露が交互にボールを投げ合う状況になっている。

「ロシアと戦争して取り返すべきだ」
国後島訪問時に発言して物議を醸した丸山穂高議員の事件には、安倍政権のロシアへのすり寄りが背景にある。
問題発言だが、丸山議員の発言が問題なのは時と場所を間違えたことにある。丸山議員は同じ発言を国会でしてもいいし、ツイッターで発信してもいい。時と場所を間違えればこれだけ問題になるという好例である。
日本維新の会は丸山議員を除名した。ここまでは問題はない。
しかしその後も「辞めろ辞めろ」と維新も橋下氏もいい続け、ついには辞職勧告決議案を提出、可決させる始末。

president.jp

president.jp

「休養中の議員にいくら金がかかる」とか、「丸山氏が当選できたのは維新の力があったからこそだ」とか、言ってることは完全にパワハラ元明石市長のパワハラを批判した者の発言とは思えない。
しかしそれにもまして、橋下氏の発言への批判の少なさ。かつてのリベラルの影響力など微塵も感じない。

橋下氏や維新の狙いはわかっている。
ダブル選挙で勝利し、大阪都構想に弾みをつけた維新が、ここで失速する訳にはいかなかったのである。むしろ丸山議員の問題を逆手に取って、党勢を拡大したいと思ったのであろう。それはわかる。
しかしマキャベリズムが全てではない。

abematimes.com

で文大統領を擁護し、

 

で電波情報の公開を求めた橋下氏は、政府の捏造の可能性も考えたはずである。
丸山議員の問題が丸山氏の人格にあるとしても、本来利害が完全に一致している韓国との関係改善を行わず、大国に屈するしかない外交を続けている日本の姿勢を批判せずに丸山氏一人を集中的に批判するのは片手落ちである。橋下氏や維新こそ、韓国との関係改善を強く主張するべきではないか?

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日本型ファンタジーの誕生(28)~『不思議くんJAM』も日本型ファンタジーだった

かつて

小池田マヤ「不思議くんjam」の感想を書いてみた - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で書いたことの、これは書き直しである。
前の記事ではラブコメだと書いて、それは間違いではないのだが、この作品もまた日本型ファンタジーの初期的作品だとわかってきたからである。

まず、この作品の概要について説明しておく。
一言で言えば、輪廻転生の物語である。
『不思議くんJAM』は3巻までだが、1巻の3分の1は『ミルククラウンの王子様』というタイトルで、ヒロインの白鷺沢みるくが主人公である。

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みるくは小学校四年生、しかし担任の根本冴子とは前世で幼なじみだった。前世の記憶があるみるくは、同年代の子供と馴染めずに浮いていた。
そして前世と前世の間に「はざまの世界」があり、その世界でみるくはスジャータとして、はざまの世界の王子ルディと恋人同士だった。やがて今世でもルディと出会い、愛し合う運命にある…。しかしみるくは、「はざまの世界」のことをよく覚えていない。
そしてその時、ルディの転生した姿、石狩不思議に合う。ところが、

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下の子供が石狩不思議、そして上の長髪の男がルディ、でなく、「はざまの世界」の王子シッダルディだった。
みるくは王子の名前をちゃんと覚えていなかった。そして思い出してみれば、

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かつて王子との間に何があったのか?ここで『不思議くんJAM』に移行する。

石狩不思議は北海道で生まれ、生れた時に父はなく、母親は名前をつけてすぐに死んだ。
石狩家は牧場主だが、祖父は病気で働くことができず、不思議は子供ながらに牧場を切り盛りしようとするが、農協からヘルパーを呼ばなければならない状況で、赤字まで埋めることはできない。
子供が牧場を切り盛りするなら、学校はどうするのか?
不思議は学校に行っていない。引きこもりである。しかし牧場を経営するためではない。母親の片身のネックレスを叔父が奪ったからだ。
それを教えたのは牛のべぇこだった。牛のべぇこは仮の姿で、真の姿はネックレスを構成するアムレットのひとつ「聖パウロの舌」である。べぇこは不思議に、叔父からネックレスを取り返すように言う。そのネックレスを持つ者が、石狩家の本家継承権を持つ。
不思議はべぇこの指導により、いとこの塘路と親しくなり、ネックレスを取り返す算段をつけていく。塘路は「はざまの世界」ではパターチャーラーという名で、シッダルディの「冠候補」である。「冠候補」が何を意味するかは後回しにしよう。ただ「冠候補」には「業(カルマ)」がある。塘路=パターチャーラーの場合は、

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とかなり重い。
授業参観の日を利用して、叔父の家に忍び込んでネックレスを取り返そうとする不思議。しかし家のどこにもネックレスはない。
ネックレスは、叔父が携帯のホルダー代わりとして肌身離さず持っていた。
塘路がそれを見て、叔父からネックレスを奪い取る。父親と揉み合う中で、塘路は父親の目を傷つけてしまう。
家に向かって走る塘路。そして不思議の前には、同じいとこの摩周、「はざまの世界」のシッダルディのライバルディーバダッタが立ちはだかる。
塘路が不思議に向けてネックレスを投げ、不思議と摩周がそれを掴む。二人が力を込め、ネックレスが引きちぎられると、時が止まる。この時の

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べぇこの首が落ちる様は圧巻。
牛のべぇこは生まれてすぐに、キタキツネの首を喰われて死んでいた。この現実を認められなかった不思議が涙し、その涙とべぇこの血が地中の「聖パウロの舌」に届き、「聖パウロの舌」はべぇこに成り代わった。
不思議は塘路に叔父の血という毒=父親と姉への怨嗟が溜まっているのに気づき、その毒を消すように「聖パウロの舌」に言う。
それをすると、王子として覚醒すると「聖パウロの舌」は忠告し、不思議がそれを了承する。
塘路の毒が消えると、その毒はその地、石狩家の牧場を浸食していく。その毒が祖父にまで届き、祖父は死ぬ。
どういうことか?不思議は牧場を再建するために、ネックレスを手に入れようとしていたのではなかったのか?

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この情報が、べぇこの口から語られることはない。
べぇこが教えたのは、ネックレスが母親の片身だということと、「その頭に冠を戴く暁には、出来ない事は何もない万能で無敵の王になる」ということである。
実は、「石狩家の本家継承権を示すネックレス」などは存在しないのである。
不思議の叔父は、ネックレスのレプリカを作ってみるが、そのレプリカのネックレスから波動を感じてしまう。

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「このネックレスから波動を感じないのは自分だけじゃないと証したかった」と言うが、摩周は波動を感じてしまう。そして叔父は「そうか、お前もか」と言い、なぜ俺じゃない」と叫ぶ。
塘路=パターチャーラーの毒は消されたが、土地が毒された以上、不思議はその地に留まることはできず、塘路は置いて行かれる。
摩周と塘路、二人の「なぜ自分じゃない」という想いが不思議の叔父=毒として新たに生を受ける。そして叔父は、片目になってレプリカのネックレスが光るのを喜ぶようになる。まるで本物の本家継承権のあるネックレスを手にしたように。
しかし元々本家継承権を示すネックレスが存在しない以上、光や波動に囚われること自体無意味である。こうしてこの作品は、長子継承に基づく日本の家制度を否定する。
不思議の家も叔父の家も牧場の経営は不可能になり、不思議は里子になって東京に向かう。里親は、根本冴子の両親である。

東京に来て、「冠候補」が揃うようになる。
赤石知覧は「はざまの世界」ではヤショダラ姫。「犠牲の血の冠」で「業」は「王子シッダルディのために多くの人間を犠牲にすること」。「はざまの世界」では、王子と結婚しているという設定である。
岡田健は「はざまの世界」ではシッダルディの義母のマハーパジャーパディ。元「捕縛の茨の冠」義理の息子に恋心をこじらせたが、罪の意識で常に男に転生する。業は「王子の身代わりとなって死ぬこと」。
そして「地の冠」の塘路=パターチャーラーと「命の最初の糧の冠」のみるく=スジャータ
不思議は「冠候補」と共に「アムレット(お守り)」を集め始める。ネックレスは化石を繋げて作られているが、アムレットを手に入れるとその化石に光が宿る。全てのアムレットを集め、頭に冠を戴けば、「世界の王」になる。

ところが不思議は、みるくが「はざまの世界」のスジャータだと思い出せない。他の「冠候補」も、みるくが「はざまの世界」の誰かを知らない」
そのうち、赤石とみるくが(「はざまの世界」でなく)過去世で因縁があることが判明する。

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赤石はナバホ族の「赤いコヨーテの娘」、みるくはホビ族の「白い佇む鳥の娘」として戦った過去世がある。そのせいもあって常に仲が悪い。

不思議=シッダルディには二重性がある。
シッダルディとしては女たらしで暴言を吐きまくるが、不思議自体は小学四年生ということもあって奥手である。そして女たらしのシッダルディを嫌悪している。
そしてアムレットもまた、不思議が見つけるのではなく、「冠候補」が見つけている。アムレットを探す点で、不思議は何もしていない。
その間も「冠候補」は苦しみ続ける。赤石=ヤショダラ姫は、「はざまの世界」でこそ正妻だが、過去世で王子と結ばれたことが一度もない。本当に王子に求められたことがないからである。
業により多くの人間を犠牲にした後、大抵は恨まれて殺されて人生を終えるという過去世を、ヤショダラ姫は繰り返している。それでもなお妻の座を降りたくないと想い続けている。業とは「囚われる」ことである。
塘路=パターチャーラーは、王子としての覚醒のために「聖パウロの舌」に利用され、選ばれないと悟ったがために、アムレットを集めるという課題の失敗をディーバダッタと共に願う。

王子シッダルディは、過去世でも王子に転生することが多い。スコットランドの王子だった時は親戚を殺しまくってたともいう。目的のために手段を選ばないのが、王子シッダルディの本性である。
しかしそうでない時もある。たとえ王子だったとしても。
中世フランク王国メロヴィング朝の王子に生まれた時は、身内争いから身を避けるため、身分を隠して農夫として暮らしていた。いつか王国を救う時のために、その命を保つため。そのため本当の名前はキルデリクだが、カールと偽って生活していた。
そこにもうひとりの「カール」が現れる。宮宰のカール・マルテルである。何もしない王の代わりに、カール・マルテルはトゥール・ポワティエ間の戦いでイスラム教徒を撃破、救国の英雄となる。その時キルデリクは、もう中年になっていた。
「俺の国をこんなにしやがって」とキルデリクはカール・マルテルを詰る。しかし本当は、何もしなかった自分に腹を立てていたのである。そんなキルデリクにそっと寄り添った少女がスジャータだった。
何もしなかった悔しさにより、王子シッダルディに覚醒するキルデリク。そしてもう自分にその人生でできることがないと悟ると、カール・マルテルの前に現れ、王子の身分を明かす。カール・マルテルはキルデリクを殺す。

スジャータは、王子が見つけたことによりスジャータになったと、自分のことを言う。
ならばそれ以前は何だったかというと、「はざまの世界の声なき小さな者」、「砂漠の砂粒」、「集合意識体の命」、「百億の蟻」だという。「私はみんなでみんなは私」と、自分と他者との区別がない。これは「個にして全、全にして個」という『風の谷のナウシカ』の王蟲と同じであり、「集合意識体」といえる蟻に形容されているところに、「人間=怪物」の日本型ファンタジーの構図が見える。

スジャータは、転生してもキルデリクのような、弱気な人生を送っている王子としか出会うことはない。理由は「単純に怖いから」。それでも王子はスジャータに会おうとするが、過去世では常にスジャータを見つけることが出来ない。『君の名は。』路線である。そしてスジャータを見つけられず、課題に失敗した王子は、スジャータを「はざまの世界」に呼び寄せる。こうしてスジャータは、過去世で常に少女のままで死ぬ。

そろそろ、王子シッダルディ、そして「冠候補」が何かを語る材料が揃ってきた。
「聖パウロの舌」をはじめ、アムレットにはそれぞれ意志があるが、アムレットは不思議を「ヘタレ」と呼び、王子シッダルディになることを求める。
この凶暴な王子の正体は、スクールカーストの「学校の王」ジョックである。
そして「冠候補」は、ヤショダラ姫が正妻であることに注目すれば、「冠」の理解はヤショダラ姫だけを見れば理解できることがわかる。「冠」とはジョックの装飾であり、クイーン・ビーのことである。装飾に過ぎず、真のパートナーでないから「冠」と呼ばれる。

しかし、ジョックとクイーン・ビーの関係でない形がある。その可能性が「ヘタレ」と呼ばれる不思議の中にある。
「ヘタレ」と言われるのは、ダメヒーローの萌芽である。その証拠がべぇこで、死んだ牛を生きているように思い、ペットとの生活を続けようとする。
しかし不思議の中には、性的にでなくみんなが好きで、みんなを大事にしたいという思いが芽生えている。不思議の中に、弱さと「博愛」が同居している。そこにスクールカーストからの脱却の可能性がある。

スジャータは幼くして死ぬ自分を、王子に少女のままでいることを求められていると思う。
しかしまた、スジャータは大人の女性に憧れる。自分を見つけたのは王子なのに、大人女性になれば、王子は自分を見てくれないと思う。こうしてこじれた願望にディーバダッタが付け入り、スジャータはディーバダッタと性的関係を持つ。
スジャータは「大人の女性」になったが、それを王子に隠す。それもまた、王子が求めたことだからである。
不思議は最後にようやく全ての記憶を思い出し、みるくがスジャータだと気づくが、またディーバダッタとの不倫にも気づく。

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独りよがりな男の願望は、女性に行為の正当化の余地を与える。
シッダルディはスジャータを許す、いや、「間違いなど存在しない」という結論に達する。
すると、「はざまの世界」に時の縦軸が生まれる。「冠候補」の業は「囚われ」を表し、時が止まっている。その時間が動き始め、「冠候補」達は業から開放されるのである。

『不思議くんJAM』は打ち切りのような形で終わっているが、作者には続編の構想があった。
それは、不思議が最終的にみるくとでなく、根本冴子と結ばれるというものだった。根本冴子は作品時間で24歳、不思議が冴子と恋愛できる歳には、30を越えるだろう。
根本冴子は「彼氏いない歴=年齢」の、典型的な非モテである。つまり「見棄てられたヒロイン」であり、「見棄てられたヒロイン」の救済がこの作品の最終的なゴールだった。

この作品は、極めてコアなファンにしか衝撃を与えなかったが、その影響は至るところに散見できる。そういうことにも、機会があったら触れていこう。

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三浦瑠璃氏の徴兵制導入論について

三浦 瑠麗 (id:LMIURA)氏が、「徴兵制を導入すべし」ということを言っていた。

bunshun.jp

「反論や批判を待っています」というので私も書いてみよう。
まず私は運動音痴なので、徴兵されたくはない。「徴兵される年齢ではない」からというのは、賛同する理由にしてはいけない。
検査に合格しないと徴兵されないと言っても、津山事件のように徴兵に不合格になったことが原因のひとつになった事件もある。差別を生むのである。
しかし、

以前から、シビリアン・コントロールが強い民主国家ではかえって戦争が容易になってしまうと主張してきました。戦争のコストをリアルに計算する軍部に対して、政治家や国民は正義感やメリットだけを勘定してしまうから、安直に戦争へと突き進む危険性があるということです。

 

と三浦氏は述べ、韓国の火器レーダー照射の件も取り上げ、「結構危ない局面だった」と語っている。
火器レーダー照射の事件については私なりの見解があり今回は触れないが、もう少しこの問題を掘り下げるべきだろう。

日本が戦争に突入したのは、徴兵制においてである。
その戦争のやり方は、戦域を拡大し続けていく終わりの見えないもので、最も愚劣なやり方だと言っていい。
しかし徴兵制が戦争を破滅的なものにしたかと言えばそうではない。終わりのない戦争に突入したのは、国民主権ではなかったからである。
権利のない中で、日本人は結果を自分の責任に帰せずに、周囲に合わせて自分を浮かないようにした。それが

日本が憲法を改正しない本当の理由 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、「資源がない」という真っ当な意見に「非国民!」と非難し、周囲が同調するということが起こる。
しかし、

流行 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、今の日本は国民主権の世になっている。自分達の選択の結果は自分達に返ってくる。
ならば不合理な戦争に突入しないだろうということはわかる。それを徴兵制によってより不合理を無くす必要があるかどうかである。

ここで改憲派の定義が必要になる。
護憲派は長いこと改憲派も自主憲法はも一緒くたにしてきたし、改憲を唱えながら9条以外の議論をしている例もたまにある。
9条以外の憲法の議論も必要だろうが、やはり戦争の是非については9条が問題となる。
改憲派は9条第2項の削除と自衛隊の明記を主張するようになった。私は1項と2項の削除を主張する改憲派だが、2項の削除を主張する者までを改憲派と見るべきだろう。つまり安倍首相の3項に自衛隊明記は改憲派の主張になっておらず、当面の腰掛けの意味しかない。

私が9条の1項と2項の削除を主張するのは、それが最も論理的だからである。つまり私は、1項を残すという改憲派の主張も、現状への妥協だと思っている。
翻って、今の日本で徴兵制を日本の戦争の抑止力にする必要があるかと言えば別にない。むしろ「戦争をしない」問題だけがある。
こう言うと聞こえが悪いが、シーレーンの維持だって戦争を考慮する必要がある。今の日本人は右翼も含めて、戦争をする覚悟がない。ただ声を大きくして、本当の問題から目を逸らし続けているだけである。
こう言うと丸山穂高議員のことだろうと読者は思うだろうが、丸山議員のことはまた後の機会に。

要するに、プライドがないのである。
できもしないことを大声で叫んだりして、実施されないことに安心しきっていたりする。プライドのない者がプライドがある振りをする最も安易な手は、できないことを声高に主張することである。そしてこういう言動の繰り返しが、シーレーンの維持という日本の安全保障の根幹を危うくしている。

ならば徴兵制を導入すればどうなるだろうか?
少なくとも現状より、国民はシーレーン維持という問題に目を向ける可能性は高くなると思う。
しかし三浦氏の議論は「焼石に水」という感が強い。改憲の議論が進まない中で打った手のひとつだろうが、私も「可能性が高くなる」とまでしか言えないのである。
もっともこうも言える。
安全保障を自らのプライドを持って語れる者は、9条第1項を決して放置しない。そのプライドを徴兵制によって培うというのなら、これは9条第1項削除論への前振りだと。

橋下徹氏は二大政党制を謳い、完全小選挙区制を主張している。かつて何度も聞いた話である。
私は日本が二大政党制の国になる可能性は非常に低いと思っている。それは野党は結局国民の建前で、本音が自民にあり、国民が本当に政権交代を望んでいないからである。
維新が政権党になるというのは賛同するし、その努力も認めているが、それでいて実に歩みが遅い。ようやく政権に手が届いても、それを長期間維持して二大政党制に持っていけるかどうか非常に怪しい。
また小選挙区制は死票が多い。今後も投票率が上がる可能性が少ない中で、死票を増やすのは懸命ではない。民主主義の根幹に関わってくる問題である。
また現状、投票に行かないのが浮動票、つまりふだんは声をあげない者達である。維新は彼らの支持を懸命に集めてきたのではないのか?票を集めるので大変な浮動票を小選挙区制で死票に変えるのは懸命ではない。
だから私は、比例代表制、候補者を直接投票する必要があるなら中選挙区制が望ましいと考えている。もっともこれは現状、護憲派の延命策になるので、護憲派が壊滅してからという条件付きになるが。
そして中選挙区比例代表並立制、もしくは完全比例代表制が実現するなら、自分が徴兵されるリスクを冒して徴兵制に賛同してもいい。

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