坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。新ブログ「人の言うことを聞くべからず」+を開設しました。古代史、神話中心のブログです。

方言と平将門

私は地方に住んでいるが、今では二十代の若者は皆、きれいな標準語を使う。「方言を大事に」と言われて久しいが、方言が廃れる傾向には歯止めがかからない。このままいけば、数十年で方言は絶滅するかもしれない。
私の経験した話をしよう。同年代の人と今の若者の方言の無さについて話をした時、「あいつら何人?」などと、私は批判的な話をしていた。しかしある時、私より年配の、「し」を「す」と発音するのを聞いた時、私はたまらなく恥ずかしくなったのである。そして、なぜ恥ずかしくなったのか、その時はわからなかった。
考えた結果、村社会と同じ感情の働きだと気づいた。村社会は、あくまで自分と異質なものを排除する。そして自分よりネイティブな方言を恥ずかしく思うのは、結局は自分方言を誇りに思っていないということなのだ。
この問題は、単に「方言に誇りを持て」といって解決するものではない。テレビでもネットでも、使われているのはほとんど標準語であり、雑誌、書籍も標準語、会社の朝礼でも、上司は標準語で話す。私は小説を書いているが、小説を書く者の感覚として、セリフに方言を用いることは十分可能でも、三人称の文章を方言で書くことは不可能である。
つまり、こういうことなのだ。感情表現で方言を使えても、論理展開や客観性を持った文章には、方言は使えない。使う者が、「これは違う」と思ってしまうのである。
なぜそうなるのか?その理由が本人の人格の問題かといえば、決してそうではない。なぜなら標準語を使えば、誰でも論理的、客観的に話せるのである。もちろん本人が論理的、客観的に話す修練をしていて、論理的、客観的な表現をしたいと思えばだが。
方言で論理的、客観的表現ができないのは、もちろん文法に問題があるわけではない。ただ我々が普段から標準語を通じて多くの情報に接しており、論理、客観思考を標準語で行う習慣が出来上がっている。
しかし方言に村社会的な精神構造があるのは、東京を中心とした都市文化に対するコンプレックスである。方言が感情表現しか出来ないため、標準語へのコンプレックスが解消されない。
ならば強引にでも方言で論理、客観表現をすればいいかと言えば、私は無理だと思う。方言には、その土地の習慣や考え方などの無意識の蓄積があり、その無意識の蓄積が論理、客観表現を妨げているからだ。
方言にある無意識の蓄積とは、「目立たないようにする」とか、「人前で発言しない」とか、「周囲に合わせる」などといったものである。日本人全体の特質だが、やはり地方には特に強いのである。こういう無意識の蓄積は、論理、客観表現に慣れた標準語と比較した場合、方言には圧倒的に多い。一人または数人で、頑張って方言で論理、客観表現をしても、違和感は解消できないだろう。
繰り返すが、現状方言で論理、客観表現をする方法はない。しかしそう結論付けては無責任である。この問題を深く掘り下げてみよう。日本の精神文化にを知るには様々になアプローチがあるが、今回は、日本の民話から考察してみたい。
日本の民話によくあるのが、鬼退治の話である。
鬼退治の話は、ほとんどが子供が主人公として登場し、鬼退治をして物語が終わる。鬼退治の話が一回だけであり、話に広がりが無い。一寸法師に代表される「小さ子の物語」も同様で、話の広がりの無さに少々うんざりする。もっと違う話は無いかと探してみると、注目すべきものとして俵藤太の物語がある。
俵藤太は三上山を七回り半もする巨大なムカデを退治し、その後平将門を討伐する。この物語は大人が主人公であることと、妖怪退治が二回ある(平将門は陰の無い七人の陰武者がいて、一応人間でありながら妖怪じみた存在となっている)ことで、ギリシャペルセウスの神話を思い起こさせる。ペルセウス型の神話といえば、日本神話ではスサノオの話との類似が指摘されるが、スサノオヤマタノオロチ一匹しか退治していない。鬼、または妖怪一匹を退治して終わる民話には、成長を阻害する意志が働いているように思われる。子供が主人公の話、「小さ子の物語」も、同様の意志が働いているといえる。
ならばなぜ、俵藤太の話だけ、大人が主人公で、冒険、妖怪退治の繰り返しによる、人間の成長を暗示する物語になったのか。このように考えればいいのではないだろうか。つまり、俵藤太は平将門であると。
平将門は朝廷に反逆し、新皇を名乗り、関東に独立王国を打ち立てようとした。日本史上、朝廷に反逆した者も、天皇になろうとした者(と言われている者、足利義満など)もいるが、反逆し、天皇になろうとした者は、将門しかいない。当時の人々は、将門の突然の出現に何かを感じ、その感じた何事かを、後世に伝えようとした。しかし将門は逆賊であり、将門を主人公にした物語は作れなかった。そこで将門を倒した、俵藤太を主人公にした物語に変容していったのである。
しかしここに、物語を変容させた者達の精神の歪みもまた、感じられるのである。俵藤太物語を造った者達は、心のどこかで、将門の存在を迷惑に思ったのではないか。将門の強烈な存在により、自分達の思考や行動が変えられることを恐れたのではないだろうか。当時の社会が人々にとって苛烈なものであったとしても、人々は現状に安住することを選んだ。将門の記憶は、現状に安住した人々を内面から批判するものだった。だから将門の物語を俵藤太の物語に変えることにより、将門に抱いた憧憬を消そうとした。それが俵藤太の物語を生んだ背景ではないだろうか。
日本人は伊達政宗が好きだが、その理由は政宗が天下を狙いながら、幕末まで仙台藩を伝えたからだろう。逆に言えば、政宗が幕府と争って敗れたり、仙台藩が取り潰されていたら、日本人は政宗には見向きもしなかったかも知れない。日本人は強烈な個性と信念が一つになった存在に遭遇すると、その存在を過少評価しようとする。そして過少評価する一番の方法は、「この人物は時代の流れを読み取っていなかった」と評価することである。現に、我々は将門を無計画な愚か者だと思っていないだろうか。歴史や社会はある種の人々にとって不利な状況というのが必ずあり、それでも自らの欲求を見たそうとしてあがき、敗者の烙印を押される人が必ずいる。そのような人々を無能者扱いし、自らは社会に適合することを目指す。その繰返しにより、人は自らの真の願望を見失っていく。真の願望を見失った人の自我は弱くなる。弱い自我は、他のスタンダードにすぐなびく。昭和の頃まであった、地方の東京への憧れなどに、それが表れている。
私は、そもそもこの論考が必要なのかという問題を後回しにしてきた。私は、まずは知ることが大事だと考えている。私が述べてきたことを、意味がないと思う人もいるかもしれない。また意味があると思う人にとっては、現実の壁は厚く、問題を考えた場合に絶望するしかないかもしれない。しかし私が方言のある地方に生まれたことも、将門のいる日本の歴史を持っていることも、否定できないのである。日本人が積み重ねてきた無意識を逆転させるには方言も民話も将門も、否定しないことである。