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坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。新ブログ「人の言うことを聞くべからず」+を開設しました。古代史、神話中心のブログです。

「関ヶ原は家康が絶対勝てるいくさじゃなかった?」~歴史学の進展に逆行して見えるもの

近年、歴史学が大変進歩し、「長篠の戦いで鉄砲の三段撃ちはなかった」とか、「墨俣の一夜城はなかった」などの新事実が明らかになっております。このような歴史学の進歩は大変結構なことですが、問題なのは「関ヶ原の戦いは必ずしも家康が勝てるいくさではなかった」と言われていることです。西軍の方が大軍、小早川の裏切りや毛利の不戦傍観がなければ東軍は負けていただの、「客観的」な意見により、NHK関ヶ原を「家康が勝つべくして勝った」と言えなくなって、「家康が勝てたのは家康が西洋の甲冑を着けていたからだ」などと言い出したそうです。(鈴木眞哉「戦国時代の大誤解」)
関ヶ原の戦い」には、他に見られない、いくつかの特徴があります。それは、
1.小山評定山内一豊が「掛川城を提供する」と家康に言うと、東海三か国のだから大名が次々と城を提供した。
2.分隊、しかも名目上とはいえ、総大将の毛利が家康に内応していた。
3.小早川が寝返りを約束していたが、東軍不利と見た小早川が動かなかったので、家康が小早川の陣に鉄砲を射って威嚇すると、小早川は慌てて西軍に襲いかかった。
こんな戦史は、古今東西日本の関ヶ原にしかありません。
どんなに軍事学に精通し、客観的に分析しても、日本史には日本史の特徴があり、その特徴を捉えない限り、日本の歴史は分かりません。そして関ヶ原には、非常に強く日本史の特徴が出ております。歴史学が進歩したとしても、そのせいで、今の歴史小説が想像力を押さえ込まれているような気さえしてきます。
関ヶ原の戦いは、家康が勝つべくして勝った戦いでした。
そのことを説明するために、私は「天下人」という概念を提示したいと思います。
「なんだそんなの」と思うかもしれませんが、私の言う「天下人」には、信長は含まれません。私の言う「天下人」とは、天下が乱れた時、「次に天下を取るのは誰か」と人々が予測し合い、最終的に人々の予想がひとりの人物に集中し、日本の大多数の人々がその人物を押し上げ、天下を取らせてしまう。「天下人」がひとりに絞られる度合いは、日本人の同調圧力が働いていると思われるほどで、一度を除けば、乱世時に全て、「天下人」はひとりに決まっています(後述)。
この「天下人」の概念に一番当てはまるのが、足利尊氏です。南朝に京を奪われて、一年ほどで巻き返して九州から上洛するところなどは、「天下人」と見なされなければできない芸当ですね。足利尊氏は気前がいいことで有名ですが、気前がいいのも、天下人の特徴です。
幕末にも「天下人」はいます。坂本龍馬ではありません。西郷隆盛です。家康もそうですが、「天下人」はしばしば、自分が天下を取る人間であることをわかっています。鳥羽・伏見の戦いなどが典型で、将軍慶喜に「天領八百万石を朝廷に奉還せよ」と難癖をつけたところから始まっています。そして薩長連合で、三倍もの幕軍を相手に勝ってしまう。
しかし維新後、西郷は下野します。そして反乱します。再び「天下人」になろうとするのですが、敗れてしまうのは、相手が近代国家だからです。「天下人」が近代国家に敗れることで、「天下人」が武力で政権を握る時代は終わります。
源平の戦いだけは、「天下人」がひとりに決められなかった時代です。なぜなら、源氏か平氏か、どちらが「天下人」になるか、優劣を決められなかったからです。頼朝が天下を取ったのは、義経の功績ですね。
もう一つ、「天下人」はその時の既得権益者を味方にすることで天下を取ります。ですので天下が何度も乱れると、分権社会が進行します。そして「天下人」の権力は政権の初期から増大することはありません、漢王朝やフランスのカペー朝のように、弱体から集権化をすることはないのです。このような状況を変えて集権化するには、外圧があるか、信長のような「天下人」でない者が政権を取る必要があります。
そして日本人は、「天下人」に権威を絶対に与えません。権威とは支配の正統性であり、関白、征夷大将軍は支配の正統性を意味しません。権力の源泉が天皇にあるからです。古事記日本書紀により、天皇には日本を支配する正統性があります。権力と権威を分離した曖昧な形に安心感を見出だすのは日本人の特徴で、その点は現代の憲法の改正問題や、靖国参拝の問題などに表れていますね。