坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。新ブログ「人の言うことを聞くべからず」+を開設しました。古代史、神話中心のブログです。

テレプシコーラはホラー~書評『舞姫 テレプシコーラ』

f:id:sakamotoakirax:20140429053135j:plainホラーの名手として有名な山岸涼子だが、名作『舞姫 テレプシコーラ』もホラーの要素があることは、あまり語られない。この作品は、主人公篠原六花が子供らしい愛らしさを示しながら成長する正の面と、不安を掻き立てられ続ける負の面がある。この負の面は中盤からカタストロフィを予感させていき、正と負がもつれ合いながらラストに向かっていく。そして正と負のもつれ合いこそがこの作品の基本構造であり、基本構造さえ成り立っていれば、多少ストーリーに関連しない部分があっても、作品の完成度が下がらないという、実に珍しい構造である。
作品の完成度が下がらないのは、登場人物をバレエで繋げた群像劇の要素があるためでもあるが、何より驚かされるのは、序盤において圧倒的な存在感を示した須藤空美が、途中で姿を消して、最後まで登場しなかったことである。実は須藤空美とは、負の面を担当した、構造上の「道具」なのである。須藤空美の不条理な退場により、そして退場後に復帰しないことで、読者は更なる不幸を予感していくのである。
主人公の姉、篠原千花が靭帯切断の重症を負った時は、読者は当然千花の回復を願う。しかしそれでは、千花の破滅を描けない。千花を破滅に導くために、須藤空美は誕生したのである。
そうして完成した『舞姫 テレプシコーラ』が描き出したもの、それはバレエの全てである。プリマを目指す少女の栄光と転落、バレエの将来に悲観する少女の才能の開花と成長、二人の姉妹の間で、光と影が入れ替わり、更に二人の周囲に、バレエに賭けながらも挫折していく少女達を配して、高密度な作品に仕上がっている。世の中には、主役どころか、脇役としても描けない人物が大勢いるが、そのような人々を作品に登場させる苦心をするのも、作家の使命である。『舞姫 テレプシコーラ』がなければ、バレエマンガの主役は未だにプリマを目指す者だけのものだったかもしれない。
第二部で、須藤空美ではないかと思わせるローラ・チャンが登場するが、 ローラは自らの正体を明かすことなく、すっきりしないラストとなっている。第二部自体が本来蛇足なのだが、山岸としては、第二部でローラ・チャンの正体を明かして、「ここに話を持ってきたかったんだ」とは言えなかったのだろう。元々「道具」として配した須藤空美を、ストーリーの環の中に入れてしまえば、正と負の交錯を基本構造とする第一部の構造が崩れてしまう。安易なヒューマニズムに流れなかった山岸は正しい。第三部を書いていないのは正解である。