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坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。新ブログ「人の言うことを聞くべからず」+を開設しました。古代史、神話中心のブログです。

たったの一戦でこんなに変わった!?~関ヶ原に見る日本人の精神

関ヶ原の戦いで改易となった大名は110家、377万3千石。減封となった大名は七家(豊臣家も含む)、365万九千石。合わせて743万2千石の領地が召し上げられた。この所領は178人の大名に分配され、徳川家は255万石から一挙に400万の身代にのし上がった。(ウィキペディア関ヶ原の戦いの戦後処理』より)
ここまで調べて、私は思う。ーーたった一度の戦いで、これほど多くの大名が、領地を奪われるものだろうか?
もちろん、一度の戦いではなく、関ヶ原の本戦の他に、北は東北から西は九州まで、日本中で戦いは行われていた。しかし本戦の終了で、西軍の多くが大勢に準じていく。
なるほど確かに、命は大切であろう。しかし負ければ、全てを奪われるのである。遠国であれば、地の利を生かして、東軍と徹底交戦し、自分達の権利を家康に認めさせるようなことがあってもいい。伊達政宗などは、関ヶ原後もそういう展開になるのを期待していた節がある。しかし西軍で徹底交戦し、本領を安堵したのは、島津だけだった。

室町時代までは、そうではなかった。
将軍と争うことになっても、大名達は力の限り戦い、最後には城を枕に討ち死にした。室町幕府最盛期の将軍と言われる足利義満の時代でさえ、応永の乱明徳の乱「乱」の字がつくように、戦いがあった。足利義教のように、大名に殺されてしまう例もある。極めて独裁的な支配者だった織田信長でも、荒木村重のように、処罰されるより抵抗する例の方が多い。

流れが変わったのは、秀吉の頃からである。
信長の継承者となった秀吉の地盤は、国人・地侍は信長の一向宗との戦いで力を削がれ、多くの土地が指出(農地の生産高を申告すること)を受けた地域だった。秀吉はこの地域で検地、刀狩を行った。
検地といっても、日本全土の農地を測量したわけではなく、越後のように測量されない地域も多くあった。また刀狩も、刀以外の武器の所有が禁じられたのではなかった。
秀吉は緩急自在で、検地により、生産高の調査と武士による農村の直接支配を進めたように見せて、多くの地域で、従来の権益を認めていった。
また、検地により直接に利益を得たのは武士、特に大名である。多くの大名の農業収益が二倍以上になった。一方、豊臣家の直轄地の石高は222万石。255万石の徳川氏より少なく、他に上杉や毛利など、120万石を有する大名もあった。
秀吉の力は、相対的なものだった。私は日本人の同調性により、乱世でも次の天下人が一人に絞られることを、以前指摘した。
http://sakamotoakirax.hatenablog.com/entry/2014/03/30/205119
この点秀吉は典型的な「天下人」である。「天下人」の勢威は相対的なもので、時代が進むほど弱体化する傾向があった。
しかしほとんどの大名は、「秀吉には敵わない」と思ったようなのである。

徳川幕府ほどではないが、秀吉も大名の改易を行っている。
織田信雄から尾張、伊勢を取り上げたのを皮切りに、豊後の大友義統豊臣秀次、また改易ではないが、小早川秀秋の30万五千石から15万石へ、蒲生秀行の92万石から12万石への減転封なども行っている。
このような処置に抵抗を示した大名はほとんどいない。そして関ヶ原で多くの大名が改易、減封され、徳川幕府の強固な大名政策に受け継がれていく。

徳川幕府の勢威も相対的なもので、全ての大名が全く抵抗できないほどのものではなかった。しかし徳川幕府により、世界史上稀な265年の泰平の世が築かれたのである。
徳川幕府の統制法は、新規なものを求めないように人々を導いていくことにあった。そのためこの時代、人々は急速に思考を停止させていく。
そもそも石高制は、貨幣が実質存在しない時代、米が主要な交換手段であったことを反映したものであった。しかし寛永通宝が流通し、商品経済が確立した後も、武士は米にこだわっていく。商品経済により米の値段が下がり、現金収入を増やす政策を唱える者が現れると、周囲は「奸臣」として、その者を陥れていく。その者が大名ならば、「主君押し込め」をし、息子ならば乱心と藩に届けたり、殺したりする。

ここまで書いて、思うことがある。日本の歴史は、権力者に大きな権力を持たせない歴史であった。しかし権力者に大きな権力を持たせないことが、すなわち自らの権利の追求の弱さに繋がっているのではないか?
周知のように、日本では天皇は権力を持ったことがほとんどなく、権力者は権威、すなわち権力の正統性を持たない。この権力と権威の分離が、分散的な日本の権力構造の秘訣だった。しかしこの権力構造こそが、被支配者の権利の追求を弱めるという逆説的な精神構造を形造ったのではないか?

世界の歴史を見ると、権力者は自らの権力の正統性を形造るのに非常に苦労している。そして歴史上に、必ずといっていいほど強固な権力を打ち立てている。もちろんその裏には多くの災厄があるのだが、だからこそ人々は、自らの権利を守ろうと努力するのではないか?
私はここまで書いて、特攻隊のことを想起する。つまり、権力者に正統性を求めない社会に育った者は、何ら正当性のないことで死を強要された時、それを受け入れるようになるのではないか?およそ人類の歴史で、特攻隊の死ほどに意味のない死はなかった。もっとも当時の国家権力は強大だったが、天皇にどれだけ権力があったかは、甚だ疑わしい。
http://sakamotoakirax.hatenablog.com/entry/2014/02/03/004321