坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

「従軍慰安婦の強制連行は事実無根」は事実無根!!

ネットを検索していると、時々「従軍慰安婦の強制連行は事実無根」などと書かれているものをよく目にする。一体どういう人達なのだろう。戦前の日本軍を、女を知らない清らかな童貞集団だと思っているのは。
そもそも聖なる童貞など、人類史レベルでもキリスト一人いれば充分であり、集団で、しかも殺人を行う組織が性的に、かつ聖的に清らかであったと声高に主張されても、なにやら日本男子の生殖能力を否定されているようで、この少子化日本において、不利益極まりない発言だと言わざるを得ない。

どーも!!坂本晶です。従軍慰安婦問題についてはズブの素人です!!そんな私が従軍慰安婦問題の記事を書いたのはもちろん、『河野談話の検証報告書』の件があったからです。これからこの報告書のイイカゲンさを暴いていきます!!

さてこの報告書、別に従軍慰安婦の強制連行がなかったことを証明する報告書ではない。きっちりその点は、断りを入れている。要するに、政治的背景により河野談話が出来上がったことを主張していること、そして河野談話発表の時点で、従軍慰安婦の強制連行等を裏付ける資料は無かったことを報告しているに過ぎない。
それ以上、何を言いたいのか、この報告書からは見えてこない。アジア女性基金の話など、なぜ盛り込まれているのかがわからず、この報告書の趣旨を不透明にしている。
趣旨が不透明な場合に内容の真意を理解する有効な手段の一つとして、「始めにどのような意図を持って書かれたのか」を考える手法がある。それをやってみよう。当初の目的はもちろん、「従軍慰安婦の強制連行は無かった」と結論付けたかったと考えるのが妥当だろう。ここから出発して、最後にどんな結論になったのか。

アジア女性基金の話は、韓国政府の要請を受けながら、日本政府が試行錯誤をしたうえで、最終的に基金を廃止した経緯が書かれている。日本政府が真摯に対応したのに、韓国の被害者団体から受け入れてもらえなかった、という流れだが、韓国側の視点に不足し、なぜ被害者団体が日本の対応を受け入れないのか見えてこない。しかもアジア女性基金の話でありながら、内容が韓国のことに絞られている。他の国では「概ね肯定的な評価だった」と述べている以上、アジア女性基金自体は成功した企画であり、一国のみの失敗例である韓国の話をしても、アジア女性基金自体の評価は覆らない。このあたり、アジア女性基金を検証する建前をとりながら、韓国嫌いの感情がむき出しになっている。
報告書の作成者も、このままでは客観性を欠くと思ったのか、

《(2)フィリピン,インドネシアやオランダでの「基金」事業では,相手国政府や関連団体等からの理解や肯定的な評価の下で実施できたところ,韓国では,韓国国内における事情や日韓関係に大きく影響を受け,同政府や国民からの理解は得られなかったものの,「基金」事業を受け取った元慰安婦からは,日本政府から,私たちが生きているうちに,このような総理の謝罪やお金が出るとは思いませんでした,日本のみなさんの気持ちであることもよく分かりました,大変有り難うございます,とするお礼の言葉が寄せられた。
(3)また,一部の元慰安婦は,手術を受けるためにお金が必要だということで,「基金」を受け入れることを決めたが,当初は「基金」の関係者に会うことも嫌だという態度をとっていたものの,「基金」代表が総理の手紙,理事長の手紙を朗読すると,声をあげて泣き出し,「基金」代表と抱き合って泣き続けた,日本政府と国民のお詫びと償いの気持ちを受け止めていただいた,との報告もなされており,韓国国内状況とは裏腹に,元慰安婦からの評価を得た》

と締めくくっているため、これが結論のようになっている。基金の金を受け取らない人々との差別化をしたいのだろうが、この結論の上に立って、従軍慰安婦の強制連行を否定するなどは、永遠に不可能だろう。これが、「戦前の日本軍を童貞集団」だと思いたかった者達の出した結論である。

この報告書の作成者達に、強制連行の事実があったのかを検証しようという意思はない。現在も、強制連行の裏付けとなる証拠、証言は見当たらないようだが、そのことが、検証者達の自信になっていない。強制連行を否定したければ、調査して証拠がないことを証明すればいい。裁判のように、証拠を隠蔽して都合のいい事実を並べればいいという考えが、末尾において強制連行を認めてしまうという矛盾を生じさせたのである。

第二次大戦中、連合国側にも、性犯罪はあった。戦争のあるところに性犯罪があるのは、アプリオリなものである。戦争は狂気を生む。狂気を発散するには、私娼や公娼では足りない。
逆に言おう。戦争で、性欲を完全に抑制された兵士など、人どころか虫も殺せない。私は「従軍慰安婦の強制連行は事実無根」をはじめ、太平洋戦争を肯定的に捉えようとする向きには不快感を感じているが、従軍慰安婦の強制連行を否定したい者達は、「十五年戦った日本兵達は、虫も殺せない兵士だった」と言いたいのだろうか。

なお、「河野談話の検証報告書」を受けて、韓国軍は竹島で射撃訓練を行い、日本政府は「遺憾」と表明した。
竹島国際法的に、日本に所属すべきであることは、私も承知している。
しかしそれでも無駄なのである。なぜなら日本は、平和憲法を守るために、竹島を犠牲にしたのである。このことは既に、『平和憲法のために竹島を失った!?~戦後の終わり』で書いた。http://sakamotoakirax.hatenablog.com/entry/2014/04/09/005953
守る気のない、取り返す気のない領土の権利の主張など、取られた側の自己正当化、つまり言い訳である。「河野談話の検証報告書」をよく吟味せずに過激な行動に出る韓国は、いわば言い訳の材料を提供したにすぎないのだが、それに合わせたように反応する日本政府の姿は、「お似合い」である。