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坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。新ブログ「人の言うことを聞くべからず」+を開設しました。古代史、神話中心のブログです。

戦争責任のリアリズムとヒューマニズム

16世紀ルネサンス期のイタリア、教皇アレクサンデル6世の庶子チェーザレ・ボルジアは、教皇の子としての立場を利用して、中部イタリアの征服を目論んだ。チェーザレの謀略は凄まじく、同時代のフィレンツェマキャヴェッリが、チェーザレの行動に触発されて『君主論』を著したほどだった。
チェーザレは征服した地域の元の君主の血筋の者を全て根絶やし、あるいは追放して、まだ日の浅い自分の王権を確立しようとした。ファエンツァの君主アストールは、チェーザレに降伏した後、チェーザレに心酔し、チェーザレに常に従うようになったが、ファエンツァ攻略に手を焼いた記憶を忘れなかったチェーザレは、ファエンツァを完全に自分のものにするために、一年後、アストールを殺した。

最初にお断り。今回の話はチェーザレのことではない。戦争責任の話である。
チェーザレの話をした理由は、チェーザレの悪の清々しさにある。彼の国はすぐ滅び、チェーザレ歴史を造り出すことができなかった。そのチェーザレが現代も人々を魅了するのは、その徹底した悪に、人々が清々しさを感じるからだろう。
その清々しさは、リアリズムに裏付けられている。戦争も謀略も政治の一環である以上、チェーザレを例に引くことは可能である。

戦争と謀略が共通し、戦争に徹底したリアリズムが必要なら、はたして「道義的な戦争」というのはあるのだろうか。
そんなものはない。それが答えである。全ての戦争は悪を生じさせる。悪を生じさせない、騎士道試合を拡大したような戦争など、行えるはずがない。
最近、戦争における非人道性を批判されることが多いが、このような事件を見てると、逆に戦争に倫理を求めることの虚しさを感じさせられる。
パレスチナで、ハマスが学校や病院に武器を持って立て籠り、それをイスラエル軍が攻撃することで、イスラエルは世界中から非難されている。学校や病院に武器を置くことは、国際法で禁じられている。しかし国際法違反も、貫けば正義に転じてしまう。

第二次世界大戦、太平洋戦争後の世界も、戦勝国が常に国際法に則っていたわけでも、敗戦国に戦争の正当性がなかったわけでもない。最近は従軍慰安婦の問題などで、日本の戦争責任を見直す論議があるが、このような意見に我々が不快さを感じるとすれば、それは冒頭に述べたチェーザレのような、清々しさを感じないからだろう。

戦後の戦争責任に異を唱えることは、極論すれば、戦後の世界秩序を壊すことになる。
あくまで極論であり、実際に秩序の破壊、または日本の孤立という事態には、現状なっておらず、それなりに秩序は維持されている。
日本が孤立しないのは、アジアで韓国や中国を敵に回すたびに、アメリカに譲歩する、または譲歩する姿勢を見せているからである。
TPP交渉において、将来的に、日本は農業を自由化するかもしれない。安倍首相が、農業分野で関税を撤廃しないと主張しながらも、なおアメリカは、日本に関税の撤廃を求めてくる。そうなるのは、交渉の余地を残さないと、アメリカに完全に見放されるかもしれないからではないか?
私は、競争力の弱い農業は、自由化すべきではないと思っている。これは私見であり、、農業自由化論者には無意味な話だが、本来東アジアで地位を築いてこそ、アメリカに主張できるのだが、韓国や中国と対立することで、日本はアメリカへの依存を強めている。

では、戦争責任に全く異を唱えるべきではないかといえば、そうではない。秩序は決して硬直的なものではなく流動的なものであり、また個別具体的な件では、証拠が挙がらないのに責任を感じ、謝罪することはない。
しかし個別には証拠主義でよくても、総論においては、リアリズムが必要である。最近の戦争責任に関する意見は、それが日本人のプライドを取り戻し、日本が独自の外交を展開できるようになるというところまで、話が飛躍している。しかし従軍慰安婦の強制連行を事実無根とまで言うことが、はたしてプライドの復活と、外交の独自性を持つことになるのだろうか。疑問に思うのは、リアリズムを感じないからである。

また、戦争責任が、国益だけの、血の通わないものかといえば、そんなことはない。純粋なヒューマニズムの発露だってある。戦争で被害を受けた者に同情する。これはヒューマニズムである。ただ我々が対戦国だから、謝罪なしには同情できないのである。
私は『「従軍慰安婦の強制連行は事実無根」は事実無根!!」において、


戦争で、性欲を完全に抑制された兵士など、人どころか虫も殺せない。私は「従軍慰安婦の強制連行は事実無根」をはじめ、太平洋戦争を肯定的に捉えようとする向きには不快感を感じているが、従軍慰安婦の強制連行を否定したい者達は、「十五年戦った日本兵達は、虫も殺せない兵士だった」と言いたいのだろうか。


と書いた。http://sakamotoakirax.hatenablog.com/entry/2014/06/29/212906
未だに「戦前の日本軍は敵を殺せて、性欲を完全に抑制できたんだ」と述べるコメント者は表れないが、仮に居たとしよう。もし事実であれば、戦前の日本軍の兵士は人格者揃いである。
その子孫である我々が、従軍慰安婦の存在を示す証拠が否定されるたびに、「やっぱり事実無根だった」と飛躍して大喜びする様は、はたして先祖の偉大さを示すものだろうか。戦争責任を見直す動きは、リアリズムとヒューマニズムの両方を日本人から失わせている。

この記事は、朝日新聞吉田清治の証言を撤回したことと、それに対する世間の反応を見て書いた。私は未だに従軍慰安婦問題については素人だが、ここに強制連行があった証拠を載せておく。
http://www.asahi.com/sp/articles/ASG7L5Q40G7LUTIL045.html