坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。新ブログ「人の言うことを聞くべからず」+を開設しました。古代史、神話中心のブログです。

私が「和」を嫌いになった理由(前編)

もう十年以上前、私が先物業界に勤めていた時のこと。
私は大阪にいた。ある時、私のいた支店のみんなで会社を辞めて、新しい会社を立ち上げようという話になった。
支店の大多数の人々が、一団となって会社を渡り歩いていくのは、先物業界ではよくあることだった。私は移りたくなかったが、直の上司Dに説得され、会社を辞めて移動した。
移った会社は、これから新しく立ち上げる会社だった。
その会社に、女の子がいた。もちろん新入社員、事務の子だった。
その女の子Eは、私の顔を見るなり、ぼおっとなった。
当時、私は二十代の後半、
(あっ、これはいけるな)
と思った。
会社は立ち上げたばかりで、業務は始まっていない。そのうちEに声をかけようと思いながら、のんびりと過ごしていた。

ところが、

上司Dが、その頃付き合っていた女と別れた。
上司Dは私より5つ下で、自称イケメン(いや、本当に顔は良かった)仕事はできる。
また私の数字が上がらないと、よく殴った。
上司Dは新しい会社に移った際に、引っ越しをした。2LDKの部屋である。
ただの2LDKではない。やたら広い。二人で住むにも広すぎる。
「こんな広い部屋で、一人になったら寂しくなりますよ」
別れ話が進んでいるのを知っていた私は、上司Dに言ったが、上司Dは聞かなかった。
悪い予感は的中した。彼女と別れた上司Dが、Eに目をつけたのである。
何かの用事で我々のテーブルまで来て、帰っていくEに、上司Dが熱い視線を投げかけている。
(まずいなあ)
Eが上司Dと付き合えば、当然、私は手が出せない。

それからしばらくして。
「…好きな人がいて、その人のことを相談したくて誘いに乗ったって言うんですよ」
上司Dが、他の上司達と話しているのが聞こえてきた。
私はその輪の中にいなかったが、声はしっかりと聞こえた。
(よく俺に声が届くところで、そんな話ができるもんだな)
と、私は思った。

さらに数日して、私は上司達と会食をしていた。
上司Dが、セックスの話をしている。聞いているうちに、相手がEのことだと分かってきた。
私はうちひしがれた思いを表に出さないようにして、家に帰った。
翌日、上司Dが吹聴したのが、女の子Eの耳に入ったらしい。私が廊下に出ると、女の子Eが立っていて、私に視線を投げかけてきた。
私は、目を合わせないようにした。
その後も、私とEはしばしば目が合った。Eは甲斐甲斐しくも、灰皿を片付けたり、夕刊を私に届けたりした。
その日も、Eは私の灰皿を片付けてくれた。
私はEの後ろ姿を見た。
次に、上司Dの灰皿を見た。上司Dの灰皿は、片付けられていない。
(ーー一度だけ、助けてやるか)
と、私は思った。

翌日、
朝早く出社した私は、女の子の机の中にメモを入れた。
文面は思い出せない。「君の態度次第では、上司Dのことは俺がなんとかしてやるよ」みたいな、上から目線の気取った文章だったと思う。
仕事が始まり、昼近くになった頃、
「坂本さん、これって何ですか?」
と、満面の笑みを浮かべたEが、私のメモを持って訪ねてきた。
(わっ!馬鹿!文面よく読んでねえのかよ!)私は黙って、メモを受け取った。というより、取り上げた。
女の子Eがその場を去ると、
「ーーおい、何だ?それは」
案の定、上司Dが問いかけてきた。
私は、しぶしぶメモを渡した。
昼休み、私はボコられた。
ボコられた後、会社に戻ると、廊下にEが立っていた。
女の子Eは私と目を会わせなかった。
私も目を合わせずに女の子Eの前を通り過ぎた。
仕事が終わり、また女の子Eの話になった。
「ーーお前じゃ敵わねえだろ?女の子Eは俺のところにメモ持ってくるんだから」
上司Dは嘘をついた。
こうして、私は横恋慕男になった。

その後、Eの話は私の耳に入ってきた。曰く、
「上司Eの部屋を出た後、真夜中に舞い戻ってきた」
「『親に会って』と上司Dが女の子Eに言われた」
などである。上司Dが吹聴して回り、私の耳に入ることもあれば、上司Dが直接私に言うこともあった。
そのような話を聞いて、私は言った。
「Eは悲惨な辞め方をするでしょうね」
もちろん上司Dに言ったのではない。上司Dとやや疎遠な、他の上司に言ったのである。
結局、1ヶ月ほどで、上司DとEは別れた。
「子供はもういい!」
と、上司Dが叫んでいたのを覚えている。

「ちらちら女ばっかり見てんなや」
そう上司Dに言われて(事実よく見ていたのだか)、壁の前に机を置かれ、他の一切に背を向けた形で仕事をさせられた。
これはかなり屈辱で、確か二、三日で「辞める!」と叫んでいたと思う。
上司Dの上の部長からも、女の子Dのことでは言われた。
「そうは言っても、Eには上司Dじゃなくて好きな人がいたんでしょ?」
私は反論した。
「坂本、お前勘違いしてないか?お前は上司Dのようにモテるんか?何ならEに本当のことを聞いてやろうか?」
部長は聞いたことに答えなかった。
やがて、新しく事務に女子が入ってきた。
「坂本、お前女に声かけるなよ?お前が女に声かけると問題になるんだからな?」
上司Dは私に釘をさしてきた。
私は、女にモテなくて、声をかけるだけで問題になって、そのくせ常に勘違いしている男になっていた。
(というより、そういう男でなければいけなくなっている…)
私が真実だと思うことと、周りが言うことは、完全に真逆になっていた。
私は、例え何人が私を間違っていると言っても、自分を正しいと思っていい場合があるのだと、この時思った。

このような目に合って、私が会社を辞めなかったのは、私に借金があったからである。
借金をした事情については触れない。ただ相当な額の借金があり、もう新規の借入ができなくなっていたことと、また一時滞納したため、借りている会社からは借入ができない状況になっていたことを延べておく。会社を辞めて実家に帰ろうと思っても、家に帰る資金が作れない。
また、大学を卒業して先物業界に入った私は、他の仕事をすることが考えられなかったことも、会社に留まっていた理由である。
また、この会社は給料が高かった。手取りで毎月二十四万くらい貰え、数字が出なくても、借金が返済できた。
給料が高いのは会社を立ち上げる時、オーナーに都合のいいことを吹き込み過ぎたからで、事務の女子でも、初任給で二十万以上貰っていた。この会社は、立ち上げたばかりだという空気が希薄で、ゴージャスで退廃的な雰囲気が漂っていた。その変わりノルマは次第にきつくなっていった。

しかし、書いていて痛感することは、この頃どんなに私のの自我が弱かったかということである。
この頃の私は、会社の人間関係が、破綻しているとさえ思わなかったのである。
「お前のために言ってんやぞ」
と言われれば、それを信用していた。恋愛の面ではなく、仕事の面で。
「俺達仲間だからさ」
と言われれば信じた。あくまで仕事の面で。
今、私はこの頃に、充分な自我を持っていなかったことを悔やむ。例えその自我をもって現状を変えることができず、一層の絶望を招いたとしても。
(つづく)