坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

沖縄県知事選挙、開票前に

日本は主権国家である。国家主権とは、自国の進む道を自分達で決めることができる権利である。
しかし国家主権が、最終的に軍事力によって支えられているとすれば、憲法九条により交戦権を否定している日本は、実質的に主権国家ではない。
名目的にではない。実質的にである。
周知の通り、日米地位協定は日本国民の権利を脅かす不平等なものである。
さらに、在日米軍裁判権放棄密約がある。
この密約は、日本が有事の際、日本は裁判権を全面的に放棄するという内容である。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%A8%A9%E6%94%BE%E6%A3%84%E5%AF%86%E7%B4%84%E4%BA%8B%E4%BB%B6
このような密約を結んだ自民党政権は、日本が主権国家でないことを知っていた。そしてそのことを隠していた。しかし日本国民も、密約を知っているかどうかにかかわらず、無意識に日本が主権国家でないことを感じている。大澤真幸が『不可能性の時代』
で述べたように、アメリカは天皇に替わる「第三者の審及」であり、どんなに自立を目指しているように見せても、結局日本人は、アメリカに追随するしかないと思っている。
そして日本人は、日米地位協定在日米軍裁判権放棄密約をただ甘んじて受け入れているわけではない。日本人は、在日米軍の負担のほとんどを、一部の地域に押し付けている。言うまでもなく、在日米軍基地の78%がある沖縄である。

この記事を書くに当り、私は10月に行われた、スコットランド独立住民投票を念頭に置いている。独立には至らなかったにしろ、賛成44%という高さを示したこの住民投票は、世界レベルでの民族自決の可能性を高めた。
もう1つ念頭にあるのは、沖縄県知事選挙である。
沖縄県知事選挙は、現在辺野古への基地移設に反対を表明する翁長氏が優勢である。

沖縄にも、琉球独立運動がある。しかし少数派である。
沖縄はスコットランドとは違い、独立しようとはほとんど考えない。しかし現在はそうだということであって、将来独立運動が高まらないとは限らない。
現在は、独立の方向に向かうよりも、基地問題にベクトルが向かっている。沖縄の基地問題を改善しない限り、基地問題に向かっていたベクトルが、独立運動の方に転換する可能性がある。
沖縄が将来、独立の方向に向かうかどうかは、私にもわからない。重要なのは、沖縄独立の可能性の高低にかかわらず、我々がその可能性にあぐらをかくかどうかである。

本土の人々は、沖縄の基地問題について何をしてきたか。
沖縄米軍基地の撤退を求めた。しかし憲法九条を盾に、日米安保を破棄すべきという論理で、である。
彼等、進歩的文化人と言われた人々はわかっていた。日本が日米安保を破棄することがないことを。その上で進歩的文化人は、日米安保破棄という無理難題を唱え、沖縄のためにしているふりをしてきた。本音は本土に米軍基地を持って来たくないだけだった。
沖縄の米軍基地の多くを本土に移設すれば、日米地位協定を対等にとはいかなくとも、大幅な改善が期待できるだろう。しかし進歩的文化人、いや多くの日本人は、現状を凍結することを望んだ。
日本が主権国家であるふりをするために。いや、個々人が自立した個人、日本国民であるふりをするために。
日本人が戦略性に欠けるという指摘はよくある。その通りなのだが、戦略性に似て、しかもしばしば戦略性と逆ベクトルに向かっているものが、日本人にはある。
それは自己正当化に特化した戦略性である。戦略性は本来、生存や物質的欲望などから生じるものだが、自己正当化に特化した戦略性は、生存や物質的欲望を抑圧し、最終的に死に向かう。
私は日本人の破滅思考というものを、『水戸学の成立から観る日本人の精神』などで指摘しているが、この破滅思考は、自己正当化の戦略を繰り返すことで出来上がるのである。
http://sakamotoakirax.hatenablog.com/entry/2014/10/20/021952

ネット右翼が、沖縄の米軍基地問題で、沖縄からの移設、基地撤退に反対を表明するのは、進歩的文化人の自己正当化の擬装が解かれて、本音が剥き出しになった姿である。憲法、沖縄米軍基地問題において、真っ向から対立しているようにみせながら、二者の精神は同根であり、議論の進展を妨げるためにスクラムを組んでいる。

私は、沖縄県民が独立を目指した場合、それを妨げる気はない。
しかしだからこそ、一個人、いや日本国民として、沖縄県民の負担を軽減するために、沖縄の米軍基地の多くを本土に移設するべきだと考えている。沖縄の戦略的重要性を考えれば、均等とはいかないだろう。しかしいままで負担を沖縄に押し付けていた分それこそ「我が家の隣に」という心境でこの問題に取り組まなければ、沖縄県民の心は、日本から離れていくだろう。