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坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。新ブログ「人の言うことを聞くべからず」+を開設しました。古代史、神話中心のブログです。

『NANA』は日本人の人間関係を変えた。

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私はこのマンガを見た時、「現実にこんな頭のいい奴らはいない」と思った。
別にタクミやヤスのような、格別に頭のいいキャラだけではなく、ハチやノブといったアホキャラさえ、私の知ってる人よりずっと頭がいいと思ったのだ。
もちろんそれは連載当時、単行本を買って読んでいた時のことであり、今もそう思っているわけではない。

NANA』の欠点は、ストーリーが見えづらいことである。
その理由のひとつはタイトルのせいで、二人のナナの物語で、二人のナナが早期に同居することから、ストーリー無用の同居生活が続くと読者に思わせている。
その印象が強烈なのは、二人の主人公が同じ名前だからである。
それが中盤、ハチの妊娠、タクミとの婚約で、二人の同居生活が終わると、読者としては裏切られた感じになる。
ここで二人のナナの気持ちが徐々にすれ違って行くのだが、ラストが大崎ナナの失踪(未完のため、失踪するところまでは描かれていない)、そして二人のナナの再会であるのが随分と遠く、表面的に良好な二人のナナの関係、またカタストロフィに向かうまでの伏線が複雑過ぎるため、話が見えづらいのである。
これが私の読解力の問題かと言われれば、あるいはそうかもしれない。複雑なストーリーから直感で構成を読み取り、感動した読者もいて、それが大ヒットに繋がったのかもしれないが、私の見る限り、『NANA』のヒットの理由はもうひとつある。

NANA』のキャラがみんな頭がいいと冒頭で言ったのは、全てのキャラが相手のことを考えて行動しているところである。


信じてた人に裏切られたショックってそー簡単に消せるものじゃないし……だからもしかしたらノブも新しい彼女が出来たとしても、同じように辛い想いを引きずるんじゃないかな

 


あたしはタクミを選んだけど、ノブを本気で好きだった事も嘘じゃなかったって……ちゃんと話して分かってもらう事があたしにできる唯一のつぐないかもしれないよ……でもそれって結局自己満足?よけい傷つける?どう思う?淳ちゃん…

 

ハチのノブへの心配は杞憂、というよりほとんど話にならなくて終わるのだが、成功、不成功は問題ではない。相手にとって何が一番幸せなのかをひたすら考えていく、その姿勢が現実の人間よりも頭が良く見えたのだ。
人と衝突する時もそうで、登場人物達は人をからかう時もあるが、相手が怒ると「ごめん」と頭を下げる。

NANA』を『めぞん一刻』と比較してみるといい。
一刻館の住人は、試験勉強で追い込みをかけている五代の部屋に上がり込んで宴会を始める。
「気が散って勉強できん!!」
と五代が言えば、「人のせいにして」と言い返す、なんとも迷惑な住人達である。
彼らの迷惑の基準は、自分達にある。人が「迷惑」と言っても、自分達が「大したことない」と判断すれば、その基準を相手に押し付ける。
五代は音無響子と結婚した後も、一刻館に住み続ける。「変人揃い」と言われた一刻館の住人達は、結局は平均的な日本人像だった。
NANA』の価値基準は自分にあり、冗談も相手への干渉であり、相手が受け入れなければ引き下がる。
そして『NANA』以降、『めぞん一刻』のような自分の価値基準を押し付けるキャラは消えたか、あるいはなんらかの悪人として描かれるようになった。
NANA』連載当時、日本人がそのような人達だったということはないが、若干でも『NANA』の登場人物達のように振る舞い、また『NANA』の登場人物達を多くの人が理想型にしていたのである。この点、『NANA』は日本人の人付き合いを根本的に変えたのである。

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