①どのようにして日本型ファンタジーは生まれたのか。
②日本型ファンタジーはどのように展開、発展するのか
。 と
『進撃の巨人』を考える④~日本型ファンタジーの誕生① - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」
で述べたが、前回②を先に書いたのを言い忘れた。今回は①を語ることにする。
は私が最初に書いた記事で、タイトルをつけ忘れてそのままにしていたものである。
この記事にあるように、日本の民話では子供が鬼退治をして終わる話が溢れている。しかも鬼退治は一回きりで話が続かない。
一方俵藤太の物語は、ムカデ退治と平将門討伐という二つの戦いがあり、大人が主人公なことも「小さ子」の物語とは違っている。
それで俵藤太物語とは、真の主人公は平将門であり、将門の強烈な個性が神話化したものだが、逆賊の将門を主人公にできなかったので、将門を討った俵藤太を主人公にしたものであると見た。
英雄の冒険は英雄の成長を表すものであり、「小さ子」を主人公にして、鬼退治を一回するだけで終わる日本のおとぎ話は、成長を阻害する意思が働いている。
日本のおとぎ話は、室町時代にはほぼ出揃うが、江戸時代になると、日本の妖怪が現在の形に定着する。その姿はどこか愛嬌のあるキャラクターになっていく。
河童なども、江戸中期までは毛むくじゃらの猿のような姿だったらしい。
河童が尻子玉を取るのは、人が溺死すると肛門が開くことから生まれた話だが、それが男色譚に変わったりする。
その結果、妖怪話で妖怪退治の話は、相対的に少ない。妖怪は妖怪退治の話になりにくい姿や性格を、特に江戸期以降持っていく。
もっとも江戸時代にはその姿がはっきり描かれないものもあり、水木しげるがデザインした妖怪もいる。油すましなどである。
逆に、デザインが江戸時代に定着していて、どういう妖怪なのか全くわからないものもいる。豆腐小僧などである。
一方、ファンタジー要素のある作品で勧善懲悪を担うのが怪談のようである。殺された人物が霊となり、殺した人物をとり殺す。そのような幽霊復讐譚が、怪談の基本形である。
怪談は日本の怨霊信仰が、基本的に高貴な人物が怨霊になっていたのを、一般人にまで拡げたものである。
しかし怪談は勧善懲悪というより、人の良心の疚しさの表れと見ている。つまり勧善懲悪が善を勧めることで人を善化する意図があるのに対し、幽霊復讐譚は既に罪を犯した人が、怪談の中の人物に自己を投影してとり殺されることで、自らの良心を癒す働きを持っているようである。
与右衛門が累を殺した時、さらにさかのぼって先代の与右衛門が助を殺した時、村人たちは彼らの行動を知りながら黙止あるいは追認し、その罪を問おうとしなかった。累も助も共同体の総意として排除されたのだ。
だが、徳川幕府の法による支配が安定してくると、それまで共同体の規範で処理されていたような問題も法の網の目に触れるようになってくる。…(中略)…若い菊はその社会の変化に敏感に反応した。それまで村内では周知ゆえに特に口外されることがなかった累殺害の真相が、彼女にとっては抱え続けるにはあまりにも重い秘密になってしまったのだ。
だからこそ、彼女は殺害された累の憑代となってその秘密を暴き、あらためてその罪を問わなければならなかったのだ。
原田実『もののけの正体』
明治以降、戦前までを語るのは私には無理だが、おおむね西洋型の近代小説を表面として、裏側で従来の日本の民話が需要されていたというのが私の見解である。
ということにして、次回戦後に飛ぶ。
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