坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

日本型ファンタジーの誕生④~戦後の平和主義的正義観を変えたガンダム

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戦後のストーリー作品で勧善懲悪をテーマとした作品で、『ウルトラマン』などに登場する怪獣の多くは、猛獣をイメージさせるキャラクターと思われる。

 猛獣は本能に従って行動しているだけだが、人間にとって有害なので駆除する。怪獣達も本能で行動しているだけである。 

そして一度の放送で怪獣を一匹倒して終了。このパターンの繰り返しは、

日本型ファンタジーの誕生③~鬼退治と平将門と江戸時代の妖怪 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

の鬼を一匹倒して終わる小さ子の物語を踏襲しているように見える。

 怪獣が敵でないストーリー作品の場合、敵の目的は世界征服、地球侵略である。

「侵略=絶対悪」の図式が露骨で、何度も繰り返される。この「侵略=絶対悪」の図式の中では、チンギス・ハンは間違いなく大魔王だろう。


 この「侵略=絶対悪」の図式の繰り返しは、もちろん戦後の平和主義の影響である。

 そしてこの時期、ファンタジーはほとんどない。 もちろん『ゲゲゲの鬼太郎』などはあるが、私がこれをファンタジーに分類しないのは、旅をしていないからである。終わりに向けた旅をしていないから、毎回同じような話に感じる。

 例外的にファンタジーとして挙げられるのは、手塚治虫の『どろろ』である。

どろろ』は日本を舞台にしながら、妖怪達との相互理解のない、善と悪の戦いを描いた見事なファンタジー作品である。

 ファンタジー作品の極端に少ない理由のひとつに、科学技術の礼讚がある。 

科学をテーマとした作品は、日本だけではなくアメリカにも多かった。 しかし日本では、科学をテーマにしたストーリー作品が「ロボットアニメ」という方向に収斂されていく。 

ロボットアニメは『鉄人28号』『鉄腕アトム』を先駆として、『マジンガーZ』により定着する。

 このマジンガーZも、毎回一体の敵を倒すアニメである。 しかしロボットアニメは、これまでと違うベクトルを持つようになる。

72年に連載、放送がスタートした『マジンガーZ』から7年の後、『ガンダム』が始まる。

 『ガンダム』は戦争もののロボットアニメである。

戦艦にモビルスーツと呼ばれるロボットがわらわらと群がって撃沈するシーンは、歩兵が戦艦を破壊するようで説得力がない。そこをミノフスキー粒子という架空の粒子で納得させたのは、ロボットアニメが何であるかを考える重要なファクターである。 

なぜ人型ロボットが生まれたのか?それは人型ロボットでないと視聴者が自分を投影できないからである。

それではなぜ人型ロボットに自己投影する必要があるのか?それはロボットは成長しないからである。

 そして成長しないロボットアニメだからこそ、『ガンダム』は生まれた。久美薫は『宮崎駿の時代』で、ニュータイプを成長をめんどくさがっている若者が楽に成長したがっていると批判していたが、元々ロボットアニメは主人公が成長しない物語なのである。登場当初はヘタレだったアムロは、それなりに成長している。


 『ガンダム』の注目すべき点はもうひとつある。 

ガンダム』の世界観は人口が増えすぎた未来の地球で、スペースコロニーを造ってそれに増えすぎた人間を移民させていた。

 スペースコロニーの住民は「棄民」と呼ばれ、コロニーのひとつがジオン公国として独立する。

ジオンと地球連邦軍の戦いで、視聴者は地球連邦軍サイドから見ていく。 これは、日本と旧植民地の対立の焼き直しなのである。

 ジオン軍スペースコロニーを落とされ、「反撃やむなし」として戦う『ガンダム』は、日本の平和主義に正面からケンカを売ったとは言えない。 私はファーストガンダムしか知らないが、ガンダムシリーズでは、初代が地球視点、『Z』『ZZ』が宇宙視点、『逆襲のシャア』が地球視点のようである。日本側、植民地側と視点に一貫性がない。

宮崎駿の時代』にも、「ゆえに戦争はいけないんだと締めくくれば全てOK」と書いてあったが、ガンダム以降「侵略=悪」から「戦争=悪」の作品が増えていく。「戦争=悪」としながら戦争をする矛盾がこれらの作品に表れるのだが、「平和主義に反対しているわけじゃないんだ」という叫びが、これらの作品から聞こえてきそうである。

 しかし「あの戦争は間違った戦争じゃなかったんだ」とネトウヨのように言う気はないが、ガンダム』の世界観はありだと思っている。

 民族にとっては、救国の英雄も将門のように不条理に立ち向かった人物も、征服者も皆ヒーローで、よほどのことがない限り、思想で悪人にはできない。


 ここでどうしても触れなければならないのがヒトラーである。「ならばヒトラーは英雄なのか?」という疑問がどうしても生じるからである。 

結論から言えば、ヒトラーは悪人である。

 ナチスのアーリア民族至上主義や、ヒトラーの過激な演説などが、侵略行為を正当化したと考えると判断を誤る。

 ナチスは侵略を正当化したように見えて、実は悪人として開き直ったのである。「俺達は悪人だから侵略するんだ」と。だから大戦が終わると、ドイツ人は素直に反省した。

 一次大戦はヨーロッパの諸国民に多大な犠牲者を出し、ロストジェネレーションと言われる世代も生み出した。ヨーロッパ人は戦争を嫌がるようになっており、「戦争=悪」の思想が生まれていた。

その空気をドイツ人も共有していたのであり、侵略戦争に踏み切るには、行為の正当化より開き直ることが必要だった。

 一方、一次大戦の主戦場にならなかった極東では、反戦の思想は希薄だった。だから日本の戦争に対する反省は、「アジアへの謝罪と反省」はより対外関係を意識したもので、本質的には多くの日本人を死なせたことにあるべきだろう。


 『ガンダム』は、有史以来侵略=絶対悪のように唱えながら、大河ドラマでの信長や秀吉の活躍に何の疑問も持たなかった日本人の善悪の観念に一石を投じた。 すると、ストーリー作品の善悪の観念が変質していく。その話はまた後ほど。

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