坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。新ブログ「人の言うことを聞くべからず」+を開設しました。古代史、神話中心のブログです。

ドラゴンボールを考える②~悟空はギニューに10倍界王拳を使っていない

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日本型ファンタジーの誕生⑥~ドラゴンボールを考える① - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、『DB』は悟空がピッコロと天下一武道会で戦う時まで、実にゆったりとストーリーが進行する。 孫悟空を中心とした、読んでいて読者が安心できるストーリーである。

 鳥山明の天才的なところは、「サイヤ人編」でそれまでのゆったりとした世界観を棄てたことである。

 悟空より強いサイヤ人が現れ、さらにサイヤ人をはるかに上回る強さのフリーザが登場する。

 この展開に読者が熱中するのは、それまでのゆったりした世界観が失われたからである。

読者は元の安心して読める世界観を取り戻したいと思い、『DB』にのめり込む。その結果、『DB』は日本を越えて世界的なヒット作になった。また死にかけ→復活→パワーアップというスタイルや「強さの数値化」も多くのマンガに踏襲され、「強さのインフレ」が起こるマンガが溢れるようになった。


 しかも、「フリーザ編」は三つ巴戦である。『宝島』が面白いのが三つ巴戦だからであるように、「フリーザ編」が面白いのもそれだからである。 ベジータ、悟飯、クリリンが次第に力をつけていき、遅れて到着する悟空と力を合わせてフリーザを倒す。と連載当時の読者の多くは想像したことだろう。 しかし詳細に見ていくと、鳥山の構想と読者の予想の間にズレがあるのがわかってくる。 


宇宙船での七日間の旅の間に、100倍の重力で修行した悟空は、「これなら10倍くらいの界王拳にも耐えられる」と豪語する。そしてその修行の成果でギニュー特戦隊を圧倒する。 

悟空はギニューと戦うが、わずかにギニューの方が強い。

そこで悟空は界王拳を使う。その時の戦闘力が18万である。ギニューの戦闘力は12万で、ギニューは悟空の戦闘力に驚愕する。

 読者はここで、悟空が10倍界王拳を使ったと思う。 しかし本当は、悟空は10倍界王拳を使っていない。

 ギニューの推測では、悟空の戦闘力は6万から8万5千である。ならば10倍界王拳を使えば、60万から85万になるはずである。しかしそうなっていない。

 もちろんギニュー相手に10倍界王拳を使う必要はない。2~3倍で充分である。そして2~3倍の界王拳を使ったとすれば、大体計算が合う。

 「ならば10倍界王拳を使えて、その時は2~3倍に押さえたんじゃないか?」 と思う人もいるだろうがそうではない。

なぜなら10倍界王拳を使えるなら、界王拳で戦闘力を上げた後、 「瞬間的に出せるパワーはまだまだこんなもんじゃねえ」 と悟空が言う必要がないからである。


 ナメック星に到着した後、悟空は5000程度の戦闘力から瞬間的に大幅に戦闘力を上げてギニュー特戦隊と戦った。これは話を盛り上げるためだけではなく、ギニュー戦の伏線になっている。 

5000から大幅に戦闘力を上げられるのだから、18万から60万、85万まで戦闘力を上げてもおかしくない。

 しかし悟空に界王拳を使うのは、ギニューに力の差を見せつけて戦闘を回避するためである。力を出し惜しみする必然性がない。 

また体力の消耗を避けるためといっても、60万以上の戦闘力があれば、一撃で決着をつけられる。やはり消耗を避ける必然性は薄い。

 「10倍くらいの界王拳に耐えられる」というのは、鳥山のフカシである。


 悟空が10倍界王拳を使っていない証拠はもうひとつある。 ベジータは悟空の戦闘力に驚く。

しかし本当はこの時点で、ベジータの方が戦闘力は上なのである。 なぜならこの後、ベジータフリーザの攻撃をしのいでいる。

 『DB改』では、フリーザと戦った時の戦闘力は25万である。第一形態のフリーザの戦闘力が53万だから、フリーザが本気でなかったとして、フリーザの半分の戦闘力がないとしのげないから、ベジータの25万は妥当である。ただリクーム戦の時のベジータの戦闘力が3万程度だから、インフレ率8倍になってしまうが。

 界王拳を使った悟空の戦闘力が18万だから、「瞬間的に出せるパワー」を60万とかでなく、5、6万程度の自然な上乗せと考えると、ベジータとほぼ互角になる。その場合、3~4倍の界王拳となる。

 ベジータは、悟空が界王拳の倍率を少し上げたくらいなら、死にかけ→復活で互角に戦えるくらいの天才なのである。

サ…サイヤ人の戦闘レベルをあきらかにこ…超えている…ち…地球で戦ったあ…あいつとはまるで別人だ…

 

と、ベジータは悟空の戦闘力に驚いているが、ベジータの性格上、大幅なパワーアップをしたとしても格下相手に驚愕することはない。

だからベジータが驚くのはおかしいのだが、このようにした理由は、悟空を『DB』の世界観の中心に戻すためである。『宝島』のような三つ巴でフリーザに勝っても、『DB』の世界観は悟空が最強でない限り戻らない。

しかしベジータも、『DB』の世界観を危機に陥れるために生まれた、悟空を上回る天才戦士なのである。この設定を簡単に崩すわけにはいかない。

そこで性格的に無理のあるベジータの驚愕と、ナメック星でのみ発揮したベジータの目的合理主義精神で敵前逃亡させ、ベジータを格下に見せた。 

10倍界王拳は、ベジータが死にかけ→復活したくらいでは追い付けないレベルのパワーアップである。(例えベジータがインフレ率8倍のパワーアップをしたとしても)しかしフリーザはそれをさらに上回る。超サイヤ人はそのフリーザに勝つために生まれたアイディアである。


 ベジータが悟空以上の天才戦士という設定は、「人造人間編」の途中まで生きていた。

 「やっとカカロットを超えサイヤ人の王子に戻る時が来たんだ…」 という、超サイヤ人になったベジータのセリフと、「いまのベジータに勝てねえんならおらにも勝てねえから」という悟空のセリフは、ベジータの方が実力が上という認識を両者が共有していたことを暗示している

 基本戦闘力で悟空がベジータを上回るのは、精神と時の部屋に入ってからである。ここはトレーニング法の合理化として、素質の問題でないことにした。ただ悟空がこれ以上強くなるとまずいので、悟空を死なせた。悟空を死なせた理由はもうひとつあるが、それはまた後に述べよう。

 さらに連載が進むと悟空を再登場させなければならなくなり、その時に悟空はベジータ以上の天才戦士になった。『DB』は悟空が世界観の中心である以上、悟空と互角以上のライバルを作れないのである。しかし『DB超』は悟空を世界観の中心から外すことで、ベジータを悟空のすぐ後の行くライバルにすることに成功した。 

フリーザ編」の面白さは、『宝島』のような面白さに見せて、『ターミネーター』の要素が混ざっていることである。

 圧倒的な強さを持った敵がいて、見つかったら勝てないので隠れる。敵に見つかって追われる。勝てないから敵に譲歩して戦闘を回避したり、それでも逃げられなくなって破れかぶれになって戦うと案外戦えたりする。

 ターミネーターから逃げるように敵から逃げながら、悟飯、クリリンベジータは少しずつ力をつけていく。そしてフリーザと戦えそうだと読者がが思い始めたところでインフレが起こり突き放す。

フリーザは、初登場の時点で読者は10万くらいの戦闘力だと想像していたはずである。それが戦闘力が公表されると53万、さらにその後、三段階の変身をすることがわかる。

 こうしてフリーザと戦う悟空の戦闘力は、『ジャンプ』の公式発表で(あくまで鳥山のではない)9万から300万と33倍以上のインフレとなり、10倍界王拳で3000万、超サイヤ人になって1億5000万と、マンガ史上最大のインフレ率となった。

 一方、鳥山はデフレも行うのである。 『復活のF』で復活したフリーザが、「四ヶ月もトレーニングすれば戦闘力を140万まで持っていける」というが観客はこれを第一形態が三倍近くになると考える。

 しかし本当は「最終形態のフリーザの戦闘力が140万になる」と言っているのである。少なくとも鳥山は、そう観客が騙されてくれることを望んでいる。 

もちろん騙されている人は一人もおらず、鳥山もわかってやっているのだが、鳥山がデフレをやる理由は、インフレが激しすぎてパワーアップが想像できないものになるのを防いでいるのである。

 「強さのインフレ」「強さの数値化」を導入したマンガ家は多数いるが、どれだけヒットしたかに関わらず、インフレを面白さにするのに成功したのは鳥山だけである。

 なぜなら数字は人を冷静にする。冷静な思考の迎える終幕は予定調和である。計算しない鳥山だけが、数字で読者を熱狂させることができた。


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