坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

日本型ファンタジーの誕生⑭~『寄生獣』

f:id:sakamotoakirax:20171216221556j:plain

人の顔だと思ったのが割れて歯の生えた口や触手になる。またはぐにゃりと変形して怪物になる。
90年代にヒットした岩明均の『寄生獣』もまた、日本型ファンタジーの誕生に影響を与えた作品である。
ある時、空から謎の物体が降りてきて、地上に降りて蛇のようになり、人間の頭部に寄生する。
人間の頭部そのものが寄生生物になり、「この種を喰い殺せ」という本能により人間を喰う「パラサイト」。
主人公の泉新一は、この「パラサイト」に右腕に寄生される。そのことにより、人間と「パラサイト」の中間的な存在となる。そして新一は、「パラサイト」の性向を知るようになる。
「パラサイト」は知能が高く、短期間で言語や社会常識を学習し、人間社会に溶け込んでいく。
そして非常に合理的である。
しかし生存戦略を合理的に思考する結果として、他者への警戒心が強く、新一のような、寄生されながらも人間の脳が残った存在を危険と感じて攻撃してくる。そして他者への同情心が皆無、あるいは希薄である。
一方、人間は感情に流され、「パラサイト」のように合理的な判断ができない。しかし人間は弱いからこそ団結する。
このように、合理的、冷酷、孤立しがちな「パラサイト」と非合理的、情緒的、そして団結力のある人間の対立の構図が出来上がる。
新一は人間の側として、人間らしい感情を大事にしたいと思う。右腕に寄生したミギーの合理的で冷酷な意見をしばしば拒否し、弱くても情緒を大事にすることこそ人間の証しだと思うようになる。

しかし、ストーリーが進行するにつれて、この構図が崩れていく。
新一が「パラサイト」の攻撃を受けて瀕死の重症を負った時、新一の身体にミギーが入って治療したことで、ミギーの細胞の30%が新一の身体に混ざり、超人的な身体能力を発揮するようになる。また精神も変化し、動揺しても深呼吸するだけで落ち着きを取り戻すようになる。
また「パラサイト」の側も、田村玲子を中心に団結していく。
「パラサイト」はS市に集まり、「広川」という人物を市長に当選させる。
また田村玲子は、出産した子供に愛情を持つようになっていく。またミギーも、最後には自己犠牲的な行動を取るようになる。

こうして人間vs「パラサイト」の構図が崩れていく中で、人間側が「パラサイト」がS市に集まっているのを知り、「パラサイト」の掃討作戦を実施する。
人間側は「パラサイト」を駆逐し、議会の会場に「広川」を見つける。
「広川」は人間の傲慢を訴え、人間を減らすために「パラサイト」が必要だと訴える。
「広川」は撃たれ、「パラサイト」でない人間だとわかる。

ここで、この作品のテーマが人間の傲慢を訴えるものだと読者は思う。しかし、断じてそんなことはない。

寄生獣』のラスボス的存在として「後藤」がいる。
五体の「パラサイト」がひとつの身体に寄生し、そのため「この種を喰い殺せ」という本能が強化されて、戦うことに喜びを見出だすようになった「後藤」だが、「この種を喰い殺せ」という本能は物語の序盤で提示され、ストーリーとして一貫しているようだが、基本構図は弱いが団結する人間と、合理的で強いが孤立する「パラサイト」の対立である。
そしてこの対立は、実は人間側の敗北で終わっている。
S市の「パラサイト」掃討戦で、人間側は「パラサイト」と誤認して、人間を撃ち殺している。
弱い人間が信頼し合うことで団結し、「パラサイト」を掃討することで人間は「パラサイト」に勝利するが、誤射のリスクを犯しても疑う姿勢で「パラサイト」を掃討したことで、人間は「パラサイト」と同じになったのである。
新一と「後藤」の戦いは人間vs「パラサイト」の決着のように見せた付け足しである。

寄生獣』は、主人公が右腕とはいえ「パラサイト」に寄生されることで、「人間=怪物」の構図となる、日本型ファンタジーの萌芽的作品である。
こうして合理的で冷酷な精神を暗に認めた『寄生獣』が、マンガや社会にどれだけ影響を与えたのかははっきりしない。『デスノート』のような駆け引きがメインの作品に流れたような気もするが、はたしてどうだろうか。
近年の作品には、冷酷な決断や行動を示す作品が多くあるので、『寄生獣』の影響はゆっくりとしたものだったと言えるかもしれない。
寄生獣』の直接的な影響は、『ファイナルファンタジー』シリーズや『真・女神転生』シリーズなどと共に、怪物をグロテスクに表現したことである。それによって、『ドラクエ』シリーズの愛嬌のあるモンスターへのアンチテーゼとなった。『寄生獣』や『FF』シリーズの影響か、ファンタジー作品の宿命かはわからないが、『ドラクエ』シリーズも、デスピサロオルゴ・デミーラなど、鳥山明の絵でもなお、グロテスクな怪物をしばしば登場させるようになっていく。

古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。