坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

パワハラ上司は無能である②

私が勤めたあるパワハラ会社で、同僚に質が悪いのがいたが、その同僚は営業所長にゴマをすり、私の立場を悪くさせられていた。

 私がその同僚の苦情を所長に言うと、

 「いやぁ人間ってさ、歳取ると変わらないんだよね」 と言って、関係ない話を延々聞かされたことがあった。

 要するに、「俺は何も変えないから、お前は黙って従え」 ということである。

変えない、つまり質の悪い同僚に対処しない理由は「自分が変われないから」。

 パワハラ上司は真っ正面から議論できないばかりか、しばしばこういうプライドのない発言をする連中である。 しかもそんな奴らが、時に周囲から信頼されていたりする。

私が「和」を嫌いになった理由(前編) - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

(全3回) の部長には、しょっちゅう「辞める」と言ったが、そのたびに慰留された。

 当時借金があったので、本当は辞められなかったのだが、 上司Dにぶん殴られたり、どうやってもやる気がでないのは仕方がなかった。 

そこで「もうちょっとやってみたら?」と言われ、渋々了承する。

 「もうちょっとやってみたら?」とは、「やる気がないのは認めるからもうちょっとやってみたら?」という意味だと思う。

それが妥協というものだ。 ところが実際は何も変わらない。残業は減らないし、そのことで文句を言うと、 「自分の責任だろ」 と完全に元通りwww。

 いや、本当はわかってる。どこにも妥協点がないことくらい。あるのは続けるか辞めるかだけだった。しかし辞めても関係を無理矢理続けようとする。


 パワハラの関係は不毛の連続である。そういう関係の中では不毛な言葉ばかりか横行する。

 「営業は人間を成長させる」 と、しばしば部長は言っていたが、その私を捕まえて、「坂本くん新人みたいなものなんで」と私の客に言い訳したりする。

 私の営業3、4年目の時の話である。3、4年で新人みたいなものなら、一体いつ成長するんだ? 

「何でも相談しろ」というのも不毛な言葉で、相談してこの程度ならしない方がいい。 そう言えばこのブログは「人の言うことを聞くべからず」だったwww。

この私の信条も若い頃はもう少しソフトで、「人に相談するべからず」だったが、「それは間違ってる」とパワハラ上司や親に言われ、その度に悪い結果が出るのを繰り返した挙げ句、いつの間にかバージョンアップしてたwww。


 話を戻そう。パワハラ上司は「仕事に興味を持て」としばしば言うがこれも不毛、ていうか100%自発的な「興味」を強制してる時点でただの矛盾である。 

「仕事に興味を持て」と言うパワハラ上司ほど、仕事への興味を削ごうとする。

 初めてする仕事で、他部署との関係やそれぞれの作業の意味や機械がどういう役割を持っているかに興味を持つと、パワハラ上司はそれに答えずに作業を急がせようとしたりする。

 実はそこに、本当の問題があったりする。数値が基準内に入ってなくてデータを改竄したりしているのである。

 パワハラ上司はデータについてはかなりいい加減である。 

いい加減にデータをつけていながら、データを信用していない。 だから基準がなぜそうなっているのか考えない

。元々は「取り合えずこれでやってみよう」という暫定的な基準だったのかもしれないが、それが現状に合わなくても、データを改竄しているから現状に合わないのが上がわからない。何度か部署異動があれば、その基準がどうやって決まったのかもわからなくなる。

 すると別のパワハラ上司が、データの改竄を見抜いて文句を言ってきたりする。 

いやデータを改竄してる方が悪いので、批判は正しいのだが、そのパワハラ上司は現状に合わない基準を絶対化して無理矢理基準に合うように無理難題を言ってきたりする。

 それができなくてもパワハラ上司は部下のせいにすればいいから平気である。

 パワハラ上司には理論がない。

 パワハラ上司が信じているのは、多くは経験則である。

不作為の行為は加害行為である - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

の食品会社の上司はよく「日付なんか確認しなくても間違わねえ」と言ってよく日付を間違えていた。

 そのパワハラ上司が日付を確認しなくても間違えなかった時期があったことについては疑っていない。

 今勤めている会社の最初に配属された部署は、違う金属の割合を調合する作業だったが、そこでも「確認しなくても間違わねえ」と言って大量な不良品を出していた人がいた。

 こういう人達には、確認しなくても間違えなかった時期があったのである。それだけ集中力が高かったということだ。ただ集中力を発揮できる条件が失われているのに気づいていないのである。

 食品会社の上司は、何か失敗があると生産数を上げて挽回しようとする癖があった。

しかし会社は不況で生産数を減らしており、その上司はその度に怒られていた。 面白いことに、その上司は係長から主任、平社員と垂直に降格していったwww。 

今の会社の「確認しなくても間違わねえ」と言ってた人には役職はなかったが、やはりどこかの会社で上司をしていたのだと思う。

そういう変な癖は、きつい環境で業績をあげ、都合の悪いことは人のせいにして、人が辞めていっても気にしない環境で培われるものだからである。理性があったらそんな癖はつかない。


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