『進撃の巨人』(以下『進撃』)16巻で、ケニー・アッカーマンの祖父は「その中枢を占める家々以外にあたる大半の人類は、一つの血縁からなる単一の民族であり、壁の中には大多数の単一民族と、ごく少数のそれぞれ独立した血族が存在する」ことを明かした。 今では「大多数の単一民族」がエルディア人であることが明らかになっている。
「ごく少数のそれぞれ独立した血族」が非エルディア人で、非エルディア人は「始祖の巨人」の記憶の操作を受けない。だから王が過去の歴史を根絶やしにするという理想を叶えるためには、巨人の影響下にない「少数派の血族」が自らの意思で黙秘しなければならない。
しかしアッカーマン家と「東洋の一族」は王の思想に異を唱えて、その地位を捨てた。
『進撃』13巻で、エレンの中にいる、「始祖の巨人」の元所有者で、ヒストリアの姉のフリーダの記憶が甦る。
エレンはフリーダをヒストリアと間違えそうになるが、読者にはエレンが女装したようにしか見えないだろう。
エレンとその母のカルラ、ヒストリア、フリーダは顔立ちと眼の色が同じであり、エレンとヒストリアの関係は近親相姦を暗示している。
つまりエレンの伴侶的存在はやはりヒストリアで、ヒストリアが『進撃』のヒロインなのだと思う。
ならばミカサはヒロインではないのかというと、そうではなく、ミカサもヒロインなのである。
リヴァイによれば、アッカーマン家の人間は、「ある時、ある瞬間に、突然バカみてぇな力が体中から湧いてきて、何をどうすればいいかわかる」という。
アッカーマン家の人間の覚醒は超人の暗示であり、「何をどうすればいいかわかる」とは人間の完成を意味している。
ミカサはアッカーマン家と東洋人の混血で、東洋人が「ヒィズル国」の人間であることがわかっている。東洋人とは日本人のことである。
「人間=怪物」の構造を持つ日本型ファンタジーのうちのいくつかの作品は、「人間=怪物」から「怪物でない人間」へと変化していく道筋が用意されている。ずっとそうではないかと思っていたが、『東京喰種』の最近のカネキを見て、そう確信するに至った。
『いぬやしき』で、犬屋敷壱郎が「あなたは今まで会ったことあるどの人より人間らしい人間です」と言われるのもそうである。
え?『いぬやしき』はSFじゃないかって?
『いぬやしき』は日本型ファンタジーですよ。犬屋敷の頭が割れる笑えるシーンは、かっこいいロボットじゃなく、滑稽な「怪物」を表すものです。
『アイアムアヒーロー』でも鈴木英雄はZQNにならなかったが、その理由が鈴木が心を閉ざしていたため、ZQNと同調しなかったためで、最後に鈴木が孤独になる原因となっている。
日本型ファンタジーには、マキャベリスティックに展開する作品と、非マキャベリ的な展開をする作品があるが、前者のマキャベリストが後の者に道をつなぐ役割をはたしており、マキャベリストは非業に倒れる。マキャベリストのの後を継ぐ者が「怪物でない人間」になる。
『進撃』23巻で、アッカーマン家が巨人化学の副産物であることが明かされる。
「巨人化学の副産物」とはどういうことかはわからないが、アッカーマン家は「少数派の血族」でもエルディア人ということになる。
『進撃』のこの構成は、新しい日本人の創生の試みである。古い日本人がエルディア人で、新しい日本人が東洋人とアッカーマン家の混血なのである。
今エレンはエルヴィン並のマキャベリストだが、本来マキャベリ的なリヴァイがマキャベリ的にならずに、ストーリーが展開するとすれば、ミカサの伴侶的存在はリヴァイになる可能性が高い。
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