『僕だけがいない街』の主人公藤沼悟が幼児の時、よく小学1、2年生の女の子と遊んでいた。
その女の子アッコねえちゃんはある時、「悟ちゃんは二番目に好きなの。ツトムくんっていう、ケッコンするって決めた男の子がいるの」と悟に言う。
「ツトムがいなくなれば自分が一番だ」と思った悟は、翌日角材を手にツトムを探して見つけるが、ツトムは気にも止めず、「一緒に遊ぼうか」と言ってくる始末。
自分はツトムに敵わないと、悟は幼心に感じる。その後アッコねえちゃんは、悟と遊ばないようになった。
ある冬の日、悟が一人で遊んでいると、アッコねえちゃんが近くを通りかかった。 悟は追いかけるが、アッコねえちゃんは振り向かずに物置小屋に入っていく。
実は中には、後に連続誘拐殺人犯となる八代学がいたのだが、悟が外から声をかけるとアッコねえちゃんは出てきた。
悟はいつも、母親が務めている建設会社の側の原っぱで遊んでいたが、その時若い従業員が二人に、寒いから中に入るように声をかける。
しかし会社の社長は子供が嫌いで、無断で悟達を入れたその従業員を殴りつける。
社長の子供嫌いを知っている他の従業員は、その若者を笑う。しかし、
とこの作品(厳密には悟)は言うのである。
この少し大げさに見える描写は、何か意味があるのか?
ツトムと戦おうとして戦う前に敵わなかった悟と、殴られた若者は重なるのである。
それはまた、若者を殴った社長とツトムが重なるということでもある。社長は悟の母親に再婚を迫って拒否され、悟の母親も殴っている。
それだけでなく、社長とツトムは八代とも重なる。
八代が結局未遂に終わった、最初の犯行に及んでいたのは印象的である。八代は世間受けのいい人物で、後に市議会議員にもなる。
敵意を持つ悟に対してもおおらかで、悟に「自分があまりに幼く、無力で、わがまま」と思わせたツトムも、女性を幸福にするとは限らない。
悟が子供の頃に起こった連続誘拐殺人事件の記憶を辿っていき、最後の犠牲者の杉田広美を思い出す。
少年達が「アジト」と呼んでいた場所に悟はヒロミを誘うが、ヒロミは怖がってこなかった。その後ヒロミは殺される。悟は、
と悔やむが、ヒロミを一人にしたことを悔やみ続けるのは、罪悪感を過剰に感じ過ぎだろう。
この後に悟はヒロミを回想することはなく、悟の母親が八代に殺された時の走馬灯で、冤罪で逮捕された白鳥潤のアリバイについて、悟が証言したのを回想する。白鳥潤は子供の頃の悟がよく遊んだ人物で、悟は「ユウキさん」(白鳥がよく勇気という言葉を使うから)と呼んで慕っていた。
「犯人はユウキさんじゃない」と悟は訴えるが、警察は受け入れてくれない。
悟はそのことを悔やんでいるのである。
ここでヒロミと白鳥潤が重なる。引っ込み思案だったヒロミと白鳥潤は同じなのである。
悟が誘拐殺人の被害者を救った時間軸で、死ぬはずだったヒロミと雛月加代は結婚し、子供が生まれる。
この二人が結婚して子供が生まれるのは、子供が幸福の象徴だからである。だからこのエピソードは、不幸な運命にある者が幸福になることへの強い願いが込められている。
悟の母親は、悟が白鳥を救えなかったことを忘れさせようとした。それは失敗だった。ケンヤに「とても尊敬している」と思わせた悟の母、藤沼佐知子も、毒親の要素を持っていたのである。
連続誘拐殺人事件の犯人・八代学は、子供の頃暴力的な兄に虐待を受けていた。
子供時代に八代は一度、白鳥潤に接触している。白鳥はいじめにあって、靴を無くしていた。
「僕はゆうきがないから、なんもいえなかった」という白鳥に、
と八代は言い、自分の靴を白鳥に渡す。
八代の兄は、やがて少女の凌辱に不満の捌け口を見つけ、八代は兄の所に少女を連れてくる役を命じられるようになる。 しかし兄はある時、ばれそうになって少女を黙らせようとして、少女を殺してしまう。
八代と二人で少女を隠し、少女が行方不明になったことで騒ぎになるが、八代は完全犯罪で兄を「自殺」させ、少女が発見されて騒ぎが収まる。その時には既に、八代の中に「兄」が住み着いていた。
一方、白鳥は大人になってもフリーターのような生活をしていたが、一人でいる子供に声をかけ、友達と仲良くなる方法、そして「勇気」を教えるようになる。 「勇気」という言葉は、悟に大きな影響を与えていく。
それは白鳥なりの戦いだった。しかしやり方は自分なりでも、殴られる覚悟で主張するのを「勇気じゃない」と言った八代の言葉は否定したのである。
悟の立場は、一見して傍観者である。自分の手で救える人を救わなかったことが後悔となって、自分の心の奥底に踏み込むのを恐れるようになった。
しかし悟もまた、ヒロミや白鳥と同じなのである。その悟が、世間の信頼を得ている八代を追い詰めていく。
『僕だけがいない街』は、世間から白い眼で見られ、不幸な人生を歩む人々に大きく寄り添った作品である。
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