坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

過小評価

先日、諸橋哲郎弁護士の懲戒請求に対する、日弁連の議決書が届いた。
「本件異議の申出の理由は、要するに、前記認定と判断は誤りであり、同弁護士会の決定には不服であるというにある。
当部会が審査した結果、同議決書の認定と判断に誤りはなく、同弁護士会の決定は相当である。
よって、本件異議の申出は理由がないので棄却することを相当とし、主文のとおり議決する。」
日弁連のやることなど、所詮この程度である。

『未来のミライ』は幼児虐待!?(ネタバレあり) - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、途中にあるレビューは『Godzilla決戦機動増殖都市』は『テラフォーマーズ』との関連から目を背けている。
もちろん『決戦機動増殖都市』は傑作というほどではないことには同意する。
私のブログでは作品の中にどんな暗示かあるかを重視して書いているが、もちろん単純に面白いかどうかも重要で、『決戦機動増殖都市』は暗示のための記号を並べるのに精一杯という感じがある。もっとも尺が短すぎるという感もあるが、三部作ということを考えれば、あるいは詰め込み過ぎなのかもしれない。
だから面白くないという意見は結構だが、それに乗じて不当に低く評価する動きがあり、それが思考停止につながっている。

過小評価は、主に職場で発揮される。
職場で働く人がある人に被害を受け、被害者がそのことを訴えると、職場の人々はしきりに加害者を擁護するのである。「本当はいい人なんだよ」などと言って。そして被害を過小評価していく。
それでも被害を訴える人に待っているのは、ちょっとした失敗を過大に取り上げられる職場いじめである。この職場いじめで生き残れる人はほとんどいない。最近は少し変わってきたとしても、かつての日本の職場は、パワハラを受けたらほぼ100%生き残れなかった。
加害者の被害の過小評価と、被害者の失敗の過大評価は対になっている。そして職場を追われた被害者には、「会社を辞めてばかりいる」というマイナス評価がつく。このようにして職場に定着しない者を否定することで、かつての終身雇用による日本型経営は成り立っていた。日本型経営の本質は、被害者の被害に報いないことにあったのである。
こちらの画像を見て頂こう。

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新潟県南魚沼市浦佐駅にある田中角栄像で、銅像に屋根がついている。
最近では、なぜ屋根がついているのか語られなくなったが、数年前には「銅像に屋根がつくほど角栄は偉かった」と、ネットの至るところに書かれていたのである。
断っておくが、私は角栄の全てを語ることはできなくとも、私なりに角栄を評価しているつもりである。特に『列島改造論』により、日本に均衡発展をもたらしたのは高く評価できる。
しかし角栄金権政治の、そして

田中角栄、バブル、そして憲法 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたようにバブルの象徴なのである。
バブル景気でさえ、私は角栄一人の責任だとは思っていない。角栄を必要としたのは、護憲を否定しなかった日本人である。
だからこそ、バブルの象徴の角栄銅像に屋根をつけて、「それほど偉かった」ということはできないだろう。
角栄に限らず、問題のある人は放っておくとどんどん高い評価をつけられる傾向というのが日本にはある。私の経験として、加害者の擁護者達が加害者を「人格者」にまで祭り上げたのを見たことがある。加害者を含めた「問題のある人」を祭り上げる日本人の尊大さは、謙虚を美徳とする日本人の性向と対になっている。

他にもこういうのがある。



 

これには笑ってしまった。
しかも突っかかったのは、橋下氏と名誉毀損で争っている岩上安身氏である。
岩上氏も下手なところに突っ込んだものだ。
もっとも維新も言ったことで実行していないこともあるかもしれないし、何を実行して何を実行していないかは私の知るところではない。
だからこういう想像もできる。維新にはいくつかの有言不実行なところがあり、それに突っ込んでいたら、本当に実行しているところに裏を取らずに突っ込んだんじゃないかと。そして維新は反維新派をピンポイントで狙って反撃したとも考えられる。始めから罠だったということである。
議員報酬の2割を寄付するというのは結構大変なことで、実践がないのに言えることではない。だから私なら、まず裏を取ってから批判するかどうかを決める。
もっともこんな難しい話ではなく、単に何でも批判してたら引っ掛かったということ考えられる。私の中では2つの可能性が同じくらいの割合であるが、いずれにせよ岩上氏のようなタイプに言えるのは、維新が生き残りをかけてどれだけ戦略を練っているかを考えていないことである。そして考えを中々改められない。考えが変わらないのは、相手を過小評価する思考に安住しているからである。だから日本では戦略性が育たない。
もっとも維新も、関空咲洲庁舎の件でもめているがこれについてはそのうち語ることにしよう。

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