坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

偽装請負は日本型経営を殺戮装置に変えた

かつてリベラルを「パワハラ上司、ブラック企業にとどめをさせない程度のリベラル」だと私は言ったが、リベラルがパワハラ上司、ブラック企業にとどめをさせなかったのは、パワハラ上司が元来の「権威ある上司」であり、ブラック企業が元来の「日本型経営」の姿だからである。
リベラルは「権威ある上司」からパワハラ上司を、「日本型経営」からブラック企業を分離して批判した。
それ自体は戦略としては妥当なものである。だから問題は、「分離」が戦略ですらなかったことである。
パワハラ上司が「権威ある上司」、ブラック企業が「日本型経営」と同一だとわかってくると、リベラルはパワハラブラック企業の問題について口をつぐむようになった。今やパワハラは、スポーツ業界限定のものである。そして何故か、そのスポーツ界のパワハラすらはてなでは話題にならない。

年功序列、終身雇用の日本型経営は、パワハラの正当性を担保するためのものだった。それは暴力的だったが、その暴力に耐える限り、雇用は保証されていた。
しかし偽装請負は、日本型経営をただの殺戮装置に変えた。
偽装請負では、本来派遣先が証明すべき解雇理由を明示せずに口頭で派遣社員を解雇した。そして解雇と伝えながら、「自己都合の退社」と書類に書かせるという詐術を使い続けた。

偽装請負 - Wikipedia

には偽装請負が 盛んだった2000年代から今に至るまで、「請負には労働基準法が適用されない」と書かれているが、これは間違いである。
偽装請負に関する報道は、労働安全衛生法違反などによる集団訴訟に限定されていたが、これは氷山の一角であり、偽装請負の本質からはほど遠いものである。
偽装請負のもっとも重要な犯罪は、派遣社員にまともな解雇理由を告げずにリストラしたことである。
この犯罪は日本中で実施され、見事に隠蔽された。
労働局は偽装請負の証拠がある限り、おそらく調査と処分は適切に行っていたと思っている。
その理由は、偽装請負が話題になっている以上、問題が派遣のリストラに及んだ場合、労働局が対応していなかったでは済まされないからである。
しかし労働局は、調査結果を派遣労働者に教えようとはしなかった。情報公開法の運用の仕方を通報した派遣労働者に伝えず、「調査結果をお伝えすることも、調査をしたかどうかもお伝えすることはできません」と説明した。これは「この法律は、国民主権の理念にのっとり、行政文書の開示を請求する権利につき定めること等により、行政機関の保有する情報の一層の公開を図り、もって政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにするとともに、国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に資することを目的とする」とする情報公開法第一条違反である。もっとも情報公開法の運用の隠蔽は労働局だけではない。全ての官公庁が行っていることである。
情報公開法に1999年に公布されており、私も知らない法律ではなかった。しかし私も当時、公務員に法律の正しい運用を教えられないとは思わなかった
こうして通報者に調査内容が知らされることはほとんどなかった。偽装請負はリストラ目的と労働安全衛生法違反目的のものに分離され、前者は隠蔽されたのである。

偽装請負の後、音楽ではYUKIの『嬉しくって抱き合うよ』やいきものがかりの『ありがとう』のような、恋愛より友情や家族愛を歌う曲がヒットする傾向が続いた。一貫してラブソングが主流だった日本では極めて異例のことである。この流れは東日本大震災により「絆」というワードに発展し、右翼の台頭により国論が二分されて国民が分裂するまで続く。
私がスマホを通じて日常的にネットにつながるようになったのは2013年からで、それ以前のネットのことはわからない。
しかしネットにつながるようになって驚いたのは、そこにあったリベラルの大流行である。
パワハラブラック企業についての記事が溢れ、発達障害が広く受け入れられるようになった。働き方改革が叫ばれ、明日にも毎日定時で帰り、有給も自由に取れる社会が実現するかのようだった。
一方、保守にこの傾向に批判だったが、彼らを特徴付けていたのはケインズ政策重視の態度である。
通貨供給量の増加による景気上昇論を、どの保守派も唱えていた。
しかし保守派の主張を見ていくと、次第におかしいと思うようになっていく。
ケインズ政策では景気が保証されるのだから、景気上昇を利用して社会福祉を充実させていけばいい。しかし彼らはいつまでたってもそれを言わない。
それどころか「将来年金制度は崩壊する」などと平然と言ったりする。あろうことか「甘いことを言ってるんじゃない」という口振りで福祉について否定的な発言をしたりする。ケインズ政策を万能薬であるかのように語りながらである。ケインズ政策は年金制度の維持のためにやるのではなかったのか?

日本の場合、左派と右派は一体で、どちらかが本音を担当し、どちらかが自己欺瞞を担当している。
右派の福祉斬り捨て論は日本人の本音の代弁である。それではなぜケインズ政策を主張するのか?その理由は「働いている間は生きられるようにしてやる」ということである。働いてなくなった者は「働かざる者食うべからず」で切り捨てるつもりでいる。
しかし保守派の論を聞いてわかってきたことは、ケインズ政策は景気を約束しても富を約束しないことである。通貨供給量の増加による円安で、所得の多い少ないにかかわらず日本人全体の生活レベルが下がっていく。つまり保守派は、自分達の地位を守るためにケインズ政策を唱えているのではない。
保守派は、低所得者、非正規、特に派遣の地位、所得を上昇させないためにケインズ政策を主張しているのである。非正規、派遣の地位改善は、主に正社員で構成される中間層以上の階層の非正規への対応が間違っていたことを表し、保守派はそれを認めたくないのである。
「世界では正規、非正規という分け方をしない」ということを、以前らくからちゃ氏が言っていたが、ならばなんと言っているかは述べていなかった。
答えはおそらく、「正社員と契約社員」だろう。つまり間接雇用はほとんどないのであり、ほとんどの雇用は直接雇用なのである。
日本社会では、派遣を固定するために非正規という言葉を使っているが、契約社員も直接雇用のため、不安定ながらも待遇はそれほど悪くない。
ここで「パワハラ上司」と「権威ある上司」を「分離」したのとは逆の詐術が用いられている。直接雇用の非正規は、問題がないとは言わないが、その問題は派遣よりはるかに小さい。
派遣は地位上昇の機会がほとんど与えられないのである。その理由は派遣が派遣に留まっているのは何らかの理由がある、つまり「無能だから」ということにしたいからであり、派遣が地位上昇することは彼らが無能でなかったことになり、それまでの正社員の派遣への態度は間違っていたことになるからである。
差別はおそらくその多くが差別する側の罪悪感から発する。これは私には検証不可能だが、おそらく古今東西の原則である。
そして保守派がケインズ政策を主張するのは、働ける間だけ派遣の問題を凍結しておきたいからである。この主張の馬鹿げたところは、派遣が年齢的に働けなくなったら、年金、福祉の問題への直面は避けられないことである。要するに問題の先送りに過ぎず、しかもその間、自分達の生活レベルも下げようとしている。破滅的な思考パターンに保守派は陥っている。思考に長期的展望も整合性もないので、

日本の右翼を牛耳る外国人勢 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、中国がシーレーンを取りにきたらケインズ政策が実行不可能になるのを指摘されるまで気づかなかったりする。
リベラルは偽装請負の問題から、「パワハラ」、「ブラック企業」、発達障害を「分離」して「いい人アピール」をした。また社会福祉の充実を唱えるリベラルもいた。しかし社会福祉の充実を唱えるのは、彼らが偽装請負の被害者に報いる気がないのを自覚しない間だけだった。「いい人アピール」は、もっとも被害を受けた者に報いることは絶対にないのである。彼らリベラルが偽装請負の被害者に報いる気がないと自覚するたびに、彼らは福祉の話をしなくなっていった。
このブログでは、派遣社員が問題を主張しない「死にたがり」だと何度も主張した。
派遣社員が「死にたがり」なのは、偽装請負のために不当にリストラされた者を笑ったからである。
リストラされた派遣社員を笑うことで、自分が正社員に近い者だと思い、結果一生派遣なのを受け入れることになった。リストラされた者を差別する以外に、自分に価値がないと自分で思っているから。こういう者を『東京喰種』ではいい言葉で言っている。「カラッポな人間」だと。
こうしてリーマンショック以降、日本社会は派遣に報いない方向に舵をきり、高齢化という点で世界の最先端を切りながら、年金政策では世界でもっとも遅れているという怪現象を生み出した。

リーマンショックを避けて2011年に派遣に戻った後、今に至るまで、職場で私の経歴を聞く者は一人もいない。

私の擬装請負体験⑲ - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で、ブクマが2つしか付かなかったのは、私にとって印象深かった。何度か述べたが、「私の偽装請負体験」は評判の悪いシリーズで、シリーズを始める前は月1500ほどあったPVが、終わる頃には月900まで下がっていた。派遣の営業担当が正社員の名を騙って派遣の首を切るのは、よほど日常的だったのだろう。
今の派遣でも紆余曲折があったが、年を追うごとにパワハラの要素がなくなっていった。
それは労働局を通じて、労働災害を減らすために間接的にコントロールされているのが、会社の説明を聞いていてわかった。派遣会社は登録制のため、労働局は派遣会社を簡単に把握できるのである。しかしそれは派遣の地位上昇のためではない。派遣社員を追い詰めて、条件闘争に踏み切らせないためである。
偽装請負は、日本人の心に深い負い目を残した。精神的な負い目という点では、戦前の日本人の同胞を死に追いやった後ろめたさから逃れるために形成された平和主義に匹敵し、しかも戦後生まれが直接に同胞を死に追いやった経験を持っていないのに対し、偽装請負は最近のことのため、その負い目はより大きいと言える。そして偽装請負が、護憲と並んであらゆる思考停止を生み出している。
偽装請負の被害者に報い、派遣の地位上昇、待遇改善に努めない限り、日本人はこの思考停止から脱却することはできない。

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