坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

ドラゴンボールを考える⑪~『ドラゴンボール超ブロリー』は「パパいらない」(ネタバレあり)

f:id:sakamotoakirax:20190105114847j:plain

 

鳥山明は基本的に根性論が嫌いである。
そのことは、鳥山の不健全さと健全さを表している。根性論が嫌いなのは、「努力すれば何でもできる」という信仰が、受験競争やスポ根などの個人の適正を欠いた努力に向かわせるからである。
だから鳥山は、本人の適正にあった努力は好きである。かつて「悟空が倒れるような修行をしても、そこからフラフラと立ち上がるようなことはない」と書いたが、それには以上のような理由がある。
ならば倒れながらもまたフラフラと立ち上がって修行をするベジータはどうかといえば、ベジータはそれが似合うのである。なぜならベジータは「堕ちたエリート」だから。エリートがプライドをかけて、全てをなげうつ姿を、鳥山は認めているのである。

このように考えれば、鳥山が「実力ではベジータが上」にこだわるのは、単なる設定上の問題ではないことがわかってくる。そして「魔人ブウ編」で、悟空がベジータ以上の天才になってしまったことも不本意だったとわかるだろう。
魔人ブウ編」のベジータはいいところがない。悟空と互角なのはバビディに操られたからで修行で差は埋らず、さらに悟空は一段階上の超サイヤ人3になってしまった。ベジータのプライドは、原作最強のベジットになったことでしか守られていない。
しかしそうしなければならない理由があった。なぜならベジータは「ピッコロ以上の悪」だったからである。
ベジータを「ピッコロ以上の悪」として描けていたかどうかには疑問があるが、そうである以上、ベジータはピッコロのように、悟飯によって善化されるストーリーではいけないのである。
悪人を善化するのは、しばしば圧倒的な力であったりする。ベジータを最終的に善化するためには、『DB』の世界観の中心である悟空が圧倒的な力を見せる必要があった。逆に言えば、ストーリーが続かなければ、ベジータは悟空の影響外のキャラでよかったのである。

アニオリキャラブロリーっていうサイヤ人ぽい生き物がいるらしくてwww、今回それが映画になるっつーんで観てきた。というわけで今回、鳥山先生がキャラデザしてそのまま忘れていたブロリーを扱った『ドラゴンボール超ブロリー』の記事。
えーまず、「身勝手の極意」はでなかったね。
まずオープニング、今回新たにベジータ4世という名前が加えられたベジータの潜在能力を自慢するベジータ王だったが、ベジータの倍の潜在能力を持つブロリーに嫉妬し、ブロリーをポッドに入れて飛ばす。
ブロリーを追う父親、えー…何だっけ?まあいいやwww。「今助けに行くぞ!」とブロパパ、いいお父さんだ!www
一方で、悟空の父親のバーダックも登場。
こちらはフリーザの企みに勘づいて、ポッドを盗み出して赤ん坊の悟空を乗せて地球に飛ばす。奥さんとのやり取りの中で、「こいつの戦闘力じゃ大人になってもろくなことがねえ」というところが中々ひどいwww。
バーダックの読み通り、フリーザサイヤ人を集めて惑星ベジータごと消滅させるために巨大なエネルギー弾を放つ。
バーダックはそのエネルギー弾に豆鉄砲を食らわせながら死亡。いや『たった一人の最終決戦』でも豆鉄砲だったが、『たった一人の最終決戦』ではフリーザ軍相手に壮絶な戦いを繰り広げるところに有終の美があった。これなら悟空を追って地球に向かった方が良かったのに。

でこのブロリーって奴、色々設定変更が行われてるようだけど、ブロリーベジータと同い年?元々は悟空と同じ日に生まれた設定だったようだけど。
元の設定はムチャクチャで、生まれた時に戦闘力10000だったとか、惑星ベジータが消滅した時にバリアを張って自分とブロパパを守ったとかとにかく異常なパワーを強調されている。
今回の映画では鳥山らしさが出ていて、ブロリーの凄さを強調してるようで、実はデフレ路線である。惑星バンパでの戦闘直後のブロリーは戦闘力920で、4歳の時の悟飯と同じくらいの強さという感じである。測定不能になっても爆発しない優秀なスカウターもデフレのためである。
それにブロパパも片目が潰れているが、元はブロリーが潰したのが、今回はそうなっていない。今回のブロリーファザコンだからである。

今回の映画でも、ドラゴンボールが絡んでくる。
ブルマが集めていたドラゴンボールが盗まれて、残りのひとつが氷の大陸にあるというので舞台は氷の大陸に移動。
フリーザの願い、てっきり不老不死かと思ったら「5センチ背を高くしたい」とのこと。「いきなり大きくなったら怪しまれるでしょ!」と「五歳若返りたい」というブルマの願いと対応させてみみっちさを強調。そんなに大きく見せたきゃ第三形態のままでいりゃいいのに。

f:id:sakamotoakirax:20190104231106j:plain

 

おまけに「口が臭いと言って殺された奴もいる」とかフリーザ様の悪のカリスマがどんどん削がれてく~!!wwwもうこれはファミリーになったキャラの宿命なんだね。

まず最初にベジータブロリーと戦うが、充分な戦闘経験のないブロリーが短い時間で戦い方を習得していき、ベジータもそれに合わせて超サイヤ人に変身する。
するとブロリーは大猿のパワーを引き出して戦う。これもパワーアップに見せたデフレ路線で、実戦経験ゼロのブロリーが素質だけでベジータと対等以上になっては不自然なため、大猿のパワーを使えるようにしたのである。
ベジータは赤ゴッドになって戦うが、やがてブロリーに押されるようになっていく。
そこで悟空が「次はオラとやろうぜ」と言ってベジータと交代。通常形態から超サイヤ人、赤ゴッドとベジータ同様順にパワーを上げていくが、やがてブロリーに足を捕まれての氷にびったんびったんとそば打ち状態になり、さらに氷山で顔面を削られて倒れる。
ここでやっとブルーに変身、氷山をぶっ壊したり地底に潜り込んでマグマの中で戦ったりして、気がついたら氷の大陸が溶岩滾る大地に変貌しているのは非常に効果的な演出である。しかしBGMで「カカロット!」とか「ゴジータ!」とか流れてくるのを聞くのは正直恥ずい。一応子供向けの映画だから仕方ないけど。
ブルーでも押されるようになってベジータが戦線復帰して共闘、ようやくブロリーのパワーアップが追い付かなくなったところでフリーザが「この先はないのですか?」とパラガスに、あ、言っちゃったwww、でパラガスに言うと、「はい」とパラガス。
するとフリーザは「試す価値あり」とパラガスをデスビームで殺し、「お父さんが殺されてしまいましたよ~!!」とわざとらしく言うとファザコンブロリー超サイヤ人に変身。もう手がつけられなくなって、ブロリーフリーザまで攻撃する。悟空はその隙にベジータを連れて瞬間移動でピッコロのところに逃亡。
悟空とベジータフュージョンすることになったが、失敗してデブになったりガリになったりして30分ごとにやり直し、一時間かけてようやくフュージョン成功。「名前が必要だ、ポタラ合体がベジットだからゴジータ」と、アニオリとは違うところを強調してるのになけなしのプライドを感じるwww。
その間ゴルフリ状態でボコられるフリーザ様は見物www。とうとうフリーザでは相手にならなくなってウイスにまで攻撃をかけるがさすがに全部避けられる。
そこにゴジータが瞬間移動で登場。ブロリーと互角以上の戦いをする。
ここでチライとレモというゲストキャラが活躍する。ブロリーと仲良くなり、特にブロリーが戦いが嫌いなのに無理矢理戦わせるパラガスへの反発から、「父親が悪い」という想いからチライは逸脱行為に走り、ドラゴンボールを奪取。まあ「大猿になると手がつけられない」っつってブロリーの尻尾を切ったり、電流の流れる首輪をつけたり、はては修行の途中で仲良くなったバアという生物に「修行にならん」つって耳切って仲違いさせたりする親だからね。
そしてチライはブロリーを惑星バンパに戻すように神龍に願う。

ブロリーは本当の千年に一人現れる超サイヤ人という設定だが、黄緑色の髪のその姿になるのは、ゴジータとの戦いが佳境に入った時の一瞬だけである。しかしこの時には、ウイスが「そろそろ決着がつくかもしれませんね」という。そしてゴジータかめはめ波ブロリーに直撃する直前で神龍が願いを叶え、ブロリーは惑星バンパに飛ばされる。
つまり当たっていればゴジータの勝ちで決着がついていたのである。

ドラゴンボール超ブロリー』のテーマは「パパいらない」である。
バーダックの最初から悟空の未来を見限った態度も、父親がいらないことの証明である。ベジータ王にしても、息子にフリーザに代わって宇宙の帝王になるように願ったのに勝手にやってるし、パラガスの息子を助けようとする態度も自己愛の延長に過ぎず、ブロリーを自分の復讐の目的のために利用するだけだった。
それにしても今回の映画、色々思わされるところがあるが、そもそもはなぜ鳥山がブロリーを題材にしたかである。
割とコアなファンは認識していることだが、鳥山はアニオリキャラを基本自分のキャラと見なさない人で、アニオリから逆輸入したのは今まででバーダックだけである。それは相当気に入ったからで、逆に言えば、ブロリーは今まで気にいらなかったのである。その気にいらなかったキャラをあえて題材にした。
もっとも今に始まったことではなく、「宇宙サバイバル編」ではケールというキャラがブロリーそっくりになっていた。しかしブロリーのブの字もなかったし、ケールの登場には別の意味があった。また後でやろう。
今は映画に戻ろう。惑星バンパに飛ばされたブロリーのところに、悟空が瞬間移動で家や食糧を持ってくる。そして「おめえ多分ビルス様より強えぞ」という。
はい、これでビルスより強い者が現れ『DB超』のテーマ終了。
そして「またオラと戦ってくれ」と悟空は言い、名前を聞かれて、「孫悟空、それとカカロット」と言う。
今まで悟空がカカロットと自己紹介したことはない。
今回の映画では、戦闘中のブロリーは「ウオオオー!!」と言うだけでセリフが一切ない。
元々のブロリーは映画を観たことがないのだが、かなり悪質なストーカーみたいなものだと思っている。赤ん坊の頃に隣の悟空の泣き声がうるさかったというとんでもない理由で悟空を憎み、しかも戦闘中にどんどん強さをましていって、勝てるのも偶然か奇跡のようなものというのが映画を見てない限りでの印象である。しかしまた悟空と同じ日に生まれたブロリーは悟空の分身でもあった。
それが今回の映画で、ブロリーベジータと同い年になり「カカロット!」と言わなくなって、悟空とブロリーは何の接点もなくなったのである。
また、マンガで進行していた、「悟空よりベジータが実力は上」という設定が、アニメでも実現した。ベジータは一騎討ちではブロリーに弾かれただけだが、悟空は一度ブロリーに倒された。
これでも納得いかない?
なら言おう。悟空には「身勝手」はないが、ベジータにはもう一段階あるのである。

f:id:sakamotoakirax:20190105031715j:plain

 

そうそう、これね。
つまり同形態でもベジータが上で、さらにその上があるという、魔人ブウ編の逆になってるわけね。
そしてもっと重要なことは、ゴジータブロリーを倒せることを示したことで、負けても実力は常に上だったブロリーを超える者が現れたこと、そしてとうとうゴジータで倒せることを示したことで、悟空とベジータが合体キャラになったことである。
さらにマンガでは、「千年に一人現れる超サイヤ人」は超サイヤ人第三形態、トランクス限定で言えばムキンクスの上位版で、パワーは凄いがスピードが殺され、体力の消耗も激しいものになってしまった。こうしてブロリーの活躍は終わったのである。

それにしても今回の映画は考えさせられるものが多い。
バーダックが特大エネルギー弾に豆鉄砲を食らわせただけだったのも、フリーザが無駄に部下を犠牲にしなかったからである。
ベジータがナッパを殺した時にも思ったが、仲間を殺すのは悪の演出としては良くても不合理である。そして今回の映画ではそれがなく、戦闘の被害を受けそうなフリーザ軍の宇宙船をフリーザが非難させている。
悪の演出として違うものが求められているのである。


古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。