坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

山口真帆の事件を無視する「統合型」フェミニスト達

NGT48の山口真帆が暴行を受けた事件について、はてなで記事を書いたブロガーは、おおざっぱに見た限りでは、元々アイドルファンが多いようだった。
私は事件が明るみに出た当初、フェミニストがこの事件についてどう反応するかを見てみた。
3~4日分見てみたが、はてなの思いつく限りのフェミニストのブロガーで、山口真帆の件をツイートしたのは一人だけ、それもコメント無しのリツイートひとつだけだった。(個人批判目的ではないので、名前は出さない)
セクハラ騒動では必ず口を出すフェミニストも、グループ内での確執やいじめが原因とみると口をつぐむ。セクハラよりいじめを維持しようという方が重要らしい。今のままでは、山口真帆は芸能界から追放されてしまうかもしれない。

2017年くらいまでのリベラルの大隆盛の中心にいたのはフェミニズムだったのは間違いない。
リベラルの中心がフェミニズムである理由は簡単で、そもそもフェミニズムはマイノリティではないからである。世の中の半分が女性なのだから。そしてフェミニズムから派生して、リベラルが台頭してきたのである。
そのことはLGBTが台頭した理由でもある。女性は男と比べて、同性愛への生理的な抵抗がはるかに低いのである。また発達障害への理解が拡がったのも、発達障害をカミングアウトしたのがほとんど女性であることが大きい。男はやはり、発達障害をカミングアウトするには大きな壁があるのだろう。
リベラルの台頭により、いじめ、パワハラブラック企業が非難され、はてなでも被害者を取り上げての救いの手が伸べられた。そうして救いの手が伸べられた被害者がブロガーとして著名になるということもしばしばあった。
そうして救われた被害者は、社会全体の被害者の内の氷山の一角に過ぎない。しかしそれでも救済には違いなかった。

それが、2016あたりを境にして変わっていく。
被害者の救済は次第に行われなくなり、社会派のブロガーの地位は固定化していくようになる。最後に救済されたのはハルオサンだろう。
そして去年のキズナアイ騒動からLOFTの件で、非難の槍玉に挙げられたのはむしろフェミニズムの方である。
このようになったのは、フェミニズムを中心とするリベラルが本当にリベラルな社会を作ろうとしていたのではなく、「救済される者」と「救済されない者」の分別を行い、それによって社会を現状維持する機能を果たしていたからである。
リベラルによる「救済される者」と「救済されない者」の分別には、著しい特徴がある。
それは、より大きく、強く罪悪感を感じる問題を取り上げていかないことである。労働問題を扱う人は、偽装請負のギの字も語らない。
それは、偽装請負が小さな問題だからではなく、犯罪であり、非常に大きな問題だからである。だからこそ私は

偽装請負は日本型経営を殺戮装置に変えた - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

を書いた。
同様に、沖縄米軍基地問題も語らない。たまに出てくれば、沖縄独立論や集団的自衛権違憲論など、むしろ沖縄米軍基地の県外移転から話を逸らすための議論ばかりである。つまり日本にとってより大きな問題で、より日本の本質に迫る問題ほど、リベラルは語らないのである。
そして「社会を現状維持する」と述べたが、被害者は被害者を守るあらゆる規範が適用されなかったから被害者なのであり、被害者にとっては無秩序と同じである。「救済される者」と「救済されない者」の分別による社会の現状維持を、秩序として肯定するのは許されることではない。

リベラルは本来、「救済される者」と「救済されない者」を分けたりしない。
だから「救済されない者」にも、リベラルは浸透していく。それを不味いと思ったから、リベラルは「救済される者」を救済しなくなった。それが階層の固定化に繋がり、そしてリベラルな視点でフェミニズムが非難されるようになった。非難の根拠に「ダブルスタンダード」である。フェミニズムがリベラルの中心にいた証である。

mochi-mochi.hateblo.jp

にあるように、フェミニズムには「統合型」と「分離型」があり、有名なフェミニストは皆「統合型」である。
フェミニストが「統合型」なのは、「分離型」に属する女性を救済する気がなく、むしろ従属させてヒエラルキー構造を維持するためである。
そのためにキズナアイ騒動のように「性的」なものを排除しようとし、女が男になろうとする。個人差があるのをあえて承知で言うが、「統合型」のフェミニストは根本的に女性性を否定している。
「分離型」のフェミニストを従属させた後で、「統合型」のフェミニストが目指すのは男の去勢である。
「統合型」のフェミニストは「性的」なものを徹底して排除しようとするが、男が「性的」なものに反応するのは当然のことである。その当然を否定されて、男にどんな成長があるというのか?
去勢されて成長を阻害された男達は、「男尊女卑」という形で反動化する。「統合型」のフェミニストは反動化した男と戦うふりをしながら、ヒエラルキー構造を維持する。つまり本当は、男に従属しているのである。

私は今までのフェミニズム、リベラルの活動に一定の敬意を持っている。
しかしフェミニズムを中心としたリベラルの在り方は限界に来ており、また今までのリベラルは私を救済するものではない。今後相当の混乱と変革が予想され、その混乱が落ち着いた時には、フェミニズムはその中心から外れていると思っている。
ネットでたまたま見かけたものを紹介しよう。

peing.net

何度も読み返した結果、私は「彼女が意見を参考にしたりして影響を受けたフェミニズムの人がセクハラ行為に及んでいる」と判断しても曲解には当たらないと判断した。
私の判断が真実かどうかはわからない。しかし証拠はなくても、自分を否定する行為、つまりフェミニストが反フェミニスト的な行動を取る者は現れていると思っている。「救済される者」と「救済されない者」を分けられなくなった結果、フェミニスト、リベラルが自分を救済しなくなっているのである。

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