坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

『春の呪い』の「近親婚的なもの」と「罪の時代」の終わり

立花夏美の家は普通の中流家庭だが、元々はは財閥の家系だった。
柊冬吾の柊家は相馬家の分家で、今なお財閥としての地位を保っている。そして立花家は相馬家の女系子孫だった。
このような設定になっているのは、こういう設定にしないと二人がくっつけないからである。
なお、政略結婚というのは、自由恋愛全盛の現代には流行らない。柊家にしても、政略結婚でなく家格の釣り合う相手を選んだという感じで、政略の臭いはないのだが、両家は遠縁ながらも血縁関係にあり、近親婚の臭いがする。

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説明が不充分だが、遠縁でも女系なら近親婚に当たらないという論理を語っているのである。
もっとも江戸時代に遡る血縁など近親婚とも言えないとも考えられるが、この微妙な血縁関係が『春の呪い』を理解するポイントである。この作品は恋愛でない結婚、いや恋愛や結婚に限らず、あらゆる自分で獲得していない関係を近親婚に近いものと捉えているのである。

春の呪い』を読んで真っ先に思ったことは、略奪愛ものにしても全く問題のない内容だということだった。それでもこの作品がヒットしたのは、このような設定でなければならない何かがあったからである。
それは序盤にも表れている。お見合いである以上、付き合いは結婚を前提としたものでなければならない。
だから二人とも、結婚をゴールインとして付き合いだしたはずである。妹と冬吾がデートした場所を巡る条件も結婚に至る過程だったはずだ。
それがいつの間にか、「妹とデートした場所を全て巡れば別れる」という話になっている。この矛盾も、冬吾が夏美に付きまとわれていると冬吾の親が言い振らしている話になってごまかされている。
最近の作品は作品内の論理的整合性が高く、『ドラゴンボール』のような予定外の長期シリーズ化をしない限り、矛盾による設定変更などはしない。
このような矛盾がある場合、明らかに意味がある。本当は結婚を前提に付き合っているのに二人が「別れなければいけない」と思っており、略奪愛の罪悪感が顕在せずに暗示化されているのである。

夏美と春の両親は離婚しており、父親に再婚した相手と、離婚する前から付き合っていた。
基本的には不道徳な話である。しかし両親は互いの価値観を合わせたり譲歩したりすることができずに離婚した。
作中には、折り合いをつけるために必要な要素が提示されている。それが「気遣い」である。冬吾は夏美が書くものを必要としていると気付いてペンを渡し、夏美は冬吾の指が逆剥けているのに気付いて絆創膏を渡す。
こうした「気遣い」で生まれた関係性の先に「やりたいこと」があり、「自分らしい人生」がある。その反対にあるのが「近親婚的なもの」で、その正体は「自分らしく生きられない」ことである。
「大人になったら家を出て二人で暮らす」という夏美の春への想いも「近親婚的なもの」で、それは夏美が「春を好きなのは恋愛としてじゃないかと悩んだ」という台詞に表れている。
春はどうかといえば、「自分らしい人生」と「近親婚的なもの」の中間の位置にいる。冬吾への想いは本物であるが、それが与えられたもので、自分で獲得したものではないからである。
それは春の「二面性的な一面性」となって現れる。春は「自分が死んだら姉が冬吾と結婚するのではないか」と悩み、「死んだらお姉ちゃんだけを連れていこう」と思い、冬吾には「自分が死んでも幸せになって欲しい」と思い、「写真だけでいい」と、自分の棺に冬吾の写真を入れるように夏美に頼む。
しかし好きな相手の写真を自分の棺に入れるというのはかなり怖い行為で、それをされた相手は、自分の幸福を望まれているとは思わないだろう。
「死んだ人間にフラれるとは」と、「お姉ちゃんを連れていく」と書かれた春のSNSを読んだ夏美は思うが、これは逆で、むしろ「近親婚的なもの」への誘いである。夏美の罪悪感が、春が夏美の後ろに立っているように思わせるが、それが罪悪感と同時に「近親婚的なもの」への誘いとなっている。またその罪悪感は春への罪悪感そのものであると同時に、「近親婚的なもの」に背を向けることへの罪悪感でもある。

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夏美の立ち位置は、まだ春とそう変わらないところにいる。そして「自分で獲得したもの」を持たない春は、それが「本当の思い」であったとしても、「自分らしい人生」を送ることができず、どこまでも「近親婚的なもの」になる。それが春の「二面性的な一面性」の意味である。

この作品では、あらゆる血の繋がりが「近親婚的なもの」として表現されている。
夏美と別れた後、冬吾の母親は親戚の真由子と結婚させようと画策するが、真由子は冬吾の再従姉妹である。冬吾の母親が近親婚を本当は気にしていないことが、これで明らかになる。
真由子は冬吾を簡単に手に入れられると思っている。「近親婚的なもの」の持つ甘さである。
冬吾が家を出ると母親に告げると、「後悔するわよ」と母親は言う。
母親は、冬吾がすぐに音を上げて戻ってくると思っている。「近親婚的なもの」は、相手が自立できる可能性を最後まで考えない。
もっとも、作品では身内にも自立に協力する者がいることを示唆しているが、冬吾の兄達は作中に登場しないし、篤実は親戚だが、どういう親戚かは明らかになっていない。
「近親婚的なもの」は、親等が近いほど強まる傾向があり、油断できないことを示唆している。
夏美の継母は、父親に家を出ると話したら、「今後一切家から出してもらえなくなる」という。この父親も作中には声しか登場していない。
そして「お母さんがあなたを勘当します」と言って、二人は和解する。勘当が和解なのである。

では、道徳はどうなるのだろうか?
「人は死んだらどうなると思う?」
と言う冬吾に、「わからない」と夏美が答える。


…そうだわからない。わかっているのはただ居なくなるということだけだ。人が死ねばどうなるかなど死んでみなければわからない。俺もお前も、本当は呪われてなどいないのかもしれない

 

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つまりは「罪を背負って生きろ」ということである。状況対応はいくら積み重ねても道徳にはならない。状況対応を道徳にしては、被害者はいつまで経っても報われない。
ただし罪は、人が幸福になる権利を根本的に奪わない。罪悪を為した者とその被害者の折り合いが「罪を背負って生きる」ことである。作者がそれを言いたいためだけに、この作品を描いたと思えるような1コマである。

もっとも、「気遣い」だろうが状況対応だろうが、

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こういうのはいらない。これは19時に待ち合わせしているのだが、マナーとしても15分前到着が限度である。それなのに冬吾が先に来ているのを見て「遅れてすいません」という。どっちが先に着くか競っているだけなのである。

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と、冬吾も言っているが、1巻の待ち合わせの場面では「俺も今来たところだ」という。時間前に着いているのに謝るのは、現実ではあり得ないだろう。
前述のストーリーの矛盾と合わせて、私はこういうのを「非リアリズム的手法」と呼んでいる。
「非リアリズム的手法」とは何か?それは『キングダム』の王騎の顔であるwww。

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正面からより横顔の方がすごい…。
ストーリーに現実的でないものを挟み込みながら、消費者を真実に導いていく手法、それで「非リアリズム的手法」である。『春の呪い』の場合は、「気遣い」とは自分の身を磨り減らしてするものではないということである。

2016年までは「罪の時代」というべき時期で、『七つの大罪』に至るまで罪をテーマとする作品がヒットし続けていた。
この流れが、2017年を境に変わっていく。
小西明日翔の次回作『来世は他人がいい』で、染井吉乃は、深山霧島に「体を売ってこい」と言われる。
その後姿を消した吉乃が再び霧島の前に現れると、

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…皆さん思いましたね?思ったことは溜めずに口にしましょう。せーの、
JKが内臓売ってんじゃねー!!
ところが、この吉乃はただの女子高生ではない。

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普通の女子高生がなんでこんなに思い詰めてるの!?実際吉乃は中学の時から「梅田のホステス」とか「バツイチ子持ち」とか「美人だけど3日で飽きる顔」とか言われている。吉乃の表面でない中身は女子高生ではない。
『来世は他人がいい』の染井吉乃と深山霧島、『夢で見たあの子のために』の中條千里は、『進撃の巨人』1巻のエレンの破滅願望を遺伝子として持ちながら、高い行動力と強い精神エネルギーを持ち、最悪な状況でも生き残ったりする。
亜人』でもこのようなキャラが登場している。航空自衛隊入間基地を襲撃した佐藤達に新たに加わった仲間達、

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なんかフツーの方々で、選ぶ基準を間違えたかと思えば、

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フツーの方々が、戦士として有用なのである。「罪の時代」から、明らかに時代の流れが変わったのである。

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