坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

小池田マヤ『サンドローズ』

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家政婦、小田切里が派遣された家は、鬱病の奥さんと認知症の老婆がいる家庭。雇い主は亭主だが、単身赴任で家にはほとんどいない。
認知症の老婆、雇い主の母親は、里を見る度に「アレックス」と呼び、「やっと迎えに来てくれたのね」と言う。
奥さんの真砂は「クスクスを作って」と注文し、里がクスクスを作ると「本場のクスクスはこうじゃない」と言ってクスクスを床にぶちまける。その後もクスクスを注文するが、一口食べるだけ。


Sランクの家政婦の里が珍しく苦戦する一幕だが、その内事情がわかってくる。
老婆は亭主が先物相場で失敗して首を吊って死んだ後、一人で乾物屋を切り盛りして息子を大学まで行かせた、近所でも評判の「できた嫁」だった。しかし大姑の嫁いびりもまた、近所で評判になるほどだった。
そして息子が真砂と結婚し、大姑が死ぬと、今度は老婆が真砂に嫁いびりをするようになる。
姑の認知症が進行すると、嫁いびりは益々ひどくなり、真砂は姑の下の世話までしなければならなくなる。


老婆が言うアレックスは、アラン・ドロンをモデルにして作り出した老婆の妄想だった。
その妄想の中で、アレックスは砂漠の国の王子だった。
老婆が二十歳の頃、誘拐されて王子に差し出された。
そういう馴初めでも二人は恋に落ちた。
二人は愛し合ったが、彼女はハーレムの女の一人に過ぎず、アレックスは立場上、一人の女のみを妻とする訳にはいかない。
そこで「互いに歳を重ね、何のしがらみも無く自由の身となった頃に迎えに行く」と王子は約束し、二人は別れ、彼女は日本大使館に引き渡された。すごい妄想である。


亭主には、単身赴任先に愛人がいる。
家には介護ヘルパーが来ているが、真砂はこの介護ヘルパーと一度関係を持った。しかしそれも亭主の差金で、介護ヘルパーは亭主から金をもらってそうしたのである。
離婚して愛人と結婚しようとしたのか、妻の弱みを握って老婆の介護をさせようとしたのか、おそらく後者だろう。
しかし介護ヘルパーの方が本気になる。真砂を口説こうとするが、これも亭主の狙いで、里はその目撃証言をするために雇われていた。「キレイにしても誰も喜ばない家を美しく磨くのは、砂漠に水をまくようだね」と里は言う。


先物で失敗して首を吊って死んだ亭主の父親は、単に不幸かと言えばそうではない。
まどかマギカ』のまどかの父親が専業主夫なのは、父親が家にいることを強調するためである。
ここに男の作家の強迫観念を見る。男の作家の父親像は強迫観念的で、かつステレオタイプである。つまり男の作家は、出社のために出かけるだけでも「父親の不在」の暗示だと思っている。
死別も同様で、「世界の運命を決めるヒロイン」は、たとえ死別してても「父親」を探し出して殺すことで、正しく「世界の運命を決める」ことができるようになる。
女性の作家は、そうではない。
女性の作家は父親との対立を極力回避し、父親との和解を求めている。だから父親と死別しても、娘は父親と対立したりはしない。
この作品には「娘」はいないが、代わりに「息子」がいる。死別による「父親」の不在を、「母親」が十分に補えなかったのは明らかである。「父親」の不在の負担を「母親」は「嫁いびり」で晴らし、それは連鎖していく。「息子」は「父親」そっくりになり、負の連鎖に拍車をかける。「子は親の背中を見て育つ」というかつての言葉がいかに間違っていたかを、実に多くの作品が伝えている。


ある日、老婆の行方が分からなくなる。
もっともすぐに見つかる。近所の畑で火を炊いて、クスクスを作っていたのだ。
認知症には波があり、完全にまともな時もある。
少し前に里が「クスクスの作り方を教えて」と言ったのを、まともな時に実践したのである。
クスクスには専用の鍋があり、老婆はそれを使ってクスクスを作る。

何年も、何年も繰り返して上達した料理。その度に妄想した美しい王子の幻想は、何度あなたを救っただろう。

 

真砂の求めたクスクスは、老婆が作ったクスクスだった。嫁いびりにあい、憎んでもその老婆のクスクスを求める。
老婆の料理。クスクス、砂漠パン、ミントティー

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いつかなる。何にも縛られることなく自由に、この身もこの心も遠くへ連れ去られ彼方へ。王子が来なくとも、それだけは間違いないのだ。

 

「すごい妄想」も、解放を求めた結果であり、解放の象徴なのである。
しかし認知症患者が徘徊し、火を炊くようになっては、介護認定の区分を変更しなければならなくなる。
変更されれば、もう家で介護を続けることはできなくなる。


介護ヘルパーは亭主に金を叩き返し、全てをばらし、離婚調停が始まる。
里は妻側についていることがばれて解雇。
真砂は実家に帰るが、その後介護ヘルパーと付き合う予定。
老婆は終身介護の老人ホームに入ることになり、息子はその費用捻出のために家を売る。
更に離婚する妻への財産分与と慰謝料を支払うと、愛人も去っていく。
古い家は取り壊される。そして、

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老婆は、自分がどこに連れて行かれるのかもわかっていない。しかし、これは明らかに「解放」なのである。


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