坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

日本の不条理が司法に集中している

カルロス・ゴーン氏は、保釈された後すぐに再逮捕された。
保釈というのは、勾留により社会的復帰が阻害されることのないように行われ、また証拠隠滅などを行わないように心理的圧力をかけるために保釈金も取る。
4月の再逮捕は、オマーンのスマイル・バハワンとの不正な取引によるものである。

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私の見る限り、ゴーン氏は黒である。
しかし、この再逮捕には納得がいかなかった。
一応、再逮捕と同じか確認できていないが、保釈の取り消しというのはある。証拠隠滅の可能性がある場合などである。
しかしゴーン氏の保釈の日が確認できていないのだが、再逮捕までの日数は確か数日のはずである。それでは保釈を決定する日までに、検察がオマーンでの不正取引の証拠を掴んでいなかったのか?
掴んでいなかったのなら、再逮捕は一応妥当である。ただしどのような捜査を行ったのかという問題が生じる可能性はある。また再逮捕するにあたり、検察はゴーン氏の勾留によって、オマーンでの不正取引に気づかなかったことをしっかり説明すべきである。
私は、オマーンの不正取引の証拠を握った上でゴーン氏をわざと保釈し、再逮捕したのではないかと疑っている。もしそうなら、問題はなぜそのようなことをしたかである。

次は、はてなでも有名な岡口基一 (id:okaguchik)氏。

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「しかも、東京高裁が提出した「懲戒申立書」は、私が「もとの飼い主を傷つけるツイートをしたこと」を懲戒理由として設定していました。それなのに、決定の結論は、そうではなく、「裁判を起こしたこと自体を非難していると一般人に受けとめられるようなツイートしたこと」を戒告理由としているのです。」
これだけを見ると、裁判官が深く考えずに理由をつけてしまったから理由を変えたように見えるがそうではない。
「裁判を起こしたこと自体を非難していると一般人に受けとめられるようなツイートしたこと」というが、そのような受け止められるツイートではない。
理由は何でもいいのである。真の目的は、故意に冤罪をでっち上げることにあるからである。

日本では、冤罪事件がよくある。

セクハラ発言の内容を語らない者達 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、福田事務次官のセクハラ問題は冤罪である。
この後、目立った冤罪事件は起こっていない。
しかし一方で起こっているのは、実際に罪のあるものへの厳しい精細である。
登戸で起こった、小学生を狙った殺人事件は、次に起こった元農水次官が息子を殺傷した事件の反応に強い影響を与えた。登戸事件の犯人は不就労者であったため、殺された引きこもりの息子よりも、殺した父親、元農水次官の方に同情が集まった。登戸事件の犯人が幼い子供を殺したのも、引きこもりへの反感に拍車をかけた。
ここに、日本人の精神の根源を見ることができる。
農水次官の息子は登戸事件を見て「(子供を)殺してやろうか」と言ったそうだが、これでは殺人未遂にも該当しない。
日本人は、本当は加害者の味方である。だから本気で子供を殺す気があったとも思えない殺された息子をさも殺人未遂者のように仕立て、殺した父親を英雄扱いする。
そして冤罪でなく、本当に罪がある者への厳しさも、日本人が冤罪を求める精神と共通している。冤罪を称揚するから、本当に罪ある者に厳しく当たることで、自分を善人だと思おうとするのである。日本人に死刑存置論者が多いのも同じ理由である。
カルロス・ゴーン氏の再逮捕も、罪ある者への厳しい対応の一環だと思っている。「新たな容疑が浮上したから」と理由をつけて罪ある者をなぶり、世間も「それならば仕方ない」と納得する。
岡口氏の場合は、加害者が非難された時にしばしば取る対応である。つまり批判された時に、より乱暴に返してやるのである。話が首尾一貫しないというより、わざと話を首尾一貫させない、わざと首尾一貫していないのを強調するのである。
そこには、「俺は権威を見せた。従え」という心理がある。論理の支離滅裂さが権威なのである。この論理の支離滅裂さは、

日本が憲法を改正しない本当の理由 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように戦前は「非国民」、戦後は「右翼」という言葉に代表される、完全に非論理的に相手を「論破」する言葉が変形した者である。ただしこれらの言葉は、国民的な合意によって権威付けされていた。そしてこれらの言葉が体制の硬直化を招いた。
体制を破壊する力もまた、これらの言葉を使って生まれた。かつての石原慎太郎氏や、「橋下現象」などがそうである。
しかしこれらの言葉は、本来「壁の中」で使われるものだった。それは

「橋下現象」の正体 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べた通りである。付言すれば、不勉強ながらも「非国民」という言葉が戦前に公的に使われた可能性は高いと思うが、そのでも「『資源がない』と言うのは非国民である」などという公的な発言はないだろう。
石原慎太郎氏の問題発言や「橋下現象」の精神は特に右翼に流れ、ネットでも過激な発言が繰り広げられている。また右翼でなくとも、論理で追い詰められた者が「自分の意見が正しいのは完全に証明した」などと全く証明せずに主張するのも、「俺は権威を見せた。従え」である。その心理の裏には、強い罪の意識がある。
この傾向が右翼だけでなく、国民全体の傾向になってきたのが去年の日大であり、山口真帆事件でのAKSである。これらは全般に叩かれ、日大もAKSも衰退の傾向にある。もっとも山口真帆事件は、世間の反応に比べて、はてな界隈では話題にしなさすぎたと思っている。
しかし、「俺は権威を見せた。従え」で対応して、全般に叩かれることの少ないのが司法である。カルロス・ゴーンの件は警察、検察の問題だが、「司法に近い」という意味で取り上げさせてもらった。
岡口氏の件は世間で取り沙汰されたが、それで司法の問題が次々と取り上げられるという具合になっていない。
現在、司法は次々と問題のある判決を下している。

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判決で、鵜飼祐充裁判長は、性交はあったこと、娘からの同意はなかったことは認め、さらに「被告が長年にわたる性的虐待などで、被害者を精神的な支配下に置いていたといえる」ということも認めた。しかし、「抗拒不能の状態にまで至っていたと判断するには、なお合理的な疑いが残る」として、無罪を言い渡した。実の父親が、同意のない未成年の娘に対し、恐怖心から精神的支配下に置いたうえで性交をしたことまで認めているのに、「抗拒不能であったかどうかわからない」という理由での無罪判決である。

 

たとえば、加害者はいつもきまって「相手も同意していた」という言い訳をする。これは、先述のように、同意というのは心理的なもので、目に見えないものであることを悪用している場合もあれば、性犯罪者特有の「認知のゆがみ」による場合もある。「認知のゆがみ」とは、偏った受け止め方をするということで、相手の意図や心理を自分の都合のよいように曲解する「考え方の癖」のようなものだ。女性が明確な抵抗や拒否を示さなかったことで、「相手も同意していた」と受け取るのは、その典型的なものである。

 

他にも、
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刑務所では模範囚だった。刑期満了を待たずに仮出所できるように、職員が反省文を書くように勧めたが、アヤ子さんは「やっていないから」と言って応じなかった。そのために仮釈放はされず、満期出所した後の1995年4月に最初の再審請求を行った。鹿児島地裁は再審開始決定を出したが、検察の異議申立を受けた福岡高裁宮崎支部が取り消した。今回の第3次請求は2015年7月に起こされ、17年6月に鹿児島地裁が、18年3月に福岡高裁宮崎支部が再審開始決定を出した。すでに3つの裁判体で再審開始決定を出している事件だ。

 

事情を知った城教授は、再度鑑定資料を検討し、他殺の判断を撤回。「頸椎前面の組織間出血」の原因は、首の「過伸展(むち打ち症などのような力が加わること)」などによるものと修正し、この出血のほかは頚部圧迫の痕跡はなかったことを明らかにした。そして、側溝に転落した状況によっては、このような出血を伴う頸椎や頸髄損傷によって死亡することもある、とした。

 

それなのに、最高裁は地裁、高裁が認めた再審を取り消し、再審請求を棄却。
また袴田事件の再審請求が高裁で棄却されている。日本の不条理が司法に集中してきているのである。

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