坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

「何でも言い合える仲」を大事にする~『ドラゴンクエスト ユアストーリー』

ドラゴンクエスト ユアストーリー』は批評が大量に書かれる前から観に行くつもりでいた。
上映前から話題になっていたのが、キャラデザが鳥山明じゃないこと。「鳥山が描くモンスターが可愛すぎるからじゃないか?」というのが鳥山降板の理由と言われていて、従来の鳥山ファンからは不評で「絶対観に行かない」という声もあった。
予告編などを見ても、確かに鳥山のデザインじゃないけどこれもいいCGだと思ったよ。

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そうだこいつだ!デボラに床で寝かされてたのはwww。

ドラクエユアストーリー』は、そんなにヒットするとは思ってなかった。『ドラクエV』を映画化しただけの作品として少々話題に昇っても、ヒットは「天気の子』がさらっていくと思ってたし、『ドラクエユアストーリー』はその影に隠れてしまう作品でしかないと思っていた。
しかしいざ行ってみたらチケット売り場前が長蛇の列。なんとかチケットを買ってフードショップに並ぶとそこも大勢並んでて、時間かけたくないからコーラだけ買って入場。
この大入りに『ユアストーリー』じゃなく別の映画じゃないかと思ったが、チケット売り場でも「席が埋まってきてる」と言われたし、中に入ってそれなりに混んでることも確認。チケット買うところから30分くらいかかった。上映前に入れないんじゃないかと思ったよ。

この映画は大部ネタバレされているので、この記事でも当然ネタバレ有り。
ヘンリー王子と会う前までがゲームの画面でショートカットされていて、その後本編へ。
ちなみに私は『ドラクエV』はプレイしたことはなく、実況動画で観た。細かいところは忘れてるけど、ついていけないってこともなく自然に見れた。
ヘンリーと会ったと思ったらいきなり拐われて、主人公リュカが人質にされてゲマが「子を想う親というのはいいものですね」と言ってパパぬわーだっけ?プレイしてないせいかあんまり思い入れないけど。あー俺もゲマと同じセリフ言いながら兄貴にメラゾーマ浴びせたいわwww。
リュカは奴隷として働かされて、成人になってから脱獄して故郷のサンタローズに帰る。かつてパパと住んでいた小屋の地下でパパの手記を見つけ、自分が「天空の勇者」だとパパから思われていたことを知る。「天空の勇者」は天空人の子孫から生まれるという設定で、リュカが天空人の血を引いているのはその眼の色が証明しているという。
そこで初めて、リュカ以外が青い眼をしていることに気付く。
リュカの茶色がかった黒目は、黄色人種の特徴である。
青い眼のキャラは戦後の日本のアニメを中心に、日本では多数描かれてきた。青い眼のキャラは今までの日本人で、黒目のリュカは

日本型ファンタジーの誕生⑯~『進撃』6.新しい日本人の創生 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べた「新しい日本人」で、それが「天空の勇者」だというメッセージが、既にここで放たれている。
ところがこのリュカは、「新しい日本人」に成りきれていないらしい。
「僕は父さんじゃないんだ。辿り着ける訳がない」ってセリフが予告編で紹介されていたので、てっきり「魔界の門」に行くことだと思ってたら、何とサンタローズからアルカパまでの道のりのことだったwww。『ユアストーリー』ではどうかは知らないが、原作の『ドラクエV』では隣町である。
天空の剣を手に入れるためにアルカパに行けと従僕のピピンに言われ、「行きゃいいんだろ行きゃあ!!」とやけになってアルカパへの旅に出るリュカ。道中スライムばかり相手にしたり、キラーパンサーからは逃げ出したと思ったら、それがかつてのペットのゲレゲレだったというオチで、「ダメヒーロー」の匂いがプンプンする。
そしてアルカパについたら、町が魔獣のブオーンに襲われ、町の富豪のルドマンが「ブオーンを倒した者は娘のフローラと結婚させる」と宣言する。ブオーンの大きさに一度は尻込みするが、天空の剣を盗まれていることを知りブオーンに挑むが返り討ちに合う。
傷付いて薬草を求めるとビアンカが薬草をくれ、再びブオーンに挑む。
戦いながら天空の剣を取り戻し、いざ抜こうと思ったら抜けず、自分が「天空の勇者」でないと思い知らされてしまう。
それでも何とかブオーンを倒し、「結婚イベント」に突入する。

さてこの「結婚イベント」だが、動画で観た時は「何この男に都合のいい展開」って思っちゃったwww。
だってそれまで一緒に旅していたビアンカがこれから主人公が嫁を貰うルドマン邸までのこのこついてきて「じゃああたしはこれで」って帰ろうとするってこの女絶対破談を狙ってるだろって思うところを「どちらと結婚するか一晩考えてみろ」って「何でそういう展開になるの?」って思うじゃんwww。それなのにそんなしたたかなビアンカを選んじゃうウブなプレイヤーの多いことwww。俺なら絶対フローラを選ぶね!!
ただ多くのプレイヤーがビアンカを選ぶのには仕掛けがあったようで、発売前の紹介時点でフローラの存在が完全に伏せられていたことや、ビアンカが二度パーティーメンバーになることなどの心理誘導によってビアンカを選ぶプレイヤーが多かったということらしい。
この男に都合がいい「結婚イベント」は、実はプレイヤーにフローラを選ばせないためのイベントだった。なぜならフローラを選ぶのはロリコンではないにしろその入口のようなところがあるので、おそらくプレイヤーのロリコン化を危惧した製作者側がそれに歯止めをかけるために、敢えて男に都合のいい「結婚イベント」を用意し、年上で気の強いビアンカを選ぶように誘導したというのが真相だろう。

映画に話を戻すと、リュカはフローラと結婚できると舞い上がるが、占い師の婆さん=変身したフローラに渡された「本当の気持ちに気付く薬」渡される。それを飲むとフローラが好きだというのは「自己暗示」で「本当の気持ち」はビアンカにあるのにリュカは気付く。
この展開って無理あるんじゃない?
というのは置いといて、この薬のおかげでリュカはビアンカを選び、二人は結婚し、子供が生まれる。
この子供は、レモンのような色の眼をしている。ただし『ドラクエV』と違って双子ではない。
リュカは家族と平和に暮らしていたが、しばしば天空の剣が鳴ることでもう一度「天空の勇者」を探しに行かなければならないと感じていた。そこにゲマの一行が襲い掛かる。
ビアンカは連れ去られ、リュカは石にされる。
「魔界の門」があるセントベレス山に連れ去られたビアンカにかけられた魔法を解くと、ビアンカの眼の色が子供と同じレモン色になる。
ビアンカもまた「新しい日本人」なのである。
この後マーサから「魔界の門」を開く呪文を聞き出すというゲマの要求をビアンカは撥ね付けて石にされるが、石化したリュカを「いい出来映え」とゲマが言うのに対し、石化したビアンカを「つまらない出来映え」というのは、リュカでなくビアンカが「新しい日本人」だということを意味している。

時が経ち、石化したリュカを少年になったリュカの息子が元に戻す。
リュカの息子は天空の剣を抜き、少年ながら「天空の勇者」であることを証明する。
そしてマスタードラゴンと共に最終決戦に挑み、ビアンカも石化から解放し、それまでバギマしか唱えられなかったリュカがバギクロスを唱えてゲマを倒す。
しかしゲマはマーサを殺してその力を吸収し、「魔界の門」を開く。魔王ミルドラースの復活である。
ここで「天空の勇者」が「天空の剣を魔界の門にぶちこめば」と言い出す。天空の剣で「魔界の門」を再び封印できるという、それまでになかった設定を言い出すのである。
「天空の勇者」がその剣を魔界の門に投げ込むと、時が止まり、ミルドラース、いやプログラムに侵入したウイルスが姿を現す。
ウイルスは「これはゲームだ」と言い、「ゲーム」の世界を破壊していく。そしてウイルスの製作者の伝言を伝える。「大人になれ」と。

この時、私はウイルスに大喝采していた数少ない人間の一人だった。
私はファミコンより後に移行しなかったので、ドラクエシリーズは『IV』までしかやったことがない。
家には『I』、『III』、『IV』があった。『II』は買って一通りプレイしたが、「友達に貸して誰に貸したかわからなくなった」という当時よくある事情で家にはなかった。
本当はシドーを倒せなかった『II』をやりたかったが、家にないので他の3作品をやりこんだ。受験勉強や就職活動の現実逃避のために。
『I』は比較的多くプレイした。現実逃避してるのに、簡単なゲームなどやりたくないというのがその理由だった。
しかし『I』はレベル上げに時間がかかってストーリーが進行しないだけで、決して難しいゲームではない。そういう理由でも『II』がやりたかったが、ないので『I』をやる。それもやってられなくなると、『III』や『IV』をやる。
やる時はいつも、攻撃呪文は一切使わない。『II』の呪文の使いづらさですっかり魔法嫌いになっていたからである。
それでもサクサクとゲームが進んでいくのである。ストーリーが次々と進行し、ラスボスを倒す。このストーリーを消化する感覚、「これはゲームではない」とは、当時から思っていた。
ストーリーを消化したければ、マンガや小説を読めばいい。そう思いながらも、止められないのである。
現実逃避する時間は、マンガや小説では埋められなかった。
私と『ドラクエ』の関係は、共依存だったと思っている。だから私は『ドラクエ』自体にいい想い出を持っていない。

世界のウイルスによって壊されようとする時、スライムのスラリンが「私はウイルスを撃退するワクチンだ」と言い、ロトの剣に変身する。リュカはその剣を振るってウイルスを倒す。
そして世界は元通りになる。
ところがである。天空の剣を「魔界の門」に投げ込めば再び封印できるという、それまでになかった設定を持ち込み、剣を投げ込むと世界が壊れていった。
「天空の勇者」は双子ではなかった。映画の尺を考えれば、双子を登場させる余裕なんかない。それはその通りである。
しかし映画の中で、「これはドラクエV』のリメイクだと言っている。本当に双子を登場させたければ、またゲームの画面でも使えばいいのである。
つまり何が言いたいかというと、「天空の勇者」こそがウイルスだということである。「新しい日本人」として、ゲームの世界を壊しにかかったのが「天空の勇者」なのである。

この映画については、「ゲームだと言って世界を壊しといて、ロトの剣でウイルスを撃退して世界は元通りにしたからそれでいいと思っているのか」とか、「ワクチンじゃなくて自分の力でウイルスを撃退するならもっと良かったんじゃないか」などと言う批判が相次いでいたが、どうもみんな、本当のことを語っていないように思える。
映画には家族連れ、つまり子供を連れて観に来てた人もそれなりにいたようである。このネット社会で、この映画への批判を全く知らずに家族連れで映画を観に来る人はほとんどいないと思う。
中には子供に押しきられて仕方なく観に行った人もいるかもしれないが、そういうことじゃなく、この映画のメッセージをちゃんと受け止めている人はもっと多いと思う。そうでなければ、この映画がヒットしている理由がなくなってしまう。

主人公はフローラを選ぶために、プレイ前に自己暗示プログラムをかけている。
そのプログラムがなくてもフローラを選んだかといえばそうはならず、やはりビアンカを選んだ。それは「何でも言い合える仲」が一番いいからである。そしてこれが日本人の本音ではないのか?
『ユアストーリー』のテーマが「大人になれ」ということだと思うのなら、実はこの映画のテーマはそこまできつくない。と言ってもその一歩手前くらいだが。
「何でも言い合える仲」を大事にすること、そして「ゲームがいずれ終わること」を理解すればそれでいいのである。その後のことは「新しい日本人」がやる。そういう期待を込めて、家族連れで観に来た人もいるんじゃないか?

古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。