坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

生産性向上のため、管理職は現場を無視していい。

「与えられた仕事をこなせば、仕事中に何をしていてもいい」というのが海外、特に欧米の考え方である。
多くの日本人は、それを聞いて間違っていると思う。それは「空いた時間を他のことに使えば、効率は最大になるではないか」と思うからである。
断言しよう。日本人の考えは完全に間違いである。そもそも「空いた時間を他のことに使え」と言ったって、効率は最大にはならない。
それを証明するデータがある。

www.newsweekjapan.jp

によると、日本の労働生産性は50年間先進国で最低で、80年代には少し上昇したが、その後最低ランクに戻った。
その日本が世界第二位の経済大国になったのは、「薄利多売」によるものだった。
かつては世界第二位の経済大国だったと思っていたので、さすがに衝撃を受けたが、すぐに理解できた。それが「空いた時間を他のことに使え」と言ったって、効率は最大にはならない理由である。

「空いた時間を他のことに使えば効率が最大になる」という人は嘘つきである。なぜならそう言われる人と言われない人がいるからである。
言われていない人はマイペースで仕事ができているならまだいい方で、極端に暇になる人もいる。
そう、

忙しい部署に立場の弱い者を置くと仕事が集中する。 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で起こったことの結果、立場の弱い者に仕事が集中していくだけなのである。これでは生産性の向上にならない。
上司と部下、正社員と派遣社員といった立場の違いがなくても、人に仕事を押し付ける者がいる。
私は今3班交替制で働いているが、全ての仕事の数量が決められている訳ではなく、メインの作業以外はその人の裁量でやるかやらないかを決めていい作業もある。
立場の違いがなくても、その作業をサボって人に押し付ける者がいる。それがマウンティングだとわかるのは、サボり屋のくせに人を攻撃してくるからである。
多くの日本人の本音はこうで、自分がサボって人に仕事を押し付けるのは、自分が「偉いから」という勘違いを起こしている。私はサボりには寛容な方だが、マウンティングをする者には逆に相手に仕事をさせるようにしている。
こうして特定の人間に作業が集中した部署は、離職率の高い部署になる。
そのような部署で特に行われるのが「犯人探し」である。「犯人探し」とは、問題が発生した時に「誰が犯人か」を決めることで問題を解決することである。
「犯人探し」が行われる部署、もしくは会社では、問題を「犯人」の責任にした結果、作業方法その他の改善が行われなくなる。根本的な問題が解決されないので、同じ失敗がまた繰り返される。
ブラック度が高い企業で良くあることが2つあり、ひとつはしょっちゅうクレームが起こることである。そのような場合、管理職はパワハラが原因だと理解しているが、パワハラ上司を何とかしようとは絶対にしない。クレームが起こる度に管理職が取引先に行って時間をかけて選別作業などをするが、「お前らのせいで」とはならない。なぜなら、彼らは今までそうやって出世してきたからである。
日本の管理職の「役割」は、パワハラ加害者を「正当」とすることにある。日本の社会はパワハラ加害者が中心になって動いており、周囲がパワハラ加害者を擁護し、上司がそれを承認することで成立している。だからパワハラ加害者を承認する上司は評判が良くなり、しばしば出世コースに乗る。それが年功序列、終身雇用の日本型経営を形作っている。
そのような会社では、いかに考えなくさせるかが人の精神の多くを占める。「考えない」とはフィードバックが行われないということで、上からの指示は反論せずに受け、問題があっても上に伝えない。データに間違いがあっても報告しないということが行われる。パワハラをする連中は、表面はいかにも責任感が強い風を装っているが、本質は徹底した無法者である。
もうひとつは、徹底的に叱り飛ばすのに、怒られ慣れて相手の改善を引き出せなくなるパターンである。「犯人探し」とマウンティングによる関係が、相手を反省させられないという点で無意味と化している。そして同じ失敗を繰り返す。
ところがその反省しない者は、しばしばその会社で長生きする。労働法の関係で止めさせにくいというのもあるのだろうが、そのダメな社員と共依存の関係ができているのが原因らしい。共依存の加害者は被害者の「保護者」を演じ、その関係を永続させようとする。私も営業をしていた時に経験があるが、「辞めたい」と言ってもとにかく辞めさせてくれない。
彼ら加害者達がその時に説くのは、人と人との「絆」だったり、人間の「成長」だったりする。それらは全て、パワハラ加害者に都合のいい「神話」だった。
辞める者に保証がある訳ではない。それでも確実なことは、その時は何が何でも辞めるべきだということである。それでも「辞めた方がいい」と思えないほど自我が破壊されている者がその会社に残る。既に生産性以前の話である。

先ほど「フィードバックがない」と述べたが、下から上へ意向を伝えることはある。
しかしその意向は、パワハラ体質の維持のためにバイアスがかかった意向である。だから何度話を聞いても、パワハラの改善にも生産性の向上にもならない。
だから管理職は、現場の意見を聞かずに作業配分の適正化を図る必要がある。そのためには現場の作業に精通し、誤りを修正する柔軟さが必要である。今まで意見を聞いていない「立場の弱い者」の意見を聞くことも大事である。
しかしそのためには、管理職が現場の意見を無視しなければならない。今までパワハラ加害者を「正当」として出世した管理職達が、簡単に現場の意見を無視できるはずがない。
そこで、ある会社が管理職と現場の関係を断つために用いた手法を紹介しよう。
ある時期に、「用具の置場所をシンプルに」する運動があった。その運動の中で、いらない用具が廃棄されたり、床にラインを引いて置場所を決めたりするようになった。
私は当時、それが意味のあることなのかわからなかった。確かにそれまでの物の置場所はごぢゃごちゃしていたが、不便だと思うほどではなかった。また本当に必要な物まで廃棄されたりして弊害が出ることもあったのである。
今になってその運動の意味がわかった。おそらく管理職達はもっと上から「現場の用具の置場所を可能な限りシンプルに、現場の意見は聞かなくていい」と指示されていたのだろう。以降、現場のパワハラ加害者の意見はしばしば聞かれなくなるようになった。

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