坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

ディートリヒ・ボンヘッファーとガンジー

トルストイの小説は、読んだことがない。
トルストイは無抵抗主義の元祖で、ガンジーなどに影響を与えたことで知られているが、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャはトルストイの無抵抗主義に通じるものがある。ところが我々は、トルストイドストエフスキーを仲の悪い同時代人というくらいの認識しかしていない。

カラマーゾフの兄弟』には続編の構想があったことが知られており、その続編構想は、アリョーシャが皇帝を暗殺しようとするストーリーだという。
ここで私が思い出すのが、ディートリヒ・ボンヘッファーである。
ボンヘッファーはその思想も興味深いものであり、2000年代の一神教への批判が展開された時にもボンヘッファーが取り上げられることがあった。「我々の神は、機械仕掛けの神である」とボンヘッファーは言ったという。一神教の持つ頑迷さの面を批判するために、ボンヘッファーが取りあげられたのである。

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そしてボンヘッファーは、ガンジーの影響を受けた非暴力主義者だった。さらに興味深いことに、ボンヘッファーは『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャと同じ運命を辿るのである。
ナチスが台頭するドイツで、ボンヘッファーアメリカに亡命しようとするが、1939年7月、滞在1ヶ月でドイツへの帰国を決意する。
1943年4月、ユダヤ人亡命援助の容疑でボンヘッファーは逮捕される。1945年4月に、前年のヒトラー暗殺未遂計画への関与が発覚し、4月9日に絞首刑となった。まさにアリョーシャの如き生き様である。

同時代に生きたガンジーは、ナチスユダヤ人虐殺について、このように述べている。

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ヒトラーは500万人のユダヤ人を殺した。これは我々の時代において最大の犯罪だ。しかしユダヤ人は、自らを屠殺人のナイフの下に差しだしたのだ。かれらは崖から海に身投げすべきだった。英雄的な行為となっただろうに。

 

ガンジーはあくまで、ユダヤ人が「自らを屠殺人のナイフの下に差しだした」のを問題にしているのであって、崖から海に身投げするという「英雄的な行為」をしても、死ぬことに変わりはなかった。
主戦場でなかったとはいえ、ガンジー第二次世界大戦の時代を生きている。そのガンジーの言葉には重みがある。
ガンジーは非暴力主義を徹底する点で、誰よりも「冷酷」だった。武器を捨て、非暴力に徹すれば敵は自分達を殺さないという甘い考えは、ガンジー微塵も持っていなかった。非暴力主義はガンジーの後にキング牧師ネルソン・マンデラを輩出したが、ガンジーほどの「冷酷」な認識は最後まで持たなかったのではないか?

ディートリヒ・ボンヘッファー - Wikipedia

によれば、

ボンヘッファーは、ある一定の状況においては殺人が善でありうると主張したのではない。殺人は悪であり、神の審きの対象であることに変わりはなく、マタイによる福音書26章52節にあるように、「剣を取る者は皆剣によって滅びる」のである。しかし、隣人のためにその罪を自ら引き受ける者が彼の時代には必要であるとボンヘッファーは考えた。そのようにして神の律法を一時的にでも超えて行くことは、彼によれば、将来における真の意味での律法の成就に不可欠であった。逆に、善を選ぶことが不可能な状況下において、より大きな悪を避けるためにより小さな悪を選ばないことは逃避であるとされ、批判の対象となった。

 

とあり、ガンジーの理論を理解せずにヒトラー暗殺に関与したという様子はない。
しかし、たった一人でも殺してしまえば、それはもはや非暴力主義ではない。それがヒトラー一人であったとしても。
そして暴力に訴えた者は、非暴力主義を人に伝える資格を失う。だからガンジーは、虐殺されるユダヤ人にさえ「身投げ」するように訴えたのである。

確かに、ヒトラー一人を殺せば、事態は大きく好転する。
しかしノルマンディー上陸作戦成功後の、ナチスの衰退期のこととはとはいえ、暗殺はハイリスクな計画である。
一度はアメリカに亡命しようとしたのだから、ヨーロッパのどこにでも飛んでレジスタンスに身を投じた方が、暗殺計画に加担するよりも「安全」な気はする。命を的にするのに変わりはないが、一人でも敵を殺せる可能性はその方が高い。暗殺は、失敗すれば成果0である。
この点、非暴力主義者の思考は自由ではないのである。
ボンヘッファーはなぜアメリカに亡命せずにドイツに戻ったのか?
それは非暴力を人に説いたからである。非暴力を暴力より少しでも「安全」と思った、または人に「安全」な方法だと思わせてしまった場合、それが自責の念となり、より自らを危険に晒す選択をしてしまうのである。その選択は事態が悪化するほどに破滅的なものとなり、自殺に近い選択を採るようになっていく。
非暴力主義でなければ、ボンヘッファーアメリカへの亡命をためらわなかっただろう。ガンジーなら、死のうとも亡命など考えなかったかもしれない。非暴力主義は甘い思想ではない。そして非暴力主義を確実に後世に伝えられる人間になるためには、「ガンジーくらい冷酷」にならなければならない。

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