坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

東京は単純にコロナ予防に失敗している

新型コロナウイルスの感染者が再び増加し、現在東京では一日50~60人の陽性者が確認されている。6月初めには10人を割っていたはずなので、1ヶ月足らずで急増したように見えるが、これに日本の感染拡大のピークが諸外国に比べて極端に低いからである。はっきり言って諸外国とは感染者数の桁が違う。
日本の感染拡大のピークは3月で、東京で一日の感染者数が200人を超えた程度である。当時は欧米の状況が悲惨で、日本も同じようになるという危機感が強く、新型コロナが季節の影響をどれだけ受けるかということもわかっていなかった。
実際には4月7日の緊急事態宣言より前に感染拡大はピークを向かえており、緊急事態宣言の効果が疑問視されている。

news.yahoo.co.jp

日本では一日の感染者数の約半分が東京での感染者である。
東京は日本の中心であり、1400万人の人口がいる。
しかし東京は、他と比べて感染が拡大し過ぎている。
日本第二の都市は大阪と思われがちだが、実は横浜市である。
横浜市は人口376万人、神奈川県で922万人である。横浜で今日は28人の感染者が出たが、それ以前は5人10人である。
大阪では今日は5人で、連日0人だった頃に比べてじわりと増えているが全く危険水域外である。
人口密度でいえば東京都は6383人/平方km、23区で15451人/平方kmである。
しかし横浜市の人口密度は8594人/平方km、大阪市は12215人/平方kmである。東京の感染拡大は過密人口が原因だが、感染拡大を止められないほど過密している訳ではない。東京が感染対策に失敗しているのである。
大都市で感染症が広がれば、影響を受けるのは衛星都市、次に大都市との往来が多い他の大都市である。
大阪もまだ感染者数が少ないながらも東京の感染拡大と関係があると私は思っているし、横浜も夜の街からの感染者が半分を占めているが、東京と横浜を往来した者が夜の街で感染を拡げたと見るべきである。仙台でも感染者が出ているが、それも東京との関係が強いと見ている。

現在都知事選の最中で、現職の小池百合子氏が再選されるのはほぼ確実である。
都知事選で感染拡大が話題にならないし、感染対策も特になされていないが、別に無策なのではない。
選挙期間中に慌てて感染対策をやると、小池氏が感染対策に失敗したように見えるから、敢えて無策を装っているのである。いわば都知事選のために感染症対策が遅れているのであり、小池氏が再選されれば、夜の街を中心にした感染対策が為され、それに伴い東京発のコロナの感染拡大は下り坂へと向かい、この夏場を乗り切ることができる。

秋以降に懸念されているコロナの第2波だが、日本に限らず、アジアでの感染者が少ないのはよく指摘されていることである。
これについてはBBC接種による自然免疫、別種のコロナウイルスに感染した経験による交差免疫などが指摘されている。これらにより基本再生産数も最低で1.4に見積もられている。合わせて致死率も0.2~0.6%と見られている。
また感染予防についても、接触確認アプリや下水からウイルスを検知する方法などが開発されて、早期に感染者を隔離できる体制が整いつつある。
治療薬もレムデシビルや重症患者に効果のあるデキサメタゾンなどが開発されている。第2波といっても、私などは11月までは平穏に過ごせると予想している。

news.yahoo.co.jp

それ以降についても、阪大発の創薬ベンチャーアンジェス」が早期承認を目指してワクチンの治験に入っている。

www.jiji.com

第2波は回避される可能性が高いのである。

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幕末の群像②~河井継之助が目指したのは「大政奉還」

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司馬遼太郎は短編『英雄児』で自らの力を過信した結果として、『峠』で武士の世が終わることを予見しながらも、武士道の完結として河井継之助北越戦争に至ったと描いた。
しかし私は、何度も読むうちにどれも継之助の本心にまで入り込んでいないと思うようになった。特に『峠』は長編なだけに、継之助の心情に踏み込んでいないためにストーリーが上滑りしている感がある。

幕末の動乱期、武市瑞山は一藩勤王を目指して土佐勤王党を結成し、坂本龍馬は土佐郷士による政権奪取を危険と見て脱藩浪人となった。
歴史は龍馬に先見の明があると見るが、これは誤りと言っていい。
幕末に脱藩浪士として大きく名を成したのは清河八郎坂本龍馬中岡慎太郎の3人しかいない。
他の脱藩浪士は多くが明治まで生き残れずに非業に倒れている。
そして幕末に名を成してもやはり死ぬのである。それが脱藩浪士の運命である。
幕末を生き抜き、明治に活躍できたのは薩長の藩官僚である。
藩官僚として活躍するのが幕末期にどれほど有利だったか。
脱藩浪士には死ぬ運命しかない。浪士がこの壁を突き抜けて歴史に名を残す活躍ができたとしても、やはり死ぬのである。
河井継之助が脱藩して勤王派にならなかったのを、武士道倫理のみで理解しようとするのは誤りである。
藩官僚にならなければ事を成すことはできないというのは、時代の常識的な考えである。そして継之助が仕える長岡藩牧野家は譜代藩である。勤王倒幕という選択肢は、最初から継之助にはなかった。

継之助は中年になるまでの間、江戸をはじめ諸国を巡って旅をする。
旅は、師を求めて学問をするためである。しかし継之助は何を求めていたのだろう?
継之助が佐久間象山を折りが合わなかったのは理解できなくもない。
どちらも傲岸な性格だからである。しかし性格が会わなくても、それが象山の教えに満足しない理由にはならない。
その継之助が、備中松山山田方谷に師事したのを最後に旅を終え、長岡に戻って藩政に関わり、家老、そして執政となる。
山田方谷は謙虚な性格で、継之助とはそりが合いそうである。しかしもちろんそんなことで継之助が方谷を最後の師とした訳がない。
もっとも方谷は藩主を幕政に関与させないように説くなどの継之助との共通点があるし、農兵制を敷いたり西洋兵学を学んだりしたが、それ以外は方谷は江戸期の普通の藩政改革者というしかない。第一幕末に多く現れた警世家ではない。
継之助が方谷の何に満足したのかがわからない。

ここで山田方谷備中松山藩というのを考えてみよう。
方谷の主君は板倉勝静である。徳川慶喜の代に老中だった人物である。
継之助が方谷に師事したのは1859年で、幕末の動乱の中期である。継之助は方谷に師事しながら途中長崎に遊学したりして、翌年に方谷の元を去っている。
板倉勝静は当時幕閣だったが、継之助が方谷に師事した時期は丁度安政の大獄で勝静が罷免されていた時期である。
要は、方谷は勝静の家臣として、幕府の内情に詳しかったということである。
当時の幕政では公武合体論が主流だったが、一方で勝海舟などが大政奉還論を主張していた。
大政奉還については、いつ誰が最初に唱えたのかは詳しくはわからないが、ウィキペディアでも1860年頃には主張されていたと推論できるように書かれている。

大政奉還 - Wikipedia

方谷は、継之助に大政奉還を教え、それに満足して継之助は長岡に戻り、藩政改革に着手した。というのが一番妥当な推論だと思う。しかし龍馬に先を越されたのである。
そして継之助の一藩中立官軍と、会津の和解の画策などは、大政奉還後の倒幕運動に対する、大政奉還論の変形である。

継之助の藩政改革は、博打の廃止、芸者の廃止、妾の廃止と、殖産興業など迂遠といわんばかりの直接的な金集め政策である。
越後長岡藩は七万四千石。実高は二十万石と言われているが、表高と実高が違うのはどの藩も同じで、長岡藩が大藩だということにはならない。
その長岡藩を、継之助は西洋の兵装に切り替え、さらに東洋に三門しかないガトリング砲を二門持つまでになる。明らかに長岡藩を幕末の風雲に投じるためである。
そして長岡藩の実情も知らない官軍の岩村精一郎が継之助の提案を一蹴すると、継之助は3ヶ月もの間、長岡藩の軍により官軍を翻弄するのである。

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「敵の敵は味方」「昨日の敵は今日の友」

NGT48が活動を再開した。
NGTの活動再開自体が山口真帆潰しの始まりと私は見ているが、今回は研音について。
ファンは研音が山口を潰そうとしていることを意識しないとファンをやる意味がない。



 

菅原りこや長谷川玲奈のフォローも外させ、未だに研音だけしか山口にフォローさせない研音が山口の味方だと思っている者はひとりもいないだろう。そんな研音が今後どれだけ山口を芸能人として使うつもりがあるというのか?
研音が山口に反論させないので、山口のフォロワーがどんどん減っている。

entamega.com

山口ファンに山口のフォロワーが減るのを止める力はないが、ファンは研音が山口に仕事を持ってこないのを許さず、山口を女優にしないのを許さず、NGTへの山口の反論を妨害するのを許さず、山口が研音しかフォローできないのを許してはならない。
ただしあくまで私見として受け取って欲しいが、ドラマのレギュラーは駄目。
既に山口と研音の信頼関係は壊れていて、演技指導が十分に行える環境にないと私は見ており、レギュラーとして登用するのは山口を潰すためだと見るべきである。2、3年はレギュラーでない仕事を持ってこさせるべき。山口が「嫌だ」と言わない限り。

私が批判した人をフォローするという状況が相変わらず続いている。
よくも飽きずにやるものだと思う。
しかしこれもひとつの現象として冷ややかに見ている。

安倍政権は低所得者層の「復讐の代行者」 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で一、二年で日本の権威が崩壊すると述べてから今年で2年目である。今その権威の崩壊をひしひしと感じている。
しかしこの権威の崩壊に対する人々の行動が良くない。
権威の元となる同調圧力が弱まると、人々はさらに同調できる何かを求める。
本当に行くべき道は逆である。同調に逆らった先に本当の答えがある。
コロナ禍での自粛要請でも、補償がでないのなら仕事をすればいいのである。自粛警察が問題となったが、みんなが補償がなければ普通に働き始めれば、自粛警察などあんなに幅をきかせたりしなかったはずである。自粛警察も補償のない要請に応じるのも、根っこは同じである。要請に効果が無ければ、国だって補償を出したかもしれない。
要は自分の評価と救済は自分でしろということである。まずはそのようにすべきで、逆に言えば自分で自分の評価と救済をするためなら何をしてもいいということである。
だから「敵の敵は味方」で動いていいし、「昨日の敵は今日の友」で動いていい。「酔えば勤王、醒めれば佐幕」、「朝令暮改」何でもござれ。実際よく見ればわかると思うが、このブログも結構朝令暮改であるwww。
「人間は首尾一貫しなければ」なんてきれいごとは結構。首尾一貫した奴などほとんどろくでなしである。もっと正確に言えば、首尾一貫してるように見える者は広い意味で首尾一貫していないのである。「法の下の平等」を唱える者が全ての問題で「法の下の平等」を求めているか?どうせみんな首尾一貫していないのだから首尾一貫する必要などない。
日本人はとにかく「敵の敵は味方」で動けない。「利害は一致しているはずだ」と思って今までに何度話を持ちかけても応じない。そういう時は大抵ヒエラルキー感覚で人は動いているのである。
今話題にならないのがLGBT発達障害で、その理由は彼らを引き立ててきたフェミニズムの影響力が弱まったからである。
少なくともフェミニズム護憲派の専売特許ではなくなるし、元の力を取り戻すには相当時間がかかる。
ならばLGBT発達障害はなんでもいいからマイノリティを引っ掻き集めて復権を目指せばいいのだが、それができない。過去のヒエラルキー意識に囚われているのである。既に破滅思考である。特に派遣の問題は全く取り上げることができない。大体ヒエラルキーは罪の意識の裏返しで、派遣の問題は罪の意識が深すぎて差別にさえならない。
沖縄もそうで、最近はコロナの問題で多少は話題になることもあったが、本土の人間は沖縄基地問題を忘れる方に向かっている。
だから沖縄基地問題が再び取り上げられるには、本土のマイノリティとの協力関係の構築が必要なのだが、護憲との関係でそれができない。
そう、護憲との関係でできないのである。護憲派の差別への取り組みはヒエラルキー固定のためのごまかしだから。
そもそも沖縄基地問題は単独で成立する問題ではない。本土のマイノリティと協力関係を結ぶなら、離島問題も含めてあらゆる差別問題に取り組んでいかなければならないのだが、離島問題は自民に逆手に取られて基地問題の障害となる始末である。
護憲と組んでも「辺野古移転反対」までで、いつまで経っても県外移転の話にはならないのだが、護憲離れのタイミングが掴めないのか、もっと根本的な問題があるのか、情報不足でなんとも言えないがとにかく時間のかかることなのだろう。

敵の敵は味方」、「昨日の敵は今日の友」が、根本は脱ヒエラルキーに繋がるものである。
しかし理念から入る必要はない。自分の利害から行動していけばいい。ただ破滅思考からは卒業する必要がある。

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日本型ファンタジーの誕生(33)『東京喰種』:5~亜門鋼太朗と滝澤政道

亜門鋼太朗のクインケ「ドウジマ」は、死んだ亜門の同僚張間のクインケだった。
張間は女性で、亜門は張間に対し特別な想いがあったようで、そのことを示す描写もある。

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酔っ払った真戸アキラに抱きつかれて張間のことを思い出したのだが、しかし詳細には描かない。こういうところはいかにも現代的である。

亜門は孤児院を経営しながら、子供を捕食していたドナート・ポルポラに育てられた。
ドナートは亜門だけは殺さなかった。亜門はドナートを憎み、喰種捜査官の職務に邁進するが、ドナートからもらったロザリオは肌身離さず身に付けていた。

梟討伐戦が近づき、アキラの父の墓参りに行くと、アキラは亜門にキスをしようとするが、亜門はアキラの口を塞いでしまうwww。

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梟討伐戦で亜門はカネキと戦うが、右腕を切断されて戦闘不能になる。アキラに亜門に何かあったと勘で察し、アキラに想いを寄せる滝澤政道は持ち場を離れるという職務違反を犯して亜門を救出に行く。そこにタタラ率いる「アオギリの樹」の強襲を受けて、亜門と滝澤は連れ去られ、嘉納により喰種化施術をさせられる。滝澤は成功体「オウル」となるが、亜門は赫包が体に馴染まず、「フロッピー(失敗作)」として放棄される。
その後は嘉納の追っ手を避けながら、人間を捕食せずに喰種を捕食する「共喰い」により生き長らえる。その間、死堪に襲われた米林才子を助けたりしている。

ル島でCCGとタタラが戦闘をする中で、滝澤は「アオギリの樹」を裏切り、タタラを殺す。滝沢は「アオギリの樹」打倒に貢献して、CCG、ひいては人間社会に復帰しようと画策していた。
しかし滝澤の元上司の法寺は、滝澤討伐の号令をかける。逆上した滝澤はその場にいたCCGの戦闘員をアキラを除いて全員殺し、「お前を殺そうとしたのは法寺さんの優しさだ」と言うアキラも手にかけようとしたところで亜門が助けに入る。
「俺を殺すんだろ?」という滝澤に、「お前を救いに来た」と返す亜門。
滝澤にとって亜門は敵ではない。「失敗作って嘉納の言った通りスね」と言う滝澤に「そうやって自分をごまかし続けるか」と亜門は言う。

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「生きて罪を償うんだ」と言う亜門に「わかんねえよそんなの!」と答え、亜門を行動不能にした滝澤は「お前と亜門さんのどっちが正しい?」とアキラに尋ねる。アキラは答えられない。
そこに六月トオルが現れ、滝澤を行動不能にするが、トドメを指そうとしたトオルに対し、アキラは滝澤を庇ってしまう。アキラを殺そうとするトオルを復活した亜門が救出さらにその場に瓜江らクインクス班が登場し乱戦となる。
亜門は滝澤にアキラを連れて逃げるように言う。クインクス班の連携によりトドメが刺されたと思ったが、そこで亜門の赫子が暴走、異常増大し赫者としての本領を発揮する。
才子の赫子で亜門はトドメを刺されるが、才子は「なんであの時才子を助けたの?」と亜門に問う。「それが正しいと思ったからだ」と答える亜門。「この世界は歪んでいる。何が正しいか何が間違っているか簡単にわからなくなる。だから」

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次に亜門が目覚めたのはCCGのラボだった。アキラを助けるためにRC抑制剤と奪取しにカネキらがラボに潜入して、逃亡しようとした職員が亜門が入れられていたケースの機能を停止したのである。
しかし目覚めたといっても、亜門はもう正気ではなかった。カネキも滝澤も識別できずに亜門は襲いかかる。
滝沢と安久クロナが亜門と戦うが、今度は二人が亜門に押される。その時滝澤の赫子が変化する。

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俺が“捜査官”だって諭したよな。…俺はオウル--“喰種”なんだよ!!亜門サン、アンタがずっと眩しかった。眩しすぎて、目がくらむ。アキラの正しさが俺を苦しめる。気づいたんだ。俺はもうアンタみたいに正義の言葉を吐くことも出来ない。罪を犯せば引き返せはしない。あの牢獄で、滝澤政道は死んだ。もう正しくなんて生きられない…叶うなら、時間を戻しテェな。俺だってアンタらみたいに…それが…無理になっちまったら…ヤケクソしかねえ。“ヤケクソ”。“投げやり”とは違う。「たったひとつ」選ぶ“これだけは”ってのをひとつ定める。それを--貫く。…真戸。喜べ。亜門さんが帰ってくるぜ。自分の未来がパーになった事に気付いちまったら--だれかのために生きりゃいいだろ。…そんな気持ちになれたんだよ。亜門サンを見てるとさ--。

 

『東京喰種』で「怪物でない人間」になったのは、カネキ、滝澤、亜門、四方の4人である。『東京喰種』では「怪物でない人間」はよく金属的な質感の赫子で表現される。他にもカネキの天使の羽根のような赫子や、ドナート・ポルポラのような自分のコピーを赫子で生成したりするのもある。登場時点でそうだったので数に入れてないが、ドナートも「怪物でない人間」である。
その中で滝澤は、最初に「怪物でない人間」になった人物である。もっとも滝澤の場合、瞬間的に「怪物でない人間」になったのかもしれない。最終回での滝澤の後半生の紹介には、滝澤の迷いが感じられる。
とにかくこのようにして、滝澤は亜門に勝つ。

次に目覚めた時には、亜門は正気に戻っている。そして怪我が治ったアキラと再会する。
「幼い喰種を前にして敵意など抱かなかった」とアキラは言う。憎しみさえ持てないならもう行き止まりだ。どこにも行けないと。
「どこにでも行ける。その虚無を感じろ。逃げずに向き合えば自分がどう生きたいのか、いつか答えを生み出す」と亜門は答える。「怖いよそんな事」と言うアキラに「俺がそばで支える」と。

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張間が死んだこと、才子を助けたことは、「女性を救えば亜門はアキラと結ばれる」と思わせる壮大なフェイクである。

亜門は最後にドナートと戦うが、亜門はドナートに対して本気を出しきれない。
そんな亜門に滝澤は亜門から預かっていたロザリオを投げつけ、なんでそんなもんずっと着けてたんだ?」と言う。
そして亜門は、

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と、自分もまた世界を歪めていたこと、そしてドナートを愛していたことに気付く。「息子が父親を愛して何が悪い」と、亜門は死にゆくドナートに語りかける。
これは「父殺し」ではなく、「父との同一化」である。
最終回で、亜門とアキラのことは語られない。
亜門は、その後悪人として生きたのである。
「怪物でない人間」になるのは、善人になることを意味しない。
人間は悪をなすことなく生きることはできない。
だから大事なのは自分が悪人だと知った上でどう生きるかを考えることである。

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亜門の言う「諦めない」とは、人間を喰わずに「共喰い」をすることだった。しかしそれは問題の解決にならない。だから亜門は壊れていったのである。
「共存も対立も些細な事」と平子丈は言うが、この言葉に、人間と喰種の相容れない戦いの本質がある。
喰種の「悪」は本当の悪ではなく、「普通から外れた何か」である。
ただし、亜門のそれは少し違う。
亜門の「悪」は「普通でない」者を排除してヒエラルキー社会を維持するという学校の王「ジョック」のものである。
そして亜門が「大衆」を意味するピエロの「クラウン」ドナートと同一化する。
これが答えでいいのか?と言われれば、一概に肯定はできない。しかしその人の悪を指摘しても、生き方を簡単には変えられない者もいる。
そういう人にとって悪を自覚して悪を行うこともまた自由になる道なのである。

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コロナ対策は安倍政権からの国民への「非承認」

緊急事態宣言が解除された。
緊急事態宣言発令以来、政府は自粛の要請のみに留め期待されていた補償はなされずに終わった。
補償のみではなく、安倍政権のコロナ対策は散々に批判された。
それでいて5月になって、安倍政権の支持率は急回復した。いつものお決まりの展開である。もっとも検察庁法改正案によって支持率が急落したが、今国会での成立を断念したことでまた支持率は上がるだろう。
しかし今回の支持率回復には明らかに異なる点がある。それは景気である。
安倍政権が支持率を回復する理由として、「景気が悪くないから」という説明は、これまで幾度もされてきた。しかし今回はこれが当てはまらない。今回の支持率回復により、安倍政権の支持率と景気は無関係だと証明された。
安倍政権の支持率回復は、コロナ対策で無能を装ったことによる。国民は安倍政権に、コロナ対策で優れた指導力を発揮することなど望んでいなかったのである。

景気の悪化により、倒産、失業が増えた。
景気の悪化は社会不安を増大させる。それなのに安倍政権の景気対策は、10万円の現金給付を含めて不十分なものだった。
れいわ新選組など100兆円の補償及び経済対策を唱えていたが、規模は27兆円程度。

橋下氏の強烈な一手に対する、れいわの対抗策とは? - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で、「日本が一番金がかからない結果になる」と述べたが、どうやら本当にそうなりそうである。

いや、この時にはもっと出ると私も思っていたのである。
何故なら昨年の10月から12月まででの経済がマイナス成長だという発表があった。
安倍政権が、GDPを水増しして発表しているというのは今までよく指摘されていた。
それが「自主的」にマイナス成長を発表したのである。維新が「休業と補償」をセットにすべきだと主張して一大ムーブメントになっていたので、安倍政権も最終的には渋々補償を認めるというシナリオを描いているのではないか、と私は考えていたのである。しかしそうはならなかった。

なぜそうなったのかについて、今私は答えを持っている。
れいわは安倍政権の対応を散々批判していた。
ネットカフェの休業を小池都知事が要請した時。ネットカフェ難民厚労省の伝達により、住居を失った者の入る施設に入れられそうになった。布団一枚敷くのが精一杯の部屋や何人もの人が雑魚寝するような施設で、クラスターになるのが一目瞭然な所である。
れいわの山本太郎ツイッターでそのことを知らせていた。区議会議員が役所と交渉して、ネットカフェ難民がビジネスホテルを利用できるようになったりする一幕もあった。
なぜ安倍政権はそのようなことをするのか?
答えは簡単である。「不当に権利が侵害されているのを認める者は、不当に権利を侵害される」と安倍政権は教えているのである。

日本社会は集団合意により、どんな不当な人権侵害が行われていてもそれを「みんな知らなかった」ことにして隠蔽することが可能である。
そのからくりは、日本のヒエラルキー構造による。下部カーストで行われた不正を上部カーストが「承認」することで下部カーストの行為が正当化される。こうして日本社会は、表向きは秩序立って見せることが可能になっている。そして「承認」された者達は、自分達の人生が間違っていないと思い、夢を信じたり、自分の信念を人に説いたりできるようになる。
しかしこの構造は、日本人が規範を根本的に持てないこともまた示している。
そして安倍政権は、機会ある度にそういう者達に「非承認」を与えているのである。
山本は去年の豪雨災害の被災者で未だに仮設住宅に住んでいる者がいると言っている。東日本大震災でも、何年も仮設住宅暮らしをしているという話を聞いたこともある。今でも仮設住宅で暮らしている東日本大震災の被災者もいるのかもしれない。
日本人の自己肯定感の無さは、「承認」されないと自分に自信が持てないことにある。あくまで自信の根拠が自分の中になく、他者にあることである。
他者に「承認」されず、「世の中間違っている!」となるかといえばそうはならない。
そんなことはない。と思う人は間違っている。それは口先だけ、つまり建前である。
建前か本心かを見抜く判断のポイントは、安倍政権をどれだけ批判するかである。安倍政権を全否定するような発言をするほど、それは建前なのである。
安倍政権批判は一見真っ当である。それなのになぜ批判により一致団結できずに安倍政権が続いていくのかといえば、批判者が口で言うほどには真っ当なことをしていないからである。
コロナによる倒産も不当。休業も解雇も不当。なのになぜ安倍政権が倒れるまで声を挙げないかといえば、自分達が真っ当な生き方をしていないから、最終的に安倍政権の「承認」を求めるのである。
そして「承認」を得られない場合、原則日本人は無力である。だから口先だけ批判して、「安倍政権が倒れるかも」と思ったらこっそりと安倍政権を支持する。それが繰り返される。つまり日本人はみんな奴隷なのである。
世の中に権利が認められる者と認められない者があり、それが何者かの任意によって決められると思うこと自体が即奴隷となる道なのである。
ならば派遣のネットカフェ難民はどうかといえば、自業自得だと私は思っている。
派遣社員だって、自分の権利を主張すれば住居を失わずに住んだ者が大勢いたはずである。それをしなかった者の中にネットカフェ難民になっている者がいるだけである。
権利を主張しない者が他者の権利のために戦うことなど絶対にない。だから私は派遣に対しては冷たい目で見ている。しかし本当は手を組みたいのである。手を差し伸べても手を取らないから、私は彼らを冷たい目で見ているのである。
そうしてネットカフェを追い出された者達が、コロナに感染しそうな施設に入れられそうになる。
そんなことをすれば感染拡大することなど、政府は分かりきっている。誰かがビジネスホテルに泊まれるように交渉するのを折り込んでそのようにしているのである。
麻生財相がかつて年金の問題を取り上げて、低所得者に対し「いつまで生きるつもりか」と言ったことがあるという。
私でもそう言う。彼らは生きるために戦っていないから。
安倍政権は、生きるために本気で戦わない者に「非承認」を突き付け続けているのである。

緊急事態宣言で休業要請されても、補償が無いのなら仕事をすればいいのである。それをバカのひとつ覚えで倒産するまで休業するのは、自分達の権利が他者から与えられるものだと思っているからである。
だから安倍政権はわざわざマイナス成長のデータまで出して休業補償の期待をさせ、見事に裏切ってみせたのである。
アベノマスクもそう。いくらなんでも普通に発注すればカビの生えたマスクなん届かないってwww。
あれはジャブ程度だけど、国民への「非承認」の表れなんだって。

これから夏場に入り、コロナの感染の危険が大幅に現象するのがわかってきた。
今後安倍政権がどうするのかについて、経済が冷え込んだこと、秋以降再びコロナの感染が拡大すること、それに対する治療法の改善などを考えて、大幅な景気刺激策を採る可能性、休業補償についても今後なされる可能性などを幅広く検討してみた。そこで、

 

これに目をつけた。次の補正予算は10兆円である。これはれいわが安倍政権に目をつけられてんじゃない?
れいわが要求し、安倍政権がそれを裏切る。その繰り返しによって「なんちゃっていい人団体」のれいわに「非承認」を与え続けることでれいわの弱体化を狙っているのではないかと思う。
その理由はれいわが安倍政権にとって危険だからでなく、安倍政権がれいわに貧困を解決する能力がないと見ているからである。貧困の原因が派遣にあると正しく見ているのは安倍政権だけである。

検察庁法改正についてだが、カルロス・ゴーン逃亡事件に絡めて問題を語る者はほとんどいなかった。たまにいればあさっての方向に行ってるものばかり。
賛成、または賛成でなくても司法制度の問題に絡めて語った者もゴーン事件に触れることはなかった。半年も経っていないゴーン事件を語れなくなっているところに、問題の深刻さがある。
安倍政権は今回採決を見送ったが、私はあの法案でいいと思っている。
検察庁法改正案は、検察官の定年延長、検事総長の役職定年延長の案件であり、司法制度改革に関係するものではない。少なくともそのように説明されている。また安倍首相が司法制度改革について述べたのを私は知らない。
司法制度改革なら、検察をチェックする機関を設置すればいい。そういう趣旨で法案を作ればいいのだが、このような法案が機能しないのはやる前からわかってしまう。
今までも人質司法の問題は弁護士を中心に取り上げられてきたが、司法制度改革は少しも進まなかった。
検察による勾留延長の問題も、裁判で取り上げて解決できたことである。容疑者が逃げたり証拠隠滅したりする余地などほとんどないのだから。
だから司法制度改革は、ほぼ全ての国民が冤罪を望んでおり、そのために司法制度改革をしたくないのだと判断するしかない。そして国民が望まない制度は、どんなに精緻に法律を作っても機能しないのである。
ならば単純に、行政が検察への影響力を強める法律にした方がいい。
しかし政治家の汚職などはどう追及すればいいかと言うだろう。ならば言おう。森友事件で汚職を望んだのは国民の方だろう?
もっとも安倍政権が検察の暴走に歯止めをかける意図があるかという問題もある。
安倍政権を信じるかどうかは、宗教を信じるかどうかに似ている。私は宗教を信じるように、安倍政権を信じるつもりである。

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ムスカに強姦される前のシータを取り戻す道~『来世は他人がいい』

いや~表紙に騙された!

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この表紙を見れば、男がろくでなしだとわかってるけど男が好きで好きでたまらない一途な女を見れると期待したのに、3巻の時点で一ミリも男に惚れていないwww。
そんな恋愛マンガ、いやこれは恋愛マンガなのかと疑問を持たせてくれる作品がこの『来世は他人がいい』である。

染井吉乃は関西最大の指定暴力団桐ヶ谷組直系染井組組長染井蓮二の孫娘で、美人だがヤクザの孫として学校では嫌われ、「梅田のホステス」「バツイチ子持ち」「美人やけど3日で飽きる顔」などと散々な陰口を叩かれている。そのため17歳になっても男っ毛がない。
そんな吉乃だが、染井組が関東最大の指定暴力団砥草会直系深山一家との和睦をきっかけに、深山一家の深山萼総長の孫深山霧島との縁談の話が進み、東京で暮らすことを蓮二に勧められる。
気が進まない吉乃だったが、試しに東京で霧島に会った印象は極道の家に生まれたとは思えない「普通のいい人」で、半ば流される形で吉乃は東京で暮らすことになる。
離れではあっても霧島と同じ家で暮らし、霧島と同じ学校に通うことになる吉乃。しかし「普通のいい人」と思っていた霧島の異常さに、吉乃は少しずつ気付いていく。霧島は自分が女子に持て囃されるのを気にしないので「嫌じゃない?」と聞くと「別にどうでもいい」と答えたりする。心底どうでもいいと思っている様子が気になって寝つけないでいると、真夜中に霧島が両腕を血だらけにして帰ってくるのを見かける。
一方霧島も、吉乃に対して距離を取るようになっていって、理由がわからず吉乃は戸惑う。
霧島に街で買い物に付き合ってもらって、霧島から離れた隙にナンパされ、断ろうとして強引に連れ去られようとしたところで霧島がナンパ男達をボコボコにする。
返り血を浴びた霧島が上着を脱ぐと刺青があるのを見て、吉乃は思わず霧島の手を振り払ってしまう。しかしここで、

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と言って、霧島は本心を吐く。霧島は女に嫌われてる女が好きで、女友達なんか一人もいないような女に人権無視でメチャクチャに振り回されるのが最高に好きだという。吉乃がそういう女だと思ったら普通過ぎて飽きてしまって、相手にするのさえ面倒臭いとまで言ってしまう。
それだけでなく、自分にとって吉乃は何の価値もない思わないだから「体を売って」風俗で稼いで貢げ、それが嫌なら大阪に帰れとまで言うのである。
現代の話とはいえあくまで政略結婚の一環で、本人の意思が尊重されないことはないとはいえこれは染井組を激怒させるだろう。しかし、

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と霧島は言う。
さらに大阪同様、東京でもいじめに遭う吉乃。大阪に帰ろうかと思っていたところ、蓮二から「霧島を自分に惚れさせて、一年経ったら容赦なく捨てて帰ってこい」と言われる。
ブチ切れた吉乃は二週間姿を消し、再び霧島の前に現れて四百万円を渡す。なんと腎臓をひとつ売ってきたという。文字通り「体を売った」のである。
そして「私なんかこれから先どんだけ真面目に生きても碌な死に方せいへんねん」

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というと、

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俺の人生もメチャクチャにして!!( 〃▽〃)

以降、吉乃は四六時中霧島のストーカー行為に悩まされることになるwww。

この当たりから吉乃の印象が変わってくる。
赤座興業の娘が行方不明になった事件では、吉乃が赤座興業の娘を見つけてクラブに乗り込むが、霧島が大立ち回りをするのに対し吉乃は殴られて倒れる。しかし霧島の強さを見て「うちが弱いだけや」とドライヤーで殴った男を殴り返したりする。また大阪から来た鳥葦翔真(蓮二が実質養父の血の繋がらない家族)には「キレたら何しでかすかわからん」と言われたりする。変化というよりキャラ変わってるwww。
一方霧島も変化していく。
霧島には他に付き合ってる女が大勢いるが、その一人に本命の吉乃のことを話すと(相手は彼氏持ち)、「怒ってる顔しか見せないなんて嫌われてるんじゃない?」と言われる。また「大阪に好きな男いるかもしれないし」と言われると「俺に黙って付き合い始めたら最高にゾクゾクする」とそこはM性を発揮しているwww。しかしさすがに気になって、「怒ってない顔も見たい」と吉乃が住む離れに無断で入り込んで寝顔を見たりしている。
二人の変化に合わせて、ストーリーも真相に迫っていく。何故吉乃の深山一家に送られたのかについて、翔真は「関東との抗争の布石の可能性がある」と言い、霧島はそれを否定する。そして霧島は蓮二が吉乃を霧島と結婚させる気は微塵もないのは確かだと言う。
吉乃は「どないかして霧島に勝ちたい」「いざとなったら殺される前に殺したる」「あの男にだけは何があっても隙見せへんように」なんてことを毎日考え、また霧島が距離感を感じるようになると「また飽きたか」と悩む。そして衣替えをしてるところを見られて「大阪帰るのかと思った」と霧島に言われると、「あんた私を殺そうとしてるわよ」という。

霧島の行動は理解しがたいように見えて単純で、ニヒリズムが高じてサドとマゾが極大化しているだけである。吉乃に限らず霧島は女性に優しく低姿勢で、何を言われても怒らないが、それはニヒリズムのために他者への関心が全くないからである。
霧島の中では全ての価値が崩壊しているので、霧島は刺激だけを求めている。だからサドもマゾも霧島にとっては同じで、破滅の予感さえ刺激としてしまう。
そんな霧島が変わっていくのは「(吉乃に)嫌われてるかも」と言われたからで、他者に関心がない代わりに、他者に嫌われてるかどうかも霧島は気にしてこなかった。だから「誰かを嫌いになったことがない」と、これ程メチャクチャな男が言ってもそれは嘘ではないのである。それが「怒ってない顔も見たい」と思うことで、霧島に他者への関心が芽生える。さらにそれが翔真の登場で恋愛感情に発展するのである。
一方の吉乃は、女子高生なのは外見で、中身は「梅田のホステス」「バツイチ子持ち」である。「梅田のホステス」などは吉乃の未来と言った方がいいかもしれない。それが周囲に抵抗することで「キレたら何しでかすかわからん」と言われるようになる。
しかし一方で、吉乃は霧島に「吉乃ほど適応能力の高い人を他に知らない」と言われる。また「危機管理能力が多少欠如してる感は否めない」とも。
その感想を、霧島は蓮二に話すのである。霧島は蓮二の意図を聞かされているか、あるいは見抜いているのがこれでわかる。
蓮二の目的をそれらしく言おうと思えば言えるが、それをすると作者の真意からずれてしまいそうである。有り体に言えば、蓮二の狙いは吉乃の社会勉強である。
そしてヤクザの世界を描いているように見えて、実は描かれているのは日本社会である。ひとつの縁談が抗争に発展すると思うのは、疑心暗鬼になっているからで、そうなる理由は吉乃が人間の表層しか見ていないからで、表層しか見えないのは表面的な勝ち負けに囚われているからである。
「吉乃は窮地で普通は生活を始めるような感じ」と言っているが、実は大抵の日本人がそうで、ヤクザの世界を描くことでフェイクをかけている。そして大抵の日本人は、自分が窮地で生活していることに無自覚なのである。
また吉乃は、従姉妹の椿に「執着されてるのか好かれてるのか見極めた方がいい」と言われているが、実は執着しているのは吉乃の方である。
執着も恋愛の低レベルな形だと思っていたが、根本的には別らしい。
執着の場合、嫉妬も刺激となるのは確かだが、嫉妬で執着し続けるのは限界がある。しかし霧島はニヒリズムにより価値崩壊しているから刺激だけで執着が可能で、吉乃は霧島に他に女がいるのを知っているが、一ミリも惚れていないから執着し続けることができる。

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霧島の不気味さを表しているようで、これは話を引っ張るためのフェイクなのである。何故なら執着は、相手がその気になれば消えるものだからである。霧島の感情が恋愛に変わっても、霧島を規格外だと思っている吉乃は自分が「勝ってる」ことに気付かないwww。再び霧島が自分に飽きたと思った時も、吉乃は誰かからの視線を感じているが、それが霧島の愛情の眼差しだと気付かないのである。
なお「執着か好かれているか」の話の直後に、霧島と関係があった気になる女性が登場するが、ストーリーがどう展開するかはともかく、「好かれている」ことを確認する流れとなるだろう。

椿は吉乃の従姉妹で、蓮二の愛人の孫でこういうところはヤクザらしいとも言えるが、これは血縁的な距離を生む細工でもある。
霧島は若い時の祖父(実際は大伯父)の萼と瓜二つで、吉乃は蓮二を女にしたようだという。そして椿は蓮二を「神がお創りになられた芸術品」とまで言うが、これは椿に百合要素も持たせているのである。つまり椿の好意は吉乃に向かっている。
吉乃は椿の伝手で腎臓の摘出をした、と思っていたのだが、実は腎臓は摘出されておらず、代わりに血を1500ml抜かれていた。
後遺症が残る可能性のある量の血を抜かれたのだが、椿は「あの男に舐められるくらいやったら死んでもいい」と吉乃が言うので、「命くらい懸けてもらわんと割りに会わんでしょ?」と思ってそのようにした。血を抜いたのは嫉妬の表現である。
その椿に、霧島は初めての高い買い物の話をする。霧島が初めてした高い買い物は大阪までの自由席の切符で、中1の時、吉乃に会うためだった。この時は吉乃に会えず、それ以前も会ったことはない。会ったこともなく憧れていたのである。
11~13歳の頃は、『スタンド・バイ・ミー』のように強く思い出に残りやすい時期である。また女性に強い想いを抱きやすい時で、女性の理想像が形にならなくて妄想が入ることも多いが、それでも性を意識し始めたこの時期に、男は乏しい想像力で懸命に理想の女性を想い描く。
霧島の心境はそこにたどり着いている。吉乃の中に、

なぜムスカはシータの髪を撃つのか?~『天空の城ラピュタ』論 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べた、ムスカに強姦される前のシータの姿を見出だしている。霧島にとって、吉乃は「梅田のホステス」でも「バツイチ子持ち」でもなくなっているのである。
そんな霧島に、椿は「もしアンタがほんまにどうしようもないクズ野郎に成り下がったその時は覚悟しときや」

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と言う。言ってることはおっかないが、「頑張れ」と言っているのである。

道徳を説いても通じない時もあり、むしろ道徳が通じない場合の方が多い。
『来世は他人がいい』はそういう者達に、むしろ闇の中で自らの進むべき光を見つけろと説いているのである。

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山本太郎は貧困層を救えない

れいわ新選組山本太郎代表は23日のラジオ番組で、7月の東京都知事選への立候補を見送る可能性を示唆した。番組キャスターが出馬の可能性を尋ねたのに対し「万が一、私が都知事になったとしたら東京が住みやすくなって、より人が集まってしまう。これ問題ですよね」と答えた。

 

www.sankei.com

だったら出ろや。
立花孝志氏が「当選を目指してはいない。当選するとも思っていない」と言った時の捨て身の覚悟と比べて、もう5月になろうというのに何眠たいことを言ってるんだろうねこいつは。

今回も個人的事情により、サブブログは来月初めに更新します。
新型コロナウイルス禍は、とにかくアメリカの被害がひどい。
これをコロナ後の国際環境の思考材料とした場合、アメリカの極東からの後退姿勢がさらに強まる可能性が高くなると思われる。
もっとも逆の判断材料もあって、新型コロナは高齢者の死亡率が高いので、労働人口が相対的に増加してアメリカの景気が良くなるという可能性もあり得るが、そういうことでもない限り、アメリカが極東から後退する可能性の方が高くなる。
何しろ新型コロナでの中国の死亡率が低い。
コロナ後は、中国の覇権を求める動きがさらに強まると思う。そしてその時に、日本はアメリカを当てに出来ないかもしれない。

れいわ新選組MMTによる景気の維持を求めているが、はっきり言って甘い。
現在はコロナ禍のために紙幣を大量に発行するのが可能な状況になっているが、それが出来るのも今から最長で4年まで、それもれいわが政権を取らなければ出来ないのならほとんど可能性はゼロである。
それ以降はMMTは出来ない。その理由は

中国が南沙、西沙諸島を押さえ、日本のシーレーンが脅かされた時に、インフレ前提のケインズ政策を行えば、スダグフレーションになる可能性さえある。

 

日本の右翼を牛耳る外国人勢 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたのと同じ理由である。
経済論争は論者の経済思想に基づいてなされるが、実際の経済政策はその国の国力と国際環境によって決まる。
日本は単独で中国に対抗出来ないし、仮に韓国と同盟を結んでも中国を退けることはできない。何とか国として認められていない台湾と軍事関係を結び、東南アジアのどこか一国でも同盟を結んで、アメリカには出てもらわなくても後ろに控えてもらって、やっと中国の野望を押さえることができる。そのくらい中国と日本では国力に開きが出ている。
それでも駄目なら、北方領土を全部放棄してでもロシアと平和条約を結んで資源を調達しなければならない。もうその段階にきていると思う。
最長で4年と言ったが、中国が日本の景気回復を待ってくれる保証がある訳ではない。日本の景気が回復する前に中国がシーレーンを脅かしにくれば、日本が失業者で溢れかえろうと景気刺激策はできなくなる。

れいわの公約に最低賃金1500円というのがあるが、MMTができる可能性自体が以上のようなので不可能である。
ケインズ主義者はすぐリストラをするとデフレになると言うが、財政緊縮派がなぜデフレになってもそれを言うのか理解していない。
日本はアメリカに軍事面で支えられなければ成立しない国なので、アメリカにとって「都合のいい国」でなければならない。
さらに日本の労働生産性の低さは付加価値の高い産業を産み出せないことにあり、国際競争力を高めることで国を豊かにすることが出来ない。だからせめて合理化によって国際競争力の弱さを補うしかないのである。

先に最低賃金1500円はできないと言ったが、最低賃金を上げる方法がない訳ではない。
私は派遣だが、時給は1000円ちょっともらっている。これは最低辺の給料ではない。
私がこれだけの給料をもらっているのは製造業で働いているからである。派遣も業種は様々だが、業種によっては最低辺以上の給料はもらえる。それでも派遣だから、中間搾取されてこれだけの給料をもらえるのである。そしてここに問題がある。
明らかな貧困層というのは私のような層ではない。そして明らかな貧困層は同情を集めやすい。
しかし派遣の問題は、法で守られていないことである。法で守られていないから直接雇用もされないし、ベースアップもほとんどしない。
最低賃金を上げるというのは、私のような1000円ちょっとの時給をもらっている層ではなく、明らかな貧困層に直接に利益をもたらすことである。しかしそれは簡単にできない。なぜなら業種による収入の格差は業種の固有の問題だからである。製造業の方がサービス業より実入りがいいし、製造業でも金属加工の方が食品加工より高収入なのは製品単価の差によるものである。
こういう業種による差はすぐには埋まらない。しかし派遣で罷り通っている違法行為に手を入れていけば派遣のベースアップは可能になる。
それができれば、後は行政が介入して商品の単価を上げてでも、貧困層のベースアップが可能になる。逆に言えば、派遣の問題を解決しない限り貧困層を貧困から脱却させることはできないのである。

山本太郎氏が本当に派遣の問題に切り込める人物か今までみてきたが、最近はむしろ派遣の問題から逃げている人物ではないかと思うようになってきた。
MMTも、低所得者の権利意識に目覚めさせるためなら意味はある。しかし日本の貧困の問題の元凶が派遣にある以上、少しずつでも派遣の問題に切り込んでいかなければならない。ところが山本氏はまだ派遣の問題を語ろうとしない。
派遣社員も自分達の問題を語らないし、派遣でない貧困層も派遣の問題を語らない。
そういう中で貧困層に同情的な態度を取れば人気は自然に集まる。しかし山本氏は支持者に利益を還元できない「なんちゃっていい人」である。ならば5年後には、山本太郎など誰も思い出しもしなくなるだろう。
派遣の問題を誰もが語らないのは、派遣を無法地帯にしたことに日本人全てが罪の意識を抱いているからである。そしていい人ぶる人ほど、本当に派遣の問題に向き合えない。そういう人はとにかく語らずに逃げる。泥を被る経験がないから、逃げることしかできないのである。そして一生派遣に問題を語ることはない。つまり山本氏は「絶対に貧困問題を解決できない人物」となる。
れいわは低所得者から支持を集めるのは止めて、中間層以上を狙うべきだろう。もっともそこは政党が飽和状態にあるので、決して大きな政党になれないだろうが。
衆院選も100人も候補を立てるべきではない。大きな政党になることも、大したこともできないからである。

貧困層から巻き上げた献金も詐欺同然なので全額返金すべきである。
それも国政政党であるうちにである。れいわが国政政党でなくなったら、返金の手数料を借金をして払うことになる。

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