坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

橋下徹が日本の二元構造を破壊した。

細川連立政権成立から第二次安倍政権成立までのいわゆる「失われた20年」の時代、首相が次々と変わっていった。
この間、どの党の誰がいつからいつまで首相を務めていたかを、私は時系列で記憶していない。しかしこういうことが言える。
この時期、旧社会党のような既存の護憲の政党でない政党が多数現れたが、これらの政党は政権交代を唱えた。自民の55年体制が崩壊し、自民が過半数を割ったことで、政界交代こそがこれらの政党の存在意義となったからである。しかしこれらの政党には二つの問題があった。ひとつは連立で政権を取るにしても、連立与党間の合意を政権を維持できるレベルで形成し続けるには政党の数が多すぎたことである。
もうひとつは冷戦崩壊の煽りを受けて、これらの政党または政党に属する議員達には改憲論者がいたが、護憲と改憲潜在的な対立軸とする日本の政治では改憲論者は叩かれ、政党は泡沫化し、改憲論者の議員はあるいは落選し、または落選を恐れた議員が転向したり改憲論と唱えるのに消極的になったりする。しかし政権を得るには、これらの政党は改憲論に転じなければ、つまり建前としての護憲から本音としての改憲に転向しなければならなかったのである。与党が護憲では日米安保さえ維持できなくなってしまう。個別的自衛権を認めた旧社会党がいい例である。
そこで各政党が合流して大政党を形成するようになる。新進党旧民主党がそれである。しかしこれらの政党にも護憲派がおり、むしろ護憲派の数の方が多く、建前としての護憲を担当してきた議員達が本音としての改憲に耐えることができず、大政党は分裂、政権は崩壊してしまう。そして改憲派は固まって小政党を形成するが、これらの小政党は泡沫化、縮小化する命運を辿る。しかし既存の護憲の政党以外は政権交代こそが存在意義であるため、再び改憲論に転向し大政党を形成する。この繰り返しが目まぐるしく変わる、「失われた20年」の政権交代劇の真相である。

日本維新の会は、大阪都構想住民投票が否決されたことで少々影が薄くなっている感がある。それでも維新が泡沫化の傾向にあるとは誰も思わない。
それでは維新の創業者である橋下徹氏が初めて国政政党としての日本維新の会を立ち上げた時、維新が泡沫化しなかったのかといえばそうではない。
維新は泡沫化していた。泡沫化を防ぐために石原慎太郎氏の太陽の党と合流したのは良かったが、「従軍慰安婦は必要だった」という発言から橋下氏には逆風が吹き続け、太陽の党系とは分裂して結いの党と合流し、この時には改憲論でも九条改正からは離れたりしている。そして堺市長選では、維新以外の全ての党は選挙協力して維新の候補を落選させた。
このような時期があったことを、我々はすっかり忘れてしまっている。
あのままでいけば、改憲派の維新は泡沫化して消滅の運命を辿っただろう。一体どこでその流れが変わったのだろうか?
流れが変わったのは、大阪都構想の第一回住民投票からである。橋下氏は都構想を主張する自分を実質信任投票するために、大阪市長職を辞した上で市長選に出馬するという出直し選挙を行った。「金の無駄」と言われ、投票率も低かった選挙だったが、出直し選挙を強行してその後都構想の住民投票に挑んだ。
「否決されたら政治家を辞める」と言って住民投票に望んだが僅差で否決され、橋下氏は政界を引退した。
この時、地域政党としての大阪維新の会を立ち上げていたことと合わせて、橋下氏に政界を引退させたことへの大阪市民の負い目が維新を支えたのである。都構想がこの時否決されたことは維新にとってむしろプラス、都構想が可決されていたら、今でも維新には逆風が吹いていただろう。
改憲派の維新が地域限定で定着しただけではない。国政選挙でも比例区限定で、護憲でないれいわ新選組のような政党が躍進する余地を橋下氏は作った。
さらに小池百合子氏が希望の党を立ち上げた時に、旧民進党の議員に踏み絵をさせるように強く主張したのが橋下氏である。こうして旧民進党立憲民主党を国民民主党に別れ、今に至るまで合流できていない。そして存在感を示せなくなった立憲は沖縄米軍基地問題地位協定の改善を唱えるようになり、実質的に集団的自衛権を容認することになった。
この一連の流れは、全て橋下氏が作った流れである。こうして

日本の二元論 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で見る、護憲と改憲による善悪の基準となる日本の二元構造に橋下氏は終止符を打った。今では護憲を中心に形成されていた規範が完全に崩壊し、崩壊していることに日本人全員が気付かないふりをすることで表面を取り繕っている。そして表面の内部での暗闘がましてきている。今まで暴かれなかった真実が暴かれてなお表面を取り繕う傾向がいつまで続くかはわからないが、当面はこの傾向が続くと思われる。護憲派の人々はさぞ橋下氏を恨んでいることだろう。

それでいて、第二回の都構想住民投票が否決された後の橋下氏にこの後のビジョンがあるように見えない。なぜだろうか?
その理由は、橋下氏が法律家で歴史を知らないからである。
橋下氏が歴史を語る時は、法律に関連した歴史ばかりである。
司馬遼太郎の不肖の弟子」を自認する私は二元構造を見抜くことができたが、橋下氏は見抜くことができなかった。そして二元構造が崩壊した場合、法の適用を恣意的に決めることが不可能になるのは当然の結果なのである。
派遣社員に法が正しく適用されていないのは、誰も口にしないだけで周知の事実だが、「法の支配」を唱える日本維新の会を立ち上げた橋下氏は、法が全ての人にあまねく適用されるべきものであることを理念として当然知っている。

ベーシックインカムとMMTは全く似て非なるもの - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、橋下氏は橋下のハの字も語ったことがないが、派遣への法の不適用は橋下氏も知っているはずであり、知っていて知らないふりができるのは二元構造があったからである。
その二元構造を自分が破壊しているのに気付かなかったのは、橋下氏が歴史に疎いからである。

対立を解消するための「保守本流」 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

についてお気づきの読者も多いと思うが、この記事は元は「保守本流」と立憲民主党が個別的自衛権へ回帰することで、当面の安定を築こうという趣旨の記事だった。最近になって私にも若干の同志ができ、その同志に反対されたために立憲の個別的自衛権への回帰の部分を削除した。
今、その忠告を聞いて良かったと思っている。このままいけば、

日本国憲法の裏に潜む暴力革命論 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べた暴力革命の思想が定着し、貧困層は団結して戦えるようになる。そして

北欧的な日本の社会構造の終焉 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように貧困層を中心とした勢力と維新の残党がひとつになり改革と革命の強力な核が日本に誕生することになる。
この道を若干でも防ごうとするならば、維新が憲法裁判所の設立を強行に主張するくらいしかないだろう。

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グレーゾーンを歩いて人間を愛する~『私の少年』

多和田聡子は30歳のOLだが、ある時一人の少年と出会う。その少年は、日が暮れてなお公園でサッカーの練習をしていた。
12歳の少年の名は速見真修。ボブカットの美形の少年は女の子のように見えた。
暗くなったのに家に帰らずサッカーをする真修に異様なものを感じた聡子は、真修にサッカーを教える。
こうして聡子は、真修と次第に親密になり、サッカーの試合の送迎をしたり、プールや回転寿司に連れていったり、家に泊めたりする。やがて聡子は真修の家庭環境の異様さに気付いていく。親にサッカーを辞めるように言われたり、ネグレクトの痕跡が真修の話や真修の家から読み取れたのである。真修は母と死別し、父親は仕事が忙しくて家事が十分に行えない状態だった。
父親にサッカーを辞めるように言われた真修だが、ユニフォームの洗濯などをしなくていいという条件でサッカーを続けることを許される。ちなみに辞めろと言われた理由は、「今レギュラーになれないなら将来も見込みがないから」である。父親の身勝手さが垣間見えるが、ある時真修の弟が暗くなっても帰らないことがあり、それを父親に報告しなかったことで、本当にサッカーを辞めさせられる。
一方聡子は、なぜ赤の他人の真修に構ってしまうのか、自分でもわからない。サッカーを辞めさせられた真修のためにサッカー教室を探したりする。それを見られた上司(元恋人)に「誰かに優しくすることで自分の存在価値上がるとか思ってない?」と言われたりする。
サッカー部を辞めさせられても聡子は真修にサッカーを教えるが、その場面を真修の父親に見られてしまう。
LINEで聡子が練習が始まる前と終わった後に父親に連絡するのを条件に、真修へのサッカーの指導を許可されるが、真修を回転寿司に連れて行っていたことが父親にバレる。聡子はそのことを父親に報告していなかった。真修の父は聡子の会社の取引先の社員であり、聡子は東京から仙台と左遷される。

仙台は聡子の実家があり、実家から通勤する生活を3年続けるが、聡子はすっかり退屈してしまう。
退屈な日常を引っくり返す非日常がないかと思っていたら高校の同級生と再会し、交際することになるが、結局非日常を求めていたのではないことに気づき、男を振る。そして修学旅行で仙台に来ていた真修と再会する。
真修は聡子との距離を縮めようとするが聡子は拒絶するが、東京に異動が決まって聡子はひとつの決心をする。それは真修が家族にしてもらえていないことをするということだった。妹にその話をすると、『自分がお母さんから貰いたかったものをまんま真修くんに与えて、与えることで、真修くんから同じものをもらって埋め合いっこ?とかしてるわけじゃないよね」と言われてしまう。

私の少年』のストーリーが読みにくいのは、伏線だと思っていたものが伏線ではないという形で回収されていくからである。
聡子の仙台異動は左遷ではなく、単に仙台支社が本社に人を寄越すように要求したからだとわかる。真修の父は取引先の社員でも立場は聡子の会社の方が上で、真修の父は圧力をかけられる立場になかった。
真修がサッカーを始めた動機は、テレビで天才サッカー少年を観たからだが、真修が本当に求めていたのは、サッカーをすることで誰かに誉められることだった。求めていたのは聡子の手だったが、聡子が仙台に異動することで、真修にサッカーを続ける動機がなくなった。
ネグレクトと思われた家庭事情も、単に一人親で家事に手が回らないだけで、真修の祖母が家事を切り盛りするようになって問題は解決する。真修の父は決していい父親ではないが、結果論にしても真修に致命的な被害を与えていない。
この回収のされ方に読者が戸惑う、少なくとも私は戸惑っているのだが、伏線が伏線でないという形で回収されていくことでひとつのテーマが浮かび上がる構成になっている。

意外な形で伏線が回収されている例もある。聡子の母親は男遊び(不倫かどうかははっきりしない)が過ぎて聡子の父親と別居するに至るのだが、それだけではなく、母親がいつまでも聡子を子供扱いし、自分が上という立場を維持しようとするのにも嫌気がさしていたが、この伏線は聡子のためでなく、真修のためにあるのである。
聡子が正月に仙台に帰った時、以前付き合って振った男にばったり遭遇し、結婚詐欺師呼ばわりされる場面がある。それを誰かが動画に取り、SNSに投稿してそれを視た真修が仙台に行くのだが、聡子の母親もその場におり、相手の男を宥める名目で聡子を徹底的に子供扱いする。その後東京に戻る新幹線に乗る直前で真修と会い、一緒に帰るのだが、真修に親のことを聞かれ、取り繕って「大人になんなきゃ」と聡子が言うと、

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と15歳が33歳に言う。この時真修は聡子を自分より上の存在としてでなく見るようになる。この時既に女性としてでなく、人間として見ていたのかもしれない。後に真修は聡子を「人間と思ってます」と言うようになる。

この作品はオネショタと言われるジャンルに属するが、この歳の差の関係について、ひとつの回答をこの作品は与えている。

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このように聡子が言うのも、人間として真修が好きだからである。
ならばどのようにしてこの心境に至るのかと言えば、聡子に関してはグレーゾーンを歩くことにより得たものである。
ネグレクトの疑いがあっても、聡子は他人の家庭の事情に首を突っ込むことについては相当に悩んでいる。また法的な問題についても悩んでおり、そのことを法律に詳しい妹の彼氏に相談したりしている。その人は刑法上の未成年者誘拐罪には当たらないが、青少年保護育成条例に違反している可能性はあると答えている。また真修にできることが少ないのを自覚しながらも、それでも真修を救いたいと悩み続けている。
真修もまた、小学生の時にうさぎ当番を担当して、うさぎが産んだ子うさぎを噛み殺してしまって、気味悪がって誰も当番をやろうとしないのを見て、他者から守るために子うさぎを噛み殺すこともあるのを調べて人が近付かないように配慮したりしている。この行為もひとつのグレーゾーンで、その努力は周りに理解されなかったが、そのような行為の積み重ねが、人間として相手を見て、大事にする心を自ら育んだのである。

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かつての戦争についての雑感

少し前まで、「ルーズベルトは狂人」という内容の広告をネットでよく見かけていた。
なぜそのように言われるのかについては知らない。私が知っているのは、フランクリン・ルーズベルトセオドア・ルーズベルトと同じルーズベルト一門であり、セオドア・ルーズベルトポーツマス条約の仲介者で、フランクリンの妻エレノアはセオドアの姪だということである。
セオドア・ルーズベルトポーツマス条約の頃は非常に親日的だったが、その後反日に転じたことは有名である。ならばセオドアが日露の仲介をしたのは、満州の権益にあやかりたかったからだと推測するのが妥当だろう。しかしアメリカは満州の権益にあやかることはなかった。
太平洋戦争が真珠湾攻撃により始まったとしても、日本を開戦に踏み切らせるために様々な画策をしたのはよく知られている。ルーズベルトがそうしたのはセオドアが果たせなかった満州の利権を得るためだったのだろう。
そしてアメリカは、またしても満州の権益を得られなかった。しかしその理由は国共内戦により中国共産党が勝利したからである。もし右翼が、アメリカが満州の利権を得られなかったのをルーズベルトが狂人だとする理由とするなら、それは太平洋戦争へのアメリカの参戦を否定することはできない。

日本を防衛するために朝鮮半島を植民地にして本土防衛の橋頭堡にする。朝鮮半島を守るために満州を植民地、傀儡国家にして橋頭堡とする。この論理は、19世紀の帝国主義の時代には主流の思想であったのは間違いなく、第一次大戦後もこの思想が完全になくなった訳ではない。
しかしこの思想は、世界を無限に植民地にし続けていいという論理にはならない。帝国主義の時代でも、植民地は身の丈にあった規模に収めるべきである。そのように考えれば、日本の植民地拡大は満州までが限界と考えるのが妥当である。
実は私は満州事変から太平洋戦争までの歴史には詳しいとは言えないのだが、日中戦争の戦域拡大の発端となる盧溝橋事件が、日中どちらが発砲したかの議論に終始しているのに付き合いきれない思いでいる。戦争責任で日中戦争が妥当か否かの判断はどちらが発砲したかでなく、日本がどこまでを植民地の限界とするかという判断があったかどうかである。それがなければ、発砲したのが中国だとしても当時の日本は、少なくとも敗戦の一因となった責任が国民に対してある。
戦域の拡大という観点からは、日本とドイツに差はないといえるかもしれないが、ナチスドイツはポーランドもフランスもイギリスも、スカンジナビアソ連も自らの意思で侵略している。
日本は違う。日中戦争は「中国側が発砲したから」、太平洋戦争はABCD包囲網で物資を止められ、交渉の最後にハル・ノートを突き付けられたから」と中国とアメリカのせいにしようとばかりしている。そのためにハル・ノート最後通牒だと主張する。
ハル・ノート最後通牒ではない。ABCD包囲網により補給を絶たれた日本は、日米交渉により活路を見出だそうとした。ならばアメリカは交渉を長引かせれば日本は窮して開戦に踏み切り、戦争の口実を作れると考える。だから友好的な、日本に有利になりそうなそぶりもみせる。つまり外交の初歩的な失敗をしているのである。ハル・ノートは日本の中国からの全面撤退が重要な条件となっているが、満州が含まれるかどうかについて議論が分かれている。その理由は最後通牒でなかったため、むしろ故意に曖昧にされたのだろう。そこで日本が満州の維持に固執すればそれは不可能ではなかったと思うし、もっと言えば、日本は満州の維持に交渉の最初から全力を注ぐべきだった。つまり日本は不利な状況を認識せずにできるだけ多くのもの、できれば全てを守ろうとしたために満州までも失ったのである。
それで「アメリカが悪い」と右翼は言うが、戦後の日本の国土はアメリカによって守られてきたのである。失ったのは竹島北方領土くらいである。つまり右翼は、中国の占領地と朝鮮半島を失ったのをアメリカのせいにしたいのである。本心は征服主義だと暴露しているようなものである。

永遠の0』の時ほどではないが、特攻隊礼賛は今も右翼の中で燻っている。
彼らの論理は、特攻隊は必要な犠牲だったということである。
ならば一度、この論理を受け入れてみよう。太平洋戦争で特攻隊を投入して最も戦果を挙げることができた戦場はどこかといえば、それはガダルカナル戦以外にあり得ない。
ガダルカナル戦は日本がアメリカ相手に攻勢に出ている時期の局地戦で、移動距離の関係から、日本の戦闘機は戦場で10分しか戦闘ができなかった。それ以上は燃料が保たなかったのである。
10分しか戦闘ができないのなら、そこで犠牲を増やさないように戦闘をするより、犠牲を織り込んで特攻隊を投入した方が良い。
特攻隊はレイテ島で初めて投入されたが、それで戦局を打開することはできなかった。ガダルカナルで投入できず、レイテで失敗したなら、それ以降どこで特攻隊を投入しても無駄なのである。
兵士が消耗品というのは、戦争の残酷な真実である。その戦争で多大な犠牲が必要な戦略を立案したとして、それを最大の戦果を挙げることができる戦場に投入できないのなら、その国は戦争遂行能力を欠いていると見なすべきだろう。
それでもやらないよりやった方がいいと言うだろうか?

寺岡から同意を得た大西は、フィリピンで第一航空艦隊参謀長小田原俊彦少将を初めとする幕僚に、特攻を行う理由を「軍需局の要職にいたため最も日本の戦力を知っており、重油・ガソリンは半年も持たず全ての機能が停止する。もう戦争を終わらせるべきである。講和を結ばなければならないが、戦況も悪く資材もない現状一刻も早くしなければならないため、一撃レイテで反撃し、7:3の条件で講和を結んで満州事変の頃まで大日本帝国を巻き戻す。フィリピンを最後の戦場とする。特攻を行えば天皇陛下も戦争を止めろと仰るだろう。この犠牲の歴史が日本を再興するだろう」と説明した。

 

神風特別攻撃隊 - Wikipedia

特攻は戦争遂行のために行われたのではないのか?
ここに出てくる大西とは、大西瀧治郞のことである。
実際には、特攻はレイテ島の敗戦の後も、「もっと犠牲を出せば勝てる」と主張されて継続されたと思っている。「天皇に戦争を止めろ」と言わせるためというのも、自分達が戦争の責任を取りたくないからである。こういう責任回避の言動を繰り返して、戦略、そして国家として戦争を継続するか降伏するかの議論を怠ったことが、犠牲に犠牲を重ねる結果となったのである。

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日本国憲法の裏に潜む暴力革命論

日本国憲法第十二条

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 

第九十七条

この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

 

まず第十二条の自由及び権利について、「国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」とある。ならば自由と権利が守られない状況が存在する場合、それは憲法違反になる。
では憲法違反なら、国民から自由と権利を取り上げることができるのか?
答えはNOである。そのことを示すのが第九十七条で、「侵すことのできない永久の権利」とあるから、国民から自由と権利を取り上げることはできない。
しかしここで問題が生じる。第九十七条の末尾は「信託されたものである」とある。では信託したのは誰だろうか?
九十七条の欠点、それは国民に「侵すことのできない永久の権利」を与えた信託者の存在を示唆していることである。この信託者の権能は国民より上であり、上である以上信託者は、国民から権利を取り上げる潜在的な力を持っているというイメージを沸かせてくるのである。
「永久の権利」だから信託者でさえ取り上げるのは不可能ではないかと言われればその通りである。しかしそれは法治国家として機能すればの話である。法治国家として機能していないと判断された場合、信託者が権能を発揮して国民の権利を取り上げないという保証はない。
一体どうしてこんなことになったのか?憲法の英文を見てみよう。

The fundamental human rights by this Constitution guaranteed to the people of Japan are fruits of the age-old struggle of man to be free; they have survived the many exacting tests for durability and are conferred upon this and future generations in trust, to be held for all time inviolate.

 

それぞれの語句が何を意味するかをひとつひとつ検討する気は今はないのだが、「the people of Japan」でこの条文の真意が見えてくる。
基本的人権は日本以外の国の人々が戦って勝ち取ってきたもので、日本人が勝ち取ってきたものではない。少なくとも日本人は、勝ち取るまで戦っていない。
ここに日本語の条文の重要性を感じるべきだろう。
もし英文を第九十七条の真意と判断するなら、世界の他の国の人々が戦って得た権利をただ導入すれば定置させることができるという、極めて浅薄な主張となる。そうなれば暴力的に国民の権利を奪う者が表れた場合、国民はただ非難するばかりで、非難すれば権利が戻ってくると理解しているふりをして、暴力的に国民の権利を奪う者に永久にその権利を差し出してしまう。だから英文で憲法の真意を理解するのは隷属化への道に他ならない。私は右翼の自主憲法論には反対だが、自主憲法論の根拠である八月革命論の否定には賛成であり、その根拠は憲法第九十七条にある。
文脈の理解の仕方によっては、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」がそのまま「永久の権利」の根拠となると理解できるのは確かである。しかしそれならば「侵すことのできない永久の権利として」の後に「日本国民に」と記すことで、その真意を明確にする必要があると考えるべきである。そう記されなかったのは、暴力的に国民の権利を奪うことができる者が存在するのをGHQの英文による憲法草案の翻訳から、国会決議までに関与した誰かが感じていたからである。その暗示を我々は無視するべきではない。
だから第九十七条は日本語で理解しなければならない。国民に「永久の権利」を与えた信託者は潜在的に存在するのであり、信託者は違法、違憲的に国民から権利を取り上げる権能を持っている。だからこそ憲法第十二条による「不断の努力」が必要なのであり、その努力を怠れば暴力革命にその正統性を与えることになる。

しかしまた、第九十七条の真意が暴力革命論にダイレクトに繋がり過ぎるという不安を感じる者もいるだろうし、私もまたその一人である。
だからもし憲法裁判所が設立されれば、憲法裁判所を信託者に仮託するのは一応可能である。もっともそうなると憲法解釈が二重になり、また第九十七条の真意が歪められるという難点があるが、私自身憲法裁判所の設立には賛成であるし、立憲主義の強化が暴力革命の可能性を遠ざけるのもまた確かである。ただし憲法裁判所を設立するためには、憲法第九条の改正が必要である。
安倍政権の九条改正案は、九条第三項に自衛隊の存在を明記するというものだった。それは九条第二項と矛盾するが、憲法の条文間の矛盾はそのまま違憲であることを意味しない。憲法裁判所に付与される権能の内容次第でもあるが、普通に考えれば憲法裁判所は憲法間に矛盾ありとしながらも、自衛隊は合憲だと判断するはずである。しかし憲法改正をしなければ、憲法裁判所は自衛隊違憲だと判断するだけである。
憲法第九条を改正し、憲法裁判所を設立することで違憲、違法性を排除し、立憲主義法治主義を実現するのは暴力革命を予防する重要な方式であるのは確かである。
しかし憲法改正憲法裁判所の設立が行われなかったり、憲法裁判所を設立してなお国民の権利が恣意的に適用されない事態が続いたりすれば、憲法第十二条及び第九十七条はそのまま暴力革命論の根拠となる。

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北欧的な日本の社会構造の終焉

エマニュエル・トッドによれば、日本は直系家族の家族構造の国である。

エマニュエル・トッド - Wikipedia

同じ家族構造の地域は主に北欧諸国である。直系家族では親は子に対して権威的で、子供同士は不平等である。基本的価値は権威と不平等で、女性の地位は比較的高い。日本の女性の権利は世界的に低いとされているのだが、トッドは子供のしつけや教育を両親のどちらが行うかに重点を置いているので、トッドの見方に従えば確かに女性の地位は高い。
また女性の地位は、子供の教育に影響する。女性の地位が高い方が、子供の教育に熱心になるのである。
そして不平等を価値としながらも、トッドによれば「心理的逆転」により、経済的には平等性の高い社会構造になるという。確かに北欧諸国はそうなっている。

ところが私は、この直系家族の社会構造が壊れ、絶対核家族か、平等主義核家族のどちらか、どちらかと言えば平等主義核家族に移行するのではないかと思っている。絶対核家族の国はアングロサクソン、つまりアメリカやイギリスであり、平等主義核家族の国はフランス、イタリア、スペイン、ラテンアメリカ諸国などで、ヨーロッパ諸国でも奮っている国ではない。
もっとも人類史の初期ならともかく、集団の価値観に基づく地域の価値観が大きく変化することがあるという主張をトッドはほとんどしていない。むしろ地域の価値観が変化する可能性について、トッドは否定的である。だから私はトッドから決して正しく学んでこういう主張をしているのではない。

絶対核家族では、直系家族が子供の一人が成長したあと家に留まり、他は家から独立するのと異なり、成長後全員が家から独立する。
基本的価値は自由で、夫婦間は対等である。しかし兄弟間の平等には無関心で、これが不平等を形成する。
子供の教育には無関心で、個人主義自由経済を重んじる。
平等主義核家族の基本的価値は自由と平等である。実に理想的な価値観と言えるが、この基本的価値は、実際の格差解消に役立つことはない。
平等の価値観は財産分与でのみ発揮され、そこで終わる。分割された財産は投資には不十分であることが多く、格差の拡大に歯止めをかけることができない。政策的にも「結果の平等」より「機会の平等」に重点が置かれるようになる。
女性の地位は、女性が遺産分割に加わる社会では高いが、そうでない地域ではやや低い。そして子供のしつけや教育は父親が行う。
私は平等主義核家族に移行する可能性が高いと述べているため、そうなると今より女性の立場が悪くなりそうだが、ヨーロッパは相対的に女性の地位が高い地域なので、日本でも男女同権やフェミニズムの啓発があれば、女性の地位の低下を防いでいけると思う。
子供の教育を母親より父親が行う方が、教育への関心は低くなる。この教育への関心の度合いが、欧米での平等主義核家族の国の経済力を決定つけている。
絶対核家族と平等主義核家族の違いは、移民の受け入れの違いに見ることができる。
移民をどれだけ受け入れているかではなく、外婚率、つまり移民とそれを受け入れた民族の結婚の割合によって、移民に対し普遍主義的か差異主義的かを分析し、絶対核家族は差異主義的で、平等核家族は普遍主義的だとトッドは結論づけた。
また絶対核家族と平等主義核家族のような自由を基本的価値とする社会構造と、直系家族やロシア、中国の社会構造である外婚制共同体家族の権威を基本的価値とする国の違いは、自殺と他殺に表れる。自由を価値とする社会では自殺より他殺の割合が多く、権威主義の社会では他殺より自殺の割合が多い。
そして、直系家族と平等主義核家族の何よりの違いは、直系家族の国が政権交代がほとんど起こらないのに対し、平等主義核家族は二大政党制の国が政権交代するより頻繁にクーデターや革命が起こることである。

私が権威主義の直系家族から自由主義核家族、それも平等主義核家族に移行すると思う理由は、とにかく格差の拡大に歯止めがかからないことである。
アジア全体から見れば日本の格差は小さいかもしれないが、格差の拡大を止める措置はほとんど取られていない。それも法を無視して格差の拡大が放置されている。法を無視しているのさえ多くの人がわかっているのに、それでなお改めようとしない。
そのような多くの人の姿勢は、もはや「尊敬」を形成しない。現状が維持されているのは、人々が罪悪感でつながっているからだけである。
罪悪感でつながっているだけなので、社会を正統化する理論が生み出される余地はなく、罪から目を背けるためのごまかしの議論が横行し、そのような議論がごまかしであるのも既に多くの人にばれている。
このような社会は衰退するしかなく、経済、社会を向上させる手段はほとんどなく、それを提示しても潰される公算の方が大きい。結果、格差が拡大しながらも、人々はそれを正当な報酬によるものだと信じることができない。つまり、高収入でもそれを自分の力だと信じることができない。
現状、派遣社員が直接雇用されれば格差の解消が大幅に進むのは明らかなので、都合よく法が適用される人とされない人を分けるのではなく、普通に法を運用すれば公正と平等が復活する。それからでないと、人が自らの力を確認できる自由競争を行うことはできない。自由競争の前に公正と平等が必要なのである。
北欧諸国が平等社会を気づいたのは、権威を維持する一番の方法が、不条理による問題は金で解決すればいいと明快に理解しているからである。しかし日本では、手段を選ばずに人の権利を奪って、その結果をもって差別する。私が直系家族を維持できないと思うのも少しは理解できるだろう。

大阪都構想が否決され、維新は大阪市を八つの特別区に統合するという案を提示してきた。
再び都構想につなげられるかどうかは五分五分だと思うが、戦略的には悪くない。
しかしこうして行政の無駄を削ろうとしても、常に既得権益と争い、時に破れ、それで削ぎ落とすべき贅肉がなくなった時には、その努力がイノベーションをほとんど引き起こさなかったという現実を突き付けられることになるだろう。
こうして、日本の分断を巡る争いの核は、維新と法的、社会的に見捨てられた、派遣を中心とする非正規の争いに移行する。
この争いに、立憲や自民支持の既得権益層などはほとんど追随できない。なぜなら追随するだけの理論武装による議論がほとんどできないからである。彼等はこの争いの傍観者と成り果てる。
派遣の問題から逃げるために行政の効率化を唱える維新支持者は、多くが自分は終身雇用に憧れていたことに気づき、脱落する。そしてこの争いに極限まで生き残った者は、派遣の問題を解決しない限り何の理想も達成できないことに気づき、ほとんど奇跡的に見える非正規と維新支持者の精神的融合を果たすことになる。その時初めて、平等主義核家族社会構造形成の種が生まれる。

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全ては繋がっている

若い頃、私は世界連邦主義者だった。
若い頃はとにかく世界から戦争を無くす方法は無いかと考えていて、そのために世界連邦主義者になったのだが、今から考えれば不思議なほど、日本の安全保障について語ることはなかった。今と逆である。今シーレーンをどうやって維持するかを語らない者を笑えない。
安全保障の基本中の基本は、若い内から頭に入っていた。しかし興味を持つことができなかった。
なぜそうだったのか、40歳を越えてから分かるようになった。

今年に入って、「人生の計画は立てなくていい」と主張する者をちらほら見かけるようになった。
昔と逆で、昔は「若い内から人生設計をしろ」と年輩者は若者に教えた。それはなぜか?人生設計はカーストを形成するからである。

日本人は、若い内から「報われる者」と「報われない者」に選別される。
まずはいじめである。「いじめっ子」と「いじめられっ子」に選別することで「報われる者」と「報われない者」を決める。「いじめっ子」が「報われる者」になるのかと言えば、それなりに「報われる者」になっている。
私が若い頃は、トップリーダーがボトムアップ型のリーダーとなり、サブリーダーが部下に厳しく当たるのがよいという経営思想が流行した。そのモデルとして新撰組近藤勇土方歳三豊臣秀吉石田三成の関係などが持て囃されてきたが、このモデルのサブリーダーが「いじめっ子」である。
ボトムアップ型の人格者は、学級委員などの優等生で、高学歴によりその地位に就くが、彼らの主な仕事はサブリーダー=「いじめっ子」を正当化することである。
だから飲み会などで部下がサブリーダーなどの上司を批判すると、「あの人は本当はいい人なんだよ」と言い出す。目的は被害者を永久に被害者の立場にし続けることにある。それに被害者が抵抗すると、「あの人を理解しないお前は間違っている」という逆説の論理が裏に組み込まれていて、被害者は悪人にされる。
子供の頃の話に戻れば、いじめ以外に選別するのは「頭がいい」「器用」「運動神経」「要領がいい」である。これらの評価を繰り返すことで、「報われない者」に駄目な人間だというレッテルを貼っていく。
「頭がいい」とはどういうことかについて、私の母親は私に散々話をした。
どういう話をしたかはほとんど覚えていないが、母親が勉強ができることが頭がいいことだと話しているように聞こえたのでそう問い返すと、「勉強ができるのが頭がいいとは限らないよ」と母親は言った。
結局、母親と話して「頭がいい」とはどういうことかは何一つわからなかった。
製造業の仕事をしてわかったが、「器用」と「要領がいい」はブルーカラーにとって時に絶対的な基準となる。この二つによって、職場は徹底的に序列化され、マネジメントなどの概念を排除し続ける。この二つによる序列化が強力だと、この二つを持たない作業員は早期に淘汰される。その人が持つ中長期的な可能性は引き出されずに終わる。
この二つによる序列化を維持するために、会社組織は序列上位の者が起こしたトラブルを下位の者に責任転嫁する。

こういう序列化のためのシステムは子供のうちから選別を行うが、完全に固定される訳ではない。何かに突出した能力があるなどで、序列を突き破ることはできる。しかしそれができるのはごく一部である。
このようなチャンスは若いうちに多く、年をとるごとにチャンスは減っていく。
ならば「報われない者」に救いは与えられていないのかといえば、「救い」は与えているのである。
つまり「今お前が報われていないのは努力しなかったからで、努力すれば必ず報われる」と「報われない者」に説くことが「救い」なのである。
「救い」は「報われない者」にハンデを負わせた上で競争のラインに立たせる。教育なら没個性を目指す方が「報われない者」に反逆の意思を抱かせずに済むので、受験競争に重点を置いた教育制度となる。しかしここでも「報われる者」の方が有利に勉強をこなしていくので、「報われない者」は低学歴者となる可能性が高くなる。そして社会に出て何年もすると「報われない者」が報われる可能性は益々低くなり、貧困層に落ち込んで這い上がれなくなる。

私が若い頃に世界連邦主義者だったのは、この「救い」のせいである。
報われない人生を続けていくと、何かで人生を逆転したくなる。そして「努力すれば必ず報われる」と教えられるので、自分にその道があると思い、それに囚われて動けなくなる。
「人生設計をしろ」というのもそれで、人生で失敗するのは計画が不十分だからと思わせる狙いがある。だから失敗すればより計画を綿密にし、計画から外れた発想をしなくなる。
「救い」が宗教的になると、「運命」や「輪廻転生」となる。つまり前世がこうだったから自分にはこういう運命が待っていると考える。これが明らかな計画ミスによる不幸が生じた時、逆境を跳ね返す努力をしない時、しばしば人は「奇跡」を信じている。自分にはこういう人生が待っていると考えるから、無策でも「奇跡」によって逆境を克服できると信じようとするのである。もっとも最近は変わってきている可能性があって、異世界転生ものには宗教観の変化があるかもしれないが私は異世界転生ものをほとんど読んでいないのでそれには答えられない。ともかくこのような思考が、日本のリアリズムの形成を阻害している。
そして社会、経済的にはヒエラルキーを組織化した終身雇用をこれらの思考が維持している。
「運命」にしても、人の迷惑にならないような願いだって当然ある。しかしそのような願いも、終身雇用のような日本の全体像に吸収されてしまうのである。だから私は「運命」も「輪廻転生」も否定する。
しかしここで疑問が生じる。今はあまり言われないが、日本人は「普通」を好んだはずである。それがなぜ「運命」や「輪廻転生」という突飛なものを信じてしまうのか?
「普通」が、最底辺でない者にとっての「運命」なのである。様々なしがらみにとらわれた者は、その程度の夢を見ることしかできなくなるのである。

こうして社会は不正が横行するようになる。人は罪を償うより隠蔽する思考習慣を身につけていくので、不正には際限が無くなっていく。
法律があっても、法律が守られるとは限らない。派遣社員に対しては法律すら守られない。
数々の不正に対してもはやごまかしも聞かなくなっているのに、社会はただ人を黙らせるだけで現状を維持しようとしている。

対立を解消するための「保守本流」 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で私が民心の安定と対立の解消を呼び掛けてもなお、それに向けた動きは一向に見受けられない。社会の正統性を確立すること無しに社会秩序を維持するなど不可能なのに、誰もそのことを理解しない。
このようにして、社会が不正そのものであるのを誰もが理解しながら、そして社会を信用することができないまま、社会は衰退に向かっていく。
それに少しでも歯止めをかけたいなら、全ては繋がっていることを理解しなければならない。

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「悟る」ということについて

最近、「悟り」というものがどういうものかというのがようやくわかってきた。
人間には恐怖がある。死の恐怖、破滅の恐怖。そういう様々な恐怖から人間は逃れようとして強い感情とエネルギーを生み出す。そうして障害を排除して安心感を得ようとする。
しかし、人間が繰り返し困難に見舞われ続けると、当然その人は抗い続ける。抗い続けるが、そのような困難の中で、一部の者の心境に、「死ぬ時は死ぬ」ということが納得感を持って心理の奥に定着するようになる。
これが「悟り」である。この「悟り」自体は、決して宗教的なものではない。宗教、特に仏教はこの「悟り」の心境を、現実の困難をより少なくして、なおかつより多くの人がこの境地に達することを主な目的としている。

「悟り」の心境は、梃子の原理に似ている。
多くの人間にとって、大きなエネルギーを生み出すには強い感情、欲望が必要なのだが、「悟った」者の感情は大きくは動かない。
かといって情がないのではなく、情を感じた人のために行動できる。ただその「悟った」者の元の性格次第では、情のない人間に見えることもある。
そして「悟った」者は、「悟って」いない者以上の行動力を示すことができる。「悟った」者の行動を制限するのは生活習慣くらいのもので、ただ行動できるだけでなく、その人の経験と知識が潜在意識の中で結びつき、常人が思いつかないことをすることも多い。
それだけではない。
司馬遼太郎の『竜馬がゆく』に、サトリとキコリの話がある。
キコリがサトリという獣に出会った。キコリはサトリを生け捕ろうと思ったが、「わしを生け捕ろうと思っただろう」とサトリが言い、キコリが斧で打ち殺そうと思うと、「斧で打ち殺そうと思っただろう」と言い当ててくる。そこでキコリは相手にならずに木を伐り続けると、斧の頭が柄から抜け、サトリの頭に当たって死んだ。
「悟った」者は、考えずに動いてどんどんプラスを出していくのである。「悟り」は根本的に知性ではない。
このようなことは、マンガ版ドラゴンボール超の「身勝手の極意」や、『アンゴルモア』の朽井迅三郎も表している。
朽井迅三郎は義経流という兵法を修験道から学んでいるが、『アンゴルモア』からは全体的に禅の雰囲気が漂っている。
子供の頃に、迅三郎は義経流を学ぶために「蜂吹ノ行」という試練を受ける。
行を受ける者が木の切株の上から動かず、スズメバチの巣を叩いて出てきたスズメバチを全て木刀で叩き落とすという荒行である。
迅三郎はこの試練に二度失敗し、「狙った時に限って避けられる」ということに気づく。そして牛若丸に真っ二つに切られる夢を見る。

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そして「丸く斬るために四角く振る」という技術を身につける。単に技術を覚えたり、敢えて標的を狙わないというような表層的なことでなく、死を受け入れる体験があってこそ境地と技術が身に付く。
達磨大師嵩山少林寺禅宗を開いて以来、東洋の武術は禅の深い影響を受け続け、武術の達人の多くが「悟り」の境地に達した。そしてもちろん武術だけでなく、「悟り」の境地は人間の眠っている能力を引き出してくれる。

「いつ死んでもおかしくない」という真実を受け入れた「悟った」者は、自らと死者を区別しない。だから生者と死者の区別もなく、勝者と敗者の区別も、富者と貧者の区別もない。徹底した平等思想である。「悟った」者が差別主義に陥ることはあり得ない。
『アンゴルモア』で、蒙古軍に追い詰められた対馬の住民の中に、子と孫を殺された老婆がいた。その老婆が「蒙古に追い詰められどこぞの路傍に転がるなら場所くらい己で決める」と言ってその場に座り込む。

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この感動の少ない場面が、ヒューマニズムに対するアンチテーゼであることに気づいた人はどれだけいるだろうか?
ヒューマニズムは人に強い感動を与えるが、同時に残酷でもある。この老婆が読者を感動させるためには、子や孫を殺された悲しみを克服して、萎えた足腰で全速力で逃げなければならない。人がどんな状況でも全力で生きるべきとするヒューマニズムの傲慢さを指摘するこの場面に、私は禅を感じる。

また「悟った」者は、当然人命も尊重する。「人の命は地球より重い」という言葉は陳腐だが、「悟った」者にとっては真実である。
「悟った」者は一人と三人の区別がないし、一人と5000人も区別しない。一人と一国の住民の命の重さも問わない。既に危険思想である。
『アンゴルモア』で迅三郎が対馬の住民のために戦うのは、「一所懸命」という己と同じ目的のために戦う者に共感したからだが、対馬が壊滅状態となる最後の戦いの後の迅三郎の行動がすさまじい。

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生存者が見つからないことは、迅三郎にとって戦いを止める理由にならないのである。そして「天地が滅びようとも」というのは、自分が命をかける相手次第では国家転覆さえ辞さない精神に達しているからである。これが生者と死者を区別しないことによる「悟った」者の思考回路で、このような者に国家や社会の重要性を説くのは根本的に無駄である。
また迅三郎にとっては、生存者が見つからないからといって対馬防衛戦を弔い合戦にすり替える必要もない。そして捕虜になった者を除いて生者の見つからない対馬で、迅三郎は蒙古軍相手に阿修羅のように戦う。

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いやこれはいくら何でもやり過ぎでしょwww。
しかし迅三郎の強さは、ヴィンランド・サガ』のトールズの超サイヤ人振りに比べればはるかに理解しやすいのである。

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てゆーかこれは単に体格差の問題なんじゃ…。
しかしトールズの子にしては、トルフィンが小柄過ぎるのに気づいている読者もいるだろう。つまりトールズは「悟った」者だが、大柄であることで読者に強さを理解しやすくして、トルフィンがトールズの強さに達することで、読者が「悟り」とはどんなものかを理解できる仕組みになっているのである。

また、「悟った」者は二種類ある。「身勝手の極意」に「兆」と「極」があるようにである。
この二つの違いは、人間が人間であるだけで愛せるか否かである。

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悟空がこんなろくでなしになった理由が今やっとわかる。悟空は一度奇跡的に「身勝手の極意・極」に達したが、その後「兆」までにしかなれなかった。悟空は人を愛せないのである。
そして「身勝手の極意・兆」が『東京喰種』の「竜」になったカネキであり、『進撃の巨人』の「地鳴らし」のエレンである。彼らの行動を止めるには、彼らに人を愛せるようにしなければならない。

日本は禅宗が発祥した中国よりも禅を文化的に発展させた国で、禅「道」という形に変化させ、家業を通じて師と弟子の関係の中に禅の要素を取り入れてきた。
それは弟子の疑問に師がまともに答えないという形に主に表れ、その要素がパワハラを含むこと、パワハラを正当化するために禅を取り入れてきた面があるのは否めない真実である。だから禅が日本のヒエラルキー構造を支えているのは確かだが、「悟った」者がそのヒエラルキー構造を容認しなければならない理由はない。むしろヒエラルキー構造を破壊するために、「悟った」者は現れなければならない。

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