坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

日本型ファンタジーの誕生(39)東京喰種∶8〜受け入れたカネキ

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カネキは自責の人間である。
金木研の名前は、太宰治の出身地青森県北津軽郡金木村から来ている。つまりカネキは太宰と対比されている。
同類ではなく対比されているのである。「この世の全ての不幸は当人の能力不足」というヤモリの信条を、敵として憎みながらも引き継いだカネキは、言葉通りに全てを自分の問題として受け止め、問題を解決できないと全て自分の責任だと抱え混んでしまう。そういうカネキを月山習は「選ぶ力がなかった頃の延長線」「なんと健やかな弱さ」と思う。
世の中には、人に迷惑をかけながらも一部の人間に責任を転嫁する他責の人間と、責任を転嫁されながらそれに根本的に疑問を持たないように教育され、素直に問題を自分のものとして捉え努力を続ける自責の人間がいる。自責の人間はそのため報われず、やがて努力も続けられず不幸な人生を終える。
太宰の『人間失格』は私は全く受け付けなかった。読んだ時は、太宰の分身である主人公がなぜそう思うのか、なぜそういう行動をとるのか全くわからなかった。しかし今はわかる。文章の裏には太宰の数多くの嘘と卑劣さが隠されている。その卑劣さが私に『人間失格』を受け付けさせなかったのだと。
つまり『東京喰種』は、『斜陽』や『人間失格』へのアンチテーゼでもある。他責の人間に対する、自責の人間が文字通り全てを背負い混んだ時にどのようなことになるか、それを描くのが『東京喰種』のテーマである。

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トーカのカネキへの態度はこのようにつっけんどんである。女性の可愛らしさをみせることがあまりない。
トーカはよく美人だと評価されるが、正直絵では他の女性キャラとの違いはわからない。ショートカットで髪を青く染めていた頃はともかく、黒髪で片眼が前髪で隠れているトーカは、作中の女性キャラの中では色気の薄い方である。
かと思うと

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とこんなことを言ったりする。トーカは世間知はあるが、その世間知の皮を破れば疎外感で溢れているのである。そして自分に自信がない。

日本型ファンタジーの誕生(30)~『亜人』3:下村泉 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

の下村泉のように、「見捨てられたヒロイン」はしばしば色気なく描かれる。女性の色気はしばしば女性の幸福感から出る。しかしカネキは、そんなトーカを愛しているのである。そしてトーカは身籠る。

カネキの率いる「黒山羊」が地下に追い詰められ、地上では喰種が追い詰められ、食糧にも事欠く中で、カネキとトーカはそれなりの幸福を感じていた。
そんな蜜月期を過ごすカネキとトーカに、CCGの魔の手が伸びる。CCGの最大戦力は、鈴屋什造率いる鈴屋班である。

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鈴屋班は0番隊に匹敵するほどの戦力であり、食糧班が食糧調達に出かけた残りの人員では鈴屋班に対抗できないことが強調される。

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「sokokanasakinokotohasiranai(そこから先のことは知らない)kokoderyuwo(ここで竜王)」とコマ枠にある。
旧多は「竜」を「僕の味方」と言う。「黒山羊」壊滅のための作戦名を旧多は「コウリュウギ」と名付けてもいる。
旧多のオッガイを使ったなりふり構わない喰種殲滅作戦は、多くのCCGの捜査官の不評を買うものだった。
「死には意味がなければならない」という丸手斎は、和修政のやり方を「兵の犬死なせ」だと批判する。しかしその丸手も、旧多と比べて政の方を「あいつの方がましだった」と言う。それだけ旧多のやり方は、精神的にも肉体的にも過酷なものだった。
カネキも「旧多さんが局長の方がいいかも」と言っている。その旧多にカネキ達は追い詰められるのだが、一方では瓜江達が旧多を弾劾している。
旧多のやり方は間違いなく喰種に最大の打撃を与えたが、それによりカネキは「竜」になる。まるで

日本型ファンタジーの誕生(27)~『東京喰種』3:「父殺し」 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で有馬貴将がカネキを追い詰めたことでカネキが覚醒したように、旧多の行動は反撃されることを望んでいるかのようである。それを作者は「僕の味方」と旧多に言わせることで表現している。

「黒山羊」の喰種にとって、悲劇を予感させる材料が次々と出てくる。

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束の間のトーカとの蜜月は、この悲劇のためにあったのかと思わせる。
このストーリーは、私は単行本でなく雑誌で読んでいたので、毎回暗澹とした気持ちにさせられたものだ。
そしてナキが倒れ、ヒナミも倒されそうになる。
あーはいはいわかりましたwww。
この悲劇を予感させる展開が繰り返されることで、逆に悲劇は回避されるとわかる。少なくとも「黒山羊」が壊滅する事態はないと読めてしまったwww。
虫の予感を感じたカネキは、一人で引き返す。そして鈴屋什造と戦う。

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これから激闘が始まるかと思うと、無惨にも手足を斬られて横たわるカネキの姿が。
いや、カネキは健闘したのである。ただその姿は描かれなかった。

『進撃の巨人』を考える① - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で訓練兵達が「死」に直面したように、読者は絶望に直面する。
カネキの脳内で複数のカネキが話し合う。この時のカネキは多重人格的である。脳内でもう一度什造と戦うが、やはり負ける。そして悟っていく。「黒山羊」が壊滅させられ、喰種がみんな殺されることを。自分が死んで、トーカに会えなくなることを。トーカに会いたいという思いだけが心を占め、そのために邪魔なものを全て取り除き、「退かない。前に進む。百足みたいに」と言ってオッガイ達を全員捕食する。
百足とは、ヤモリに拷問を受けた時に耳の中に入れられた百足のことであり、カネキに乗り移ったヤモリである。オッガイは神代利世の赫包を移植されたリゼの子供で、カネキとリゼの精神的な「結婚」を意味する。
さらに旧多が持つ「核」を捕食し、カネキは「竜」となる。
この「核」とは、『進撃の巨人』の座標と同じである。『進撃の巨人』ではエルディア人を貴族が支配し、貴族の上にエルディア人である王がいる。
これが壁の中の話で、壁の外の世界では全世界がエルディア人を迫害し、世界の大国マーレを指導する潜在的権利をエルディア人のタイバー家が持っている。
『東京喰種』はCCGが喰種を迫害し、CCGの頂点には喰種の和修家がいる。しかし和修家も直系以外は人間と交わり、純粋な喰種は劣っているとされる。つまりみんな奴隷なのである。

「竜」となったカネキは、東京中の人間を喰らい尽くす勢いを示す。永近英良が「竜」からカネキを掘り出そうと喰種に働きかけ、喰種がCCGに押しかけて、CCGと喰種の協力体制ができる。
「竜」の目に赫包が集中しており、さらに金属探知機によりカネキのもつネックレスを特定できると踏んだ喰種とCCGの職員種は、総力をあげてカネキを見つける作業にかかる。
トーカの金属探知機が反応し、カネキの居所が判明する。六月の妨害を身重の体で戦いながら、トーカはカネキを掘り出す。

 

この目だらけの腕は、上から垂れ下がっているが、トーカは下に向けて掘り進んでいたはずである。またカネキの身体は赫子で構成された黒い腕でなければならない。しかしこのコマでは目が生えた腕を見せることで、カネキの精神のグロテスクさを表している。

『春の呪い』の「近親婚的なもの」と「罪の時代」の終わり - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で見た、非リアリズム的手法である。この腕を見つけた時のトーカの喜び。この醜い腕が、愛されている。

カネキの意識の中で、カネキは厳島神社伏見稲荷大社をミックスさせたような、海の中の神社にいる。カネキは海の中に大勢の人間の死体が沈んでいるのを見る。そしてカネキはリゼに再会する。
「人殺し」とリゼはカネキに言う。大勢の死体は、カネキが殺した人々だった。その罪の意識にカネキは耐えられず、色々と殺した口実を探すが、リゼに論破される。そして「あなたは他人が死のうがどうでもいいもの、無責任」と言う。カネキは懊悩し、そして気づく。戦うことで誰かに求められようとしたこと、リゼと会ったせいで様々な不幸な目にあってもリゼを恨んでいないこと。そして自分が幸せだったこと。
「背負えるかどうか試してみます」と言って、カネキは海を泳ぎ、現実に戻ろうとする。そしてカネキは目を覚ます。

 

カネキの髪が長くなっているのに注目しよう。カネキとカネキ以外の人間とでは、時間の流れが違うがである。

この後、リゼが復活し、「竜」の残骸から生えた卵管から出る毒を受けて人間が喰種になるという減少が起こる。しかしカネキはその毒の影響を受けないことがわかり、カネキはその元を断つ役目を受ける。
途中で旧多を倒し、カネキは奥へと進んでいく。

誰もが悲劇の主人公だ。誰もがなにかを奪い、誰もがだれかに奪われる。それしかできない。それが僕らの全て。奪う、奪われる。囚える、囚われる。従う、従わせる。する、される。肯定と否定を繰り返し、僕達は失わないように戦ってばかりいる。なのに…愛する人も場所もかならず無くなる。ぼくたちはかならず忘れられる。生きることはかなしい。むなしい。それでもいつか失うとわかっていて、いつか消えるとわかっていて、醜く求めてしまう。美しくありたいと願ってしまう。

 

リゼによる「竜」の落とし子と戦いながら、カネキは時に押し潰されたりする。この描写を見て、カネキはこんなに弱かっただろうかと思ってしまう。
最終回で、死堪は共喰いにより赫者となり、CCGの後身、TCS発足以降最大の適正喰種となる。まるで隻眼の王、次いで「竜」となったカネキより強いかもしれないような描き方である。死堪はゲーム『東京喰種JAIL』の主人公で、「カネキの身代わりに死ぬ人間」で、カネキの分身である。カネキが死堪より弱く見えるのは注目していい。
そしてカネキは最深部にいるリゼを倒す。

それから6年、「落とし子」との戦いを続けながらも、世界は一応の平穏を手に入れることができた。そしてカネキが登場する。

 

目の下の痣も痛々しいが、ここは首に注目しよう。赫子でできたように見えるが、この首は老人の首である。人より時間の流れが速いカネキは、それなりの平穏!得るのに老人になるまでの時間がかかっているのだ。
根本的に、カネキは戦っていたのだろうかという疑問が湧く。カネキは「背負う」と言ったのである。
瓜江久生は変えられないことを誰かのせいにせず受け入れる道を選び、六月の攻撃も反撃することなく受け止めたが、カネキは戦っているように見えて実は受け入れており、時に受け入れることに耐えられず抵抗しているのではないだろうか?

日本型ファンタジーの誕生(38)東京喰種∶7〜カネキの非暴力主義の末路 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べた、非暴力主義の否定はむしろカネキに「受け入れるな」と言っているのではないか?受け入れたら不幸になる、苦しみ続けることになると。だから本質は非暴力主義なのに、戦っているように見せているのではないか?そしてカネキが受け入れたことが、人類の8割が死ぬという『進撃の巨人』とは異なる結末に達することができた理由ではないか?カネキが受け入れたから、他の人々は6年の戦いでそれなりの平穏を得ることができたのではないか?
カネキの悲劇は、晩年まで続いていたと思うべきだろう。しかし晩年はしても、カネキは幸福を得ることができた。

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日本型ファンタジーの誕生(38)東京喰種∶7〜カネキの非暴力主義の末路

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「結構弱い動機なんですよ」とカネキは言う。後にカネキは「何もできないのは嫌だ」が口ぐせになるが、作者はカネキを一見、どこまでも青臭い人間であるかのように描いている。しかしこの見かけは作者による偽装であり、カネキの心境はかなり成熟している。

また「悟った」者は、当然人命も尊重する。「人の命は地球より重い」という言葉は陳腐だが、「悟った」者にとっては真実である。
「悟った」者は一人と三人の区別がないし、一人と5000人も区別しない。一人と一国の住民の命の重さも問わない。既に危険思想である。

 

「悟る」ということについて - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたが、カネキはこの境地に入っている。カネキは人数の多寡を価値判断の根拠としていないのである。カネキは論理的には喰種のために戦う理由を、少なくとも充分には説明できないが、カネキの戦う動機は弱い訳でも迷いがある訳でもない。「多くの人間は僕にとってどうでも良かった」とカネキは言う。表面的なヒューマニズムが剥がれた後の、カネキが守りたい者への思いは非常に強い。

カネキは隻眼の王として、「あんていく」の仲間と0番隊、「アオギリの樹」の残党を糾合して「黒山羊(ゴート)」を結成する。そして人間達に「強制的に話し合いのテーブルについてもら」い、人間と喰種が分かり合うことを目的とする。
そして「大衆」を暗示する喰種集団ピエロがCCGの各支局を襲撃する中で、「黒山羊」はCCGに味方することでデビュー戦を飾ろうとする。「黒山羊」が人間の味方であることをアピールするのが狙いだ。一方で怪我の治療のために喰種のRC細胞を取り込み過ぎた真戸アキラを救うために、「黒山羊」のデビュー戦と同時進行でCCGのラボに潜入し、Rc抑制剤を入手する計画を立てた。ピエロ騒ぎでCCGの警備が緩んでいるのを逆手に取ろうというのである。カネキはまずピエロからのCCG本部防衛戦に参加し、30分経ってから「黒山羊」の指揮を月山に任せ、ラボに向かった。ラボ潜入班はカネキの他、霧嶋アヤト、滝澤政道、安久クロナである。
ラボ内では職員が亜門鋼太朗を眠らせていたカプセルを開けてしまい、亜門が暴れ出す。カネキは意識を失っている亜門に強く同情し、亜門を止めるために戦おうとするが、アヤトに止められる。

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亜門とは滝澤とクロナが戦い、Rc抑制剤を手に入れるという目的を手に入れたカネキは、滝澤とクロナを置いて引き上げる。
一方、CCG本部防衛戦は、ピエロと戦う「黒山羊」を旧多が攻撃することで、「黒山羊」が人間の味方だと認知されず、ピエロとCCGの謎の武装集団「V」を相手に健闘することで「黒山羊」の存在感を世間に印象付けることには成功した。

意識を取り戻した亜門とカネキ、アキラが話をした後、カネキと「黒山羊」がどうなったかといえば、

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CCGによって追い詰められ、喰種は地上に住むことができず、24区の地下で暮らすようになっていた。
なぜこうなったのか?「黒山羊」はCCGに対して十分に存在感を示すほどの力を持っていたのではないのか?これは

『進撃の巨人』を考える① - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で見た、突然超大型巨人が現れることで、唐突に死に直面したような印象を読者に与えるのと同じ効果で、読者に唐突な挫折経験を与える。
カネキは「隻眼の王」として、喰種を率いて確かに健闘していた。しかし旧多はオッガイを使い、市中に紛れ込む喰種を確認する手続きを取ることなく、オッガイの嗅覚だけで喰種と判断して殺すという蛮行を重ねていた。オッガイの横暴にはCCG内でも反感を持つものが多くかったが、旧多はこの方法で喰種の殲滅率を上げていた。
カネキはCCGとの戦いで、捜査官の命を奪わず、クインケを奪って捜査官を無力化する戦いをしていた。
『東京喰種』はバトルマンガなのでバトルは欠かせないが、これは非暴力主義の表現である。「喰種が恐ろしいものだと思われたら、たとえCCGに勝利してもまた争いが生まれてしまう」とカネキは言う。「クインケではなく捜査官の首を見せるべきだよ」と月山はカネキの方針を批判するが、また「いつからそんなに喰種の未来を想うように?」とも、カネキの心境の変化を感じ取っている。

この後、食糧難の喰種の食糧を確保するため、カネキは富士の樹海の人間の死体を食糧とする計画を立てる。しかしそれにより手薄になったアジトをオッガイと鈴屋班が急襲する。
虫の予感がしたカネキは、一人だけ引き返し、鈴屋什造と戦って惨敗する。

「黒山羊」の初陣と並行して行ったCCGラボ潜入作戦は、Rc抑制剤の入手を目的とした場合、決して悪い作戦ではない。
しかしRc抑制剤の入手は、「黒山羊」にとって優先事項ではない。優先事項は「黒山羊」が人間の味方だと世間に理解させることである。Rc抑制剤の入手はカネキの私情とまでは言えないにしてもそれに近く、組織的な目的から程遠い。
カネキは「黒山羊」の初陣に30分参加しただけで、Rc抑制剤入手という優先順位の低い作戦に従事した。初陣に最も必要だったのは、有馬貴将さえも倒す「隻眼の王」の力だろう。加えて「オウル(成功体)」滝澤の力も欠かせなかっただろう。旧多がビエロと戦う「黒山羊」を攻撃するならば、両方ともねじ伏せなければならないからだ。

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瓜江の言う通りである。

この記事を書くために、

ディートリヒ・ボンヘッファーとガンジー - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

が必要だった。
非暴力運動を誰かが死なないために行うものだと思うと、誰かが、それも多くの人が殺された時、非暴力運動の指導者はその責任に耐えられず、自分一人が犠牲になればいいと思い、非暴力運動の同士から離れて、暴力を振るう根源、ロシアの皇帝やヒトラーなどを殺すことで問題を解決しようとしてしまうのである。そしてたった一人に対してでも暴力を振るうことで、非暴力運動は潰えてしまう。
元々カネキは、人間達を「強制的に話し合いのテーブルにつかせる」ことを「黒山羊」の目的としていた。それならば捜査官の命を奪ってでもCCGの力を弱めるべきであって、「命を奪わない」ことで手心を加えても、敵を増長させるだけである。そして実際そうなった。
「強制的に話し合いのテーブルにつかせる」ことは、カネキの代わりに丸手斎が実践する。
そして多くの同胞を殺され、自らも鈴屋に破れたカネキは「竜」となる。

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日本型ファンタジーゲームの誕生③『ドラゴンクエストVIIエデンの戦士達』②〜男が女を救い、娘は父親と再会する

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今回は『ドラゴンクエストVIIエデンの戦士達』のグリンフレークメモリアリーフの物語を中心に書いていこう。

日本型ファンタジーゲームの誕生②~『ドラゴンクエストVIIエデンの戦士達』1:ゼボットとエリーの物語に我々が感動する理由とは? - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

に続けて、ドラクエ7で非常に強い感動を受けるストーリーである。
グリンフレークで、ぺぺはハーブ園の経営者ポルックに雇われるやり手の庭師だった。そしてぺぺとリンダは愛しあっていた。しかしリンダは親の借金を背負っており、そのためポルックの息子イワンの求婚を拒めない状況にあった。リンダには一緒に駆け落ちしてくれと言われるが、父親と弟を捨てられないという理由で断り、とうとう雨の夜、グリンフレークを飛び出してしまう。
このちょっと前に、グリンフレークは灰色の雨に襲われて住民は石化し、主人公達が「天使の涙」で石化を解くというエピソードがある。
ぺぺは石化の度合いが強く、石化が解けても麻痺して動けなかったが、それも主人公達が手に入れた薬で回復する。このぺぺの快気祝いのパーティーで大雨が降る。
「灰色の雨だ!」と勘違いして住民達が逃げ出すのは、中々の演出である。その雨の中で、ぺぺは街を飛び出す。
「ぺぺのバカ…」と雨の中立ち尽くすリンダ。おお〜昼ドラだ〜!

ぺぺが街を飛び出した後、リンダはイワンと結婚する。
イワンは困っている人を見ると自分が助けなければならないと激しく思い込む質で、その思いが一時期メイドのカヤに向いていた時期があり、イワンの気持ちがリンダに向いてカヤは嫉妬している。
カヤという人物、ドラクエ7だけでなく、ドラクエ史上屈指の個性を持つ人物である。パーティーの最中に話しかけると、「そろそろ毒が効いてくる頃ですね」と言ったりする。その時一瞬音楽が止まるのでびっくりする。もちろん毒なんか盛られていない。
リンダはイワンとの間にエペという子を生むが、跡を継いだハーブ園をブドウ園に変えて経営に失敗、イワンはリンダに辛く当たり、リンダは街を飛び出す。
リンダが向かったのはぺぺのところだった。ぺぺはハーブ園を経営し、それが成功しハーブ園の周辺はメモリアリーフと呼ばれる街になっていた。そしてリンダという名前の孤児を養女にして育てていた。ぺぺは社会的に成功したが、お人好しにもハーブの栽培方法を人に教えるなどして、ハーブ園の全盛期は過ぎていた。
リンダはメモリアリーフに向かった。しかしぺぺに会わなかった。メモリアリーフが見下ろせる丘に、ギュイオンヌ修道院という修道院があり、リンダはそこに入って修道女になる。
ギュイオンヌ修道院への丘を登る途中に洞窟があり、そこにリンダの手紙がある。「夫と子供を捨てて逃げた私を、あなたは軽蔑するでしょうね。だからあなたには会えません。せめて遠くから見守ることだけはお許し下さい」という手紙がある。リンダは買い出しなどで丘を降りてメモリアリーフを通る時も、ぺぺを遠目に見ながらも、ぺぺに声をかけることはなかった。そしてまもなくリンダは病気になり死んでしまう。
リンダの墓は修道院メモリアリーフが見えるところに建てられた。現代に戻ると、リンダとぺぺの墓が並んでいる。現代のメモリアリーフでは、ぺぺの、というよりぺぺの養女のリンダの子孫がいるが、この人物があまり感心できなくて、毎日何人か雇っているメイドと追いかけっこをして暮らしている。え?どの口が言うって?そんなことないでしょwww。
過去に戻りリンダの死を伝えると、ぺぺは墓を確かめるために主人公達についてくる。途中休憩のために小屋に入り、ぺぺは一人になるためにメモリアリーフを作ったと述懐する。その決断に後悔はないと。
そして修道院に着き、シスターの一人に話すと、「リンダという者はいません!帰ってください!」と言われてしまう。もちろんぺぺを確認してそう言うのである。
シスターの態度に激高したぺぺは、「案内なんかしてもらわなくていい!自分で探す!」と押し入ってリンダの墓を見つける。最初は「リンダなんて珍しい名前じゃない」と、かつての恋人だと認めようとしない。しかしさっきのシスターが「いいえ、その墓は間違いなくあなたの幼なじみのリンダの墓です」と言い、ペペはリンダの死を認めざるを得なくなる。ぺぺはリンダの墓に向かって号泣して謝る。
「リンダの死はペペさんにはちゃんと伝えるつもりでした。でもリンダが死んだら、ペペさんが憎くなって、いじわるしたくなったんです」とシスターは言う。
このシスターはリンダの分身であり、リンダの本音である。

一方グリンフレークでは、経営に失敗して破産したイワンのブドウ園は、カサドールという男のものになる。イワンはぺぺの弟のポルタに紹介されて、今はカサドールのものなったハーブ園で働く。息子のエペも一緒に働くが、イワンは仕事に身が入らない。常に飲んだくれてるが、時々酒を飲む手を止めて、リンダに辛く当たった過去を後悔したりする。
そしてカヤは、カサドールの妻の座に収まっている。
カサドールは病気で常にベッドに伏せており、カヤの手料理だけが唯一の楽しみだった。ところがカサドールの病気は、カヤが料理に毒を盛っていたからだった。カヤはカサドールを殺して、ハーブ園をイワンの手に取り戻そうとしたのである。お〜火曜サスペンス劇場だー!www。
やがてそのことが明るみに出る。するとイワンは「全て自分が指示したことだ」と言い、カヤを連れてグリンフレークを出て行く。

グリンフレークメモリアリーフの物語は、ペペとイワンの勝負の物語である。
社会的には、ペペは成功者で、イワンは失敗しているが、自分にとって大事な女性を幸せにするという点では、イワンの勝ちである。ペペはメモリアリーフで成功しても時々不機嫌になったそうである。リンダへの未練がそうさせたのであろう。ちなみに現代のペペの(血のつながらない)子孫は、生涯独身を通したペペの本音である。
現代では、グリンフレークの街は完全になくなっており、メモリアリーフだけが栄えている。
メモリアリーフから東は行くと、橋があってリートルード地方に出る。リートルード地方はかつて天才建築家バロックがいて、バロックは自分にエイミという娘が生まれているのを知らず、そのことを悔い、娘に自分が父親だと打ち明けない。主人公達が過去に行った時は、そこで物語が終わっている。
しかしペペやイワン達の物語が終わると、バロックはその後、エイミと一緒に暮らしたことがわかる。男が女を救い、娘は父親と再会するのである。

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幕末の群像③〜龍馬の大政奉還の真の狙いとは?

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坂本龍馬は土佐郷士として生まれた。
土佐郷士は旧長宗我部氏の遺臣で、長宗我部氏が改易された後に入部した山内家の元では藩政に携わることができなかった。
だから龍馬は脱藩した。龍馬の友人の武市半平太は、あくまで土佐藩を動かしていこうとして土佐勤王党を結成し、参政の吉田東洋を暗殺して藩の実権を握ったが、禁門の変で長州が朝敵になると、藩主の山内容堂は態度を翻し、吉田東洋暗殺の容疑で半平太を切腹させた。土佐勤王党は壊滅した。
一方龍馬は薩長同盟大政奉還を実現し、歴史に大きな足跡を残した。しかし龍馬は維新を見ることなく暗殺された。
幕末に国事に奔走して明治まで生き残っているのは西郷隆盛木戸孝允など、大抵藩官僚である。脱藩浪士は明治まで生き残ったものは少数で、明治以降に大きな業績を挙げたのは陸奥宗光くらいだろう。幕末に歴史を動かせたのは龍馬と中岡慎太郎、清川八郎くらいしかいない。しかも清川の場合、勤王のために浪士を集めながら、幕府に多大な貢献をする新撰組を結成してしまうという失態を犯している。そしてこの三人は非業に死んでいる。
脱藩浪士というのは、大抵は非業に死ぬ運命だった。
このように見れば、龍馬が正しく武市が間違っていたとは簡単に言えないことにわかる。高杉晋作の行動を見るように、藩の力を背景にした場合の動きは大きいし、脱藩よりずっと安全である。(もっとも高杉は何度か脱藩しているが)土佐藩の場合、危険度は藩を動かそうが脱藩しようが変わらなかったということである。

薩長同盟は龍馬が仲介者になったから締結されたと言われている。
同盟の締結書というのはなかった。木戸孝允が龍馬に確認を求めた覚え書があるだけである。
内容は六ヵ条からなるが、それも長州側が「〜の場合、薩摩は〜するか」と尋ねて西郷がイエスと答えたもので、いわば口約束である。薩摩が反故にしようと思えばいくらでもできた。今残っている文書はその時のメモではなく、木戸が後に内容を思い出して龍馬に内容を確認したものである。その時に誰もメモをとっていなかったとしたら、長州側も相当迂闊というしかない。

同盟締結後、龍馬は寺田屋に帰り、そこで幕吏の襲撃を受ける。
龍馬は左手の親指が切り落とされそうになりながらもその場を逃れ、材木置場に隠れた。薩摩藩邸では寺田屋襲撃の方を受けて、西郷が龍馬救出の兵を出す。薩摩藩の手で龍馬は救出され、薩摩藩邸に匿われる。こうして、脱藩浪人にすぎない龍馬の存在感がにわかに大きくなる。
当然だろう。龍馬は恐らく薩長同盟のメモを持っていたのだから。
実は昔何かの本で同盟締結時に長州側でメモをとっていたと書いてあるのを見たことがあるのだが、その本が今はなく、メモを誰がとっていたかも、それが龍馬だったかも覚えていない。しかし木戸が覚え書を龍馬に確認したくらいだから、メモをとった長州藩士はいないと考えるしかない。
たかが脱藩浪人のメモでも、幕府の手に渡ってはならない重要な資料である。だから西郷は軍勢を差し向けても龍馬を救出したのである。
こうして口約束の薩長同盟は真の同盟になった。このように見ると、龍馬は寺田屋でわざと襲撃を受けたのではないかと邪推さえしたくなる。
藩邸で暮らすのを嫌い、寺田屋など商家に止まるのは龍馬の性分としか言いようがない。わざと襲撃を受けたのではないにしても、同盟締結後に幕吏に襲撃されて生き残れば、自分の名声は高まるという考えはあっただろう。龍馬が襲撃を受けて西郷が軍勢を出すとまでは考えてなかったはずである。相当豪胆なのは間違いない。長州側が三好慎蔵を護衛につけていることからも、情報の漏洩により薩摩に同盟に本腰を入れさせるための策というのは十分考えられる。
こうして、龍馬は薩長同盟の真の立役者となった。いや、立役者という虚構となったのである。

龍馬は亀山社中を設立し、交易事業により自立を保とうとした。最初の出資者は薩摩である。
しかし、亀山社中の船はよく沈む。龍馬は勝海舟から神戸海軍操練所で操船技術を習得した。社中の浪士達の多くも龍馬と共に操船を習った。
しかし龍馬の操船技術がどの程度だったかはともかく、社中全体の操船技術は非常に低かったと言わざるを得ない。
薩長同盟後、薩摩は龍馬に船を提供しなくなった。それ以上龍馬に出資する気が元々なかったのか、元々口約束で長州を捨て駒にする気だったのに、龍馬のために本気で長州を援護しなければならなくなったのが不愉快だったのか、恐らく後者だろう。
幕末を通じ、脱藩浪人を藩官僚が表向き浪人に冷淡だったことはないようである。
浪人は鉄砲玉として使えたからである。だから浪人の言説には鄭重に耳を傾けた。
しかしそれでも浪人に藩の意向を変えさせられるのは望むところではなく、西郷としては船がよく沈む亀山社中と共に、龍馬が自滅してくれるのを望んでいたのかもしれない。
龍馬は長州から帆船を貰い、それが沈むと長崎の商人から出資を受け、最終的に仇といっていい土佐藩と手を結び融資を受ける。社中も名を海援隊と改め、土佐藩と対等の関係としての盟約である。龍馬の自由への矜持が感じられる。もっとも頑迷な土佐藩も、郷士の龍馬を対等に扱うメリットはあった。薩長同盟の立役者として、いや虚構として、龍馬の名声はそこまで膨れ上がっていたのである。

そして龍馬は船中八策後藤象二郎に献策する。大政奉還への道ので始まりである。
日本人は龍馬の死によりこの平和路線が閉ざされたのを惜しむ。しかし実際はどうか?
1869年 版籍奉還
1871年 廃藩置県
1872年 学制布告 新橋、横浜間鉄道開業 冨岡製糸場開業
1873年 徴兵令 地租改正
この急激な近代化は中央集権、それも龍馬のいうデモクラシーではなく、有司専制(官僚による独裁)でなければ不可能である。
大政奉還で徳川家の領地をそのまま残し、徳川慶喜を実質的な首相にしてしまっては、近代化は我々が知るようなものではなく、紆余曲折があっただろう。あるいは外国からの植民地化も免れなかったかもしれない。植民地化を免れても、朝鮮半島がロシアに支配されて日本が圧迫を受けた可能性もある。
それでも龍馬が大政奉還への道を走ったのは、革命が実現すれば新政府から海援隊ごと捨てられたからだろう。
岩崎弥太郎海援隊を引き継いで三菱を作ったのは確かだが、龍馬と弥太郎は不仲である。当然だろう。弥太郎は土佐藩からの経営のお目付け役なのである。土佐藩は龍馬の名声を利用したいが、経営の面では全く龍馬を信用していない。経営でコケたら土佐藩はさらに出費をしなければならなくなる。
近藤長次郎は仲間に無断でイギリス留学を企て、留学できずに社中に戻り切腹した。近藤の性格にも問題、というより角があったと思うが、んが、亀山社中海援隊は商才のある者にとって居心地が悪い。
そんな海援隊が明治を迎えても、龍馬は政治の面で活躍の場がなくなり、従って出資者を得ることもできずに破産せざるを得なくなる。だから新政府ができても、薩長と徳川家の間で活躍し、海援隊を半官半民の会社にできるようにしようとしたというのが龍馬の本音だろう。
そんな龍馬にもひとつだけ正しさがある。それは郷士として生まれた龍馬には最初から活躍の場がなく、徒手空拳で自分を土俵にねじ込んでもさらにその後わずかな隙により転落してしまう。
そういう運命を抱えた龍馬には、決して日本のためでなく、自分が活躍できるように日本を改変しようと思ってもいいと考えたことである。それが日本の国際的な不利益、極端に考えれば破滅だったとしても、龍馬に活躍の機会を与えないそれまでの体制の方に問題があったのだから。
まさに龍馬は「土佐にあだたぬ者」だったのである。

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日本型ファンタジーの誕生(38)進撃∶9〜終焉、そして「父殺し」の帰結

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進撃の巨人』はジーク達巨人を撃退、ウォール・マリアを奪還することで新たな展開を迎える。
シガンシナ区のエレンの家の地下室で、エレン達は世界の真実を知る。人類は滅びでおらず、壁の外、エレン達の住むパラディ島は世界のほんの一部で、世界は大国マーレが覇権を握っていた。
マーレはかつて世界を支配したエルディア帝国を倒し、その支配から逃れて生まれた国である。エルディアとはエレン達パラディ島の住民と同じ民族で、九つの巨人を有していた。巨人大戦によりエルディア人をリベリオ収容区に押し込め、エルディア人の巨人の力を使って世界の覇権を握っていた。「始祖の巨人」を持つフリッツ王はパラディ島に逃れた。パラディ島を攻めれば、世界を平らにする「地鳴らし」を発動するという警告を世界に残して。「地鳴らし」とはパラディ島の3重の壁の中にいる大型巨人を動かすことで、発動すれば世界を滅ぼすこともできる。しかしフリッツ王は「不戦の契り」を結び、王家の血を引く者は「地鳴らし」を発動できなかった。
「始祖」は「進撃の巨人」を持つエレンの父グリシャが、ヒストリアの異母姉フリーダから奪い、エレンに継承されていた。しかし王家の血を引く者を巨人にし、エレンが巨人化能力者となった王家の血を引く者に触れれば、「始祖」の力は「不戦の契り」に影響されることなく発動することができる。エレンの兄ジークはそのことを知っており、パラディ島の兵政権に「地鳴らし」の力を持つように提案した。
パラディ島の兵政権は、「地鳴らし」を発動するべきかどうかについては悩むが、もしもの時の保険としては持っておこうと思う。その際、ジークの「獣の巨人」はヒストリアに継承させるつもりだった。
しかしエレンはそれに手を打つ。ヒストリアを巨人能力者にしないためにヒストリアを妊娠、結婚させたのである。
「進撃」には、他の九つの巨人にはない能力がある。それは未来を見る力である。
エレンはウォール・マリア奪還作戦の戦没者の慰霊式典の時に、ヒストリアに触れることで未来をみた。以来エレンは、突き動かされるように「地鳴らし」発動に向けて動いていくようになる。
そしてエレンはパラディ島を抜け出し、レベリオ収容区で「戦鎚の巨人」を所有するタイバー家の当主で、マーレの真の実験者ウィリー・タイバーがパラディ島への宣戦布告を告げたその時、巨人化してウィリーを殺した。パラディ島を抜け出しながらも密かにパラディ島と連絡を取り、この日にレベリオ収容区を襲撃させる。兵政権はエレンの作戦に乗らなければ、「進撃」と「始祖」を失うことになる。兵政権は不本意ながらエレンの提案に従った。
そして「戦鎚」の能力者のウィリーの妹と戦い、殺して「戦鎚」の能力を奪う。さらにジークを殺したふりをしてジークをパラディ島に移送することに成功した。
兵政権は独断でレベリオ襲撃を提案、兵政権を巻き込んだエレンを牢に閉じ込めるが、エレンは「戦鎚」の能力を使って脱獄、ジークに会おうとする。
しかしジークに会う直前で、エレンはガビの銃で首を吹き飛ばされる。それでもエレンが絶命する前にジークはエレンの首をキャッチし、二人は「座標」で邂逅する。

ジークはエルディア人が子孫を残せないようにすることで、巨人による世界の災厄を無くそうとしていた。エレンはジークに賛同するふりをした。エレンの目的は、パラディ島以外の人類を「地鳴らし」により滅ぼすことだった。
ジークの油断ならないところは「不戦の契り」を知的作業により無効にし、エレンの「始祖」を利用して始祖ユミルを操っていたところにある。
ジークはエレンを鎖で繋ぎ動けないようにして、エレンの記憶の中を覗いた。
ジークはエレンが自分と同じように、父のグリシャに洗脳されたと思っていた。しかしエレンはグリシャに自由に育てられていたとわかる。そしてグリシャがレイス一家を殺した日、グリシャは「進撃の巨人」の秘密を明かす。「進撃」には未来を観る力があるというのである。しかしグリシャは殺すのを躊躇う。巨人化しようとしてできなかったグリシャに、エレンは

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と語りかける。息子が父親を主導している。
グリシャがレイス一家を殺すと、「これでいいんだな?エレン」とグリシャが言う。
「座標」を通じてグリシャの記憶を観ていたジークだが、グリシャもエレンやジークを見たり話したりすることができる。グリシャはジークに「エレンを止めてくれ」と言う。

僕だけがいない街』や『東京喰種』には父殺しの暗示があるが、どちらの作品も子の価値を父親が否定するという形で「父殺し」が行われている。
「父殺し」には重要な意味がある。「父殺し」をした者は犯罪者として裁かれるか、世界の改変者となるか、どちらかの運命を辿る。犯罪者として裁かれるのがオイディプスであり、改変者となるのがゼウスである。
エレンは父親を従えさせ、父親の価値を否定している。『僕だけがいない街』や『東京喰種』が父親の方から子の価値を否定するのは、まだ子の方が父親を否定できないからだった。しかし「俺は生まれた時からこうだった」というエレンは、自分の価値に父親を従えさせてしまうのである。完全な「父殺し」である。

ジークはユミルにエルディア人の生殖能力を奪うように命令する。エレンは鎖を引きちぎるのでなく、親指を引きちぎって鎖から腕を抜き、ユミルを止めて説得する。
「決めるのはお前だ。選べ。永久にここにいるのか、終わらせるかだ」
エレンの言葉に、ユミルの心が動く。そして「始祖」が発動し、3重の壁の大型巨人が動き出す。「地鳴らし」が始まったのである。

「地鳴らし」は世界を次々と平らにしていく。
エレンを止めるために、ミカサ、アルミン、ライナー、アニ、ピークと、それまで敵同士だった者達が力を合わせる。
エレンから「始祖」を引き離し、「地鳴らし」を止めるのに成功するが、今度はエレンは脊髄をガスにして噴射し、巨人化能力者とアッカーマン家の者を除く全てのエルディア人を「無垢の巨人」にする。
「地鳴らし」を止めてなお戦うエレンの首を斬り、エレンを止めたのはミカサだった。

ミカサの右頬の傷は、強姦の暗示である。
プラチナエンド』でも、ヒロインの花籠咲がメトロポリマンによって頬に傷をつけられるが、これも同じレイプの暗示である。
始祖ユミルは奴隷として生まれ、舌を抜かれ、豚を逃がした罪でフリッツ王の命令で殺されそうになり、追い詰められて巨人の力に目覚める。
その巨人の力を今度はフリッツ王に利用され、橋をかけ、荒れ地を耕し、マーレと戦わされ、その上フリッツ王の子を生まされる。そして最後はフリッツ王を庇い、槍に刺されて死ぬ。
ユミルはフリッツ王を愛していた。その愛から解き放ってくれる者を、ユミルは待っていた。それがミカサである。そしてミカサがエレンを殺すと、エルディア人は巨人の力から解放され、「無垢の巨人」は人間に戻り、巨人化能力者は巨人に力を使えなくなる。人間=怪物から「怪物でない人間」になったのである。

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これが『進撃の巨人』の答えである。エレンは「地鳴らし」により、人類の8割を滅ぼした。しかしエレンは大犯罪者として歴史に名を残し、革命とはならなかった。ミカサがエレンを殺したことで、女性が男の横暴から解放され、意識の面での革命が起こるのである。
同じ構造は『テラフォーマーズ』にもある。
かつて誘拐されて辛酸を舐めたサムライソードが、誘拐事件と関係があるらしいハンニバル・フォン・ヴィンランドと対決する。単行本はここで話が止まっているが、女性が横暴な男に復讐して解放されるという構図をここに読み取ることができるのである。

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講演会にあたってのコロナ対策について

(注)講演会は私が参加を呼びかけた方だけが参加できます。参加の呼びかけがない方には関係のない記事です。

講演会に際しての注意。
講演会は施設の『新型コロナウイルス感染症対策対応チェックシート」に則った対応を致します。

施設内では基本マスクの着用をお願い致します。

施設の入口にある設備で検温を行ってください。

氏名及び緊急連絡先を把握し、名簿を作成します。また、名簿の情報は必要に応じて保健所等の公的機関へ提供されます。氏名と連絡先は当日記入していただきます。
感染予防のため、以下について来場者に対して周知します。
・ 咳エチケット、マスク着用、手洗い・手指の消毒の徹底
・ 社会的距離の確保の徹底
・ 下記の症状に該当する場合、来場を控えてください。
咳、呼吸困難、全⾝倦怠感、咽頭痛、⿐汁・⿐閉、味覚・嗅覚障害、眼の痛みや結
膜の充⾎、頭痛、関節・ 筋⾁痛、下痢、嘔気・嘔吐

以下の場合には、入場しないようお願いします。
① 発熱があり検温の結果、37.5℃以上の発熱があった場合
② 咳・咽頭痛などの症状がある場合
③ 過去 2 週間以内に感染が引き続き拡大している国・地域への訪問歴がある場合等

秀吉が江戸時代を作った

本能寺の変の後、羽柴秀吉大坂城を築き、朝廷を大坂に移動させようとした。
その試みは挫折したように見える。明智光秀柴田勝家織田信孝と、秀吉はそれまで敵と和平を結ばず、敵の領土を奪う方針を採っていた。しかし小牧・長久手の戦い徳川家康を討つことができず、以後敵の本領は安堵して、有力な大名を取り込む方針に転換した。
秀吉は関白になったが、信長や足利義満のように、人臣としての立場を超えるような試みはしなかった。秀吉が天皇を越えようとしなかったのは、下層民として生まれ、人生の途中で天下人になる道が開かれた秀吉の限界だと通俗的には思われていて、それ自体は当たっている。

秀吉は信長が出来なかった全国的な楽市楽座を実施し、太閤検地により土地の生産量を把握した。それまで土地に複数の権利関係が存在するのが常態だったが、太閤検地により権利関係が整理され、土地は耕作する百姓のものになった。また升の大きさも統一。さらに刀狩によって農民が武装解除された。これほどの大改革が一気に進められるのは、日本の歴史の中で例のないことである。

江戸時代は世界的に見ても特異といっていいほど平和な時代である。
江戸時代にも島原の乱、慶安事件、大塩の乱などの反乱があったが、江戸時代の一番の特徴は大名の謀反が1件もなかったことである。赤穂事件の赤穂藩も、「城を枕に討死」などと言いながらも最後には幕府に城を明け渡している。
鎌倉や室町の頃は、大名の反乱はよくあった。鎌倉時代の和田合戦での和田義盛や、室町時代応永の乱の大内義弘などは、討死するまで戦っている。信長の時代も荒木村重の謀反などがある。
しかし、江戸時代から大名が謀反を起こさなくなったのではない。秀吉の時代から、大名は謀反をしなくなったのである。

秀吉も初期の江戸幕府ほどではないが、大名の改易や大幅な厳封を行っている。
豊臣政権で最初に改易されたのは織田信雄である。信雄は家康の関東移封後に家康の旧領が与えられることになったが、それを嫌がり、秀吉の怒りに触れて改易となった。
次に小早川秀秋。秀吉の甥だが、筑前30万石から越前北ノ庄15 万石に厳封させられた。
佐々成政は、秀吉の九州征伐の後肥後一国を与えられたが、強引に検地を行ったことで一揆が起りくださいこれを鎮めることができずに改易、切腹となった。
大友義統は、有名な大友宗麟の子だが、朝鮮出兵の失敗で改易。
蒲生秀行。父の蒲生氏郷は、伊達政宗の所領を奪うように所領を秀吉から与えられている。最初に政宗家督相続以降の征服地の会津を与えられ、次に政宗が大崎·葛西一揆への加担の嫌疑(嫌疑というより事実加担したようである)で米沢から岩出山に減転封されると米沢を得て、その所領は100万石になった。
しかし氏郷が死んで秀行が後を継ぐと、秀行は宇都宮15万石へと大幅な減転封を受ける。代わりに会津と米沢に入ったのは上杉景勝である。秀行にこれほどの減転封を受けるほどの落度があったとは思えない。つまり会津徳川家康に対抗し、奥州を抑えるために必要な地で、秀行は力量不足と見られたのである。
豊臣秀長。秀吉の異父弟だが秀吉より先に死に、子もないため絶家。所領の大和国は豊臣家の直轄領に回収された。

ここに挙げた例は全て50万石から100万石の大名である。これらの大名は謀反をしていない。
なぜこれらの大名は誰も謀反しなかったのか?その理由は、秀吉が全国的な楽市楽座をはじめとする大改革を次々と実行し、実現したからである。
このような大改革が秀吉にできたのも、秀吉が大坂に朝廷を移そうとしたからである。暴挙とさえいえる秀吉の考えに恐れをなした公家や寺社が座や荘園の権利を全面的に手放した。こうして武士は公家の家臣であるという、平安時代から続く職の体系と言われるものは解体され、大名は秀吉のみを主君とするようになった。
これだけの大改革ができたのは、信長の遺産があったからなのはもちろんである。しかし歴史は、時に調整能力の高い、改革向きでない政治家に大改革を行わせる。


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