坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

『未来のミライ』は幼児虐待!?(ネタバレあり)

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を読んだ時には、、やっぱり自分で観なきゃわからないと思っていた。

『GODZILLA 怪獣惑星』 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」 

を書いた時に言及した元記事(もう誰の記事かわからないが)に、実は映画を貶める意図を僅かに感じていたのである。だからその下げられた評価を修正する目的も、この記事にはあった。

 誰の記事かわからないものを批判するだけでも申し訳ないので、別の記事を挙げよう。

nlab.itmedia.co.jp

この記事で言うように、格別に面白いものではないのは、私も認めているのである。しかし

本作は脚本の練り込みが明らかに足りていない。まず問題なのは、前作のエンドクレジット後映像にも登場したミアナを始めとする、2万年後の地球に適応し生存していた人型種族・フツアだ。りん粉、卵、テレパシー……とくれば当然思い浮かぶのは「モスラ」シリーズの小美人だが、彼女たちはそれを示唆させる以上のキャラクターではない。

 

とまで言われるとどうかと思う。

日本型ファンタジーになった『GODZILLA 決戦機動増殖都市』(ネタバレあり) - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたような日本型ファンタジーという概念はもちろん私が勝手に言っていることであって、この記事を書いた人が知っているべきことではない。

 しかしフツアの民に虫の遺伝子が混ざっているという設定があるのに、『テラフォーマーズ』との関連に向かずに「小美人を示唆させる以上のキャラクターではない」と言い切ってしまうのには、思考停止の匂いを感じるのである。

 つまり、日本型ファンタジーの概念には私だけでなく、多くの人が気づいているのだが、それを言葉にするのをほとんど全ての日本人が避けているように感じられ、それがこのレビューによく表れていると思うのである。 

 

話が脱線した。今回は『未来のミライ』である。

 先に述べたように、自分で観ないとわからないと思っていたが、 評判通りwww。

思い切り空振りした作品である。 ここまでの空振りも珍しい。

 物語る亀はそれでも作画を高く評価しているが、それほどだろうか?私には作画の凄さを見せる機会もほとんど無かったと思っているのだが。もっとも私も作画を評価する能力には自信はないが。

 この作品が駄目なのは、主人公が4歳では、話を大きくするだけの活躍ができないことである。 

ならば主人公の年齢を高くすればいい。それが出来ないと細田守が思って映画を作ったところに、この作品のみならず、現代社会の限界があるのである。

 『未来のミライ』のテーマは、「家族の再生」である。 この重いテーマの主人公を、4歳の幼児が担わなければならなかった。

 くんちゃんは生まれたばかりの妹の未来にお母さんを獲られたと思い嫉妬する。 くんちゃんにはそれしかわからない。当然くんちゃんと未来の関係が、物語の主軸になる。 

4歳では、父親を理解するなど無理である。その父親を理解するために引っ張ってきたのが、やたらとイケメンの曾祖父さんである。

 この曾祖父さんだが、このキャラクター造形にも無理がある。 

戦時中に船で特攻を仕掛け、片足を負傷して生き残ったということだが、船での特攻なんてあったか?私の知識ではあったとも無かったとも言えないが。

 特攻の話は、昨今の特攻隊への日本人の憧憬を取り入れたものだろう。それでいて船での特攻にしたのは、生き残らせることで特攻を否定するためである。どうにも矛盾した態度である。 

この曾祖父さんをくんちゃんにお父さんと呼び間違えさせ、父親と同一視させる。その後「曾じいちゃん」と呼ばせてすぐに同一視しないように仕掛ける。目的は単純に父親を尊敬させるためである。 

それにしてもこの曾祖父さんは存在感が強くて、曾祖父さんがいなければこの映画は全く締まらないものになる。

 曾祖父さんは曾祖母さんに駆けっこで勝って結婚したという「伝説」があるが、それは真実だった。

曾祖母さんが途中で止まって、その間にびっこの曾祖父さんが抜いていったのだ。 勝った後の曾祖父さんのセリフが、

「足が速いなあ、もうちょっとで抜かれるところだった」www。実にイケメンな男である。

曾祖母さんがゆっくり走っていたら、二人は結婚しなかったかもしれないとミライは言う。そういう奇跡のようなものの積み重ねによってくんちゃんと未来が生まれたことを述べて、家族の大事さを強調する。
それでいて、細田は嘘がつけない。
お父さんは子供の頃は体が弱く自転車に乗れず、お母さん物をよく散らかし、猫が小鳥を噛み殺してから好きだった猫が苦手になった。
だから何なんだ‼️と言いたくなるが、要するに大した親じゃないということである。猫が苦手になったお母さんが、それ以前は猫愛好家を気取っていたところに、特にスパイスを効かしている。
極めつけは、高校生になったくんちゃんの登場である。「家出」したくんちゃんを説得するが言うことを聞かないくんちゃん、つまり自分に「あのガキ…」と言ってしまうところに、その性格が良く表れている。
大きくなったくんちゃんがなぜ高校生なのかといえば、高校生以上にできなかったからである。くんちゃんは大きくなっても、家族を大事にする以上の良識を持たないひねくれた奴なのである。ちなみにくんちゃんと未来の年齢差も、高校生以上年齢ののくんちゃんを登場させられないところから設定されている。くんちゃんが高校生でも、ミライが何とか中学生で登場できる年齢にするため、4歳の年齢差になったのである。

 

「家族の再生」をテーマにしたこの作品での両親の結論は、「ほどほどに良くやれている親」である。
別にそれでいい。しかし細田は、それ以上のものを出したかったのである。
未来のミライ』は、血のつながりを否定した『万引き家族』の逆をいこうとして、その限界を徹底的に露呈した作品である。
このようになってしまったところが細田の正直なところであり、嘘臭い家族像を無理に作ろうとしなかったところ、真生の作家というべきだろう。
しかしそのために大冒険が完全に不可能な4歳の幼児を主人公にするところは、構図的に自我を持つ人に威厳を感じさせるのが不可能だから幼児虐待に走る親に通じるところがある。
また、こうも言える。
私が日本型ファンタジーと言っている作品を中心とした昨今の作品群は、その中に社会、体制と言ってもいいが、それを否定する要素が含まれている。
対して宮崎駿などのジブリ作品や、それと同系列の細田などは、社会、体制を最終的には肯定する作家、作品群だった。その第一人者である細田が社会、体制を肯定するのが無理なことを完全に露呈した作品が『未来のミライ』なのである。

 

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