坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

三浦瑠璃氏の徴兵制導入論について

三浦 瑠麗 (id:LMIURA)氏が、「徴兵制を導入すべし」ということを言っていた。

bunshun.jp

「反論や批判を待っています」というので私も書いてみよう。
まず私は運動音痴なので、徴兵されたくはない。「徴兵される年齢ではない」からというのは、賛同する理由にしてはいけない。
検査に合格しないと徴兵されないと言っても、津山事件のように徴兵に不合格になったことが原因のひとつになった事件もある。差別を生むのである。
しかし、

以前から、シビリアン・コントロールが強い民主国家ではかえって戦争が容易になってしまうと主張してきました。戦争のコストをリアルに計算する軍部に対して、政治家や国民は正義感やメリットだけを勘定してしまうから、安直に戦争へと突き進む危険性があるということです。

 

と三浦氏は述べ、韓国の火器レーダー照射の件も取り上げ、「結構危ない局面だった」と語っている。
火器レーダー照射の事件については私なりの見解があり今回は触れないが、もう少しこの問題を掘り下げるべきだろう。

日本が戦争に突入したのは、徴兵制においてである。
その戦争のやり方は、戦域を拡大し続けていく終わりの見えないもので、最も愚劣なやり方だと言っていい。
しかし徴兵制が戦争を破滅的なものにしたかと言えばそうではない。終わりのない戦争に突入したのは、国民主権ではなかったからである。
権利のない中で、日本人は結果を自分の責任に帰せずに、周囲に合わせて自分を浮かないようにした。それが

日本が憲法を改正しない本当の理由 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、「資源がない」という真っ当な意見に「非国民!」と非難し、周囲が同調するということが起こる。
しかし、

流行 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、今の日本は国民主権の世になっている。自分達の選択の結果は自分達に返ってくる。
ならば不合理な戦争に突入しないだろうということはわかる。それを徴兵制によってより不合理を無くす必要があるかどうかである。

ここで改憲派の定義が必要になる。
護憲派は長いこと改憲派も自主憲法はも一緒くたにしてきたし、改憲を唱えながら9条以外の議論をしている例もたまにある。
9条以外の憲法の議論も必要だろうが、やはり戦争の是非については9条が問題となる。
改憲派は9条第2項の削除と自衛隊の明記を主張するようになった。私は1項と2項の削除を主張する改憲派だが、2項の削除を主張する者までを改憲派と見るべきだろう。つまり安倍首相の3項に自衛隊明記は改憲派の主張になっておらず、当面の腰掛けの意味しかない。

私が9条の1項と2項の削除を主張するのは、それが最も論理的だからである。つまり私は、1項を残すという改憲派の主張も、現状への妥協だと思っている。
翻って、今の日本で徴兵制を日本の戦争の抑止力にする必要があるかと言えば別にない。むしろ「戦争をしない」問題だけがある。
こう言うと聞こえが悪いが、シーレーンの維持だって戦争を考慮する必要がある。今の日本人は右翼も含めて、戦争をする覚悟がない。ただ声を大きくして、本当の問題から目を逸らし続けているだけである。
こう言うと丸山穂高議員のことだろうと読者は思うだろうが、丸山議員のことはまた後の機会に。

要するに、プライドがないのである。
できもしないことを大声で叫んだりして、実施されないことに安心しきっていたりする。プライドのない者がプライドがある振りをする最も安易な手は、できないことを声高に主張することである。そしてこういう言動の繰り返しが、シーレーンの維持という日本の安全保障の根幹を危うくしている。

ならば徴兵制を導入すればどうなるだろうか?
少なくとも現状より、国民はシーレーン維持という問題に目を向ける可能性は高くなると思う。
しかし三浦氏の議論は「焼石に水」という感が強い。改憲の議論が進まない中で打った手のひとつだろうが、私も「可能性が高くなる」とまでしか言えないのである。
もっともこうも言える。
安全保障を自らのプライドを持って語れる者は、9条第1項を決して放置しない。そのプライドを徴兵制によって培うというのなら、これは9条第1項削除論への前振りだと。

橋下徹氏は二大政党制を謳い、完全小選挙区制を主張している。かつて何度も聞いた話である。
私は日本が二大政党制の国になる可能性は非常に低いと思っている。それは野党は結局国民の建前で、本音が自民にあり、国民が本当に政権交代を望んでいないからである。
維新が政権党になるというのは賛同するし、その努力も認めているが、それでいて実に歩みが遅い。ようやく政権に手が届いても、それを長期間維持して二大政党制に持っていけるかどうか非常に怪しい。
また小選挙区制は死票が多い。今後も投票率が上がる可能性が少ない中で、死票を増やすのは懸命ではない。民主主義の根幹に関わってくる問題である。
また現状、投票に行かないのが浮動票、つまりふだんは声をあげない者達である。維新は彼らの支持を懸命に集めてきたのではないのか?票を集めるので大変な浮動票を小選挙区制で死票に変えるのは懸命ではない。
だから私は、比例代表制、候補者を直接投票する必要があるなら中選挙区制が望ましいと考えている。もっともこれは現状、護憲派の延命策になるので、護憲派が壊滅してからという条件付きになるが。
そして中選挙区比例代表並立制、もしくは完全比例代表制が実現するなら、自分が徴兵されるリスクを冒して徴兵制に賛同してもいい。

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