亜門鋼太朗のクインケ「ドウジマ」は、死んだ亜門の同僚張間のクインケだった。
張間は女性で、亜門は張間に対し特別な想いがあったようで、そのことを示す描写もある。
亜門は孤児院を経営しながら、子供を捕食していたドナート・ポルポラに育てられた。
ドナートは亜門だけは殺さなかった。亜門はドナートを憎み、喰種捜査官の職務に邁進するが、ドナートからもらったロザリオは肌身離さず身に付けていた。
梟討伐戦が近づき、アキラの父の墓参りに行くと、アキラは亜門にキスをしようとするが、亜門はアキラの口を塞いでしまうwww。
その後は嘉納の追っ手を避けながら、人間を捕食せずに喰種を捕食する「共喰い」により生き長らえる。その間、死堪に襲われた米林才子を助けたりしている。
ル島でCCGとタタラが戦闘をする中で、滝澤は「アオギリの樹」を裏切り、タタラを殺す。滝沢は「アオギリの樹」打倒に貢献して、CCG、ひいては人間社会に復帰しようと画策していた。
しかし滝澤の元上司の法寺は、滝澤討伐の号令をかける。逆上した滝澤はその場にいたCCGの戦闘員をアキラを除いて全員殺し、「お前を殺そうとしたのは法寺さんの優しさだ」と言うアキラも手にかけようとしたところで亜門が助けに入る。
「俺を殺すんだろ?」という滝澤に、「お前を救いに来た」と返す亜門。
滝澤にとって亜門は敵ではない。「失敗作って嘉納の言った通りスね」と言う滝澤に「そうやって自分をごまかし続けるか」と亜門は言う。
そこに六月トオルが現れ、滝澤を行動不能にするが、トドメを指そうとしたトオルに対し、アキラは滝澤を庇ってしまう。アキラを殺そうとするトオルを復活した亜門が救出さらにその場に瓜江らクインクス班が登場し乱戦となる。
亜門は滝澤にアキラを連れて逃げるように言う。クインクス班の連携によりトドメが刺されたと思ったが、そこで亜門の赫子が暴走、異常増大し赫者としての本領を発揮する。
才子の赫子で亜門はトドメを刺されるが、才子は「なんであの時才子を助けたの?」と亜門に問う。「それが正しいと思ったからだ」と答える亜門。「この世界は歪んでいる。何が正しいか何が間違っているか簡単にわからなくなる。だから」
次に亜門が目覚めたのはCCGのラボだった。アキラを助けるためにRC抑制剤と奪取しにカネキらがラボに潜入して、逃亡しようとした職員が亜門が入れられていたケースの機能を停止したのである。
しかし目覚めたといっても、亜門はもう正気ではなかった。カネキも滝澤も識別できずに亜門は襲いかかる。
滝沢と安久クロナが亜門と戦うが、今度は二人が亜門に押される。その時滝澤の赫子が変化する。
俺が“捜査官”だって諭したよな。…俺はオウル--“喰種”なんだよ!!亜門サン、アンタがずっと眩しかった。眩しすぎて、目がくらむ。アキラの正しさが俺を苦しめる。気づいたんだ。俺はもうアンタみたいに正義の言葉を吐くことも出来ない。罪を犯せば引き返せはしない。あの牢獄で、滝澤政道は死んだ。もう正しくなんて生きられない…叶うなら、時間を戻しテェな。俺だってアンタらみたいに…それが…無理になっちまったら…ヤケクソしかねえ。“ヤケクソ”。“投げやり”とは違う。「たったひとつ」選ぶ“これだけは”ってのをひとつ定める。それを--貫く。…真戸。喜べ。亜門さんが帰ってくるぜ。自分の未来がパーになった事に気付いちまったら--だれかのために生きりゃいいだろ。…そんな気持ちになれたんだよ。亜門サンを見てるとさ--。
『東京喰種』で「怪物でない人間」になったのは、カネキ、滝澤、亜門、四方の4人である。『東京喰種』では「怪物でない人間」はよく金属的な質感の赫子で表現される。他にもカネキの天使の羽根のような赫子や、ドナート・ポルポラのような自分のコピーを赫子で生成したりするのもある。登場時点でそうだったので数に入れてないが、ドナートも「怪物でない人間」である。
その中で滝澤は、最初に「怪物でない人間」になった人物である。もっとも滝澤の場合、瞬間的に「怪物でない人間」になったのかもしれない。最終回での滝澤の後半生の紹介には、滝澤の迷いが感じられる。
とにかくこのようにして、滝澤は亜門に勝つ。
次に目覚めた時には、亜門は正気に戻っている。そして怪我が治ったアキラと再会する。
「幼い喰種を前にして敵意など抱かなかった」とアキラは言う。憎しみさえ持てないならもう行き止まりだ。どこにも行けないと。
「どこにでも行ける。その虚無を感じろ。逃げずに向き合えば自分がどう生きたいのか、いつか答えを生み出す」と亜門は答える。「怖いよそんな事」と言うアキラに「俺がそばで支える」と。
亜門は最後にドナートと戦うが、亜門はドナートに対して本気を出しきれない。
そんな亜門に滝澤は亜門から預かっていたロザリオを投げつけ、なんでそんなもんずっと着けてたんだ?」と言う。
そして亜門は、
と、自分もまた世界を歪めていたこと、そしてドナートを愛していたことに気付く。「息子が父親を愛して何が悪い」と、亜門は死にゆくドナートに語りかける。
これは「父殺し」ではなく、「父との同一化」である。
最終回で、亜門とアキラのことは語られない。
亜門は、その後悪人として生きたのである。
「怪物でない人間」になるのは、善人になることを意味しない。
人間は悪をなすことなく生きることはできない。
だから大事なのは自分が悪人だと知った上でどう生きるかを考えることである。
亜門の言う「諦めない」とは、人間を喰わずに「共喰い」をすることだった。しかしそれは問題の解決にならない。だから亜門は壊れていったのである。
「共存も対立も些細な事」と平子丈は言うが、この言葉に、人間と喰種の相容れない戦いの本質がある。
喰種の「悪」は本当の悪ではなく、「普通から外れた何か」である。
ただし、亜門のそれは少し違う。
亜門の「悪」は「普通でない」者を排除してヒエラルキー社会を維持するという学校の王「ジョック」のものである。
そして亜門が「大衆」を意味するピエロの「クラウン」ドナートと同一化する。
これが答えでいいのか?と言われれば、一概に肯定はできない。しかしその人の悪を指摘しても、生き方を簡単には変えられない者もいる。
そういう人にとって悪を自覚して悪を行うこともまた自由になる道なのである。
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