坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

全ては繋がっている

若い頃、私は世界連邦主義者だった。
若い頃はとにかく世界から戦争を無くす方法は無いかと考えていて、そのために世界連邦主義者になったのだが、今から考えれば不思議なほど、日本の安全保障について語ることはなかった。今と逆である。今シーレーンをどうやって維持するかを語らない者を笑えない。
安全保障の基本中の基本は、若い内から頭に入っていた。しかし興味を持つことができなかった。
なぜそうだったのか、40歳を越えてから分かるようになった。

今年に入って、「人生の計画は立てなくていい」と主張する者をちらほら見かけるようになった。
昔と逆で、昔は「若い内から人生設計をしろ」と年輩者は若者に教えた。それはなぜか?人生設計はカーストを形成するからである。

日本人は、若い内から「報われる者」と「報われない者」に選別される。
まずはいじめである。「いじめっ子」と「いじめられっ子」に選別することで「報われる者」と「報われない者」を決める。「いじめっ子」が「報われる者」になるのかと言えば、それなりに「報われる者」になっている。
私が若い頃は、トップリーダーがボトムアップ型のリーダーとなり、サブリーダーが部下に厳しく当たるのがよいという経営思想が流行した。そのモデルとして新撰組近藤勇土方歳三豊臣秀吉石田三成の関係などが持て囃されてきたが、このモデルのサブリーダーが「いじめっ子」である。
ボトムアップ型の人格者は、学級委員などの優等生で、高学歴によりその地位に就くが、彼らの主な仕事はサブリーダー=「いじめっ子」を正当化することである。
だから飲み会などで部下がサブリーダーなどの上司を批判すると、「あの人は本当はいい人なんだよ」と言い出す。目的は被害者を永久に被害者の立場にし続けることにある。それに被害者が抵抗すると、「あの人を理解しないお前は間違っている」という逆説の論理が裏に組み込まれていて、被害者は悪人にされる。
子供の頃の話に戻れば、いじめ以外に選別するのは「頭がいい」「器用」「運動神経」「要領がいい」である。これらの評価を繰り返すことで、「報われない者」に駄目な人間だというレッテルを貼っていく。
「頭がいい」とはどういうことかについて、私の母親は私に散々話をした。
どういう話をしたかはほとんど覚えていないが、母親が勉強ができることが頭がいいことだと話しているように聞こえたのでそう問い返すと、「勉強ができるのが頭がいいとは限らないよ」と母親は言った。
結局、母親と話して「頭がいい」とはどういうことかは何一つわからなかった。
製造業の仕事をしてわかったが、「器用」と「要領がいい」はブルーカラーにとって時に絶対的な基準となる。この二つによって、職場は徹底的に序列化され、マネジメントなどの概念を排除し続ける。この二つによる序列化が強力だと、この二つを持たない作業員は早期に淘汰される。その人が持つ中長期的な可能性は引き出されずに終わる。
この二つによる序列化を維持するために、会社組織は序列上位の者が起こしたトラブルを下位の者に責任転嫁する。

こういう序列化のためのシステムは子供のうちから選別を行うが、完全に固定される訳ではない。何かに突出した能力があるなどで、序列を突き破ることはできる。しかしそれができるのはごく一部である。
このようなチャンスは若いうちに多く、年をとるごとにチャンスは減っていく。
ならば「報われない者」に救いは与えられていないのかといえば、「救い」は与えているのである。
つまり「今お前が報われていないのは努力しなかったからで、努力すれば必ず報われる」と「報われない者」に説くことが「救い」なのである。
「救い」は「報われない者」にハンデを負わせた上で競争のラインに立たせる。教育なら没個性を目指す方が「報われない者」に反逆の意思を抱かせずに済むので、受験競争に重点を置いた教育制度となる。しかしここでも「報われる者」の方が有利に勉強をこなしていくので、「報われない者」は低学歴者となる可能性が高くなる。そして社会に出て何年もすると「報われない者」が報われる可能性は益々低くなり、貧困層に落ち込んで這い上がれなくなる。

私が若い頃に世界連邦主義者だったのは、この「救い」のせいである。
報われない人生を続けていくと、何かで人生を逆転したくなる。そして「努力すれば必ず報われる」と教えられるので、自分にその道があると思い、それに囚われて動けなくなる。
「人生設計をしろ」というのもそれで、人生で失敗するのは計画が不十分だからと思わせる狙いがある。だから失敗すればより計画を綿密にし、計画から外れた発想をしなくなる。
「救い」が宗教的になると、「運命」や「輪廻転生」となる。つまり前世がこうだったから自分にはこういう運命が待っていると考える。これが明らかな計画ミスによる不幸が生じた時、逆境を跳ね返す努力をしない時、しばしば人は「奇跡」を信じている。自分にはこういう人生が待っていると考えるから、無策でも「奇跡」によって逆境を克服できると信じようとするのである。もっとも最近は変わってきている可能性があって、異世界転生ものには宗教観の変化があるかもしれないが私は異世界転生ものをほとんど読んでいないのでそれには答えられない。ともかくこのような思考が、日本のリアリズムの形成を阻害している。
そして社会、経済的にはヒエラルキーを組織化した終身雇用をこれらの思考が維持している。
「運命」にしても、人の迷惑にならないような願いだって当然ある。しかしそのような願いも、終身雇用のような日本の全体像に吸収されてしまうのである。だから私は「運命」も「輪廻転生」も否定する。
しかしここで疑問が生じる。今はあまり言われないが、日本人は「普通」を好んだはずである。それがなぜ「運命」や「輪廻転生」という突飛なものを信じてしまうのか?
「普通」が、最底辺でない者にとっての「運命」なのである。様々なしがらみにとらわれた者は、その程度の夢を見ることしかできなくなるのである。

こうして社会は不正が横行するようになる。人は罪を償うより隠蔽する思考習慣を身につけていくので、不正には際限が無くなっていく。
法律があっても、法律が守られるとは限らない。派遣社員に対しては法律すら守られない。
数々の不正に対してもはやごまかしも聞かなくなっているのに、社会はただ人を黙らせるだけで現状を維持しようとしている。

対立を解消するための「保守本流」 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で私が民心の安定と対立の解消を呼び掛けてもなお、それに向けた動きは一向に見受けられない。社会の正統性を確立すること無しに社会秩序を維持するなど不可能なのに、誰もそのことを理解しない。
このようにして、社会が不正そのものであるのを誰もが理解しながら、そして社会を信用することができないまま、社会は衰退に向かっていく。
それに少しでも歯止めをかけたいなら、全ては繋がっていることを理解しなければならない。

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