坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。新ブログ「人の言うことを聞くべからず」+を開設しました。古代史、神話中心のブログです。

かつての戦争についての雑感

少し前まで、「ルーズベルトは狂人」という内容の広告をネットでよく見かけていた。
なぜそのように言われるのかについては知らない。私が知っているのは、フランクリン・ルーズベルトセオドア・ルーズベルトと同じルーズベルト一門であり、セオドア・ルーズベルトポーツマス条約の仲介者で、フランクリンの妻エレノアはセオドアの姪だということである。
セオドア・ルーズベルトポーツマス条約の頃は非常に親日的だったが、その後反日に転じたことは有名である。ならばセオドアが日露の仲介をしたのは、満州の権益にあやかりたかったからだと推測するのが妥当だろう。しかしアメリカは満州の権益にあやかることはなかった。
太平洋戦争が真珠湾攻撃により始まったとしても、日本を開戦に踏み切らせるために様々な画策をしたのはよく知られている。ルーズベルトがそうしたのはセオドアが果たせなかった満州の利権を得るためだったのだろう。
そしてアメリカは、またしても満州の権益を得られなかった。しかしその理由は国共内戦により中国共産党が勝利したからである。もし右翼が、アメリカが満州の利権を得られなかったのをルーズベルトが狂人だとする理由とするなら、それは太平洋戦争へのアメリカの参戦を否定することはできない。

日本を防衛するために朝鮮半島を植民地にして本土防衛の橋頭堡にする。朝鮮半島を守るために満州を植民地、傀儡国家にして橋頭堡とする。この論理は、19世紀の帝国主義の時代には主流の思想であったのは間違いなく、第一次大戦後もこの思想が完全になくなった訳ではない。
しかしこの思想は、世界を無限に植民地にし続けていいという論理にはならない。帝国主義の時代でも、植民地は身の丈にあった規模に収めるべきである。そのように考えれば、日本の植民地拡大は満州までが限界と考えるのが妥当である。
実は私は満州事変から太平洋戦争までの歴史には詳しいとは言えないのだが、日中戦争の戦域拡大の発端となる盧溝橋事件が、日中どちらが発砲したかの議論に終始しているのに付き合いきれない思いでいる。戦争責任で日中戦争が妥当か否かの判断はどちらが発砲したかでなく、日本がどこまでを植民地の限界とするかという判断があったかどうかである。それがなければ、発砲したのが中国だとしても当時の日本は、少なくとも敗戦の一因となった責任が国民に対してある。
戦域の拡大という観点からは、日本とドイツに差はないといえるかもしれないが、ナチスドイツはポーランドもフランスもイギリスも、スカンジナビアソ連も自らの意思で侵略している。
日本は違う。日中戦争は「中国側が発砲したから」、太平洋戦争はABCD包囲網で物資を止められ、交渉の最後にハル・ノートを突き付けられたから」と中国とアメリカのせいにしようとばかりしている。そのためにハル・ノート最後通牒だと主張する。
ハル・ノート最後通牒ではない。ABCD包囲網により補給を絶たれた日本は、日米交渉により活路を見出だそうとした。ならばアメリカは交渉を長引かせれば日本は窮して開戦に踏み切り、戦争の口実を作れると考える。だから友好的な、日本に有利になりそうなそぶりもみせる。つまり外交の初歩的な失敗をしているのである。ハル・ノートは日本の中国からの全面撤退が重要な条件となっているが、満州が含まれるかどうかについて議論が分かれている。その理由は最後通牒でなかったため、むしろ故意に曖昧にされたのだろう。そこで日本が満州の維持に固執すればそれは不可能ではなかったと思うし、もっと言えば、日本は満州の維持に交渉の最初から全力を注ぐべきだった。つまり日本は不利な状況を認識せずにできるだけ多くのもの、できれば全てを守ろうとしたために満州までも失ったのである。
それで「アメリカが悪い」と右翼は言うが、戦後の日本の国土はアメリカによって守られてきたのである。失ったのは竹島北方領土くらいである。つまり右翼は、中国の占領地と朝鮮半島を失ったのをアメリカのせいにしたいのである。本心は征服主義だと暴露しているようなものである。

永遠の0』の時ほどではないが、特攻隊礼賛は今も右翼の中で燻っている。
彼らの論理は、特攻隊は必要な犠牲だったということである。
ならば一度、この論理を受け入れてみよう。太平洋戦争で特攻隊を投入して最も戦果を挙げることができた戦場はどこかといえば、それはガダルカナル戦以外にあり得ない。
ガダルカナル戦は日本がアメリカ相手に攻勢に出ている時期の局地戦で、移動距離の関係から、日本の戦闘機は戦場で10分しか戦闘ができなかった。それ以上は燃料が保たなかったのである。
10分しか戦闘ができないのなら、そこで犠牲を増やさないように戦闘をするより、犠牲を織り込んで特攻隊を投入した方が良い。
特攻隊はレイテ島で初めて投入されたが、それで戦局を打開することはできなかった。ガダルカナルで投入できず、レイテで失敗したなら、それ以降どこで特攻隊を投入しても無駄なのである。
兵士が消耗品というのは、戦争の残酷な真実である。その戦争で多大な犠牲が必要な戦略を立案したとして、それを最大の戦果を挙げることができる戦場に投入できないのなら、その国は戦争遂行能力を欠いていると見なすべきだろう。
それでもやらないよりやった方がいいと言うだろうか?

寺岡から同意を得た大西は、フィリピンで第一航空艦隊参謀長小田原俊彦少将を初めとする幕僚に、特攻を行う理由を「軍需局の要職にいたため最も日本の戦力を知っており、重油・ガソリンは半年も持たず全ての機能が停止する。もう戦争を終わらせるべきである。講和を結ばなければならないが、戦況も悪く資材もない現状一刻も早くしなければならないため、一撃レイテで反撃し、7:3の条件で講和を結んで満州事変の頃まで大日本帝国を巻き戻す。フィリピンを最後の戦場とする。特攻を行えば天皇陛下も戦争を止めろと仰るだろう。この犠牲の歴史が日本を再興するだろう」と説明した。

 

神風特別攻撃隊 - Wikipedia

特攻は戦争遂行のために行われたのではないのか?
ここに出てくる大西とは、大西瀧治郞のことである。
実際には、特攻はレイテ島の敗戦の後も、「もっと犠牲を出せば勝てる」と主張されて継続されたと思っている。「天皇に戦争を止めろ」と言わせるためというのも、自分達が戦争の責任を取りたくないからである。こういう責任回避の言動を繰り返して、戦略、そして国家として戦争を継続するか降伏するかの議論を怠ったことが、犠牲に犠牲を重ねる結果となったのである。

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