坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

グレーゾーンを歩いて人間を愛する~『私の少年』

多和田聡子は30歳のOLだが、ある時一人の少年と出会う。その少年は、日が暮れてなお公園でサッカーの練習をしていた。
12歳の少年の名は速見真修。ボブカットの美形の少年は女の子のように見えた。
暗くなったのに家に帰らずサッカーをする真修に異様なものを感じた聡子は、真修にサッカーを教える。
こうして聡子は、真修と次第に親密になり、サッカーの試合の送迎をしたり、プールや回転寿司に連れていったり、家に泊めたりする。やがて聡子は真修の家庭環境の異様さに気付いていく。親にサッカーを辞めるように言われたり、ネグレクトの痕跡が真修の話や真修の家から読み取れたのである。真修は母と死別し、父親は仕事が忙しくて家事が十分に行えない状態だった。
父親にサッカーを辞めるように言われた真修だが、ユニフォームの洗濯などをしなくていいという条件でサッカーを続けることを許される。ちなみに辞めろと言われた理由は、「今レギュラーになれないなら将来も見込みがないから」である。父親の身勝手さが垣間見えるが、ある時真修の弟が暗くなっても帰らないことがあり、それを父親に報告しなかったことで、本当にサッカーを辞めさせられる。
一方聡子は、なぜ赤の他人の真修に構ってしまうのか、自分でもわからない。サッカーを辞めさせられた真修のためにサッカー教室を探したりする。それを見られた上司(元恋人)に「誰かに優しくすることで自分の存在価値上がるとか思ってない?」と言われたりする。
サッカー部を辞めさせられても聡子は真修にサッカーを教えるが、その場面を真修の父親に見られてしまう。
LINEで聡子が練習が始まる前と終わった後に父親に連絡するのを条件に、真修へのサッカーの指導を許可されるが、真修を回転寿司に連れて行っていたことが父親にバレる。聡子はそのことを父親に報告していなかった。真修の父は聡子の会社の取引先の社員であり、聡子は東京から仙台と左遷される。

仙台は聡子の実家があり、実家から通勤する生活を3年続けるが、聡子はすっかり退屈してしまう。
退屈な日常を引っくり返す非日常がないかと思っていたら高校の同級生と再会し、交際することになるが、結局非日常を求めていたのではないことに気づき、男を振る。そして修学旅行で仙台に来ていた真修と再会する。
真修は聡子との距離を縮めようとするが聡子は拒絶するが、東京に異動が決まって聡子はひとつの決心をする。それは真修が家族にしてもらえていないことをするということだった。妹にその話をすると、『自分がお母さんから貰いたかったものをまんま真修くんに与えて、与えることで、真修くんから同じものをもらって埋め合いっこ?とかしてるわけじゃないよね」と言われてしまう。

私の少年』のストーリーが読みにくいのは、伏線だと思っていたものが伏線ではないという形で回収されていくからである。
聡子の仙台異動は左遷ではなく、単に仙台支社が本社に人を寄越すように要求したからだとわかる。真修の父は取引先の社員でも立場は聡子の会社の方が上で、真修の父は圧力をかけられる立場になかった。
真修がサッカーを始めた動機は、テレビで天才サッカー少年を観たからだが、真修が本当に求めていたのは、サッカーをすることで誰かに誉められることだった。求めていたのは聡子の手だったが、聡子が仙台に異動することで、真修にサッカーを続ける動機がなくなった。
ネグレクトと思われた家庭事情も、単に一人親で家事に手が回らないだけで、真修の祖母が家事を切り盛りするようになって問題は解決する。真修の父は決していい父親ではないが、結果論にしても真修に致命的な被害を与えていない。
この回収のされ方に読者が戸惑う、少なくとも私は戸惑っているのだが、伏線が伏線でないという形で回収されていくことでひとつのテーマが浮かび上がる構成になっている。

意外な形で伏線が回収されている例もある。聡子の母親は男遊び(不倫かどうかははっきりしない)が過ぎて聡子の父親と別居するに至るのだが、それだけではなく、母親がいつまでも聡子を子供扱いし、自分が上という立場を維持しようとするのにも嫌気がさしていたが、この伏線は聡子のためでなく、真修のためにあるのである。
聡子が正月に仙台に帰った時、以前付き合って振った男にばったり遭遇し、結婚詐欺師呼ばわりされる場面がある。それを誰かが動画に取り、SNSに投稿してそれを視た真修が仙台に行くのだが、聡子の母親もその場におり、相手の男を宥める名目で聡子を徹底的に子供扱いする。その後東京に戻る新幹線に乗る直前で真修と会い、一緒に帰るのだが、真修に親のことを聞かれ、取り繕って「大人になんなきゃ」と聡子が言うと、

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と15歳が33歳に言う。この時真修は聡子を自分より上の存在としてでなく見るようになる。この時既に女性としてでなく、人間として見ていたのかもしれない。後に真修は聡子を「人間と思ってます」と言うようになる。

この作品はオネショタと言われるジャンルに属するが、この歳の差の関係について、ひとつの回答をこの作品は与えている。

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このように聡子が言うのも、人間として真修が好きだからである。
ならばどのようにしてこの心境に至るのかと言えば、聡子に関してはグレーゾーンを歩くことにより得たものである。
ネグレクトの疑いがあっても、聡子は他人の家庭の事情に首を突っ込むことについては相当に悩んでいる。また法的な問題についても悩んでおり、そのことを法律に詳しい妹の彼氏に相談したりしている。その人は刑法上の未成年者誘拐罪には当たらないが、青少年保護育成条例に違反している可能性はあると答えている。また真修にできることが少ないのを自覚しながらも、それでも真修を救いたいと悩み続けている。
真修もまた、小学生の時にうさぎ当番を担当して、うさぎが産んだ子うさぎを噛み殺してしまって、気味悪がって誰も当番をやろうとしないのを見て、他者から守るために子うさぎを噛み殺すこともあるのを調べて人が近付かないように配慮したりしている。この行為もひとつのグレーゾーンで、その努力は周りに理解されなかったが、そのような行為の積み重ねが、人間として相手を見て、大事にする心を自ら育んだのである。

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