坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

橋下徹が日本の二元構造を破壊した。

細川連立政権成立から第二次安倍政権成立までのいわゆる「失われた20年」の時代、首相が次々と変わっていった。
この間、どの党の誰がいつからいつまで首相を務めていたかを、私は時系列で記憶していない。しかしこういうことが言える。
この時期、旧社会党のような既存の護憲の政党でない政党が多数現れたが、これらの政党は政権交代を唱えた。自民の55年体制が崩壊し、自民が過半数を割ったことで、政界交代こそがこれらの政党の存在意義となったからである。しかしこれらの政党には二つの問題があった。ひとつは連立で政権を取るにしても、連立与党間の合意を政権を維持できるレベルで形成し続けるには政党の数が多すぎたことである。
もうひとつは冷戦崩壊の煽りを受けて、これらの政党または政党に属する議員達には改憲論者がいたが、護憲と改憲潜在的な対立軸とする日本の政治では改憲論者は叩かれ、政党は泡沫化し、改憲論者の議員はあるいは落選し、または落選を恐れた議員が転向したり改憲論と唱えるのに消極的になったりする。しかし政権を得るには、これらの政党は改憲論に転じなければ、つまり建前としての護憲から本音としての改憲に転向しなければならなかったのである。与党が護憲では日米安保さえ維持できなくなってしまう。個別的自衛権を認めた旧社会党がいい例である。
そこで各政党が合流して大政党を形成するようになる。新進党旧民主党がそれである。しかしこれらの政党にも護憲派がおり、むしろ護憲派の数の方が多く、建前としての護憲を担当してきた議員達が本音としての改憲に耐えることができず、大政党は分裂、政権は崩壊してしまう。そして改憲派は固まって小政党を形成するが、これらの小政党は泡沫化、縮小化する命運を辿る。しかし既存の護憲の政党以外は政権交代こそが存在意義であるため、再び改憲論に転向し大政党を形成する。この繰り返しが目まぐるしく変わる、「失われた20年」の政権交代劇の真相である。

日本維新の会は、大阪都構想住民投票が否決されたことで少々影が薄くなっている感がある。それでも維新が泡沫化の傾向にあるとは誰も思わない。
それでは維新の創業者である橋下徹氏が初めて国政政党としての日本維新の会を立ち上げた時、維新が泡沫化しなかったのかといえばそうではない。
維新は泡沫化していた。泡沫化を防ぐために石原慎太郎氏の太陽の党と合流したのは良かったが、「従軍慰安婦は必要だった」という発言から橋下氏には逆風が吹き続け、太陽の党系とは分裂して結いの党と合流し、この時には改憲論でも九条改正からは離れたりしている。そして堺市長選では、維新以外の全ての党は選挙協力して維新の候補を落選させた。
このような時期があったことを、我々はすっかり忘れてしまっている。
あのままでいけば、改憲派の維新は泡沫化して消滅の運命を辿っただろう。一体どこでその流れが変わったのだろうか?
流れが変わったのは、大阪都構想の第一回住民投票からである。橋下氏は都構想を主張する自分を実質信任投票するために、大阪市長職を辞した上で市長選に出馬するという出直し選挙を行った。「金の無駄」と言われ、投票率も低かった選挙だったが、出直し選挙を強行してその後都構想の住民投票に挑んだ。
「否決されたら政治家を辞める」と言って住民投票に望んだが僅差で否決され、橋下氏は政界を引退した。
この時、地域政党としての大阪維新の会を立ち上げていたことと合わせて、橋下氏に政界を引退させたことへの大阪市民の負い目が維新を支えたのである。都構想がこの時否決されたことは維新にとってむしろプラス、都構想が可決されていたら、今でも維新には逆風が吹いていただろう。
改憲派の維新が地域限定で定着しただけではない。国政選挙でも比例区限定で、護憲でないれいわ新選組のような政党が躍進する余地を橋下氏は作った。
さらに小池百合子氏が希望の党を立ち上げた時に、旧民進党の議員に踏み絵をさせるように強く主張したのが橋下氏である。こうして旧民進党立憲民主党を国民民主党に別れ、今に至るまで合流できていない。そして存在感を示せなくなった立憲は沖縄米軍基地問題地位協定の改善を唱えるようになり、実質的に集団的自衛権を容認することになった。
この一連の流れは、全て橋下氏が作った流れである。こうして

日本の二元論 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で見る、護憲と改憲による善悪の基準となる日本の二元構造に橋下氏は終止符を打った。今では護憲を中心に形成されていた規範が完全に崩壊し、崩壊していることに日本人全員が気付かないふりをすることで表面を取り繕っている。そして表面の内部での暗闘がましてきている。今まで暴かれなかった真実が暴かれてなお表面を取り繕う傾向がいつまで続くかはわからないが、当面はこの傾向が続くと思われる。護憲派の人々はさぞ橋下氏を恨んでいることだろう。

それでいて、第二回の都構想住民投票が否決された後の橋下氏にこの後のビジョンがあるように見えない。なぜだろうか?
その理由は、橋下氏が法律家で歴史を知らないからである。
橋下氏が歴史を語る時は、法律に関連した歴史ばかりである。
司馬遼太郎の不肖の弟子」を自認する私は二元構造を見抜くことができたが、橋下氏は見抜くことができなかった。そして二元構造が崩壊した場合、法の適用を恣意的に決めることが不可能になるのは当然の結果なのである。
派遣社員に法が正しく適用されていないのは、誰も口にしないだけで周知の事実だが、「法の支配」を唱える日本維新の会を立ち上げた橋下氏は、法が全ての人にあまねく適用されるべきものであることを理念として当然知っている。

ベーシックインカムとMMTは全く似て非なるもの - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、橋下氏は橋下のハの字も語ったことがないが、派遣への法の不適用は橋下氏も知っているはずであり、知っていて知らないふりができるのは二元構造があったからである。
その二元構造を自分が破壊しているのに気付かなかったのは、橋下氏が歴史に疎いからである。

対立を解消するための「保守本流」 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

についてお気づきの読者も多いと思うが、この記事は元は「保守本流」と立憲民主党が個別的自衛権へ回帰することで、当面の安定を築こうという趣旨の記事だった。最近になって私にも若干の同志ができ、その同志に反対されたために立憲の個別的自衛権への回帰の部分を削除した。
今、その忠告を聞いて良かったと思っている。このままいけば、

日本国憲法の裏に潜む暴力革命論 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べた暴力革命の思想が定着し、貧困層は団結して戦えるようになる。そして

北欧的な日本の社会構造の終焉 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように貧困層を中心とした勢力と維新の残党がひとつになり改革と革命の強力な核が日本に誕生することになる。
この道を若干でも防ごうとするならば、維新が憲法裁判所の設立を強行に主張するくらいしかないだろう。

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