坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

橋下徹を無謬にする維新の構造

 

この説は従来の橋下氏の主張である。しかし、

 

地域ごとに緊急事態宣言を出すなら、感染症対策に「国家」はいらない。地方が全責任を取るようにすればいい。
もっとも国と地方の役割分担はどうしてもある。この場合は人的資源、医療資源の確保を地方の権限にすれば地域格差となり、感染症や災害で救えない人が生じる原因となる。だから緊急事態宣言は地方が出すが、「国家」は医療資源や人的資源をコントロールして地方の裁量に制限を加えると説明すれば矛盾がなくなる。
この説明の何が問題かというと、この説明は「何でもあり」の説明となってしまうからである。
別に常に詳細な説明が必要なのではない。ビジョンを説明する場合、大まかな方向性を説明する方が人を説得するには有効である。
ただビジョンを説明するだけでは納得を得られない場合には、詳細な説明をしなければならない。その場合に、地方の権限を強化するべきと主張しながらも、「国家」の役割を述べる必要が生じた場合になぜその役割が「国家」のものであるべきなのか、その必然性を明確にしなければならない。
橋下氏は必然性を語っていない。その理由はいざという時に国家に責任転嫁するためである。

橋下氏の主張は常に一貫している訳ではない。
橋下氏の支持者の間は、私はその一貫性の無さも含めて支持してきた。それもまた政治にとって必要だと思っていたからである。人間が常に一貫性を維持するのは難しいし、何かを変えようとする者ならより一貫性がなくなる場合が増えることもある。その行動の裏に一貫したものが見える限り橋下氏を支持してきた。
しかし

ベーシックインカムとMMTは全く似て非なるもの - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、橋下氏は派遣の問題を語らないという点で一貫しており、結果終身雇用制に憧れるだけの人物である。口でどんなに競争を唱えても、競争をしたくないのと同じである。こうして私は橋下氏に見切りをつけた。

当面維新は支持出来ない。 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、「是非国政に!」と言う同調圧力は私は嫌いである。最近はそういうのは見かけなくなったが、かつては必要な存在だとも思っていた。橋下氏の行動に一貫性がない場合に、橋下氏を支えるグループも必要だと思っていたのである。
だが最近、これが逆なのだと気づいた。橋下氏の行動に一貫性がない場合に支えるためでなく、一貫性のない橋下氏を支えることで橋下氏が無謬になり、橋下氏を支えるグループも無謬になるという構造である。日本のどこにでもある構造である。靖国参拝問題で右翼がA級戦犯が合祀される靖国神社への政治家の参拝を支持するのは、かつての戦争を全肯定することで自分達を無謬にするためである。

今や左派より右翼の方が優れている - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で、去年の夏に橋下氏が靖国神社の国有化を唱えて百田尚樹氏と論争したが、その背景には右翼がかつての戦争を全肯定する靖国神社の政治家の参拝を支持するため、A級戦犯を省いたアーリントン墓地のような戦没者を慰霊する施設の創設に反対しているからである。
別に戦犯を極東軍事裁判に限定する必要はなく、橋下氏も自分達で戦犯の基準を決めると主張したが、右翼の最終目的が自分達を無謬にすることにあるため戦犯の基準を作るのを右翼が認めるはずがない。
この議論は双方の溝が埋まらないままに終わったが、暗に右翼の靖国神社への姿勢を批判した橋下氏も、背景が同じ構造を持っているのである。
問題は、この構造が人間の能力を下げてしまうことにある。大阪都構想において、この欠陥は如実に表れた。

橋下徹は必ず復活する - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、都構想が住民投票で可決されれば橋下氏は政界復帰できる。そのために維新は大阪万博を決め、大阪府知事、市長のダブル選挙を実施し、「住民投票=政治家の信任投票」という橋下氏の出直し選挙以来の流れを強化して踏襲し、都構想可決に万全を期して望んだ。しかし住民投票が近づくにつれて、都構想賛成派は数を減らしていった。
この間橋下氏は都構想の提唱者として街頭演説をしたり、ツイッターで都構想についての考えを表明したりはしなかった。ただ松井氏や吉村氏のリツイートをしたり、大阪府政、市政への批判に反論などはしていた。また都構想についての本を出版もしたが、とにかく積極的に都構想の議論に参加しなかったのは確かである。
橋下氏が都構想の議論に積極的でなかったのは、政界復帰した時に「自分が政界復帰するために都構想を可決させた」と批判されるのを避けるためだろう。しかし賛成派が目に見えて減っていっているのだから、橋下氏はこの時、街頭演説をして梃入れをするべきだった。
周囲にイエスマンを多数置いておくと、自分が特別な人間だと思って判断を誤りやすくなるのである。この時政界復帰を先延ばしにするのを考慮してでも、橋下氏は都構想可決に全力を注ぐべきだったが、まさに「二兎追う者は一兎も得ず」となってしまった。都構想は維新の政策の核であるため、維新の勢力は確実に減退する。

この状況に、コロナ禍は維新に更なる追い討ちをかける
11月以降、コロナの感染者数は増加したが、その後横這い傾向にある。
12月に入り、雨が降るのはともかく、気温があまり低くないので去年同様の暖冬になるかと思ったが、来週からは急激に気温が下がるそうである。もっともコロナの感染者数がどのくらいの気温で最も多くなるのかというのは把握していない。しかし今から劇的に増えるということは多分ないだろう。
コロナの死者数が増えているが、その死者数も50人を超えるものではない。誰のデータだったか忘れたが、コロナの死者数を4000人を超えないとするものがあった。私はこのままいけば5000人から6000人くらいになるのではないかと思っている。私の胸算用もそんなに多く見積もったものではなく、自殺者数の方が多いくらいである。
問題はコロナの死者数にあるのではない。夏にも東京を中心にコロナの第2波が起こったが、8月の下旬には減少に転じている。それでも政府が観光業界の救済措置と景気刺激策を兼ねたgo toトラベルは振るわず、景気も大きくは回復しなかった。
コロナの死者数は欧米よりもアジア、それもモンゴロイドの東アジアが遥かに少ないのは周知の事実となっている。
しかし問題は日本人と欧米人の気質の違いにある。
欧米では少し感染者数が減ると、景気を回復させようとして人々が経済活動を再開して感染者数がまた増えるということが繰り返されたが、欧米より感染者数が少ない日本では経済活動の再開に消極的だった。
夏の間にコロナ対策より経済活動を重視すべきという主張をする論者も若干いたが、彼らの主張が定着してこの冬を迎えているとは言い難い状況である。
欧米ではマスクの着用について断固反対する者もいたし、職を失った黒人が感染覚悟で職を求める抗議デモを起こしたりもした。
日本ではコロナに関連した対策での抗議デモは散発的にあっても、職そのものを求める抗議デモというのは見ることがなかった。マスクについてはホリエモンの広島の餃子店での事件が記憶に新しいが、ホリエモンはマスクを着用しており、どの程度までマスクを着用しなければならないかを聴いただけだったが、ホリエモンがその経緯をツイッターに書くと餃子店に抗議が殺到して店は閉店、その後ひろゆき氏の提案でクラウドファンディングを行うということになったが、どの局面においてもマスク着用を拒否するという主張は日本にはない。
つまり日本人は欧米よりもコロナの感染、死者数がはるかに少ないのに、経済活動についてずっと消極的なのであり、この消極性はマスク着用を断固拒否するような強い自我を持つ個人が現れるくらいの個人主義が定着していないことによる。
しかも感染者数と回復者数の間に開きが出ている。死者数はこれからさらに増えることになる。

春の緊急事態宣言後に補償金が出ないことに対して、補償金が出ないなら普通に仕事をするという動きがあったが、今の空気はそれとは別である。
政府が緊急事態宣言を出さないことについて若干の反発があるが、今の空気はそれとは矛盾した「セルフ自粛」の空気である。つまり政府が無策で経済活動ができなくても、自分達で自粛してこの冬を乗りきろうという空気である。日本人はよくこういう、自分達を最もストレスの高い状況に置く。自分達を無謬にするために上部に責任を求めないのを繰り返した挙げ句、上部の失策の責任を自分達で抱えてしまうのである。大戦末期の日本人がまさにそうだったように。
このようになったのは、コロナ禍での自粛警察やその他の炎上騒ぎ、そして派遣の権利を認めないための暗闘の結果である。とにかくひたすら忍耐することで活路を拓こうという空気になっていて、それが罪悪感を含めたネガティブな感情にフィットするため、ポジティブな発想が生まれないのである。だからコロナは日本人にとって危険が少ないから経済活動を重視すべきという発想にならない。
このネガティブな感情の積み重ねが、都構想の否決に繋がったのである。それも維新が表面を飾るだけで、派遣の問題のような表に出ない問題を地道に解決する努力を怠ったからである。

大阪万博を決めた時、維新は都構想について煮詰まっており、都構想からの撤退を考えていた節もある。

橋下徹は必ず復活する② - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

それなのにこのタイミングで大阪万博が決まるのは不審で、私は内閣官房報償費が使われたのではないかと思っている。この考えが当たっていれば、膨大な国費が外国にばらまかれたのだろう。それでなお都構想を可決できなかったのなら恥の上塗りである。
その維新が今何をしているかといえば、医療人材をかき集めるのに悪戦苦闘しているのみである。

 

これも実態はこう。

news.yahoo.co.jp

些細な争いと言ってしまえばそれまでだが、危機の時に医療の人的資源は政府が管理すべきだと、橋下氏も内心は思っているんだからしょうがないよね。
それでこれ。



 

大阪コロナ重症センターが130人の人材を集めるのに成功したように書かれているが、85人は府内から集めて、36人はNPO団体と自衛隊から集めたということである。医療従事者を府内から85人も駆り出すのに問題がないのかどうかという点には深入りしないが、元々この施設には9人しかいなかったとすればそれもすごい話かもしれない。
吉村知事といえばトリアージ発言が話題となったが、この発言が命の選択かどうかで議論がなされた。
賛成派は命の選択ではなくコロナ患者とそれ以外の患者を分ける意味としたが、吉村知事の発言は命の選択まで踏み込むための下地なのは間違いないだろう。本当に緊急の事態に陥ったならば、私は吉村氏の命の選択としてのトリアージ発言に賛同する用意がある。もう吉村氏も本音を言っていいだろう。

橋下氏は従来の感染症対策の地方分権の主張を脇に置いて、政府に緊急事態宣言を出すように唱えて、全国的な議論を巻き起こすべきである。国会が閉会した今、そんな悠長な議論をする余地はない。それをせずに後出しじゃんけんで政府にコロナ禍の全責任を負わせるような発言をするとすれば、それは無責任極まりない。

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