坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

日本型ファンタジーの誕生(36)~東京喰種:6「空っぽ」でない人間とは?

『東京喰種』は個性的なキャラが数多く登場する。その一方でキャラの多くが「空っぽ」だと言われる。個性的なキャラが「空っぽ」なのである。

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あ、間違えてモーガン貼っちゃったwww。
この違和感が今回のテーマだが、今になって『東京喰種』の功績を感じるのが、最近の楽曲で自分が優れていないという意味のフレーズがしばしば盛り込まれていることである。それも市井に普通に暮らしている、つまり社会との不調和がない、実社会に溶け込んでいる人そう言うという内容の歌詞が多いのである。

それにしても、『東京喰種』の「空っぽ」という言葉は読むものを考えさせてしまう。
昨今は一見普通に暮らしてる人は不正を行っているのが明らかになってきているが、『東京喰種』はそのような不正をリアリズムで暴いたのではなく、アレゴリーで示唆した作品である。だからCCGの面々も単に職務に忠実な人々にしか見えない。何が「空っぽ」なのかは、読者一人々々の想像に委ねられる。
では「空っぽ」でない人間とはどういう人間かを考えれば、「空っぽ」な人間とはどういう人間か見えてくるかもしれない。

「空っぽ」でない人間を考える上で参考になりそうなのが不知吟士である。
シラズはナッツクラッカーを討伐した功績でナッツをクインケにして貰うが、「キレイになりたい」というナッツの最後の言葉が頭から離れず、せっかく貰ったクインケを使えなくなってしまう。
実に人間らしいと思う。それは「空っぽ」ではないかもしれないが、石田スイがこの心情を「空っぽ」でないものとして前面に出したいなら、シラズは死ななかっただろう。

もう一人、興味深いのが平子丈だろう。CCGの捜査官の多くが有馬譲りの二刀流を身につけていく中で、一刀流で「並の準特よりよほど強い」と言われるほどの実力者になった平子は実は相当個性的である。有馬に従順な男かと思ったら、

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この場面にはっとしたのは私だけではないだろう。
寡黙で有馬に従順な平子だが、四方の有馬への殺意が叶わないのを装おって平子の有馬への殺意だと読める場面である。「あなたの姉が戻らないように」と言うことでなおさらその殺意が平子のものだと思わせる文脈である。
思えば平子は結構有馬に反抗的で,

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と佐々木琲世=カネキには理論的な指導をしていた有馬が、ここでは「天然」と平子に言われる描かれ方をしている。
この後「俺、凡人(フツー)なんで」と平子は返してるが、社畜経験のある人はこの発言がどれだけ上司を怒らせるかわかるだろう。自分が「普通」だからというのは、「あなたに異常だ」と言ってるのとほとんど同じなのである。

『東京喰種』で私が一番好きなキャラはナキである。イヤ~元々アホキャラってのはウザイと思ってたのにナキのおかげでバカな子ほどかわいいって初めて感じることができたwww。
ナキに惚れてるのがミザだが、将来伴侶となるミザがなぜ三十路なのかというのはよくわからず、「女神とは母であり姉である」というジョゼフ・キャンベルの『千の顔を持つ英雄』の言葉を思い出すだけである。
ナキは最後までマスクをしたことがない。万丈数壱でさえコクリア破りの時はマスクをしていた。ナキだけが一貫してマスクをしなかったのである。
マスクは喰種のアイデンティティである。
「竜」になったカネキを救うため、CCGの協力を求めて喰種がCCGに押しかけるが、捜査官達の頑強な抵抗に合う。「我々CCGの誇りが」とある捜査官が言うと、

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と喰種全員がマスクを放り投げ、「誇り?クソ喰らえ」とトーカが言う。
逆である。プライドは素顔の方にある。
素顔を晒し続けたナキは「女神に愛された男」である。

宇井郡が「(CCGを抜けることを)なぜ私に言ってくれない」と平子に問い詰めると、

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んなわけねえだろwww。
単に宇井が味方にならないから、というより説教が怖くて反逆などできはしない。
「空っぽ」でないとは素顔、本当の自分を晒すことを反逆してでも恐れない精神のことである。

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