坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

国際秩序の正統性を第二次大戦に求める「連合国」と核シェアリング

日本の安全保障について述べたいと思う。

国土防衛という観点でいけば、いかに防衛力を完璧にするかということをひたすらに追求すればいい。そのように考えれば、核武装の議論は欠かせないだろう。

日本が核武装すれば、人の住む地域での国土防衛は完璧になる。

例えば中国が沖縄に攻め込んできた時、日米で協力して人民解放軍と戦闘を続けたが、中国軍に押され沖縄が占領されそうになった場合、日本政府は核を使うだろうか?

核を使用する可能性は高い。ならば無人尖閣諸島ではどうか?

日本がアメリカの核の傘の下にあるので、日本に対し小規模な紛争でも仕掛けにくいのだが、それでも小規模の紛争が起こった場合、勝敗は通常戦力の強弱に大きく左右される。そして国土防衛にも優先順位があり、人が住む沖縄などは優先順位が高いが、無人尖閣諸島の優先順位は低い。通常戦力の差で日米が中国に対し劣勢に立っていた場合、その戦力差によっては核の脅しが中国に通じずに尖閣諸島を奪いにくる可能性は高い。核保有は万能ではなく、核保有によって尖閣諸島を防衛できる可能性は決して高くない。

 

国土防衛が優先順位の第一である。第二が日本経済を支えるための資源確保、俗にいうシーレーンの維持である。

日本は資源国でないため、エネルギー資源をはじめ、資源は輸入に頼らなければならない。エネルギー資源は主に中東からインド洋を通り、マラッカ海峡を通って日本に入る。日本経済の安定のためには資源の安定供給が不可欠であり、そのためシーレーンの安全保障は日本にとっての課題となる。長年護憲を貫いてきた左派は、中国やロシアについて語ったことはあっても、シーレーンについて語ったというのは聞いたことがない。かつてのガイドラインの議論においても、シーレーンという単語は出なかったと思う。このシーレーンを念頭に入れると、「ペルシャ湾で有事の際には自衛隊は米軍の後方支援をする」という、ガイドライン法案で物議を醸した文言も重要な意味を持っていたことがわかる。「開かれたインド太平洋」という安倍元首相の構想も、シーレーン維持のためだというのが見えてくる。

そしてシーレーンにおいて最も重要なのが中国の海洋進出の問題で、資源確保という日本の安全保障の問題が同盟の問題に強くかかってくる。

最近クアッドが話題に登ってくる。アメリカ、オーストラリア、インド、そして日本の4カ国による安全保障の枠組みだが、これら4カ国がクアッドを結成した動機は対中国である。つまり4カ国とも、中国の海洋進出を食い止めたいのである。

最近こそ中国は不動産バブルが崩壊し、ゼロコロナ政策で経済が停滞し、さらにゼロコロナ政策への抗議デモが中国全土で起こっているが、それでもまだまだ中国は世界第3位の経済大国であり、旺盛な海洋進出の野心を隠さずにいる。中国が台湾、または尖閣諸島を軍事占領すれば、中国の海洋進出の目的は達成されてしまう。

そうなれば、アメリカもオーストラリアも太平洋で中国と軍事的に衝突することになる。太平洋には中国の進出と止める障壁となるものがない。だから日本列島から台湾までのラインで、中国の進出を止めておきたいのである。インドもインド洋からマラッカ海峡の安全を確保したいから日本と安全保障上の関係を深めたいと思う。

だからこれらの国と安全保障の関係を深め、同盟へと持っていくのは重要なことなのである。

ここで考えなければならないのは、核保有についてである。核保有はNPT条約違反で、日本が核保有することは国際法違反となり、NPT体制の崩壊は核の無限の拡散につながる。だから核を持つべきじゃないというのは一定の説得力がある。

そこで今年になって出てきたのが核シェアリングの議論である。

核に対する情報を同盟国同士で共有し、有事の際には核を保有している同盟国から核をレンタルする。核レンタルまでの間は、NPT体制は維持される。

しかしこういう者もいるだろう。核シェアリングはNPT体制の形骸化ではないかと。

ここで国際法の実態について考えてみよう。国際法が存在する以上、国際法によって我々が守られる部分がある。だから形骸化して効力のないものにしてしまっては、我々は国際法による利益を享受できないことになる。

例えばアメリカは、国連の分担金を滞納している。こういう話はアメリカにはよくあることで、ウッドローウィルソンは国際連盟を作りながら、国際連盟に加盟しなかった。こういうのをダブルスタンダードといい、アメリカはダブルスタンダードでよく非難される。

だからアメリカの尻馬に乗ってダブルスタンダードをすればいいのかというとその通りだが、そんな単純な話でもない。重要なのはダブルスタンダードの奥にあるものを探ることである。

また敵国条項というのがある。第二次大戦の敗戦国、枢軸国の日本やドイツのことである。このような条項があるのは、国連が第二次大戦の「連合国」のことだからである。ずいぶんひどい話で、我々は敗戦から77年経っても枢軸国扱いである。

この敵国条項を無くそうという動きもまたある。結構なことだが、実はそんなにめくじらを立てることではないのである。

世界の実態は東西のデカップリング、つまりNATO+日本 VS ロシア+中国+北朝鮮だが、形式上は第二次大戦の戦勝国が世界の秩序を形作っている。NPT体制もケネディの部分的核実験禁止条約以前に核保有をしたインドやパキスタンを除けば、連合国であることが核保有潜在的条件なのである。敵国条項がなくならないのも、五大国がこの核保有潜在的正当性を担保したいからである。

このように考えれば、核シェアリングが単純なNPT体制の形骸化にならない理由もわかってくるだろう。

刻一刻と情勢が変わる国際社会だが、根底にはその秩序の正統性を古さに求める中世の王朝のようなところがある。「連合国」に秩序の源泉があり、「連合国」の一員と同盟を結べば、核についての権利を幾分か分けてもらえる。連合国が秩序の源泉という建前がある以上、核シェアリングでNPT体制が骨抜きになることはないのである。

今非核保有国で核を持とうとしているのは、世界でイラン一国だけである。アフリカ諸国も中南米諸国も、核を持とうとしていない。

アフリカや中南米は近くに大国がない(中南米アメリカの裏庭という事情はひとまずおいて)ために、核保有の必要性を感じていない。だから核保有を警戒する国も、中東などの一部の国に限定すれば済む。だから五大国が核を保有するという建前も通用する。

このような建前は、根本的に日本の自虐史観歴史修正主義の対立などとは根本的に無縁のものである。

極東軍事裁判国際法違反なのはその通りで、そのことに怒ってもいいが、本気で国際秩序を変えるべきだと思うのは不毛である。

歴史修正主義に基づいて怒るのは自由だが、なあなあにしておくといいことがあるというのが国際社会なのである。

 

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