坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

歴史の世渡り上手、臨機応変な人物達

最近ではガーシーを除名するかどうかで国会か揉めてるけど、行き過ぎの感があるね。社民党福島瑞穂やれいわの山本太郎も反対してるしね。どうにも保守派の反動的な動きなんだけど、こういう人間にとって生きづらさを感じさせる時代というのは常にある。今回はそういう生きづらい時代を巧みに生きた人物を紹介。

 

勝海舟

大政奉還論は公武合体派から派生した論で、勝は早くから大政奉還の議論を腹中に置き、坂本龍馬大政奉還論を教えたりしていた。

弟子の龍馬も勝と同型の人物で、

https://sakamotoakirax.hatenablog.com/entry/2021/12/14/211351?_ga=2.148714807.1032778722.1669267127-131981009.1625566099

で述べたように、経営破綻寸前の海援隊を守るために倒幕派でありながら大政奉還の実現のために運動し、あわや明治の中央集権による近代化を遅らせかねないことをした。

開明派で、頑固な攘夷志士達に自ら会って教え諭すようなこともしている。

人物眼も相当なもので、第二次長州征伐の時には「長州に大村(益次郎)がいる限り、幕府は勝てない」と言ったりした。

第二次長州征伐に長州が勝つと、単身で乗り込んで使節として長州との講和をまとめた。

戊辰戦争では近藤勇に「甲州を取れ」と言って甲州に行かせ、大鳥圭介の伝習隊に武器を与えて宇都宮に行かせ、榎本武揚には「蝦夷地に独立国を作れ」と言って、幕府軍を江戸から追い出して官軍に江戸城を無欠で明け渡した。

その後も江戸の内政を預かったが、彰義隊の跋扈により治安が悪化し、彰義隊討伐を画す大村益次郎に睨まれて江戸の市政権を取り上げられた。勝は大村には閉口したという。

明治後も政府の高官の地位を歴任した。

 

周恩来

「不倒翁」の異名を持つ。

日中戦争の戦争裁判では「復讐や制裁では憎し­みの連鎖は切れない。20年後に解る」と言って、最初の日本人戦犯裁判で起訴155人死刑7人執行猶予付き死刑3人が確定していたのを、起訴51人死刑なし無期懲役なし懲役20年4人に減刑した。

文化大革命では、走資派と言われた劉少奇を粛清に協力し、紅衛兵か「右派に反対する」という理由で北京の道路を左側通行に変えた時も、周が介入してやめさせた。また紅衛兵故宮を破壊しようとしたのも軍隊を派遣して阻止した。

外相の陳毅が紅衛兵に襲われそうになったとき、周は「君たちが陳毅を吊るし上げるのなら私は前に立ちはだかる。それでもまだ続けたいのなら私の身体を踏みつけてからにせよ」と叫び、身を挺して守った。

鄧小平は語っている。「文化大革命のなかで彼(周恩来)のいた立場は非常に困難なものであり、心に違うことをいくつも語り、心に違うことをいくつもやった。しかし人民は彼を許している。彼はそうしなければ、そう言わなければ、彼自身地位を保てず、中和作用をはたし、損失を減らすことが出来なかったからだ。」

鄧小平の復権に尽力し、鄧小平と共に文化大革命の収束に向けて働き、鄧小平の改革、開放路線の基礎を築いた。

 

リスト・リュティ

第二次大戦時のフィンランドの大統領。

大戦時のフィンランドの戦争を冬戦争、独ソ戦の後の戦争を継続戦争というが、この継続戦争でフィンランドナチス・ドイツと組んでソ連と戦った。冬戦争ではソ連相手に負けていたが、継続戦争ではソ連に占領された領土を取り返した。

継続戦争に勝っても二次大戦全体としてはフィンランドは敗戦国である。リュティは戦犯として裁かれ、1946年に禁錮10年の判決を受けた。しかし健康を害して1949年に釈放され、以後は政界に復帰することなく隠遁生活を送り、1956年に死去した。

 

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