坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

レールを外れたら、大抵は元には戻れない

教育に効果がないと思うのは、その教育に矛盾を感じた時だと、つくづく思う。

私が小学校低学年の時、算数のノートにびっちりと隙間なく計算式を書いていた。

それを学校の先生が「見にくいだろう」と指摘して、親とも話し合ったりした。

私は納得していなかった。

家ではご飯を残さず食べることを褒められ、また「モノを大切にすること」を吹聴されているのに、なぜノートという有限なものを使える機会を増やせるようにしてはいけないのだろうか、と思ったのである。

要するに、私にはご飯を残さず食べたりモノを大事にしたりすることと、教育という自分のスキルを高める作業が別のものであり、またその価値の優劣も定まっていなかった。もっとも何度か指摘されることで、ノートの使い方については状況が改善した。ちなみに私はノートは基本書きっぱなしで、稀に見返すことがあっても、常習的に見返す習慣というのはない。

 

前にも述べたことがあるが、学生時代、よく新聞の勧誘に騙された。

朝日が新聞の勧誘に来て、「日経が読みたい」というと「うち日経も扱ってますよ」というので契約すると朝日が届く。その同じことが、思い出しても呆れるくらい何度も繰り返していた。

こんなことを話したら親に怒られそうだが、このようになるのは、そもそも「人の言うことを聞け」と言われているからで、勉強ができない私は「勉強しろ」、つまり「お前はダメだ」と暗に言われて育っているからである。

世の中には人を騙す人もいる。人に騙されないことも、人の言うことを聞くのと同等に大事な価値である。人の言うことを聞くには、人を信じなければならない。この点大愚和尚なら「人を信じることと騙しにくる人がいないということは違う」ということになるが、この言葉が真実でも、人の言うことを聞くことに既に教育という上下関係が生じている以上、自分の判断で信用する人と騙しにくる人を分けなければならない。つまり自我を持って、教育の流れから脱却して自分で判断するということをしなければ、「人を信じてなお騙しにくる人がいる」という境地に立つことはできない。

 

人生のレールから踏み外した人が迷走するのは、踏み外した道を元に戻そうと足掻くことでより迷走の度合いがひどくなるらしい。

元が順風満帆な人生で、そのレールを歩いているうちは思い出は美しくて、今をダメだと思う。

そういう迷走する人にとって、何かを変えなければいけないのは確かである。しかし「今のままじゃダメだ!」などと思って自分を追い込むのは、最近はちょっと違うと思うようになった。

レールから外れた以上、元のレールにそのまま乗れる可能性は少ないのである。

元のレールに戻ろうとする。というのは実は何も変えようとしていないということではないか?

 

自己啓発のポジティブ思考というのは学生の頃からよくめぐみにしていた。

学生の頃はカーネギーの「思ったことは実現する」というもので、実際に本に全部目を通すことはなく、新聞の広告などで何度も目にした。しかし「ポジティブ思考でネガティブを消せるというのが間違っている」という意見を見て、ポジティブ思考を追うのをやめた。

考えてみよう。ポジティブ思考の行き着く先は共産主義社会ではないか? 

みんなが成功するとは、みんなが成功しないということである。当たり前である。

だから効果がないというのではない。しかし成功というのは、成功の条件が整うことでするものである。その人に効果があるかどうかは条件が合っているかによるのであり、条件が合わない限り不毛な努力ということが多い。

だから、自己啓発の半分以上は幻想を掴まされていると思うことである。

この半分以上が幻想である自己啓発が、この国の秩序を形成している。

社会的条件も考えることなく、ただ自己啓発を吹聴されることで、人が自己啓発に飛びつき、そのエネルギーを社会変革の方に向けられなくなる。そういう保守反動の統制の道具としての自己啓発は、非常に共産主義的である。

この自己啓発が、人々を人文科学、社会科学から引き離し、幼稚園から大学までの学校制度のように人々をレールに乗せようとしている。

 

レールを外れるということは、レールを外れる要因が働いているということであり、レールを外れた人にはそのレールから離れる力学が働いている。

つまりレールから外れていること、なぜレールから外れているかを正しく認識しないと、完全に元のレールに戻ろうという衝動にかられ続けることになる。

かつて私は、営業の仕事をしていた時に上司にパワハラを受けていたが、その上司との軋轢のきっかけがある。

新人がてんぷら(取っていない見込み客を取ったと嘘をついて上司に報告すること)をしていることに気づいて、敢えて上司に報告せずに、同僚と一緒に諭そうとしたところ、その同僚が新人を逃してしまったために上司に報告して対処せざるを得なかったため、自分の判断で動く私が警戒、または嫉妬されたことがそれで、会社を移動することになってもその上司はついてくるように言い、ついにはケンカ別れとなった。

安定への道は、元のレールからずれた位置にある。それが元のレールからどれだけ離れているかは状況とその人の判断によるが、そのままレールに戻ろうとするのは、過去に囚われて自分が見えなくなっていることが圧倒的に多い。

それは環境を変えても同じである。良き上司、良き同僚、良き部下に囲まれた良好な人間関係を取り戻すことに全力を注いだ離婚するが、実はそれができない自分に変わってしまっているということがある。最良の自己啓発は自分を見つめることである。

 

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