『百年の孤独』は、実際に小説を読まれるよりも解説を読まれることの多い小説らしい。
解説を読んで小説を買って読もうか迷っているうちに、文庫版が出たので読んでみようと思って読んでみた。それで気づいたことのひとつ目。
小説はホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラ・イグアランによるマコンド建設から砂嵐による消滅までを描いているが、全てが時系列的に書かれているのではない。最初はホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラ・イグアランの息子アウレリャノ・ブエンディア大佐が銃殺されそうになる直前の回想から始まる。
マコンドの街にジプシーが訪れ、錬金術など様々な怪しい芸を見せるが、ジプシーの長のメルキアデスは太陽の光を集めて火をつけてみせる。
ホセ・アルカディオ・ブエンディアはこれを軍事に使えないかと考え、政府に手紙を送るが、政府からの返事は来なかった。
言うまでもなく、メルキアデスは古代ギリシアの科学者アルキメデスのアナグラムである。胡散臭いものの中にもまともなものがあり、ホセ・アルカディオ・ブエンディアはその両方の影響を受ける。
ホセ・アルカディオ・ブエンディアは錬金術でウルスラ・イグアランの財産の金貨を台無しにするかと思えば、天体を観測したりした挙げ句、「地球は丸い」と言ったりする。
頭いいんですよ、ホセ・アルカディオ・ブエンディアは。
「変人はあんただけでたくさんよ」と、ウルスラはホセ・アルカディオ・ブエンディアに向かって叫ぶ。わかってないんですよ、この人達は。メルキアデスが仲裁に入り、地球が本当に丸いことを教える。
外の世界には自分達の知らない便利なものがある。そう思ったホセ・アルカディオ・ブエンディアは街の男達を連れて他の街を探しに行く。
でもホセ・アルカディオ・ブエンディアは政府があるのは知ってるんだよね?って問題はマジックリアリズムで処理される。しかし見つかったのは帆船だけで、ホセ・アルカディオ・ブエンディアはマコンドが海に囲まれ、人里には出られないと考える。
後にウルスラが、ジプシーと共に街を出た長男のホセ・アルカディオ(ホセ・アルカディオとアウレリャノは何人もいるので注意)を追って街を出て、文明のある街を発見して帰ってくる。
ホセ・アルカディオ・ブエンディア(ブエンディア一族の祖)が文明のある街を発見できなかったことで、この小説のテーマが示される。テーマとはタイトルそのものだが、本当に周囲が存在しない孤独、孤立ではなく、何らかの理由で周囲との接点が持てないのが「孤独」の意味だと、このストーリーから察せられるのである。
『百年の孤独』はブエンディア一族の者達の物語だが、彼ら一族の者達の孤独の種類は様々である。
それでもマコンドという街自体が、ひとつの人格であるかのように生まれ、成長し、そして老衰するかのように滅びていく。この街に、複数の人物達の「孤独」が集約されている。
ホセ・アルカディオ・ブエンディアの家とウルスラ・イグアランの家の関係は、ウルスラ・イグアランの曾祖父の代に、ホセ・アルカディオ・ブエンディアの祖先と関係したことから始まる。
この2人の玄孫同士が結婚したのだが、それだとウルスラ・イグアランより一世代後の代に結婚したことになってしまう。
またホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラ・イグアランはいとこ同士となっているが、この2人の一世代後に両家が結婚したと最初に書かれていたのが、「何百年も前から血をまじえてきた」という話にいつの間にかなっている。
ホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラ・イグアランの伯父と伯母が結婚して豚の尻尾の生えた子供が生まれ、近親婚を禁じたというのがこの小説の重大なテーマに関わってくるのだが、この点が実にマジックリアリズムで処理されている。つまり文章を読んでも、本当に近親婚があったのか疑わしい。もっとも近親婚と似たものが豚の尻尾の生えた子供を生むことになるとはいえる。
ホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラ・イグアランは結婚したが、豚の尻尾の生えた子供が生まれるのを警戒して、ウルスラは寝る時は前が鉄の錠で締まる、帆布で作ったズボンを履いて寝た。
このことで、ホセ・アルカディオ・ブエンディアは友人のブルデンシオ・アギラルにからかわれ、ホセ・アルカディオ・ブエンディアはブルデンシオ・アギラルを殺してしまう。ホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラ・イグアランは生まれた街を出て、一緒についてきた男達とマコンドの街を築き、ホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラ・イグアランの間に子も生まれる。
街作りのリーダーとして、ホセ・アルカディオ・ブエンディアは公平な土地割りなどを行うが、ジプシーが来るとろくに仕事もしないで錬金術などに明け暮れるようになる。しかしメルキアデスも死に、ホセ・アルカディオ・ブエンディアはメルキアデスとブルデンシオ・アギラルの亡霊と会話するようになり、頭がおかしくなったと思われたホセ・アルカディオ・ブエンディアは栗の木にくくりつけられる。
ホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラ・イグアランの子は3人、ホセ・アルカディオとアウレリャノ、アラマンタである。
アラマンタは、誰かわからない人から送りつけられた孤児のレベーカと姉妹のように育ち、イタリア人音楽家ピエトロ・クリスピをレベーカと取り合って負け、その後ずっと独り身で過ごす。
レベーカはピエトロと結婚する直前に戻ってきたホセ・アルカディオに心替えしてホセ・アルカディオと結婚する。ホセ・アルカディオは街の有力者の地位を利用して、街に住む人の土地を自分のものにしていくが、ある日銃で撃たれて死ぬ。以後レベーカは、ホセ・アルカディオと暮らした家で孤独な暮らしを続けることになる。
アラマンタはいわゆる「結婚しない女性」でかぐや姫のような存在だが、アラマンタが恋愛に懲りて恋愛を拒絶するのに比べ、ホセ・アルカディオの孫の小町娘のレメディオスは、同じ「結婚しない女性」でも世間のことが全くわからない。
類まれなる美貌で男という男がことごとくレメディオスに恋するが、レメディオスは恋そのものがわからない。この点完全に世間との接点がないのも「孤独」のひとつの形である。「孤独」に悩みが伴っていたかどうかは別問題である。レメディオスはあまりに浮き世離れしすぎで、風に乗って空高く飛んでいってしまう。
次男のアウレリャノは第2の主人公ともいうべき存在感のある人物で、金細工を作って生計を立てていたのが、自由主義に目覚めてアウレリャノ・ブエンディア大佐と名乗り、反乱軍を指揮するようになる。
32回の反乱を起こし、その都度敗北した。17人の女にそれぞれ1人ずつ、計17人の子供を生ませた。いかにも中南米の歴史に登場しそうな人物である。
目指すのは土地の平等な分配、そして私生児に嫡出子と平等な権利を与えること。言論弾圧や選挙の不正を正すために戦いを続けるが、次第に軍の中で独裁権力を手に入れていき、保守派との妥協のため土地の分配も私生児の権利も放棄しそうになる。これもまた中南米あるあるである。
戦友の言葉で保守派との妥協をやめ、徹底的に戦った末に降伏する。政府は降伏した大佐を顕彰し勲章を授けようとするが、大佐は拒否する。
革命、軍事クーデターあるあるの中南米だが、アウレリャノ・ブエンディア大佐は勝者になれなかった。
後にホセ・アルカディオ・セグンドはアウレリャノ大佐を「大したことない」と評した。
なぜそうなるかといえば、変えようとしたのは表面的なことだからである。中南米では自由主義だの共産主義だの、いろんな革命騒ぎがあるが、一方でインディオやメスティーソ(白人とインディオの混血)への差別とか、いろんな差別がある。
そういう差別がそのままで表面だけ変える、いや表面だけ変えたようにみせるても元に戻ってしまう。そういうことが中南米では何度も繰り返されている。だからアウレリャノ大佐もうまくいかなかった。
ホセ・アルカディオ・セグンドとアウレリャノ・セグンドは双子で、同じ時期にペトラ・コテスと関係を持つ。
やがてペトラ・コテスの相手はアウレリャノ・セグンドのみになるが、アウレリャノ・セグンドはフェルナンダ・デル=カルピオと結婚する。しかしアウレリャノ・セグンドはもっぱらペトラ・コテスのところに入り浸る。アウレリャノ・セグンドはそんなに努力しないが、家畜が多く仔を生み、家は豊かである。友人も多く、よくアウレリャノ・セグンドの家で食事をしている。
アウレリャノ・セグンドは、自己啓発書などでは何らかの理由をつけて説明される、成功者の見本だが、その本質は成功に何の理由もない、ただ運がいいだけの人物である。金払いの良さ、人の良さ、流行に従う軽薄さが金が入る理由になっているが、根本的に運がいいだけでなければ、マコンドという小さな街で、商業をする訳でもなく牧畜で裕福になれるはずがないだろう。
ホセ・アルカディオ・セグンドが鉄道を引いて、マコンドの街に汽車が来るようになり、近隣にバナナ畑ができる。
街がまた豊かになるところだが、以前ウルスラが街の外の人が文明を持って訪れた時は街中で歓迎したが、バナナ会社が来た時は変化が激しすぎて、マコンドの住民はここが自分達の街だと思えなくなる。
バナナ会社で労働紛争が起こり、ホセ・アルカディオ・セグンドが労働紛争に参加する。ところがある日、駅に集まった労働者がことごとく、3000人以上も銃撃される。死体は汽車で運ばれ、どこへともなく消え失せる。
ホセ・アルカディオ・セグンドはその現場を目撃するが、その後誰も、銃撃を目撃したという者は現れない。ホセ・アルカディオ・セグンドは役立たず扱いされ、ブエンディア家のメルキアデスの遺した予言書に没頭するようになる。
フェルナンダ・デル=カルピオは保守中の保守、それも生活感覚から生まれたものでなく、貴族精神の亡霊としての保守である。
フェルナンダはその貴族精神の亡霊によってブエンディア家の慣習を変えていき、孤立する。
生まれた娘にレナータ・レメディオスと名づけ、みんながレメディオスの愛称のメメと呼んでいるのにフェルナンダだけがレナータで押し通す。
メメはマウリシオ・バビロニアとごく普通に恋愛をするが、フェルナンダは許さない。
メメは部屋に閉じ込められ、マウリシオ・バビロニアが浴室に忍び込もうとしたところを警官に撃たれ、背骨に食い込んだ弾丸のために、一生ベッドを離れられない体になった。
メメは尼僧院に送られたが、そこでマウリシオ・バビロニアの子を出産した。
送られてきた赤ん坊にフェルナンダはアウレリャノと名づけ、自分の孫でなく捨て子として育てる。
そんなフェルナンダに対し、アウレリャノ・セグンドとペトラ・コテスは罪悪感からでなく、フェルナンダを自分の娘のように思う。アウレリャノ・セグンドとペトラ・コテスは、その人生において不幸という不幸を感じずに生きてきた者が持つ人の良さがあった。
4年11ヶ月と2日雨が降り続き、その後雨が全く振らなくなる。
マコンドという街が興隆から衰退へ向かう象徴的な事件である。
何がマコンドを衰退に向かわせるのか?それまで積み重ねたものの全てである。
人はしきたりを守り、差別をし、見たものに目を瞑って生きていく。そのような生き方を続ける限り、保守主義でも自由主義でも根本は変わらない。
そして生き方を変えずに続けようとして、ある時からうまくいかなくなる。
アウレリャノ・セグンドとその愛人のペトラ・コテスは、アウレリャノ・セグンドの末娘のアラマンタ・ウルスラの留学のために食事を切り詰め、商売をして金を稼ごうとし、アウレリャノ・セグンドは声が出なくなって死ぬ。
ペトラ・コテスはフェルナンダに門前払いをされた腹いせに、自分が届けているとわからないように、毎日食物を送り続ける。やがてフェルナンダも死ぬ。
フェルナンダの死後、アウレリャノ・セグンドとフェルナンダの長男の法王見習いのホセ・アルカディオがローマでの留学から戻ってくる。ホセ・アルカディオはローマで全く勉強せず、司祭になれると嘘をついていた。
ホセ・アルカディオは、自分の甥でなく捨て子として育てられたアウレリャノに対し、最初は冷淡だったがすぐに仲良くなる。
ホセ・アルカディオはアウレリャノの博識に驚く。知識は百科事典で手に入れたが、アウレリャノは物価にまで詳しかったりする。
古代ギリシアの哲学者タレスは相場で成功して、哲学が実社会に役立つことを証明した。アウレリャノはただの頭でっかちではなかったはずである。
後にアウレリャノは、ブエンディアの屋敷から世間に出て、自分の知識が役に立たないことを知る。
しかし、その理由は現実にそぐわない頭でっかちの理論に過ぎなかったからか?
世間には悪習も含めて様々な慣習があり、それは本で得た知識では乗り越えられず、また環境によっては世間智でも乗り越えられない。
ブエンディア邸には誰かが置いていった金貨の袋があり、ウルスラ・イグアランは持ち主に返すために、その金貨の袋を地中に埋めていた。
法王見習いのホセ・アルカディオはその金貨を見つけ、近所の少年達と散財するが、ある時ホセ・アルカディオは癇癪を起こして少年達を追い出す。しばらくしてホセ・アルカディオは少年達に殺され、金貨は盗まれる。
ブエンディア邸でアウレリャノは1人になり、貧困の中でメルキアデスの予言書の解読に没頭する。
そこにアラマンタ・ウルスラが帰ってくる。アラマンタ・ウルスラはベルギー人のガストンと結婚し、一生マコンドで暮らすつもりでいた。
アウレリャノとアラマンタ・ウルスラ、ガストンの3人の生活が始まる。アラマンタ・ウルスラは今やすっかり寂れた街になったマコンドを活気づけようと努力するが、ひとつもうまくいかない。
アウレリャノは密かにアラマンタ・ウルスラに想いを寄せ、遂に想いを遂げる。ガストンは事業のためベルギーに戻り、アウレリャノとアラマンタ・ウルスラの情事には気づかない。2人は再び困窮しながら情事に浸り、やがてアラマンタ・ウルスラは妊娠し、豚の尻尾の生えた子供を生む。アウレリャノはこの子供に自分の名前を与えた。
アラマンタ・ウルスラは産褥で死に、豚の尻尾のアウレリャノは誰も面倒を見ることなく死んで、蟻の大群に運ばれていく。
アウレリャノは予言書の解読に成功し、ブエンディア一族のそれぞれの生涯、自分がアラマンタ・ウルスラの甥であること、ブエンディア一族の末路を知る。しかしその時には、砂嵐がマコンドの街を襲い、街を瓦礫と化していく……。
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