坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。新ブログ「人の言うことを聞くべからず」+を開設しました。古代史、神話中心のブログです。

日本型ファンタジーの誕生⑳~二人だけの世界を描き、ラストを描けないラブコメ

2年ほど前、週間少年サンデーのラブコメの紹介記事がいくつかはてなのランキングに載ることがあって、ラブコメブームのようになっていた。
私もその流れに沿って少し読んでみたが、年齢的にラブコメが受け付けないことがわかって、継続的には読んでいない。 だからつまみ食い程度での感想を述べていく。
からかい上手の高木さん』は「からかい上手」というからどんなにエグい話かと思ったが、読んでみたら全然エグくなかったのでやめたwwwエグいどころかむしろほのぼのとしてたwww
天野めぐみはすきだらけ』はちょいちょい見せるエロがうざい。
古見さんにコミュ症です』は何だこんなエロもないもの…新鮮www
エロでないラブコメの方がいいなんて、私も十分に今の時代の人間である。

しかしこうして見ると、ラブコメも随分変わったなと思う。
ブコメでは昔は三角関係は基本といってよく、三角関係、四角関係も男に都合のいいものが多い。 ハプニングでキスしちゃったとかおっぱいさわっちゃったとか女風呂に飛び込んじゃってドッカーンとかwww
最近は違う。男と女二人の関係を徹底的に描いている。二人の関係以外の脇役がストーリーに絡んでくることがあまりない。
例外はある。『ゆらぎ荘の幽奈さん』の冬空コガラシである。冬空コガラシの女性キャラとの絡みは、昔のラブコメのパターンが踏襲されている。
しかしまた、冬空コガラシにも昔のラブコメとの決定的な違いがあるのである。冬空コガラシは「ただのひとびと」ではないのである。 冬空コガラシは「モテる男」いや「モテるべき男」として描かれているのである。
それも一夫多妻的なものではない。 元々のラブコメも本来は一夫多妻を目指すものではなく、「モテたい願望」の延長線上にあり、本命はあくまで一人だった。ただ脱線、つまり本命でない女性とくっついてしまう過程が時としてあり、そこに「モテたい願望」が一夫多妻に転化するきらいはあった。そしてそれを「優柔不断」という言葉でごまかしていたのである。
昨今のラブコメは「モテるべき男」と「ただのひとびと」を分けたのである。冬空コガラシはは男らしく優柔不断でないから「モテるべき男」なのであり、「ただのひとびと」は脇目を降らずに一人の女性を見続ける。近年の恋愛観念の反映がそこにある。

しかし最近のラブコメを見てて思うのは、終わりが見えないことである。
昔のラブコメには二人が結ばれることでストーリーが完結するというパターンが踏襲されており、二人が結ばれるという予感を読みながら感じることができた。
しかし最近のラブコメは、『からかい上手の高木さん』の連載中に『からかい上手の元高木さん』の連載が始まったように、二人が結ばれるというラストシーンを描けないのではないかと思えてくるのである。
もちろん読者は二人が結ばれる予感を感じて読んでいるのだが、作者達は読者に予感を感じさせるのに精一杯で、二人が結ばれるラストが描けず、結果ほとんどが一話完結のストーリーが延々と続いていく。つかそれストーリー作るの大変じゃね⁉️
現状の二人が結ばれる予感を感じさせるだけのストーリーから脱却し、二人が結ばれるラストを描けるようになるのだろうか? その答えはラブコメ以外の作品にある。

僕だけがいない街』の作者の三部けいは暗示の名人といっていい。
『僕街』の次回作の『夢で見たあの子のために』で、双子の兄の復讐のために危ない橋を渡り続ける中條千里を、ヒロインの恵南が非難する。

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そのために今出来る事を積み重ねて、ちょっとずつでもその姿に近づこうとしてる。その先にあたしが思う未来の姿がある。その未来のために生きたいんだよ。

 

また、別のところではこう言っている。

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その瞬間思ってる事は、「報告したいってことなんだ。生い立ちがどうだろうと、今の環境が良かろうが悪かろうが、本当は母さんに、あたしが踏ん張ってこうして立ってる所を見せたいんだよ。母さんにはもう見せる事は出来ないけど、あたしは子供達に見せなくちゃいけない。誰にも恥じる事の無い生き方をしている自分を。千里は…「誰かに見せたい自分」はある?今の自分が恥ずかしいと思わない?

 

恵南の母は、殺人犯の夫のために周囲から迫害を受け、それを苦にして自殺している。
千里の母も、虐待する父親を止めることができない母親で、両親とも子供への関心が薄かった。二人とも、死んだ親に会いたいと思っているようには見えない。
だからこれは、「親になる」という意味なのである。子供の頃の自分が居て欲しいと思う親に自分がなる。そういう自分を「誰かに見せたい」のである。そしてその「誰か」は自分にとって大事な存在であり、世間ではない。
昨今ではイクメンなど、理想とする親の形が少しずつ作られている。しかしそこにまだ手が届いていないか、自分の理想をより高く、または広く取る必要があるのにそのことに気づかないため、終わりの見えるラブコメが描けないのである。

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過小評価

先日、諸橋哲郎弁護士の懲戒請求に対する、日弁連の議決書が届いた。
「本件異議の申出の理由は、要するに、前記認定と判断は誤りであり、同弁護士会の決定には不服であるというにある。
当部会が審査した結果、同議決書の認定と判断に誤りはなく、同弁護士会の決定は相当である。
よって、本件異議の申出は理由がないので棄却することを相当とし、主文のとおり議決する。」
日弁連のやることなど、所詮この程度である。

『未来のミライ』は幼児虐待!?(ネタバレあり) - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、途中にあるレビューは『Godzilla決戦機動増殖都市』は『テラフォーマーズ』との関連から目を背けている。
もちろん『決戦機動増殖都市』は傑作というほどではないことには同意する。
私のブログでは作品の中にどんな暗示かあるかを重視して書いているが、もちろん単純に面白いかどうかも重要で、『決戦機動増殖都市』は暗示のための記号を並べるのに精一杯という感じがある。もっとも尺が短すぎるという感もあるが、三部作ということを考えれば、あるいは詰め込み過ぎなのかもしれない。
だから面白くないという意見は結構だが、それに乗じて不当に低く評価する動きがあり、それが思考停止につながっている。

過小評価は、主に職場で発揮される。
職場で働く人がある人に被害を受け、被害者がそのことを訴えると、職場の人々はしきりに加害者を擁護するのである。「本当はいい人なんだよ」などと言って。そして被害を過小評価していく。
それでも被害を訴える人に待っているのは、ちょっとした失敗を過大に取り上げられる職場いじめである。この職場いじめで生き残れる人はほとんどいない。最近は少し変わってきたとしても、かつての日本の職場は、パワハラを受けたらほぼ100%生き残れなかった。
加害者の被害の過小評価と、被害者の失敗の過大評価は対になっている。そして職場を追われた被害者には、「会社を辞めてばかりいる」というマイナス評価がつく。このようにして職場に定着しない者を否定することで、かつての終身雇用による日本型経営は成り立っていた。日本型経営の本質は、被害者の被害に報いないことにあったのである。
こちらの画像を見て頂こう。

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新潟県南魚沼市浦佐駅にある田中角栄像で、銅像に屋根がついている。
最近では、なぜ屋根がついているのか語られなくなったが、数年前には「銅像に屋根がつくほど角栄は偉かった」と、ネットの至るところに書かれていたのである。
断っておくが、私は角栄の全てを語ることはできなくとも、私なりに角栄を評価しているつもりである。特に『列島改造論』により、日本に均衡発展をもたらしたのは高く評価できる。
しかし角栄金権政治の、そして

田中角栄、バブル、そして憲法 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたようにバブルの象徴なのである。
バブル景気でさえ、私は角栄一人の責任だとは思っていない。角栄を必要としたのは、護憲を否定しなかった日本人である。
だからこそ、バブルの象徴の角栄銅像に屋根をつけて、「それほど偉かった」ということはできないだろう。
角栄に限らず、問題のある人は放っておくとどんどん高い評価をつけられる傾向というのが日本にはある。私の経験として、加害者の擁護者達が加害者を「人格者」にまで祭り上げたのを見たことがある。加害者を含めた「問題のある人」を祭り上げる日本人の尊大さは、謙虚を美徳とする日本人の性向と対になっている。

他にもこういうのがある。



 

これには笑ってしまった。
しかも突っかかったのは、橋下氏と名誉毀損で争っている岩上安身氏である。
岩上氏も下手なところに突っ込んだものだ。
もっとも維新も言ったことで実行していないこともあるかもしれないし、何を実行して何を実行していないかは私の知るところではない。
だからこういう想像もできる。維新にはいくつかの有言不実行なところがあり、それに突っ込んでいたら、本当に実行しているところに裏を取らずに突っ込んだんじゃないかと。そして維新は反維新派をピンポイントで狙って反撃したとも考えられる。始めから罠だったということである。
議員報酬の2割を寄付するというのは結構大変なことで、実践がないのに言えることではない。だから私なら、まず裏を取ってから批判するかどうかを決める。
もっともこんな難しい話ではなく、単に何でも批判してたら引っ掛かったということ考えられる。私の中では2つの可能性が同じくらいの割合であるが、いずれにせよ岩上氏のようなタイプに言えるのは、維新が生き残りをかけてどれだけ戦略を練っているかを考えていないことである。そして考えを中々改められない。考えが変わらないのは、相手を過小評価する思考に安住しているからである。だから日本では戦略性が育たない。
もっとも維新も、関空咲洲庁舎の件でもめているがこれについてはそのうち語ることにしよう。

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日本型ファンタジーの誕生⑲~『アイアムアヒーロー』3:「クルス」と「巣」の意味

アイアムアヒーロー』では「クルス」と呼ばれる人々が登場する。
「クルス」は元々固有名詞だったが、「クルス」と同種のキャラが多数登場することで、特定の人々を指す言葉になった。
「クルス」は大抵ブリーフ一枚の姿で、超人的な身体能力を持つ。
「クルス」は多くが自宅警備員であり、精神的に引きこもりがちな鈴木英雄と共通点を持つ。ならば鈴木は「クルス」なのか?という疑問が生じてくる。
ブリーフ姿でない鈴木は「クルス」でないと言えるが、それにしても鈴木が「クルス」と紙一重の存在なのは否めない。
この「クルス」が何者なのかが、この作品を理解する鍵である。

「クルス」を理解するために、まず「女王蜂」の早狩比呂美の理解が必要である。
感染後、比呂美には全ての人間、ZQNがぬいぐるみに見えている。
ZQNと格闘した時、相手の顎を引きちぎればそれがスポンジに見え、比呂美の意識の中で皿洗いを始め、実際にはZQNの頭に引きちぎった顎を擦りつけている。

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ZQNの腕を引きちぎれば、「手術しなきゃ」と言って、ZQNの肋骨を引き裂く。比呂美は自分の加害行為を正しく理解しておらず、無自覚である。
御殿場アウトレットモールで頭に釘を撃たれてから、比呂美の意識は外界と遮断される。
目が覚めた時には、比呂美は背が伸びて鈴木と同じくらいになっていた。そして人間の常識を超えた怪力を出したり、ZQNと交信したりするようになる。
背が伸びたり、パワーアップしたりするのは成長の暗示だが、比呂美の場合は違う。精神的に成長しないまま、大人の体になったので。

16巻に、イタリアのルッカでの話がある。
ZQNパニックの中で、1人の少女が親とはぐれて泣いている。
少女は非感染者のようだが、手で引っ張っているのはぬいぐるみのようで、早狩比呂美が感染後に夢の中で見たぬいぐるみと同じである。
少女は男に声をかけられて、搭のてっぺんに避難する。そこからはZQNが集合した「巣」が見える。
「巣」について、避難者の一人が仮説を提示する。ZQN騒ぎは宇宙人の侵略によるもので、インフラに被害を与えずに地球の支配者を移行するためのものだと。そして「巣」から新しい文明が生まれると。
しかしその宇宙人は数が少なくて、文明を維持できない。そこで地球人を使ってハイブリットな宇宙人を作ろうとしている。その新しい宇宙人を生み出すのが「女王蜂」だと。そして自分達は、「女王蜂」の世話係として存在していると。
非感染者と思われていた人々は、実は全員ZQNだった。僅かに脳に残った意識が、自分を人間だと思わせていただけだった。そしてZQN達は、日本語とイタリア語などの言語の違いがあっても意志疎通ができている。男の考えでは、「女王蜂」の世話係だけが、わずかに人間性を残せるのだという。
ZQN達が少女を連れていこうとしたところで、それまで「パニーニ」としか言わなかった男がナイフで突っかかっていき、日本人観光客の首を切り落とす。コートの下はブリーフ一枚。「クルス」である。

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他のZQNはそれぞれの言語で意志疎通ができるのに、「クルス」だけは言葉が全ての言語に変換されている。
「変種か?」と、仮説を話した男が言う。「なぜこんな奴がいるのかわからない、我々を創った者は、なぜ欠陥品も創ったのか」とも。
男は仮説を話した男の肉を噛みちぎって食い、ZQN達から少女を救出する。
ZQNの肉を喰ったり、異常さがありながらも、ヒーローの登場を思わせる場面である。しかし、少女に「どこに行くの?」と聞かれると、「ママのところだよ」と「クルス」は答える。結局他のZQNとすることは変わらない。
仮説を提示した男の話は、読者をミスリードしているように見えて、ZQNパニックが何を意味するかを考える材料を提示している。

スペイン・バルセロナでは、頭と足だけになったZQNが街を徘徊している。
ルッカ同様、人間の姿はもう見られない。
バルセロナの建築物を模したZQNが街を清掃しており、街は非常に清潔な状態を保っている。CO2を排出することもない。世界にとって、人間とZQNのどちらが有益かわからなくなるような話である。
ZQNは歩きながら考えている。ZQNには三種類のタイプがいる。一つは感染を拡大する人間型ZQN、もう一つは街を清掃するZQNに代表される建設型ZQN、そして人間もZQNも構わず攻撃する攻撃型ZQN。頭と足だけのZQNは、攻撃型ZQNを「存在理由の意味不明な」、「敵対しているように行動」を取り、「対立する別の種族」ではないかと考えている。
建設途中のサグラダ・ファミリアを完成させるように、「巣」が覆い被さっている。
頭と足だけのZQNがそこにいくと、巨大な子宮のようなものがあり、子宮の中に生命のようなものが見えている。
それを見て、「新しい生命を創り出しているのか?」とZQNは言うがその途端に生命らしきものは溶けて消滅してしまう。
「生と死を繰り返しているのか?」と考えるZQNに、「生と死に意味はない」と答える者がいる。上半身はスーツで、下半身はブリーフ一枚の「クルス」で、顔はサルバドール・ダリに激似である。

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「あなたは人間か?」と尋ねるZQNに、「その質問も意味ないな」と答える。
ZQNは「クルス」に、ZQNパニックを地球外生命体の侵略と考えるか」と尋ねると、「地球の内も外もわけること自体ナンセンス」と否定する。「自分の中で生と死を繰り返し出口が見えない」とZQNが言うと、「生と死の輪廻からの離脱」と「クルス」。「それは不死ということか?」と言うZQNに、「生命の輪の中にいる限り理解するのは難しいだろう」と言う。

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「ZQN…『ゾンビ、あるいはそうではない』だろ」
と「クルス」は言う。
このダリ似の「クルス」は、怪物=人間から「怪物でない人間」になった者である。
「クルス」の言葉の意味は、「ラザロの復活」と同じである。「ラザロの復活」は、肉体に対する精神の不滅を示すものである。だから肉体の保持のために精神を殺してはならない。精神を殺した者は、生きながら死んでいるのと同じであり、その姿がZQNという形で示される。だから「生と死に意味はない」と言い、「生命の輪の中にいる限り理解するのは難しい」と言うのである。それが生のあるべき姿である。あるべき生が時に命を捨てさせるのは、全ての普遍的な思想は奴隷根性を否定するからである。
そして「怪物でない人間」になる道は、自分と他者を区別しないことである。
しかし『アイアムアヒーロー』で、人間はZQNになりたくないから戦ってきたはずである。それなのに自分がZQNと同じだと思うことが、「怪物でない人間」になる道なのである。
その理由は、戦っているという点ではZQNも人間も同じであり、客観的な相違を見つけるのは不可能である。だからZQNになりたくないと思って戦うほど、自分とZQNが同じだと認めざるを得なくなる。むしろ違いを強調するほど、人間はZQNに近づいていく。
頭と足だけのZQNは、この後木になり、バルセロナの街を見守ることになる。
ZQNが頭と足だけなのは、戦いを放棄したからである。そして攻撃型ZQNを「存在理由の意味不明」、「敵対しているように」、「対立する別の種族」として差別している。これは非暴力主義とも違う。非暴力主義は暴力を否定しても戦っているのである。戦いを単に否定したZQNが木になったのは、ZQNが人間になれなかったからである。

「クルス」は、「クイーン・ビー」と対をなす学校の王「ジョック」になりかわったものである。
これが『アイアムアヒーロー』のユニークな点で、自宅警備員に象徴される「クルス」の本質は「絶望した者」である。それは「クルス」の「絶望が希望に変わるという言葉に現れている。
だからこの作品のテーマには反逆、革命があるのだが、そう単純でないのは、単なる価値逆転では本質が変えられないことも示されているからである。

日本型ファンタジーになった『GODZILLA 決戦機動増殖都市』(ネタバレあり) - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、「巣」は「個にして全、全にして個」という『ナウシカ』の王蟲の発展型である。全てが一体になったように装いながら、その中には差別があり、差別の隠蔽のために一体感を演出している。

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「すぐに『個』が解体されて『全』にとけこむ人もいるし『個』のまま孤立して『全』の底に沈んでいく人もいる」
という「巣」の「名も無き集積脳」の説明も苦しい言い訳で、集合しない「個」を排除している現実を隠そうとしている。

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この「巣」の正体は「和の精神」である。
表向きは「全てが一体」で、本質がスクールカーストである「巣」は、表面を綺麗にしても何も産まない。だから子宮の中の生命は消えたのである。
「和の精神」では、本来意志疎通が不可能な状況で人々が同調していく。だから言葉の違う者同士で意志疎通ができる。
しかし「クルス」はそれができない。だから言葉を全ての言語に変換して語る。そして「クルス」は「巣」支配しても、「巣」と集合できない。「クルス」は「クルス」としか集合できない。

鈴木英雄が早狩比呂美を救出できなかったのは、最後に「クルス」に味方したからである。
「クルス」に味方したことで、鈴木が「クルス」に近い存在なのは間違いない。しかし鈴木が「クルス」にならなかったのは、心を閉ざしているからである。鈴木はヒーローになれなかったが、ヒーローになれる要素はそこにあった。

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日韓軍事同盟と勢力均衡の話

トランプ大統領は、北朝鮮の非核化が遅れていることを認めた。
とりあえず中国のせいにし、北朝鮮にはまた秋波を送っているが、交渉が難航するのは目に見えている。日本は再び、独自の外交、安全保障を展開する環境になりつつある。
そろそろ、韓国との軍事同盟を検討するのがいいと、私は思っている。
韓国嫌いの日本人が多い中であり得ない選択と思われる方も多いと思うが、地政学的には、日本と韓国が争うのは愚の骨張である。
極東には国が少ない。大国中国と向き合う国は日本、韓国、台湾、北朝鮮しかない。うち台湾は国家として認められていないし、北朝鮮との同盟などそれこそ不可能である。極東で同盟を結べる国は韓国しかないのである。
もちろん同盟に至るには、問題は山積している。文在寅大統領が「従北」と言われているのもそのひとつだが、一方で「従軍慰安婦問題は世界の問題」とも文大統領は言っている。
文大統領の目指すところは日本も含めた極東の安定であり、裏切りを繰り返す北朝鮮に融和一辺倒では対処できない場面は今後多くなるだろう。日韓同盟を持ち込む余地は充分にある。
右翼は反対するだろうが、

韓国はなぜ反日なのか? - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

に飛び付かなかった右翼に遠慮する必要などない。
もちろん自重を求めたのも私だが、それを逸脱してこその右翼だとも言える。
冗談で言っているのではない。
右翼のエキセントリックさも、国を発展させるためには必要なのである。もしくは必要な時がある。
私が零細ブロガーだからというのは理由にならない。以前述べたように、記事を書いてPVは上がるどころか下がったのである。そんな魅力のない内容を書いたつもりはない。
右翼の元気は、所詮ハリボテである。
結局右翼は『永続敗戦論』で言うように、アメリカとの戦争の継続のために韓国、中国と争って、アメリカに永遠に負け続けるのである。著者の白井聡は最近、天皇の存在感がなくなってアメリカのみに従属するようになったと言っている。

政治学者・白井聡が語る〈安倍政権の支持率が下がらない理由とその背景〉

しかも対米従属の安倍外交を「外交の安倍」などと言って、支持率上昇の理由にしたりしている。(しかも支持率上昇の理由はほぼこれだけwww)
私もアメリカの傘下に入ること自体は否定しない。しかし従属しながらも、自由度を上げる努力をするべきである。日韓軍事同盟は、日本の対米面での自由度を上げるのにつながる。
また、日韓同盟が締結される際、竹島が帰ってくる可能性がある。そんなに大きな可能性ではないが。
日韓同盟は対中国以上に対北朝鮮が重視され、北朝鮮が崩壊し、北朝鮮が韓国領となった時の経済援助の見返りとして、竹島変換を要求できるのである。

さて今回は、橋下徹氏の記事。

president.jp

私はプレジデントオンラインを購読していないので、ただで見える限りでの私の見解である。
日本が尖閣諸島の国有化を取り下げることで、中国の国有化も取り下げさせるところなど、一見して外交の教科書のようである。
しかしこの論、実は視野が狭い。日中関係を考えるにはもっと視野を広く、より南の方を見なければならない。
見るべきはシーレーンである。
中国は南沙、西沙諸島の領有を主張してシーレーンを支配しようとしている。中国にシーレーンを支配されたら、日本は日干しになる。
だから橋下氏のような尖閣問題の解決は、日本が南沙諸島で軍事行動ができるようになってからでなくてはならない。
また橋下氏は、日本に力がないことを言い過ぎている。

lullymiura.hatenadiary.jp

で三浦氏は、アジアに勢力均衡を持ち込めるのは、米中を除けば、序列は下がっても日本しかないと言っている。もっとも国民の意識は勢力均衡外交を支えるほどではないとも付け加えているが。
国民の意識を変えていくには、憲法改正を含めた幅広い議論が必要だが、まずはアメリカのように、台湾有事の際に台湾で軍事行動ができるようにすることだろう。
もっとも台湾にこのような話を持ち掛けても、中国に配慮して条約が締結できない可能性が高い。日本が諸外国に頼られるようになるためには、国内の意志統一と、軍事的に信頼を得るための努力が必要である。

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ドラゴンボールを考える⑨~「未来トランクス編」3:『復活のF 未来トランクス編』とバッドエンドの意味

『復活のF 未来トランクス編』は、「昔、フリーザという者がいた」という、トランクスのナレーションで始まっていた。 ここで気づくべきである。

未来トランクスは復活したフリーザのことは知らないはずである。未来トランクスの時代は、現代に行って悟空達に助けを求める前である。フリーザが復活したことを聞いているはずがない。 復活したフリーザのことを知らないトランクスがナレーションをしているということが、「未来トランクス編」を理解する鍵となる。

 

 一度現代に戻った悟空達が再び未来に行き、魔封波を使おうと思ったが壺が壊され、魔封波無しで戦う悟空の代わりに、トランクスが壺を直し、ブルマに教えられて魔封波をすることになる。

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ギャグはさておき、ピッコロの動画で魔封波のやり方を見たトランクスは、向かってきたザマスをブルマが足止めする僅かの間(どうやって足止めしたかはもう書きたくないwww)に魔封波をマスターし、一発でザマスを封印する。使命感に燃えるトランクスの集中力は凄まじい。 

しかし悟空が封印のお札を忘れたために、ザマスは壺から出てきてしまう。魔封波を恐れたザマスは、ブラックに合体を提案、二人は合体する。 

合体ザマスに悟空達は善戦するが、形勢は不利。しかしザマスの体半分が元に戻らないのに気づいた悟空は、ベジータに合体を提案してベジットになる。

 ベジットはザマスを圧倒するが、合体の効果が切れ、再び形勢不利に。しかしそこに、折れた剣に気を注入して気の剣を作ったトランクス来てザマスと戦う。

元気玉のようにその剣には人々の気が集まり、その剣でザマスを真っ二つにする。 

 

ザマスの肉体は消滅する。ところがザマスは、今度は宇宙そのものになる。ザマスの攻撃で、トランクスとマイ以外は全て死んでしまう。 

ひどい話である。それまでザマスに与えたダメージなど全く考慮に入っていない。 

ここで悟空が裏技を使う。全王からもらったボタンで、全王を呼び出したのである。 しかし全王は違う時間軸の全王であり、悟空を知らない。

結局全王は、宇宙ごとザマスを破壊してしまい、悟空達はギリギリでタイムマシンに乗って現代に逃げてくる。典型的なバッドエンドである。 

この後悟空がもう一度未来に行くと言うから、破壊された宇宙を元に戻せるのかと思ったら、

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悟空何してんの~!!!Σ( ̄□ ̄;) 

しかも傷心のトランクスを働かせて、と思ったらトランクスも傷心してる様子がない。 

とにかく未来から連れてきた全王を現代の全王のところに連れていって全王との約束を果たし、未来トランクスとマイはザマスが現れる前の世界に行き、界王神が殺される前のビルスにザマスを破壊してもらうことになった。 

「不死身のザマスは破壊できねえんじゃねえのか?」という悟空の問いに、「魔封波よりもっといいものがあるんですよ」と答えるウイス。 そして旅立ちの時には、

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ベジータがトランクスにパンチを入れ、トランクスが受け止め、爽やかなラストを演出しようとしている。不自然を通り越して非常に気持ちが悪い。 

しかしタイムマシンに乗り込み、未来に行こうとするトランクスの前に、悟飯が現れる。 悟飯と過ごした日々を思い出すトランクス。

f:id:sakamotoakirax:20180821210226j:plain「俺は…世界を…」と、やっとトランクスがまともな反応をする。

悟飯は師匠であり、世界を救うことを誓った同志である。トランクスは悟飯にだけは顔向けできないのである。 

 

『復活のF 未来トランクス編』で、トランクスがブラックにより荒廃した世界を見て「なぜ…」と問いかけるが、その答えは「ビルスが悪い」である。 

『復活のF 未来トランクス編』の内容は、ほとんど『復活のF』と同じだが、1ヶ所だけ違う。

 悟空とベジータが組めばフリーザを倒せるが、二人はそれをしないだろうというセリフの後、「バカだね~あいつらプライドが高過ぎるんだよな~」とビルスが言うと、ウイスが「ビルス様と同じ何ですよ」と返す。 

ビルスは現代のザマスを破壊しておきながら、「神が行った行為が時間に干渉しないわけがない」と言って、トランクスの時間軸の確認を怠った。しかし時の指輪を持っているザマスは、神としてのビルスの行為の影響を受けなかった。

 もっともビルス自身が未来に行けない以上、ビルスはこれ以上関われない。だからザマスの生存はビルスの責任ではない。

これはビルスの責任のダミーである。

 ビルスの本当の責任は、悟空とザマスを会わせたことである。 ザマスと会った時の悟空のあいさつ。

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。。。 

 

一方、マンガ版ではビルスは悟空をザマスに合わせていない。

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「手合わせしたオラが一番わかってる」と悟空は言うが、悟空と会ったからザマスは闇落ちしたのである。 

アニメとマンガでは、ザマスの性格は少し違う。 マンガではザマスは、「ちょっと真面目すぎるところがある」とゴワスに評されているが、アニメではそうは言っていない。 

アニメのザマスを真面目すぎると思ったなら、それはザマスの言動から勝手にそう思っただけで、アニメのザマスは真面目ではない。 

印象深いのは、マンガで界王神を殺すことで破壊神を始末したことを悟空が「汚ねえ」というと、「過程はどうあれ、私はこの世界において唯一の神なのだ」と言うところ。割と素直であるwww。

 素直だから、みっともない言い訳をすることも、合体後ダメージを受けて体の半分が溶けたりすることもない。 

アニメとマンガの関係は未だに不明だが、これは珍しいことに、悟空と出会ったことでザマスが闇落ちしたことを、マンガとの対比によって強調しているのである。

 「未来トランクス編」がバッドエンドに終わったのは、主役が悟空でなければならず、悟空の倒せない敵をトランクスが倒してはいけないからである。

 この後、悟空のダメ親父的な描写はなくなり、真面目に働いている場面や、ヒットと戦うために自分を暗殺する依頼をするなど、カッコいい場面も入れていく。

 その理由は、これ以上ダメ親父路線を続けるのは悟空が主役が主役であることへの苛立ちが募るだろうという配慮からである。長期シリーズはもう1つあるのだから。

 古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。 

共依存社会

私の母は、私がいじめやその他の社会的に理不尽な目にあっても、一度も私の味方になったことがなかった。必ず世間の味方をして、反抗すれば私は必ず悪者のように扱われていた。

 それだけなら、私も親に反抗して、早い段階で自我を確率することができたかもしれないが、毒親とは子供を一歩的に虐待するものとは限らない。

 私は家の中では、かなり優遇されていたのである。家の中で優遇され、社会、世間的に冷遇されるという親の態度の使い分けによって、私は不当に扱われていることに気づけなかった。 そして私を優遇する家は、長い間私にとって必要だった。

私が家を必要とする限り、私は不当な目に遇い続ける。共依存である。


 共依存については、『東京喰種』の六月透において実によく表現されており、またその表現も大仕掛けである。

 六月透は、私が知っているストーリー作品の中で、最も衝撃的な経歴を持つキャラクターである。 

六月透は、家族が喰種に殺されたと思っていた。しかし喰種のトルソーに拉致され、暴力を受けている中で、透は真実を思い出す。家族を殺したのは自分だったのである。 透は、父親に性的なものも含め、日常的に虐待を受けていた。 

トルソーもまた、子供の頃に父親に暴力を受けていた。 トルソーは人間の女の子のミノミと仲良くなったが、父親にミノミを殺され、逆上して父親を殺す。

 しかし既にトルソーの中には、女性への嗜虐性が芽生えていた。ミノミもまた親に暴力を受けており、生傷や痣が絶えなかった。トルソーはミノミの傷や痣に見とれていた。 

結局獲物を父親に奪われたために父親を殺したトルソーは、女性を捕食する時も、その首を切って胴体を愛撫するようになる。トルソーは女性の顔を見れないのである。

 家族を殺した記憶が甦った透は、トルソーに自分を殺してもらおうとするが、気がつけば自分がトルソーを殺していた。そして強力なクィーン・ビーとなり、CCGを離脱し、隻眼の王として喰種の側に立った金木研の前に立ちはだかる。


 厳密には、透は金木との間に共依存関係を築こうとする者である。 それだけに、共依存の加害者がどのような人間かがよくわかる。 

共依存の加害者の特徴のひとつは、相手を自分のものだと独りよがりに思っていることである。

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「泥棒猫」と言っているが、透と金木が恋愛関係にあったことは一度もない。

 2つ目の特徴は、共依存の被害者に強い執着を示しながらも、相手が破滅しようがお構い無しなと ことである。

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と透は言うが、CCGは金木の替玉を公開処刑しており、金木に出てこられても困るだけで、やはり金木を殺すだろうが、共依存の加害者は臆面もなくこういう嘘を言い続ける。そして最後は、「誰のものにもならない」ようにと金木を殺そうとする。独占欲の裏返しである。 

3つ目の特徴は、被害者と共依存関係を築けない、もしくは共依存関係が壊れていることへの鈍感さである。 

透は金木を引きずり出すために、トーカの友達の小坂依子を逮捕させる。 依子は死刑にされそうになり、透はそのことを金木に伝える。 

透は、金木が依子のことをトーカに伝えないと思っている。しかし、

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と、金木が出てくることについて強い確信を持っているが、実際は金木は罠だと思っているので出てこない。

 ある時、依子が処刑される書類をトーカに見られる。そして金木は、トーカに書類を見られたことに気づく。

 この時トーカは妊娠していたのだが、金木が書類のことで探りを入れようとすると、トーカは書類のことに触れず、替わりに妊娠したことを告げる。

 透の理論なら、トーカに書類を見られたら金木が透の前に現れる可能性が高くなるのだが、二人とも透の読み通りには動かない。共依存の加害者は、相手が自分の思い通りにならないのを理解しないし、したくないのである。

miurayoshitaka.hatenablog.com

では、ブラック企業の経営者やDV加害者が弁護士が出てくると腹を立てることを指摘している。

delete-all.hatenablog.com

のフミコフミオ氏の元社長は、反省をせず、氏の待遇を下げて氏を会社に戻そうとした。

私が「和」を嫌いになった理由(後編) - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

の上司Dは、私が金を貸して相手の弱みを握ったと思っていたのに、金を借りて私の弱みを握ったという偉大な勘違いを最後まで持ち続けた。

 共依存の加害者は、自分がコミュニケーション能力に長け、優れた判断力を持っていると思っているが、問題が起こるとその反対であるのが露呈する。

また共依存は加害者も依存しているのであり、そのため共依存関係が破滅されると、加害者も深刻なダメージを受ける。

 そしてこの共依存関係は、日本中の至るところに張り巡らされている。

最近日本ボクシング連盟山根明会長の不祥事が話題となったが、山根氏の言動は、共依存体質をそのまま表に出したものである。 


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日本型ファンタジーの誕生⑱~『僕だけがいない街』1:これは不幸な人々の物語

僕だけがいない街』の主人公藤沼悟が幼児の時、よく小学1、2年生の女の子と遊んでいた。 

その女の子アッコねえちゃんはある時、「悟ちゃんは二番目に好きなの。ツトムくんっていう、ケッコンするって決めた男の子がいるの」と悟に言う。 

「ツトムがいなくなれば自分が一番だ」と思った悟は、翌日角材を手にツトムを探して見つけるが、ツトムは気にも止めず、「一緒に遊ぼうか」と言ってくる始末。

自分はツトムに敵わないと、悟は幼心に感じる。その後アッコねえちゃんは、悟と遊ばないようになった。

 ある冬の日、悟が一人で遊んでいると、アッコねえちゃんが近くを通りかかった。 悟は追いかけるが、アッコねえちゃんは振り向かずに物置小屋に入っていく。 

実は中には、後に連続誘拐殺人犯となる八代学がいたのだが、悟が外から声をかけるとアッコねえちゃんは出てきた。


 悟はいつも、母親が務めている建設会社の側の原っぱで遊んでいたが、その時若い従業員が二人に、寒いから中に入るように声をかける。

 しかし会社の社長は子供が嫌いで、無断で悟達を入れたその従業員を殴りつける。 

社長の子供嫌いを知っている他の従業員は、その若者を笑う。しかし、

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とこの作品(厳密には悟)は言うのである。

この少し大げさに見える描写は、何か意味があるのか? 

ツトムと戦おうとして戦う前に敵わなかった悟と、殴られた若者は重なるのである。

 それはまた、若者を殴った社長とツトムが重なるということでもある。社長は悟の母親に再婚を迫って拒否され、悟の母親も殴っている。

 それだけでなく、社長とツトムは八代とも重なる。

八代が結局未遂に終わった、最初の犯行に及んでいたのは印象的である。八代は世間受けのいい人物で、後に市議会議員にもなる。 

敵意を持つ悟に対してもおおらかで、悟に「自分があまりに幼く、無力で、わがまま」と思わせたツトムも、女性を幸福にするとは限らない。 


悟が子供の頃に起こった連続誘拐殺人事件の記憶を辿っていき、最後の犠牲者の杉田広美を思い出す。

 少年達が「アジト」と呼んでいた場所に悟はヒロミを誘うが、ヒロミは怖がってこなかった。その後ヒロミは殺される。悟は、

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と悔やむが、ヒロミを一人にしたことを悔やみ続けるのは、罪悪感を過剰に感じ過ぎだろう。 

この後に悟はヒロミを回想することはなく、悟の母親が八代に殺された時の走馬灯で、冤罪で逮捕された白鳥潤のアリバイについて、悟が証言したのを回想する。白鳥潤は子供の頃の悟がよく遊んだ人物で、悟は「ユウキさん」(白鳥がよく勇気という言葉を使うから)と呼んで慕っていた。 

「犯人はユウキさんじゃない」と悟は訴えるが、警察は受け入れてくれない。

悟はそのことを悔やんでいるのである。

 ここでヒロミと白鳥潤が重なる。引っ込み思案だったヒロミと白鳥潤は同じなのである。 

悟が誘拐殺人の被害者を救った時間軸で、死ぬはずだったヒロミと雛月加代は結婚し、子供が生まれる。 

この二人が結婚して子供が生まれるのは、子供が幸福の象徴だからである。だからこのエピソードは、不幸な運命にある者が幸福になることへの強い願いが込められている。

 悟の母親は、悟が白鳥を救えなかったことを忘れさせようとした。それは失敗だった。ケンヤに「とても尊敬している」と思わせた悟の母、藤沼佐知子も、毒親の要素を持っていたのである。


 連続誘拐殺人事件の犯人・八代学は、子供の頃暴力的な兄に虐待を受けていた。

 子供時代に八代は一度、白鳥潤に接触している。白鳥はいじめにあって、靴を無くしていた。 

「僕はゆうきがないから、なんもいえなかった」という白鳥に、

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と八代は言い、自分の靴を白鳥に渡す。

 八代の兄は、やがて少女の凌辱に不満の捌け口を見つけ、八代は兄の所に少女を連れてくる役を命じられるようになる。 しかし兄はある時、ばれそうになって少女を黙らせようとして、少女を殺してしまう。 

八代と二人で少女を隠し、少女が行方不明になったことで騒ぎになるが、八代は完全犯罪で兄を「自殺」させ、少女が発見されて騒ぎが収まる。その時には既に、八代の中に「兄」が住み着いていた。

 一方、白鳥は大人になってもフリーターのような生活をしていたが、一人でいる子供に声をかけ、友達と仲良くなる方法、そして「勇気」を教えるようになる。 「勇気」という言葉は、悟に大きな影響を与えていく。 

それは白鳥なりの戦いだった。しかしやり方は自分なりでも、殴られる覚悟で主張するのを「勇気じゃない」と言った八代の言葉は否定したのである。


 悟の立場は、一見して傍観者である。自分の手で救える人を救わなかったことが後悔となって、自分の心の奥底に踏み込むのを恐れるようになった。

 しかし悟もまた、ヒロミや白鳥と同じなのである。その悟が、世間の信頼を得ている八代を追い詰めていく。

僕だけがいない街』は、世間から白い眼で見られ、不幸な人生を歩む人々に大きく寄り添った作品である。


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