坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。新ブログ「人の言うことを聞くべからず」+を開設しました。古代史、神話中心のブログです。

「正論が通る時代」と共謀罪法案

トピック「共謀罪」について
桝添前都知事が辞任した時、「もう都民税払いたくないですよ」と答える人がいた。
冗談じゃねえ、お前らちゃんと都民税払えよ、と私は思っていた。
桝添氏は問題であっても辞任させるほどではないと私は思っていた。
桝添氏のように、日本には悪者に指定されて、そんなに悪くないのに、あるいは全く無実なのに罪とされ、集団で叩かれる例が多くある。
「失われた20年」と言われた時代は、

護憲派は逃げるな!! - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、この悪人探しが猛威を奮った時代だった。
この悪人探しの勢いが、ここにきてようやく止まってきたようである。そのことを示すのが、豊洲市場移転問題である。
地下水という、本来使用しない水の汚染を問題としたこの騒動は、石原元都知事などに矛先が向いたが、結局石原氏の責任とはならず、豊洲への移転も決定した。
悪人探しは、「悪人」に指定された人を処刑するまで止まらないのが、これまでの流れだった。しかし石原氏は免責された。「正論が通る時代」となったのである。

安倍政権の支持率が下がっている。
もっとも

news.yahoo.co.jp

にみられるように、マスコミのアンケート結果はまちまちだが、支持率が下がっているのは間違いないようである。
支持率が下がっている理由として、共謀罪法案、森友、加計学園があげられている。
このうち森友学園問題は、既に政治問題ではない。現在籠池前理事長に捜査の手が及んでいるが、容疑は詐欺罪等であり、汚職ではない。
ならば加計学園問題はどうかというと、これも違うようである。

gendai.ismedia.jp

安倍政権がこの二つの問題で、証人喚問拒否、文書の存在の否定などを行ってきたのは、都合の悪いものがあるからではなく、そうするのが支持率を上げるのにつながるからだと思う。だから支持率が下がると再調査、文書の存在を認める方向にシフトした。
先に述べた「悪人探し」が今の安倍政権の支持率を下げているのかといえば、そうではないだろう。
むしろ逆で、「悪人探し」が安倍政権の支持率を支えていたのである。「悪人探し」は、人々が「悪人」を必要としているから行われる。だから悪人がいなくなってはむしろ困るのであって、安倍政権は国民が必要とする「悪人」を提供し続けることで政権を維持してきた。人を処刑するまで止まらない「悪人探し」も、時の政権にとっては政権維持の働きをする。
しかしそれが止まり、支持率が下がってきたのは、共謀罪法案の成立によるところも大きいが、安倍政権が「悪人」を演じることで支持率を上げる手法が限界に達したのである。
共謀罪法案が支持率下落の要因なのは確かだが、まだ大きく捉えることができないのは、共謀罪法案が安倍政権の支持率を支えている要因でもあるからである。

テロ等準備罪というが、日本にはオウム事件以降、テロ事件は起こっていない。今後起こる可能性も、日本にイスラム圏の移民がほとんどいない以上まずないといっていい。
だから共謀罪法案は、国民に無実の罪で逮捕される恐れを抱かせることで、国民の自由な活動を制限するのが目的である。
そして日本には、既に日本の衰退さえ望んでいると言っていい層が生まれ初めている。
アメリカに見離される可能性をトランプに突き付けられて、すっかりおとなしくなった右翼、増税に反対して年金が減額されたため、その現実を突き付けられたくないため、年金額が元に戻るのを望まない人々。
彼らは日本が後進国並に衰退すれば、「これは仕方がないんだ」と言えるようになると思い初めている。そういう人々が、自分達の正体を暴く者が現れるのを封じるために、共謀罪法案を指示しているのである。


もっとも安倍首相は優れた寝技師だが、寝技師は寝技師のままで終わる。憲法を改正するのは、安倍首相ではないだろう。

 

と、二年前に

安倍首相が「憲法改正に意欲」を示した意味 (おまけ)謎の共産党投票者達 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたのを、今私は思い出している。

野党は壊滅する - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたのと違い、来年の衆院選で、与党は3分の2を割ると思い初めている。
2020年の憲法改正発議まで、安倍政権は維持する必要があるとこの前まで思っていたが、今は政権維持にこだわっていない。
私は、自衛隊違憲とする裁判を起こす方法を考えている。そうすれば、最高裁の判決が出る前に憲法改正国民投票がなされるだろう。これは個人でもできることである。

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ドラゴンボールを考える④~『神と神』編:強くなるビルス

まずはこのOPから なんかすぐ削除されてしまいそうだけどww 

それでもアニメのOPのままで視聴するのがいいだろう。

 『限界突破×サバイバー』に代わるまで、約1年半『ドラゴンボール超』(以下『DB超』)のOPだった曲である。

 OPは大体据え置きで、EDは1クールごとに変わるという、原作をアニメ化していた時とは大分違うスタイルで、『DB超』は放送されている。

 EDは印象のない曲が多く、ネットでの評判も良くない。 しかし意図して、このようなスタイルをとられているようである。


 『ドラゴンボールGT』(以下『GT』と比較して、『DB超』の曲を批判する声もあった。 確かに曲は『GT』の方がいい。

しかし『GT』はきれいすぎるのである。 

『GT』はすでに完成された『DB』の世界観をそのまま引き継いで、さらに悟空達を活躍させようとした。その結果話が盛り上らず、きれいに話を畳もうとするようになった。 それに合わせて曲もきれいになっていった観がある。

 『DB超』は破壊神ビルス、そして後に全王を世界観の中心に据え、悟空を世界観の中心から外すことで、悟空達は不完全なキャラでいることができるようになり、常に新鮮なストーリー展開ができるようになった。

 『超絶☆ダイナミック』も、くたびれたオッサンがもう一度夢を見よう(なんか俺みたいww)という含みがあって、悪くない。

 『限界突破×サバイバー』も、何か秘密がありそうである。しかしまだ様子を見たいので、この話は後にしよう。

 『ドラゴンボールZ 神と神』 『ドラゴンボールZ 復活のF』を経て、『DB超』はスタートした。

 だから劇場版、TVアニメ、マンガ版の三つを比較した方がいいだろう。

 劇場版の『神と神』は、破壊神ビルスの顔見せの面がある。

 破壊神というと魔王同様に捉えられかねないので、悪人でない破壊神を視聴者に見せる必要があった。

 超サイヤ人ゴッド(以下SSJG)になった悟空は、自分一人でSSJGになれなかったことを悔しがるが、ビルスは「そんなことを言うサイヤ人は珍しいぞ」と言う。 

サイヤ人の人数が少ないので、悟空がサイヤ人の中で珍しい考えをするのかはわからない。

「そのプライドは弱点になるぞ」ともビルスは言う。

ビルスは悟空を、そして『DB』の世界観をも、これまでと違う方向に導こうとしているようである。


 『神と神』の時点で、悟空のキャラが大分変わっている。

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これは約束を守らない者の態度である。 原作の悟空は、こんなことを言わなかった。

 悟空はSSJGの力を八割までしか出していなかった。 

全力で戦おうとする時に、SSJGが時間切れになる。 しかし悟空はSSJGのパワーの大部分を吸収しており、それほどパワーダウンしない。

 TVアニメでは、悟空がSSJGのパワーを完全に吸収したことになっている。

 このように変更されたのは、不自然だからである。 

劇場版では地球を破壊しようとするビルスの攻撃を、一瞬だけSSJGになって跳ね返す。 

悟空がSSJGの力を吸収するだけで奇跡なのに、手続きを飛ばしてSSJGになるなど、奇跡が二度起こっている。この不自然さを解消するためにこのようにしたのだと思う。


 TVアニメでは、ビルスの破壊は無意味だという。

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と言って、星を半分破壊ww

単なる気紛れなのである。

 このビルスが、悟空に感化されて少しずつ変わっていく。 というのが『DB超』の重要な話の流れだが、劇場版ではビルスは七割の力を使っているのに対し、TVアニメでは全然本気じゃなかったという。

 マンガ版では、悟空のSSJGは解けていない。

 ちなみにマンガ版の悟空は、アニメのようなバカキャラなところはない。ただがさつなところが時々指摘されている。

 マンガ版の悟空は、ほぼ原作のキャラをそのまま引き継いでいる。

 SSJGでもビルス相手には力不足だが、徐々にSSJGの力を引き出していって、地球を破壊しようとするビルスの攻撃を跳ね返す。 

ビルスは「面白い」と言って、地球を破壊するのをやめる。 

ビルスの悟空に対する感情は、劇場版は感動であり、TVアニメでは感化されている。

しかしマンガ版は興味にすぎない。悟空の人格がビルスに与える影響がないのである。そしてビルスはやはり、少なくとも劇場版よりは強くなっている。 

これは結構深刻で、TVアニメ版はアホキャラの悟空を強調して、最終的に悟飯が悟空を越えて主役交代をすると思っていたが、マンガ版は原作の悟空に越えられない壁を作り、その壁を悟飯が越えることで主役交代を図ろうとしているようである。

その兆候は『未来トランクス編』まで進んでいる3巻に、既に表れているようである。


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護憲派は逃げるな!!

安倍首相が、2020年に憲法改正を行うと決めた。
内容は、憲法九条の一項と二項を残したまま、第三項として自衛隊を明記するというものである。
私は、この改正案に消極的に賛成である。
この憲法改正で、護憲派は一時的に息を吹き返す可能性がある。
この憲法改正は条文自体が矛盾するのだが、元々自衛隊違憲としながら、70年近く自衛隊を許容してきた護憲派である。鬼の首を取ったようにこの矛盾に目を瞑り、平和憲法は正しいと唱えるかもしれない。
私の望むのは九条の削除、自衛隊の明記であり、それに伴う戦前からの流れ全般の総括である
(参考

日本が憲法を改正しない本当の理由 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」


しかしそれが国民にすぐに受け入れられないならという意味で、九条を残した改憲もありだと思うが、その場合、護憲と改憲の議論は長期的に継続される。

この間、

憲法九条改正は全く不要である - 読む国会

という記事があった。
この記事では憲法九条を理念法とし、

憲法記念日こそ、あえて問い直す。我々国民は、九条の改正に時間と税金を使う政府に対し、十四条や二十五条の誠実な履行を求めていく必要があるのではないか。

 

と述べ、九条改正の必要を全くないものといっている。
九条は理念法ではない。
全文にあるならともかく、条文としてある以上、本来法的拘束力を求められるべきものである。だから「やはり軍隊は必要」という平明な現実論があり、その平明な現実論に「右翼!」と反撃するレッテル貼りの議論が繰り返された長い歴史があるのである。
十四条や二十五条の「誠実な履行」というが、それができていないのも、平和憲法があったからである。
戦後の日本の政治は、経済にしろ何にしろ、多くの政治問題の対立は表面的なもので、潜在的な護憲と改憲の対立が真の対立軸だった。このことは

「この道しかない」の本音は、「憲法を守るにはこの道しかない」 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

などで、私が主張してきたことである。

田中角栄、バブル、そして憲法 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で、バブル経済が護憲と改憲の対立のために生まれたものだと指摘したが、バブル、55年体制崩壊後の「失われた20年」の時代は、悪玉だった自民に変わる悪人探しの時代である。
この時代の悪人は多くは官僚で、そのため日本はデフレ経済に陥った。
改憲を期す自民が政権の座にいないため、国民の悪人探しは90年代後半から2000年代に渡り、存在しない悪人を探して猛威を奮った。悪人探しは永田町、霞ヶ関以外にまで波及し、朝青龍問題や、死刑廃止を巡ってアグネスティ・インターナショナルと徹底的に対立するまでに至ったのである。

戦後の年金制度は、多くを企業年金に依存し、終身雇用制度によって全ての国民が年金を受給できるようにしてきた。
しかし終身雇用制度が崩壊したことで、年金を満足に受け取れない層が生まれた。
この層に満足な年金が行き渡るように制度変更をするには、企業年金に依存しないEU諸国よりも大きな力が必要だった。
その力を完全に削いだのが、護憲と改憲潜在的な対立である。
護憲派は多くが革新でありながら、消費増税に反対し、年金制度維持のための財源作りを阻害してきた。
結局消費増税を進めてきたのは、ほとんどが自民である。
その消費増税も限界に達し、とうとう去年、安倍首相は年金を減額した。
年金が減額された以上、政府支出を増やして景気を拡大しようとしても、国民は収入を貯蓄に回すため、景気は拡大しない。だから今後、ケインズ主義的な政策はほとんど行われない。消費増税ケインズ政策がセットで実施できる環境が整った時のみ、ケインズ政策は実施される。
護憲と改憲の対立は潜在的だからこそ、改憲により対立を解消しない限り無くならない。
そして消費増税は、革新勢力のバックアップ無しに、年金制度を維持できる率に押し上げることはできない。しかし革新勢力は、護憲と改憲の対立を利用して、中間層の利益のみを図り、貧困層を無視した。
改憲をスルーして貧困対策を行うなど、所詮不可能なのである。

読む国会氏の記事は、護憲派の逃げの記事である。
その後読む国会氏は、

国会が無力化した夜 - 読む国会

などで、共謀罪法案を批判したが、私も検証不十分ながら、共謀罪法案を危険なものと思っている。
しかしそれも、

特定秘密保護法、解釈改憲、靖国参拝 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたようなことを、政府と国民が繰り返してきた結果なのである。
国民は改憲を必要としながらも、自分達が改憲に踏み切れないから、政府に横暴であることを求め、自分達は被害者だという体裁をとろうとする。
それを繰り返すうちに、本当に必要な権利まで奪われようとしているのである。

貧困の解消も権利の保全も、護憲派が逃げの議論を繰り返す間はできない。

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日本型ファンタジーの誕生⑩~グロテスクな怪物たち

昔あるブロガーが「虫も子供の頃から慣れ親しんでいれば、大人になっても虫に触れるようになる」と言っていたが、私は違うと思った。

 私は子供の頃に平気で虫に触っていたが、今は全く触れないからである。

 ただ、なぜ子供の頃に触れた虫に、今触れないのか、その時はわからなかった。しかし今は答えられる。


 80年代から、マンガやアニメにグロテスクな怪物が登場するようになってくる。その始まりは、私が思うに『風の谷のナウシカ』である。

 『風の谷のナウシカ』には、蟲と呼ばれる怪物が出てくる。

この蟲は昆虫を大きくしたようでいて、昆虫よりグロテスクである。

 ナウシカは蟲が好きで、ことあるごとに蟲を助けようとする。ナウシカが蟲が好きなことで、読者も蟲に感情移入できる構成に、風の谷のナウシカはなっている。

 しかし構成によっても、蟲への感情移入は個人差があって、私はナウシカを介しても、蟲に感情移入できない方だった。 そこで原作者の宮崎は、蟲に感情移入できるように仕掛けを施していく。

 例えば蟲の王である王蟲は、「個にして全、全にして個」だという。ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワンというわけだ。

 しかし「個にして全、全にして個」の行き着く先は、大海嘯で供に食い合い、供に滅び、腐海の森になることだった。宮崎が蟲に善の要素を付け加えるほど、その善は破滅的なものになっていった。

 私は映画の『ナウシカ』は好きではないが、原作マンガの方は好きなのは、ここに理由がある。

 蟲のグロテスクさは、そのまま人間の心の醜さであり、このグロテスクな怪物を善なるものにしようとしても様にならず、感情移入し同一化しようとすれば、結局同一化した者(この場合は人間)も破滅への道を歩んでしまうのである。だから大団円になった映画の『ナウシカ』は、どうしても不自然に感じてしまう。

 私が蟲に触れないのは、子供の頃に虫に親しまなかったからではなく、虫に人間の醜さを見るからである。

それは子供の頃には感じることはなく、人生経験によって得られるものである。

 そして『風の谷のナウシカ』は、破滅の中に自らの道を見出だした傑作である。

 『風の谷のナウシカ』は、

日本型ファンタジーの誕生④~戦後の平和主義的正義観を変えたガンダム - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

以降のストーリー作品の変化の指標となる作品である。

 『ナウシカ』のようなグロテスクな怪物が登場する作品が表れる一方で、『ドラゴンボール』やRPGのような、キャラクターが無限に成長する作品が登場するようになる。

 人間が急激に、天上知らずに成長するのは、本来の人間の成長のあり方ではなく、消費者の手っ取り早く成長したいという願望が反映されている。

 このように言うと不健康なことのようだが、私はそんなに不健康なことではないと思っている。

 『ナウシカ』以降のグロテスクな怪物の中には、バイオテクノロジーの発展の影響もあって、細胞が急速に増殖して巨大化したり、固体で進化する生物が登場したりする。

 例えばこのような。 このような怪物は、天上知らずに成長するキャラクターの裏の顔である。

 消費者は天上知らずの成長を、人間の成長ではなく、人間以外の生物に進化するものと捉えており、このような怪物も合わせて消費することでバランスをとっていた。

 細胞増殖や固体で進化する怪物は、欠損部が急速に回復する種類の怪物とも親和性がある。 ピッコロのように欠損部がモコモコと動いて回復しようが、『進撃の巨人』のように蒸気を出して回復しようが、そのような回復の仕方をする生物も、人々は怪物だと捉えていた。

 『進撃の巨人』で、エレンの傷の回復する様子を見せないのは、エレンを人間だと認識させるためである。

読者はエレンを人間と思っているから、欠損部の回復を奇跡のように見る。 


また、『進撃の巨人』の逆を行った作品もある。

 『亜人』の永井圭は人体実験で身体の各部を切断され、とどめをさされてまた人体実験をされるという苦痛を何日も味わう。 

また『東京喰種』の金木研は、手足の指を何度も切断させる拷問を受ける。

 両者ともこのような拷問を受けて、精神的に変化する。

 この拷問は、神話学的には通過儀礼なのだが、この拷問の意味は『東京喰種』の方が、その意味を理解する意味では良く表している。

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この拷問は自分が怪物であり、怪物としての自分を受け入れるための通過儀礼なのである。 古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。

弁護士が無能すぐる②

sakamotoakirax.hatenablog.com

の続き。 解答書を書いてから一週間ほど経っても、、及川弁護士から相手方の書類の原本は届かなかった。

 着手金の返金もない。

 (んじゃそろそろか)

 非常に面倒くさかったが、力を振り絞ってメールを書いた。

書類には金額が載せられていませんが、電話でお話し頂いた金額で返金して頂けると思っております。
また書類には「相手方からの書類の原本」を送るとありますが、及川先生が相手方に送った内容証明その他書類も、先生の良心で送って頂けると思っております。
一両日中に、以上のことを実行してください。
なお、内容証明の書類を頂けなかった場合は利敵行為と判断します。

 

すると、一日で相手方からの書類が郵送されてきたww

 その間、弁護士で電話をかけたりしていたが、弁護士というのは、紹介がないと相談を受け付けない。

 しかも、断り方が結構露骨である。

 例えば浜田敏法律事務所に電話した時、 

「どなたかのご紹介でしょうか」 と聞いてくる。

紹介はない、と答えると、 

「うち弁護士2名おるんですけど、一週間ほど予定つまっておりまして、お急ぎでしたら他の弁護士に当たって頂ければ」

 と受付。

「 いやほとんどの弁護士に繋がんないんで、そちらで予定合わせて頂いて構わないですよ」

 と私が答えると、

 「少々お待ち下さい」 と保留になってしばらくして、

 「やはり予定が合わないとのことで、他を当たって下さい」

 ときた。 

「随分いい加減な対応ですね」 と言って、私は電話を切った。


 そういう中でつながったのが、山口紗世子弁護士である。 

(でもこの弁護士も断ってくんだろうな)

 そう思って相談にいくと、案の定断ってきた。

 その断り方が納得いかなかったので、後日電話した。

 「先生の断りは、全然理由になってないんですよ」

 と食ってかかって押し問答。 「他の弁護士を紹介して下さい」と言っても駄目。

最後に、 「弁護士は、個人的に紹介できませんので」 と言って、山口弁護士は電話を切った。 

(かかったな) 

この電話の内容を私は録音していた。たぶん相手は何らかのへまをすると思っていたのでww 

山形県弁護士会に行って抗議すると、懲戒請求ができるとのことだったので、懲戒請求書を書くことにした。


 ここまでが去年の11月のこと。

 懲戒請求書を出したのが今年の1月。すると3月に、「懲戒をしない」旨の解答書が、県弁護士会から届いた。 

「弁護士には紹介の義務も、依頼を受ける義務もないので、弁護士法一条、二条に違反しない」 とのこと。

そこは対した問題じゃないでしょww 大事なのは弁護士が嘘をついたことよ。

 てなわけで、日弁連に異議申し出をして、現在審議中。


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日本型ファンタジーの誕生⑨~『進撃』5.『進撃』に見る「父殺し」

大塚英志はその著『ストーリーメーカー』で、「父殺し」を父との同一化だと主張している。
大塚はジョゼフ・キャンベルの『千の顔を持つ英雄』を論拠にしてそう主張している。
『千の顔を持つ英雄』は、『スター・ウォーズ』にインスピレーションを与えたことで有名な書籍である。しかし私は大塚の言う通りだとは思わない。もしくは説明不足である。ただ今は一応、大塚の意見に従おう。

進撃の巨人』(以下『進撃』にも、「父殺し」がある。
もっとも分かりやすいのが、エレンが父のグリシャを喰って巨人の力を得たことだが、『進撃』の設定では巨人の力の継承=捕食であり、分かりやすすぎる。平凡過ぎるのである。エレンのグリシャ捕食よりは、ヒストリアが父親を徹底的に否定した上で殺したことの方が、よほど「父殺し」らしい行為と言える。

しかし、これだけではないのである。
8巻でウォール・ローゼが突破されたと思われた時、サシャは3m級の巨人に遭遇する。
この巨人は、サシャの父親にそっくりである。

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この巨人には髭がないのだが、口から流れている血が髭のように見える。

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サシャは狩猟民の子で、ウォール・マリアから流れてきた人々を迷惑だと思っている。また農業を嫌い、先祖からの狩猟のみでの生活を続けたいと思っている。
しかしサシャの父は、サシャが他者と関わるのを恐れているのを見抜いていた。
巨人と戦った後、敬語一辺倒だったサシャは、しばしば方言をしゃべるようになる。敬語は、サシャにとって他者との間の壁だった。サシャの他者との壁が解けたのである。

これは父を殺したわけではないが、父と同一化している。

またエレンの「父殺し」も、本当は継承=捕食という単純なものではない。
グリシャの友人のキース・シャーディスはエレンの母のカルラに惚れていたが、カルラはグリシャと結婚した。
エルヴィンとその友人の憲兵団のナイルは、同じ女に惚れていたが、エルヴィンは巨人と戦う道を選び、ナイルはその女と結婚した。
グリシャとエルヴィンは、惚れた女と添い遂げた/添い遂げられなかったという違いがある。
それでも共通しているのは、キースがグリシャに、ナイルがエルヴィンに憧れていたことである。
キースとナイルの憧れの視線により、グリシャを捕食したエレンは、グリシャだけでなく、エルヴィンとも同一化したのである。

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韓国について

韓国が釜山の日本総領事館の前に慰安婦像を設置しようとした時は、日本は外交官を引き揚げたりした。

 政府の態度は、評価できるものだった。

 別に日本のプライドなどと言うつもりはない。 

しかし韓国の行動は国際法違反であり、日韓合意を踏みにじるものだった。 

韓国はいくら謝罪しても日本を許さない。ならば下手に出るよりは強気に出た方がいいと思って政府を評価していた。


 その後韓国がTHAADを配備し、中国との関係が悪化すると、韓国の中にも日本との関係を見直す声が出た。

対馬の観音寺から盗まれた仏像も、「日本に返した方がいいのではないか」というメディアもあった。

 私は、この流れを好ましく思っていた。


 とにかく日本を許さない韓国の精神は、韓国の狂気である。

 しかしこの一時期の風潮を見ると、韓国にもパワーバランスを考える感覚があることがわかる。

 そして釜山の日本総領事館慰安婦像が置かれた時の日本政府の対応は評価できるが、その後の世論は評価できない。

 当時、アメリカのトランプに振り回されていた日本では、韓国と仲良くした方がいいという意見はほとんどなかった。 

日本も韓国と変わらない。韓国相手にケンカをする余裕などはない。 だから最近の右翼はおとなしい。

 しかしだからこそ日本も、韓国と仲良くしたいと言えばいいのである。

 都合が悪くなると沈黙するばかりで、建設的な意見を出さない。それが日本の不健全さである。

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