坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。新ブログ「人の言うことを聞くべからず」+を開設しました。古代史、神話中心のブログです。

保守とは何か~アメリカの奴隷解放宣言から考える

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保守とは何かを考えてみようと思う。
保守の定義として一般的なのは、「伝統、慣習を重視する立場、傾向、思想」とされるが、伝統、慣習が今ほど壊れている時代はない。
伝統、慣習の危機は昔から言われてきたが、今は伝統、慣習に対する尊敬が全くないのである。
保守は人々を説得する言葉を失い、意見を述べる際の理論を多くリベラルから借りている。
しかしそれが一見人権を唱えているように見せながら、その実他人の人権を奪うために人権を振りかざしていることが多いのだから、保守はそのほとんどがペテンに陥っていると言っていい。

ここでひとつ例を挙げよう。学生時代を通じて人をいじめていた者がいるとする。
この人物が『ネヴァー・エンディングストーリー』と『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と『ベスト・キッド』を何の屈託もなく見ていたら、さすがに奇異に思うだろう。「自分が悪役になっていると思わないのか」と思うからである。
しかし、現実にはそういうことはよく起こっていると思う。それだけ人は自分を客観視できない人間だというのが理由のひとつだが、自分をいじめとは無縁と思わせるものがあるのである。それがアイデンティティである。

ここでもう一度、保守の定義を考えてみよう。私の定義は、保守派にとって抵抗のあるものである。
保守とは人間の感情、それもより多く負の感情に根差した傾向であり、そのために本来、ほとんど理論を形成しない。
一方リベラルは、やはり感情に根ざしながらもそれが従来の感情でなく、多数派を形成しにくいためにリベラル自体が理論形成を必要としており、そのため必然的に正の感情のみでリベラルは形成される。
どの国でも、保守は多数派であることが多く、保守政権の歴史が長いが以上のことを考えれば、保守の歴史の長さとは逆に、保守は歴史的に、常にリベラルの敗北者である。
しかしそれ故にリベラルは社会を分断するのに対し、保守は社会を統合するのである。少なくとも社会を統合する機会は、リベラルより多く保守に与えられる。

ここで、アメリカのリンカーンが行った奴隷解放宣言を考えてみよう。
ここではリンカーン共和党の政治家であり、元来奴隷解放論者でなかったという点で保守とする。どこかでも書いたが、個人が保守かリベラルかを厳密に区分けするのは不毛なことである。
そして奴隷解放宣言を見ると、これが我々の知っているものとは随分違うのである。
奴隷解放の摘要範囲は、「これから制圧する南部連合地域」で、既に制圧した地域と連邦に帰属していた奴隷州は摘要除外とされた。
奴隷解放宣言は、南部の労働力を減らし、また戦費を国際的に調達するため、南部を国として認めさせないために布告された。現実的対応の産物である。
しかしその現実的対応が奴隷解放運動を盛んにし、1865年にはアメリカ合衆国憲法第13修正が承認され、奴隷性が廃止されたのである。

リンカーンは、アメリカ大統領の評価ではトップ3に入り、一位になることも多い。
対立した南部でも、リンカーンの評価は高い。
私はここに、南部人の欺瞞を感じている。
南部はしばしば「南部の大義」を唱え、また黒人差別の強い地域である。
しかし「黒人を奴隷に戻せ」というレイシストはいるだろうか?私はアメリカ人ではないので断言はできないが、今までに聞いたことがない。
「南部の大義」とは、リー将軍銅像を建てたり、黒人を差別するのが精々なのである。
南部人がアメリカ連合にアイデンティティを持つことはない。南部人のアイデンティティは、奴隷を解放したアメリカ合衆国にある。
南部人が黒人を奴隷に戻したいと思い、アメリカ連合にアイデンティティを持っていたら、アメリカは常に分裂の危険にさらされているだろう。
そうならないのは、南部人のアイデンティティアメリカ合衆国にあるからで、「南部の大義」などは、「負けた腹いせ」程度のものにすぎない。
歴史は、あまりに強烈に革新的な道を辿ると、もう後へは引き返せなくなる。その後は反動化も差別主義者も、その革新的な時代を自らのアイデンティティにするしかなくなるのである。

南北戦争前史で「ミズーリ協定」や「カンザスネブラスカ法」などというのを、大学受験で習ったのを覚えている人もいるだろう。そしてほとんどの人は、内容はちんぷんかんぷんだったと思う。
「いや、内容を覚えている」という人は偉いが、ここで言いたいのはなぜこのような法律ができたかである。
ミズーリ協定」は新規の州が奴隷州になるのを制限する法律であり、「カンザスネブラスカ法」は「ミズーリ協定」を破棄して、奴隷州になるかはその州の判断に委ねるという内容である。なぜ「ミズーリ協定」は奴隷州を制限しようとしたのだろうか?
南部では農業中心のため奴隷が必要であり、工業中心の北部では奴隷が必要でなかったというのは、南北戦争史の常識である。
その奴隷の必要の有無が、北部の人々の意識を変えたのである。それは戦争前に、連邦制の前提を揺るがせかねないほどのものだった。エマニュエル・トッドアングロ・サクソンの人種主義が進化の可能性を持ち、「1850年以降は、この人種主義がひとつの変容プロセスの中に突入し、普遍主義的価値の発見に辿り着いた」と指摘している。

よく「差別は無くならない」と、不条理が無くならないことで全てのリベラル的な意見を否定しようとする人がいるが、その人は根本的な間違いをしている。
多くの不条理を支えているのは、しばしばリベラルな見解を含めた、多くの「善行」にある。「善行」は、不条理を促進しようとする人々のアイデンティティを形成し、それによって自らを善人と見なし、善人である自分に安堵して、迷いなく不条理を促進しようとする。そしてそのような善行が行われないと、負の感情を持つ人は、そのため迷いが増え、「自分らしく」生きられなくなるのである。


憲法9条は犯罪と差別の根源

日本維新の会の政策には「法の支配」が述べられている。

日本維新の会 (2016-) - Wikipedia

このようなことは、他のどの政党も言っていない。

法の支配、あるいは法治主義は日本において既に前提となっているのだろう。 維新だけがこのように政策に盛り込んでいるのは、日本には法の支配も法治主義もないという認識があるからだろう。

 そして維新の政策の決定には、引退前の橋下徹氏が関与しており、法律家として政策に盛り込んだのだろうとは容易に想像できることである。 

私が橋下氏を法律家と呼び、弁護士を詐欺師と呼ぶのはこういうところにある。日本には法の支配も法治主義もないのである。


 去年の終わりごろから、ツイッターのハイライトのが送られてこなくなった。

 それまでは毎日ハイライトが送られてきて、正直見るのが大変だったのだが、ハイライトも世情を知る上で必要だと思ってハイライトの通知を非表示にはしなかった。

 ハイライトが送られてこなくなった原因はよくわからないが、何となく、大勢の人がハイライトの通知を非表示にしているのではないかと思っていた。私も見たくないツイートは一杯あったから。

 ハイライトが送られてこない時期は、一ヶ月から二ヶ月くらいあったと思う。

 その後「人気ツイート」として、フォローしているアカウントのツイートにハイライトのようなツイートが混ざって通知されるようになった。

ややこしいのでこれも「ハイライト」と呼ぶが、その通知も何日かごとに送られてこない時があった。

 やがて「ハイライト」には、希望の党玉木雄一郎代表のツイートが入るようになった。 

玉木代表のツイートが「ハイライト」に入る頻度は次第に多くなっていった。 

それと共にひとつの顕著な特徴が表れた。玉木代表のツイートが「ハイライト」に載るのと、「ハイライト」の通知が送られてこなくなる日が連動するようになっていった。


 一方、世間では森友問題が再び話題になってきた。 

財務省の忖度が明らかになってきて、安倍政権の支持率が低下してきた。

 しかし私には安倍政権の支持率がそんなに低下しているようには見えなかった。去年の中頃には26%まで下がることもあったが、今回の下がり方は微妙で、安倍政権を支えたいという意思が強く働いているような下がり方だった。

 実際、右翼は安倍政権を擁護していた。

 

何の人権だろうか? 名誉棄損の法理論では、昭恵夫人は公人であり、社会的な批判にさらされ得る人物である。 

もうひとつ、森友問題とは別なツイートを紹介しよう。

 

山尾氏は公人だが、不倫はプライベートである。 

このツイートの目的は、人の言論の自由を奪うことにある。 

右翼もよくリベラルの理論を使った批判をするようになったが、リベラルとの決定的な違いは、右翼は人の人権を奪うために人権を振りかざす。

 人権は奪えないものだということを根本的に理解しないのが右翼である。

はあちゅう氏の事件でもそのことは明るみになった。右翼に限らず、人権を奪うために人権を振りかざす人々が現れている。

森友問題では首相夫妻の関与の証拠が見つからず、安倍政権の支持率は40%台に戻った。

 そして森友問題で、財務省森友学園が口裏合わせをしていたことが明らかになった。

toyokeizai.net

注意しなければならないのは、口裏合わせをしたのは財務省森友学園で、安倍首相の関係の可能性は濃厚だが証拠はまだないということだ。

 「疑わしきは罰せず」の論理に従えば、安倍夫妻は未だに有罪ではない。 

しかし「疑わしきは罰せず」は裁判の論理であり、裁判以外の論理ではない。日本のあらゆる言論では、しばしば「疑わしきは罰せず」の論理が裁判以外で摘要されている。 

安倍首相の政権運営、そして信用の面で、安倍政権は既に終わっている。

しかし安倍政権を支持しようという人々が、未だに安倍政権を支えている 右翼の真意は、二人の自殺者を出した森友問題の関係者を追求せず、全て無罪にすることである。

そして消費税を増税できない、憲法を改正できない停滞した政権を右翼は求めている。

「正論が通る時代」と共謀罪法案 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

というのを去年私は書いたが、「正論が通る」ようになった結果、我々は悪を追求する力を失ったのである。

これが最近のリベラルの停滞にも繋がっている。やがて児童虐待を受けている子供やいじめで自殺をしようとしている子供まで救わなくなるのではないかと私は危惧している。

 そして、ツイッターではまた何日か、「ハイライト」がこなくなった。 

今度は「ハイライト」は、フォローしているアカウントのツイートの通知に混ざってくるようになった。

 この「ハイライト」の顕著な特徴は、玉木代表はもちろん、右翼勢のツイートもほぼ一層されていることである。

 右翼勢のリツイートがなくなったのではない。右翼勢のリツイートはしばしば2000件、ツイートによっては5000件以上ある。5000件以上のリツイートを叩けるのは、今の日本では右翼勢くらいのものである。 

そのリツイートが空回りしている。「ハイライト」のツイートには100件程度のリツイートしかないものが多い。ツイッターの利用者はフォローのツイートに目もくれず、自分で見たいツイートを探しているのである。 

このフォローとフォロワーの繋がりによるツイッターの拡散形式の崩れ、右翼離れは、まだ新しい流れを生み出すには至らないが、今後次第に形になってくると思う。 


希望の党企業献金の受け取りを批判されてから護憲に転向した。 

民進党も批判が強まってくると、共産党と連携して護憲色を強めた。 

日弁連も体質が批判されるほどに、集団的自衛権違憲とする見解に走った。 


憲法9条は犯罪の温床であり、差別の源泉である。

 9条が軍隊を禁止しているのに、自衛隊がある。憲法が字義通りに解釈されていないことで、日本は犯罪、不公正を容認していけるのである。

 「右翼は関係ないじゃないか」と思う人は、右翼を改憲派と見誤っている。 

彼らは潜在的な自主憲法派であり、安倍首相の9条一項二項を削除しない改憲案は、護憲派より自主憲法派の取り込みになっている。自主憲法派は9条による「悪事」をリセットし、無罪にするために存在、機能しているのである。 


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「戦争と平和を考えるマンガ」

拡散希望をしなかったのにこんなことを言うのは気が引けるのだが、

弁護士が無能すぐるww④ - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

にブクマのひとつもないのはおかしくないか?

原爆でない長崎を舞台に~西炯子『姉の結婚』 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で「この国の徴税はざるです」と山形県弁護士会が言っているのに何も思わないのか??

 この国を一体どこの後進国だと思っているのか?!

改めて、

弁護士が無能すぐるww④ - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

原爆でない長崎を舞台に~西炯子『姉の結婚』 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

の拡散を希望します。 拡散をしない人は、もうこのブログにはこないでしょう。

 ブクマだけでダメとは言いませんが、ブコメも希望します。 怒りの感情くらいあるでしょう。ひとつや二つでなく、数十、数百のブコメが頂けると思っています。


 かつて「東洋の小さな島国」という言葉が、よく言われていた。

あるいは80年代限定のことかもしれないが、確かめる術がない。

 しかしよく考えればそれはおかしいのである。

 日本の国土面積は、ヨーロッパの国々より大きい。アジアでも中南米でもアフリカでも、日本より大きい国はそうそうない。

 人口でも1奥2千万以上の人口を持つ国はアメリカ、中国、インド、ロシア(当時はソ連)などごくわずかである。 

経済で言えば、日本はまだ中国に抜かれていない世界第二位の経済大国である。 

「東洋の小さな島国」というのは、島国と大陸の比較、またはアメリカなどとの比較でしかなかった錯覚であり、日本は「東洋の小さな島国」と言う必要はどこにも無かったのである。


 当時の日本はことさらに自分達を小さく思おうとした。 それは他の国への見方に表れている。

中国には4千年の歴史があり、シルクロードにはロマンがあり、アフリカや中南米には自然との共生があるといった具合に、日本人は世界のどの国も憧れの対象として見ていた。

 今は違う。中国は中華思想と4千年間同じ歴史を繰り返した国であり、シルクロードはしばしば紛争の巷であり、アメリカは貧富の格差が激しい国で、しばしばキリスト教原理主義に走るといったように、我々の世界の見方は変化した。 

80年代は、世界に対し自らを下げていたが、それはキャッチアップににてそれとは違い、自分達を「まだまだ」としながら、成長や努力を望まない姿勢だった。 

しかし成長、努力を拒否したその社会は、今より安定感が高かった。今は多分に偏見を含みながらも客観化されているが、その分社会には不安定間がある。 


日本は世界を客観視するようになった一番のきっかけは、9.11テロだろう。 

9.11テロの後、テロに対抗したアメリカが難癖をつけてイラク戦争を始め、テロの時代が到来した。 

この時期、多くの日本人は一神教というものを知った。一神教は他の宗教に対して狭隘で、しばしば殺し合いで問題を解決しようとする。

そして「一神教より多神教」というフレーズが流行し、「一神教より多神教」を評価する多くの本が出版された。 その先頭を切ったのは塩野七生の『ローマ人の物語』だった。他の作品は多くは新書で出版された。

2000年代の新書ブームはこうして起こった。

 2000年代は非常に知的好奇心の高い時代だった。その知的好奇心はテロの時代の到来による、多神教一神教への優越感がもたらしたものだった。 


これが2000年代前半の空気だったが、後半には雰囲気が変わってくる。

 それがドストエフスキーブームの到来である。ドストエフスキーは近代の小説家でもキリスト教者として、近代化に警鐘を発し、キリスト教への回帰を啓発した小説家だった。

 『ダヴィンチコード』の流行も相まって、キリスト教、仏教などの宗教ブームが起こった。

一神教は教義を守ることを求める創唱宗教が多く、多神教は教義の無い自然宗教が多い。

日本人は「一神教より多神教」と優越感を感じたことにより、一神教的な教義への関心を持つことができたのである。この流れは安倍政権成立まで続く。


 一方、日本の文化にもうひとつの嗜好が生まれた。

 2005年に『ヴィンランド・サガ』、2006年に『ヨルムンガンド』、『キングダム』 の連載が開始された。

 この三作には共通点がある。 『ヴィンランド・サガ』のドルフィンは、父の敵のアシェラッドの元で戦争をする。 

ヨルムンガンド』のヨナは、孤児仲間を殺した武器を嫌いながらも、武器商人のココ・ヘクマティアルの元で私兵として戦う。

 『キングダム』の信は、やはり孤児仲間の漂を自分の身代わりにした政(後の始皇帝)の元で戦う。

 三作とも、主人公の憎むべき対象に主人公が寄り添い、その憎むべき対象は戦争に繋がっている。

 これらの作品は戦争を憎む主人公が日本であり、戦争を憎みながら戦争に参加していき、平和とは何かを模索していく構図となっている。

 私はこれらの作品を「戦争と平和を考えるマンガ」と位置付けた。

 「戦争と平和を考えるマンガ」は、平和主義が生み出した唯一の成果である。

平和主義に他の成果などひとつもない。 そして「戦争と平和を考えるマンガ」は、2000年代の「一神教より多神教」という優越感があって、日本人が平和を求めながらも戦争、軍事力の必要性を認めなければならないと考え、自分の心の奥を探るようにして生み出されたのである。


 今後、「戦争と平和を考えるマンガ」についてシリーズで書いていくが、他に書くことも多いので、半年ごとの更新となるだろう。


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韓国はなぜ反日なのか?

韓国と日本の関係は改善しそうにない。 

かつては日本の謝罪が足りないように思われていたが、アジアの他の国々は「謝罪はもう充分」と言い、謝罪の不充分さが原因でないことははっきりした。 

韓国のおかしさは、その論理的飛躍にある。 

かつて「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」なるものが、韓国で制定されたが、この法律は植民地時代に日本に協力した者の子孫の財産を没収するもので、遡及立法禁止の原則に反している。 

法をねじ曲げても反日でなければならないのが韓国の狂気で、日韓合意の後でも慰安婦問題を蒸し返してくるところにも表れている。

韓国は反日のためならどんな理屈も踏みにじり、反日を繰り返すのである。 


韓国の反日は、もはや韓国のアイデンティティと言っていい。 

逆に言えば、反日でない韓国は韓国でないとさえ言える。 

なぜ韓国はそれほどに反日なのか? 

私は韓国について詳しいとは言えないが、できるだけこのことを考えてみよう。 

韓国はよく、「この発明は韓国が起源」などと言っているという。 

ネットを見ると信憑性のあるものは少ないが、韓国が自国を誉めちぎっているのは事実らしい。 

本当にそうか?分断国家なのに!? 

韓国は、今や地球上ただひとつの分断国家である。

 ドイツとオーストリアのように、同一の民族で国が違う例はあるが、それは互いに別の国としての歴史を歩んできて、互いの国に対し敬意を持っている。だから統一を求めなくても民族のアイデンティティに支障はない。 

台湾はその根底に中国とは別の国だという意識を持っている。だからアイデンティティの形成に問題がない。

 韓国だけは不本意に国が分断され、しかも統一できないでいる。 いや統一できないのではなく、統一したくないのである。

 北朝鮮とひとつの国になれば、それがどれだけの経済的負担になるかわかっているから、若い世代になるほど南北統一に否定的になっている。

 かつて太陽政策として、韓国は北朝鮮に多額の経済援助を行ったが、結果は北朝鮮を核保有国にして終わった。

 戦争で南北統一はもうできない。南北統一するには北朝鮮の自壊を待つしかない。 

北朝鮮の自壊にどれだけ時間がかかり、統一後にどれだけ経済負担がかかろうと、北朝鮮を統一の対象と見なし、韓国人が必ず南北を統一する決意をもたない限り、韓国人は国民国家としてのアイデンティティを持てない。

そして韓国はアイデンティティを確立しない代償として、日本をスケープゴートにし続ける。


 以上のことを韓国に向けて言うのは政治干渉で、好ましいことではない。 

だから韓国の反日行動のカウンターとしてのみ、以上のことを韓国人に対して言える。 以上は推測だが、この推測が間違っていると証明されない限り、推測で言ってかまわない。


 と盛り上げたところで、話は尻すぼみになるwww。 

それはもちろん北朝鮮がアメリカと朝鮮半島の非核化の交渉を始めたからで、この交渉を韓国が仲介したのは、トランプ大統領が韓国から発表させたのをみても明らかである。

 朝鮮半島の非核化は魅力的だし、この時期に韓国ともめて非核化交渉を頓挫させるのは得策ではない。

 ましてやトランプ大統領を敵に回すようなことは避けねばならない。

 オバマ元大統領にすら、歴史解釈としてはやや乱暴な日韓合意を飲まされたのに、この見解を「何の根拠もない過った言説」などと言わせることになってもつまらない。 

諸君、しばし自重しよう。 


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原爆でない長崎を舞台に~西炯子『姉の結婚』

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冒頭で坂のある風景が描かれている時点で気付くべきだったのかもしれないが、『姉の結婚』の舞台である中崎市とは長崎市のことである。それは作中に大浦天主堂や平和記念像、軍艦島が登場することでも明らかである。

 『娚の一生』でも、角島という架空の街を舞台にしているがこれも鹿児島市のことで、作者の西炯子は九州の実在の街を架空の街にして作品を描いている。


 思えば、ヒロシマナガサキは原爆以外のテーマで舞台になることがない。ヒロシマナガサキを原爆以外のテーマで扱うことを、我々日本人が不謹慎だと思っているのである。

 ヒロシマナガサキが原爆以外で舞台にならないのは、我々被爆者でない日本人が、被爆者である広島、長崎市民に負い目を感じているからである。

 もちろん広島、長崎にも、原爆と関わりのない日常があり、広島、長崎市民はそれをテーマにして欲しいという想いは持っているだろう。 しかし我々被爆者でない日本人が、原爆以外でヒロシマナガサキを扱うのを許さないのである。

 この日本人の意識は、既に加害レベルに達しているのではないかと私は恐れているのだが、この問題が被爆者でない者が被爆者に及ばないという想いから生まれている以上、基本的に解決のしようがないものである。 

我々が被爆者に及ばないと思うのは、ヒロシマナガサキ被爆者達が、死と隣合わせという超現実を生きてきたからである。 『夕凪の街』のラストに見るように、彼ら被爆者にとって死は日常なのである。 

よく広島、長崎の核廃絶運動を批判する者がいる。彼らは非現実的だと。 

私も本音では、そう思っている。しかし広島、長崎を名指しで批判する気にはとてもなれない。彼らは死と隣合わせという超現実を生きてきたのである。

 そしてそのことを日本人が知っており、日本人がその超現実を背負って生きた者に及ばないと思うから、ヒロシマナガサキは原爆がテーマでなければならないと思い、他のテーマで扱うのを不謹慎と思う。 解決の方法は、我々被爆者ならぬ者が被爆者になるしかないだろう。

そして我々がそう思っている限り、広島、長崎は原爆をテーマとしてのみ描かれ続けるのである。


 西炯子は、この問題をさりげなく解決してみせた。 つまり長崎を架空の街にすることである。

 西の奥ゆかしいのは、長崎だけでなく、九州の他の街も架空の街にしたことである。私は『娚の一生』と『姉の結婚』しか読んでいないが、この二作を見る限り、他の作品も同じ措置を取っているのだろう。

 それは長崎を特別扱いしたのではないという配慮である。

 今では原爆症というものが被爆者にとってどれほどの脅威なのか、私にはわからないが、脅威の減少が即原爆をテーマにしないことに繋がっては差別になりかねない。 架空の街にすることで、原爆症への怖れを抱きながらも原爆でない長崎を見て欲しいという想いを充たすことが可能になる 。

この作品もまた、「主人公でない者を主人公にする」という作家の使命感に基づく作品である。 


山形県弁護士会は、諸橋哲郎弁護士を懲戒しない決定書を送ってきた。

 「対象弁護士は、懲戒請求者の見解に対して法律専門家としての見解を述べたものであって、その内容についても特に問題となるものはない」

へ~、税務署の税金の徴収がざるだって見解が特に問題ないのねwww 

私が税務署に話を通せないならば、国税通則法74条の2は誰の話が通るようになっているのか? 

こんな三才児でも騙されない嘘で人を騙せると本気で信じているのは、日本では弁護士だけである。この点弁護士はあらゆる詐欺師の中でもとりわけ低能である。

 そして諸橋の見解は即ち山形県弁護士会の唯一の見解である。 税務署に話して調査してもらえるかで見解が二つも三つもあったりするはずがない。

弁護士会が別の見解が並立する理由を明快に説明しない限り(明快は重要ねww)「税の徴収はざる」が山形県弁護士会の見解である。

 こんなふざけたことを許すわけにはいかないので、近々日弁連に異議を申し出るつもりである。

日弁連もただの犯罪組織だから懲戒しないけどね。


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右翼はロリコン

リベラルにとって、ロリコンは根本的に個人の問題であり、他人に迷惑をかけない限り問題にならない。
保守にとっては違う。
もちろん現代では、保守が個人のロリコンを批判するのは許されない。しかしロリコン度は日本の成人男子の不健全性を示すバロメーターであり、社会のロリコン化を批判するのは許されることでありまた必要なことなのだ。
確かメロンダウトさんだったか、保守は理論を提示できなくて、リベラルの理論を使って保守の意見を論じるしかないと言ってたような気がするけど(よく覚えていないww)、事実その通りだと思う。
しかし社会のロリコン化批判こそ、保守が純粋に保守の立場から意見できる領域ではないか?
なお、リベラルな言動をする人が社会のロリコン化を批判するのは全く問題ない。
保守とリベラルは概念としては峻別できるが、個人レベルでは峻別できない。
保守な意見が多いか、リベラルな意見が多いかの大別でしかないのである。リベラルな言動をする人が社会のロリコン化を批判する時、それはその人の中にある「保守」が言っているのである。

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さて、この画像は皆さんご存知の、『ドラゴンボール超』に登場したキャラである。
なぜこの画像を載せたかといえば、大のお気になのである。
このキャラの名前がブリアンデ・シャトーなのかリブリアンなのかブリブリアンなのか未だにわからないのだがwwwお気にの理由はこのキャラが魔法少女美少女戦士キャラだから、ではない。その真逆のアンチ美少女戦士キャラだからである。変身後にみんなが「戻して~」と連呼する様を見るのは非常に楽しかったwww。
マンガ、アニメなどのサブカルで、これまでの無限に堕落するような傾向を暗に批判する動きが出ており、このキャラもその一例である。
作家の多くはこの傾向に敏感であり、ビジネス界を除けば、日本で最先端を走っている。
しかし日本男児の精神の健全化を図るべき右派は、この傾向に超鈍感である。
それどころか最近では声が小さくなったが、「日本のアニメが世界を席巻している」などと言って一時期は大騒ぎしていた。
結局ほとんど誤解だったのだが、仮に相当の妥当性があったとしても、美少女戦士だのロリコンだのを批判せずに全面礼賛!?
コイツらロリコンだよwww
そんな右翼が女性天皇反対だの女性宮家反対だの夫婦別姓反対だのと言っても、それ男としての自信のなさの裏返しじゃない?と思ってしまう。

私は知識に乏しいが一応男女同権派で、ロリコン批判も男の優越を主張するためのものではない。
男と女の優越を論じろと言われれば、それはどちらとも言えない。わかっているのは、何の規制も設けずに競走させれば自然と男が勝つということだ
しかしそれが合理的で、豊かな社会だとは思っていない。エマニュエル・トッドは女性の地位が高い国の文化的優越を主張している。
私がロリコンを批判するのは、男の優越を主張するためではなく、男女同権のためである。今の男女同権批判は、男の余裕のなさによるところが大きい。

kutabirehateko.hateblo.jp

男のレベル低www。
悪平等は差別と変わらんぜ。
そりゃこんな男が自信のなさの裏返しの行動ばかりとってたら社会はロリコン化するわ。

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ドラゴンボールを考える⑦~「未来トランクス編」1:「未来トランクス編」は「魔人ブウ編」のリベンジマッチ!?

あ、悟飯脱落しちゃった( ̄▽ ̄;)、

ドラゴンボールを考える⑤~『宇宙サバイバル編』の予想と『復活のF』 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

での予想は外れた。ディスポを倒したのは当たったけど 道連れだし、フリーザとの共闘だし。 

まあフリーザは地球のドラゴンボールじゃ復活できなくて地獄に逆戻りってオチだと思うけどね(⌒‐⌒) 


さて、次回のアニメを見てからにしたかったが、事情があって『ドラゴンボールを考える』を更新しよう。

今回は「未来トランクス編」。

 「未来トランクス編」を見てて思うのは、やたらと「魔人ブウ編」に似ていることである。 

ブウが一瞬で全細胞を消滅させない限り死なないという設定は、ザマスの不死身に限りなく似ているし、途中で悟空とベジータポタラ合体によるベジットが活躍するところ、通常の気功波と気弾でなく、気を剣状にしたり召喚獣のような形状にするのも、最後は元気玉のような気を剣状にしてザマスを倒すのも、「魔人ブウ編」に似ている。

  原作の「魔人ブウ編」がうざいのはwww実力ではブウを超えるキャラが多数登場するのに、全細胞を一瞬で消滅させなければならないという設定のため、ストーリーがなかなか終わらないところである。正直話をちゃんと覚えていない。

 しかも魔人ブウがギャグキャラなため話が締まらない。

最初に登場したブウが最後の敵でないというパターンは「人造人間編」と同じだが、「人造人間編」のラスボスのセルは何がしたいのかは今一わからないが存在感はあった。 

魔人ブウ編」の最後に登場する、人語を解さない凶暴なブウには存在感は確かにあった。だがそれも魔人ブウなのである。ギャグキャラの要素を引きずっており、読者が別物と認識する力がその分削がれている。

 「未来トランクス編」のゴクウブラックとザマスも、同じザマスだという点では「魔人ブウ編」と同じである。

しかし「未来トランクス編」はシリアスにストーリーを展開するので、「魔人ブウ編」のように緊張感に欠けるところがない。

ナルシストなブラックもギャグとしてよりも、ザマスの内面の醜さの強調と受け取れる。 

そしてこの場面。

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合体ザマスの半分が悟空の肉体のため不死身にならず、身体の半分が溶けている。

 この後ザマスが訳のわからない弁解をするところは見物で、悪としての醜さを描き尽くすのに成功している。

 鳥山が、「未来トランクス編」を「魔人ブウ編」と同じプロットにした理由も何となくわかる。 

魔人ブウ編」の仕上がりに鳥山は不満だったのだろう。もっとも当時の少年マンガのように無理矢理描かせればだれるのは当然だが、プライドが低いようで高いのが鳥山である。

「未来トランクス編」は「魔人ブウ編」のリベンジマッチの要素があるのは間違いない。

 しかしそれだけではない。 

ザマスにとどめを刺すのが悟空でなくトランクスであること、それを元気玉のような技でしたことは、「未来トランクス編」の主人公はトランクスだということ、正確にはトランクスが主人公であるべきだったストーリーだということである。


 さて、今回この記事を更新した理由である。

 

 

超サイヤ人5

>しかし『DB超』は悟空を世界観の中心から外すことで、ベジータを悟空のすぐ後の行くライバルにすることに成功した。

漫画版の超はそうでもない感じですけどね
漫画版の方はベジータがどれほど努力しても悟空の天才ぶりにはかなわない、といった感じで、
いくら強くなっても戦闘の土壇場で悟空に追い抜かされる、といった構図になっています
アニメはともかく漫画の方はベジータが秀才型、悟空が天才型といったコンセプトの扱いを受けているようです

 

 

ドラゴンボールを考える②~悟空はギニューに10倍界王拳を使っていない - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

にコメントを頂いたので、それについてのコメントを書くためである。 

私の考えは少し違う。 もっとも私はコミックスしか読んでおらず、連載を見ていない上での判断である。

 未来から現代に来たトランクスが、ブラックの強さを計るために悟空と手合わせするが、

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ウイスに言われている。

 悟空はSSJ3になるが、トランクスはSSJ2のままで悟空のSSJ3と同等のパワーを発揮。

慌てた悟空が一瞬SSJGになってトランクスに勝つ。

 そして未来に行くと、ベジータがSSJ2でブラックと戦い、ブラックを圧倒する。

 えっ、これってSSJ2では強さはベジータ>ブラック>トランクス≧悟空ってことじゃね!? 

鳥山は、原作で「ベジータ以上の天才」になった悟空を、『DB超』のマンガ版で元の「基本戦闘力はベジータが上」に戻したのである。 

トランクスが悟空よりやや強いのは、トランクスが上級戦士のベジータの息子だからだろう。

 ただそれだけではない。 

「人造人間編」では、トランクスは気の毒だがお客さんになりすぎていたのである。その点が若干修正されている。

 基本戦闘力はベジータが上。しかし主人公が悟空なのは、悟空が「器用」だからである。

 コミックス4巻では、悟空は合体ザマス相手に、SSJBの溢れ出る気を体内に閉じ込め、SSJBのパワーを100%引き出して互角に戦っている。

 アニメ版では悟空の代わりにトランクスが魔封波を使い、御札を忘れてザマスの封印に失敗するが、マンガ版では悟空がキャバクラの割引券を御札と間違えるというオチで失敗している。

 アニメ版とほぼ同じ展開の場合、そこに特別に意味があることがある。

ミックス4巻のおまけページの絵。

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魔封波失敗の後、「やっぱりこういう技はオラ向いてねえ」と悟空は言うが、ビンなら確実に封印できたのである。

 悟空は「がさつ」とか「おおざっぱ」とか言われているが、ベジータがなれないSSJ3になれる悟空は、実はとっても器用なのである。

 悟空は「サイヤ人クリリン」、これが鳥山の出した答えである。 

そうやってベジータを越えられるところが天才といえばそうかもしれないけど、1つ確かなのは、「基本戦闘力はベジータが上」ということである。 古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。