坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。新ブログ「人の言うことを聞くべからず」+を開設しました。古代史、神話中心のブログです。

日本の不条理が司法に集中している

カルロス・ゴーン氏は、保釈された後すぐに再逮捕された。
保釈というのは、勾留により社会的復帰が阻害されることのないように行われ、また証拠隠滅などを行わないように心理的圧力をかけるために保釈金も取る。
4月の再逮捕は、オマーンのスマイル・バハワンとの不正な取引によるものである。

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私の見る限り、ゴーン氏は黒である。
しかし、この再逮捕には納得がいかなかった。
一応、再逮捕と同じか確認できていないが、保釈の取り消しというのはある。証拠隠滅の可能性がある場合などである。
しかしゴーン氏の保釈の日が確認できていないのだが、再逮捕までの日数は確か数日のはずである。それでは保釈を決定する日までに、検察がオマーンでの不正取引の証拠を掴んでいなかったのか?
掴んでいなかったのなら、再逮捕は一応妥当である。ただしどのような捜査を行ったのかという問題が生じる可能性はある。また再逮捕するにあたり、検察はゴーン氏の勾留によって、オマーンでの不正取引に気づかなかったことをしっかり説明すべきである。
私は、オマーンの不正取引の証拠を握った上でゴーン氏をわざと保釈し、再逮捕したのではないかと疑っている。もしそうなら、問題はなぜそのようなことをしたかである。

次は、はてなでも有名な岡口基一 (id:okaguchik)氏。

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「しかも、東京高裁が提出した「懲戒申立書」は、私が「もとの飼い主を傷つけるツイートをしたこと」を懲戒理由として設定していました。それなのに、決定の結論は、そうではなく、「裁判を起こしたこと自体を非難していると一般人に受けとめられるようなツイートしたこと」を戒告理由としているのです。」
これだけを見ると、裁判官が深く考えずに理由をつけてしまったから理由を変えたように見えるがそうではない。
「裁判を起こしたこと自体を非難していると一般人に受けとめられるようなツイートしたこと」というが、そのような受け止められるツイートではない。
理由は何でもいいのである。真の目的は、故意に冤罪をでっち上げることにあるからである。

日本では、冤罪事件がよくある。

セクハラ発言の内容を語らない者達 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、福田事務次官のセクハラ問題は冤罪である。
この後、目立った冤罪事件は起こっていない。
しかし一方で起こっているのは、実際に罪のあるものへの厳しい精細である。
登戸で起こった、小学生を狙った殺人事件は、次に起こった元農水次官が息子を殺傷した事件の反応に強い影響を与えた。登戸事件の犯人は不就労者であったため、殺された引きこもりの息子よりも、殺した父親、元農水次官の方に同情が集まった。登戸事件の犯人が幼い子供を殺したのも、引きこもりへの反感に拍車をかけた。
ここに、日本人の精神の根源を見ることができる。
農水次官の息子は登戸事件を見て「(子供を)殺してやろうか」と言ったそうだが、これでは殺人未遂にも該当しない。
日本人は、本当は加害者の味方である。だから本気で子供を殺す気があったとも思えない殺された息子をさも殺人未遂者のように仕立て、殺した父親を英雄扱いする。
そして冤罪でなく、本当に罪がある者への厳しさも、日本人が冤罪を求める精神と共通している。冤罪を称揚するから、本当に罪ある者に厳しく当たることで、自分を善人だと思おうとするのである。日本人に死刑存置論者が多いのも同じ理由である。
カルロス・ゴーン氏の再逮捕も、罪ある者への厳しい対応の一環だと思っている。「新たな容疑が浮上したから」と理由をつけて罪ある者をなぶり、世間も「それならば仕方ない」と納得する。
岡口氏の場合は、加害者が非難された時にしばしば取る対応である。つまり批判された時に、より乱暴に返してやるのである。話が首尾一貫しないというより、わざと話を首尾一貫させない、わざと首尾一貫していないのを強調するのである。
そこには、「俺は権威を見せた。従え」という心理がある。論理の支離滅裂さが権威なのである。この論理の支離滅裂さは、

日本が憲法を改正しない本当の理由 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように戦前は「非国民」、戦後は「右翼」という言葉に代表される、完全に非論理的に相手を「論破」する言葉が変形した者である。ただしこれらの言葉は、国民的な合意によって権威付けされていた。そしてこれらの言葉が体制の硬直化を招いた。
体制を破壊する力もまた、これらの言葉を使って生まれた。かつての石原慎太郎氏や、「橋下現象」などがそうである。
しかしこれらの言葉は、本来「壁の中」で使われるものだった。それは

「橋下現象」の正体 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べた通りである。付言すれば、不勉強ながらも「非国民」という言葉が戦前に公的に使われた可能性は高いと思うが、そのでも「『資源がない』と言うのは非国民である」などという公的な発言はないだろう。
石原慎太郎氏の問題発言や「橋下現象」の精神は特に右翼に流れ、ネットでも過激な発言が繰り広げられている。また右翼でなくとも、論理で追い詰められた者が「自分の意見が正しいのは完全に証明した」などと全く証明せずに主張するのも、「俺は権威を見せた。従え」である。その心理の裏には、強い罪の意識がある。
この傾向が右翼だけでなく、国民全体の傾向になってきたのが去年の日大であり、山口真帆事件でのAKSである。これらは全般に叩かれ、日大もAKSも衰退の傾向にある。もっとも山口真帆事件は、世間の反応に比べて、はてな界隈では話題にしなさすぎたと思っている。
しかし、「俺は権威を見せた。従え」で対応して、全般に叩かれることの少ないのが司法である。カルロス・ゴーンの件は警察、検察の問題だが、「司法に近い」という意味で取り上げさせてもらった。
岡口氏の件は世間で取り沙汰されたが、それで司法の問題が次々と取り上げられるという具合になっていない。
現在、司法は次々と問題のある判決を下している。

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判決で、鵜飼祐充裁判長は、性交はあったこと、娘からの同意はなかったことは認め、さらに「被告が長年にわたる性的虐待などで、被害者を精神的な支配下に置いていたといえる」ということも認めた。しかし、「抗拒不能の状態にまで至っていたと判断するには、なお合理的な疑いが残る」として、無罪を言い渡した。実の父親が、同意のない未成年の娘に対し、恐怖心から精神的支配下に置いたうえで性交をしたことまで認めているのに、「抗拒不能であったかどうかわからない」という理由での無罪判決である。

 

たとえば、加害者はいつもきまって「相手も同意していた」という言い訳をする。これは、先述のように、同意というのは心理的なもので、目に見えないものであることを悪用している場合もあれば、性犯罪者特有の「認知のゆがみ」による場合もある。「認知のゆがみ」とは、偏った受け止め方をするということで、相手の意図や心理を自分の都合のよいように曲解する「考え方の癖」のようなものだ。女性が明確な抵抗や拒否を示さなかったことで、「相手も同意していた」と受け取るのは、その典型的なものである。

 

他にも、
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刑務所では模範囚だった。刑期満了を待たずに仮出所できるように、職員が反省文を書くように勧めたが、アヤ子さんは「やっていないから」と言って応じなかった。そのために仮釈放はされず、満期出所した後の1995年4月に最初の再審請求を行った。鹿児島地裁は再審開始決定を出したが、検察の異議申立を受けた福岡高裁宮崎支部が取り消した。今回の第3次請求は2015年7月に起こされ、17年6月に鹿児島地裁が、18年3月に福岡高裁宮崎支部が再審開始決定を出した。すでに3つの裁判体で再審開始決定を出している事件だ。

 

事情を知った城教授は、再度鑑定資料を検討し、他殺の判断を撤回。「頸椎前面の組織間出血」の原因は、首の「過伸展(むち打ち症などのような力が加わること)」などによるものと修正し、この出血のほかは頚部圧迫の痕跡はなかったことを明らかにした。そして、側溝に転落した状況によっては、このような出血を伴う頸椎や頸髄損傷によって死亡することもある、とした。

 

それなのに、最高裁は地裁、高裁が認めた再審を取り消し、再審請求を棄却。
また袴田事件の再審請求が高裁で棄却されている。日本の不条理が司法に集中してきているのである。

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小池田マヤ『サンドローズ』

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家政婦、小田切里が派遣された家は、鬱病の奥さんと認知症の老婆がいる家庭。雇い主は亭主だが、単身赴任で家にはほとんどいない。
認知症の老婆、雇い主の母親は、里を見る度に「アレックス」と呼び、「やっと迎えに来てくれたのね」と言う。
奥さんの真砂は「クスクスを作って」と注文し、里がクスクスを作ると「本場のクスクスはこうじゃない」と言ってクスクスを床にぶちまける。その後もクスクスを注文するが、一口食べるだけ。


Sランクの家政婦の里が珍しく苦戦する一幕だが、その内事情がわかってくる。
老婆は亭主が先物相場で失敗して首を吊って死んだ後、一人で乾物屋を切り盛りして息子を大学まで行かせた、近所でも評判の「できた嫁」だった。しかし大姑の嫁いびりもまた、近所で評判になるほどだった。
そして息子が真砂と結婚し、大姑が死ぬと、今度は老婆が真砂に嫁いびりをするようになる。
姑の認知症が進行すると、嫁いびりは益々ひどくなり、真砂は姑の下の世話までしなければならなくなる。


老婆が言うアレックスは、アラン・ドロンをモデルにして作り出した老婆の妄想だった。
その妄想の中で、アレックスは砂漠の国の王子だった。
老婆が二十歳の頃、誘拐されて王子に差し出された。
そういう馴初めでも二人は恋に落ちた。
二人は愛し合ったが、彼女はハーレムの女の一人に過ぎず、アレックスは立場上、一人の女のみを妻とする訳にはいかない。
そこで「互いに歳を重ね、何のしがらみも無く自由の身となった頃に迎えに行く」と王子は約束し、二人は別れ、彼女は日本大使館に引き渡された。すごい妄想である。


亭主には、単身赴任先に愛人がいる。
家には介護ヘルパーが来ているが、真砂はこの介護ヘルパーと一度関係を持った。しかしそれも亭主の差金で、介護ヘルパーは亭主から金をもらってそうしたのである。
離婚して愛人と結婚しようとしたのか、妻の弱みを握って老婆の介護をさせようとしたのか、おそらく後者だろう。
しかし介護ヘルパーの方が本気になる。真砂を口説こうとするが、これも亭主の狙いで、里はその目撃証言をするために雇われていた。「キレイにしても誰も喜ばない家を美しく磨くのは、砂漠に水をまくようだね」と里は言う。


先物で失敗して首を吊って死んだ亭主の父親は、単に不幸かと言えばそうではない。
まどかマギカ』のまどかの父親が専業主夫なのは、父親が家にいることを強調するためである。
ここに男の作家の強迫観念を見る。男の作家の父親像は強迫観念的で、かつステレオタイプである。つまり男の作家は、出社のために出かけるだけでも「父親の不在」の暗示だと思っている。
死別も同様で、「世界の運命を決めるヒロイン」は、たとえ死別してても「父親」を探し出して殺すことで、正しく「世界の運命を決める」ことができるようになる。
女性の作家は、そうではない。
女性の作家は父親との対立を極力回避し、父親との和解を求めている。だから父親と死別しても、娘は父親と対立したりはしない。
この作品には「娘」はいないが、代わりに「息子」がいる。死別による「父親」の不在を、「母親」が十分に補えなかったのは明らかである。「父親」の不在の負担を「母親」は「嫁いびり」で晴らし、それは連鎖していく。「息子」は「父親」そっくりになり、負の連鎖に拍車をかける。「子は親の背中を見て育つ」というかつての言葉がいかに間違っていたかを、実に多くの作品が伝えている。


ある日、老婆の行方が分からなくなる。
もっともすぐに見つかる。近所の畑で火を炊いて、クスクスを作っていたのだ。
認知症には波があり、完全にまともな時もある。
少し前に里が「クスクスの作り方を教えて」と言ったのを、まともな時に実践したのである。
クスクスには専用の鍋があり、老婆はそれを使ってクスクスを作る。

何年も、何年も繰り返して上達した料理。その度に妄想した美しい王子の幻想は、何度あなたを救っただろう。

 

真砂の求めたクスクスは、老婆が作ったクスクスだった。嫁いびりにあい、憎んでもその老婆のクスクスを求める。
老婆の料理。クスクス、砂漠パン、ミントティー

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いつかなる。何にも縛られることなく自由に、この身もこの心も遠くへ連れ去られ彼方へ。王子が来なくとも、それだけは間違いないのだ。

 

「すごい妄想」も、解放を求めた結果であり、解放の象徴なのである。
しかし認知症患者が徘徊し、火を炊くようになっては、介護認定の区分を変更しなければならなくなる。
変更されれば、もう家で介護を続けることはできなくなる。


介護ヘルパーは亭主に金を叩き返し、全てをばらし、離婚調停が始まる。
里は妻側についていることがばれて解雇。
真砂は実家に帰るが、その後介護ヘルパーと付き合う予定。
老婆は終身介護の老人ホームに入ることになり、息子はその費用捻出のために家を売る。
更に離婚する妻への財産分与と慰謝料を支払うと、愛人も去っていく。
古い家は取り壊される。そして、

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老婆は、自分がどこに連れて行かれるのかもわかっていない。しかし、これは明らかに「解放」なのである。


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韓国レーダー照射事件と丸山穂高事件について

情報公開・個人情報保護審査会から答申書なるものが来たので見てみたら、こっちが頼んでもいないことを勝手に答申したようで、しかも結論は全くおんなじ。

国税庁からの情報公開請求の不開示決定についての理由説明書 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で書かれたのがよっぽど頭に来たのかねえ。
山根学、常岡孝好、中曽根玲子と、ご丁寧に委員の名前まで入れちゃってる。はいはい、みんな覚えとこうねwww。

今年の初めの韓国のレーダー照射問題について。

hbol.jp

P-1乗組員の会話を映像で読み解く限り、戦術士は機長に「FC系レーダー波を探知」と報告していますが、それが何によるものか、何であるのかを確認していません。具体的にはイルミネーターか否か、射撃電探か、機種はなにか(この場合STIR-180、MW-08、ゴールキーパーCIWSが対象)を確認している様子がありません。また、機長はイルミネーター照射警報(レーダー警報)でなく戦術士からの報告ではじめて「FC系レーダー」で照射されていることを認識しています。これからもイルミネーター照射でないことは確実と言えます。

 

照射されたレーダーはイルミネーター照射ではなくFCレーダー照射であり、照射を受けた戦闘機の乗員は特に警戒していない様子がこの記事でわかる。
「火器管制レーダーの照射を受けた」とする日本政府の発表は捏造である。
捏造した理由は、ロシアとの関係にある。

大国の支配を感じ始めた韓国 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

でも述べたように、シーレーンを守るためには韓国との関係強化が不可欠である。
しかし韓国との関係が改善しないため、韓国との軍事同盟はできない。
日本人も韓国と仲良くする気がない。だから安倍政権は、当面韓国との関係改善は不可能と見て、ロシアとの関係を強めようとした。ロシアとの関係を強化するなら、いっそ韓国との関係は悪化してもいい。悪化した方がいい。それがレーダー照射事件捏造の真相である。
しかしロシアとの関係で資源問題を解決しようとした場合、北方領土では日本はロシアに完全に譲歩することになる。
もっとも29日の日露首脳会談で、日本がロシアに譲歩することはなかった。しかし今度はアメリカが日米安保を破棄するという情報が流れ、トランプ大統領はそれを否定したが、代わりに「日米安保は不平等だ」と言い出し、大統領選前からの主張を蒸し返した。今や日本を狩場として、米露が交互にボールを投げ合う状況になっている。

「ロシアと戦争して取り返すべきだ」
国後島訪問時に発言して物議を醸した丸山穂高議員の事件には、安倍政権のロシアへのすり寄りが背景にある。
問題発言だが、丸山議員の発言が問題なのは時と場所を間違えたことにある。丸山議員は同じ発言を国会でしてもいいし、ツイッターで発信してもいい。時と場所を間違えればこれだけ問題になるという好例である。
日本維新の会は丸山議員を除名した。ここまでは問題はない。
しかしその後も「辞めろ辞めろ」と維新も橋下氏もいい続け、ついには辞職勧告決議案を提出、可決させる始末。

president.jp

president.jp

「休養中の議員にいくら金がかかる」とか、「丸山氏が当選できたのは維新の力があったからこそだ」とか、言ってることは完全にパワハラ元明石市長のパワハラを批判した者の発言とは思えない。
しかしそれにもまして、橋下氏の発言への批判の少なさ。かつてのリベラルの影響力など微塵も感じない。

橋下氏や維新の狙いはわかっている。
ダブル選挙で勝利し、大阪都構想に弾みをつけた維新が、ここで失速する訳にはいかなかったのである。むしろ丸山議員の問題を逆手に取って、党勢を拡大したいと思ったのであろう。それはわかる。
しかしマキャベリズムが全てではない。

abematimes.com

で文大統領を擁護し、

 

で電波情報の公開を求めた橋下氏は、政府の捏造の可能性も考えたはずである。
丸山議員の問題が丸山氏の人格にあるとしても、本来利害が完全に一致している韓国との関係改善を行わず、大国に屈するしかない外交を続けている日本の姿勢を批判せずに丸山氏一人を集中的に批判するのは片手落ちである。橋下氏や維新こそ、韓国との関係改善を強く主張するべきではないか?

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日本型ファンタジーの誕生(28)~『不思議くんJAM』も日本型ファンタジーだった

かつて

小池田マヤ「不思議くんjam」の感想を書いてみた - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で書いたことの、これは書き直しである。
前の記事ではラブコメだと書いて、それは間違いではないのだが、この作品もまた日本型ファンタジーの初期的作品だとわかってきたからである。

まず、この作品の概要について説明しておく。
一言で言えば、輪廻転生の物語である。
『不思議くんJAM』は3巻までだが、1巻の3分の1は『ミルククラウンの王子様』というタイトルで、ヒロインの白鷺沢みるくが主人公である。

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みるくは小学校四年生、しかし担任の根本冴子とは前世で幼なじみだった。前世の記憶があるみるくは、同年代の子供と馴染めずに浮いていた。
そして前世と前世の間に「はざまの世界」があり、その世界でみるくはスジャータとして、はざまの世界の王子ルディと恋人同士だった。やがて今世でもルディと出会い、愛し合う運命にある…。しかしみるくは、「はざまの世界」のことをよく覚えていない。
そしてその時、ルディの転生した姿、石狩不思議に合う。ところが、

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下の子供が石狩不思議、そして上の長髪の男がルディ、でなく、「はざまの世界」の王子シッダルディだった。
みるくは王子の名前をちゃんと覚えていなかった。そして思い出してみれば、

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かつて王子との間に何があったのか?ここで『不思議くんJAM』に移行する。

石狩不思議は北海道で生まれ、生れた時に父はなく、母親は名前をつけてすぐに死んだ。
石狩家は牧場主だが、祖父は病気で働くことができず、不思議は子供ながらに牧場を切り盛りしようとするが、農協からヘルパーを呼ばなければならない状況で、赤字まで埋めることはできない。
子供が牧場を切り盛りするなら、学校はどうするのか?
不思議は学校に行っていない。引きこもりである。しかし牧場を経営するためではない。母親の片身のネックレスを叔父が奪ったからだ。
それを教えたのは牛のべぇこだった。牛のべぇこは仮の姿で、真の姿はネックレスを構成するアムレットのひとつ「聖パウロの舌」である。べぇこは不思議に、叔父からネックレスを取り返すように言う。そのネックレスを持つ者が、石狩家の本家継承権を持つ。
不思議はべぇこの指導により、いとこの塘路と親しくなり、ネックレスを取り返す算段をつけていく。塘路は「はざまの世界」ではパターチャーラーという名で、シッダルディの「冠候補」である。「冠候補」が何を意味するかは後回しにしよう。ただ「冠候補」には「業(カルマ)」がある。塘路=パターチャーラーの場合は、

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とかなり重い。
授業参観の日を利用して、叔父の家に忍び込んでネックレスを取り返そうとする不思議。しかし家のどこにもネックレスはない。
ネックレスは、叔父が携帯のホルダー代わりとして肌身離さず持っていた。
塘路がそれを見て、叔父からネックレスを奪い取る。父親と揉み合う中で、塘路は父親の目を傷つけてしまう。
家に向かって走る塘路。そして不思議の前には、同じいとこの摩周、「はざまの世界」のシッダルディのライバルディーバダッタが立ちはだかる。
塘路が不思議に向けてネックレスを投げ、不思議と摩周がそれを掴む。二人が力を込め、ネックレスが引きちぎられると、時が止まる。この時の

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べぇこの首が落ちる様は圧巻。
牛のべぇこは生まれてすぐに、キタキツネの首を喰われて死んでいた。この現実を認められなかった不思議が涙し、その涙とべぇこの血が地中の「聖パウロの舌」に届き、「聖パウロの舌」はべぇこに成り代わった。
不思議は塘路に叔父の血という毒=父親と姉への怨嗟が溜まっているのに気づき、その毒を消すように「聖パウロの舌」に言う。
それをすると、王子として覚醒すると「聖パウロの舌」は忠告し、不思議がそれを了承する。
塘路の毒が消えると、その毒はその地、石狩家の牧場を浸食していく。その毒が祖父にまで届き、祖父は死ぬ。
どういうことか?不思議は牧場を再建するために、ネックレスを手に入れようとしていたのではなかったのか?

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この情報が、べぇこの口から語られることはない。
べぇこが教えたのは、ネックレスが母親の片身だということと、「その頭に冠を戴く暁には、出来ない事は何もない万能で無敵の王になる」ということである。
実は、「石狩家の本家継承権を示すネックレス」などは存在しないのである。
不思議の叔父は、ネックレスのレプリカを作ってみるが、そのレプリカのネックレスから波動を感じてしまう。

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「このネックレスから波動を感じないのは自分だけじゃないと証したかった」と言うが、摩周は波動を感じてしまう。そして叔父は「そうか、お前もか」と言い、なぜ俺じゃない」と叫ぶ。
塘路=パターチャーラーの毒は消されたが、土地が毒された以上、不思議はその地に留まることはできず、塘路は置いて行かれる。
摩周と塘路、二人の「なぜ自分じゃない」という想いが不思議の叔父=毒として新たに生を受ける。そして叔父は、片目になってレプリカのネックレスが光るのを喜ぶようになる。まるで本物の本家継承権のあるネックレスを手にしたように。
しかし元々本家継承権を示すネックレスが存在しない以上、光や波動に囚われること自体無意味である。こうしてこの作品は、長子継承に基づく日本の家制度を否定する。
不思議の家も叔父の家も牧場の経営は不可能になり、不思議は里子になって東京に向かう。里親は、根本冴子の両親である。

東京に来て、「冠候補」が揃うようになる。
赤石知覧は「はざまの世界」ではヤショダラ姫。「犠牲の血の冠」で「業」は「王子シッダルディのために多くの人間を犠牲にすること」。「はざまの世界」では、王子と結婚しているという設定である。
岡田健は「はざまの世界」ではシッダルディの義母のマハーパジャーパディ。元「捕縛の茨の冠」義理の息子に恋心をこじらせたが、罪の意識で常に男に転生する。業は「王子の身代わりとなって死ぬこと」。
そして「地の冠」の塘路=パターチャーラーと「命の最初の糧の冠」のみるく=スジャータ
不思議は「冠候補」と共に「アムレット(お守り)」を集め始める。ネックレスは化石を繋げて作られているが、アムレットを手に入れるとその化石に光が宿る。全てのアムレットを集め、頭に冠を戴けば、「世界の王」になる。

ところが不思議は、みるくが「はざまの世界」のスジャータだと思い出せない。他の「冠候補」も、みるくが「はざまの世界」の誰かを知らない」
そのうち、赤石とみるくが(「はざまの世界」でなく)過去世で因縁があることが判明する。

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赤石はナバホ族の「赤いコヨーテの娘」、みるくはホビ族の「白い佇む鳥の娘」として戦った過去世がある。そのせいもあって常に仲が悪い。

不思議=シッダルディには二重性がある。
シッダルディとしては女たらしで暴言を吐きまくるが、不思議自体は小学四年生ということもあって奥手である。そして女たらしのシッダルディを嫌悪している。
そしてアムレットもまた、不思議が見つけるのではなく、「冠候補」が見つけている。アムレットを探す点で、不思議は何もしていない。
その間も「冠候補」は苦しみ続ける。赤石=ヤショダラ姫は、「はざまの世界」でこそ正妻だが、過去世で王子と結ばれたことが一度もない。本当に王子に求められたことがないからである。
業により多くの人間を犠牲にした後、大抵は恨まれて殺されて人生を終えるという過去世を、ヤショダラ姫は繰り返している。それでもなお妻の座を降りたくないと想い続けている。業とは「囚われる」ことである。
塘路=パターチャーラーは、王子としての覚醒のために「聖パウロの舌」に利用され、選ばれないと悟ったがために、アムレットを集めるという課題の失敗をディーバダッタと共に願う。

王子シッダルディは、過去世でも王子に転生することが多い。スコットランドの王子だった時は親戚を殺しまくってたともいう。目的のために手段を選ばないのが、王子シッダルディの本性である。
しかしそうでない時もある。たとえ王子だったとしても。
中世フランク王国メロヴィング朝の王子に生まれた時は、身内争いから身を避けるため、身分を隠して農夫として暮らしていた。いつか王国を救う時のために、その命を保つため。そのため本当の名前はキルデリクだが、カールと偽って生活していた。
そこにもうひとりの「カール」が現れる。宮宰のカール・マルテルである。何もしない王の代わりに、カール・マルテルはトゥール・ポワティエ間の戦いでイスラム教徒を撃破、救国の英雄となる。その時キルデリクは、もう中年になっていた。
「俺の国をこんなにしやがって」とキルデリクはカール・マルテルを詰る。しかし本当は、何もしなかった自分に腹を立てていたのである。そんなキルデリクにそっと寄り添った少女がスジャータだった。
何もしなかった悔しさにより、王子シッダルディに覚醒するキルデリク。そしてもう自分にその人生でできることがないと悟ると、カール・マルテルの前に現れ、王子の身分を明かす。カール・マルテルはキルデリクを殺す。

スジャータは、王子が見つけたことによりスジャータになったと、自分のことを言う。
ならばそれ以前は何だったかというと、「はざまの世界の声なき小さな者」、「砂漠の砂粒」、「集合意識体の命」、「百億の蟻」だという。「私はみんなでみんなは私」と、自分と他者との区別がない。これは「個にして全、全にして個」という『風の谷のナウシカ』の王蟲と同じであり、「集合意識体」といえる蟻に形容されているところに、「人間=怪物」の日本型ファンタジーの構図が見える。

スジャータは、転生してもキルデリクのような、弱気な人生を送っている王子としか出会うことはない。理由は「単純に怖いから」。それでも王子はスジャータに会おうとするが、過去世では常にスジャータを見つけることが出来ない。『君の名は。』路線である。そしてスジャータを見つけられず、課題に失敗した王子は、スジャータを「はざまの世界」に呼び寄せる。こうしてスジャータは、過去世で常に少女のままで死ぬ。

そろそろ、王子シッダルディ、そして「冠候補」が何かを語る材料が揃ってきた。
「聖パウロの舌」をはじめ、アムレットにはそれぞれ意志があるが、アムレットは不思議を「ヘタレ」と呼び、王子シッダルディになることを求める。
この凶暴な王子の正体は、スクールカーストの「学校の王」ジョックである。
そして「冠候補」は、ヤショダラ姫が正妻であることに注目すれば、「冠」の理解はヤショダラ姫だけを見れば理解できることがわかる。「冠」とはジョックの装飾であり、クイーン・ビーのことである。装飾に過ぎず、真のパートナーでないから「冠」と呼ばれる。

しかし、ジョックとクイーン・ビーの関係でない形がある。その可能性が「ヘタレ」と呼ばれる不思議の中にある。
「ヘタレ」と言われるのは、ダメヒーローの萌芽である。その証拠がべぇこで、死んだ牛を生きているように思い、ペットとの生活を続けようとする。
しかし不思議の中には、性的にでなくみんなが好きで、みんなを大事にしたいという思いが芽生えている。不思議の中に、弱さと「博愛」が同居している。そこにスクールカーストからの脱却の可能性がある。

スジャータは幼くして死ぬ自分を、王子に少女のままでいることを求められていると思う。
しかしまた、スジャータは大人の女性に憧れる。自分を見つけたのは王子なのに、大人女性になれば、王子は自分を見てくれないと思う。こうしてこじれた願望にディーバダッタが付け入り、スジャータはディーバダッタと性的関係を持つ。
スジャータは「大人の女性」になったが、それを王子に隠す。それもまた、王子が求めたことだからである。
不思議は最後にようやく全ての記憶を思い出し、みるくがスジャータだと気づくが、またディーバダッタとの不倫にも気づく。

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独りよがりな男の願望は、女性に行為の正当化の余地を与える。
シッダルディはスジャータを許す、いや、「間違いなど存在しない」という結論に達する。
すると、「はざまの世界」に時の縦軸が生まれる。「冠候補」の業は「囚われ」を表し、時が止まっている。その時間が動き始め、「冠候補」達は業から開放されるのである。

『不思議くんJAM』は打ち切りのような形で終わっているが、作者には続編の構想があった。
それは、不思議が最終的にみるくとでなく、根本冴子と結ばれるというものだった。根本冴子は作品時間で24歳、不思議が冴子と恋愛できる歳には、30を越えるだろう。
根本冴子は「彼氏いない歴=年齢」の、典型的な非モテである。つまり「見棄てられたヒロイン」であり、「見棄てられたヒロイン」の救済がこの作品の最終的なゴールだった。

この作品は、極めてコアなファンにしか衝撃を与えなかったが、その影響は至るところに散見できる。そういうことにも、機会があったら触れていこう。

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三浦瑠璃氏の徴兵制導入論について

三浦 瑠麗 (id:LMIURA)氏が、「徴兵制を導入すべし」ということを言っていた。

bunshun.jp

「反論や批判を待っています」というので私も書いてみよう。
まず私は運動音痴なので、徴兵されたくはない。「徴兵される年齢ではない」からというのは、賛同する理由にしてはいけない。
検査に合格しないと徴兵されないと言っても、津山事件のように徴兵に不合格になったことが原因のひとつになった事件もある。差別を生むのである。
しかし、

以前から、シビリアン・コントロールが強い民主国家ではかえって戦争が容易になってしまうと主張してきました。戦争のコストをリアルに計算する軍部に対して、政治家や国民は正義感やメリットだけを勘定してしまうから、安直に戦争へと突き進む危険性があるということです。

 

と三浦氏は述べ、韓国の火器レーダー照射の件も取り上げ、「結構危ない局面だった」と語っている。
火器レーダー照射の事件については私なりの見解があり今回は触れないが、もう少しこの問題を掘り下げるべきだろう。

日本が戦争に突入したのは、徴兵制においてである。
その戦争のやり方は、戦域を拡大し続けていく終わりの見えないもので、最も愚劣なやり方だと言っていい。
しかし徴兵制が戦争を破滅的なものにしたかと言えばそうではない。終わりのない戦争に突入したのは、国民主権ではなかったからである。
権利のない中で、日本人は結果を自分の責任に帰せずに、周囲に合わせて自分を浮かないようにした。それが

日本が憲法を改正しない本当の理由 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、「資源がない」という真っ当な意見に「非国民!」と非難し、周囲が同調するということが起こる。
しかし、

流行 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、今の日本は国民主権の世になっている。自分達の選択の結果は自分達に返ってくる。
ならば不合理な戦争に突入しないだろうということはわかる。それを徴兵制によってより不合理を無くす必要があるかどうかである。

ここで改憲派の定義が必要になる。
護憲派は長いこと改憲派も自主憲法はも一緒くたにしてきたし、改憲を唱えながら9条以外の議論をしている例もたまにある。
9条以外の憲法の議論も必要だろうが、やはり戦争の是非については9条が問題となる。
改憲派は9条第2項の削除と自衛隊の明記を主張するようになった。私は1項と2項の削除を主張する改憲派だが、2項の削除を主張する者までを改憲派と見るべきだろう。つまり安倍首相の3項に自衛隊明記は改憲派の主張になっておらず、当面の腰掛けの意味しかない。

私が9条の1項と2項の削除を主張するのは、それが最も論理的だからである。つまり私は、1項を残すという改憲派の主張も、現状への妥協だと思っている。
翻って、今の日本で徴兵制を日本の戦争の抑止力にする必要があるかと言えば別にない。むしろ「戦争をしない」問題だけがある。
こう言うと聞こえが悪いが、シーレーンの維持だって戦争を考慮する必要がある。今の日本人は右翼も含めて、戦争をする覚悟がない。ただ声を大きくして、本当の問題から目を逸らし続けているだけである。
こう言うと丸山穂高議員のことだろうと読者は思うだろうが、丸山議員のことはまた後の機会に。

要するに、プライドがないのである。
できもしないことを大声で叫んだりして、実施されないことに安心しきっていたりする。プライドのない者がプライドがある振りをする最も安易な手は、できないことを声高に主張することである。そしてこういう言動の繰り返しが、シーレーンの維持という日本の安全保障の根幹を危うくしている。

ならば徴兵制を導入すればどうなるだろうか?
少なくとも現状より、国民はシーレーン維持という問題に目を向ける可能性は高くなると思う。
しかし三浦氏の議論は「焼石に水」という感が強い。改憲の議論が進まない中で打った手のひとつだろうが、私も「可能性が高くなる」とまでしか言えないのである。
もっともこうも言える。
安全保障を自らのプライドを持って語れる者は、9条第1項を決して放置しない。そのプライドを徴兵制によって培うというのなら、これは9条第1項削除論への前振りだと。

橋下徹氏は二大政党制を謳い、完全小選挙区制を主張している。かつて何度も聞いた話である。
私は日本が二大政党制の国になる可能性は非常に低いと思っている。それは野党は結局国民の建前で、本音が自民にあり、国民が本当に政権交代を望んでいないからである。
維新が政権党になるというのは賛同するし、その努力も認めているが、それでいて実に歩みが遅い。ようやく政権に手が届いても、それを長期間維持して二大政党制に持っていけるかどうか非常に怪しい。
また小選挙区制は死票が多い。今後も投票率が上がる可能性が少ない中で、死票を増やすのは懸命ではない。民主主義の根幹に関わってくる問題である。
また現状、投票に行かないのが浮動票、つまりふだんは声をあげない者達である。維新は彼らの支持を懸命に集めてきたのではないのか?票を集めるので大変な浮動票を小選挙区制で死票に変えるのは懸命ではない。
だから私は、比例代表制、候補者を直接投票する必要があるなら中選挙区制が望ましいと考えている。もっともこれは現状、護憲派の延命策になるので、護憲派が壊滅してからという条件付きになるが。
そして中選挙区比例代表並立制、もしくは完全比例代表制が実現するなら、自分が徴兵されるリスクを冒して徴兵制に賛同してもいい。

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日本型ファンタジーゲームの誕生①~『ドラゴンクエストビルダーズ アレフガルドを復活せよ』

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今回紹介するのは『ドラゴンクエストビルダーズ アレフガルドを復活せよ』(以下『ビルダーズ』。
簡単に説明すると『マインクラフト』という建物を作ったり物作りをしたりするアメリカのゲームをドラクエの世界観で再現したもので、『ドラクエシリーズ』のスピンオフ作品。『ドラクエI』の主人公が「世界の半分をやる」という竜王の申し出を受けてしまった時間軸の数百年後の世界というパラレルワールド設定。竜王により、物作りの力を失ったアレフガルドに、聖霊ルビスが伝説のビルダーを遣わしてアレフガルドを再建するというストーリー。
プレイしたことはない。動画で見たのを紹介する。動画実況者は赤髪のとも。

「がみとも」と名前を入力してスタートすると、主人公のビルダーがいるのは墓場のような所。
ルビスが呼び掛け、ビルダーに使命を伝えようとすると、「体がだるい」「外に出たい」と話を聞かないビルダーwww。その度にルビスはビルダーに薬草やひのきのぼうを作らせたり、ブロックを積んで階段を作らせたりするが、今度はビルダーが寝てしまったりwww。
「まさかあなた眠っているのですか?」とさすがのルビスも信じられない感じなのが面白い。
外に出てルビスが使命を伝えたら伝えたで「実感湧かない」と言うビルダー。まあ目覚めたばっかりだから無理ないけど。それにしてもルビス様の優しいことwww。
しかしルビスはビルダーに、「あなたは勇者ではありません」と意味深なことを言う。
ルビスはビルダーに「希望の旗」を渡す。「希望の旗」は魔物と戦った者達が最後まで持っていた旗だったという、ちょっと泣ける設定である。
それ旗をメルキドの廃墟の中心の光のある場所に立てると、その廃墟に光が当たってそこが拠点になる。
するとそこに人がやってくる。ピリンという少女だ。
ビルダーが物作りのことを教え、実際に物を作って見ると、「がみともってそんなことできるような名前だと思わないんだけど」とピリンwww。好んで変な名前をつけるプレイヤーにぐさっとくるようなセリフを用意したんじゃないかと思わせる場面である。で「ううん、人は名前じゃないっていうもんね」とフォローwww。そんな諺ねーよwww。
「部屋を作って、部屋が出来たら一緒に寝られるもん」とピリンに頼まれ、いい気になって部屋を作るとこのすぐ後に来るロロンドというおっさんがビルダーのベッドに寝てしまうwww。
それで怒ってロロンドの寝ているベッドを破壊するプレイヤーがいるとかいないとかwww。実はビルダー固有のベッドを指定できないようになっているんだけど、この辺に製作者側の意図がある。こういうロリコン防止の小ネタが好きで好きでwww。

最近のゲームで特徴的なのが、サバイバル要素を取り入れたものが多いことである。
『ビルダーズ』には空腹の概念があり、空腹になるとHPが減少していく。また使用している道具には耐久力があり、使い続けていると壊れる。
ほとんど同じ概念が『ゼルダの伝説』ブレスオブザワイルド』にも導入されていて、『ブレスオブザワイルド』には空腹の概念こそないがHPは食物で回復する。定番のマスターソードでさえ耐久力があり、壊れた後一定時間で復活するという念の入った設定である。
他にも『ファイナルファンタジーXV』に食事の概念が導入され、『ザンキゼロ』などは空腹の他に便意や寿命の概念があり、非常に難易度の高いものとなっている。
元々RPGは「役割を演じる」ゲームだが、ほとんどファンタジーゲームの代名詞になった。そしてストーリー重視により、フィールドを何日も食事も睡眠も取らずに歩き続けるという不自然なものになっていった。
『ビルダーズ』も章によっては最初に食物の確保に困ることもあり、また拠点の住民の依頼で建物を作る他に拠点の守りのために壁を作ったり、その壁を魔物に壊されて修理したり強化したり、また重要なアイテムを作るには中間素材が必要になったりと、サバイバル性によって色々手間がかかる。こういう手間をかけているのを見るのは楽しい。
また『ビルダーズ』はアクションゲームである。
昨今のヒット作はアクションゲームが多い。そのせいもあり、『ビルダーズ』には経験値の概念がなく、敵を倒してもレベルアップせず、体力も増えず、力も強くならない。もっとも「命の木の実」でHPをアップできるので、成長の概念がないのではない。

『ビルダーズ』は4章構成になっていて、各章で毎回強力な武器を発明し、各章の終盤には相当にプレイが安定するようになっている。
しかし『ビルダーズ』が特徴的なのは、そのアイテムを、章の初めに失うことである。「命の木の実」でアップしたHPも、章の初めに元に戻る。
各章のストーリーはそれぞれ重い話である。
メルキド編」では街を発展させようとするロロンドに対し、ロッシという住民が街の発展に反対する。ロロンドはそういうロッシを排除しようとする。
しかし次第に、メルキドの壊滅の理由がわかってくる。魔物と戦うメルキドの住民は、飢餓により人間同士が争うようになった。その争いをメルキドの守り神ゴーレムは、「人間こそがメルキドの敵」だと判断して、メルキドを破壊した。そしてビルダーが復興したメルキドを再び破壊しようとする…。
リムルダール編」では、リムルダールの地はヘルコンドルが疫病を広め、人々は次々と疫病に倒れていった。エルという修道女がリムルダールの廃墟に病院を作ろうとし、ビルダーがそれに協力する。
エルは薬師でありながら、物作りの力がないために薬が作れず、病との戦いを諦めた祖父のゲンローワと仲違いしていた。
死に抗うことに疑問を持ちながらも、患者の治療に協力するゲンローワ。病原菌を突き止め、必要な処方箋をビルダーに作らせるのを繰り返し、患者が快方に向かっていく。しかしある時、悲劇が起こる。
完治しない患者が、「腐った死体」へと変貌したのである。病が克服できないなら、死を克服しようと考えた、ゲンローワの弟子のウルスの仕業だった…。
「マイラ・ガライヤ編」では、かつて発明家のラライと、助手のアメルダが竜王軍に勝つための研究を行っていた。やがて二人は恋人同士になる。
ラライは火と氷が融合すれば爆発的なエネルギーが生み出されることを知り、それを利用して兵器を開発しようとする。しかし物作りの力を持たないため、兵器を作ることができなかった。そこで竜王が「儂に味方をすれば人間以上の知恵を与えよう」と誘い、ラライがそれに応じる。研究に没頭し、目的を見失ったラライを恋人のアメルダが殺す…。
「世界を守るとかそんなんじゃない。あたしはただ、あいつを救いたかったんだ」とアメルダ。
殺すことが救いというのはオウムと同じなんですけど。
しかしこれは伏線である。そして「ラダトーム編」までくると、この作品の本当の意図が見えてくる。

ラダトームの地は、暗闇と灰色の大地が続く絶望の世界で、食物はおろか、道具もほとんど手に入らない。最初は「希望の旗」すらない。
食物はないが、ムツヘタという予言者が霞みを分けて食べさせてくれる。実はこの霞みは、ムツヘタが口に入れていたのをビルダーに与えていたということで、最初の難易度うんぬんというより罰ゲーム的だが、食事に困らないという点では他の章より楽である。
やがて聖水を作れるようになり、それを仮拠点の中心にある石像にかけると石化が解けて「姫」になる。
この「姫」をみんなローラ姫だと言っているが、実はこの「姫」、ローラ姫ではない。
「そんな馬鹿な!!ローラ姫と同じ『そんなひどい』って言うし、第一顔だってそっくりじゃないか!!」
そう?俺にはピーチ姫に見えたんだけどwww。

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ビルダーが夢で見る勇者の回想のローラ姫と姿が同じなのは、同じ王家の姫なら顔が似ていることもあるだろう。
そして「姫」がローラ姫じゃないのも、大した理由ではない。
この後元勇者の「闇の戦士」との戦いがあるが、そこにローラ姫を絡ませてしまうと、ストーリーがずれてしまうからである。
「姫」がローラ姫じゃないのはその程度の理由だが、これが後の伏線になる。

旅の扉」を手に入れてその先に行くと、BGMが変わり、『ドラクエIII』のフィールドBGMになる。
熱いねえ!ファミコン版の時は「もの悲しいフィールドBGMパートスリー」と思っていたけどwww。
BGMといえば、各章のボス戦のBGMで「おお…これはゾーマとの戦闘BGMだな!」と思ったら『ドラクエVI』の通常戦闘BGMだったwww。『III』も『VI』も相当やったはずなのに。
そしてラダトーム城の廃墟に着き、ラダトーム魔城から「希望の旗」を取り返して、ようやく話が進展する。
相当困難なように見えるが、ラダトームの廃墟に着いた後は聖水によって鉄や石炭も手に入るようになり、多少手間がかかってもその後の進行は容易そうである。最終章を困難に見せる効果的な演出である。
ラダトーム城に「希望の旗」を立てると、人が集まってくるようになるが、その中の一人が「ロトの血を引く多くの若者が竜王を倒しに行ったが帰って来なかった」と言う。
ドラクエI』にも似たようなセリフがあるが、「ロトの血を引く多くの若者」とは言っていない。これが「姫」がローラ姫でないことの伏線である。

ルビスの遣わした三賢者がラダトームにやってくる。三賢者はピリン、エル、アメルダである。ただしピリンは戦闘能力がないため旅ができず、代わりにロロンドが来る。
三賢者がなぜこの三人なのか?特にピリンが賢者に見えないためよくネタにされている。
女性キャラだからだと言えばそれは当たりであるwww。
もう1つの理由は、「悪意で人の顔を馬鹿にしない」ことである。厳密にはピリンはビルダーを「ぼんやりした顔」と言っているし、アメルダは「乳くさい顔」と言っている。しかしピリンはロロンドの髭を見て「すごい人」だと言っているので本当に顔で判断しているだけであり、アメルダは荒事のプロとして、ビルダーを荒事ができる顔だと思わなかっただけである。
「とぼけた顔」、「間抜けな顔」、「寝ぼけた顔」など、顔を馬鹿にして他人を貶めるのは日本人の常套手段なのである。
顔だけではない。
マイラの荒くれ共はビルダーの筋肉のない体を馬鹿にしたり、しまいにはビルダーを「伝説のボディビルダー」と呼んで皮肉ったり、ムツヘタは一緒に走った後に「お主儂を抜こうとはしなかったか?
」などと突っ掛かってきたりする。こういういちいち人を攻撃して自分を上位に置くのは日本人がよくやる手なのだ。
しかし基本は主要な女性キャラだからというのは間違いない。
ただしエルには注意しておこう。
三賢者の一人で、明らかにビルダーに好意を持つエルは、普通に見ればヒロイン格である。(もっともビルダーを女性にした場合は恋愛基本恋愛感情ではないが)しかしエルは一点だけ賢者らしくないのである。
実は各章には裏設定があり、それぞれの地方が滅亡した本当の原因が隠されている。それはそれぞれの拠点の住民の存在によってわかる。
メルキド編」は飢餓により人々が争ったのが表向きの原因だが、真の原因は「空気を読むこと」である。それは「取り柄はないけど空気の読める女」チェリコが証明している。ロロンドとロッシの争いを人々が「空気を読む」ようになれば、メルキドは争いの絶えない街になるだろう。ロッシは街の発展に反対し、ロロンドが発展を促進したことでゴーレムに目をつけられたが、ロッシが正しかった訳ではない。ゴーレムは人々が空気を読んで争うことの、紛争の象徴なのである。
「マイラ・ガライヤ編」でラライが竜王に味方して兵器を発明するのは「目的を見失う」ことで、マイラのその象徴が「筋肉」である。
既にテーマが兵器競争になっているのに、荒くれ共は筋肉を自慢し、筋肉の有無で人を判断する。
こと「目的を見失った」筋肉を批判するキャラがシェネリで、幼なじみのコルトに好意を持たれているがシェネリは眼中になく、荒くれ共に拠点を持つ。
コルトは「筋肉」からシェネリを守ると心に決めるが、朝目が覚めると机の上にダンベルが置かれていたり目があった荒くれが胸の筋肉をピクつかせたりして筋肉地獄に陥り最後には洗脳されるwww。しかしその頃にはシェネリは「筋肉より大事なもの」に気づき、やはりコルトはアウトオブ眼中。
そして「リムルダール編」の病の真の原因、それは「過保護」である。
「過保護」共依存の形ひとつで、それを指摘するのが住民のザッコである。ザッコはエルを「嫁にはいいかもしれないが息が詰まるだろうなあ」と言っている。
リムルダールの病は「自立しないこと」の暗示で、病でなく死を克服しようとしたウルスは「自立しない」者をただ養い続ける行為で、それは「過保護」のエルの到達点である。真の病の克服は、親との関係を切って自立することである。

ラダトームの住民は、石化が解けて元に戻った旧時代の人間である。
そこに三賢者(と代理のロロンド)が到着すると、竜王を倒すのがビルダーか勇者かで争いが始まる。
旧時代の人々は勇者こそが竜王を倒すと言い、ビルダーの力を信じない。三賢者達はビルダーこそが竜王を倒すと主張する。
そしてルビスも、「竜王を倒すのはビルダーの使命ではない」と言い出す。ビルダーの使命はアレフガルドを元の状態、つまり「竜王を倒す勇者が誕生する条件が揃う」状態に戻すことだと言う。
この当たりでムツヘタが意味深なことを言う。戦っても強くならないビルダーを「人間ではないみたいだ」と言うのである。
先に述べたように、各章ごとに十分に成長を感じられるゲームシステムである。また経験値で成長しないのは初期RPGからの伝統的スタイルで、『ゼルダの伝説』は今でもこのスタイルを踏襲している。章の最初に全てを失う点以外、そんなにゲームスタイルが違う訳ではないのに、なぜこんなに違いを強調するのだろう?

三賢者が「いにしえのメダル」、「雨雲の杖」、「太陽の石」を持って来て、元勇者「闇の戦士」を倒してアイテムを手に入れ、「聖なるほこら」を作り「虹のしずく」を作成すると、「あなたの使命は終わりです」とルビスは言う。しかし竜王は倒していない。竜王を倒す勇者はいつ生まれるかわからない…。
ビルダーは「仲間の笑顔が見れないのは嫌だ」と言う。そういうビルダーに、ルビスは衝撃の事実をもたらす。
ビルダーはかつて物作りが得意な若者で、一度死んだのをルビスが蘇らせ、ビルダーとしての力を与えたものである。ビルダーとしての力は、使命を全うすれば失われる。しかし竜王を倒そうなどとすれば、力を使い果たしビルダーは消えてしまうと。
それでも竜王と戦うというビルダー。それまで「全ては聖霊の導きのままに」で話を締めていたルビスは、「全てはあなたの選択のままに」で話を終え、ビルダーを見放す。

竜王と戦う時は、持っているアイテムが全て使えなくなる。経験値で成長せず、道具で強くなるビルダーにとって窮地である。
しかしここで、ルビスが粋な計らいをする。バトルフィールドに主要キャラクターを呼び出し、。各キャラがビルダーにアイテムを手渡していくのである。そのアイテムでビルダーは竜王と戦う。
竜王を倒すと、ルビスは「私と竜王は、いにしえより人と魔物のことわりを…」と語ろうとするが、「そんなことより今は早く青空が見たい」とビルダーは遮る。そしてその場でビルダーは「光の玉」を作り、闇を払い光を取り戻す。
おおっと、今重要なことを言いかけましたよ~!!
ルビスと竜王が人と魔物のことわりを示すための存在なら、ルビスにとって竜王は「必要な存在」なのである。ならばなぜルビスが竜王を倒そうとするのか?
勇者がいつ生まれるのか、ルビスにもわからないという。ならばこう考えるべきだろう。そもそもルビスには竜王を倒す気がなかったと。
これで、「ロトの血を引く若者が旅だったが帰って来なかった」と言う意味、そしてビルダーがよく勇者の夢を見る意味がわかってくる。
それに答える前に、ビルダーと勇者が同一人物ではないかという疑問に答えておこう。ビルダーの見る勇者の夢や、「闇の戦士」が最後には逃げてしまうため殺せないこと、それが「自分を殺せない」という意味に解釈できるからである。ルビスは「あなたは勇者ではない」否定しているが、ひょっとしたらルビスは嘘をついているのかもしれない。
結論から言おう。ビルダーは勇者ではない。
ビルダーが勇者の夢を見るのは、ビルダー、いやプレイヤーが「勇者になりたい」と思っているからである。
「ロトの血を引く若者が何人も旅立って行った」のは、『ドラクエI』をプレイしたプレイヤーである。
そして現状維持を望むルビスには、ビルダーに勇者=己と戦わせて勝たせる理由がない。だからビルダーは勇者ではない。
これは、「アレフガルドを復活せよ」という変な日本語のサブタイトルにも関わっている。最近の日本人は言語能力が発達しているので、これが変な日本語だと気づくことは製作者側もわかっている。間違ってつけたサブタイトルではないのである。
それではビルダーとは何か?
ラライは人の選択によって、世界はいくつもの世界に分岐していくと言う。パラレルワールド理論である。
エルは元勇者を「彼は人間らしい選択をした」と言う。竜王の誘いに乗った勇者を肯定したのである。そしてアメルダは「元勇者のせいでこんな世界になったけど、この結果にたどり着いたんだしあたしは楽しかったよ」という。この言葉によって、道を誤ったラライも、そのラライを殺した自分も肯定したのである。
ひとつの世界でなく、「間違い」も含めた様々な世界を肯定する。それが『ビルダーズ』のテーマである。
それでは「ひとつの世界のみを肯定する」とはどういうことか?それは「宿命」を信じることである。
しかし

日本型ファンタジーの誕生⑧~ゲームがファンタジーへの扉を開いた - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で、私は「宿命」がファンタジーの流行に必要だったと述べた。
「~の子孫」、「生まれ変わり」などの要素で「宿命」を感じるファンタジーゲームを最初に作ったのは堀井雄二である。
それは、日本にファンタジー作品を生み出すために必要な階段だった。そして堀井は、その階段を『ビルダーズ』で外しにかかったのである。
「宿命」を信じることは、自分にふさわしい未来があると信じることであり、そのために社会、家族、仲間を肯定し、現状を受け入れることである。
「宿命」を信じるために必要なもの、それは「成長」である。目に見える「成長」によって、人は自分に未来があると信じることができる。だからマンガもゲームも、大幅な「成長」をする作品となる。しかし現実には、「宿命」は人間の視野を狭め、社会に停滞をもたらす。
ルビスと竜王は、互いに異なる役割を演じているように見せながらも、実はひとつの目的に向かっている。それは「ほどほど」の創造、繁栄に人間を留め、現状に満足させることである。それが「間違わないこと」だが、それは一部の人間の都合による「間違い」のなさであり、広い意味でのものではない。
今より多くの可能性を得るには、多くの「間違い」を受け入れなければならない。
ドラクエI』をプレイして、クリアできなかった人はほとんどいないはずである。しかしそのプレイヤー達は、『ビルダーズ』では竜王に勝つことができなかった。「宿命」を感じるために思考を停止させ、ルビスと竜王の罠にはまったからである。
ビルダーとは、創造により現状を打破し、今とは違う世界を作る者である。
その意味で、選択を誤った「闇の戦士」もまたビルダーである。だから「闇の戦士」は殺せなかったのである。

竜王を倒した後、「姫」は「あなたは消えてしまいますが、私達が願えばまた会えるでしょう」と言う。
そして最後に、ビルダーらしき者が弟子と共にラダトームの再建をしている場面が写し出される。
「おお!さすがは伝説の…」というところで物語は終わる。これで、ビルダーは生きていたとみんなは思う。
しかし、ビルダーは死んだのである。「伝説の…」がビルダーだとは言っていない。創造の仕事をする者は、創造のために命を燃やし、死んでいくのである。


ゲームはプレイするものである以上、選択もプレイの重要な要素だが、日本のゲームは選択肢を極力求めず、一本道のストーリーを進むスタイルが踏襲されてきた。
しかし一本道のストーリーを装いながら、そのスタイルを破壊するゲームがとうとう登場した。ストーリー性の破壊、サバイバル要素、その他日本のゲームスタイルの破壊に挑戦するゲームを、私はいくつか見つけているそのようなゲームを、今後紹介していこう。

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山口事件、その後

www.tyoshiki.com

にブクマしようと思ったらブクマがつけられないようになってたwww。
思い当たるのは

国税庁からの情報公開請求の不開示決定についての理由説明書 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

www.tyoshiki.com

の内容に言及したことが原因なんだろうと思うけど、「社会を積極的に破壊しようというそういう思想には気を付けたほうがいいなんてことは国が個人の財産の横領に加担してることを普通に語れるようになってから行った方がいいんじゃねえの?」なんて当たり前のこと過ぎるし、ブクマを非表示にする時には必ず理由を述べるtyoshiki氏にしては極めて不適切な対応だと言える。
「理不尽なキレ方をする人」が異常で、「理不尽な無視」をする人がまともだとは私は全く思わない。つーか全くおんなじ。
「この問題に関して言えば、私は絶対に冷静な文章が書けないと思うので眉唾だなと思って読んでほしいわけですが。」と断ってるけど、自覚はあるんだろうね。

山口真帆の件。

headlines.yahoo.co.jp

山口真帆が会員限定メールで「私も秋元さんが(運営の)トップだと思ってたし、助けてくださいってsnsで直談判しようと思ってたぐらいなんですが、秋元さんはaksのトップではないから逆らえないし、何も報告されなくなって、何も知らないらしいんだ」で「びっくりだよね」と。さらに「(秋元が)「私が傷つくようなことは一切しなくて、唯一心配してくれていたと聞いています」とキツネとタヌキの化かしあいを披露。
「知らなかった」と「心配してた」は矛盾しない。しかし秋元の言動が気持ち悪いのは、「ずっと知らなかったけど、ずっと心配してた」と思わせようとしているところにある。これは矛盾である。
供依存の加害者は、窮地に立つと被害者に完全な無謬を主張し、さらに底知れない善人だと相手に思わせようとする。だから言葉が矛盾する。
矛盾し、その矛盾を矛盾でないと相手に信じこませようとする。そして相手がそれを信じないと、被害者を悪人、問題児扱いする。NGT48が秋元が関与していないと強調し、さらに山口を加害者扱いした点に、その供依存精神が良く現れている。
山口も秋元の脚本の新作のドラマをネタに「事件の犯人誰ですか?」と言っていた。山口が騙されていなかったのは確かだが、山口の僅かな失敗は、秋元に山口を救済する余地を残したことである。この時点で、秋元は山口を救済しないと思うべきだった。
その後もネットでメンバーを攻撃する動きは止まず、

headlines.yahoo.co.jp

のように自制を求める動きもあったが、このような発言は空しいもので、十分な証拠がないのにメンバーが攻撃を受けていい訳ではないが、AKSが隠蔽に回っている限り、この流れは止まらないのである。秩序がないのに、人に道徳を求めることはできない。この後も荻野由佳が「殺す」と脅される事件が起こっている。

また山口が犯人と話した録音内容も第三者委員会の委員からマスコミに渡され記事になったが、その記事をツイートしたのにいつの間にか見つからなくなっている。
その記事には山口が犯人に関わりのあるメンバーを問い詰めるところがあるのだが、今に至るまで、関わりのあるメンバーは明確にされず、山口も直接には名前を挙げていない。
示談で名前を挙げないようにしたんだろうという弁護士の記事も紹介した。
民法第93条
「意思表示は、表意者がその真意ではないことを知ってしたときであっても、そのためにその効力を妨げられない。ただし、相手方が表意者の真意を知り、又は知ることができたときは、その意思表示は、無効とする。」
この事件は、山口が民法第93条を知らないこと、または山口がそれを知っても、山口のために代理人弁護士が現れないことで隠蔽が成立している。

その後も加藤美南が山口の卒業公演で「せっかくネイルしてるのにチャンネル変えて欲しい」と投稿して炎上、加藤は降格、NGT48はメンバーのSNSを停止、支配人の早川麻依子がツイッターを開設し理解を求めていくことに。
ところがそれも「根拠のない曖昧な話ばかり」と燃料投下して炎上、第三者委員会の報告書とも食い違うという有様。
結局、NGT48の者達は、自分達を無罪と見てくれない世間に腹を立てているのである。日本人には被害者を悪玉に仕立てて悪事を隠蔽、正当化してきた者が多いので、こういうことになる。
また山口に好意的と思われた指原莉乃が山口の卒業公演を極秘視察するという不気味さ。

lite-ra.com

指原は秋元と山口の仲介、というより、山口が秋元を無謬だと思わせる役を買って出ていたのだろう。

山口は研音に移籍が決まり、山口の未来をあれこれする話が多いが、NGT内で決着をつけるのが正道だったことを忘れてはならない。日本人は今、そういうリベラリズムから遠ざかっている。特に弁護士の不振さに言及せずに人を救済できるという考えは危険極まりないもので、研音移籍との交換条件かもしれないが、そうだとしても録音資料をマスコミが削除するようなことを許すべきではない。山口に好意的だった者もこのように考えていた者が多いと思うので、ここで釘を指しておく。

古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。