坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。新ブログ「人の言うことを聞くべからず」+を開設しました。古代史、神話中心のブログです。

弁護士が無能すぐるww④

山口紗世子弁護士を懲戒請求した後、 

(こりゃ他の弁護士もなんかへましそうだなぁ) 

と思って3月に山形県弁護士会を通して弁護士を紹介してもらったところ、諸橋哲郎という弁護士に相談してもらうことになった。

 「どういった話でしょうか」 

「印税に関する情報を全く教えないということで…」

 「契約書は?」 と諸橋弁護士。 (来たな) 自分のペースで話を進めようって魂胆だ。 

実は鞄の中はぐちゃぐちゃで、契約書がどこにあるかわからないwww 本当は順序立てて話す気なんか全くなかった。この相談で聞きたいことはひとつだけだった。 


10分くらい探して、やっと契約書が見つかって諸橋弁護士に見せると、 

「相手が嘘を言っているなんて証拠なんかないじゃないですか」 と諸橋。 

「『嘘を言っている証拠がある』なんて言ってないじゃないですか!疑わしいという証拠があると言ったんですよ」 と、

弁護士が無能すぐるww① - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べた、2016年3月のデータと一緒に2014年3月の手紙が入っていたことを伝えた。すると、 

「こんなの何の証拠にもならない」

 と諸橋弁護士、調べる気がないのがバレバレwww 

「及川弁護士は裁判をやっていく中で相手方から有利な情報を引き出していくしかないと言ってましたけどねぇ」 というと、 

「私は及川さんと同じ会社でもなんでもないんでね」 と諸橋。 

もちろん、及川弁護士の言うように、裁判で相手の情報を引き出せるなんて期待はしていない。 


「じゃ、国税通則法74条の2はどうですか?」 

「知りません」

 「ーー知らない?」 

呆れた。弁護士が国税通則法の条文について知らないと言ったのである。 

「関係ありません」 諸橋は言った。 

(言い直したって無駄だよ)

「これは、税務署が税金をとるための法律です」 と諸橋が言うので、私は条文を読み上げた。

第七十四条の二 国税庁国税局若しくは税務署(以下「国税庁等」という。)又は税関の当該職員(税関の当該職員にあつては、消費税に関する調査を行う場合に限る。)は、所得税法人税、地方法人税又は消費税に関する調査について必要があるときは、次の各号に掲げる調査の区分に応じ、当該各号に定める者に質問し、その者の事業に関する帳簿書類その他の物件(税関の当該職員が行う調査にあつては、課税貨物(消費税法第二条第一項第十一号(定義)に規定する課税貨物をいう。第四号イにおいて同じ。)又はその帳簿書類その他の物件とする。)を検査し、又は当該物件(その写しを含む。次条から第七十四条の六まで(当該職員の質問検査権)において同じ。)の提示若しくは提出を求めることができる。

一 所得税に関する調査 次に掲げる者

イ 所得税法の規定による所得税の納税義務がある者若しくは納税義務があると認められる者又は同法第百二十三条第一項(確定損失申告)、第百二十五条第三項(年の中途で死亡した場合の確定申告)若しくは第百二十七条第三項(年の中途で出国をする場合の確定申告)(これらの規定を同法第百六十六条(非居住者に対する準用)において準用する場合を含む。)の規定による申告書を提出した者

ロ 所得税法第二百二十五条第一項(支払調書)に規定する調書、同法第二百二十六条第一項から第三項まで(源泉徴収票)に規定する源泉徴収票又は同法第二百二十七条から第二百二十八条の三の二まで(信託の計算書等)に規定する計算書若しくは調書を提出する義務がある者

ハ イに掲げる者に金銭若しくは物品の給付をする義務があつたと認められる者若しくは当該義務があると認められる者又はイに掲げる者から金銭若しくは物品の給付を受ける権利があつたと認められる者若しくは当該権利があると認められる者

 

すると、 「私は税務署ではありません」諸橋は言いきった!! 

「これは我々が不正に収入を横領されないための法律じゃ…」 

「違うでしょ。税務署が税金をとるための法律でしょ」

 いや目的はそうなのだ。しかしそれが我々が不正の調査のために税務署に話せない理由にはならない。 

「じゃあ我々は聞けないんですか?」 

「聞いてみたらいいじゃないですか。聞いて下さい」 

「ーーもういいです」

 私は退出した。


 最後の「聞いてみたらいいじゃないですか」という諸橋の言葉には、もう1つ問題がある。

 国税通則法第77条

 不服申立て(第七十五条第三項及び第四項(再調査の請求後にする審査請求)の規定による審査請求を除く。第三項において同じ。)は、処分があつたことを知つた日(処分に係る通知を受けた場合には、その受けた日)の翌日から起算して三月を経過したときは、することができない。ただし、正当な理由があるときは、この限りでない。

 

とあるように、処分から3ヶ月経つと不服申し立てができないのである。


 懲戒請求とは別に苦情相談もできるので、弁護士会から休日に電話を貰うようにした。 

昼頃に外食をしようと車を運転していると電話がかかってきた。

 電話に出れないので、昼食後にかけようと思ったが、 (向こうから電話がかかってくるだろう) と思って、そのまま寝てしまったwww。

 夕方、電話がきて目を覚ました。

 「県弁護士会副会長の羽生田と申します」 と電話の向こうから。

 私は一部始終を話して、 「実は私、2016年の8月に税務署に行って話をしておりまして、その際にもし不正があっても、秘密に関することは教えられないと言われております」 と言った。

 はーい、これで出版業界、役人、弁護士のトライアングルせーりーつ♪

 あ、もちろん録音も録ってますよ。諸橋弁護士との会話もね。 

まあ税務署が処分を理由に不服申し立てをはねつけた証拠を掴んだわけじゃないけど、刑法35条の正当行為でこの情報は教えられるし、公務員試験で六法も勉強する公務員が職務に関係する刑法35条を知らないはずないしねwww。 


諸橋が「聞いてみたらいいじゃないですか」と言ったのは、この77条を教えずに不服申し立ての権利を失効させる作為である。 

「弁護士はみんなぐるになってます。被害者の立場にたつ弁護士なんか一人もいないでしょ?」 

「いやぁ、結構いますよ」

 「名前あげられないでしょ?」 私が聞くと羽生田さんはやはり答えない。

最後に、

 「お電話ありがとうございました」 と羽生田さん。

 「いえいえ、電話を頂いたのは私の方なので」 

「……」 

電話もらったのにお礼言われちゃったよwww 


今の時代、法律の情報はネットですぐに手に入る。 

その程度の情報で嘘を言うようなレベルにあぐらをかいて弁護士が不正を続けていられるのは、日本の親の訓育が良くないからだろう。


 今月12日付で諸橋弁護士の懲戒請求を行った。 古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。

ドラゴンボールを考える⑥~「破壊神シャンパ編」

現在、アニメでは「宇宙サバイバル編」が佳境に入っているが、こちらは三週遅れくらいの「破壊神シャンパ編」www 


悟空が先鋒となり、ボタモに勝利するが、第6宇宙のフリーザであるフロストが毒針での動きを封じ、悟空の場外負けとなる。

 一見、悟空が戦いの場に到着していないか、何らかの理由で戦線を離脱し、最後に戦いの場に復帰して逆転勝利するという、原作以来のパターンの踏襲のように見える。しかし原作では、悟空の戦線離脱は不可抗力である。 

『DB超』でフロストに負けたのも、不可抗力と取れないことはない。 しかし、悟空は「SSJのままでいけると思った」と言っている。

 SSJBで戦ったとしても、フロストの毒針のリスクがなくなるわけではない。しかし危険な相手には、奥の手を出させる前に勝負をつけるのが大事なのである。


 「宇宙サバイバル編」は、勝った方が地球を手に入れる戦いで、悟空達にとっては、負けても地球が第7宇宙から第6宇宙に移動するだけのことである。

 しかしフロストは、負けてはならない敵なのである。 フロストは自ら宇宙海賊を組織して星を襲わせ、その海賊を退治して正義のヒーローとして名を上げていた。

 どうもあまり得にならないような話だが、このエピソードは、フロストがフリーザ以上の悪役だと示すもので、そういう相手に負けてはならないのである。


 この後ベジータがフロストと戦うが、一撃でフロストを撃破している。しかしそれはベジータがフロストの毒針を知っていたからである。そのためベジータはSSJBになる必要がなく、悟空がSSJBで戦うべきだったことを巧妙にごまかしている。


 一方マンガ版ではフロストの自作自演の話はない。 

フロストは第6宇宙一の拳闘士としてエントリーし、「早く済ませるため」に毒針を使っている。 マンガ版のフロストはアニメ版ほどの悪辣な印象はない。

 マンガ版ではピッコロが「これからどんどんフリーザみたいになっていくかもしれんぞ」と言っている。マンガ版のフロストは、反則で負けても傷にならないというサインである。


 ベジータはマゲッタを倒し、第6宇宙のサイヤ人のキャベと戦う。

 しかしキャベは「SSJになる方法を教えて下さい」とベジータに頭を下げ、ベジータが激怒。キャベをどつき回して、煽ってキャベをSSJにする。

 「キャベ情けない」という声がネットでは多かったが、実はそんな単純な話ではない。

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「でボカスカやってればいいんじゃありません?」 と、悟空とベジータは修業をつけているウイスに言われてしまっている。

 プライドも大事だが、素直さも成長するために重要なことである。

 しかし『DB超』の悟空は、亀仙人に「何より素直で真面目」と言われた悟空ではないのである。

これはひょっとしたらキャベが再登場した時にはものすごく強くなってるんじゃないかと思ってたらそんなに強くなってなかったwww

一方マンガ版にはこのウイスのセリフはない。 


ベジータは最後の相手のヒットに「時飛ばし」で破れる。

 悟空はヒットの動きを予測して良い勝負に持ち込むが、ヒットは悟空達の真似をして気合いを入れ、「時飛ばし」の時間を延ばすのに成功する。

 面白いのは、このあたりから「構え」が強調、アピールされるようになってきている。 

『DB』では、最初は悟空も構えて戦っているが、ストーリーが進むとだんだん構えなくなってくる。 

その理由は、強さのインフレで盛り上げている作品で、構えに意味がなくなってきたからだろう。「構え」は脱インフレの意思の現れである。


 悟空破れたり、と思ったところで、今度は悟空がSSJBで界王拳を使う。しかも十倍。

 結局『DB』は脱インフレを目指しても、インフレから逃れられない。


 と思ったら、マンガ版ではSSJGで戦ってヒットを圧倒する。

しかもSSJBは一日に何回もなれず、キャベ相手に一度SSJBになったベジータは、ヒット相手にSSJBの十分の一の力も出していないというマンガ版だけの設定で、SSJGの悟空の方がヒットを上回った。レベルの違い過ぎる相手には「時飛ばし」が通用しないという設定も加味されている。

この設定が妙に説得力があるのは、相対性理論に似ているからだろう。しかも低インフレに成功している。

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そしてビルスは、簡単にSSJBになれない悟空達を理解していないし、リスクを犯してSSJBになったベジータを理解していない。悟空達との間に精神的な交流がないからである。


 以上、今回の内容と、「DB超』4巻を読んで考慮した結果、主役交代があるかどうかはわからないし、ビルスに勝てるとも思わないが、マンガ版は主役失格という意味で悟空を否定するものではないという結論になった。 

その理由もわかっている。作者が提示し、読者が受け入れた世界観を作者が否定するのは本来邪道なのである。だから先行した劇場版とアニメはスピンオフ的なものなのである。 古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。 

信長の戦い③~桶狭間

太田満明著『桶狭間の真実』で、太田は従来の今川軍25000、織田軍2000という説を否定している。

 25000というのは100万石の全軍だが、今川義元が国を空にして遠征をするはずがなく、また駿遠三の三国では100万石もないとして、桶狭間での今川軍を一万としている。

 一方織田軍は、信長が岩倉織田を除いて、尾張の大部分を統一していたという。 その織田軍の精一杯の動員が2000ということはないので、織田軍の総数を5000と見積もっている。

 5000vs10000で、勝つ見込みは充分にある戦いである。

 また桶狭間は義元が上洛を目指して起こった戦いでもない。信長が丸根、鷲津などに五つの砦を築いて今川領を圧迫したために起こった戦いである。


 さらに近年の研究により、桶狭間で信長が奇襲で勝ったという従来の説は否定されている。 義元の本陣は窪地ではなく、桶狭間山にあったのであり、さらに織田軍の行軍中のどしゃ降りは止んでいる。藤本正行の『信長の戦争』では、今川軍は織田軍の行軍をはっきり確認できたとしている。これでは奇襲にならない。


 このように見ると、桶狭間は信長の采配の鮮やかさを示すものではなく、随分と平凡なものである。

 司馬遼太郎も信長の戦術面での能力を高くは見ずに、戦略、政略の面を評価した。


 戦術面での信長は平凡である。しかし信長の平凡さに気づくことが、信長の非凡さを知る鍵となる。


 井沢元彦は『逆説の日本史』で、桶狭間の後に徳川家康と同盟を結び、今川領に手をつけなかった信長を英雄と評している。 

確かに今川領に手を出せば、武田信玄と境界を接することになり上洛どころではなくなる。 今川領に手を出さなかったからこそ、信長は上洛して天下をとった。

 なるほど、ならば残る課題は義元の首が獲れたのが偶然か必然かである。偶然ならば信長の天下において、信長の力量はそれだけ割り引きされるのであり、必然ならば信長の力量は再認識される。


 そもそも、一度の戦いで総大将の首が獲れること自体、滅多にないことである。

 義元の首が獲れたのが必然なら、桶狭間は信長が義元の首を獲るために仕掛けた戦いということになる。


 丸根砦が陥ちて、佐久間大学が死んだのを、太田は「必ず助ける」と信長が嘘をついて砦を死守させたと推測している。

 実際そうだろう。死ぬまで戦う士気の高さは、信長への信頼があるからこそのものである。また砦が陥ちる前に信長が前線に到着していれば、随分有利に戦えると思うから、佐久間も疑問に思わない。

 太田は信長が丸根、鷲津砦を見捨てたのを、今川軍の勢力を削るためと推測する。しかしはたしてそうだろうか? 


これが、義元の首を獲るための鍵なのである。

 丸根、鷲津を救援しなかった理由がさっぱりわからない。


 義元は、信長をかなり警戒していたらしい。

 若い頃の評判も聞いていただろう。「うつけ」と言われた信長が、尾張を統一しようとし、今川領をも圧迫してくる。何をするかわからないという思いがどこかにあったのだろう。 


それが生産性が全くないという意味で、本当にわからない行動を相手がとった場合、緊張の反動による弛緩と、異質なものを否定したいという思いから、敵への警戒心をすっかり失ってしまうのである。


 信長は織田軍の総数の5000ではなく、2000で今川軍に突入した。今川軍は織田軍を阻むことなく、織田軍を易々と義元の本陣に入れてしまったと見るしかない。 


このように見ると、桶狭間は純然たる奇襲ではないが、奇襲らしい効果を生んで信長が勝利した戦いだということができる。 

戦術面での信長に見るべき面が少ないのはその通りだが、信長は重要な局面において、敵の心の隙に乗じるような戦術をとるのである。


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リベラルの停滞と再生の話

最近、リベラルが停滞している。
はてなでリベラルな記事はほとんどない。
たまにリベラルな記事があったかと思って見れば、それはどちらかといえば保守系の記事である。
最近パワハラについての記事があったが、それはパワハラ上司、またはブラック企業が無能だという記事である。
パワハラブラック企業を批判するリベラルは多くいたが、それらを無能だと言うリベラルはいなかった。
作業の標準化は世界的な流れだが、作業標準化の流れとパワハラブラック企業批判がほぼ同一軌道を描いているのは、馬鹿でない限りわかることだった。
だから保守系パワハラ無能論と、リベラルのパワハラブラック企業批判が手を結べば、パワハラブラック企業も簡単に一掃できた。しかしリベラルはそれをしなかった。
結局近年のリベラルの隆盛は、パワハラブラック企業にとどめをさせない程度のリベラルだったのだと、最近の動きから見えてくる。

と思っていた矢先、はあちゅう氏のセクハラの告発、ヨッピー氏の「はあちゅう氏を批判するな」発言、それに対するよしき氏の反論がはてなで話題になった。

tyoshiki.hatenadiary.com

その前に、私も「童貞」発言をブログ内でしているので、
社会的弱者への配慮を欠いた不適切な発言としておわび致します。
その後よしき氏がヨッピー氏に謝罪、ヨッピー氏も謝罪した。
一方フミコフミオ氏のように、岸氏を叩くことを優先すべきだったという意見もある。

delete-all.hatenablog.com

私はフミコフミオ氏には同意しない。
フミコフミオ氏は目的がずれている。目的はセクハラ、パワハラを無くすことだろう。岸氏を叩くのが目的ではない。

tyoshiki.hatenadiary.com


どの運動でも、この手の人たちは無制限に応援し、そして全面的支持をしない人を馬鹿にする。

そして、この手の人達は、殆どの場合問題について「ふわふわとした概念的な話」ばかりを強調して「実際の運用」にはこれっぽっちも興味がない。

 

 

私はここに、よしき氏の独特の問題意識を感じていた。
さらにメロンダウト氏の記事。

plagmaticjam.hatenablog.com

だからといって経験が大事じゃないとは言わないし発言を間違うな、憎しみをためるなとも自分は言わない。生きている限りなにか間違う。ただ間違ったら謝ればいい。そして許してもらえたりもらえなかったりする。

それでもなに考えてるかわからない他人と生きていくしかない。

せめても凡人であることを自覚しながら、さ。

 

正にこれである。
罪の無い人間はいない。今までのリベラルの動きは、問題となった人を糾弾することで、自分が「善人」になる運動だったのである。それが限界に達したのが、最近のリベラルの停滞の原因だと私は見ている。
しかし現状は悪いことばかりではない。罪のある者も主張する権利があり、また正しいことをしている者も批判されるのを受け入れていくことが、リベラル再生の鍵になると思っている。

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日本型ファンタジーの誕生⑭~『寄生獣』

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人の顔だと思ったのが割れて歯の生えた口や触手になる。またはぐにゃりと変形して怪物になる。
90年代にヒットした岩明均の『寄生獣』もまた、日本型ファンタジーの誕生に影響を与えた作品である。
ある時、空から謎の物体が降りてきて、地上に降りて蛇のようになり、人間の頭部に寄生する。
人間の頭部そのものが寄生生物になり、「この種を喰い殺せ」という本能により人間を喰う「パラサイト」。
主人公の泉新一は、この「パラサイト」に右腕に寄生される。そのことにより、人間と「パラサイト」の中間的な存在となる。そして新一は、「パラサイト」の性向を知るようになる。
「パラサイト」は知能が高く、短期間で言語や社会常識を学習し、人間社会に溶け込んでいく。
そして非常に合理的である。
しかし生存戦略を合理的に思考する結果として、他者への警戒心が強く、新一のような、寄生されながらも人間の脳が残った存在を危険と感じて攻撃してくる。そして他者への同情心が皆無、あるいは希薄である。
一方、人間は感情に流され、「パラサイト」のように合理的な判断ができない。しかし人間は弱いからこそ団結する。
このように、合理的、冷酷、孤立しがちな「パラサイト」と非合理的、情緒的、そして団結力のある人間の対立の構図が出来上がる。
新一は人間の側として、人間らしい感情を大事にしたいと思う。右腕に寄生したミギーの合理的で冷酷な意見をしばしば拒否し、弱くても情緒を大事にすることこそ人間の証しだと思うようになる。

しかし、ストーリーが進行するにつれて、この構図が崩れていく。
新一が「パラサイト」の攻撃を受けて瀕死の重症を負った時、新一の身体にミギーが入って治療したことで、ミギーの細胞の30%が新一の身体に混ざり、超人的な身体能力を発揮するようになる。また精神も変化し、動揺しても深呼吸するだけで落ち着きを取り戻すようになる。
また「パラサイト」の側も、田村玲子を中心に団結していく。
「パラサイト」はS市に集まり、「広川」という人物を市長に当選させる。
また田村玲子は、出産した子供に愛情を持つようになっていく。またミギーも、最後には自己犠牲的な行動を取るようになる。

こうして人間vs「パラサイト」の構図が崩れていく中で、人間側が「パラサイト」がS市に集まっているのを知り、「パラサイト」の掃討作戦を実施する。
人間側は「パラサイト」を駆逐し、議会の会場に「広川」を見つける。
「広川」は人間の傲慢を訴え、人間を減らすために「パラサイト」が必要だと訴える。
「広川」は撃たれ、「パラサイト」でない人間だとわかる。

ここで、この作品のテーマが人間の傲慢を訴えるものだと読者は思う。しかし、断じてそんなことはない。

寄生獣』のラスボス的存在として「後藤」がいる。
五体の「パラサイト」がひとつの身体に寄生し、そのため「この種を喰い殺せ」という本能が強化されて、戦うことに喜びを見出だすようになった「後藤」だが、「この種を喰い殺せ」という本能は物語の序盤で提示され、ストーリーとして一貫しているようだが、基本構図は弱いが団結する人間と、合理的で強いが孤立する「パラサイト」の対立である。
そしてこの対立は、実は人間側の敗北で終わっている。
S市の「パラサイト」掃討戦で、人間側は「パラサイト」と誤認して、人間を撃ち殺している。
弱い人間が信頼し合うことで団結し、「パラサイト」を掃討することで人間は「パラサイト」に勝利するが、誤射のリスクを犯しても疑う姿勢で「パラサイト」を掃討したことで、人間は「パラサイト」と同じになったのである。
新一と「後藤」の戦いは人間vs「パラサイト」の決着のように見せた付け足しである。

寄生獣』は、主人公が右腕とはいえ「パラサイト」に寄生されることで、「人間=怪物」の構図となる、日本型ファンタジーの萌芽的作品である。
こうして合理的で冷酷な精神を暗に認めた『寄生獣』が、マンガや社会にどれだけ影響を与えたのかははっきりしない。『デスノート』のような駆け引きがメインの作品に流れたような気もするが、はたしてどうだろうか。
近年の作品には、冷酷な決断や行動を示す作品が多くあるので、『寄生獣』の影響はゆっくりとしたものだったと言えるかもしれない。
寄生獣』の直接的な影響は、『ファイナルファンタジー』シリーズや『真・女神転生』シリーズなどと共に、怪物をグロテスクに表現したことである。それによって、『ドラクエ』シリーズの愛嬌のあるモンスターへのアンチテーゼとなった。『寄生獣』や『FF』シリーズの影響か、ファンタジー作品の宿命かはわからないが、『ドラクエ』シリーズも、デスピサロオルゴ・デミーラなど、鳥山明の絵でもなお、グロテスクな怪物をしばしば登場させるようになっていく。

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占いを信じない日本人と『スパークル』

エマニュエル・トッドの『問題は英国ではない、EUなのだ』で、ヨーロッパでは宗教心が失われたと述べている。 

それが単に人が教会に行かないということなのか、神を信じていないということなのかが今一わからないが、興味深い話ではあった。


 最初のキリスト教の崩壊は18世紀の半ばにパリ盆地を中心に起こり、フランス革命が起こった。

第二は1870年から1930年の間で、イギリス、ドイツ、スカンジナビア半島全域で、その結果ナチス政権が成立した。

第三が1960年代から1990年、あるいは2000年頃にかけてフランスのブルターニュ、中央山岳地帯、アルプス、ベルギー、オランダ南部、アイルランドポーランド、スペイン北部、ドイツのバイエルンなどで起こったという。

 この第三のキリスト教の崩壊がイスラム教徒の迫害に繋がっているというのがトッドの主張だが、では日本ではどうなのだろうと私は考えた。


 私の考え方に、「今流行っていないものは何か」を考えるというのがある。 例えば、今流行っていないのは「上から目線」という言葉である。

この言葉は2000年代から2010年代前半までに流行し、以後使われなくなった。 

理由は、役割を終えたからだと、私は思っている。 

この言葉が流行する以前、目上に対しては物が言いにくかった。 どんなに正論を唱えても、「目上に対してそんな言い方はないだろう」と言われてしまえば、言葉が続かなくなる。 

「上から目線」は、良い意味にも悪い意味にも使われたが、根本的な役割は、対話における上下関係を無くしてしまうことにあった。 

だから、現代の日本人は、対話において目上を全く恐れていない。言おうと思えば、どんなことでも言える。 


以上は脱線だが、今流行っていないもののひとつに占いがある。 私の記憶する限りでは、流行した占いはスピリチュアルあたりが最後である。

 苫米地英人も、占いは宗教だと言っている。ならば占いの衰退は、宗教の衰退だともとれる。


 もっとも、日本での宗教の衰退が、ヨーロッパの宗教の崩壊と同一ととれるかどうか。

 なぜなら、日本の占いの衰退は、社会への信頼と繋がっているからである。

 占いの結果が良かろうと悪かろうと、「いつかは幸福になれる」と信じているから、人は占いをするのである。

だから占いをしないのは、自分達を幸福にしてくれるはずの社会を信じていないのである。


 話は変わるが、2010年代の音楽をずっと不作だと思っていた私にも、最近いいと思える曲が耳に入るようになってきた。

星野源の『恋』やRADWIMPSの『前前前世』などである。 90年代を最高峰とする私にとってはまだイマイチの感はあるが、それでも聞ける。


 そんな中で注目したのが『スパークル』である。曲自体は緩やかなバラードだが、それでいてイントロのピアノが実に力強い。 そして、歌詞がいい。 これほどいい歌詞を解説するのも野暮だが、一部抜粋してやってみよう。

まだこの世界は 僕を飼い慣らしてたいみたいだ 望み通りいいだろう 美しくもがくよ

 

自分が世界に飼い慣らされてるというのは使い古された表現だが、今の時代では逆に新鮮である。

ついに時は来た 昨日までは序章の序章で 飛ばし読みでいいから ここからが僕だよ 経験と知識と カビの生えかかった勇気を持って いまだかつてないスピードで 君の元へダイブを

 

「カビの生えかかった勇気」というのは、従来なら「錆び付いた」などと表現されていただろう。それでは足りないという想いが感じられる。

運命だとか未来とかって言葉がどれだけ手を 伸ばそうと届かない 場所で僕ら恋をする 時計の針が二人を 横目に見ながら進む そんな世界を二人で 一生いや何章でも 生き抜いていこう

 

「運命」や「未来」という言葉が、恋愛にとって邪魔なのである。

 「時計の針が二人を横目に見ながら進む。そんな世界を二人で」 というのは、周囲がその恋愛を快く思っていないということであり、二人は幸福な未来を描けていない。

 二人にとって恋愛は人生ではなく物語であり、いつか終わりが来るものである。

 現代ほど自由恋愛が認められている時代はないというのに、何が二人を邪魔しているというのだろう。

 それは「運命」や「未来」を説く者であり、そのために二人は疲弊し、勇気にも「カビが生えかか」っている。

そんな勇気を奮い起こして、「いまだかつてないスピード」だから、二人は「未来」が信じられないのである。

   

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『GODZILLA 怪獣惑星』

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GODZILLA 怪獣惑星』を見たのは、去年の『シン・ゴジラ』のヒットと、今回のゴジラの脚本が、『まどか☆マギカ』の実質的な作者だったからである。
もっとも直前で来年5月に次作があると知り、三部作という噂もあるが確認できていない。続きがあるため、今ここで書けることは少ない。また『シン・ゴジラ』と違い、現状ヒットしていない。
それでも今回書くのは、はてなでこの作品を紹介した記事が、この作品について何も感じ取っていなかったようだったからである。その記事はランキング入りしたが、ブクマなどをつけていないので、誰の記事かわからない。
GODZILLA 怪獣惑星』はあらゆる点で現代の作品を踏襲している。
まずは「忘却」がキーワードとなっていることである。地球人がゴジラに勝てずに宇宙に逃亡したのを、サカキ・ハルオは「忘却」と言う。ハルオはゴジラを倒す方法を見つけるが、それを実践しなかったことを「忘却」と言うのである。
「あの状況では無理だった」という意見もあり、こちらの方が真実だろう。しかしハルオは「忘却」と思い、苔の化石を見て、「俺達は忘却したのに、地球は俺達を忘れていなかった」と言う。
また、地球に次々と怪獣が出現する中で、二つの宇宙人のグループが地球人に協力するという設定に設定が重なる構成も、『君の名は』以降よく見られるものである。
二つの宇宙人グループの一方が頑健な肉体と合理主義、一方が「献身」を教義とする宗教なのは興味深い。特に宗教は、今までの日本の作品では、ごく一部でしか取り上げてこなかったものである。
物資と兵力が乏しい中で、消耗戦を繰り広げるのも、「進撃の巨人」を踏襲している。
部隊が地球に上陸した時に、ゴジラの亜種に襲撃され、隊長は撤退を決意する。しかしそのための行動は、別の地点に上陸した部隊と合流するという規程の路線だった。追い詰められた者には選択肢さえない。
移動中「このまま撤退したら俺はゴジラに会わずに帰ることになる」とハルオが言うが、メトフィエスは「ゴジラがこちらを見つける」と言う。このゴジラは逃げ切ることができない。追い詰められた状況をとことん演出するのも最近の作風である。
ランキングした記事は、「対象となる風景がないのでゴジラの大きさがわからない」と言っていたが、製作者はそれが分かっているから、森が盛り上がってゴジラが姿を表すという演出をしている。
このゴジラは、2万年の間成長を続けていた。
ここに、個体が進化する怪物からの脱却の可能性を、私は感じている。
人類は宇宙を放浪し、何十年も苦しんだが、その苦しみは、問題を解決するための苦しみではなかった。人類が苦しんでいる間、その問題は幾何級数的に膨張していたことを暗示しているようである。


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