坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。新ブログ「人の言うことを聞くべからず」+を開設しました。古代史、神話中心のブログです。

「底抜けの善人」ほど悪い奴はいない

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ロベスピエールはフランスでも決して評判が良くない。
その理由は恐怖政治により、多くの人がギロチンで処刑されたからだが、アメリカ独立革命と違い、フランス革命ではこの大量処刑は必要なことだった。

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「代表なくして課税なし」を革命の根拠にできた新天地アメリカと違い、フランスでは王権神授説がすっかり根付いていた。王党派は無視できない勢力であり、地方では王政の復活を求める声も強かった。
加えて、外国からは革命を危険視されていた。
ロベスピエールはそういう状況下で、革命を守らなければならなかった。そのためにルイ16世をギロチンで処刑し、多くの人をの命を奪った。リヨンの町は破壊された上に町の名前を変えられ(ただし、町の破壊そのものはロベスピエールの命令によるものではない)、宗教色を排するために革命暦を施行し、さらに「最高存在の祭典」なるものまで挙行した。「もし神が存在しないなら、それを発明する必要がある」と語ったロベスピエールは、ルソーの一般意思を重視していた。

一般意志 - Wikipedia

これを発見するまでの過程は自由な討論であり、そこから全ての人にとって自分の問題でもあり全員の問題でもある事項が導き出され、それが一般意志となる。だが、これはあくまで全員に共通する意志であり、個人の事情や利害の総体ではない。全ての人が個人的な特定の事情をこの場限りで捨て去った時こそ共通の意志が明らかとなり、この共通の意志だけを頼りに社会が成立する。

 

多数決でも選挙によるものでもない一般意思を、ロベスピエールは恐怖政治により実現しようとした。そのためロベスピエールは「ルソーの血塗られた手」と呼ばれる。
ロベスピエールは1793年に公安委員会に選出され翌年に死ぬが、生きていれば選挙は停止されていただろう。
しかし王権神授説のフランスを人民の手によるフランスに変えるには、ロベスピエールの存在は必要だった。ナポレオンによる帝政でさえ一般意思とポピュリズムの融合と考えることもできると思えば、ロベスピエールの行為は時代に適合したもので、間違いなく後の共和政に繋がっているといえる。
日本では冷戦崩壊以後、恐怖政治をもってフランス革命評価に価するものではないとする向きがあったが、そのような保守性行の主張は、当時のフランスの状況を無視したものであると思っていた。

ロシア遠征からナポレオンを見る - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

は、そのような思いも込めて書いたものである。

ロベスピエールのような、未だに評判が悪くとも歴史の方向性を決めるのに成功した人物もいれば、方向性を完全に誤った独裁者もいる。その代表といえるのがカンボジアポル・ポトである。
私のポル・ポトの評価は「底抜けの善人」である。
学校、病院、工場を閉鎖し、自由恋愛や結婚を禁止、子供を親から引き離し集団生活をさせ、文字を読もうとする者、時計が読める者、さらには眼鏡をかけている者まで殺害した。
現代社会は家父長制度から個人を中心とした社会に移行しようとしており、また教育についても、教育を根本的に不要、有害とする意見も出てきている。教育不要論は、暗黙にベーシックインカムと、社会の全AI化による「人間が働かなくていい社会」を想定している。だからポル・ポトの目指したところは、あながち間違っていたとはいえない。
間違っていたのは、それを徹底した反知性主義により実行しようとしたことである。子供が親から受ける影響には負の側面があり、それをなくそうしたという動機は理解できても、それを子供を無理矢理親から引き離して、子供がどのように育つのかについて全く考えていない。
児童虐待を見ても、子供を親から引き離すには慎重さが求められ、特に子供自身が虐待を否定した場合、虐待の事実があっても子供を親から引き離すことはできない。子供が親を肯定している以上、親から引き離しても子供にとってプラスにはならないのである。またおそらく現代もだろうが、当時のカンボジアの伝統的な農村社会を考えれば、ポル・ポトの行為は無謀そのものである。
ポル・ポトにより、カンボジアの人口は3分の2に減少したという。ベトナムに避難していたカンボジア難民がベトナムの援助を受けてカンボジアに侵攻すると、軍隊の指揮系統が粛清により崩壊していたカンボジア軍は溶けるように消えた。

マオイズムはしばしばポル・ポトのような反知性主義に陥る。
ポル・ポトの行為は、根は善意が動機となっている。
後先考えずに善意で行動するが、成果が得られないとそれを他人のせいにする。その悪循環を反知性主義が後押しするのだが、反知性主義に陥らずとも、「底抜けの善人」は大抵反知性的である。

同じ大量粛清で非難されるスターリンは、ウクライナの小麦で飢餓輸出を行ったことで有名だが、飢餓輸出で得た外貨で工業化を達成したという功績も指摘されている。
帝政ロシアにできなくてソビエト連邦以降のロシアにできたことは、農奴を国民に変えることである。農奴の存在がロシアの近代化を妨げたため、帝政末期には農奴解放という、一見ロシアらしくないことまで行っている。もっともこれはあまり効果がなかった。
スターリン独ソ戦ではヒトラーが独ソ開戦をしないという希望的観測にかけたためにモスクワ近郊まで攻め込まれるという失態を犯したが、ロシアでは焦土戦術は伝統的な戦略である。皇帝の権力が強すぎたロシアでは粛清等により人材が払底しがちで、しばしば近隣の強国に攻め込まれた。同様の問題は中国も抱えており、そのため中国は異民族に征服されがちだったが、ロシアは中国より広大な領土と厳寒な気候を最大限に利用し、焦土戦術により他国の侵略を乗りきってきた。
そしてスターリングラードの戦いを転換点として反攻した結果、スターリンは東欧を手に入れた。
第二次大戦を含めて、スターリンの事績は死者数から見れば陰惨そのもので、人口60万を超えたスターリングラード市は攻防戦により
9796人に減少した。スターリンの成果も結果からしか見れないものが多いが、それでもスターリングラードの戦いをロシアの偉大な事績としたい気持ちは理解できる。

知性も結果もない歴史ほど唾棄すべきものはない。
ポル・ポトのような人物は、独裁者でなくとも、権力の地位につけるべきではない。

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不合理な工場はとっとと移転させたい

r.nikkei.com

賛成。ということ今日は、次期総理最有力候補の菅官房長官が言ってくれなければお蔵入りにしようと思っていたネタをひとつ。

私は派遣社員として製造業で働いているが、工場というのはいくつかの棟が組み合わさってできているところが多い。
戦前の軽工業中心の経済から重化学工業に移行するにあたり、資本も限られている中で、用地を確保した上で一棟か二棟でスタートし、日本経済が発展するにつれて工場も事業を拡大して棟の数を増やしていくというやり方をしてきたからだと思う。
その後デフレの時代に入り、工場事業の見直しをするようになったが、見直しをしてもどうしても不合理な面が残ることがある。
私の工場での経験から言えば、工場勤務は肉体労働のため、ホワイトカラーに比べて場所を広くとる必要がある。
その分工場自体が広い立地をとらなければならないが、事業発展に伴って棟を増やすやり方は、あくまでその時期の事業展開に合ったやり方でしかない。事業を縮小して合理化する必要に迫られると、新たな不合理が発生しやすいのである。
例えば私が派遣された会社のひとつなどは、合理化して出荷先ごとに分かれていた出荷場をひとつにまとめたが、製造工程を移動させることができなかったため、最終工程から出荷場まで、往復約5分は時間をロスするようになってしまった。出荷の人は一日に10回以上往復するので、一日に一時間以上ロスしていることになる。
こういう不合理が発生した場合、根本的に解決するには工場を移転するしかない。移転しないで工場を改修しようとすると、何かの作業を止めなければならなくなる。事業に支障をきたすから移転するしかないのである。
移転してどのような工場を建てればいいかを素人ながら述べれば、できるだけ正方形に近い形にして、将来の事業の見直しの可能性を考慮して内部の仕切りを少なめにするのがいいと思う。しかしもちろん工場移転などができるのは、高い収益を上げている企業だけである。

製造業が日本経済の2割程度でしかないのはわかってますよ。
工業団地を作って企業を誘致したりするのが時代遅れだというのもわかってます。
私は今自動車産業に派遣されているが、現在都会ではカーシェアリングが進んでおり、自動車の販売は大幅に落ち込むとも言われている。カルロス・ゴーン後進国で自動車が売れるからそれほど落ち込まないとも言っているが、一方でEV車が実用化されてきている。EV車は自動車と根本的に構造が違うので自動車産業より家電業界の方が近いところがあり、自動車産業の苦境はまだ続く。製造業で工場を移転できるほどの収益を上げるのは難しいのである。一日一時間のロスをする社員が一人か二人いても、、工場移転による合理化を図るほど収益に影響することではない。
工業団地の工場は、大体合理化の必要に迫られた場合にそれが可能な方形の敷地がある。
しかし工業団地にない工場の中には、崖っぷちに立地している工場などもあるのである。崖っぷちだから当然敷地が細長くなっている。土地の有効活用なんかしなくていいから、こういう立地は止めてほしい。

こうして製造業は、日本においてその役目を終えるまで小さなロスを積み重ねていくことになる。
しかし中小企業を統合してくれるというなら話は別。それに合わせて工場も可能なものは統合し、新しいカッコいい工場を新設して徹底的に合理化を図ればいい。そんなことを考える今日この頃でした。

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日本型ファンタジーの誕生(35)『進撃』:8自己犠牲、そして「宿命」の否定

かつて、自己犠牲の物語は日本にたくさんあったと思う。
「思う」というのは、『ドラゴンボール』のピッコロが俉飯を庇う場面の他一作品でしか、自己犠牲の話を思い出せないからである。自己犠牲の話は大抵感動の物語として語られるが、私は長い間、自己犠牲の物語に釈然としなかった。

ロシア遠征からナポレオンを見る - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

は、私の長年のこの想い、そして『進撃の巨人』22巻の衝撃を受けて書いた側面がある。

ウォール・マリア奪還計画を実行した調査兵団は、シガンシナ区で一転窮地に陥る。
ウォール・マリアの外から獣の巨人が岩を砕いた散弾で攻撃を仕掛け、シガンシナ区内では鎧の巨人により退路を塞がれ、何とか鎧を倒すも今度は超大型巨人が来襲する。
獣の攻撃で一面は更地になり、調査兵団は風前の灯となる。しかしエルヴィンは打開策を見出だしていた。
打開策を見出だしているが、エルヴィンはすぐにそれを語らない。
エルヴィンは、エレンの家の地下室に行きたかった。壁の外の人類が滅んでいないと主張する父親を犠牲にした「答え会わせ」がしたかったのである。しかし打開策を実行すれば、エルヴィンは死んでしまう。地下室に行くことなく。
エルヴィンは生への執着を見せるが、あと一押しで地獄に堕ちる。

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そしてリヴァイは「俺は選ぶぞ」と言い、作戦が決行される。エルヴィンは自分で決断できず、リヴァイが決断する。

マルコもその決死隊の中にいる。マルコは今まで自己犠牲の精神を説いてきたが、死ぬ瞬間に迷う。

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自己犠牲の精神は称賛されるべきではない。

特攻する調査兵団に、獣の巨人ジークは「哀れだ…歴史の過ちを学んでいないとは」と言う。
この「歴史の過ち」とは、『進撃』の世界観の中の歴史ではない。日本の歴史のことである。
熱くなって岩を粉々にしたジークは、「何本気になってんだよ?お前は父親とは違うだろ?」と自嘲する。

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この時のジークは若干アメリカを気取っている。
しかしジークが引き連れた巨人は皆倒れている。ジークが決死隊に集中している間に、リヴァイが巨人を倒しながらジークに近づいていたのである。そしてリヴァイはジークを滅多斬りにする。
この場合、ジークにとって父親とは「何も考えずに特攻する者」である。
しかしエルヴィンの作戦は特攻に見せかけた奇襲であり、何も考えていない訳ではなかった。こうしてジークもアメリカも、ジークの言う「父親」も否定される。これもまた父殺しである。

自己犠牲の否定は近年のマンガで様々に語られるが、『進撃』以外で印象に残るのは『コッペリオン』である。
お台場原発再臨界を止めるために行動する成瀬荊の前に、伊丹刹那が現れる。
刹那はコッペリオンを生み出したDr.コッペリウスの死んだ実の娘のクローンで、空間の置換の能力を持つコッペリオンである。
Dr.コッペリウスは刹那に娘としての刹那の記憶を蘇らせるのに成功する。
Dr.コッペリウスがそこまでしたのも、娘の刹那にろくにかまってやらず、傷心の刹那は交通事故に合い左足を失う。
後悔したDr.コッペリウスは、再生医療で刹那の足を元に戻そうとするが、倫理的な問題で医学界に反対される。それでも手術を強行しようとする父親を見て、刹那はビルから飛び降りて自殺する。
Dr.コッペリウスの娘として復活した刹那は、空間の置換により原子炉内の核燃料の配置を変えることで再臨界を阻止する。そして刹那は原子炉の中へ。
Dr.コッペリウスの望みは、彼の望まない形で終わる。自己犠牲は、自己否定された者のみが行うのである。

エルヴィンとアルミンの瀕死の二人のどちらに巨人化の薬を射つかでエレンとリヴァイが揉め、アルミンが生かされる。
なぜアルミンなのかと言えば、それが誤った選択だからである。人類には、エルヴィンの力が必要だった。それでも誤った選択を行うのは、「宿命」を否定するためである。
「宿命」は人間の選択の幅を狭め、社会を固定化する。その固定化された社会を壊すために、誤った選択でも受け入れるべきだというのが『進撃』のメッセージである。まさに

日本型ファンタジーゲームの誕生①~『ドラゴンクエストビルダーズ アレフガルドを復活せよ』 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたことと同じである。

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「合法的な請負」のほとんどは労働者供給事業

偽装請負は日本型経営を殺戮装置に変えた - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で、私はウィキペディアでさえ「偽装請負では労働基準法が適用されない」と嘘が書かれているのを指摘した。
それから二年後の現在、この嘘をつく姿勢は全く変わっていない。

偽装請負 - Wikipedia

ところが、民法におけるいわゆる典型契約としては、類似するものとして請負という契約類型が用意されており、請負人にはいわゆる労働法の適用がないのが原則である。

 

こんなことは知っている。しかし偽装請負で働く社員は自らが請負契約をしたのではない。

なお、法令の適用上、特定の契約が雇用契約なのか請負契約なのか、などの契約類型に関する判断は、当事者が用いた用語や名称に拘束されることなく、実質的な内容の判断によりなされる、というのが一般的な解釈である。

 

誰だこんなことを言っているのは。
偽装請負が実質的に派遣かどうかは「実質的な内容の判断」によりなされるが、雇用契約と請負契約が混同されることなどない。どれだけ偽装請負という犯罪を隠したい者がいるのかを示すいい例である。
私が偽装請負で働いたところは会社が請負契約をして、社員とは労働契約を結ぶ。請負会社と社員は使用者と労働者の関係にあり、労働基準法は当然適用される。第一派遣会社が労働者と請負先の請負契約を斡旋したらそれは非弁行為である。弁護士が沈黙していられるような問題ではない。

偽装請負を違法とする根拠はこの告示である。

・労働者派遣事業と請負により行われる事業との区分に関する基準(◆昭和61年04月17日労働省告示第37号)

(1) 自己の責任と負担で準備し、調達する機械、設備若しくは器材(業務上必要な簡易な工具を除く。)又は材料若しくは資材により、業務を処理すること。

 

この第二条二項八の(1)は、今のところそれほど問題になっていない。請負先から機械をリースして合法として終わっている。
弁護士などでたまにこの点を強調する者があるが、大抵の弁護士は、この点にそれほどの関心がないと思っている。今のところは請負先と請負社員の間に指揮命令関係が存在すれば偽装請負であり、あくまで違法だから問題なのである。合法的に労働法が適用されないからではない。これ以上嘘を言うのはやめてもらおう。

そして偽装請負が盛んな時代は終わり、いくつかの会社を見た限りでは、「合法的な請負」を行っている会社もある。つまり指揮命令関係さえ請負会社の中で確立すれば「合法」になるのである。

偽装請負がなぜ違法なのか、その根本のところで実に多くの人がミスリードをしようとしている。一方で本当のことを言う者はほとんどいない。というより私は本当のことを言う人に会ったことがない。
偽装請負が違法なのは、労働者供給事業だからである。
労働者供給事業については、労働者派遣法には書いていない。職業安定法第44条にある。

労働者供給事業 - Wikipedia

労働者供給事業においては、労働者供給事業を行う者の一方的な意思によって、労働者の自由意思を無視して労働させる等のいわゆる強制労働の弊害や支配従属関係を利用して本来労働者に帰属すべき賃金をはねるといういわゆる中間搾取の弊害が生じるおそれがある。

 

つまり中間搾取と労働の民主化のために労働者供給事業は禁止されているのである。
ならば、請負契約をしても請負元が労働者に払った賃金を引いて、請負先が直接業務を行うより利益を出せなければ労働者供給事業と見なすべきであろう。それは中間搾取を防ぐためであり、もちろん労働者を低賃金に抑えて利益を上げるなどはあってはならないことである。そして裁判ならば、判決を得ることで「合法的な請負」という中間搾取を止めさせることができる。

「昭和61年04月17日労働省告示第37号」にある機材を自己の負担で調達するなどは、本来派遣と請負の区分には必要ないかもしれない。
しかしこのように区分された以上、そこには意味が必要である。
昭和61年04月17日労働省告示第37号第二条二項のイ。

業務の処理に要する資金につき、すべて自らの責任の下に調達し、かつ、支弁すること。

 

請負業務には相当の資力が必要であり、資力が必要なのは「労働者供給事業にしない」ためである。そもそも「自己の責任と負担で準備」とあるのに請負先から機材をリースされてはいけないだろう。
また第二条二項八の(1)の「又は材料若しくは資材により、業務を処理すること。」は、単一の事業者からの請負では請負として成立しないと見なすべきである。製造業ならば、単一の事業者が途中まで加工した製品を仕上げることで業務請負とするのは違法だということである。
このような条件をクリアできる事業者がいるだろうか?もしできないというならば、業務請負に関するいくつかの法は実質やってはいけないことの裏付けをしているに過ぎないのである。
大体コロナが収束すればすぐにどの業界も人不足になるというのに、中間搾取がいくつもあるのを放置していること自体が異常なのである。

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日本の二元論

ユーラシア大陸中央アジアより西の地域では、多神教→二元論→一神教という流れで推移している。
多神教の目的は人間を不条理に従わせることにある。不条理に従わせるのが目的だから、道徳は原則説かれない。
世の中は道徳で動いているのではない。不条理によって動いており、不条理こそが真理だと、多神教は人々に教えている。その代り、不条理に翻弄される人々に「完成された人間」になる道を示す。
多神教は、都市国家からバビロニアやエジプトなどの地域国家の範囲に留まる限り存続する。

国家が地域の範囲を超えて、複数の地域を包摂する世界帝国が誕生すると、多神教から二元論に移行する。
二元論でも神は複数おり、二元論も多神教だと言えばその通りだが、二元論の特徴は世界を善と悪に分けることにある。世界で最初の二元論は、世界最初の世界帝国を築いたアッシリアの後に世界帝国となったアケメネス朝ペルシアで興ったゾロアスター教である。

古代ローマも最初は多神教だったが、地中海の覇権を握る世界帝国となり、それが崩壊していく3世紀には、マニ教などの二元論が台頭するようになった。
しかしそれがキリスト教にとって変わられるのは、「完全な善」は理念的には成立しても、現実的にはあり得ないからである。だから

定言命法に達しなかった日本人 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、「完全な善」を実施しようとするなら、人間は定言命法を実践しなければならなくなるからである。それはほとんどの人間にとって不可能である。
二元論を維持するためには、道徳的善と合理的な正しさを不可分にする必要がある。
そしてここに二元論の落とし穴がある。合理的な正しさをもって善と主張し続けるには、結果を出し続けなければならないのである。
3世紀の古代ローマの軍人皇帝時代、ローマ人は蛮族に侵略される中で、皇帝に結果を出すことを求め、結果が出ないと皇帝を殺害して新しい皇帝を立てることを繰り返した。しかしローマの衰退は避けられることではなかったため、何度取り替えられても、皇帝達は結果を出すことができなかった。
古代ローマキリスト教に移行したのはここに原因がある。
一神教では、モーゼの十戒に見るように道徳を定言命法的なものとし、神でさえ完全に道徳的に振る舞うことはできないとした。そのことを表すのが『ヨブ記』である。
「わたしが大地を据えたとき/お前はどこにいたのか。知っていたというなら/理解していることを言ってみよ。」
と神が不幸に見舞われたヨブに問うのは、神でさえ悪を成すことを表したものである。

日本では、二元論は藤原摂関政治に始まり、朝幕併存体制として江戸時代まで続いた。
日本では権威と権力が分離しているとよく言われるが、天皇制に限り、権威と権力の分離と合わせて二元論で歴史を見る必要がある。
日本の二元論には2つの特徴がある。そのひとつは長い時代に渡って、日本人が二元論に無自覚であることである。
南北朝時代には南朝を正統とする『神皇正統記』が書かれた時代だが、同じ時代に「天皇は木と金で作ればいい」と言う者も現れたりする。そしてこのことが、もう1つの特徴との関連を示す。
江戸時代になると、朝廷を善とし幕府を悪とする尊王攘夷論が生まれる。泰平の時代になると、二元論が明確に打ち出されるのである。
戦乱の時代には現実主義で人々は動く。南北朝時代にこそ、王朝が分裂するという異常事態のため『神皇正統記』が書かれたが、多くの人は現実的に社会を捉えていた。
それが江戸時代には南朝が正統とされ、楠木正成は大忠臣となり、足利尊氏は逆賊となる。
以上のことは水戸学という学問で説かれている。徳川御三家水戸藩が生んだ学問である。井沢元彦は「水戸家が朝廷側に付くように家康に遺言されていた」と『逆説の日本史』で主張するが、私は井沢氏の説を面白いと思いながらも反対する。水戸藩は日本人的な思考により水戸学を作り出したのである。

明治から敗戦までは、日本は二元論ではない。天皇制による一元的な社会である。
敗戦後、平和憲法により日本は二元論に戻った。つまり護憲を善、改憲を悪とする二元構造である。
朝幕併存体制以来の二元体制が平和憲法により復活したのである。
これで、日本の二元論のもうひとつの特徴がわかる。二元の二元論の善とは体制であり、しかも基本実現不可能な体制である。そして現実的な社会を悪とする。
定言命法も基本的に実現不可能だが、定言命法は人間の規範である。しかし日本の二元論は規範を作らない。
もっとも二元論の良さは、歴史を一貫したものとして見れることにある。その歴史が正しいかどうかは別にして。
何度も述べたように、右翼が自主憲法を主張するのは、護憲の70年の歴史を無かったことにするためである。右翼の歴史観はしばしばアクロバティックだが、その理由は二元論から一元論に転じたことにより、日本社会内に悪を作ることができず、結果一切を無謬にしようという強い衝動が生まれるからである。
結局我々は、規範を作る以外の道はない。

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新「脱亜入欧」論

natgeo.nikkeibp.co.jp

この記事は今では会員登録しないと全文を読めなくなったが、内容は興味深かった。
一見文章の長さの割には中味が薄く感じられるが、行間を読むようにして読めばその深みが分かる。政府は国民としっかりコミュニケーションを取り、信用できる情報を流し、何より政治利用しないことである。アメリカを見れば、やはりトランプ大統領でコロナの冬を乗り切るのは厳しいと思う。
春に話題になった自粛警察も、政府が止めるように働きかければ、よりストレスを少なくして冬を過ごすことができる。この記事を見て、そんなことを思った。

中国が香港への圧力を強めていく中で、台湾がどのような動きをしているかについてまとめたのがこの記事である。

gendai.ismedia.jp

台湾が国際的に中国とは別の国家として認められるべきだと私は思っているが、台湾自体はそのような動きはしていない。台湾が独立すれば中国が黙っていないからだろう。
台湾の外交はとにかく欧米寄り、そして日本寄りである。外交の内容も正式な国家でないため、フランスから兵器を購入する以外は経済のことばかりである。
しかし台湾の外交は、日本の取るべき道に大きな示唆を与える。
日本は独立国家として正式に認められているので、憲法の問題を除けば軍事面で外交を進めるのに問題はない。
各国との経済関係を深化させるのは、必要なのは一応理解できても、私のような素人にはかゆいところに手が届かないような印象がある。欧州との関係は、どこまで進んでも軍事的な関係に発展することはなく、極東のパワーゲームに直接に影響することはない。
しかしそれでも、日本がどの方向に進みたいのかを示すことは重要である。
台湾の外交は、明治以来の日本の「脱亜入欧」の路線と大きく重なるものである。つまり日本が海洋に進出しようとする中国を牽制する最良の道は「脱亜入欧」路線なのである。

この点で、最近の日本は方向性を明確に打ち出せずにいる。
日本では近年右翼が増加し、経済政策でもケインズ主義による主張が盛んである。左派ではれいわ新選組がそうで、れいわの政策は非常に鎖国的である。
そして右翼を中心に、尖閣諸島の防衛について盛んに論じられている。
尖閣諸島も日本の生命線であるシーレーンの維持には不可欠である。
ならば右翼がシーレーンの維持に関心を持っているのかというとそうではない。
彼らの関心は尖閣諸島止まりで、尖閣防衛論をもってシーレーン維持に偽装しているのである。れいわに至っては国土防衛の発想すらない。
経済思想と外交、安全保障の視野は大きくリンクしており、ケインズ主義的、鎖国的な経済思想になると本土防衛以上の発想をしなくなってしまう。
中国の海洋進出を阻むには東南アジア諸国をどれだけこちらの陣営につけられるかが重要だが、極東の日本と韓国が軍事関係を深めただけで東南アジア諸国を味方につけるのは難しい。しかしオーストラリア、ニュージーランドと同盟を結べれば、東南アジア諸国が中国の傘下に入るのを切り崩すことができる。そのためには欧米との経済関係をより深化させることが重要なのである。

『東京喰種』と『テラフォーマーズ』という、同時期に同じ雑誌で連載された二つの作品は、日本人の行くべき道に大きな示唆を与えている。
『東京喰種』の主人公カネキが結成した「黒山羊」は「あんていく」のメンバーと「アオギリの樹」の残党が合流してできた組織である。
アオギリの樹」は自衛隊の諜報期間青桐グループから名前を取ったもので、要するに右翼を指す。そして「アオギリの樹」は設立者のエト、王としての有馬貴将、参謀のタタラのトロイカ体制だが、実際に組織を動かすタタラは中国系喰種である。

日本型ファンタジーの誕生(26)~『アイアムアヒーロー』4:孤独になって人は自立する。 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で殻と中心の話をしたが、『テラフォーマーズ』の場合、殻は火星であり、中心は不時着したアネックス一号である。そしてアネックス一号には中国の第4班が待ち構えている。
右翼は変革の重要な要素だが、そのままでは中国と同じになると、この二つの作品は示しているのである。

ここで、中国の覇権を押さえきれずに日本が中国の傘下に入ってしまったと仮定して考えてみるのもいいだろう。
傘下に入ったからといって、体制を大きく変換させられることはないが、中国の影響は受ける。覇権国は思想を支配するか、支配しなくても思想的な優越感を持つものだが、中国が覇権国になれば、初めて思想を支配できず、思想的な優越感を持てない覇権国となるだろう。その場合、中国は「不機嫌な覇権国」となる。その場合日本に対して最も厳しい対応をとることになるだろう。
この仮想はモンゴル帝国を想像すればわかりやすいかもしれない。モンゴルが支配した文明国に劣等感を持っていたか否かは劣等感をどう定義するかによるがモンゴルが南宋の人民を「南人」として最下位に置いたのはモンゴルの思想的な優越感に貢献したのは間違いない。
そして中国が日本に不機嫌な対応をとるなら、日本も中国に対して反発することができる。しかし日本の右傾化が進んで中国と同質になれば、中国はむしろ日本に寛容な姿勢をとればよくなる。それで日本が中国に親近感を持つと思われてしまうからである。そうなれば日本でも口先ではともかく、内心では次第に反抗の牙を抜かれていくことになる。

どのような経済体制を作るか、どの国と同盟を結ぶか、そして我々がどう生きたいかは究極的にひとつになる。
AI化により人間が働かなくてもいい時代が見えてきた現代において、日本人はより幸福になれる社会を目指すべきである。そのために国際競争力を高め、欧米との関係を深めて中国の覇権を阻むのが新しい「脱亜入欧」である。

しかし

東京は単純にコロナ予防に失敗している - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

都知事選後に小池都知事が感染対策を本格的にやると言ったけど、小池さん行政能力低っ!!
「夜の街に行くな」とか「県外への移動を自粛しろ」ということばかりで他に打つ手が無いのが丸わかり。
仕方がないから政府は緊急事態宣言を出して外出自粛を要請できるようにするしか無いのだが、下手に批判すると政府が秋に衆院を解散しようとしているのを見越して、わざと外出自粛の解除の時期を早めて感染を拡大させて衆院を解散できなくしかねない。豊洲移転の時も大騒ぎのうえに空回りだったことを考えると小池さんならやりかねないよねwww。
それでも8月終わりまでに感染者数を1日平均20人以下にしてくれれば平穏に秋を迎えられると思うけど、今度は秋の小池百合子発コロナ第2波を警戒しなきゃならなくなってきたwww。

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日本型ファンタジーの誕生(34)~男女が結ばれて世界が崩壊する「セカイ系」と「天気の子」の誕生

セカイ系は男女が世界によって引き裂かれていく物語で、その引き裂かれる様をそのまま受け止めるのが本来の姿である。
その引き裂かれた男女が再び結ばれた場合、その世界が崩壊するのはストーリー構成上の必然といっていい。

最終兵器彼女』は2000年代初期の作品で、この時期の作品は暗示が非常に読み取りにくい。
ちせの胸の傷をを見た時、誰もがこの傷を取り除きたいと思う。しかしそれは違って、傷の方が人間の部分である。

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この傷がなくなった時、ちせは人間ではなく兵器になる。
実はここに分岐点がある。シュウジが人間としてのちせを愛するか、兵器としてのちせを愛するかという分岐点である。シュウジの浮気によりカムフラージュされているが、シュウジは兵器としてのちせを最初選べなかった。

この作品は、ちせが何とどう戦っているのかが明確に描かれない。

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随分とフェイクをかけている。
作戦のことを語っているのではないのである。少女を兵器に仕立てて楽しんでいた者が、少女を持て余し、声も掛けられない存在になるのを防ぐ方法、それが「女の子と思う」ことであり、それを「一番頭の悪い作戦」だというのである。
なぜ「女の子と思って」は駄目なのか?少女は戦いたくないのではないか?女の子と見られたいのではないか?
それが間違いで、ちせには兵器としての人格がある。その人格が「兵器に仕立てた責任を取れ」と言っているのである。兵器に仕立てておいて、「女の子」と思って見れば喜ばれると思うのは男の身勝手である。
シュウジとちせがそれぞれ浮気をするテツとふゆみの夫婦は、またそれぞれのダミーである。シュウジは人間の女性を求めてふゆみと浮気をし、テツは「女の子と思って」ちせと関係しながら、今際の際にちせの名前を呼ばずに死んでちせを傷つける。
敵の「補給ルートと一緒に退却ルートまで」消したとちせは言う。こうして少女が戦うのを楽しんでいた物語が、それを楽しんでいた男達と戦う少女との戦争へと変容する。
多くの作品で世界を相手に戦う場合、その世界はフェイクで、本質は日本との戦いである。
日本はボロボロになり、人々は社会インフラが崩壊した中で生きる道を探す。
シュウジもまたちせと二人で暮らすために漁業の手伝いをする。
ちせに与えられた薬は、人間としてのちせを保つための薬である。シュウジは生きるために様々な模索をする中で逞しくなるが、選択を誤る。
シュウジの選択は、「ちせが暴走したならばちせを殺す」だった。しかしここで初めてシュウジは兵器としてのちせと向き合った。
そして戻った故郷の街で、シュウジとちせはセックスをする。シュウジが兵器としてのちせを受け入れたのである。しかしその時、ちせは世界を滅ぼす決断をしていた。
シュウジは人類が滅びた世界を後にして、ちせと二人で旅立つ。

この時、世界を滅ぼしたのはちせである。
この「世界を滅ぼす役割」を男が請け負ったのが『天気の子』である。
こうして、「世界の運命を決めるヒロイン」でも「見棄てられたヒロイン」でもない、「天気の子」という第三の類型のヒロインが誕生する。天野陽菜以外の「天気の子」は、『とつくにの少女』のシーヴァとミッシェル・K・デイヴスである。
「天気の子」は「世界の運命を決めるヒロイン」のように高い資質を持つが世界の運命を決めず、むしろ世界の犠牲となる運命を負っている点で「見棄てられたヒロイン」との共通点を持つ。

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つまり「天気の子」は、セカイ系を触媒にして「世界の運命を決めるヒロイン」と「見棄てられたヒロイン」が融合したものと見ることができる。そしてその救済が世界を大きく変容させていくのである。

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