坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

淡路島を取らなかった長宗我部元親

長曽我部元親ほど小説にならない存在はない。
間違いなく英雄であり、四国を統一した(統一していないという説もある)業績を持ちながら、元親を小説にしようという者が現れないのである。
元親を書いた小説で有名なのが、司馬遼太郎の『夏草の賦』だが、

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歴史に見る「統合」と「分離」の論理

今はロシアのウクライナ侵攻に注目が集まっているが、その戦争のニュースを見ていく中でわかってきたのは、歴史は時代が下るほどに、戦争、それも対外戦争は起こしにくくなっているということだ。
「そんなことを言っても戦争は起こってるじゃないか」と思うだろうが、戦争が起こらなくなったのではない。戦争を起こしにくくなったのである。起こっている戦争はほぼ全て、戦争による成果を得られないのに得られると思って起こった戦争である。
最初に戦争が起こしにくくなった要因が生まれたのは、19世紀初頭のスペインである。ナポレオンの兄ジョセフがスペイン王になったことで、スペイン国民がフランス軍に対して反乱を起こした。
「スペインという腫物が私の寿命を縮めた」とナポレオンに言わせ、ナポレオンのフランス軍が初めて負けたスペインの反乱軍の戦法は「ゲリラ」と呼ばれた。
しかしゲリラ戦法というのは、ナポレオン時代のスペイン以前から存在するのである。それがナポレオン時代のスペインからゲリラと呼ばれるようになったのは、国民意識の有無にある。

いや、ゲリラだけではない。歴史を通じて「新機軸」が生まれ、「統合」が起こり、「統合」が新たな「分離」を生み出すということを歴史は繰り返しているのである。

元々古代から、このユーラシア大陸では、国家は村落や都市、部族の上にゆるやかに覆い被さるものだった。そのため特に中東から中央アジアにかけては、様々な国家が成立と消滅を繰り返した。
ヨーロッパでは、古代はローマ帝国が発展するまでは、一部の王国を除けば、ヨーロッパ人は都市国家や部族ごとに分かれて暮らしていた。古代の特徴は税金が安いことだが、ローマも最盛期まではそうだった。税金が重くなったのは蛮族の侵入が激しくなり、防衛費が嵩むようになってからである。帝政ローマは元々元首政と呼ばれ、ローマ市民の第一人者という立場で、任期はないが統治能力に欠けると暗殺されたりした。そういうローマの帝政は、蛮族の侵入が激しくなると、王冠を被った専制君主制に変わった。加えてキリスト教が国教となり、戴冠式により君主が神によって権威づけられるようになった。
各部族や都市国家は、例えばカエサルに征服されたガリアのように、ローマ人と同化したりした。古代人にとって、民族のアイデンティティとはその程度のものだったが、ローマ帝国の滅亡後、各地に形成された君主国が後の国民となり、今日のヨーロッパ諸国の元となっていく。
中国の何よりの特徴は、時代が下るにつれて皇帝の権力が強くなることである。周の時代には封建制があり、漢の頃も王の権力は制限しても、諸侯がおり豪族がおり、唐では貴族がいたが、宋の時代になると官僚は全て科挙で合格したものがなり、中間搾取勢力がなくなった。正確にいえば、中間搾取勢力の自立性がなくなり、中間搾取勢力が国家に依存し、中央集権体制が強化された。
また中国の北方には匈奴鮮卑などの遊牧民族がおり、中国が戦乱などで乱れると万里の長城を超えて漢民族の居住地に侵入したが、唐の時代までは、これらの遊牧民族漢民族に同化するのが常だった。唐王朝の李氏も鮮卑の出身である。
この傾向が変化したのは、契丹族の遼の頃からである。遼は契丹文字を開発した。タングート族の西夏西夏文字、モンゴルはモンゴル文字女真族満州文字を開発した。李氏朝鮮もハングルを開発するようになった。
すると中国北方の遊牧民族達は、中国を征服しても漢民族に同化しなくなった。遼や女真族の金の王朝は、耶律や完顔という性を維持したし、モンゴルの元は河北の漢民族漢人、江南地方の旧南宋に住む漢民族を南人として、モンゴル人や色目人の下に於いて差別した。満州民族の清は漢民族に辮髪と満州服を強制した。漢民族遊牧民族のこのような仕打ちに憤り、「尊皇攘夷」という漢民族至上主義の朱子学を生み出した。
中央アジアや中東はアケメネス朝ペルシャからアレクサンダー大王マケドニアイスラム帝国、モンゴルなどの大帝国が現れては消滅したが、その理由はある部族、または勢力が力を持つと大帝国ができるが、他の部族、勢力は表面的に従い、強い者になびく。しかし支配民族の力が衰えると、他の部族や勢力はその支配を脱し、新たに力をつけた民族に従う。
歴史的には、他の民族を支配する力は指導者の軍事的才能であり、時に新機軸の用兵術により勢力を拡大することがあった。アレクサンダー大王は歩兵と騎兵の長所を利用した敵を包囲殲滅する戦術により大帝国を築き、アレクサンダーの戦術をカルタゴハンニバルを通じて学んだローマは、元々の敗者同化路線もあって、地中海を内海とする大帝国となった。しかしローマは最後はゲルマン人の傭兵に頼り、歩兵が少なく騎兵メインの戦争をするようになったが、騎兵は占領統治に向かないため、ヨーロッパの複雑な地形では領土を大幅に拡大した大帝国は生まれにくかった。
一方アジアでは12世紀にモンゴルが台頭した。軍隊の全てが軽装騎兵で、略奪と殺戮を得意とするモンゴル軍は、当時としては核兵器並に強力だった。モンゴル軍はユーラシア大陸を席巻した。

次の新機軸は大航海時代である。ポルトガル喜望峰を回ってアジアに達し、スペインはアメリカ大陸を発見した。ついでオランダとイギリスがより組織的な植民地経営を行うことにより、スペインとポルトガルは覇権を失っていった。
そして産業革命フランス革命が生んだ国民国家が次の新機軸となる。ナポレオンの率いるフランス軍は強く、ヨーロッパを「統合」したが、フランスの国民国家はナポレオンが征服した地域に伝播し、各国のナショナリズムを触発した。ロシア遠征でナポレオンが敗れると、ナポレオンは没落し、ウイーン体制によりアンシャン・レジームが復活した。しかしそのウイーン体制も「諸国民の春」と言われる1848年革命により崩壊し、国民国家がヨーロッパの主流となった。これが「統合」に対する「分離」である。
産業革命は生産力を飛躍的に拡大したが、製品の供給過剰が起こり、ヨーロッパ諸国はたびたび不景気に襲われた。そこでヨーロッパ諸国は新たな市場を求めた。その過程でイギリスは世界の四分の一を支配する帝国となり、世界のほとんどをヨーロッパが植民地にした。これが統合である。
すると「分離」が起こる。モータリゼーション民族自決、管理通貨制度である。モータリゼーションはここでは「統合」ではなく「分離」の要因となる。なぜなら「統合」は帝国主義により既に為されているからだ。ここでいうモータリゼーションは自動車でなく、石油を動力としたもの全般という意味で使っている。つまり戦車や飛行機も含む。
モータリゼーションは戦争になった時の犠牲の大きさ、それに対する利益の少なさを人々に知らしめた。第一次大戦は「失われた世代」を生み出した。この「失われた世代」が軍縮の風潮を生み出し、またヴェルサイユ条約により巨額な賠償金を背負わされたドイツに対し、むしろ反動的に同情し、ナチスが台頭するドイツに宥和政策を取り、多少の侵略行為に目を瞑った結果第二次大戦に発展してしまった。
ヒトラーはヨーロッパ最大の征服者といえるが、ヒトラーのヨーロッパ支配はナポレオンより短く、わずか6年でしかない。古代からティムール朝まで、大帝国が崩壊するのは征服王が死んでからというのが基本だが、ナポレオンもヒトラーも、「他国を征服、支配はできない」という真実を誤認しているのである。
そして第一次大戦アメリカのウィルソン大統領が民族自決主義を表明したことで、帝国主義が揺らいでいく。一次大戦でイギリスは世界一の座から転落し、アメリカが世界の大国となった。イギリスは大英帝国でなくイギリス連邦となり、ゆるやかな主権国家の連合体となった。他にもオーストリアハンガリー二重帝国、トルコ帝国、ロシア帝国が分裂し、ヨーロッパに多くの国ができた。
そして管理通貨制度である。管理通貨制度は世界恐慌のような大恐慌をなくしただけでなく、帝国主義より一国経済を重視する経済体制への転換となった。管理通貨制度もまた、帝国主義の崩壊を準備したのである。

第二次大戦後はアメリカは世界の覇権国となり、圧倒的な軍事力、経済力で強烈な影響力について発揮した。一方でソ連が共産圏を形成し、アメリカを中心とする西側と対立した。
西側は経済的には米ドルだけが金とリンクし、ドルが各国通貨とリンクするブレトンウッズ体制となった。しかしやがて、アメリカの経済は自国の赤字と他国、特に日本の経済成長による負担に耐えられなくなり、ニクソン大統領の時代に金とドルの交換を停止して変動相場制となった。世界の多くの国が管理通貨制となったということである。
二次大戦の戦時体制を引き継いで、先進国では年金制度、国民皆保険制度が導入された。また世界恐慌や二次大戦の戦時統制は戦後規制という形になり、共産圏の影響を受けて労働運動が盛んになった。しかしイギリスは「ゆりかごから墓場まで」という福祉に耐えられなくなり、サッチャー首相がサッチャリズムを唱え、規制緩和などの改革を押し進めた。アメリカでもレーガン大統領がレーガノミクスを唱え、世界は新自由主義グローバリズムへと突入した。
イギリス連邦エリザベス女王を君主としない国も認めた主権国家連合になった。ヨーロッパはヨーロッパ経済共同体(EEC)からヨーロッパ共同体(EC)、ヨーロッパ連合EU)へと発展していった。「統合」である。EUは経済政策の共通性を高め、通貨を統合した。ヨーロッパでこれほど共通性の高い「統合」が起こったのは、ローマ帝国以来である。しかしそれでも来てかつての帝国主義の時代ほどの「統合」ではない。
EU加盟国は消費税を12%以上にし、高齢化社会への準備を整えた。EU圏内の移動は完全に自由である。この共通性の高いEU圏でもバラエティがあり、北欧諸国は福祉大国となった。EU諸国ではリベラルが全盛となり、それが今回のウクライナ侵攻でEU諸国の人々の感情を刺激し、ウクライナへの全面協力の風潮となった。
グローバリズムは情報化社会と相まって、第四次産業革命へと変化した。この第四次産業革命は国家の意味、とりわけ教育の意味に重大な疑問を投げかけている。国民国家の成立とセットの教育制度は、軍隊で戦える者を作るためにあり、型にはまった人間の育成がどれだけ第四次産業革命に通用するのかという疑問である。

このように、何かより優れたものがあると「統合」が起こる。しかし「統合」は、より優れた何かにより「分離」される。管理通貨制度が帝国主義の終わりを準備したようにである。
「分離」は何かを管理、規制するものが多い。管理通貨制度が国の通貨を統制するようにである。しかし人がその統制により、自由に、豊かになれるものが「分離」として生き残るのである。だから新自由主義以来数多くの規制が各国で廃止されたが、管理通貨制度は生き残った。生き残るのはより優れた統制である。
管理通貨制度世界恐慌のような大不況をないものにした。そしてその結果、人はより自由になれるのである。「より優れたもの」とはより人を自由にするものであり、人を自由にしない統制は排除される。
「統合」も「分離」もより人を自由にするものが生き残るのである。
ならば今後どのような「統合」や「分離」が起こりうると考えるべきだろうかと考えれば、それはやはりベーシックインカムだろう。現状ベーシックインカムを実施できる国は西側諸国しかない。
ベーシックインカムの実施には通貨供給量を大幅に引き上げる必要がある。つまりEU加盟国がベーシックインカムを導入するには、ユーロを離脱する必要がある。つまりベーシックインカムは「分離」で、「分離」により人はより自由になる。現在、ロシアのウクライナ侵攻によりEU諸国の一体感はかつてないものになっているが、この一体感を壊すものがあるとすればベーシックインカムだろう。

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ロシアは中央集権を止め、ゆるやかな連邦制に移行すべき。

5月9日の対独戦勝記念日で、ロシアのプーチン大統領は戦争宣言をしなかった。
そのためロシアによるウクライナ侵攻は、ロシア国内では特別軍事作戦という位置付けになっている。ロシア軍の兵士が脱走しても、ロシア軍はその兵士を軍法会議にかけることができない。既にロシア軍全体で1/3の兵力を失ったという報道も出ているのに、中途半端な位置付けである。
ロシアはウクライナに武器供与などの支援を行うNATO諸国に対し批判をしてきた、もし戦争宣言を行えば、NATO諸国も敵に回しかねない。
ヒトラーユダヤ人の血が流れている」とラブロフ外相が発言し、プーチンイスラエルに謝罪するという一幕があったが、ロシアは決して一貫して強気ではない。
そしてウクライナ侵攻を特別軍事作戦と位置づけにしてしまった以上、今後ロシアがヨーロッパ相手に戦争を起こす場合(この想定自体非常に可能性の低いことだが)、ヨーロッパのどの国も戦争宣言をして攻めることができず、特別軍事作戦として実質上の戦争をしなければならないという状況にロシアは陥ったといえる。もちろんNATOを敵に回すことはできないし、NATO加盟国以外で、といってもモルドバしかないのだが、NATO加盟国以外の国を攻撃してもNATOが後ろ盾になって、その国を支えてしまう。もはやロシアはヨーロッパ相手に勝つことが永遠にできなくなってしまった。

さらにスウェーデンフィンランドNATOに加盟を申請した。
日本の左派はこの経緯についてよくわかっていないようだが、まずフィンランドは20世紀初頭までロシア領だった。第二次世界大戦でもドイツと手を結んで当時のソ連相手に戦い、独立を守ったという経緯がある。それでもフィンランドは敗戦国なので、戦争時の大統領リスト・リュティは戦犯として禁錮刑を受けた。フィンランドはロシアに責められれば戦うが、ロシアを敵に回さないように注意深く外交を行い、そのために中立を保ってきた。
スウェーデンはロシアに攻め込まれる位置にはない。それでも中立の立場を捨ててNATOに加盟を申請した。
その理由はこう考えればいいだろう。スウェーデンフィンランドEUには加盟しているが、NATOアメリカと歩調を合わせるのが嫌だったから加盟してこなかった。しかしウクライナ侵攻により、住民の虐殺や強制移住などの暴虐を知り、自分達の生活を守るために今回NATOへの加盟を決意したと。
北欧は福祉大国である。スウェーデンは仮に働かなくても生活が可能で、リベラルも徹底している。つまり国に生活を保証されて自由を満喫しているのである。ヨーロッパには左派政権が多いが、左派は平和な時には覇権的な存在には嫌悪感を持ちアメリカに反感を持ちがちである。しかしロシアのような横暴な行為には強く反発するのである。むしろ保守派の方が冷静な印象がある。ウクライナからの避難民には保守派は難色を示したが、反ロシアで沸騰した世論は避難民を迎え入れるのに肯定的で、保守派の意見に耳を傾けない傾向さえ生じている。そうなったのもヨーロッパでリベラルが隆盛を極めたからである。リベラルが安全保障で穏健とは限らない。自分達の自由が脅かされれば、保守派より強い結束を示して戦おうとしがちである。だから左派でも、オーストリアNATO加盟に動いていないが、その理由はオーストリアが北欧ほどの福祉国家となっていないからで、その分自由への希求が北欧ほどでなかったからかもしれない。左派なら穏健であるべきだと日本の左派が思うなら、リベラルというものを左派は理解していない。

マリウポリは陥落したとロシア側が報道しているが、ウクライナ軍はハルキウを取り返し、全体にウクライナ軍優位に戦争が進んでいる。最近ウクライナのゼレンスキー大統領は、「ロシア軍のウクライナ侵攻前までロシア軍を押し戻せば勝利だ」と言っているが、少し前まで「ロシアに与えられた損害は賠償金で補填する」と言っていた。
賠償金についてゼレンスキー大統領が言及した時、私はロシアが賠償金を支払わなければ、ウクライナがクリミアまで取り返すつもりだと思った。ここにきて賠償金の話をしなくなったのは、ロシアの軍人や外交官がウクライナ侵攻を批判し始めて、プーチン政権の基盤が相当揺らいでいるため、敢えて賠償金の話を抑えて、「賠償金を払えばクリミアに手は出さない」というサインを送ったのだと思っている。
賠償金という、第一次大戦でのドイツ以降聞いたことがないものに私が注目するのは、戦争が終結すれば、ロシアもウクライナも戦後の復興にかからなければならないが、ロシアに経済援助するのは中国が一番になりかねない。西側はウクライナへの援助で手一杯になり、ロシアへは援助合戦で負ける可能性が高い。そうなればロシアは中国の参加に入ることになる。これは日本にとっても脅威であり、援助合戦で競り負けるくらいなら賠償金で絞り上げた方がいいという、西側のコンセンサスが出来上がっているのではないかと思う。

この戦争は今年いっぱいで決着がつくと私は思っている。
この戦争でロシアは今年はGDP比10%程度のマイナス成長となり、来年以降も莫大な負債の償還に苦しむことになる。加えて賠償金も支払わされる公算が大きい。
ソ連崩壊後、ロシアは社会主義体制から資本主義経済にシフトするため、当時のガイダル首相代行が価格を自由化するというショック療法を行った。その結果インフレが進行し、当時のエリツィン大統領はショック療法を停止した。
エリツィンの後、KGB出身のプーチンが台頭し、ロシア経済を立て直した。この時は、私はプーチンを評価した。
しかしプーチンの元では、オリガルヒと呼ばれる振興財閥が幅を利かせるようになった。これは新たな統制経済である。ロシアでは常に「上からの近代化」がなされるが、「上からの近代化」は根本的に社会構造を大きく変化させないため、中央集権、統制的な体制が残ってしまう。

現在、中国はゼロコロナ政策により上海をロックダウンし、北朝鮮はコロナに対応しなかったため、ワクチンを打たれずに発熱者が3万人を越えている。そして西洋と多く価値を共有するロシアは西洋と同じ方法で乗り切ったが、その代わりにウクライナへの「勝てない戦争」に踏み切っている。
中国と北朝鮮、ロシアは中国と北朝鮮は真逆の対応、ロシアは戦争という別の問題だが、共通しているのは独裁である。中国はコロナの対応が西洋よりも早かったことが注目されたが、今やすっかり弱毒化したオミクロン株のために過激な対応を取り、北朝鮮はその弱毒化したコロナにより苦しみ、従来なら隠蔽してきたものを公開せざるを得なくなっている。

jbpress.ismedia.jp

つまり独裁は、誤った対応をした時に軌道修整できないのである。

ロシアの再生のためには、中央集権体制を改め、地方や企業、個人の裁量を増やしていかなければならない。ところがロシアは85の連邦構成主体からなる連邦国家なのだが、この連邦国家主体の上に、大統領の側近から派遣された大統領全権代表によって統治される連邦管区がある。
最近ウクライナ侵攻を受けて、自治体の長が五人辞職を表明したが、自治体の長も大統領が指名し地方議会が承認することで就任となる。このような非民主的な制度がロシアの地方自治を著しく阻害している。
この連邦管区を廃止し、地方の普通選挙を実施し、ゆるやかな連邦制に移行する。人々は権利を得ることで責任を持つことを学び、統制に服する精神から脱却を図っていく。そのようにしない限り、ロシア経済の再生はないだろう。

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日本人は論理的になったのか?

私はまだ50前だが、私が若い頃に読んだ本などを読み返してみると、文章の書き方が随分変わってきているのがわかる。
司馬遼太郎の『夏草の賦』を読んでみたが、非論理的とまでは言えないかもしれないが、それに近いものを感じることが増えたのである。
『夏草の賦』は長曽我部元親の物語である。元親の初陣は長浜合戦である。合戦の前に、元親は家老に槍の使い方と大将の軍の中でどこに位置するべきかを聴く。そして家老に言われた通りにし、敵の四分の一の戦力で勝利する。
ところが、少し後のところに、元親が初陣の際、乱戦の中でぼんやり空を見上げていたと書いてあるのである。司馬遼は元親をそういう空想癖のある人物として描いているが、4倍の兵力のある相手にそんな余裕はないだろう。
『夏草の賦』や『国盗り物語』は合戦描写がふわっとしていることが多いが、その理由は昭和の作品だからである。ガダルカナル戦やインパール作戦のように、飢餓にあえぎながら苦しい戦いを続けてしかも敗北した記憶が生々しい時代で、少ない兵力で奮闘して勝利するという場面の描写は敗戦の記憶を呼び覚ましてしまうため、作家達も避けていたのである。最近の『キングダム』に代表されるような、苦しくて犠牲の多い戦いが連続する作品群と比較すると、戦争を知らない我々と戦争を知る者に向けた作品の違いが見えてくる。つまり司馬遼の初期作品で合戦描写がふわっとしている場合、その裏には苦しい戦いの連続だったという歴史の真実があるということである。

また『夏草の賦』には「江戸時代の慣用文句を借りれば、玉のようなというべきであろう」という文があるが、 「江戸時代の慣用文句」と言わなければ、 「玉のような(赤ちゃん)」という言葉も、この作品が書かれた時代にはしっくりとこなかったことがわかる。
ところが、私が今読むと、「江戸時代の慣用文句」と説明されてもしっくりこないのである。赤ちゃんは丸っこいが、だからといって赤ちゃんが玉で生まれてくる訳ではない。ちゃんと手足がある。
基本的に、日本人全体の論理力は上がっていると思う。比喩とは本来非論理なものだが、論理力が高すぎると、比喩が受け付けられなくなる。
また違った考え方もある。論理力以前に、我々日本人の文化的な結びつきが極端に弱くなり、そのために比喩や慣用句などを受け付けることができず、論理以外に頼ることができなくなっているという考え方である。そのため我々は過去と切り離され、個々人が文化的な背景を持たずに孤立している状態に置かれている。
個々人が孤立しているというと、現状に反しているように思うかもしれない。コロナはオミクロン株により随分弱毒化したが、未だに日本人はマスクを外せずにいる。この集団現象は日本人が個人より集団を重視する傾向として表れているが、真実はより個人が文化的背景を持たなくなったために、集団に依存することで自分のアイデンティティを維持するという逆説的な現象なのである。ボカロなどの曲にたまに「孤独だ」というフレーズがあったりするが、客観的には孤独ではなく、こういう歌詞に共鳴する人も実際は人に囲まれた生活を送っている。しかし人と交わりながら、やはりその価値観の共有に充足することができず、集団の中で孤独を感じてしまうのである。
この日本人の過去から切り離された文化的背景の欠落は、護憲の衰退により顕著になった。ウクライナでの戦争でも、護憲派はなんらかの正しさがあるのではなく、非常に迷惑な存在と思われるようになった。私から見れば護憲派復権の機会はあるのだが、護憲派はそのチャンスを完全に掴み損ねている。
そのチャンスとは何かというと話し合う脱線するのだが、一言でいえば『敗戦後論』のように平和憲法を選び直すことである。つまり日本が自衛隊や米軍に守られながら平和を唱えるのではなく、個々人が本当の非暴力主義者になることである。
話を戻せば、ここ1、2年の間に、歴史に護憲派の衰退という大きな断絶ができたということだ。私は歴史は断続的に進むのが理想であって、連続的に進むのは望ましいあり方ではないと思っている。断続的とはつまり政治的社会的に修整や変更を重ねながら歴史は積み上げていくべきであり、修整や変更のない連続的な歴史は結局は大きな断絶を生み、人々のよって立つ場所を奪ってしまうことになる。敗戦という事件でさえ、表向きは断絶に見えても、真実は連続であり、300万人の戦没者への無反省が隠蔽されていた。
つまり戦後だけでなく、戦前から連続したものがここにきて大きな断層を作ったということである。このため私は困っている。私は徹底した文系の人間で、理系の話は頭が痛いのだが、文系とは文化の集積の上に成立するので、過去と切り離された日本人に受けないのである。一部政府の文系軽視の政策によるという批判もあるが、政府が文系の学問に金を注ぎ込んだところで、学閥の既得権益のための学問に金が注ぎ込まれるだけになり、ネットが普及した現在、日本人の文化的な背骨になるほどの学問は生み出せないだろう。つまり批判に耐えないということであり、金を注ぎ込むだけ無駄だということである。
もういくつか、例を挙げよう。名作ゲーム『ドルアーガの塔」にバランスという、天秤型のドット絵のアイテムがある。フロア24で手に入るアイテムで、フロア26にあるハイパーガントレットというアイテムを手に入れるために必須のアイテムだが、昔は「ハイパーガントレットの真偽を見分ける」というような説明がされてあった。
「真偽を見分ける」とはどういうことだろうと思うが、真相は26階のアイテムを手に入れても、バランスがないとハイパーガントレットのドット絵が表示されるだけでアイテムの効果が発揮されず、バランスを取っているとアイテムの効果が発揮されるというシステムになっているのである。
しかしこのように説明してしまうと、かつての名作の持つ神秘性も薄れてしまう。昔はこういうちょっとした虚仮威しが多くあった。また子供の頃、兄に異次元に行ったという兄の友人の話を聞かされたことがある。その話の締めくくりに、兄は「(その友人は)また異次元に行こうと思っているが、何月何日に行くと帰ってこれなくなる」と言った。
「帰ってこれなくなる」とはどういうことだろうと、子供の頃は恐怖心と共に考え混んだものだが、今は単なる虚仮威しで、異次元に行ったなんて嘘だと思っている。しかしこういう虚仮威しは、人間の文化的背景が充実していてこそ通用するのであって、文化的背景がないと論理にしか頼らなくなり通用しなくなる。
しかし多くの人間は、論理ではなく感情や習慣に基づいて行動を行う。論理に基づかないのでその行動に正しさを感じられない。こうして人はアイデンティティを喪失していく。
もし現在、オカルトが全く流行らないとすれば、それは日本人に文化的な背骨がなくなり、論理にしか頼れなくなっているからである。

現在、散文は意図して非論理的に書かれない限り論理的に書かれている。
一方、ボカロなどの曲は矛盾だらけである。その理由はむしろ矛盾の中に、というより矛盾そのものが人々の本音だからだろう。
ボカロはサブカルである(と少なくとも私はそう分類している)。そのサブカルの中に、日本語の再生または創生というべきものがある。『東京喰種』の赫子という言葉を見た時、「子」を「コ」と読まず「ネ」と読んだところに、日本語を再生することで自分のアイデンティティを取り戻す試みを感じたのである。他にも「そうして」を「然うして」など、長年本に親しんだ私さえも知らない漢字の読みを当てたり、「死」を「タヒ」と、「タ」と「ヒ」を会わせて表現したりと、自分のアイデンティティを作り上げようという精神をひしひしと感じることができる。むしろ必死に足掻いているという感じである。
また家族や組織の上下関係に基づいて、社会を再生しようという動きもわずかに存在するのを私は知っている。そのような動きには、私は可能な限り合わせるということしかしないつもりである。人間には大抵、フィクションは必要である。現在日本社会はは今までの個を持たない社会から、個人主義の確立という非常に長い過程の中にあるのだが、フィクションを破壊して真実を剥き出しにしても人心は荒廃するだけである。そのような行為は犯罪の増加や経済の停滞につながり、少なくともむやみにフィクションの破壊に務めるべきではない。
しかしこのようなフィクションですら、現状の延命にしかならず、いずれフィクションが崩壊するのは避けられない。フィクションの裏には真実が内包されているのであり、フィクションが真実に取って代わることはない。そのように考えると、私はフィクションを普及しようとする保守派を傍観しながらも、本気でフィクションを樹立しようという気にはなれない。

英語に堪能な人に是非聞いてみたいのだが、英語の多くは論理的に書かれているのだろうか?私もかじる程度には英語の勉強はしたのだが、時々訳してしっくりこない時がある。その場合、慣用句的なものが文章に含まれていたのではないかと思っている。
英文の例は思い出せないが、エマニュエル・トッドの本に(もちろん日本語訳)「イギリスには常にウインストン・チャーチルボリス・ジョンソンがいます」と書いてあり、ビンとこなかったのを覚えている。世界の方向を決めるような優れた政治家がいるという意味だろうが。
つまり、当たり前のことだが、どの国の言語も文化的背景の上に成立しているのである。
結局は「何かいいことをした」という経験、それが小さなものであっても持続しなくても、「小さな物語」を積み上げることで、人は自分のアイデンティティを作り上げていくのだろう。個人主義といっても、それは個人が孤立しているのではなく、他者との関係で多くは形成されるものである。人との関係で「良いことをした」と思えることを少しでも増やすことである。
そういう「小さな物語」の積み重ねが文化的な背骨になり、歴史と自分をつなぎ、荒廃した人心を和らげ社会を安定させていく。そうすれば非論理的なもの、慣用句や故事、虚仮威し的なオカルトまで復活する。人類が滅びるストーリー『2012」も、ノストラダムスを大予言を通過した我々は影響を受けなかったが、アメリカ人は人類が滅びると大騒ぎした。私はただ冬至の日を区切りにマヤの暦が終わっていただけだと思うのだが。そのオカルト騒ぎもまた、アメリカの文化的と背骨が安定していたからである。
日本で大きな拒絶反応を示したオウム事件だって、文化的なバックボーンがしっかりしていたから起こったのである。


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日本の歴史を変えた、マウンティングによる「政権」システム

日本の歴史には「政権」というものがある。
まず、「政権」が普通の政権、つまり安倍政権とか岸田政権などではなく、平氏政権や織田政権や豊臣政権などと何が違うのか説明しよう。
ここで名前をあげた政権は、「政権」でありまた「政権」ではない。つまりこれらの政権はある時から「政権」に変わっており、また見方によっては最初から「政権」だったものもある。
このように言ってもわからないと思うので、順を追って説明しよう。
まず、古代に日本は中国から律令制度を導入して公地公民となった。全国の土地と人民は天皇のものであり、原則私有地はなく、農民は国家から口分田という土地を与えられ、口分田を与えられた農民は、死ぬと口分田は国に返さなければならなかった。社会主義的な体制と考えればいい。
この公地公民制が墾田永年私財法の制定により、荘園が発達し、国衙領と呼ばれた公営の農地は天災や人民の逃散により荒れ地となっていった。律令体制が根幹から崩れていったのである。
それでも藤原摂関政治までは、太政官が決定し天皇が決済するという体制は守られていた。しかし後三条天皇が延久の荘園整理令により没収した荘園を自らの荘園とし、白河天皇が譲位して院政を開始することで、日本は権門勢家の時代に入る。
権門勢家とは、天皇家藤原氏延暦寺などの寺社勢力のことを指す。また鎌倉幕府室町幕府なども権門であり、その最大のものである。この権門勢家の時代がいつまで続いたのか、学者の意見は知らないか、私は江戸時代までを権門勢家の時代と見ている。
幕府のような、当時の日本で最大の権門が政権だが、「政権」とはその一段階上のもので、諸権門を傘下に収めた一元的な支配をする権門を私は「政権」と呼んでいる。
政権が「政権」に変わるには、3つの条件がある。ひとつ目は隠居、二つ目は官職辞任、三つ目は出家である。しかし時代が下るにつれて、この三つの条件が揃わなくなっていく。
「政権」の創始者藤原道長である。一家三立后で有名な藤原道長だが、道長が出家したことはあまり知られていない。
出家したということは、隠居し官職も辞任したということである。しかし日本の歴史では、不思議なことに権力闘争が出家すると、その権力が強まって油光りするような印象さえ受けてしまうのである。
その理由は出家が隠遁であることにある。普通貴族や大名は家臣を持ち、家の外とも様々なしがらみがある。しかし隠居、官職辞任、出家をすると、そのしがらみから解放される。
例えば「先右大臣」などというと、右大臣より権威があるように感じてしまうが、実は右大臣を辞めても権威が残っていると感じるのと、官職を辞めてしがらみから自由になったという2つの意味があるのである。
出家というのはしがらみがなくなったことの強調であり、道長に始まり白河法皇などの院政平清盛、最明寺入道北条時頼足利義満と、出家した最高権力者が日本の歴史に次々と登場してくるのである。
ではしがらみから解放されて何をするのかというと、他の権門に対しマウンティングをするのである。
例えば白河法皇は藤原璋子という女性に手をつけて妊娠させ、璋子を孫の鳥羽天皇中宮にする。これは白河法皇鳥羽天皇にマウンティングをしているのである。また足利義満は他人の妻妾を自分の側室にし、後円融上皇後宮に入りこんで上皇の妻妾に手をつけた。
このようにマウンティングをすると、法的、といっても律令が形骸化しているのだが、それでも慣習法的には違法な行為も可能になる。平清盛後白河法皇を幽閉したし、足利義満は自分の息子を天皇にして自分は法皇になろうとした。清盛も義満も太政大臣になった。最大の権門から太政大臣が出た時、天皇家は危難に見舞われる。
マウンティングは、実際の政治にも反映される。
白河法皇が作った肥後国山鹿荘という荘園は、200町の面積があったが、この荘園は無人の地に設立されたのではなく、公領や他の荘園が含まれていた。つまり白河法皇は他人の土地を横領したのである。古今東西、他人の財産を没収するにも、何らかの理由があるものだが、理由なく土地を横領した例というのは私は他に知らない。理由の不在が、『政権』による統治が横暴であり、マウンティングである証左なのである。
以上見たように、源頼朝鎌倉幕府は政権ではあっても「政権」ではない。しかし北条時頼以降は「政権」である。

「政権」ができると、「政権」を打ち立てた人物が死んでも、「政権」による一元支配は続く。
例えば鎌倉幕府が徳政令を施行できたのは、北条時頼が「政権」を作ったからである。そもそも両替商(貸金業)は公家や寺社の領域である。徳政令北条貞時の時に初めて出されたが、時頼が死んでも、「政権」の力は維持されていたのである。
室町幕府も徳政令を出したが、足利義満以降のことであり、義満の死後、そして六代将軍足利義教の死後、守護大名の力は強まったが、朝廷に対しては「政権」の力は維持されたのである。
織田信長以降は、出家まではしなくなる。信長は隠居と安土城建設から「政権」が始まり、むしろ「政権」を作ってから官位を昇進させていく。参議になる前の信長は、ネットでは確認できないのだが尾張守でしかなかったのではないだろうか?
https://sakamotoakirax.hatenablog.com/entry/2021/08/09/191526?_ga=2.264893775.1739893514.1643458955-131981009.1625566099
で述べた、信長が戦場に行かなくなる理由は、自らが安土に鎮座し続けることで、諸方で戦いがあっても「政権」が安定していることを天下に示すためである。安土城建設以前のように信長自身が戦場を転々としていては、「政権」としては軽く見られるのである。しかし信長は右大臣まで登ってから官職を辞任している。
「政権」を作った信長は、荒木村重の謀反では高山右近に味方しなければキリシタンを弾圧するなどと言っている。また各地で差出(土地収入の申告、検地の前段階)を行い、大和国で国割(主要でない城郭の破却)を行っている。そして「政権」を作ってから、信長への謀反が多くなる。
秀吉がもっとも変則的で、官職辞任どころか隠居さえしていない。後継者がいないので当然だが、突然信長の後を引き継いだ秀吉は、左近衛小将という低い官位で「政権」を作る。
「政権」を最初に作った頃の秀吉は、京を大坂に移転させようとする。しかし小牧・長久手の戦いで家康に勝てなかったことから方針を転換し、関白になる。
秀吉が近衛前久の猶子となることで関白になったのは有名だが、注意すべきは、養子ならともかく「猶、子の如し」という猶子では、家の相続権はないことである。秀吉は藤原どころか近衛すら名乗れない。そもそも養子でさえ、血族であることの証明である氏は名乗れない。源頼朝の母は熱田大宮司の娘だが、熱田大宮司は本来尾張氏だったのに、頼朝の母は藤原氏である。家は養子で継げても氏を継ぐことはできない。秀吉が藤原氏になったという説もあるが、秀吉が藤原を名乗った証拠を私は知らない。もし名乗ったならそれは詐称である。
血族によらず養子が家を継げる日本のイエ制度は、このようにして崩れたのだろう。これも「政権」の持つ横暴さによる変化である。関白になることである秀吉は全国的な楽市楽座太閤検地を実施する。
また関白になった頃から、秀吉は京に聚楽第を建設する。信長も「政権」を作った頃、京に二条御所を建設したが、信長はそれをまもなく誠仁親王に譲っている。官位を昇進させるには京に屋敷を作り、天皇に奉仕する必要がある。
しかし官職を辞任すると、天皇に奉仕する必要がなくなるので手放す。秀吉が聚楽第を破却したのは、別に甥の秀次が憎いからではなく、天皇に奉仕する必要がないからである。聚楽第を破却した時、秀吉は関白職を辞して太閤と呼ばれていた。そして隠居城の伏見城を作りそこに住む。
信長と秀吉が京に邸宅を持たないのは、京に天守閣のある城を作れないからである。五重塔なら作れるが、天守閣などを立てては天皇の御所を見下ろすことになってしまう。徳川将軍の上洛時の居所である二条城も天守閣はない。秀吉が大坂に京を移転させようとしたのは、天皇を見下ろすためである。なお秀吉は太政大臣にもなったが、朝鮮出兵後陽成天皇を北京に移動させると放言している。しかし朝鮮出兵が失敗に終わるのが明白になった晩年になると、秀吉は京都新城と呼ばれる屋敷を京に建設した。
徳川家康は右大臣まで上り詰め、禁中並公家諸法度を朝廷が押し付けた。二代目の秀忠は太政大臣にまで登り紫衣事件をお越して朝廷を圧迫した。
しかし江戸時代を通じて朱子学が盛んになり、それが天皇を尊ぶ傾向となっていった。天明の大飢饉の時、光格天皇は幕府に対し、飢えた人々を救済するように要請した。幕府はそれに答えて飢民救済を行ったため、幕府が朝廷の下風に立つ形になってしまった。この件への異種返しが尊号一件である。
光格天皇の父典仁親王は、皇位についたことがなかった。このままだと子が父を超えることになり、儒教的な問題が発生する。そこで典仁親王上皇の尊号を送ることを幕府に通達すると、「前列がない」ということで拒絶された。
実は子が天皇になることで上皇の尊号を送られた例は、鎌倉と室町の時代に一件ずつ例があるのである。幕府は「戦乱の時の例」と言ったがこじつけにすぎない。
しかし一度は朝廷、下風に立った、つまり「政権」でなくなった幕府が、なぜ尊号一件で横槍を入れることができたのだろうか?
実はこの時、「政権」を作ることができる人物が幕府にいたのである。11代将軍家斉の実父の一橋治済である。
一橋治済はこの時まで官職についたことがない。将軍になったことはないが、将軍の実父という変則的な「政権」の作り方である。治済は前将軍の家治の世子の家基を毒殺したという説があり、私もその説に賛成である。治済は諸大名に自分の子孫の多くを養子に送り、その中には阿波蜂須賀家にも養子を送った。またこの時の将軍家は吉宗の紀州家の系譜だが、将軍継承のライバル尾張徳川家にも養子を送っている。凄まじい権勢である。
この時は朝廷が負けたが、光格天皇は古代の祭祀を次々と復活させ、天皇の権威を高めようとした。
幕府はまた朝廷を叩いてやろうと、将軍家斉を太政大臣にして備えていた。
しかし、光格天皇より家斉の方が先に死んでしまったのである。
平安の頃から、天皇天皇と呼ばれず「院」と呼ばれていた。しかし光格天皇崩御後平安以前に戻って「天皇」と称されるようになった。こうして天皇の権威はより高まり、幕末の尊皇攘夷運動につながっていくのである。

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プーチン暗殺、ロシア連邦解体もあり得るウクライナの戦争

ロシアはポーランドブルガリアにガス供給の停止を通告した。アメリカをはじめNATO諸国が武器供与などの支援により戦況はウクライナにやや有利となっている。ロシアがマリウポリを陥落させたことで、5月9日の対独戦勝記念日までにもう少し成果を挙げたくて、そのためにNATO諸国のウクライナへの武器供与を止めさせたかったのだろう。
ロシアは核兵器の使用も示唆している。実際に核兵器が使用される危険性は低いと思うが、原発の攻撃や占領地の住民の虐殺など、ロシアが国際法違反を繰り返しているのは、プーチン政権の存続がこの戦争に勝つことしかなくなっているからである。経済制裁によりルーブルが大幅に下落し、デフォルトの危機に直面すると、ロシアは金利を20%に上げてルーブルの値を戻した。こんな高い金利では、ロシア経済はガタガタだろう。今年のロシアGDPはマイナス10%くらいになるのではないかと予想されている。
作戦に失敗したり、良策を提言する軍人が粛清されるという、ロシアの歴史的な欠陥も露呈している。黒海隊司令長官のイゴール・オシポフ氏がロシア連邦保安庁に逮捕された『モスクワ』沈没の責任を負わされたのだろう。
セルゲイ・ショイグ国防相は、3月中旬から2週間ほど行方不明となったらしい。ショイグ氏はウクライナとの戦争に異議を呈していた。
またロシア国内で不審な火災が起こっている。
ロシアのブリャンスク州にある燃料貯蔵施設で火災が発生している。ブリャンスク州はウクライナ国境に接する州で、燃料貯蔵施設はウクライナ国境から100ほどの距離だが、もっともこの件はウクライナ軍が無人機で越境して攻撃しているという発表がウクライナ側からありウクライナによる攻撃の可能性が高い。
しかし、モスクワ北西のトベリ州にある露国防省の研究施設でも21日に火災が発生し、6人が死亡した。
こちらはモスクワ近郊で、ウクライナ側が越境して攻撃できるとは考えにくい。こういう研究施設は本来警備が厳重な施設のはずである。そういう施設で火災が起こるということは、何か反政府的な動きがあるのかもしれない。
ロシアはプーチンの強力な独裁により、反政府組織は活動が難しいほどダメージを受けていると思うが、反政府組織が消滅したということはないだろう。そういう反政府的な動きが、経済の混乱したロシアで起こっていたとしても不思議ではない。
プーチンが政権維持のために戦争を継続し、核兵器の使用も示唆し続けるならば、核兵器の使用と戦争を終わらせるためにはプーチン政権の転覆を狙うしかないことになる。戦争の継続は無理があり、軍部もプーチンによる粛清のため、一枚岩にはならないだろう。このように考えると、軍事クーデターによるプーチン暗殺、または失脚も十分に考えられる。NATO諸国もこの間バイデン大統領が口を滑らせたが、既にプーチン政権転覆に向けて動いているのかもしれない。
今回のロシアの戦費は莫大なものであり、ロシア経済が回復するまでに数十年かかるだろう。金利17%で中小企業が倒産し、大企業による寡占、独占の経済となり、貧富の差が拡大しソビエト経済のようになる。ガス供給停止などもロシアのブロック経済化に拍車をかけることになる。
ロシアの経済力が衰えると、旧ソ連圏のロシアの衛星国でロシアの力を頼みに独裁を行っているベラルーシカザフスタンカフカス地方などで民主化運動が盛んになる可能性がある。この民主化運動はロシアの衛星国に対する、ロシアの遠心力として作用するだろう。ロシアは衛星国と協力して民主化運動を抑えようとするだろうが、その行為がロシア経済の再建をさらに遅らせるという悪循環に陥る。
こうなるとソ連時代のように、ペレストロイカのような動きがいずれ現れると考えられるが、それがいつのことになるかはわからない。その間、失業者は徴兵され、不満分子として成長する前に効率的に処分されるだろう。
しかし一度ペレストロイカのような運動が起これば、ロシア国内の自治共和国などで一気に独立運動が起こり、ソ連崩壊に次ぐ第二のロシア解体につながる可能性があるといえるだろう。

ウクライナの戦争の特徴は、兵器の消耗が非常に激しいことである。
https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/ca25078c1d42c24670ff619ffff4169905b64881&preview=auto
アメリカのジャベリンの3分の1が消費されている。
冷戦時代、アメリカは2方面以上の戦争に対応できるほどの軍事力を持っていた。それが開戦2ヶ月でこれほど兵器を消耗するほどアメリカは弱体化したのかと、驚きを禁じ得ない。
もっとも今回のウクライナでの戦争くらいの規模の戦争ができる国などロシアと中国しかないのだが、このような戦争を、アメリカは今後何回もやれないのかもしれない。たとえ直接参戦しない武器供与の協力だけだとしても。
その場合、今後起こり得るいくつかの紛争を、アメリカは切り捨てる可能性がある。既にアフガニスタンは完全に見捨てた。
アメリカの戦略は世界の警察を止めているのはもちろんだが、戦略をNATO諸国と極東、つまり対ロシアと対中国に絞っているのだろう。しかしこのアメリカの消耗ぶりでは、この2方面戦略さえ継続して行えないかもしれない。
中国は現在、ロシアに浴びせられる世界中の非難を見てなりを潜めている。つまり台湾侵攻などを行う意思の表明は、ウクライナの戦争の最初の頃と比べて控えているということだ。しかし警戒心を解いてはならないのは、アメリカがこの戦争で兵器が払底した時が、中国が台湾や尖閣諸島に侵攻する狙い目だということだ。
憲法9条は他国に侵攻する、つまりウォーポテンシャルを禁止するものであり、専守防衛のための軍事力の保持を禁じるものではない。
日本は防衛費を拡大し、憲法の認める範囲で中国の野心に備えるべきだろう。

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ロシアは拡大したのと同じ時間をかけて領土縮小する

ロシアのウクライナ侵攻について。
ロシアという国は、アジアには強いがヨーロッパに対しては弱い。ロシアの歴史を見ていくと、新兵の訓練不足とか君主の戦略の誤りとか、今のウクライナの戦争に共通する問題があるのに気づく。
長い間ロシアはヨーロッパの脅威とされてきたが、ロシアがヨーロッパから奪えた領地は、スウェーデンからバルト海沿岸地域と、ポーランドをドイツとオーストリアと分割して得た領土しかないのではないか?二次大戦で東欧を共産圏に置くことができたのは、独ソ戦ナチスに勝ったどさくさにすぎない。ロシアが他国の領土を得る時は、常にどこかの国と同盟を結んだ時である。
それでも我々がロシアを脅威と思うのは、ロシアがナポレオンとヒトラーに勝ったからである。ナポレオンのロシア遠征ではモスクワを占領されながらも焦土戦術で国民を犠牲にし、独ソ戦では2600万人という、一国が消えてなくなる犠牲を出しながらも、ナチスドイツ相手に勝利するという奇跡を成し遂げた。
独ソ戦は世界征服の野望に燃えるヒトラーに対するスターリンの読みの甘さにあり、スターリンは良策を進言する将官を次々と左遷し、終には後退する兵士を背後から撃つということまでやってのけた。独ソ戦の転換点となったスターリングラードの戦いでは、60万以上いたスターリングラードの住民が9800人まで減少した。
普通なら戦意も戦闘遂行能力も失うほどの犠牲である。ここまでくると、幽霊でも相手にしているような薄気味悪さをロシアに対して持つ。そう、ロシアの驚異とはどんなに犠牲を出しても戦うことにある。
しかしエマニュエル・トッドによれば、独ソ戦ソ連の勝利が二次大戦の連合軍の勝利を決定したという。
その通りだろう。独ソ戦でのドイツの死者数は1075万8000人である。
ドイツはこれだけの人的、物量の損失を出すことで、ようやくその勢いを弱めたのである。アメリカでさえロシアの活躍には及ばなくて、イギリスの歴史家のベイジル・リデル=ハートはアメリカの戦争の性向を「ある程度の犠牲的精神が要求される作戦は、それが可能である時には必ず同盟国の徴募兵部隊に任された」と述べている。
これではアメリカの参戦に賭けて、ロンドン空襲を耐え忍び、地中海作戦で枢軸国側のアキレス腱であるイタリアを翻弄しようと画した英雄チャーチルでさえ、ナチス相手に踏みこたえた功績しかないことになる。

ロシアはイヴァン雷帝から独裁が始まり、ピョートル大帝から西欧の技術を導入するようになった。
ピョートルが求めたのはあくまで技術であり、思想ではなかった。産業革命が起こる以前から、西欧の技術ばかりでなく国家機構や法律などが優れていたから、そして西欧の影響が東欧や北欧にまで及んでいたから、ロシアはヨーロッパの諸国に勝つのが難しかった。だから西欧の技術を導入すれば西欧に追いつくことができると考えた。
もっともピョートルも、国民に西欧流に髭を剃らせるなど、単なる技術の導入だけでなく国民の意識の変革も必要だと感じていたようである。しかしピョートルの意識改革は大ざっぱだった。「粗野とまでは言わないが、凡庸な頭脳の持ち主」というロシアの作家ソルジェニーツィンのピョートル評は、そういうところにあるのかもしれない。
ピョートル以後、ロシア人の意識改革に取り組んだのは、エカチェリーナ2世だった。エカチェリーナ2世はドイツ人である。ロシア人の血を全く引かないエカチェリーナ2世は、貴族の支持を必要としたため急激な改革は不可能だった。

ロシアは東ローマ帝国の皇帝の妹を公妃としたウラジーミル1世のキエフ大公国の歴史的な後継者を任じている。ロシアの皇帝を意味するツアーリとは、東ローマ皇帝の継承者だという主張である。そしてこのことがロシアのウクライナ侵攻の遠因となっているのだが、ロシアの大国意識は、西欧に勝ちたいということの裏返しであり、東ローマ皇帝の継承者という多少強引な論理(明確にそう主張してはいないのだが)さえも西欧へのコンプレックスの裏返しであると思う。
そのロシアが、ナポレオン戦争後、本格的に西欧に追いつけなくなっていった。
そのことがはっきりしたのは、クリミア戦争からである。イギリスで産業革命、フランスで生まれた国民国家に対して、当時のロシアは未だに一次産品が穀物だった。クリミア戦争に勝てなかったロシアは、戦債の支払いのために農業の効率化に迫られ、農奴解放を実施した。
農奴は解放されたが、土地は有償であり、49年年賦という負債が農民に課せられた。農地は直接農民にでなく共同体に渡され、そこから農民が支払い額に応じて分与されることになっていた。そのような仕組みであるため、土地を得た農民はほとんどおらず、農地の大部分は共同体の所有とされた。
このように、農奴解放も不十分なものだった。そしてこの頃から、ロシアの領土縮小が始まるのである。1867年にクリミア戦争の戦費調達のために、アラスカをアメリカに売却したのがロシアの領土縮小の始まりである。
農奴解放後、ロシアは産業革命を進め、シベリア鉄道を開設した。しかしロシアはオーストリアハンガリー二重帝国、トルコ帝国と並ぶ「落日の帝国」だった。それがわかるのは、日露戦争でロシアが負けたからである。当時の日本も発展途上の国であり、奉天会戦の後、日本に戦う余力などなかった。しかしロシアも戦争を継続することができず、日露戦争ロシア革命の遠因となる。

第2のロシアの領土縮小は、第一次大戦ロシア革命後のバルト三国の独立である。
アラスカの売却から見ると、ロシアが縮小傾向にあるのがはっきりする。第二次大戦で東欧を衛星国にしたのは、ドイツが負けてその占領地に軍事的な空白が生じたためで、ロシア=ソ連が東欧諸国を独力で占領できる力があったからではない。ソ連が東欧を衛星国にしたのはナチスドイツという強烈な外的要因と、スターリンという国民をいくらでも犠牲にする強烈な内的要因による合作なのである。
少し話を戻せば、レーニンによる社会主義革命をスターリンがついで、ソ連の工業化を推進した。
当時のソ連の主な輸出品はやはり穀物で、スターリンウクライナの小麦を過剰に徴発して多くのウクライナ人を餓死させるという飢餓輸出を行い、それによって外貨を獲得してソ連を工業化した。
スターリンの独裁は陰惨を極めるが、スターリンはロシアに2つの贈り物をした。工業化とロシア人を「国民」にしたことである。

スターリンの死後「スターリン批判」が行われる。
スターリン批判」のような理性回帰は、ロシアの歴史にしばしば見られる。「スターリン批判」を行ったフルシチョフペレストロイカを行ったゴルバチョフは、精神的にはピョートル1世やエカチェリーナ2世の子孫である。硬直化した社会を立て直すために行われたことだが、このような改革が体制の崩壊を招く場合もある。フルシチョフの時はフルシチョフの失脚により体制が維持された。しかしペレストロイカは、体制を崩壊させずにはいなかった。また中国の改革開放路線が政治改革でなかったのと対称的に、ロシアでは政治と経済の改革が一体であることが多いのが特徴である。
1989年にベルリンの壁が崩壊し、東欧革命が起こる。翌90年には東西ドイツが統合し、91年にはバルト三国が独立。その年の12月には独立国家共同体の設立でソ連が崩壊する。この89~91年が第3のロシアの崩壊である。

その後ロシア経済は混乱したが、KGB出身のプーチンがロシアを立て直した。
1999年から2006年までに128人のジャーナリストが死亡、行方不明となっており、プーチンの関与の可能性が指摘されている。
独裁色の強いプーチンだが、2000年代はBRICs諸国の一国としてロシアを新興経済国の一員とすることに成功した。私もプーチンは好きではないが、この時期のプーチンはそれなりに評価している。
しかしロシアの主な輸出品は石油と天然ガスソ連時代と変わっておらず、工業や第三次産業が大きく発展した訳ではなかった。
プーチン旧ソ連諸国を傘下に収めることで実質的なソ連帝政ロシアの復活を画しており、チェチェン南オセチアに侵攻した。しかし2014年のクリミア侵攻による経済制裁で、ロシアは低成長国となった。
ウクライナ侵攻はウクライナNATO加盟の話が引き金になっていると言われており、恐らく真実だろう。プーチンにとってウクライナはロシアの勢力圏内で、ウクライナを勢力圏内に引き止めるためのウクライナ侵攻だったと考えられる。
しかしロシアの被害は甚大で、一日3兆円の戦費がかかり、ロシアは一時デフォルト寸前までいった。暴落したルーブルは回復したが、金利は17%、取引量も大幅に減っていると思われる。
二次大戦以降ソ連よりの外交を続けてきたフィンランドは、今回の紛争でNATOへの加盟を決めた。こうしてロシア寄りの国がまたひとつなくなったことになる。フィンランドの件もまたロシアの領土縮小の一環である。
ウクライナは最終的に、NATOに加盟せず中立的な立場を維持することでロシアと停戦することになるだろう。しかしプーチンウクライナを繋ぎ止めるために始めたこの戦争だが、ウクライナの中立化に成功してもウクライナ人の心は既にロシアから離れている。これからは反ロシアがウクライナナショナリズムになっていくだろう。またウクライナは経済が破綻し、治安も最悪だが、今回の戦争では国が一丸となってロシアと戦っている。この戦争がウクライナの社会をどう変化させていくのかは非常に興味深い。
結局ロシアは、西欧に追いつきたいと思いながら、西欧に勝つことなく、領土縮小を続けていくのだろう。その領土縮小は、ロシアが領土を拡大したのと同じ時間がかかるのではないかと私は思っている。

ロシアのウクライナ侵攻では、左派を中心に「降伏しろ」とか、ロシアへの敵愾心を燃やすウクライナへの批判的な意見が目立つ。
それでこそ平和主義国家日本である。湾岸戦争の時でさえ、占領されたクウェートのために戦うアメリカを非難する声というのは聞かれなかった。平和主義者はたとえ攻撃を受けている国であっても、戦闘行為に訴える者を評してはいけない。ただし、自衛隊と米軍とアメリカの核の傘に守られた安全な日本からウクライナを非難しても説得力はない。
2014年に安倍政権の集団的自衛権行使容認に反対して、焼身自殺を計った人物を覚えている人はいるだろうか?
その人は一命を取り留めたと報じられただけで、名前も知られていない。しかしこの人物こそ平和主義の殉教者である。今こそ平和主義者はこの人物を探し出し、殉教者として讃え、この安全な日本からでなく、ウクライナに向かい、ロシア軍の戦車の前で反戦デモを行うべきである。

古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。